第六十九話「はぐれ奥義 迷林斬」
「おや、もうジーパングに行くのですか?」
朝方、アクレイはルーレルン共々転移してきたアッシュに捕まった。が、どうにも彼の様子がいつもと違うことにアクレイは首を傾げていた。
まず、装備が今まで見てきたどれとも違っていた。
普段着でもなければ、ローブ姿でもない。鎧は纏っているが、どうにもいつも纏っていた全身鎧の色が違っていた。今は完全な漆黒である。その上、表面に描かれた禍々しい紅のラインが不吉さ煽ってくる。
「それと向こうで竜翔に入る準備をしてくるわ」
「……は?」
竜五匹は残して行くし、シルキーが合流するならディウンでの治癒が可能だ。
一応転移で一日に一回様子を見に戻る予定だという。更に彼は、『アルス・シュナイダー』というクォーターエルフとして、廃エルフとの二重生活をすると告げて出て行った。
転移で消えた二人を前に、残されたアクレイは首を傾げる。
その後、当然のように報告に向かったが。
「何を考えているんだあいつは」
グレイカディア建国に向けての書類に追われていたリスベルクは、思わず書類に頭から突っ伏した。わなわなと羽ペンを握った右手が、彼女の心情を吐露しているようだった。
「アッシュなりに考えた上での結論なのでしょう」
竜翔の傭兵として雇われたことにし、森の一員としてではなく個人としてリスバイフで活動する。そのための身分作りが傭兵だったということである。
「そのくらい分かっている。私が怒っているのはな、何故相談しないのかということだ」
「自分の裁量で動いて良いと言ったのはリスベルク様ではないですか」
「それでごり押せるような案件か!?」
ふふふと遠い目で笑う腹黒王は、廃エルフに首輪をつけるのは無理そうだと遅まきながら確信した。結局、今更のことではあったが。
(しかし守勢ではなく積極的な攻勢を選ぶとは。彼はつくづく我々と考え方が違う)
一声掛ければエルフ族を動かせないこともないかもしれないというのに、その道を端から捨てている節がある。確かにその方がエルフ族に犠牲は出ないが、性急というよりは単純なだけなのか? アクレイは猛るリスベルクを宥めながら立ち回り方を思案した。
(上手く行けばリスバイフに大きな貸しを作ることができますが……)
早々簡単にいくかどうかは分からない。
だがそれならそれで動き方も変わる。
意見を具申しようとした矢先、リスベルクが先んじてアクレイに命じた。
「確か、ロロマの連中との顔繋ぎは終っていたな?」
「はい」
「ちょっと行ってリスバイフの状況を吹聴しておけ。ウォーレンハイトが馬鹿でなければ、心象が悪いこちらではなく必ずロロマに活路を見出す。というか、連中はロロマを抱き込む以外に道はない。地理的に見て森とロロマしか逃げ道はないからな」
「でしょうね」
最悪最低の選択として、アヴァロニアに助けを求めるなんていう策もあるにはあるが、それを実行するとはさすがに二人も思えない。
だから結局はロロマが無難だ。調停を頼むか援軍を頼むかは分からないが、ロロマとしても座して待つわけにはいかない。
クルスの暴走は国境を隣接している彼の国にとっても他人事ではないのだ。その辺をつつくことなど、アクレイにはそれほど難しいことではなかった。
「それとディリッドにポーションの量産体制の確立を急がせておけ。ロロマとリスバイフに売り込みをかけるチャンスが来るかもしれん」
「吹っかけますか?」
「程ほどでいいさ。足元を見るようなやり方は好かんし、どうせ勝手に高騰する」
現状、量産体制が整っているわけでもない。
数が出せない間は価値があがり高騰するのは目に見えている。
「ロロマにも魔法銃のことを教えた方が?」
「それはリスバイフの連中にさせてやれ。被害者が危機感を煽る方が効果的だ」
「なるほど。ではそのように」
一礼し、アクレイは消えた。
「貴様は止めずに好きにさせる方を選ぶか。信頼しているのかそうでないのか……」
一番癖の有る男が、真っ先にそれを黙認している現状がある。こういうやり方はあまりリスベルクは好きではない。
考えはしたが、アッシュの負担が大きすぎるために敢えてやらなかったことでもあるため、余計にそう思えてならなかった。
「アッシュ、これ以上苦労を背負っていったいどうするつもりだ。……まさか、あれだけ忠告したのに竜に篭絡されたのではあるまいな?」
相手はトカゲだぞと、彼の守備範囲の広さに頭を抱えるリスベルクであった。
どの大陸からも遠いジーパングは、外敵が長く居ないため非常にのどかな島国であった。黄金郷とも呼ばれる由来ともなった山吹色の屋根や、木造建築が多い。かといって、まったく大陸風の建築が無いわけでもない。
大昔に渡来したドワーフなどもが少数ながらいるためである。
神魔再生会が会合を開く孤島に建造された塔などもその一つ。
とはいえ、温暖であり湿潤である彼の地は根強く木の文化が残っている。火山帯でもあり、地震や台風などの自然災害もよく起こることも理由の一つだった。すぐに建替えができる様式が望ましかったのだ。もうしばらくすれば山々が紅葉で彩る時期に差し掛かり、秋祭りがそれぞれの地域で行われる。
それを楽しみにしていた彼は、ふと念神の気配を感知した。しばらくすると、馴染みの妖精神がパタパタと羽を羽ばたかせながら彼の家へとやってきた。
「居た居た。ねぇお爺ちゃん。気づいてるよね?」
「うむ。夕飯はまだまだ先だぞい」
縁側でうとうととまどろんでいる振りをしていた白髪の竜の体を使っている念神、竜神『ティアマ』はドテイに第一声でボケて見せる。それを無視したドテイは、トォッとばかりに跳躍。その肩に飛び乗って座り込む。
「これこれ、冗談が通じない奴め」
「私のおかげで宿主の腰痛が治ったんだからいいじゃなーい」
「それでも年寄りは労わるもんじゃ」
カコンと鳴った獅子脅しの小気味良い音の中、よっこいせとばかりに立ち上がった彼は草鞋を引っ掛けて庭に出る。
着流しに白鞘の刀という出で立ちは、十分に今でも現役の剣客であることを示している。しかし肩の上に乗っているドテイのせいで、孫の相手をしている白髪の好々爺にしか見えない。
「ティアマ様!」
と、そんな二人の所に竜侍たちが集まってきていた。
皆、人化した竜であった。
今のジーパングは、将軍であるティアマを頂点とし、各地を竜の大名が支配することで成り立っている。当然、ティアマの住むこの武家屋敷に念神の気配が向かって居ると気づけば竜たちも正気ではいられない。
「きっと廃エルフちゃんの気配だよ」
「もう一人はルーレルンじゃな。なんぞ用でもあるんじゃろう。だれぞ、茶の準備を頼めるかの」
「はっ」
一人が下がり、残りは警戒したまま飛翔してくる白銀の竜を出迎えた。
「粗茶ですが」
着物姿の女中が、縁側に招かれた鎧男にお茶を差し出す。
「あ、どうも」
敢えて兜を完全には外さず、顔を隠したままアッシュはお茶を飲む。ルーレルンが顔を引き攣らせていたが、彼はほぅっと息を吐くと、美味いとだけ言っていきなり用件を切り出した。
「無礼を承知で頼みます。モンスター・ラグーンでの魔物討伐の許可と、一時的に竜翔に入団するための紹介状を用意してもらいたい。俺は通りすがりのクォーターエルフ、アルス・シュナイダー。以後よろしく」
「……廃エルフちゃん、何言ってるの?」
「人違いだ。俺は廃エルフとかいう胡散臭いナイスガイとは無関係の存在なのだ」
スッとインベントリから取り出した板チョコを見せるアルス某である。
妖精神はそれを見て、コロリと態度を変えた。
「何してるのお爺ちゃん! ほら、早く許可を出さないとっ!」
「ほっほっほ。変わり身が早すぎじゃぞドテイや。……時にアルスとやら」
「はっ」
鋭い眼光で鎧男を睨む竜神は尋ねる。
「――ワシにはなんぞ土産はないのかの?」
「勿論、用意してあります」
庭に戻ると、鉄のインゴットを大量にぶちまけてみせる。刀が千本は作れるだろうという程の数に、侍達もギョッとする。
「刀作りが盛んだと聞いておりました故、この通り鉄を持参したしだい」
「……も、もう一声どうかの?」
竜神が値上げ交渉に入ったことで、アッシュは勝負に出ることにした。
「ではこれで」
更に倍、鉄のインゴットがばら撒かれる。
「……ちなみに、これの十倍といえば出せるのかの?」
「時間を貰えれば可能ですが、その場合俺は諦めて帰ります」
手にしたチョコレートが仕舞われ、妖精神が慌てる。
「私はこれ以上は贅沢だと思うな!」
「これ、涎を垂らすでないよ。まったく、誰ぞ筆と紙を持って来てくれい」
「感謝します」
アッシュは、無礼のお詫びも兼ねて更に十倍のインゴットをぶちまけると、飛んでくる妖精神にチョコレートという名の袖の下を送った。
箱に鉄を詰め込み、竜たちが飛んでいく。
その間、さらさらと筆を動かすティアマはルーレルンから竜翔の状況を聞いていた。
「そうか。あのウォー坊がの」
「はい」
「迷惑をかけるのルーレルン。それにアルス殿」
アッシュは兜越しに苦笑しながら、軽く頷いた。
「うむ。これで良いかの」
「ありがとうございます」
一筆したためて貰ったアッシュは、深く一礼するとすぐさま庭へと出た。せっかちなその様子に、ルーレルンが慌ててそれを追おうとするもすぐに竜神が止めた。
「これも何かの縁じゃ。一手、刃を交えぬか?」
「……木刀で良いのならば」
「うむ。殺し合いがしたいわけではないからのう」
侍たちが走り、すぐさま二本の木刀を持ってくる。
玉砂利の上、竜神の体が光を纏う。
それに遅れて、アッシュも加護の光を纏ってみせる。
間合いは大よそ三メートル。
そこへ、紅い髪の竜侍が審判役を買って出た。
「ルールは時間無制限の一本勝負。双方、よろしいか?」
「うむ」
「ああ」
上段で両手で構えるティアマに、アッシュは全身の力を抜いて片手の棒立ちで挑む。
(うっ、なんて隙だらけな構えだ!?)
どこからでも打って下さいといわんばかりの鎧男の姿に、一瞬呆気に取られた審判はこのまま開始にして良いものかと悩みかける。だが、それでも二人の了解は取れている。
「――始めっ!」
勝負は一瞬で着く。
そんな予感を抱く侍たちだったが、予想に反してどちらもそのまま動かなかった。
三メートルの距離など、お互いの瞬発力なら無いに等しい。にもかかわらず、時間だけが緩やかに過ぎていく。
先に動いたのはティアマだ。
その瞬間侍たちがどよめくが、彼は仕掛ける事無く上段の構えを中段に変えただけだった。
対して、アッシュは何もしない。
(今まで、色々な剣士を見てきたものじゃが――)
ティアマはその時、全身から冷や汗が流れるのを感じ取っていた。
(どこを打っても取れそうじゃという確信はあるのに、何故嫌な予感が拭えぬ?)
「あーあ。お爺ちゃん、このままだと負けちゃうよ?」
「……どういうことでしょうか」
ルーレルンが尋ねると、チョコを齧っていた妖精がしたり顔で言った。
「知らないのも無理はないねぇ。アレはエルフ族が編み出した剣術。その名も森林剣だよっ!」
「し、森林剣ですか?」
「私には隙だらけにしか見えませぬが」
「しかし神の気配を持つ者があのような舐めきった構えを取るなど考えられんぞ」
「アレこそは一子相伝の幻の剣術。まさか、こんなところで拝めるなんて……ごくり」
大真面目な顔で大嘘を宣伝するドテイである。
しかし、何も知らない侍たちは大げさに唸った。
「敢えて構えない流派はあるよ。構えないことで太刀筋を予測させずに後の先を取って決めちゃうんだ。でも、アレは我流が入っているね。んー、あっ。まさか、そんな!?」
「ド、ドテイ殿?」
「――彼は失伝したはずの秘奥義『迷林斬』を使うつもりだ!?」
「「「なんと奥義をっ!?」」」
『妾、妖精神の悪戯精神には本当に感服するぞ』
悪いことをすることにかけては定評がある悪魔さえも認める程である。
内心で同意しながら、しかし初動を見過ごさないためにアッシュはジッとそのままを続ける。だが、いい加減動にらみ合いにも飽きてきていた。
一歩、軽く前に出ようと右足を上げながら瞬きをする。
瞬間、竜神がすり足で距離を詰めた。
地面を滑るような歩方は、一瞬で踏み出したアッシュの右足一閃する――はずだった。
「ッ――」
ティアマの手に、予測された手応えが無い。
彼が目測を誤ったわけではない。ただ、前に出たはずの足が、下ろされずに異様に高い位置に上げられていただけだ。
空を切る斬撃。
そこへ、切り返すよりも先に当然のように上げた足が降りる。
切り返す暇はない。
次の瞬間、剣気の篭らぬ木刀がティアマの肩口に突きつけられていた。
「そ、それまで!」
制止した木刀を前に、脂汗をかいたティアマが無言で下がる。
そして一礼。
大きく息を吐き出して破顔した。
「――刃を空振らせ、死に体の状態にして斬るか。まるで深い森で迷わせ、木々のように棒立ちになった敵を斬るが如し。迷林斬とはよく言ったものよの」
参ったわい、と敗北を告げる竜神の潔さにアッシュはもう一度無言で一礼。木刀を返却してから竜姿になったルーレルンの背に乗った。
「若いの、楽しませてくれた礼じゃ。持っていけるなら、麻生山の火口にあるアーティファクトを持っていけい。きっとお主らには必要じゃろう」
「かたじけない」
アッシュは何故アーティファクトをくれるのか分からなかったが、貰えるものは貰おうと礼を言った。
「おみそれしました、殿」
「う、うむ。相手もさすがだ。相当に強いと思うぞ」
竜は乗せる相手を選ぶというので、舐められないようにと強気で押し続けたアッシュであった。彼は竜神が見えなくなってから、すぐにルーレルンの背の上に寝転んだ。
次に会うときは廃エルフとして会うことになるのだろうが、この戦いの記憶は心の奥底に仕舞っておこうと心に決める。
(どうしよう。視えてたから木刀踏んづけようとしたら、剣速が早すぎて失敗しただけで完全にまぐれなんだが。うーむ。ドテイのおかげで偶然一本取ったなんて言えない空気だったし……)
竜神の面子を潰さぬよう、余計な気を回した廃エルフだった。
「ところで、麻生山ってのは遠いのか?」
「一刻も掛からないかと」
「じゃあ先に着く方から寄ろう」
「かしこまりました」
ルーレルンは頷き、すぐさま進路を変えた。
「きししし。どうだったお爺ちゃん」
「うむ。すこーんと気持ちよく負けたせいで今は天晴れな気分じゃ」
「森林剣凄かった?」
「目元に魔力を集めておったから、なんぞ邪道な技でも使うかと思っておったがの。まったく見当違いじゃったわい。殺気も無いせいで剣気に反応さえできんかった。うーむ。何故ああも無防備に入られたのか今でも分からんわい」
もう年かの、などと言って縁側で和み始める竜神である。
そんなご年配に、お疲れ様でしたと女中が茶を運んでくる。
「すまんの。ズズッ。嗚呼、勝負の後の一杯は格別よ」
満足そうに笑む竜神。侍や女中が仕事に戻るなか、ドテイはそっと耳元で告げた。
「ちなみにね、森林剣なんて剣術はこの世には存在しないからね」
「なんじゃとっ!?」
「てへっ♪ 廃エルフちゃんって結構ノリがいいみたいだよぉ」
ティアマは無言で嘘吐き妖精を捕まえ、膝の上に乗せると尻デコピンの刑に処す。
妖精神は泣きながらごめんなさいを連呼した。
今日もジーパングは平和であった。
途中、適当な素材を店に売り飛ばしたアッシュは、昼食のために一件の店に入った。
竜のお代わりは二杯までと暖簾が立てられていたその店は、なんとすき焼きの店だった。品書きを見て驚いたアッシュは、絞めのライスが出てきたことで感動さえ覚えていた。
「どうやら、俺は住む世界を間違えていたようだ」
畳があり、醤油があり、米があり、温泉まで有るらしいことの意味を心底思い知ったアッシュは、厄介ごとさえ無くなれば長く滞在してもいいなと本気で考えていた。
「ふふっ。そこまで満足なされるとは……今度作りましょうか?」
「頼むよ」
光の速さで頼み込むと、財布を差し出して必須の材料を買い込んでおいて貰う。どうせインベントリの仕舞っておけば良いのだからと、手に入れた金を全額豪快につぎ込ませる。
その間、異質な鎧を纏ったアッシュは町人たちの好奇の視線に晒されていたが、珍しく気にもしていなかった。
人化した竜はともかく、どうにも黒目黒瞳の住民が多く、顔つきも違って見えたのだ。修学旅行で見た映画村にでもやってきたような心地のせいか、懐かしさに駆られた彼は終始嬉しそうに声を弾ませてルーレルンと町を練り歩いた。
だが、観光が目的なわけではない。
適当なところで切り上げ、空の旅へと舞い戻る。
「……冗談だろ」
アッシュは噴煙が微かに上がる火口を覗き込んで眼を見張った。
煮えたぎる溶岩の海に、何故か浮かんでいる剣らしき物を見つけたのだ。
突き刺さっていると聞いていた彼としても、どうやって取れと言うのか分からないほどの有様である。
「火竜でも取れぬと言われた火の剣です。昔は突き刺さっていたはずなのですが……」
「アレはもう取ろうとしたら溶岩に触るしかないだろ」
それ以前に、剣自体の熱量も相当に高いに違いない。
竜たちでさえ回収できないのであれば、誰にも回収などできないのも納得である。
(レヴァンテインを持って回収……できるか?)
耐火能力に関しては絶大な信頼を持っているが、マグマに手を突っ込んで無事に済むかどうかなんて試したくもない。ここはイフリートLV99しかなかった。
「自然界より来たれ」
早速頼み込んでみると、精霊少女はコクコクと頷いて降下していく。
数分後。大剣型アーティファクトを回収してくる精霊さんと共に、アッシュは火口を離脱した。
「大丈夫か?」
コクコク。
「……さ、さすが火の精霊さんだな」
一度川原に降下。礼を言って召喚をカットし、トライデントで遠くから剣に放水。アーティファクトを冷却する。ジュワァと蒸気が上がる中、アッシュは鑑定するよりも先に遠くにある衝立に目をやった。
「アレ、風呂だよな?」
「露天風呂です。この近くには源泉が多いので、温泉街もあるのですよ」
「温泉……いや、ダメだダメだ」
当然のように入浴欲求が膨れ上がるも、買い物で予定よりも時間を食っていることを思い出す。一度来たことでいつでも転移できるはずだと、自分に言い聞かせること数分。先にモンスター・ラグーンへと向かうことにする。
「あ、これフリッドじゃないか」
リスベルクが探している火の精霊であった。次に顔をあわせたら絶対にまた吼えられると分かっているので、宥めるいい土産が出来たことをアッシュは素直に喜ぶ。
残りは地の精霊ガイレスだけだが、さすがにジーパングに居るかどうかなど分からない。だが念のために聞いておく。
「ジーパングって地震は多いんだよな?」
「はい」
「なら世界最高の山とか、ジーパングにあるかな」
「それは無いです。険しいという意味ではリスバイフの王都の南に世界最大級の山脈が一つあるのは知っていますが……」
地震か山か。
どちらにしろアーティファクトに関連するような山はここしかルーレルンも知らない。アッシュはそちらの捜索は一先ず諦めて先を急いだ。
空から見るジーパングの本島は、ユグレンジ大陸の中央から東の風景ともまた違う風情がある。もう少しすれば紅葉も綺麗だったろうにと残念な気分だ。と、アッシュは平野で荷車を押す翼の無い竜を見つけたことで自然を愛でる心を一瞬で忘れてしまっていた。
「翼が無い竜が居るぞ」
「地竜です。彼らは飛べませんが、泳いだりはできますよ」
竜というのは八種類居る。
その内の六種。火竜、氷竜、風竜、雷竜、黒竜、白竜は飛べる竜であり、アッシュも見たことはある。
「なぁ、もう一種類は?」
「水竜です。彼らは海に住んでいますので、あまり陸地では見つかりませんよ」
クロナグラの海に魔物は居ない。
そのため、ラグーンズ・ウォー以前から海は彼らの縄張りであり住処であった。
「連絡を取り合ったりは?」
「偶に、ですね。住む場所が違うので」
「ふーん」
一度ぐらいは見てみたいアッシュだったが、向こうも見世物にされるのは嬉しくないだろうと考え直す。そのまま風を浴びながら進んでいると、大きな渓谷が見えて来た。
その周囲には町があり、中心にはゲート・タワーと竜の飛行場とでも言うべき広場が見えてくる。
「おおっ、さすがに沢山居るな!」
まるで恐竜の国にでも迷い込んでしまったかのような眺めである。
色とりどりの竜たちは、一様にこちらを向き何やら様子を伺っている。
「申し訳ありません。殿の気配に皆が驚いているようで」
中には小さい竜がより大きな竜に体をくっつけて縮こまっている光景もある。アッシュはそれを見て、少しだけ申し訳ない気分になってしまう。
(別に取って食う気は無いんだが……)
つぶらな瞳の子竜たちは、親竜の翼や体の影に隠れて恐る恐る視線を向けてくる。けれど彼らも興味はあるようで、ちらりちらりと物珍しげな視線を向けてきていた。
着地したルーレルンの背から飛び降りたアッシュは、余り刺激しないようにと考え人化した彼女と共にそそくさとゲート・タワーへ消えた。
「ティアマ様のお許しがあるならば構わぬ。ただし監視役は付けさせてもらいたい」
塔の入り口に立っていた男が新たに竜侍を呼んでくる。
「むっ? ルーレルンではないか」
「ご無沙汰しております」
「アルス・シュナイダーだ。よろしく頼む」
「ハハ、珍しいというよりは珍妙な奴だな」
許可証に目を落としていたその金髪の青年――ラーダは、豪快に笑って案内を開始した。
「さて、まずは説明しておこうか」
ゲートを越えたその先で、窓へと手招きするラーダに従って外を見るアッシュは、ゲート・タワーの周りに竜たちが巣を作っているのを発見した。
「ドラゴン・ラグーンは人間たちに農地として貸し与えているが、ここは見ての通り我々の狩猟場であり巣だ。特にタワー周辺は卵がある。いらぬ誤解を与えないためにも、卵には近づかないで欲しい」
「俺も面倒を起こしたいわけじゃないから気をつけるよ」
「頼む。それから魔物の竜と我々の違いは知っているか?」
「話しが通じるかどうか、だな」
「うむ。判断方法はそれでいい。だが例外がある」
「というと?」
「魔物としての竜を番いとした竜が偶に居るのだ」
さすがのアッシュも、その事実にはフルフェイスの兜の中で目を丸くしてしまった。
「驚いたか? だが別に不思議ではない。姿形が似通いすぎていただけに過ぎないのだから。子供も作れるようだし、愛も成就できる。ただ、言葉が通じない分判別が難しい」
「結構乱獲するつもりで来たんだ。これだと予定が狂うな」
「我々の間でも社会問題となっていてな。一応、角に布を巻かせて判別できるようにはしているのだが……偶に外れていて、なんて悲しい事故がある」
「それはいたたまれないな」
素材欲しさに暴れ回るにしても躊躇してしまう情報。
尻込みしかけたアッシュに、ルーレルンが妥協案を提示する。
「ですが、それは我々が好意を寄せられる程に似通った相手の場合です」
「ワイバーンやドレイク。ティラルドラゴンなら問題はないぞ」
「なら、一先ずそいつらを狙ってみるか……」
ついでに魔法銃に耐性がありそうな素材を探すべく、アッシュはインベントリから鹵獲品を取り出した。
「これまた偉い仰山持ってきたなぁ」
ティレルはダイガンと一緒に驚いた。
「少ないか?」
「いやいや。竜の死体を提供してくれるんはごっつありがたいんやけどな」
海岸に並べられた死体の山を見て、ダイガンは唸る。
彼の目の前にあるのは前足が無く、大きな翼と緑色の鱗が特徴のワイバーン(六メートルサイズ)と、竜族よりも一回り小さい、炎の吐息を吐く紅い鱗のドレイク(七メートルサイズ)の大物が十匹ずつ存在している。これらの素材を剥ぎ取れば希少な竜素材の武具が作れる。とはいえ、個人で狩ってくるにしては数が多すぎた。
「あんさん、竜殺し<ドラゴンスレイヤー>にでもなったんか?」
「いや、こいつらを狩ったのは俺じゃなくてルーレルンさんだ」
「しつこく求婚してきたのでつい……」
竜姿のルーレルンを押し倒そうとホイホイと魔物がやってきた。中には勝手に同士討ちを始めた者たちもいた。それがあまりにも鬱陶しいので、ルーレルンは興味はないとばかりに始末した。おかげでアッシュが倒さずに済んだことで死体が手に入ったのである。
「……ま、まぁ竜やもんな。こいつらが命張るぐらい魅力があったんやろ」
「俺も暴れたんだけど素材採取の効率が最悪でさ」
倒したらドロップアイテムに化けるのだが、爪だったり鱗だったり皮だったりと安定しない上に、数個ずつしか手に入らない。場所が場所なので色々と配慮しなければならず、数を倒すのには時間もかかる。それならいっそ死体を運んだ方が手間はかかるが採取量が増やせるのではないかと考え、アッシュは持ち込んだのであった。
「百匹近く殿が狩りましたが、私の背中の上で神気を放っても狙われてしまって……」
(つまり、最低でもそれぐらいはできんと隣に立てんのやな。やったらウチ、竜も狩れる女になるしかないで――)
ティレル王女は、挨拶もそこそこにそのまま海岸線に走りこみに出かけた。全身に鋼のウェイトを大量に巻きつけたままで。おかげで走るたびに体格に似合わないドスドスという音が響いている。
「……なぁ王子。妹さんのトレーニング、ちょっとやりすぎじゃないか?」
「アレでも足りん言うてるわ。あいつはもうドワーフを超えた何かや」
背中の背嚢からも何やらカチャカチャと金属の擦れるような音が聞えるせいで、アッシュは体を壊さないか心配である。
「それより出来上がったもんはウチらとエルフで山分けでええんか?」
「ああ。少し試してきたんだが、ワイバーンの方がバズーカ型に良いかもしれない。逆に、ライフル型はドレイクの方が素材に使えるかもしれない」
「ほほう……」
ワイバーンは火炎弾をぶっ放し、ドレイクは炎の吐息を吐きながらルーレルンや案内人のラーダを巡って肉弾戦をやっていた。その野蛮な光景を見てきた彼としては、天然の耐性があるのだろうと考えていた。事実、それなりに効果があるのも確認している。
結局は魔物の社会も、動物社会と同じで最低限強くなければ子孫を残せないということなのだった。おかげで、テレビでよくある弱肉強食のドキュメンタリー番組を生で見てきたような切なさをアッシュは抱いていた。
「両方の革を重ねて使ったりするといいかもな」
「となると……や。下手に金属の装甲着けるより、そのまま身軽なままにして機動力上げたほうがええかな」
「んー、その二枚を金属糸で補強するのはどうだ」
忍者装備の鎖帷子<くさりかたびら>を思い出したアッシュは、この際通常戦闘での防御力もと欲張ってみる。
「縫いこんで更に強化するわけか。無くても十分に強力やと思うで」
「後、衝撃を吸収するような素材を間に挟むなんてのもアリだと思うんだ」
国産メーカーの車などは、外国の車と違って頑丈さで中の搭乗者を守るのではなく衝撃を吸収するような構造で、結果的に搭乗者を守る設計だと聞いたことが有る。何か強度以外のアプローチの研究もどうかとアッシュは提案を試みる。できれば防弾チョッキの構造などを知っていればよかったのだが、生憎と彼はそんなディープな知識はなかった。
「吸収……な。以外に面白いかもしれへんな。ワイはティラルドラゴンの革とか他の魔物の素材で色々試そう思うて注文出してたんやけど、ほなそれもやってみよか」
「頼むよ」
「任せてや。……まぁ、お洒落装備の研究は遠ざかりそうやけどしゃーないわな」
制作意欲を燃やすダイガンであった。
「そういえばフランベは?」
「行き詰って怨霊みたいな声を上げてたで。今はそっとしといたってや」
「そっか。んー、相当ショックみたいだったしなぁ」
その頃、フランベは薬莢と連射機構の開発に四苦八苦していた。
竜翔に合流する前にやるべきことがあった。
素材集めにレベル上げの様子見。そして自分のレベル上げ。
アッシュはルーレルンを引き連れて二週間ほど駆けずり回った。連日のように魔物を狩りに来るアッシュたちに案内役のラーダは呆れていたが、出入り禁止を言い渡すでもなく付き合ってくれていた。ただ、幻の森林剣を一目見ようと名の有る竜侍が勝負を挑んでくるようになった。
アッシュはコレ幸いと、試合の条件に狩りの手伝いを盛り込み素材回収効率を引き上げる。そして夜には魔術教導を見据え、イリスにイシュタロッテの指南を受けて貰う。
「しょうがないな」
イリスは理解を示し、竜翔での活動中の教導代理のために動き始める。
「さすがに一人に押し付けるのはどうかと思うわ」
「習っとけばタメになりそうだしねぇ」
浄化魔法に興味があったらしいイスカやナターシャもそれに加わった。
教えるべきものを絞って教えるイシュタロッテは、竜翔の活動での不在時に彼女たちに教導の代行を任せられるようにと協力を惜しまなかった。その分、悪魔への借りは膨らんで行くがアッシュは既に開き直っていた。
「私たちも協力します」
そんな中、竜魔法は教えられないが人間の魔術ならば、という竜たちもそれに混ざり始める。こうして着々と魔術普及のための準備も進んでいた。
これに悔しがるのはリスベルクである。
「怒るに怒れない、だと?」
アッシュがフリッドを持ってきたので、その発端となった竜に強く当たることができないのだった。火の精霊フリッドにはそれだけの価値がある。
ただ、より強力な精霊魔法を使うためにはやはり覚醒させる必要があった。そこで、魔術を布教するために選ばれた人員の護衛も兼ね、信頼できるキリクにアーティファクトが譲渡された。彼はシルキーと合流し、レベル上げに励むことになる。
勿論エルフ主義者の残党狩りや、森の中の移動経路の再整備も進められていく。
エルフ族の民も、エルフの森が緩やかに変わろうとしてる空気を感じていて、上も下も変革の兆しを目の当たりにして俄かに活気づいてきた。
一方、リスバイフの戦況は日増しに悪化していた。
ロロマとジャングリアンが批難の声を上げるも、クルスは強気な態度を崩さない。
新兵器を密かに量産配備していたクルス軍の勢いは止まらず、次々とリスバイフ南部の町や都市、そして砦を占領していく。もはやクルスの暴走は中央四国の悩みの種だった。
リスバイフからすれば堪ったものではない。
エルフの森を侵略するため、最小限の兵力しか残していなかった正規軍は、大した時間も稼げずに敗退を重ねていく。それは遂に中央盆地に存在する王都『バレンザ』まで続いた。追い詰められたリスバイフ軍は守りを固め、北方で戦力を温存していた諸侯の援軍を待ちながらそのまま冬まで粘ろうと奮戦の気配を見せる。
しかし、それも四日も掛からずに陥落した。
リスバイフの女王は、近衛騎士団に守られながら北側の諸侯たちの元へと脱出を試みたが、それも叶わないままリストル教徒によって討ち取られこの世を去った。
「早すぎる。一月も持たないっていうのか……」
アクレイに王都陥落の報告を聞いたアッシュは、当然のように竜翔のことを尋ねる。そこでアクレイは驚くべき事実を告げた。
「防衛戦の最終日、竜翔も参加していたようです」
「……どうなった?」
「撤退したようです。少なくとも竜が四頭、バレンザで晒し首になっていました」
「ッ――」
ルーレルンが口元を押さえて動揺を押し殺す中、アッシュは更に問うた。
「敗因はなんだ」
「神宿りの魔法による多重拘束。そして大型魔法銃の集中攻撃による各個撃破だそうです。派手に喧伝していましたよ。クルスは遂に邪悪なる竜さえも屠る力を得たのだ、と――」
神滅暦1016年。
秋も半ばにて、遂にアッシュは竜翔に乗り込むことを決めた。