第六十三話「想定外戦力」
これまでのあらすじ
・レーヴァテインが何やら暗躍中。
・武具っ娘たちはカンスト目指して元気にブートキャンプ中。
・アリマーンとアスタムはゆっくり観光中。
・アッシュたちはリスバイフとクルスの侵攻に備えて準備中。
「これ、持っていきな」
「いつも悪いな。ん?」
昼食用のパンが入ったらしい籠をナターシャから受け取った俺は、それをインベントリに仕舞おうとして小さな袋に気づいた。
「それはお守りさね。その、エルフ族の習慣なんだってさ」
なにやら意中の男が戦地に赴く最に渡すものなのだとか。
中身は見るなと念を押す彼女は、気恥ずかしそうな顔で頬をかく。俺はそれを懐に仕舞い込むと抱き寄せてキスをした。
なんだろう、この何かが込み上げてくる感覚は。
戦地に赴く兵士というのは皆こんな気持ちなのだろうか?
今までとはまた違う感慨。
そんな取り留めの無い感情に胸中を満たされながら、俺は彼女を解放した。
「気をつけるんだよ」
「がんばってね」
「――ああ。それじゃ行って来るぜ」
ナターシャとダルメシアに手を振り、俺は食堂を出た。
その足でゲート・タワーへと向かい最上階手前の階へと登っていく。そこには机が運び込まれ、一種の指揮所になっており全ての情報が集約されることになっている。
援軍として一部隊を率いてきたダイガン王子とティレル王女が、クレイン陛下やリスベルクらと共に最終確認を行っていた。
卓上には地図が置かれ、今現在判明している状況が視覚的に分かるように駒が配置されている。今ここには腹黒ダークエルフの姿はない。
アクレイは既に現地に飛び、準備を整えているのだ。
「来たかアッシュ」
「そっちはいいか?」
「少し待て」
既に戦支度になっているリスベルクは、そのまま打ち合わせを進めるとすぐさま立ち上がる。
「アッシュ殿、リスベルク様を頼むよ」
柔らかな言葉で念を押してくるクレイン陛下だったが、答える前に軽く頭を下げてきた。
役割もあるが、前線へ出るほどに彼個人が武勇に優れるわけではないからだろう。
「了解です」
「まぁまぁ。心配せんでもアッシュはんやったら大丈夫やろ」
「あ、あの、これをっ」
ダイガン王子を押しのけ、ティレル王女がおずおずと小さい袋を差し出してくる。
両手で献上するように差し出されても対応に困るのだが、ついさっき見たような形状をしていた。
「もしかしてお守りか」
「は、はい!」
「そっか。ありがとう」
二つ目のお守りを懐に仕舞うと、リスベルクに肘で小突かれた。
『ぬふふ。ハイエルフの嬢ちゃんは何も用意していないだろうからのう』
「とっとと行くぞ!」
「お、おう?」
不機嫌そうにせっつくので、挨拶もそこそこに手を振ってから転移しようとすると人影が三人ほど現れた。木箱を両手で抱えたフランベとディリッド、そしてこれまで見たこともない小さな生き物だった。
「ふぅ。ギリギリ間に合ったようだね」
「みたいですねー。差し入れの登場ですよー」
「ちゃーっす!」
俺は、シュタッと元気よく手を上げたその浮遊物体に驚きを隠せなかった。
身長は三十センチぐらいだろうか。
青い長髪の上にチョコンと黄金色のティアラを載せている。
彼女は白のワンピースの背中からトンボのような羽をパタパタを羽ばたかせており、あどけない顔立ちに明らかな好奇心を浮かべて俺の眼前に浮遊して来た。
『なんだ、ジーパングの妖精ではないか』
「妖精?」
「いかにも! 悪戯とお菓子の神、妖精神ドテイとは私のことだよ廃エルフちゃーん!」
識別すると、妖精姫アルフリーデレベル99と出た。
俺は、自然と眉根を寄せて問いかける。
「……妖精姫はどうした」
「アルフちゃんはお仕事が嫌いだから私に押し付けて眠ってるよ。起こす?」
「あー、いや、それならいい」
乗っ取られてるんじゃなくて共生しているってわけか。
「よくは知らないが、ディリッド君と同じくアナの知り合いらしくてね。ここ暫く三人で一緒にポーションを研究していたのさ」
フランベはそう説明すると、卓上に木箱を置いた。
中にはズラリと瓶が並んでいる。
「量産に成功したのか?」
「完全なコピーは無理だったけどね」
それでも、一番効能の低いポーション程度の効能はあるらしい。
「レシピは三人で共有しているが構わないかい」
「勿論だ」
「一応、アッシュ君にも渡しておくよ」
製法が書かれた紙を受け取るが、うん。
さっぱり分からん。
特に問題なのは材料、そして魔術儀式だ。
コレはあれだな。
イシュタロッテとイリスに量産を丸投げしよう。
きっと良い魔術修行になるはずだ。どうせ俺は自分で使えないし。
「それと、今すぐ量産するというのは難しいとだけ覚えておいて欲しい」
「魔術の使い手もそうですがー、材料の関係があるんですよ。ジーパングの薬草類はほとんど流通していないのでー」
「そこら辺は私と交渉だねっ」
えっへんとばかりにドテイが胸を張る。
「そっちはまぁ……後でだな」
これから戦いだし、俺にはそんな余裕はない。
「……ふむ。アッシュの薬なら捨て置けんか。クレイン、話しを通して確保しておけ。育てられるならラグーンや森での栽培も検討しろ」
「かしこまりました」
ハイエルフ様によって、光の速さで承認される。
「ちなみにお菓子の材料やレシピ。もしくはチョコレートがあると贔屓にしちゃうよ?」
「それは暗に寄越せってことだろ」
欲望を隠しもしない妖精神。俺はインベントリから板チョコを取り出して押しつける。
「じゃこれで贔屓にしてくれよ?」
「……えっ? ちょっ、なんで持ってるのぉぉぉ!?」
バリバリと包みを破る妖精神は、出所を問い詰めるよりも先に食欲に負けた。彼女は涎を垂らしながら大口を開けてかじりつく。
「ほ、本物だこれ。いやーん、口の中に幸せが溶けていくよぅっ」
感激して泣き出したその隙に、俺は木箱を一つインベントリに仕舞うとリスベルクの元へと向かう。
「それじゃ、新しい人脈を開拓したところで行くとするか」
「……ドワーフの姫だけでなく妖精にもいい顔をするとは。貴様には節操が無いのか?」
『ぬふふ。お主のせいで妖精神が蕩けるような顔をしておるぞ』
そりゃあ、ご満悦って顔してるがな。
これから戦いに行くって時に見る顔じゃあないぜ。
戦意が萎える前に、俺は悪魔に転移を急かした。
――滝裏の洞窟。
かつてナターシャと通ったその場所の上で、俺達はアクレイと合流した。
煩いぐらいに聞える滝の音が響く中で、崖の上から渓流を見下ろしているアクレイ。彼は現れた俺たちに振り返ることなく告げた。
「昨日、指揮官らしい方の寝床にお邪魔して警告したのですがね」
「知るかって感じだな」
アクレイの隣に立って崖下を見下ろせば、兵士が少しずつ進軍してくる様子が一望できる。道らしい道などほとんど無い。前と比べれば少しは整備しているようにも見えるが、それでも馬車がギリギリ通れるかといった具合だ。が、それも途中までだ。
滝裏へと続く道は、馬一頭でギリギリ程度の幅しかない。
だが、それまでの間に広場を構築しているのが遠目に見える。おそらくは物資をそこに運び、後は人の手でということだろう。
ここを占拠さえすれば、後は道を拡張するなり何なりは好きにできる。とにかく制圧のための一時的な処置なのは明白だ。連中の本気度が伺えるような光景だな。
「ご苦労なことだ」
「向こうとしましては、森とラグーンを貰い受けに来たそうですよ」
働きかけたのはエルフだ、とでも言いたいのだろう。
連中からすれば、スイドルフが失敗しようが成功しようが結局は同じだったのかもしれない。既に口実は与えられているとでも考えていても不思議ではない。
霧の国リスバイフと聖王国クルスの同盟軍。
大よそ二万三千という触れ込みの軍が少しずつ進軍して来る。
特筆すべきはその手に持った木の板か。
エルフの弓対策なのか、皆が盾を持っている。
やはり山越えのためには重装備というわけにはいかないらしい。
金属盾は頑丈だが重い。
ここまで来るまでの間にも峻険な山脈を通て来たはずである。
移動のために、そして更には森林戦に備えて軽量化し、機動力を重視している感じだ。
それでも一部は重装備な者も中には居るようだが、他の連中と比べれば小数だ。
「それで、他のルートはどうだった」
「南北の迂回路から二千ずつ回り込むように先行しているのが確認されています」
ここは比較的小さな山とはいえ、回り込むにはそれなりの時間がかかるだろう。
大よそ侵攻ルートとして比較的利用しやすいのがこの小山だ。
エルフの森とリスバイフを阻む山々の中で、格段に通りやすいそうなのだ。
特にこの崖下の洞窟はラグーンへの最短ルートになっている。
かつてはぐれエルフが行き来するために利用していたというその道が、今は侵略の窓口になっているのは皮肉な話しだ。
「ここを手に入れて橋頭堡にしたいのでしょう」
だが地の利はエルフ族側にある。
補給路の確保などもそうだが、まともな道は少ないためにどうしても進路は限られてくる。情報がリークされていたとしても、地形それ自体は天然の要害として機能するのだ。
元より、攻めるよりは防備を調えて迎撃する方が被害は出ない。
よく聞く城攻めなんかは、攻める側は守る側の三倍の兵力が必要だって聞く。
最終的にラグーンを欲するというのなら、そのためにも最短で大軍を送り込めるルートが欲しいのだ。
地図だけでもそれぐらいは読める。
なので、リスベルクたちはここに真っ先に布陣することを選んでいた。
「さすがに一点集中で真正面から突破、などという愚かな真似はしないでしょう。待ち構えているこちらが有利なのは明白です。問題は向こうの作戦ですね」
「クルスの援軍本隊がまだ到着していない。この段階で動いたという事実が気に喰わん」
クルスの増援は情報通りならおよそ三万。
大部隊になればなるほどに行軍速度は落ちるものだが、それを待たずに動いていることをリスベルクは気にしているようだ。
「数が少ないほうが良いんじゃないか?」
「……大規模転移でのピンポイント攻撃の可能性も捨てきれん」
「それを言ったらお仕舞いだろ」
一応、ゲート・タワーの拠点防衛にはドワーフの援軍を丸々置いてきてある。
転移伝令役のディリッドが各地の情報を収集するので、それなりに早い段階で情報が届くはずだ。最悪の場合でもドワーフたちが新兵器を用意してきているのでそれなりに持ちこたえてくれると思いたい。油断は禁物ではあるが。
「何にしても、できるだけこちらに被害が無いように立ち回るだけですね」
両手を組んで崖下を睥睨していたリスベルクは、早速アクレイに指示を出す。
「では砦のシルキーに伝えた後、ラルクとキリクを動かせ。くれぐれも欲を出すなと伝えた後、貴様はここの指揮だ」
「ふふふ。できる範囲で削ってご覧に入れましょう」
ニコリ一礼するアクレイに、俺は量産ポーションを預けて見送った。
「――で、俺たちは洞窟で下の奴らを削ると」
「最強の蓋の出来上がりだ。その間に上から矢で削る。打ち合わせ通りだな」
「了解」
俺は矢束と石を大量にぶちまける。
ちょっとした山のように積み上げられたそれを、補給担当の戦士が分配していく。この日のために暇なときに作りに作った矢玉と開墾作業時の邪魔な石山から得た石だ。それに続いて、下からの矢を塞ぐために木の板が立てられていく。
沢山の戦士たちがキビキビといた動きで配置についていく様は圧巻である。
皆、役割はきっちりと頭の中に叩きこんでいるのだろう。
矢と、そして投擲用の石。
それらが敵の突撃と同時に猛威を振るうことを考えると、想像しただけで敵に同情してしまいそうになるぜ。
その間に俺はウィスプとシルフを召喚。
戻ってきたアクレイの言うことを聞くように頼んでおく。
二人とも少しだけ不服そうな顔をしていたが、それでも頷いてくれた。
「お待たせしました。それではエルフ族の戦士五千。この私めがお預かりします」
「うむ――っと、向こうも動くか。動きが早いな」
「んー。軽く様子見ですかね」
彼方から、こちらに向かって敵が動き出しているのが見える。
盾を構え、進軍して来ている。
気のせいだろうか?
相当な数が動いている気がするんだが。
「おい。アレは様子見所の騒ぎじゃあないんじゃないか?」
「そんな馬鹿な。いきなり突撃を選ぶなど考えられませんが」
アクレイが目を見開いてその様子を凝視する。
その顔にあるのは焦りではなく呆れだ。
両腕を組んでいるリスベルクも同じだが、すぐに二人が顔を見合わせた。
「上を取られていても平気で仕掛けてくるということは」
「何か策があるのかもしれんな」
『ッ――北西だ!』
「ぬ?」
瞬間、イシュタロッテの俺への警告から半瞬遅れてバッとリスベルクが空を見上げた。
二人は魔力やら想念やらが感知できる真っ当な念神様だ。俺には理解できない何かを感知したのかもしれない。
遅れて見上げる空に広がるのは、どこまでも続く青である。
雲ひとつ無いほどの快晴の只中に、翼をはためかせて空を飛ぶ鳥の群らしきものが目撃される。二十羽ぐらいだろうか。彼らは朝っぱらから気持ち良さそうに飛んでいる。
「なんだ鳥か?」
『……馬鹿者。アレはそんな可愛らしいものではないぞ』
「これは真逆っ――」
アクレイが微笑を引き攣らせ、眉間に皺を寄せる。
その隣でリスベルクがため息混じりに呟いた。
「なるほど。確かに奴らを擁しているなら突撃もアリか。迂回させた連中は戦士たちを分断させる囮だな」
少しずつ鳥が大きくなる。
近寄ってきているらしいことは分かるが、そこで違和感が俺を襲う。
翼は良い。
だが、連中には両手があり長い尻尾のような見えるのだ。
両手や尻尾がある鳥なんて俺は見たことも無い。
ともすれば新手の魔物かとも思ったが、それも違うようだった。
『あのプライドの高い竜共が人間に付くとは……』
「竜……だって?」
おい、待て。
それは不味いだろう。
相手の頭上をせっかく取っていたのに、その更に上の制空権を取られるってことだぞ!
「「「GUOOOONNN!!」」」
咆哮、咆哮、咆哮。
遠雷のように響くウォークライ。
身を竦ませるような叫びと共に、奴らが空を飛翔してくる。近づいてくるたびに、少しずつ大きくなっていくそのシルエット。
その先頭には、鞍の上に人を乗せた一際大きな黒銀の竜が居た。
間違いなく連中の頭だろう。その竜は、一際大きな咆哮を上げて力強く羽ばたいた。
その威風堂々たる様に、周囲で見上げるエルフ族の顔に薄っすらと恐怖が宿り始めている。そんな中、物知りアクレイがポツリと言った。
「――黒銀竜ウォーレンハイトさんですか。ならば相手は傭兵団『竜翔』ですか」
「ハハッ、今日は死ぬには良い日だね――」
黒銀の竜の上。鞍にまたがった小さな騎士が悲しげに笑う。
その中世的な顔立ちは、竜を駆る竜騎士としては穏やかに過ぎるようにも見える。
風に靡く緑色の長髪を一房程後ろにまとめ、外套を纏った騎士は背負った弓型のアーティファクト――『太陽神』の弦を引き、その魔法で光の矢を番える。
騎乗する騎士へと振り返ったウォーレンハイトは、その痛ましい顔に思わず沈黙を選びそうになる。だが、それでも背中の騎士に問うた。
「怖いか、トリアス」
「うん。怖い。怖いさウォーレン」
噛み締めるように、震える右手に視線を落とす。
しかし、それでも。
騎士は引かずにグッと竜に頷いた。
「それでも陛下から命令を受けたんだ。やるしかないよ」
「くだらぬな。命令など無視してしまえば良いものを」
騎士は十代半ばの次期公爵であった。
公爵家の跡取りであり、その後を託されし者。
本来であれば、戦場の最前線へと早々に来て良い身分ではない。
だが自分しかできないというのなら、貴族の本分を全うしなければならなかった。
「成功すれば森の一部が手に入るんだ。緑豊かな森は、きっと私たちに恵みをもたらしてくれる」
本音はともかく、建前の上ではクルスと共闘ができるこの好機を逃す手など無い。
既に援軍は国境を越えていると報告が来ている。
その前に、リスバイフの軍は手柄を欲していた。
領地分割の最の交渉を少しでも優位に運ぶためには、分かりやすい実績が必要なのだ。
「理屈は分かる。だがそれは貴様の命を代価にするべきものではないだろう」
クロナグラ最強の人類種『竜』であっても、本物の神の相手ができる個体は少ない。
そも戦う意味がない。
必要があれば念神だろうがなんだろうが戦うが、自ら進んで意味もなく戦う意義など彼らには見い出せなかった。
「……アフラーさんが居てくれたら良かったんだけど」
「とっとと諦めれば良いのだ」
居るはずの戦力が居らず、その上で先行して仕掛ける。正気の沙汰とは思えぬ決定に、ウォーレンハイトは毒づかずにはいられない。
「人は愚かにも信じたいことだけを信じようとする。その代価が、今以上に自らを苦しめると知っていようともだ。踊らされているだけだと何故気づかぬ」
「この国にはそれだけ余裕がないんだよ」
「……馬鹿につける薬は無しか。これならまだ妖精共の方が聞きワケが良いわ」
アレはアレで小さな成りをしているくせにホビットのように強かである。
大きく息を吐き出したウォーレンハイトは、仲間を鼓舞するためにも大きく吼えた。
遠雷にも似た咆哮は、通常の生物なら例外なく自らの矮小さを知って逃げる。
大地に立てば十メートルを優に超える身長。
それを支える巨大な手足に、空を舞う翼。
ビッシリと覆われた鱗は、普通の矢も剣も全て弾き牙と爪は鋼鉄さえ容易に引き裂く。
移動力、攻撃力、防御力、質量に魔力。ありとあらゆる性能が他の種族を圧倒的に凌駕する竜という種族は、巨人族さえただの餌にしてしまう。
――故に、竜族というのはクロナグラ最強の人類種。
事実、そのおかげでラグーンズ・ウォーを歓迎した唯一の種族でもある。
彼らはその体躯を維持するためによく食べた。
無限に魔物<食糧>が湧き出るモンスター・ラグーンなど、彼らにしてみれば楽園にも等しく、おかげで竜という個体だけはラグーンズ・ウォー後に増えた程だ。
しかし増えても取り戻せないモノもあった。
それは想念の伝導率。
元々個体数が少なかったが、当時は潤沢に大気中に魔力があった。
魔力は想念に反応する媒介だ。
それにより念神が発生しやすかったおかげで竜にも神が生まれていた。しかし魔物の召喚によって想念の伝導率が大幅に下落した後、彼らの神もまたアーティファクトと化した。
今現在、大気中の魔力濃度が低すぎてよほどの数が揃わなければ竜たちの神は復活できない状況にある。
竜はエルフ族よりも更に少ない。
強く長命にすぎるが故の弊害が、神の再臨を阻んでいたのだ。
その上で現在回帰した神のうちの一柱とやりあう羽目になったのは、彼が傭兵だからである。
情に流された報いか、それともただの運命か。
悲観せずにただ苦笑する黒銀の竜は、胆力で己が恐怖をねじ伏せる。
「ウォーレン、私が死んだら仕事は終わりでいいよ」
「勿論、そうなれば約定どおり貴様の死体を喰らって帰るとも」
そういう契約だ。
それ以上は報酬の及ぶところではない。
だから逆に、自らの領地と名誉を守るためには生きて帰るしか騎士にはとりうる手立てがない。
「だがな、もしかしたらひょっとするかも知れぬぞ」
「えっ?」
「かつて我等に無かったレベルというモノがある。その上で、我が太刀『応報』は覚醒を果たしている。この意味が分かるか?」
「それってつまり――」
「――そうだトリアス。相手次第では食い下がることができるやもしれん」
不敵に告げて、ウォーレンハイトが返事も待たずに羽ばたきを強くする。
その巨体が光を纏う。
神宿りの白い光だ。
そこへ、更に強大な魔力を糧として薄っすらと青い魔力の輝きさえ重ねて纏った。
「さぁ付いて来い。我等が最強種だということをエルウ共にも知らしめてやろうぞ!!」
部下たちを鼓舞するように吼え、傭兵団『竜翔』の団長が空を往く。
騎士はその逞しき声に勇気を貰い、腕の震えと戦った。
「――アクレイ! 今すぐラルクとシルキーから精霊を回収して来い!」
「はっ――」
リスベルクの決断は早かった。
向かってくる先頭の竜が神宿りに到った瞬間には声を上げている。
しかし俺の予想に反して彼女から撤退の指示は出されない。
「――ちっ。竜の介入など想定外にも程が有るぞ。竜騎士など、ジーパングならともかくここらではお伽の彼方の存在だ」
呟く彼女の瞳が空と崖下を往復する。
山道からは洞窟を目指して人間の軍が来る。
上からは竜の編隊が来る。
それもただの竜ではなく神宿りが混じっていると来た。
うちの偉いのが怒髪天を突く勢いでプリプリと怒るのもしょうがないかもしれない。
『成体の竜は一匹で防衛拠点付きの兵士千人に匹敵するという。これはもう妾たちの出番じゃな』
やはりあの空の二十騎は俺たちで叩き落すしかないのか。
鎧を纏う。使う武器に少し迷うも、結局は使い慣れたタケミカヅチを抜いた。
「アッシュ、貴様はノームとやらを洞窟にやって出口を塞がせろ。その後すぐに出撃してあの生意気なトカゲ共を叩き落として来い」
「あいよっ」
全身から部位を剥ぎ取って、戦士たちの武具にしてやると息巻くリスベルクである。
こんな局面でも維持できる強気にはさすがに感心するしかない。
「……戦士たちを下げないのか?」
「下げられるものか。戦力差を考えればここを無傷でやる訳にいかんのだ」
森の恩恵だけでは足りないのか。
確かに、崖上に上がってくるまでほとんど一方的に攻撃できるのはここだけだが。
「守りはどうする」
「そっちは私がなんとかするさ」
くくくと嫌に不敵な顔で笑うリスベルク。
彼女は戦士たちを叱咤するように吼えると、何を思ったから竜は無視しろと言った。
「トカゲは私とアッシュたちでどうにかする! 貴様たちは下の人間に集中するのだ! さぁ弓を構えろ! 十分に引きつけてから矢の雨で歓迎してやれ!」
その間に俺はノームさんを追加召喚。
命じると、転移で送ってイシュタロッテの翼を借りる。
崖から跳躍。
悪魔の加護で神気を纏い、初戦となる空へと上がった。
「……なにアレ?」
光を纏い、翼を駆って飛翔する何かを見た騎士――トリアスが、顔を当たり前のように引き攣らせていた。
問われたウォーレンハイトも、さすがにこれには言葉に詰まるしかなかった。
彼をしてもそれは想定外だったのである。
「――負け犬代表<アフラー>め、廃エルフが飛べるなら飛べると言っておけい! 魔法戦闘に持ち込めんではないか!」
強いから気をつけろと忠告するだけで、詳細な報告をしなかった善神である。エルフ族の神が飛ぶなど想像だにしていなかった彼は、今度合ったら噛み付いてやると決めて部下に指示を出す。
「予定を変更する。ブレス一斉発射の後各自散開。奴を迂回して長耳共を狙え。できるだけ奴は我らが押さえる。いいか、我が死ぬことあらば、次は副団長に後を継がせよ――」
「御武運を!」
「うむ。往くぞ!」
白銀色の鱗を持つ副団長の言葉に答え、彼は大きく息を吸い込んだ。
彼の口元に魔法陣が形勢される。
竜族伝統の竜魔法『ドラゴンブレス』の兆候だ。
それにあわせて部下たちも一斉にそれに倣う。
色とりどりの二十騎の眼前で、魔法陣が激しく明滅。
竜族の大魔力を込めに込めて、向かってくる敵念神へと狙いを定めた。
「放てぇぇぇ!!」
快晴の空に閃光のような吐息が放たれた。
都合二十本の光の筋が眼前から迫り来る。
――瞬き。
一瞬だけ閉じた瞼の向こうで、これから来る数秒先の未来を確認しつつバレルロール。虚空で回転するようにしながら右斜め下に急降下した。
そのままブレスの隙間に体を押し込みつつ、形振り構わずにレヴァンテインを抜く。
周囲を過ぎ去る閃光。
瞳を焼くような光陵の中、ひたすらに飛翔する。
その後に通過するのは、炙られた大気の孕んだ熱波だ。
回避不能な熱気の洗礼。
それを魔剣と悪魔の加護で強引に突き抜ける。
『ぬふふ。気に入ったぞアッシュ。あの黒銀のを捕まえて妾たちの騎乗竜にしようぞ!』
「俺は馬に乗れても竜には乗れないってのっ――」
エクスカリバーさん辺りなら可能かもしれないが、俺にそんなスキルはないのだ。
それよりこいつら。
「散開した……って、ちょっと待てよ? 神宿りってことはあの黒い奴――」
真正面。
イシュタロッテが黒銀と呼んだドラゴンが、背中から当然のように巨大な太刀を抜き放った。日本刀のように反りのあるそれは、呆れるほどに美しい波紋を持つ大太刀だ。
竜自身の身長に匹敵する長さのそれを手に、神宿りの竜が凄まじい迫力で迫り来る。
『あの姿でアーティファクトを使うかっ! おほぉっ、益々欲しいぞ!』
歓声を上げるイシュタロッテを無視し、負けじとタケミカヅチを構える。
しかし、明らかに自慢の直刀も敵の大太刀と比べれば可愛いものだ。
どう考えてもサイズが違いすぎる。
鬼に金棒どころじゃないぜ。これじゃあ竜に神剣だ。
「さすがに受け止めるのは無理……か?」
どう考えても質量差がありすぎる。
「ウェポンバレットだ。特大の奴をぶっ放してくれ」
『しょうがないのう』
未練がましく呟く悪魔だったが、指示に従い虚空に十メートルはある大剣を形成。
一息で発射する。
だが、それを見た黒銀の竜は臆せずに突っ込んで来た。
「キィェェェ!!」
気合一閃。
所謂剣道なんかで聞こえる猿声とか言う奴だと理解した頃には、振り下ろされた大太刀が高速で飛んだウェポンバレットを叩き落していた。
思ったよりも遥かに振りが速い。
大剣は、そのまま渓流の川に落下。
水しぶきを上げながら突き刺さると、空気に解けるように消えてしまう。
大太刀が弧を描く。
右斜め下に落ちた刀身が翻って空中に∞の文字のような軌跡を描きながら、流れるような動作で逆袈裟を狙える位置に手を戻す。
(剣術の流派でそんなのが有るって聞いたことはあったが――)
何故異世界くんだりの竜が似たようなのを使ってる奴に出会うんだろうか。
当然だが、剣というのは上から下に振り下ろすときが最も威力が出る。
だから、振り下ろした勢いを利用して逆側に持ち上げて構え最も威力がある位置で連続して振り下ろす攻めの剣術があるんだとか。実際にやってるプレイヤーは見たことがあったが、まさか竜の図体で見せられるとは。
神や悪魔が居るのだから、刀を持った竜が居ても不思議ではないかもしれない。しかし、なぁ。ああもう、あんなのが相手ならスーパーロボットが欲しいぜ。
「色々と信じられない光景だ」
喰らえばきっと、城さえも切り裂かれるに違いない。
どれだけ本気で森が欲しいんだ短い耳族<ニンゲン>め!
「もう一発くれてやれ。迎撃の隙をついて斬り込む」
『良かろう』
今度は剣ではなく巨大な槍が発射される。
魔法と俺の時間差攻撃。それを前にして竜は構わずに突っ込んでくる。
「――因果応報!」
瞬間、竜の纏う光に緑色の色彩が混じったかと思えば、魔法の槍が命中する寸前で跳ね返ってきた。
「いっ!?」
『反射魔法<カウンターマジック>じゃな』
何とか寸前で回避。冷静な分析をする悪魔に文句を言ってやろうとするも断念した。
既に俺はもう、竜の間合いに侵入していた。
『来るぞ!』
「――ッ!」
当然のように振り下ろされる大太刀。
攻撃を止めて回避に専念。体を右に傾けつつ加速して敵の左側面を抜ける。
すぐさま反転し、背中から強襲しようとした俺はしかし、それを実行に移せない。
「ぬぐ!?」
額で、いきなり何かが軽く弾けたような音が聞えた。
予期せぬ衝撃に一瞬動きが止まる。
『気を抜くでない! 今のは背中の奴だっ!』
「そういや背中にも居たな」
遠ざかる竜の背中に、弓を引いている騎士らしき人影がある。
幸い、イシュタロッテの障壁が抜かれることは無かったが油断した事実は消えない。
彼は黄色く光る魔力の矢を番えながら姿勢を戻す。
その勇敢な姿は、反転する黒銀の竜の体で隠れてしまう。
他の竜に鞍は見えなかった。
驚くべきことに彼は、たった一人であれだけの竜を率いているのだ。
「まるで英雄じゃないか」
周りの竜は一目散に崖上に向かって飛翔していく。
けれど彼だけは俺を阻むために一人だけ竜の背で弓を構えている。俺が何なのか分かっていてこれなのだ。これを英雄と呼ばずなんと呼ぶ。
「イシュタロッテ」
『なんだ』
「あの騎士を押さえたら、竜共がこっちの言うことを聞くと思うか?」
『……どうかのう。竜は総じて気位が高い。生半な相手では背にさえ乗せぬぞ』
だってのに、あの騎士は認められたというわけだ。
だったら尚更価値が有るような気がしないでもないが。
「とりあえず半殺しにして力でも示してみるか? まとめて捕虜にするとかさ」
『良い、良い判断ぞ!』
味方にできればいろいろと役に立つだろう。
ちょっとばかし欲張ってみようか。
翼をはためかせて上昇。
視界を確保してから雷となる。
「神鳴る剣神の太刀――」
認識が加速する。
世界がスローモーションへと移行する念神の知覚だが、それさえも置き去りにして空を奔る。
そうして、真っ先に崖の上へと向かっていた赤い竜の皮膜に切りつけて抜けていた。
鮮血が風に舞う。
勢いを殺しながら反転してみれば、後方から怨嗟のような咆哮が上がった。
すぐさま開かれた顎から、球形の火炎弾が飛んでくるが重力に捕まった体は、満足に狙うことを彼に許さない。
躱す必要もなく明後日の方向に飛んだそれを無視して顛末を見守れば、盛大な地響きを上げて落着。その衝撃に、赤い鱗を持つ竜が苦しげに呻く。
それでもギラギラとした視線で俺を睨みつけているのはさすがは竜、とでも言うべきか。
結構なダメージだったのだろう。起き上がれずにのたうっているが、引く気配は見せなかった。
「あいつらにも言葉は通じるんだよな?」
『ジーパングの奴ならすべからく通じるはずだの。召喚された魔物は知らぬがの』
まぁ、斬れることは分かった。
エルフ族に被害が出ないように気を使いながら、なんとかやってみるとしようか。
「うぬぅっ――」
ウォーレンハイトがたどり着く前に、エルフ族を狙おうとした足の速い竜が次々と大地に落ちていく。
翼を切られ、それでも戦線を離脱せずに飛翔する念神にブレスを浴びせる。
だが、その間隙を縫うように敵の念神は空を飛ぶ。
時折空を切り裂く眩い雷光。
直線的なそれは、しかし恐ろしく速い。
「速い上に小回りも効くんだね……」
「だが、避けさせないようにすることは可能だ」
顎を開く。
息を吸い込み、挑発するように魔力を集束。
崖上で矢を放ち始めたエルフ族へと、ロングレンジから狙いを定める。
「どうする念神。お前が防がねば仲間が丸焼きだぞ」
『ぬっ、でかいのが来るぞ!』
「あの角度は……崖狙いかっ――」
七匹目を叩き落した後の警告。
後ろに下がり、冷や汗交じりでどう防ぐか考えていると、リスベルクの偉そうな声が聞えてきた。
「ふははは!! 構わん、撃ちたければ撃たせてやれっ!」
「――だ、そうですよアッシュ」
神宿り状態で虚空に現れたアクレイが、長剣を抜きながら微笑する。
理由を聞こうとした次の瞬間、崖上から神気が膨れ上がるのを感知。思わず首をめぐらせる。視線の向こう、神気を纏った彼女が見えた。
「何をする気だ」
「とっておきですよ。さすがにああして手に持たなければ使えないでしょうから」
アレは二重の神宿り……か?
その上で、あいつの周囲に魔力が集束していくのが視える。
「まさかっ――」
「はい。失われたはずの魔法。精霊魔法です」
「ふははは! 懐かしいぞこの力――」
右手にジン、左手にディウンを握り締めたリスベルクが神気を増幅させながら不敵に笑う。選ぶのは風。故に刃を掲げそのまま詠唱。かつてのように願い乞う。
「大いなる風よ。古の盟約に従いて、いと小さき我の声を聞け――」
浪々と紡がれる言葉に従い、どこからともなく風が集う。
高空から落ち、川原から吹き込み、山間を抜けて流動する大気が彼女にかつてに酷似する威容を見せ付ける。
舞い上がる砂塵。
どよめくエルフ族の声を心地よく聞き流しながら、失われたはずの呪を紡ぐ。
「さぁ、我が旧き友よ。トカゲの吐息など自然の猛威で吹き散らすが良いわっ――」
迫り来る光に向かって、風精の刃を振り下ろす。
途端に巨大な竜巻が顕現した。
ウォーレンハイトが放った閃光の吐息<レーザーブレス>と巨大な竜巻がぶつかった。
「ぬぅ――」
敵陣を容赦なく飲み込むはずの灼熱が、大気に生じた螺旋によって阻まれる。
光を散らし、吹き散らすその威容は大自然の怒りを体現しているかのようだった。
騎乗していたトリアスは、その光景を口をあんぐりと開けて見守るしかない。
閃光が止む。
先に向かった竜たちでさえ、見入るほどの結果がそこにはあった。
「真逆、完全に塞がれるとは……」
その事実を前にして、トリアスは声を搾り出す。
「か、神の力って、ああいうことまでできてしまうものなの?」
両手で己の肩を抱くようにして、騎士は腕に奔る震えと戦った。
竜巻の消えた先から、寒気がするほどの畏れがなけなしの勇気を蝕んでいく。
「噂の精霊魔法か。長生きはするものだがさて、どうするトリアス」
「ウォー……レン?」
「何を呆けている。戦場で敵が予想以上の戦力を見せただけだろう」
予想戦力など机上の空論でしかなく、目の前に存在する事実だけが逃れようのない現実だ。当然、敵にも知恵があるなら切り札を持っていても不思議ではない。
優勢だろうが劣勢だろうが、力を貸しているだけの彼には今更の話しだった。
「戦うと決めたのは貴様で、糞みたいな命令と勤めのために死ぬと言ったのも貴様だ」
黒銀の竜が鼓舞するように咆哮する。
恐れを知らないのではない。
知っていてなお、自分の命の使い方を弁えているだけ。
「だが心せよ。貴様は命令で奴らの神に弓を引くことを選び、貴様の同胞は奴らのテリトリーを侵略することを選んだ。今この瞬間にも怨嗟は募り、怒りは拡大している。その果てに待つ未来など幾通りもない。因果は巡るぞ――」
暴れすぎた邪竜の前には竜殺しが現れる。
弱いが故に踏みにじられた者たちの中からは英雄が生まれる。
そして闘争を交わした者たちの中からは、復讐者が生まれて世に落ちる。
巡る摂理をただ享受して説きながら、彼は騎士の選択を待つ。
その間にも彼の仲間が落ちていく。
「一騎当千と呼ばれた仲間も、神に掛かれば半刻も持たぬか――」
風でなぎ払われ、剣で切られて次々と墜落していく様は最強種としてのプライドを傷つけて余りある。しかしそれが明確な戦力差だというのなら、もはや是非は無い。押し黙った騎士をそのままに、ウォーレンハイトが翼を大きく羽ばたかせ前進する。
「命令に変更が無いのなら、このまま――」
「ウォーレン」
「なんだ意気地なしめ」
「皆を、皆を引かせて。その代わり、君だけはギリギリまで付き合って欲しい」
「……良かろう。貴様の覚悟、拝ませてもらおうか」
黒銀の竜が一声吼える。
途端に竜たちが攻撃を止めて後退していく。
その際、落下した竜が忽然と姿を消したのが見えた。
「転移じゃないな?」
気配はある。
そのせいでイシュタロッテの捉えている感覚は連中の魔力を感知したままだ。
『良く見よ。魔法で人化しただけぞ』
そこに別の竜が降下し、地面から何かを掬うような仕草をしてから離れていった。
滝裏の洞窟を目指していた兵士たちがそれを見て足を止め、すぐさま後退する。
状況判断が早いことから、あらかじめ竜の行動に合わせるつもりだったのだろう。
「見ろ、竜は愚か人間たちまで下がり始めたぞ!」
「我等が神の力に臆したんだ!」
エルフ族の戦士たちが矢や石を放つのを止め、撤退していく人間たちを見て歓声を上げる。
竜と人間を追い払えたことで、彼らの士気はうなぎ上りのようだ。
「一時撤退して作戦を立て直す……か。これで諦めてくれればいいんだが……」
『いや、黒銀が来る! 避けろっ――』
「ちっ。撤退時間を稼ぐつもりか?」
ブレスの兆候。
それにあわせて翼を繰る。
一筋の光が迫り来る。
城壁を一撃で貫きそうな閃光だ。
上昇してかわせば、続いて魔法の矢<マジックアロー>が飛来してくる。
「弾けて!」
思ったよりも高い騎士の声を合図に、切り払おうとした矢が目の前で破裂。
より細かな矢となって周囲に散った。
威力は気にするべくもない程に弱い。
元にイシュタロッテの障壁で防ぎきっている。
だが――。
「キィエェェ!!」
その間に距離を詰めてきた巨体が真一文字に刃を振るった。
神気の残光に先んじて、白刃が空気ごと切り裂いていく。
上昇し、その斬撃の上を飛び越えて回避した俺は竜騎士を狙おうかと考えるも、決断を出すよりも先に次の一撃が迫ったことで断念した。
竜の体は止まらない。
なぎ払いの勢いをそのまま利用して体を旋回。
その間隙の中で、ちらりと騎士が鞍を必死に抑えているのが見える。
余所見をしたのがいけなかった。
次の瞬間、眼前に長大な翼が襲い掛かってきていた。
壁のように迫る翼撃。大きく広がった人外の器官を用いた一撃は、とてつもない攻撃面積を誇っていた。
それは、視えていても躱すことができない一撃だった。
距離を詰めようとしていた翼を羽ばたかせて逃げようにも、そんな暇は既に無い。
「ええいっ――」
咄嗟に両手の剣を壁に向かって振り下ろす。
衝突。
力負けした俺の体が、車に撥ねられたかのような勢いで宙を舞う。
「ぐっ――」
気分はまるでスーパーボールだった。
撥ね飛ばされて錐揉みする体は、当たり前のように重力に捕まって渓流へと落ちていく。
ごっそりと削られたHPは、今まで相対したどの神宿りのそれをも上回っていた。
『アッシュ!』
「大丈夫だ」
心配する悪魔に答え、翼を意識。
川に落着する前に体を引き起こす。
「な、なんだ!?」
「エルフの神だ!」
「いや、あの翼を見ろ。エルフ共は悪魔と手を組みやがったのか!?」
右手の山道から、撤退中の兵士たちが驚愕の視線を向けてくるのを無視。
ビリビリと震えるような両手を堪えて追撃してくる竜を視界に納める。
小さく左翼に裂傷がある。そこから出血が見えるが、ダメージは大したことはなさそうだ。ものともせずに羽ばたく翼を見れば、他の竜とは格段に能力が違うことが伺える。
「冗談じゃない。竜と空中戦ができるのは廃神連中だけなんだぞ」
悪態を吐き、高度を合わせるように上昇。
その間にも、大きく息を吸い込む竜がブレスを連射。
今度は巨大な炎弾を連続で放ってくる。
「芸達者なや――」
鼓膜が破れそうな爆音。
弾道を予測してかわした炎弾が、光の矢に撃ちぬかれて至近距離で炸裂したのだ。
伝播した衝撃と熱波が、連続して襲いかかってくる。
「ッ――」
更に大気に生じた粉塵が視界を奪う中で、イシュタロッテの感覚が大魔力の接近を捉える。
急加速。
左に滑るように避けた場所を、煙ごと切り裂いて抜ける袈裟斬り。その軌跡が、無限大の文字をなぞるように再び持ち上げられる。
竜と目が合う。
ギョロリと見開いた竜眼は、タダひたすらに殺意だけを湛えている。
今度は右に飛翔。襲い来るは逆袈裟の一撃。それはクロスするように粉塵が切り裂いて、生じた風圧で更に飛散させてのけた。
「ざけるなっ、刀で鳥が切れるかよっ!」
三度構えられる大太刀は、袈裟の位置へ。
俺はサイズ差を利用し、左右に飛翔して斬撃をやり過ごす。
「武具を撃たずに最速で奴を囲むように配置してくれ!」
『なに?』
「急げ!」
逃げ回れば早々にやられるとは思わない。
サイズ差から来る運動性能は確実に俺のほうが上なのだ。
だが、その現実を覆そうと竜の眼は確実に俺の姿を追っている。
気のせいだと信じたいが、こいつはまさかタイミングを合わせて来ているのか?
五度目の銀閃。
二メートルも無い位置を、剛剣がすり抜けていった。
安全マージンが少しずつ死んでいく。
六度目は更に近い。
『ええい、これでどうだ!』
息を吐く暇もない猛攻の中、悪魔が空に武器を展開する。
七度目の斬撃を紙一重で避け、竜の右足に展開されたその一つを視認。
タケミカヅチのスキルで剣の結界から一気に離脱する。
俺に切り砕かれた魔力剣が塵に還る中、すぐさま次の武器に視線を向けながら飛翔する。
「ぬっ――」
竜が姿を見失い、虚空で旋回軌道に入る。
そこへ翼とスキルで翻弄しながら右足を切りつけて抜けた。
他の竜と比べて思ったよりも手ごたえが浅い。
神宿りによる能力補正だ。魔法障壁と鱗が、予想以上の防御力を持っていやがる。
「ええいちょこまかとっ――」
「ウォーレン、宙返りっ!」
裂傷に怯まず、竜が騎士の言葉で頭から背後へと上昇。
虚空の武器など意に返さず、鈍重そうな体でアクロバティックな動きを見せる。
「航空力学とかその辺り本当にどうなってんだファンタジー生物っ!?」
追い縋ろうとするも、そこへ天地上下の姿勢の騎士から光の矢が連続して飛んでくる。
「ホーミング・ボウ!」
驚いたことに、それには追尾機能があった。
威力は大したしたことは無いとなんとなく分かる。
だが、執拗に俺の眼元を狙って飛来してくるのは堪らない。
「く、このっ――」
反射的に切り払う間に、竜が宙返りを終えて見下ろすコースを辿っていた。
また袈裟斬りかと思いきや、先に真下から尻尾が跳ね上がって来る未来が視える。
配置された魔力武器を狙い、スキルで離脱。
紫電となって効果範囲から脱げ伸びるも、そこへ一瞬遅れて火炎弾が飛んでくる。
再び爆音。
光の矢がそれらを打ち抜いて至近距離で破裂させてくる。
爆音、衝撃、熱波に粉塵。
聴覚と視界を襲う猛攻の後には、やはり体勢を整えた剣戟が来るのだろう。
『うぬぅ。すっかりペースを握られておるな』
「生憎と俺は、あんな巨大怪獣と空で戦うのは初めてでなっ――」
シルフの召喚を解除。
MPに少し余裕を持たせながら、その後に予測される展開を嫌って一端後退する。
粉塵を抜け、距離を縮めようと詰めて来る彼らから遠ざかりながら旋回。
ブレスと矢から逃げながら周囲の様子を確認する。
「人間は引いたな?」
『そのようだの』
「なのに、こいつだけは引く気が無いってのはどういうことだ」
奴らだって気づいているはずだ。
なのに、下がる気配がまるでない。
『撤退の支援ならもう十分よな。となれば、この戦いで戦の趨勢を決めたいのだろう』
イシュタロッテが推測する。
『確かにこやつらが連中の切り札の一つには違いあるまい。だからお主に勝てば望みが繋げられる。じゃが、負ければ軍が引く理由にもなろう。ラグーンズ・ウォー前ならば、大抵は神を倒すか倒されるかした段階でほとんど決着が着いておった』
「そんな馬鹿な」
『だいたいだな、奴を撃破した後にエルフがこれ以上森を出て連中を追撃すると思うか?』
「それは……まぁ、ありえないだろうな」
追い返したらそれ以上は望むまい。
元より領土的野心などエルフ族には無い。
森に引きこもることで自らを守ってきた種族だ。
森でほとんど完結できるが故に、外に何かを求める欲がない。
軍議でだって、攻める話など一度も俺は聞いたことがなかった。
『加えて奴らの首をお主が取ってみろ。強大な敵の首級を挙げたともなれば、ある程度エルフ側の溜飲も下がろう。決着を着けるだけで最低限の被害で済むとでも考えれば……引けぬかもな』
「……引いて大勢を立て直せばいいだろうが」
『それをすれば執拗に戦いを繰り返すぞ。長引けばどうなる。エルフ族も守るだけでは駄目だと気づくだろう。そうなったとき、お主が打って出ると考えればほれ。引けるか?』
しかし、だからって踏みとどまるか普通?
「クルスの援軍を待てば良いだろ。ここで性急になる必要なんてどこにある」
爆音。
しつこく迫る光の矢を切り払い、上昇軌道へ。
そのまま太陽の位置を確認。
その方角へと飛翔して上を取る。
『リスバイフはクルスを完全には信じておらぬ。それは連中を待たなかったことからも伺えるじゃろ』
理路整然と紡がれる言葉には、それなりの説得力があった。
同時に湧き上がってくるのはやるせなさと微かな怒りだ。
『しかもお主は念神だ。復活すると理解しているなら、奴らは戦えば戦う度に失うだけだ。竜を凌駕する戦闘能力は証明した。あの騎士の顔を見よ。大した魔力も持ってない癖に魔法を乱発し、決死の覚悟で今できることをしておるではないか。一矢に込められた覚悟の重さ。お主には分からぬか?』
魔法の矢を弓に番え、緑髪の騎士が魔弾を次々と撃ち放ってくる。
魔力の残量など気にしないその騎士は、遠目には肩で息をしているように見えた。
それでも彼は止めない。
弦を引き、弓を構えてひたすらに引き絞る。
『そろそろ楽にしてやれ。魔力欠乏は存外に苦しいのだ』
なんだろう。
ただのこいつの予測だってのに、聞いてたらイライラしてきたぞ。
攻めてきた癖に、潔く死んでそれでチャラにしようって考えてるならふざけるなだ。
こうなったら是が非でも捕虜にして後悔させてやる。
「――半殺しで行くぞ。イシュタロッテ!」
『応っ――』
タケミカヅチを仕舞い、腕輪から長剣へと変化したイシュタロッテを右手で掲げる。
ウィスプの召喚もカットし、残りのMPを取り込んで悪魔が刀身に黒炎を呼んだ。
立ち上る黒の魔炎。
それを見ても逃げずに攻撃を仕掛けてくる黒銀の竜に向かって、俺は太陽を背に体を反転。一気に急降下を開始する。
それを迎え撃つべく、大太刀が構えられる。
何度も見せられたお得意の袈裟斬りだ。
更に大きく開く顎からは魔法陣が展開されていて、背中の鞍からも騎士の矢が吹き荒れる。見上げることで太陽で目を晦ませているだろうに、それでも彼らは抗うことを止めない。その意思を断つにはもう、分かりやすい結果を刻むしかないのだろう。
「――」
認識が加速する。
更に起動している悪魔の眼が、瞬きの度に結末を一手ずつ予測。
右手の長剣は掲げたまま、飛来する光の矢を左手のレヴァンテインで斬り弾く。
互いの接近で見る間に距離が縮まるその中、遂に閃光の吐息<レーザーブレス>が発射される。
――強烈な光の奔流。
着弾する恐怖を押し殺し、閃光とすれ違う。
全ては一瞬。
光が止むその瞬間に翼をはためかせて回転<ロール>。
それを竜の眼は見逃さない。
「キィエェェェ!!」
一瞬の交差。
ついに白刃が鎧を掠め、悪魔の翼の左翼が空に舞う。
だが抜けた。
片翼になった俺の体が惰性に従って竜の頭上を抜けた。
そのまま背中を抜けるコースを辿っている中で、残った右の翼で無理矢理に再加速。
バランスを崩しそうになるのを力ずくでねじ伏せて、掲げた右手を巨大な背中へと振り下ろす。
「いっけぇぇぇ!!」
魔炎の刃が眼前の魔力障壁を引き裂き、その下の鱗も両断。
背中から一直線に竜の体に裂傷を刻んで落ちていく。
「――」
途中、横をすれ違った騎士の中性的な顔が恐怖に染まるのが見えた。
肉を焼き、骨を断つ剣が抜ける。
三秒にも満たない交差が終る。
「翼、再展開できるなっ!?」
『ええい、もっとスマートにやれんのか!』
ちぎれて消えた左翼の代わりに、新しい翼を再構成。
落下速度を抑えながら振り返り、激痛に身を捩らせているだろう竜が居る空を見上げる。
竜の体が傾いでいた。
浮力を失い、血を流しながら失速。当然のように重力に捕まって落ちてくる。
竜は必死に翼を繰ろうとしているが、満足に羽ばたけるような素振りを見せない。
それでも、翼を広げて胴体着陸を試みるのは上に乗った騎士のためか。
飛ぶのに邪魔になった大太刀が手放されて川原に突き刺さり、それに遅れるようにして川を塞ぐような形で竜が墜落。その巨体で川辺を盛大に削って止まった。
「やっと大人しくなったな」
俺は飛翔し、誰よりも早く竜の背中へと飛び乗った。
着陸の衝撃が強すぎたのか、鞍の上の騎士はピクリともしない。
ただただ放心したように動かない。
が、俺が背後から近づくとバッと振り返って弓を構えようとした。
「動くな」
射られるよりも早くレヴァンテインを喉元に付きつける。
「ううっ――」
十代半ばぐらいだろうか。
前髪を上げれば、中性的だが可愛らしい顔立ちをしていた。
着ている鎧のせいで気づけなかったようだ。
落下防止のためか、全身をロープで鞍に括りつけたその女性騎士は唇を引き結んだまま動かない。
「レベル34か。そりゃ、射撃の威力が大したことないわけだ」
「ど、どうしてレベルが」
「おい竜、まだ生きてるな?」
質問には答えず、大声を張り上げて問う。
死んで居ないのは体が消えていないことからみても明らかだ。
「……何用だ。死に底無いを笑いに来たか」
「そんな下らない理由なわけがあるか。アンタらはアフラー並に鬱陶しかったんだぞ」
むしろ、対軍戦力としてはこいつの方が上じゃあないかとさえ思う。
人型と怪獣ではそれぐらいに破壊力に差がある。
「……フハハハ! よりにもよって念神と比べられるとは光栄だ」
痛みに悶えながら、竜が痛快そうに笑った。
抵抗されても鬱陶しいので、女性騎士の武装を解除しロープで拘束して担ぎ上げて竜の顔に飛び、交渉を試みる。
「取引しようぜ。あんたら竜は傭兵なんだろう。だったらまとめて俺に雇われろ」
「……その娘をどうする」
「とりあえずは捕虜だ。それ以降はまぁ、仲間と合流して決めるが――どうする? 今なら傷を治してやれるぞ」
黒銀の竜は唸るも、苦しげに頷いた。
「人質を丁重に扱ってくれるならば」
「良いだろう。余計なことをしないならばな」
『ぬふふ。騎乗竜がいい! こやつは妾たち専用の騎乗竜にしようぞ! 偉い悪魔は立派な竜に乗らねばならぬもの。悪魔の間では奴らを駆るのがステータスなのだ!』
はしゃぐイシュタロッテ。
耳元に響くような念話に顔を顰めながら、俺は彼の傷を癒すべくウィスプを呼んだ。
「これでリスバイフが諦めてくれると助かるんだが……」
前哨戦は一先ずこちらの勝ちだがさて、どうなるか。
これ以上の隠し玉が無いことを切に願うばかりである。