第六十四話「対地攻撃」
昼、崖上に響き渡るけたたましい腹の音を前にして、リスベルクが叫んだ。
治療したウォーレンハイトが吼え、団員たちを呼び出したのだ。
そちらも治療し、まとめて捕虜にしたわけだが彼らは大人しく腹を鳴らしている。
「ええい、喧しいから人化しろ貴様ら!!」
崖上の野営地にて、戦士たちが食事の準備をしていると二十匹の竜の腹がオーケストラである。低音高音関係なく響くそれには、さすがにエルフ族も気が気ではないようだ。
一口でペロリと喰いそうな巨体が腹を空かせているのだからさもありなん。
「正直、そうしてくれるとありがたいな」
「うぬぅ。いたしかたないあるまい」
黒銀の竜――ウォーレンハイトの号令に従い、竜たちが人化する。
驚くべきことに十代から二十台前半程度の侍姿だ。
しかも全員着流しで刀を装備している。
エルフたちの中に居たら凄さまじい違和感だった。
「ジーパング最強の戦士、竜侍<ドラゴンザムライ>ですね。それにしてもなんてことだ。ハラキーリでセップークな覚悟を持つ彼らをこうも容易く味方に引きこむとは……」
ジンとディウンを返却してきたアクレイはとても満足そうな顔で笑みを零す。御し切れれば恐ろしいまでの戦力向上であると分かるからだろう。
「侍ね。まさかとは思うが、米と醤油と味噌もありますとか言うんじゃないだろうな」
「よく知ってますね。アレは良いものです」
お約束過ぎて笑えないが、ならばと踏み込んで聞いてみる。
「勿論、俺を満足させてくれるような温泉もあるんだろうな?」
「アレなくしてジーパングは語れませんとも」
ヤレヤレとばかりに肩を竦めるアクレイである。
通か?
通気取りなのかお前は。
「その割には風呂をないがしろにしていた癖に」
「ふふふ。私程になると泉質を気にするのです。ただの湯ではもう満足できませんとも」
「なんてことだ。俺が風呂で先を歩かれていただと!?」
屈辱である。
この男に風呂へのこだわりで負ける日が来るとはな。
いつか足を伸ばしてやるぜジーパング! などと心に決めつつ、ロープで蓑虫状態の女騎士に視線を向ける。
トリアスはずっと沈黙していた。
さりげなくウォーレンハイトが側で見守っていたが、逃げたりこちらに危害を加えようという意図がなさそうなので放置しておく。
一応これでも念神なので睨みが効いていると思いたい。
それをされたら引き返せないどころではない。こちらを刺激するような真似は早々するまい。
「敵の切り札の捕獲に竜の寝返り。流れ矢での負傷者も、ポーションとやらのおかげでほとんどいない。戦果としてはこれ以上ないが……」
戦士たちの状況確認を終えたリスベルクは、何やら腑に落ちないという顔をする。
「……まぁいい。アクレイ、知っているようだが連中は信用できるのか」
「確約さえ取れれば大丈夫でしょう。イビルブレイクとは違う意味で有名ですのでね」
「お前、そういう情報はどうやって仕入れてるんだ?」
「書物と自分の足、そして各地の部下からですね」
「くくく。頼もしい奴だよ貴様は」
満足そうに両手を組んで頷くハイエルフの隣で、俺だけが目頭を揉む。
周囲のエルフ族は「さすがアクレイ殿よ」などと感心している。
「ちなみに彼らは基本竜のみで構成されており、気に入った側に着きます。特筆べきはその戦力と仕事に求める報酬の厄介さです」
「求める報酬は最低でも三つだ。我等の腹を満たすことと戦うに値する理由。後はそれなりに価値のある金品で良い」
ウォーレンハイトが腹をグーグーと鳴らしながら答える。
黒髪に切れ長の目。
エルフ族が基本的にスラリとしているなら、その男はドッシリとしている印象を受けるだろうか。念神や神宿り程の存在感は無いが、それに次ぐほどの迫力がある。
触れれば切れる雰囲気、とでも言うべきか。
そんな見た目の男だが、腹の音が全てを台無しにしていた。
竜の威厳など、それでかき消してしまう残念な男である。
「腹……な。なんか、納得せざるを得ないな」
「察しの通り、彼らの腹を満たすためには多くの食糧が必要です」
「モンスター・ラグーンを解放してくれれば安く付くがな」
ニヒルに笑い、腹太鼓を叩く竜である。おかげで俺の中にあった竜=格好良いというイメージ方程式が竜=ハラペコに変換されていく。
「というわけでしてね。金持ちや貴族などでなければ中々に雇えません」
「じゃ、あの騎士はそうなのか」
これは当然の疑問だろう。
「ああ見えて次期公爵であり、性根も腐ってはおらぬ。老婆心ながら見守ってやろうと思っていたのだが……な」
「こうして捕虜にされてしまった訳だ」
「うむ。死体になれば我が喰う契約でもあったのだが」
更に大きな腹が鳴り、聞いていた少女騎士がビクリッと肩を震わせる。
ガクガクでブルブル。
極力ポーカーフェイスを保とうとしていたようだが、一々腹の音に彼女は反応していた。
「見ての通りまだ生きているから喰えぬ。桁違いに美味いはずなのに、残念な娘よ」
「目の前で舌なめずりされても困る」
完全に捕食者の眼で騎士少女を見る彼を、他の団員たちも羨ましそうな顔で見ているのが印象的だ。
『貴族の子女や王族ともなれば、奴らの大好物だからの』
なんてことだ。
一般人とブルジョワでは、味にまで格差があるのかこの世界は。
「別に捕虜にしておくのは構わんがな。その前に色々と吐かせるぞ」
「当然だな」
さてナターシャの弁当が俺を待っている。
雑事はとっとと済ませよう。
そう思って近寄れば、トリアスは気丈にも俺を睨みつけてきた。
覚悟は出来ているといった様子だ。その上で何も喋ることは無いとでも言いたげである。一先ず何から聞くべきかと思案していると、先に彼女が言った。
「きょろせっ!」
一拍の沈黙。
俺達の間で、どうしようもないほど例えようのない空気が生まれた。
最悪は飯マズな展開になるはずだったのに、とんだ先制パンチだぜ。
この絶体絶命の局面でこいつ、まさか噛んで来るとはな。
「――くっ、殺せっ!!」
しかも問答無用のリトライであった。
敗北の悔しさから来る怒りではなく、むしろ恥ずかしさで真っ赤に染まったその顔がそこにある。俺は思わず、ウォーレンハイトに視線を向けた。
「さっき戦った時とはまるで別人じゃないか?」
「そうであろうとも。普段は小動物並の胆力しか持たぬが、やるときはやるのだ」
彼はまるで俺に同意を求めるかのように頷く。
「おかげで中々に喰えぬのよ」
その顔は無駄に父性で溢れていた。
なんとなく関係性が分かりそうだったが、この先の尋問を円滑に行うために俺は努めて優しい顔を浮かべる。
俺はいつの間にか自然と彼女の肩に右手を乗せ、語りかけていた。
「――悪い。お前をきょろすのはちょっと無理だわ」
そんな益体も無い覚悟なんて、はぐれ廃エルフさんにはないのだ。
尋問はつつがなく進んだ。
聞けば少女ではなく、ウォーレンハイトが答えるからである。
その度にトリアスが「どうして」とか「信じていたのに」とか可愛らしいことを叫んでいた。
裏を取る必要も無さそうなほどに正直者だ。
これが演技ならたいしたものだと感心したいね。
「ええいっ、少しでもお前の待遇をよくしてやろうとしてやっているのが分からんか!」
「で、でも機密漏洩は良くないよっ!」
「話が進まぬ。黙らんと喰うぞ!」
「ひぃぃ!」
少女を喰いたいのは本心なのだろう。事実、何度も彼女を見て舌なめずりをしている。 が、それでも彼はそれを契約の代価としてあげて来ない。
どうやら父性という奴は種族の壁を越えるようだ。
奇妙な関係だが分からないでもない。
どうにも、このトリアスという少女は保護欲をそそるのである。
同時に酷く弄ると楽しそうなオーラを放っている。
今は公爵令嬢の名誉のためには言うべきではないのだろうが。
「うう。負けて捕虜にされるだけじゃなくて子飼いの傭兵に裏切られるなんて。公爵家の名誉を汚してしまった。私がしっかりしなきゃいけないのに……」
騎士少女はがっくりと項垂れる。
とはいえ諦めたわけではないようだ。
必死に動きロープを緩めようと、手をモゾモゾと動かしている。
目の前で監視されているのに大胆な奴だ。発見してくださいとでも言わんばかりじゃないか。
「心配は無用だ。彼女に縄抜けの心得などない。それどころか騎士としても見習いだ」
可哀想な者を見るような目で、ウォーレンハイトは言い切った。
何故か、無駄に説得力があった。
「うわぁぁん!! ウォーレンのバカァァッッ!」
泣いても叫んでもまったく微塵もロープが緩む気配はない。
レベルホルダーの怪力をちょっと警戒したというのに、その心配も必要ないとは。
「しかし困りましたね。リスバイフやクルスと戦争協定があるわけでもありません。捕虜返還を求めて使者が来るかは未知数ですよ?」
立場を考えれば、さすがに何も要求せずに返すのは論外だろう。かといって攻めるのを止めろといっても、要求を聞く程に彼女に価値があるようにも見えない。
竜がいなければこの少女はレベルがそこそこ高い程度の兵力だ。加えて、他国と連携しているなら面子もあろうだろう。
「終った後にでも崖下に放り出してやればいい。竜共がこちらにつけば、その見習い騎士とやらに用はないぞ」
「……できればそれは勘弁してもらえぬか」
リスベルクの有る意味寛大な言葉をウォーレンハイトが止めた。
「我等抜きで適当に送り返せば、トリアスの身が危ういのだ」
「そりゃまた何故だ」
「今の女王が親クルス派であり、トリアスの家が親ロロマ派なのだ」
「……リスバイフって、協力し合う風土だと聞いていたんだがな」
「表向きにはそうだ。だが表面化しない分内部での権力争いはむしろ激化している」
なんとも救いようの無い話だ。
このままだと失敗の責任を取らされるってわけだ。
「正直、知ったことではないのだがな」
「そう言わずに聞いてもらえぬか」
冷たく一言添えたハイエルフ様であるが、頭を下げるウォーレンハイトを見て続けろとばかりに顎をしゃくった。竜への先行投資という奴だろうか。
裏をどう取るかが問題だが、その辺りはアクレイがきっとどうにかしてくれると勝手に信じよう。
「聞くだけなら良かろう。向こうもさすがにすぐに攻められんだろうし、とりあえず話してみろ」
「かたじけない。地図はあるだろうか」
「ここに」
懐から取り出して広げるアクレイ。
その間に俺はナターシャ特性弁当を取り出すと、中のパンに喰らいついた。
「彼女は運が良いですね。被害が出ていればリスベルク様は許さなかったはずですよ」
「まぁ、直接の被害はなんとか押さえたからなぁ」
でなければ、ケジメは必要だっただろう。
少なくとも総大将としては、何かしらアクションがなければ戦士たちだって納得はするまい。
「結果オーライですね。さて、どうしたものでしょうか」
チラリと、竜たちが大人しくトリアスを見張っている一角を見るアクレイ。
釣られて視線を向ければ、トリアスは未だに縄抜けをしようと頑張っているのが見える。
そんな彼女の口に賄いのシチューを突っ込んで黙らせるのがウォーレンハイトだ。
あれはもう完全にお父さんである。
抜け出すにしても体力はつけておけ、とでも言って宥めているに違いない。
「別に捕虜にしておくのは構わないのですがね」
「冗談でも彼女を使ってクーデターを起こさせようとか言わないでくれよ」
「ふふふ。どうせなら貴方と竜たちを同時に城に突っ込ませて政権を潰しましょう。その後は彼女たちに丸投げにしておけばいいのですし」
性質が悪い奴だ。
最後まで態と面倒を見ないところがまたえげつない。
「それ、内乱を誘発してロロマとクルスで取り合いになるんじゃないか?」
「いえいえ。彼女の実家がロロマ派なのですから、ウォーレンハイトさんがクルスを三方向から押さえるように立ち回ってくれますとも。それしか手がないでしょう?」
おおう、そうやってクルスの孤立化を狙うのか。
「けれど、ロロマの革命がリスバイフにとっても脅威に思われていたとは驚きでしたね」
「王政だからこそ、か。ロロマだってすぐに移行するわけじゃあないんだろ?」
「準備期間を長く取っているそうですよ。さすがに大陸初の試みだと思いますし」
「アレ、どの政治形態よりもマシだとは言われてるらしいけど、問題もあるからなぁ」
「――またぞろ妙な知識か。面白い、後学のためにその問題とやらを私にも教えろ」
食事を終えたリスベルクがやってくる。
「詳しくは知らないんだが、まぁ良く考えれば当然なんだよ。民主政治ってことは民衆が政治に参加して自分たちで決めるってことだろ」
間接的にだろうが直接的にであろうが、そうでなければ民主主義ではない。
だがそれが落とし穴なのだ。
「政治に参加する国民は政治に対する理解が無ければならないんだ。つまりは国民全員に政治の知識が無いととんでもないことになる可能性がある」
「それは……まぁ、そうなるな」
「しかしこれでは特権階級が独裁することはし難いのでは?」
「さてな。その辺はレジスタンスたちの考え次第だろ」
突っ込まれても深くは答えられないので濁しておく。
まぁ、腐敗政治を嫌ってでき上がった政権だから考えてはいると思うが。
「ああ、それと意思の決定速度がどうしても遅くなるってのも聞いたことがある」
「なるほど。一人で決められないが故の弊害、というわけだ」
「今のエルフ族にはきっと関係ないだろうけどな」
エルフ主義者を叩いたし、今ならリスベルクが言えば大抵は鶴の一声だろう。
有る意味では念神が政治をするっていうのも民主主義に掠るんじゃないだろうか?
こいつに物欲があるようにも見えないし、権力欲なんて無縁だろう。
求めるのがエルフ族<子ら>の繁栄であるのだし、そういう風にさせているのがエルフ族の信仰なのだ。有る意味では数の暴力の化身とでも言うべき存在なんだよな。
「なんだ私の顔をジッと見て」
「いや、結局はその時その時で合う政治をやってくしかないんだろうなぁと」
「無難なところに逃げますね」
「俺は専門家じゃないんだ。深く突っ込まれたら分からないんだよ」
リスベルクが求められなくなる時代が来ない限り、そんな日は永劫にやってこないだろう。冷静に考えてみれば、こいつも難儀な奴だよ。永遠に屋台骨を支えさせられる役目を負わされてるわけだし。
「おや、今度は慈しむような顔ですね」
「くくく。ようやく私の魅力に骨抜きというわけだな」
「頑張れ。俺はお前の政治を応援するぜ?」
「な、なんだ貴様。今日はやけに素直ではないか」
応援しかする予定はないのだから、体制が磐石であれば有るほどに喜ばしいだけだ。
けれど、それで機嫌を良くしたリスベルクは新しい仕事を振ってきた。
「まぁいい。それより喜べ。次の仕事は楽勝だぞ」
「本当かよ」
一番負荷が掛かるところに俺を使うつもりだろうに。
「なぁに、私と一緒に竜に乗って南北の敵を蹴散らしてくるだけだ」
「徹底的にか」
「そこまでは別に求めん。だが確実に追い返すぞ。ハラペコ共に腹いっぱい食わしてやる必要はあるかもしれんが……そうだな。連れて行く竜は北と南でローテーションだ。片方はここで守りに付かせる。アクレイ、修正意見はあるか?」
「お二人はウォーレンハイトさんに乗ってもらうのがよろしいかと」
「……悪くないな。こちらに鞍替えしたことを精々アピールしてやろう」
間違いなく敵の士気が落ちるな。
生身であんなのと戦うなんて考えたくもないのが普通だ。
対エルフの装備しかないだろうし、対竜装備なんてすぐには用意できまい。
「元々楽に落とせるとは思って居なかったはずです。こちらの戦力が増加したことを大々的に知らしめれば早期に諦めるかもしれません」
「であれば良いな。まぁ、とっとと追い返すぞ」
三日が経過した。
南北の部隊を軽く恐慌に陥れて追い返すことに成功した俺達は、再び崖上から人間たちの動きを監視していた。
時折斥候が送られてくるも、魔力を感知できるイシュタロッテやリスベルク。そして匂いまで感知する竜翔の竜たちによってそれらは刈られていく。
無論、俺達も探りを入れなかったわけではない。
定期的に竜たちの背に乗り敵情視察のために飛ぶのだが、人間たちは崖から二キロほど離れた場所にある拠点に陣を引いたまま撤退する気配を見せなかった。
「奴ら、クルスの援軍を待っているのではないでしょうか」
指揮天幕で一人の戦士が口にした。
確かに、誰がどう考えてもそうだとしか思えない現状ではある。
「合流前に叩いておくべきだと思われますが」
「だな。このまま座してそれを待つ必要はない」
釣られてか、他の者も賛成し始める。そんな中、ふと一人の戦士が俺に尋ねてきた。
「アッシュ殿はどう考えますか?」
「むっ。そうだな……」
ここで話を振られると思わなかった俺は、一瞬言葉に詰まってしまった。
こういう大勢の集まりでは置き物として定評がある俺である。
堪らずリスベルクやアクレイに視線を向けるも、二人とも頷くだけで何も言わない。これは好きに発言しろ、ということか。
「叩くことには反対しないが、問題はやり方じゃないかな」
戦術・戦略の学など俺にはない。
ただそれでも、無策で突っ込むのは論外であることだけは分かる。
「これはただの事実の確認だが、現状では敵の兵力がこちらの四倍ないし五倍だ。そしてこの崖の向こうは当然だが地の利が無い」
細かい数字はこの際問題ではない。
他の部隊と合流すれば有る程度は埋まるわけだが、問題なのは今はそれだけの差があるということだ。
その差を埋めるのが一方的に攻撃できるこの地形であり、その後の森での森林戦。
これは攻め込まれることを前提としながらも、その間に削れるという確固たる自信があって用意された作戦だ。
「ですが、竜たちと共に仕掛ければ……」
「そうだな。やるとしたらそうなると思う。ただ、こちらから真っ当に攻めてやる必要はない。やるなら徹底的にアウトレンジからだ。ウォーレンハイト――」
「何だ」
「竜ってのは石を抱えて飛べるか?」
「大きさによる。なるほど、矢も届かぬほどの上空から落とせと言うのだな?」
「ついでにエルフ族を纏めて数人背に乗せてくれ。攻撃が届かない程の上空から一方的に削りたい」
後は連中が逃げるまで無理せず繰り返すだけでいい。
連中が痺れを切らせて突っ込んでくるなら予定通りに戦えば良いだけ。
これなら被害も少なくて住むし、物資を集中して狙うだけでも連中に負荷をかけられるはず。
「……意外と消極的なのですな」
「こっちが損害を負ってやる理由はないし、一人でも多く戦士たちの命は惜しみたい」
「アッシュ殿……」
ぶっちゃけ、竜翔のブレスの掃射を喰らえばその段階で逃げるような気もするのだ。
エルフ族の力で追い返したいという気持ちも分からないでもないが、先のことを考えれば一人でも死なせるべきではない。
「侵略者にくれてやるものなんて何一つないのさ」
「――戦士一人一人の命がエルフ族の財産、でしたな? やはり素晴らしい言葉だ」
ドレムスさんが大げさに頷いてみせる。何やら感慨深げに発言されても困るのだが、天幕中の視線が彼に集中したので助かった。……のだが、代わりに妙なフレーズが天幕に伝播していった。
「我々が財産だ、などと言う言い回しは初めてだな」
「命を掛けろ。無駄死にするな。なんてのはよく聞くが……」
「下の連中もそうなのか?」
「だが、不思議と悪い気はしないな」
「くくく。そういう考えは私も嫌いではないぞ」
ニヤリと唇を吊り上げたリスベルクは、ウォーレンハイトに確認して背に乗る人員の抽出を命令する。集める人員は当然、弓の腕に優れる者だ。
「では不測の事態に備えて竜を五匹残し、残りで午後から仕掛ける。良いな?」
「「「はっ――」」」
「――存外、上手くいかないものだな」
合同軍の駐屯地にて、額に傷のあるハーフエルフが毒づいた。
リスバイフの侵略軍は初戦で早々に切り札を失い、あまつさえ寝返られたことで意気消沈していた。それは別にかまわなかったが、竜翔の連中が向こう側へと付いたことだけは誤算であった。
傭兵が戦場で寝返るなんてのは別に珍しくもなんともない。
金を貰って命を張るのが彼らの仕事ではあるものの、状況が悪くなって陣営を変えるなんてザラであるし、雇い主に捨石にされたり裏切られることだってある。臨機応変に対応し、最後まで生き残ることこそが彼らの処世術だ。そもそも殉教してみせる信仰者たちとは違う。無節操なのは初めからわかりきっていたことである。
問題はそこではないのだ。あまりにも早く、そして損害も無く決着が着いたことが彼からすれば問題であった。
(希望がクルスの戦力になっちまったままなのは及第点か。このままにらみ合うだけでも十分だが……んん?)
そのときである。
彼の所持するアーティファクトが彼に警告した。
「ちっ。またか」
日に数回来るようになった竜での偵察隊だろう。ご丁寧に吼えてみせることで、何時襲われるかもわからない恐怖を兵士たちに提供している攻撃的な斥候だ。特に夜は大声で吼えられるだけで安眠妨害だ。地味に兵士たちにストレスを与えて来る。
侵略軍の心をへし折る戦術としてはアリだが、やられる方は堪ったものではない。
「……ん? こいつは――」
今までよりも深入りしている。
そうと察した彼は、糧食を口にしていた部下たちに声を掛けた。
「警戒しろ。こいつは今までとは違うぞ」
「サイラス殿?」
疑問に思った新入りが問うよりも先に、先輩が後ろ尻を叩く。
「馬鹿野郎! 気を抜くんじゃない!」
「は、はい!」
「ククッ。そうか。そっちも我慢できねぇってことだな長耳共」
一歩、二歩。緩やかに後退しながら、サイラスは喜色を浮かべる。
「密集方陣だ。防御結界の詠唱開始。上から来るぞっ」
「「「了解!」」」
上空。
サイラスの視線の先に、東の空から飛んでくる竜の編隊が見えている。
いつもなら既に旋回軌道に入って引き返す頃合だ。
けれど今回は違う。
闘争の空気と粘りつくような殺意が上から彼らを狙っていた。
「ヒハッ。展開しろ」
彼の指示により、彼らの周囲にだけ光輝く結界が構築された。
ドゴォン!
どこかで、けたたましい音がした。
次いで、何も無いだろうと高を括っていた兵士たちが血相を変える。
異常を感知した兵たちが、櫓の上で半鐘を打ち鳴らす。
音の数が十を超えた頃、彼らのすぐ側に大人より少し低い程度の大きさの石が落ちてくる。新入りが悲鳴をあげ、熟練の異端審問官たちが口笛を吹いた。
「これだけか? 違うだろう長耳。そうだまだあるんだろう? 用意してきたんだろう? お前たちのお得意の獲物があるよなぁ!」
竜が旋回。行儀よく一列に並ぶと、宿舎や天幕がある平地に向かって一斉に矢を放ってくる。狙ってはいるのだろう。しかし、それらに必中必殺の精度はない。
高空からの風、重力。その他諸々の要因により、まともに狙うことなんてできるわけがないのだ。だが、昼食時に密集していた兵士たちを狙って、矢をばら撒き落とすぐらいはできた。
「や、矢が振ってきたぞ!!」
「盾だ。盾を構えろ!」
どこかの誰かが叫んだ。
(遅いっての――)
矢の雨がポツリポツリと降り注ぐ。
その間に、運が悪い者から負傷していく。
中には反撃しようと弓を放つ者も居たが、明らかに射程外な上に狙えていない。
弓にもよるが山形の弾道ならば射程距離は遠距離攻撃用のそれで大よそ二百五十メートル。真っ直ぐ狙って当てるなら大よその殺傷距離は四十メートル前後。騎馬ならもう少し遠くても命中させることができるかもしれないが、これはそういう次元の話ではない。
敵は彼らの遥か上から、下に向かって撃っているのだ。
しかも弓の扱いに定評があるエルフ族の射撃である。
当然、下からは届かないと見た距離からだ。
案の定、弓を放った者のそれは届かずに失速。運動エネルギーを失って落ちていった。
「無駄なことを」
見上げて失笑したサイラスは、そこで奇妙な光を見た。
「ああん?」
――ガツン!
「――ひやっ!?」
新人が可愛らしい声をまた上げる中、サイラスは黒銀の竜から見えた残影を凝視した。
それは、弾道が不自然に捻じ曲がる矢の軌跡だった。
一瞬魔法かと思った彼だったが、猛烈に嫌な予感がした。
次の瞬間、光が彼らの居る結界と衝突。目の前で突き刺さって止まった。
「……鉄の矢だと?」
矢の飛距離を稼ぐためには、弦を強力にして矢を軽くする必要ある。
だが、彼らが張っている結界を貫く威力を付加する弓と質量を備える矢を併せ持つとなると笑えない。
「廃エルフとか言う奴、バリスタ<攻城兵器>でも使ってやがるのか?」
或いは、大昔にリストル教が抹消したというクロスボウか何かか。しかしそれなら弾道が捻じ曲がるわけがない。ましてや結界に突き刺さる威力だ。そんなものは人の手には存在しない。
二発、三発、四発。
執拗に結界に突き刺さるそれは、明らかに彼らを標的としていた。
その理由は嫌でも彼にはわかった。
結界だ。それを張る実力者を敵は狙っているのだ。
「――次のを防いだら結界は解除しろ。すぐに散って物陰に隠れるぞ」
「は、はぃぃぃ!」
腰を抜かした新入りに、あ、こいつ死ぬな、などとは告げない優しさ加減でサイラスはタイミングをおし計る。
黒銀の竜の上から光る何かが来る。
身構える彼は、今度のそれが弾道が捻じ曲がらずにほぼ真っ直ぐに飛来してくるのを見て怪訝な表情を浮かべた。だが、凄まじいスピードで落ちてくるのは同じだ。
外れないという核心が、サイラスの全身にブワリと汗を誘発する。歴戦の異端審問官の心臓が、直感だけで縮こまった。
危機感で引き伸ばされる知覚。一秒が数秒に錯覚する中で植えつけられるストレスにはもう、彼は笑うしかない。後はもう運だった。
やがて大きな槍が結界を苦も無く突き抜ける。
ただ一撃。強固なはずの結界が消失し、手錬の部下が一人彼の目の前で胸を貫かれて消え失せる。
――ここに居たら死ぬ。
彼は息をするのも忘れて声を張り上げた。
「走れ!!」
サイラスは転がるように外に出た。
見上げれば、そこに上から狙い済ましたかのように矢の雨が飛来している。
走る、走る、走る。
そうして、キルゾーンから脱出。
適当に盾を構えたリスバイフ兵の後ろに倒れこむ。
「は、は、はっ――」
振り仰げれば咆哮。竜の放ったブレスが拠点へと降り注いだ。
悲鳴が恐慌に変わるのは一瞬だった。
更に跳ね上がった危険度。右往左往する兵士たちを尻目に、竜の騎兵隊が去っていく。
サイラスは納得した。
それが、竜を敵に回した者が味わう恐怖と絶望であるのだと。
「ヒハハ。そりゃ、こんなことができるなら竜殺しの伝承が生まれるわなぁ!」
聖人や英雄に倒される邪竜というのは、彼らという脅威を目にしたからこそ生まれた伝承なのではないか? 神の敵の一つに数えられるのも彼には分かる気がした。
これを繰り返されたら、当然のように先に心が折られる。神に縋らなければ生きていけないような弱い心の者たちが祈るのも無理はない。
「ファックや奴らだ。しかも安全第一ってのが余計に面白くねぇ」
暫くして召集してみれば、部下の数がやはり減っていた。
だが、新入りは股を濡らしながらも生きている。感心なことに、仕切りに聖書の中身を諳んじてもいた。
「おいルーキー。お前、見所があるぜ。だからお優しい俺様が褒美に着替えてくる時間をくれてやんよ」
「――」
半ば放心したような顔で頷く彼女に、サイラスは手を振って見送る。
次の瞬間、我に返ったシスター上がりの少女が悲鳴を上げて天幕へと遁走した。
「隊長、今のはどうかと思いますが」
「心配しなくてもあの可愛らしさも汚れ仕事と一緒にすぐになくなっちまうよ」
「かもしれませんが……予定がまた狂いますな」
「――だが二日……いや、三日はもつ。もたせるのが仕事だ。さぁ、次の戦場に行く用意をしようぜ? 神様のためのお仕事が待ってる。お祈りも沢山しなきゃなぁ――」
サイラスは、現状報告という名目で堂々と部下を連れて後退。すぐさま次の仕事に取り掛かった。