第六十二・五話「未来語り」
擬似物質化された魔力の武器が、術者の意思をもって飛来してくる。
それらの展開から射出までの間隙は、数秒も無い。味方であれば頼もしい悪魔の力も、敵に回せば恐ろしい武器に早変わりするようだ。
「ちゃんと手加減してるんだろうな!」
高速で襲い掛かってくるそれから逃れるべく、俺は必死に地を蹴った。
弾丸のように加速する体は、しかし当然のように武器を振り切れない。
仕方なく右手の魔剣と左手の聖剣で叩き落としながら疾走。しかし、武器たちはまるで意志を持つ猟犬のような軌道で俺を追って来る。
「くぉらぁぁぁ!! 逃げてばかりでは訓練にならんわ!」
「そういう問題じゃねぇぇぇっ!」
遮二無二逃げの一手を打つ俺を叱咤するリスベルクに言い捨て、更に加速。
そのまま右に左に蛇行しながら遮蔽物の多い森の中へと逃げ込んでみる。
と、邪魔な木々を避け損ねたイシュタロッテの武器魔法<ウェポンバレット>が、周囲の木々を次々と粉砕した。
砕け散る木々の枝とその破片。
その威力を考えれば、普通の人間なら十分に殺傷できることは明らかだ。
「対魔法戦の実戦経験を積めって言ったって、これはやりすぎだろ。ちゃんと手加減できてるんだろうな!?」
目下に迫るリストル教の天使系の神宿り戦を想定し、悪魔に訓練を付けさせるというのは悪くない発想だと思う。
ついでに、複数の神宿りとの戦いを考えて一対二での訓練もまぁいいだろう。
しかしイシュタロッテ抜きってことはだ。魔力の励起さえ俺は感知できないのである。
「ちくしょう。アクレイの奴、こうなることが分かってやがったな」
俺をリスベルクの護衛にするだけじゃない。あいつに俺を鍛えさせる意図もあったんじゃないか?
何がお楽しみだ。
訓練はありがたいが、別段楽しいなんて思えないっての。意味があることは理解できるがどうにも釈然としないぜ。
盾にした大木の幹から、様子を伺うように顔を出そうとしたその瞬間。鎧の肩付近に何かが当たった音がした。
「げっ――」
イシュタロッテの魔法ではない。
見下ろせば、地面に落ちた矢が見えた。
「この距離で当ててくるのか」
間違いなくリスベルクだろうが、正直ゾッとしないぜ。
普通の弓矢の有効射程なんて俺は知らないが、百メートル以上は離れていると思う。
だがあいつはハイエルフ。
長距離狙撃が可能な魔法の弓を持っていても不思議ではない。
「――上等だ」
そっちがその気ならと、負けん気を発揮してみる。
遥か彼方に小さく見える二つの人影を見据え、両手の剣を地面に刺すとアルテミスの弓を取リ出す。
鏃のある矢は怖いから、弓使いが訓練用にお世話になっているゴム付きの矢でいいか。
構え、『嘆きの必中矢』をぶっ放そうと構えたその次の瞬間である。
何かが飛来してきたと思えば、番えた矢に矢が突き刺さって俺の右手から消え失せた。
「――は?」
俺は恐る恐る、取り落とした矢に視線を向ける。
やはり、どこからどうみても矢の先端に矢が突き刺さっているようにしか見えない。
「弓は百発百中で剣の達人って伝承があるんだったか……」
もはや人間を辞めている技量だと思うが、人類じゃない上に念神だからアリなんだろう。
精霊魔法が使えないせいで戦闘能力が大幅に低下しているとか自嘲していた癖に、こんなのは詐欺じゃないのか。
「……あいつ、マジでハイエルフだったんだな」
よく吼える偉そうな奴だって印象が強すぎて忘れそうになるが、エルフ族の始祖神だったのである。そんな奴と同じ土俵で戦うとかありえない。
元より、遠距離戦なんて俺の得意レンジではないのだ。
思い出せ。
こういう時、俺はゲーム時代にどうやって戦った。
「……ってダメじゃん。器用な戦いなんてあの頃からしてないぞ」
聖剣を鞘に仕舞い、左手にオリハルコン製の大型の盾――タワーシールドを展開。
レヴァンテインも仕舞い、ついでに右手にも同じタワーシールドを装備する。
まぁ、なんだ。
結局、戦法など早々に変わるはずもないのである。なので、俺はいつものようにごり押すことにした。精霊さんはまた今度試そう。せっかくだし、これが通じるか試しておくのも悪く無いはず。
「――廃エルフ。突貫するぜ」
作戦を決めた俺は、木々の守りを捨て暴走列車気分で二人の元へ取って返した。
放たれる矢とウェポンバレットを盾で防ぎ、力任せに突破してひたすらに前へと駆け抜ける。
ほとんど全弾命中だが知らん。
殺す気でもないなら耐えられるはずだと信じて前に進む。
近距離なら活路があるはずなのだ。
すると、俺の壮絶な覚悟を見た二人が絶叫した。
「「アホか貴様(お主)!?」」
心外である。
俺なりの勝算があっての選択であり、事実距離を詰めることに成功している。
「――馬鹿め、俺が何時頭を使って戦うなんて錯覚した?」
盾で体当たりを敢行。
二人がそれぞれに地面を蹴って逃れる。
だが、ようやく俺の距離に戻ってきた。
振り返り、すぐさま盾を構える。
「……魔法と矢を突破して近距離に潜り込んだ事実は認めるがな」
「その後はお主、一体それでどうするつもりだったのだ?」
レイピアを抜いたリスベルクと、長剣サイズの鉈のような剣を手にしたイシュタロッテが左右から同時に仕掛けてくる。
「勿論、適当にどうにかするのさ――」
突きと斬撃。
二種類のその両方を盾で受け止め、すぐさま膂力で押し返す。
二人ともがすぐに離れる。そのままそれぞれ左右から時間差で攻め込んでくるので、盾で防ぎながら蹴りやシールドバッシュやシールドスマイトで対応する。
「あくまで力押しで来るかっ!」
高速で踏み込んでレイピアを突き、すぐさま離れ足で俺をかく乱してくるリスベルク。
それに気を取られている間に、イシュタロッテが左手に新しい武器を展開。間合いの外から振り上げる。
「嬢ちゃん下がれ!」
「むっ?」
「ワイヤーに繋がった刃……蛇腹剣かっ!?」
それは、幾つもの刃を鋼線で繋いだ武器だった。その見た目から蛇腹剣とか連接剣とか呼ばれるが、ああいうのは基本イロモノ武器であり邪道だ。実際にはその重量と変則さ故に相当に使い難いはずなのだが、あいつは悪魔。苦も無く自在に操って見せる。
「伸びよ!」
鋼で出来た蛇が空を泳ぐ。
咄嗟に盾を掲げて防ぐも、長すぎる先端が折れ曲がり、その先が背中から俺を強打した。
「ちょ、今の鎧着てないとやばかったぞ!」
「その程度で死ぬほど柔ではあるまいて。そら、ドンドン行くぞっ!」
刃の重量と鋼線の重量で重いはずのそれを、まるで鞭のように振り回すイシュタロッテ。それにあわせてウェポンバレットを展開。間合いを抑えたまま、中距離戦を仕掛けてくる。
「くくく。ならば私も合わせてやろう」
レイピアの刃を銜え、リスベルクが再びどこからか弓を取り出して構える。俺のインベントリとは違うようだが、彼女もまた魔法の武具を持っている。なるほど、これがハイエルフか。
訓練の難易度が上がっていく。
弾幕のウェポンバレットの最中を突っ込んでくる弓矢の猛撃を超えれば、蛇腹剣とレイピアで距離を取られる。
あまり仲が良さそうではない二人だったが、中々どうして連携してくる。
近距離に潜り込もうとする俺と、距離をキープしながらこちらを削るように戦う二人にどんどんと熱が入る。
それはいいと思う。
だが解せぬ。
「おい、これもう訓練の域を超えてるんじゃないか?」
「貴様はどうも身体能力に依存している。そういう奴はどれだけ経験を積むかで変わってくるのだ。そら、泣き言を言う前に攻めて来い!」
熱血教官リスベルクの方針は、とにかく魔法戦闘に慣れろということらしい。徐々に無駄口を叩く余裕さえなくなっていく。そのまま俺は、訓練に没頭した。
「はふぅぅ」
やはり風呂は良い。
ここ数日、リスベルクが戦闘訓練を課して来る。
気持ちは分からないでもないが、なんだか焦っている用にも見えていただけない。
「まったく、近衛のガードがきつ過ぎるぞ……」
今も汗を流すのを忘れてブツブツと考え込んでいる様子だ。
イシュタロッテなどはいつもどおりに浴槽に飛び込んでプカプカと浮いている。武器娘さんたちは無邪気なものだが、こいつは単純にフリーダムなだけだな。
が、そんな悪魔も今日に限っては行動を変えたらしい。
奴はおもむろに湯船から出ると、リスベルクの背後に回りこんで後ろから円周率をムギュッと鷲掴む。
「な、ななななんだ!?」
堪らずにリスベルクが悲鳴を上げるが、悪魔は悪戯を止めない。
「やっとハイエルフの感触も堪能できたわ。この拠点の乳を制圧する日も近いのう」
「ええい、離れんか馬鹿者!」
「ぬふふ。良いのか妾にそんな口を利いて」
何やらこのセクハロッテ強気である。
「そこで何故、前に出られるんだお前は」
「弱みを手に入れた悪魔は負けぬものなのだ」
「この、いつ私が貴様にそんなものを見せたっ!」
俺も初耳だ。
大抵側に居た俺が知らないのはおかしいと思うのだが。
「アクレイから聞いたぞ。嬢ちゃんが出生率を上げるための魔法を持つアーティファクトを探していると。さすがにアーティファクト状態で行使させるのは普通には無理だがの、今のこのプリティーな姿なら余裕なのだ」
「な、に――」
抵抗を止め、蹂躙される円周率を放置して振り返るリスベルク。
「いや待て。やはりおかしいではないか。悪魔がなんだってそんな力を持っている」
そこで俺はふと思い出した。
「そういえばお前、元は種まきとか繁殖を司る女神でもあったんだったか」
「うむ。じゃから妾はそういうのもカバーしとるんじゃよ」
「も、持ち主に似てデタラメな奴。だが――ふはははは。見直したぞ!!」
胸を揉まれながら高笑いされても困るが、本人が良いなら良いのだろう。
長年悩まされていた問題を解決できる奴が目の前に居るんだしな。
「ぬふふ。しかし勘違いしてもらっては困るのう」
「むっ?」
「妾はアッシュの相棒であって、ハイエルフの嬢ちゃんの相棒ではないのだ」
チラリ、である。
「何故そこで俺に視線を向けやがるのか」
「くっ、手を貸してやるから、私のアッシュへの狼藉を見逃せということか!」
「……いつから俺がお前のになった」
「前の時の風呂でだ。ちなみに、私はお前のものだ。だ、だから背中ぐらいなら流してやらんでもないぞっ」
フフンと胸を張るハイエルフ様である。
まるで喜べ、とでも言うようなご様子だ。
それはそれで嬉しくはあるのだが、一緒に風呂に入っている時点で今更のような気がするぜ。
「それなら妾はアッシュに頼むのう。無論――素手でな」
「な、んだと? ききき貴様は正気なのか!?」
何やら衝撃を受けたらしいリスベルクが仰け反り、顔を真っ赤にさせたまま俺とイシュタロッテに交互に視線を送ってくる。
「愛剣の手入れぐらいしっかりとやってもらわねば困る。いつもやっておることじゃよ」
「い、いつも……」
「なにデタラメを吹き込んでやがる」
手入れする時は修復スキルしか使っていないぞ。
「じゃが興味はあるじゃろ」
「――何事も経験だ。男なら冒険しなくてどうする」
「冒険……」
「そう、冒険なのだ。色々とやってみなければ分からんこともあろう」
イシュタロッテは再び湯船に飛び込む。
結局、奴の望みが何かは分からず仕舞いだ。
正直、アクレイを筆頭に何を考えているか分からない奴が俺の周りには多くて困る。
「アッシュよ。ハイエルフの嬢ちゃんは甘やかすのは慣れていても、甘え方がまるで分かっておらぬ。お主がちゃんとリードしてやれい」
「なんだよ。その上から目線の忠告は」
「妾はこう見えて大人じゃからの」
「大人ねぇ。まぁ、なんだリスベルク。もっと肩の力を抜けって。ここは風呂だぞ」
浴槽から出て、桶に湯を汲むと背中にぶっかける。
「えーと、タオルはインベントリの奴でいいか。ほれ、背中向けろ」
「な、流したいというなら、す、好きにしろ」
というわけで、背中を流すことにした。
「いつの間にか俺の背中がエロ悪魔に取られているわけだが」
「気にするでない。これも冒険ぞ」
リスベルクを先頭に、俺、イシュタロッテの順で背中を洗い合っている。
この状況を一言で言うなら、変の一言だろう。
ずっと前に念神同士は対立するとか何とか聞いた記憶がある気がするのだが、ここじゃあ対立のたの字も見当たらない。やはり風呂には争いを鎮める魔力があるのだろう。
「本当、リスベルクは肌が綺麗だな」
「当然だ。私はエルフ族の神なのだぞ」
「それ、関係があるのか?」
ウェーブの髪を纏めてアップにしたリスベルクは、自信満々な様子で頷く。
「にしても、なんだかお前最近変わったな」
「そうか? 変わった気など無いがな」
「いやいや。前はもっとこう、ケーニス姫みたいに凛々しい感じだったぞ」
偉そうな所や自信家っぽいところは相変わらず変わらないが、急激に丸くなった感じだ。
切っ掛けは……この前の一件からか?
「ふん。貴様の前でまで強がる必要はあるまい」
「そんなもんか」
「前にも言ったが、私と対等に在れるエルフ族は貴様だけなのだ」
だから外面は必要ないってか。
そういうことなら割りと嬉しい。気を許してくれるようになっているということだろうし。
「筋金入りの外面だったろうて。かなり丸くなって見えるの」
「……まるで昔の私のことを知っているような口ぶりだな」
「知っておるとも。妾はアーク・シュヴァイカーの愛剣だったのだぞ」
「ああ、それで知り合いなのか」
「私はこんな破廉恥な奴など知らんわ。しかし……」
掠れるように空気に溶けて消える言葉の先で、こいつが何を思っているのかなんて当然のように分からない。が、こういう時は決まってイラっとするんだ。
だって俺は、昔のこいつなんて知らないのだから。
「なんだ、リスベルクもイシュタロッテと同じでそのアーク何たらが好きだったのか?」
無様な話だ。今、確実に俺は死んだ奴に妬いた。言ってからすぐに後悔したが、もう遅いな。振り返られなくて良かったぜ。きっと、愉快な顔はしてなかったはずだし。
「たわけ。あいつにそんな感情を抱けるわけがないと知っているだろうが」
「嬢ちゃんにとっては目をかけていた子供みたいなものだろうて」
子供ねぇ。
こいつの感覚は特殊すぎて想像しかできないんだが、難儀なことだな。
「あいつははぐれエルフの中で一番私を心配させた奴だったよ」
「……ふーん」
「聞くのを忘れていたな。おい悪魔。あいつは何故死んだ」
「突発的に人間の子供を助けようとしてのう、それでな」
「……犯人はどうした」
「テイハ嬢ちゃんが滅殺し尽くした。だからリストル教はあそこまで弱体化したのだ」
「それはまた、連中も災難だな」
「じゃが、アッシュは戻ってきおったぞ」
「はぁ?」
「ほれ、お前さんの背中を流しておるじゃろう。転生して帰って来おったのだ」
無言で振り返ったリスベルクが、何ともいえない顔で俺を凝視する。
あ、またムカムカしてきた。
「……言っておくが、俺にそんな自覚はないぞ。後、俺とそいつを混同するなよ」
「くははははは! そうか、悪魔がそう言うならそうなのだな!!」
「信じるのかよこんな与太話」
解せないぜ。
何故どいつもこいつも疑わぬ。
「くくく。悪魔はヒトの魂を狙うと聞いている。ならば、そういうことなのだろう?」
「察しがよくて助かるのう」
「ならあの約束は貴様に叶えて貰わねばな」
だから、混同するなっての。
「約束ってなんだ」
「森の外を案内してくれるそうでな」
「それだけなのか?」
「たったそれだけのことに聞えるかも知れぬがな。私はこの森に居てなんぼの神だぞ」
連れ出したら不味いのだろうか?
分からない。
そんな話は聞いたことも無いのだが。
「確かに、あやつでなければおいそれとは言えぬじゃろうのう」
「普通のエルフ族ならその発想が出てこんわ」
「別にそれぐらいなら構わないぜ」
諸事情で森の周りの国は大体歩いているからな。
そうだな。
暇が出来たらナターシャも連れて旅行に行くのも良いかもしれない。
観光地なんて知らないが。
「それで、貴様はいつまで私の背中を流している気だ」
「おおっ、なんとなく続けていたな」
桶に湯を汲んで背中を流す。
すると、振り返ったリスベルクが「ごほん」とわざとらしく咳き込んだかと思えば、顎をしゃくった。
「あいよ」
木の椅子の上で反転。背中をリスベルクに向ける。
「で、今度はお前か」
「妾は素手で構わんぞ。勿論、前から洗ってくれても構わぬ」
「お前はいい加減恥じらいを覚えろ」
悪魔の背にも湯をかけ、タオルで擦る。
これ以上無いぐらいにピカピカだが、まぁ、こんなのも偶には悪くはない。
背中では、濡れた布が優しく撫でるように上下している。
暫く無言で続けていると、急にイシュタロッテが翼を生やした。
「これも優しく頼むぞ」
「洗う意味があるのか?」
「気分の問題じゃのう」
まぁ、いいけど。
「いくぞ」
「うむ。……くっ……あっ……んん……んあんっ――」
蝙蝠のような黒翼が、タオル越しに触れる度にビクッビクッと震える。
かと思えば、何かを押し殺すかのような艶やかなソプラノが風呂場に上がった。
「おい、さすがに悪ふざけが過ぎるぞ」
ゴシゴシ。
「そ、そこは、んん、らめぇぇっ……」
分かっているのかいないのか、イシュタロッテは更に調子に乗ってくる。
全身全霊で悪ふざけをしているといった有様だ。
恐るべきことに、この悪魔には羞恥心など無いらしい。
「何をしているんだ貴様らはっ!?」
「ううっ、アッシュが執拗に妾の敏感なところを……ひぅっ。ま、またぁぁぁ」
翼の付け根を擦ってやると、性懲りも無く胡散臭い声を上げやがった。
「ふんっ!」
「痛っ!?」
おかげで背中のタオルの動きが激しくなった。
まるでヤスリがけされている木材な気分だぜ。
「お、おい。削る勢いで上下させるのはやめろって。悪魔の冗談だぞっ」
「一緒になって遊んでいるのは貴様だろうがっ! 楽しいのか? 私には何もしなかったくせに、悪魔に破廉恥な声を上げさせるのがそんなに楽しいのか貴様はっ!!」
「はぁ!? ちょっ、痛い、痛いってマジで!!」
「ら、らぁめぇぇぇっ……ぬふ、ぬふふふ」
再度浴槽へ。
妙に背中がヒリヒリする気がするが、元凶は楽しそうにまたプカプカと浮いている。
悪魔は水に沈まないのかと、思わず勘違いしそうになる光景だ。
「からかうと本当にハイエルフの嬢ちゃんは面白いのう」
「まったく、お前たちは悪ふざけが過ぎる」
「その悪ふざけを真に受けるお前は何なんだってばよ」
「私もそれぐらい適当に生きてみたいものだ」
理解というよりは諦めたような顔で、リスベルクはため息まで吐いた。
少し前までの重さは感じられないので、背中を代償にした程度の元は取れたようだ。
が、そう思ったのは一瞬だった。
またすぐに重苦しい顔に戻ったかと思えば、俺の左肩を取ってもたれかかってくる。
「……契約を破棄したくなったらいつでも言え」
「はぁ?」
「任せろと大口を叩いたが、どうにも見通しが暗くなってきた」
まさかここで泣き言とは。
さすがに、俺もいきなりすぎて一瞬言葉を失いかけた。
「この森に居るダークエルフの数が、思っていた以上に少ない」
「……」
「その上でクルスがあの様だ。アヴァロニアは言うに及ばず、ビストルギグズも不穏だという。この先は、間違いなく厳しいものになるだろう。ならその皺寄せは誰に向かう。誰に押し付けられる?」
「そりゃお前だろ」
「違う、貴様だ」
足りない分は、余力が有る奴から搾り取るしかないとでも言いたいのだろうか。
分からないでもない理屈だし、敢えてすっ呆けたのに念を置く意味が分からん。
「私が最後に貴様に押し付けることになる」
「そりゃまた、お互いに面白くない話だな」
安住の地どころじゃあないな。
それじゃあ反対方向へまっしぐらだ。
「現状、私だけでは力が足りん。だからお前に縋るしかない。これは事実だ」
「だったらやっぱり皺寄せはお前に行くんじゃないか。俺を利用するためにハイエルフ様は立ち回らなければいけないって、自分で言ってるじゃねーか」
何を今更な話しをしているんだこいつは。
どうでも良すぎて欠伸が出ちまうよ。
くそっ、なんだか腹が立ってきたぞ。
「そんな下らない話がしたいのか? 冗談じゃないぞリスベルク」
「……」
「ここに居る大馬鹿野郎はな、貰うものを貰うためにここに居るんだ。今更泣き言なんて許すものか。まぁ、愚痴ぐらいなら聞いてやるけど」
こいつとの契約はそういうものだ。
面倒くさいことになるって分かってても、それでもここで押し切られちまったんだ。
なのに今更、ちょっと旗色が悪いからって、破棄したくなったらこちらから言えと来た。
せめて自分から打ち切るとでも言うならこっちだって出て行ってやるのに、そうじゃないってのは狡いだろうが。
「全部何もかも上手くいくなんて最初から考えてないさ。けどな、最後に欲しいものが手に入れられるんなら、途中経過なんて俺はもうどうでもいい」
だいたい、このままだと働き損じゃないか。俺はタダ働きなんて嫌だ。見返りは絶対に貰う。無いなら用意できるまで馬車馬の如く働いてもらう。
何でもくれてやるとか、神の孤独を癒せとか散々言っておいて途中リタイアなんてふざけるな、だ。
「でなきゃ、もうその気になっちまってた俺が馬鹿みたいだろうが」
イライラするので、そのまま軽く頭突き見舞ってやる。
「天誅!」
「ぬわっ」
驚いた顔のリスベルクが声を上げかけたところで、すかさずグリグリと頭を押し付けてやれば、向こうも負けじと押し返してきた。
「ぐぬっ、このっ。餓鬼か貴様はっ」
「そういうお前だって正体はロリフだろ」
細い腰に手を回し、左手で無理矢理抱き上げる。そうして立ち上がった俺は、そのまま一緒に湯船に向かって倒れこむのを繰り返す。
「にょわっ、ちょ、やめ――」
「お前が、改心するまで、戯れるのをやめーんっ――」
割れる湯面に続いて何度も響く水没音。
面食らってジタバタと暴れるハイエルフ殿に、俺は観念するまでリトライを決行。二度とアホなことを言わせないためにも、心を鬼にしてお仕置きしておく。
「……のうアッシュ」
「ぷはっ。なんだ相棒。今俺は忙しいんだ」
「突入してきた近衛が後ろで血相を変えているぞ」
「知るか。今はこいつと痴話喧嘩中なんだ。覗きに来るような外野なんて待たせとけ!」
「ち、痴話――のわぁぁ!?」
再度湯船に始祖神ごと突入。
俺達の熱々っぷりを近衛にも見せ付けてやる。どうだちくしょうめ。恥ずかしすぎて直視できまい!
「この、何がしたいんだ貴様はっ!」
「色々だちくしょうっ!」
「おおう、そこでカミングアウトするとは正直な奴よ」
「俺だって男だ」
まだまだ元気があるようだ。
色々な意味で開き直った俺は、止めとばかりにまたも湯船に飛び込み、そのまま唇を奪ってやった。
それでようやく大人しくなったので、そのまま浮上して彼女を抱えたまま浴槽の端に背中を預ける。
額に張り付いた髪諸共取り払ってやると、そこでようやくリスベルクが困ったような顔で身じろぎした。けれど、そのまま両手でホールドしたまま逃さない。
気を使おうとしたのか、良心を苛まれての行動だったかなんて知らないが、許せるものか。俺をその気にさせた責任だけは取らせてやるのだ。
「いいか、未来の話をするぞ」
「未来……だと?」
「そうだ。なんやかんやで面倒ごとを全部乗り切った未来だ。そこで俺は、お前が用意した安住の地にまったりと住んでいる」
どこにも無いってのは分かってる。
でも、不確定な未来での話しなら語っても誰も文句は言うまい。
だからこの際、とことんまで夢のある話にしてやろうじゃあないか。
「俺は連日喰っちゃ寝して風呂に入っているか、その辺をふらふらしてる。お前は、まぁ、飽きずにこの森で神でもやってるんだろう。きっと俺との契約の対価を支払うためにそれはもう仕事をしまくりだ」
きっと忙しい日々が待っているだろう。
今よりはマシな状況で、また新しい問題に頭を悩まされているかもしれないが、そこは知らない。
「んで、お前は帰ってくると俺が嫁やそこの愛剣とイチャイチャしているのを見て「貴っ様ぁぁぁ!」なんて毎日毎日喧しく吼えるわけだ。そんな未来で、俺はお前にこう言ってやる。よし、なら仕事はアクレイに全部押し付けて、森の外に旅行に行くぞっ、てな」
「……そこで奴を出す辺りが妙に具体的だな」
「――嫌かよ。そんな未来は」
「い、嫌とは言ってないだろうが……」
「じゃ、そうなるようにこれからも今のままの契約でいくぞ。それでいいな?」
「う、うむ……」
ようやくしおらしくなったので、俺は大きく息を吐くと浴場の入り口へと振り返る。
すると、である。
確かに居たよ。
困ったような顔で、一様に突っ立っている近衛戦士の皆さんが。
「お勤めご苦労さん。何か緊急の案件か?」
「いえ、失礼しました。ごゆっくりどうぞ」
一礼し、ケーニス姫たちが去っていく。
本当、姫さんも大変だ。
しかし困ったな。
「勢いってのは恐ろしい」
アクセルは全開の癖にブレーキがイカレてやがるとは。
しかもあれじゃあ、衆人環視の中で永久就職の宣言をしたような気分だ。
遅れてやってくる羞恥心で、俺は頭を抱えたくなった。だってのに、人の気も知らないでリスベルクは血行が善くなった肌を紅く染め、おずおずと振り返ってきた。
「お、おい貴様」
「なんだよ」
「その、アレだ。これからも、その……頼りにさせて貰う……ぞ」
「……ああ。でないと俺の士気が駄々下がりだ」
彼女の全身から力が抜ける。
ようやく安堵したというか、肩の荷が下りたというか、そんな雰囲気だ。
まぁ、この前のエルフ主義者の件もあるからな。
弱気になっても仕方ないかもしれない。
「そ、それで……だな。貴様は、その、さっきの未来で子供は何人ぐらい居るのだ?」
「……お前、先走りすぎだろう」
やべぇ。
こいつのアクセルもぶっ壊れたのかもしれない。
「馬鹿者。大事なことだぞ!」
「ぬふふふ」
気づけば、視界の端でエロ悪魔がとてもいやらしい顔でこちらを見ている。にへらと歪んだその可愛らしい顔を見ていると、脳内に選択肢が浮かんでくるような錯覚に襲われる。
悪魔の相手にしますか?
はい
いいえ←
アドベンチャー系のゲームならきっとこんな感じなんだろう。
まぁ、実際に脳内選択肢が出てくることはなんて、普通はないけど。
そんな益体もないことを考えながら俺はリスベルクの側を離れ、悪魔に向かって唇を歪ませる。
「な、なんじゃその顔は。嬢ちゃんのご機嫌伺いは良いのか」
「ああ、だから次はお前だっ!」
イシュタロッテを抱え上げた俺は、湯の中に飛び込んだ。