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第六十二話「波及効果」

「それ、マジなのかよ」


「あのなアッシュ。冗談でこんなことが言えるか」


 対クルス、対アヴァロニアを見据えてうっかり王子ことヴェネッティーのアデル王子に会いに来た俺は、きっぱりと今は無理だと告げられた。

 一応顔繋ぎのためにアクレイも連れて来たのだが、二人揃って肩を竦めるしかなかった。


「なるほど。黒狼組とやらが不可侵条約を次々と結んでいた理由はそれですか」


「獣人の大陸『ビストルギグズ』に動き有り、か」


 バラスカイエンの南にある大陸らしいが、そこにも一柱回帰神が居るという話しだ。

 どうやら黒狼組は、一時的に手を組んでいた賢猿がその連中の手駒であり、ユグレンジ大陸侵攻の足がかりとして派遣されていたということを突き止めたらしい。この賢猿というのは二重スパイだそうで、アヴァロニアとも繋がりがあるとか。

 どうやって調べあげたのかは疑問だが面白くない話には違いない。


「そっちにとっても不味いはずだ。黒狼組は北西、つまりはロロマ、エルフの森側の勢力だ。対して賢猿は東南を押さえてやがる」


 つまり南の港を押さえられているということか。

 これではビストルギグズからの侵攻の際、水際で食い止めることができない。

 黒狼組と周辺国が押さえ込めなければ、エルフの森も一悶着起きるかもしれないな。


「状況がすぐ動くわけじゃない。が、向こうは船の増産体勢に入ってるとよ」


 投げ槍に言う王子に、後ろに控えていたレイモンド老がすかさず拳骨を繰り出す。


「ふぐぉっ!?」


「王子。いくらアッシュ殿と気心が知れた仲とはいえ、行儀がよくありませんぞ」


「くそっ! レベルがあれだけ上がってもまだ頭蓋にこれ程の痛みが!」


 背後からの強襲だ。

 当然だがとても痛そうである。

 レイモンドさんからすると、まだまだ王子はやんちゃ坊主と変わらないみたいだ。


「おほん。現在、これに備えるためにヴェネッティーも船の調達を急いでおります。そのために余裕がない状況なのですな」


「……ヴェネッティーが船を叩くのか?」


「必要と在ればな。一応軍事同盟を親父が締結しちまったしよ」


 バラスカイエンが落とされれば、次は周辺国が狙われるから、か。

 そうせざるを得ないって感じだな。


「だから正直余裕がない。クルスまでどうこうってのは、まぁ難しいな」


 冷淡というよりは、どうしようもないといった顔でアデル王子は言い切った。

 だが、それでも執拗に今はと言ってくれている辺りが彼なりの誠意だと分かる。


「エルフ連中からしても、南の面倒事には首を突っ込みたくはないだろ」


 当然の話だが、同盟を組むにしてもそれぞれにメリットが無ければならない。

 互いに協力することで対外的な勢力は拡大するが、そうも言っていられない状況ということだった。


「後半年早けりゃ、すんなり行ったかもしれないんだがなぁ」


「タイミングが悪い、か」


「そういうこと。ヴェネッティーはアッシュに借りがある。その借りを返す絶好の機会なんだが……さすがに余裕がないぜ」


「そういう事情ならしょうがないさ」


 どうしようもなく間が悪かったというだけのことだ。


「……悪いな」


「理解はしたし、こっちこそいきなりで悪かった」


 アポもなしに会って貰えるんだからな。

 持つべきものは人脈か。


「そう言って貰えると気が楽になるぜ。――勝てるか?」


「ここの時と同じさ。勝つしかないな」


 しかし、そういうことなら売り込んどこうか。


「話しは変わるが、ペルネグーレルの地下迷宮から新兵器の売り込みは無かったか?」


「いや、俺は知らないが……」


「ドワーフの一部がヴェネッティーの造船技術を欲しがってる。連中と組んで、その新兵器を船に搭載したら面白いことになるかもしれないぞ」


「そうか。おいレイモンド爺、すぐに親父に確認してきてくれ」


「かしこまりました」


 一礼し、老騎士が部屋を出ていく。


「おいおい、まだどんな代物か説明してないぞ」


 せめて聞いてからでもいいだろうに。

 そう思うが、王子は唇を吊り上げて笑った。


「我等がジャイアント・スレイヤー殿の推薦だぜ。きっとモンスター・ラグーンに住み着くぐらいには、面白いことになるはずだろ?」







「ちょっと当てが外れたな」


「ですね。ビストルギグズはまだ動かないと思っていたのですが」


「向こうの回帰神、どんな奴かは分かるか」


「獣神と聞いています。なんでも、名状しがたい姿をしていて、大食らいなんだそうですよ。比較的冷静だとは聞いていますが……」


 怪魚の例もある。

 喰うという単語にヤケに嫌な響きが有るな。


 しかし気のせいかな。

 ここ最近どこも慌しい気がする。

 何かの前触れじゃなければ良いんだが。


「アリマーン以外にも勢力を広げようって動きがあっても不思議ではないんだがな。なんかこう、きな臭いな」


 そもそも世界なんて征服したところでいったい何になるんだろうか。

 まさかそれがロマンだとか言う奴は居ない……とは限らないが、それにしたって好戦的に過ぎる。


「彼の大陸の大半はもう押さえられたと考えるべきでしょうね」


「大半? 全部統一しないのは何故だ」


 ユグレンジ大陸に遠征するよりもそっちが先だろうに。


「あそこの大陸は南に行き過ぎると寒いからではないですかね?」


「……そんな単純な理由でいいのかよ」


「確認しなければ分かりません。しかし今は彼の大陸の情勢は置いておきましょう」


 まぁこっちはこっちで大変か。

 ヴェネッティーでアレなら、バラスカイエンの黒狼組はもっと厳しいだろう。

 援軍の当ては結局ペルネグーレルだけだ。

 そのペルネグーレルだが、懸念事項として森で戦うのが最大のネックだとカタロフ王が言っていたな。


 当然といえば当然か。

 彼らはドワーフなのだ。このエルフの森ではエルフ族が側に居なければ道に迷って戦いどころではないと聞く。だから彼らに頼るとしたら拠点の防衛になるだろう。


「既にリスバイフが続々と兵力を移動させています」


 向こうは冬が来る前にケリをつけたいはず。

 現在は夏真っ盛りだ。

 開戦は早ければ後一週もすれば起こり得ると予測されている。

 どうもクルスがギリギリまでロロマとジャングリアンの説得をしていたせいで遅れたようで、一部の先行部隊だけが合流している有様だとか。


 ディリッドの情報によれば、大体クルスの兵は三万でリスバイフが二万。

 先行して送られたクルスの援軍が三千ぐらいとは聞いている。

 アヴァロニアを警戒したままそれだけの兵力を搾り出そうというクルスに驚くべきか、それとも具体的に情報を集めてきたディリッドに呆れるべきか。

 イビルブレイク傭兵団の情報網は結構侮れないのかもしれない。


「……お?」


 天幕の森の向こう、我等がハイロリフ様が近衛を引き連れて視察を行っているのが見えた。ケーニス姫も居ることから、いい加減書類地獄から解放されたようだ。


「今更の疑問なんだがな。何故ここに兵を?」


「パワースポットですからね。ここならディリッドさんの転移で戦士を送れますし、転移距離が短いほど魔力の消耗も小さい。だから彼女の負担もかなり減ります」


「なるほど」


「後は、ここを使用しているとは連中も思っていないはずだからです」


 最近までほったらかしだったもんな。

 情報そのものがない地に、いつでも動かせる予備戦力を置いておくわけか。

 きっと俺なんかよりも色々と考えてのことなのだろう。


「むっ、来たか」


 リスベルクたちに合流し、指揮者用の天幕へと向かう。


「首尾はどうだった」


「芳しくありません。抑止力としては機能し得ないでしょう」


「そうか。駄目で元々だったが面白くないな」


「事情が事情でした。しょうがありませんよ」


 アクレイが説明するのを聞いて、リスベルクは忌々しそうに呟く。


「それはまた洒落にならんな」


 全てはその一言に集約されていた。

 俺は黙って頷くに止めるが、聞いているケーニス姫も顔を顰めている。


「このままでは最悪、悪神と獣神でユグレンジ大陸の土地が取り合いになりかねません」


「最悪の場合は、な」


 そこで何故か、リスベルクが俺を見た。

 釣られて他の者たちも俺に視線を送ってくるワケだが、どうにも居心地が悪い。


「なんだよ。言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」


「……いや、今はいい。目先の問題を片付けるのが先だ」


「それが良いでしょう。正直、今はこれ以上動きようがありません」


 どうやらケーニス姫も分かっているようだ。

 こっくりと視線でリスベルクとアイコンタクトをしているのがその証拠だろう。

 俺にはさっぱり分からんがな。


『頼みの綱はお主ということじゃな』


 止めてくれ、分かりたくないのが本音だったんだぞエロ悪魔。







 その後は現状確認で話し合いが進んでいく。

 補給やら戦士の編成やら、とにかく確認事項は多いらしい。

 特に問題になったのは戦力だ。

 シュレイクとラグーン勢。

 一応は総大将がリスベルクということになるのだが、連携の問題も出てくる。


「錬度の差が気になるな」


「上は上でできる限りのことはしています。ですがレベルホルダーの不足についてはいかんともしがたい。なので、古参の者を多く動員するつもりです」


「ギリギリまでレベル上げはやらないのか?」


 モンスター・ラグーンの方のコアを破壊したそうだが、ペルネグーレルでサンリタルを確保してきてある。いつぞやの店のドワーフ娘がちゃっかり用意していたのである。

 鉄のインゴットの山で快く譲ってもらい、既に予備まで確保して有るから運べば再使用は可能なはずだ。


「先を見据えれば必要ですが、一先ず決着を着けるまではやめておきましょう」


「……無難だな。ヒヨッ子共を襲われてアーティファクトを奪われる方が不味い」


 位置情報が漏れているのだから、狙われる可能性があってことか。

 どうも確認と情報共有のための会議、という側面が強いようだ。

 方針は最初から決まっているような印象があるな。

 特に反論するようなこともないので、聞き流している間に話はどんどんと進んでいく。


「――というわけで、当分の間はリスベルク様はアッシュと行動を共にしてください」


「うむ」


「下はいいのかよ」


「後はルースたちで十分にこなせる。それに、上の者たちに顔を見せておかねばならんのもあるのだ」


「リストル教の狙いがラグーンだけとも限りません。そういう意味でも貴方の側が一番安全でしょう」


 また召喚のためにリスベルクを狙ってくる可能性がある、か。

 懸念が分かるために拒否もできない。

 拒否するつもりも別に無いが。


「くくく。しばらく頼むぞ」


「なんだそのわざとらしい笑みは」


「まぁまぁ、何を企んでいるかは後のお楽しみということで」


 手を軽く叩き、注目を集めるアクレイはそうして解散を促す。


「さぁ、今できることをやってその時に備えましょう」








「……貴様は何をしているんだ」


「見ての通り土木作業だ」


 今度は拠点の南側の開墾である。西は駐屯地と化しているので、東側をドワーフ用の駐屯地として用意した。北も一応開拓はしたので、今は演習に使われている。

 なので後は南だけだ。

 それにしても、やっぱりノームさんは偉大だぜ。トラクターにも勝てると思う。

 地面がモリモリ動くは、石がマシンガンのように乱れ飛ぶはで素晴らしいの一言だ。


「精霊モドキ……はまだいいがな。その前に焼き払った後があるのはどういうことだ?」


「知らないのか、焼畑」


「し・る・かぁぁぁぁ!!」


 ハイエルフ様はおかんむりだった。

 木々を焼いて畑を作るという発想が御気に召さないようである。


「ええい、エルフ族のタブーを適当に無視しおって! 本当にエルフ族の神かっ!」


「でも俺ははぐれだしなぁ」


「なんでもかんでもその一言で片付けるんじゃない!」


 ちなみに拡大した如意棒で一応は区画整理もしてみたんだぜ。

 如意棒で長さを計り、四角に形作った。拠点から南には一応、ヨアヒムの居た村への道も用意したのだ。如意棒を転がして土を固め、それっぽい道にしただけだがな。

 後は害獣対策が必要になるだろうが、まぁ、今はそこまでやる必要はあるまい。


「それより、戦士たちに顔を見せるんじゃなかったのかよ」


「それは昼からだ。いきなり召集しても邪魔になるだけだろうが」


「そりゃそうか」


 部隊編成に物資の運搬に訓練にと皆さん大忙しだ。

 他にも施設の居住区画の増築何かも大急ぎで進んでいる。

 おかげで伐採した資材が無駄にならずに済んでいるわけだが、食堂組が人員の増加に悲鳴を上げていた。南の村から生活班の応援が来ており、イスカとナターシャも手伝っているがどうにも手が足りないようだ。


 俺も参戦しようとしたが、戦力外通告を出されて追い出されてしまっている。

 ダルメシアの方がよほど戦力になると言われてしまったら出る幕が無い。


 厨房はもはや戦場なのである。

 最下級の調理兵である二等兵<オレ>の出る幕などなかった。

 当然だが、それでも全員分はとても用意できない。


 なのでその場合は支給された食料で各自用意である。

 野営訓練の一環でもあるようだが、おかげで食堂の使用を割り当てられた日の戦士たちと、そうでない者たちの士気の差が酷い。

 彼らが一喜一憂しているのを見た時などは、料理軍人の言った言葉を思わず思い出してしまったもんだ。


「そういえばお前料理は……いや、やっぱりいい」


「何故途中で切る」


「お前には無縁そうだなと思った」


 絶対にこいつは食う専門だろう。

 ドワーフの戦士連中は、料理番は早死にするというジンクスがあってやりたがらないらしい――実際に戦士たちが真っ先にやられていたそうだ――が、この元ハイロリフ様は単純に周りが甲斐甲斐しく面倒を見ていたと思われる。


 ていうか、イメージができないんだよな。今だって近衛が目を光らせているし。

 ケーニス姫を含めて女戦士が十一人。

 見目麗しい護衛たちだが、ずっと見張られるとか一般人からしたら苦行でしかない。


「見くびるな。あの人間に出来てこの私にできないわけがあるものか」


 その理論は色々な意味で俺の疑惑を誘うだけであった。


「ほ、本当だぞ。疑うなら今夜の夕食は私が準備してやってもいいぞ!」


「止めとけって。厨房はもう戦場なんだ。俺達素人の出る幕じゃあない」


「アッシュー! ちょっと早いけど昼食持ってきたよ!」


「おっサンキューな」


 振り返れば、ダルメシアがナターシャと一緒に籠を持ってやって来ていた。


「向こうはいいのか」


「色々と負けるなってさ。援軍が来たし、少しぐらいならまぁ大丈夫さね」


 少しだけ困った顔で頬をかくナターシャは、料理を並べ始めた。


「援軍?」


「食堂組の援護射撃だよ」


 ダルメシアがひまわりのような笑顔で教えてくれるが、意味不明だった。







「何故、私が芋の皮剥きを……」


 シチュー用の芋をひたすらに剥くイリスである。

 ナイフで獲物を料理することにはそれなりの自信が有ったが、その用途が圧倒的に違っているせいで苦戦を強いられていた。部下を使っていた時代が長すぎた。手馴れた様子で仕事をこなしていく周囲の戦士たちと比べれば作業が遅い。


「ほら新入り急いだ急いだ」


 ナターシャとダルメシアが抜けた穴を埋めるべくつれてこられたイリス。そんな彼女に、古株の一人がドンドンと食材を用意していく。


「なぁ、ハーフエルフ。夕飯の仕込みにしては早過ぎないか?」


「口を動かす前に手を動かしなさい。後、ハーフって呼ぶな。あんたらのせいで私に風評被害が出てるんだっての。事実無根とは言えないから面倒ったらありゃしない!」


 イスカが忌々しそうにぼやく。

 数日前、上と下の連携や補給線などの打ち合わせのためにシュレイクからやってきていた人員が、スイドルフのばら撒いた噂からイスカに気づき、堂々と尋ねてしまったのである。おかげでハーフエルフだということがバレただけではなく、アヴァロニアの元工作員という話まで暴露されてしまった。


「まったく、アクレイが居たからなんとかなったけど、おかげでまた外堀が埋められたじゃない!」


「ああ、廃エルフが口説いて寝返らせたとかいう胡散臭い話か。……本当なのか?」


「何を人事みたいに言ってるのよ。貴女もこのままだと事実を捏造されて嫁扱いにされるわよ。元エルフ主義者の残党なんでしょ貴女」


「ふん。そんなことさせるものか」


 イリスが一笑するが、イスカはそれを鼻で笑い返す。


「ハッ。面倒が出たらとりあえずアッシュの嫁にして有耶無耶にしてしまえばいいってアクレイなら思ってるわよ。あの腹黒男、アッシュの首に縄を付けたがってるんだから」


「そ、それは困るぞ!」


「少なくともここじゃね、何故かアイツの嫁なら仕方ないっていう空気があるのよ」


 別に本気でなくても、しょうがないと思わせるアクレイの策略である。溶け込ませば後は時間が解決するとでも考えているのだろうことはイスカにも分かる。分かるが、そのやり方が納得できない。そして困るのが周りで聞き耳を立てている調理仲間たちである。


「で、実際はどうなのよイスカ」


「普通にあいつとは殺しあったわよ。期待するような甘ーい話なんて絶無よ」


「そっかぁ」


「なら他の男はどうなんだい?」


「そうよ、よくレベルアップ組の若手が貴女に熱い視線を送ってるじゃない」


「本当に興味ないから勘弁してよ、もうっ」


 食堂の仲間が話に釣られて参戦を表明。

 イスカが更に眉を顰めるのも気にせず、手を動かしながら話題を次々と振っていく。

 恋話はどの種族さえ放棄できない話題なのであった。


「廃エルフ様といえば、結局誰が本命なのかな」


「全員俺の嫁とか宣言してるって話、本当かい」


「でも一番はハイエルフ様じゃないの?」


「ナターシャでしょ。満更でもなさそうだもん」


「ダルメシアちゃんも懐いているみたいだしねぇ」


「あ、でも前に来たときはリスベルク様が一緒にお風呂入ってたって聞いたけど……」


「武器の娘たちなんて、普通に一緒に入ってるみたいよ」


「ねぇねぇ、イスカたちは一緒に入らないの?」


「……あのね。ナターシャじゃあるまいし入るわけないでしょうが。でしょ、新入り」


「何故そこで私に振る。蒸し返すつもりか?」


 芋の皮むきの手を止め、歴戦の調理戦士たちに振り向く元風の団長。

 だが、誰も彼女の質問には答えない。

 それどころか「初々しいわねぇ」などという会話へと派生して返して見せる。


「貴女、最近お風呂掃除の代行を任されてるんでしょ?」


「お風呂の奥義を伝授されたとかって聞いてるけど」


「あの洗い物がすっごく楽になる奴よね。私も習いたいわ」


「あ、あれは別にそんなものでは……」


 掃除用の魔法――浄化魔法――を覚えさせられたイリスは、咄嗟に言葉を噤む。

 広めるかどうかについては、アクレイに待ったをかけられているという現状がある。

 それ故に黙るのであるが、周囲の調理戦士たちは別の何かがあるのではないかと話を勝手に盛り上げていく。

 その空気は、イリスが今まで味わってきた荒くれ者の多い戦士たちの纏う空気とは当然のように乖離していて、とても困らされるものだった。


「観念しなさいイリス。一度獲物にされたが最後、今後は貴女も話の種にされ続けるわ」


「そんな……こ、困るぞ!」


「フフフ。これで私の被害が半減だわ」


「謀ったなハーフエルフッッ!? 何が人手が足りないだっっ!」


 食堂は気を抜けばヤられる戦場であった。








「どうぞ」


「うむ」


 ケーニスが入れたお茶を受け取り、リスベルクは満足そうに頷いた。

 宛がわれた天幕の中、彼女は誇らしげな顔である。

 その理由が、共に視察したケーニスには分かる気がした。


「そのご様子では上の戦士たちは及第点を超えていましたか」


「くくく。どいつもこいつもレベルを上げれば十分戦力に化けるだろうよ」


 ハイシュレイクの王クレインと共に、昼から彼らの訓練を視察した。

 そこで見たラグーンズ・ウォー時代のような空気が、リスベルクを大層上機嫌にさせていた。


「上はダークエルフとエルフでのわだかまりなど無さそうだな。きっと定期的に共同演習をしていたのだろう。あの空気、懐かしいとは思わんか?」


「そう、ですね」


 少しだけ言い淀みながらも、ケーニスは肯定する。

 何か懸念があるような、そんな憂いの様にも見えるそれをハイエルフは笑い飛ばす。


「なに、私を見て今更と思う者が居ても仕方がないさ」


「しかし……」


「若い奴は私を知らん。上で生まれた者なら尚更だ。少しぐらい大目に見てやれ」


「はい」


「しかし傑作だな。その分、私よりもあいつを慕っていたのは」


 後々のためにも問答無用でアッシュを巻き込んだリスベルクは、思わぬ収穫を得た心地だった。レベルアップ組みが吹聴していたことと、桁違いの開墾速度で一目を置かれていたのである。


 現在のシュレイク王都では、スイドルフ一派との一件以来新種の神に対する好奇心はあれど、否定するような噂は鳴りを潜めていた。その上でラグーンでの評価が悪くないことを再確認できたことになる。それはリスベルクにとっても悪いことではなかった。


「廃エルフ……ですか。本当にそれでよろしいのですか」


「構わん。仮に想念の供給源が被ることになっても、私は文句など言うつもりはない」


「……」


「最終的にはどうしても神の力が必要になる。今それを持っているのはあいつだ。ならば、アッシュに想念を集束させるという手も考えておくべきかもしれん」


「彼がそれを望みますか」


「拒むだろうな。それ以前に、私を信仰する者にいきなり奴を信仰しろと言っても普通は無理だ。ではどうするべきだと思う?」


 おとがいに手をあて、少しばかりケーニスが考える。

 当然のことだが、リスベルクを信仰する者にアッシュをすぐに信仰しろというのは不可能である。


「……始祖信仰に取り込むのはどうでしょうか」


「確かに奴を私の信仰に取り込むというのは悪くない手だ」


 リストル教の唯一神は、他宗教や対立する土着の神を倒して悪魔として信仰に取り入れた。この場合は倒すのではなく、婿という形で取り込むのは確かに不可能ではない。


「悪くは無いがな。他にも手はあるのさ」


「と言いますと?」


「あいつの信仰を新しく作ってしまえば良いのだ」


「……いえ、しかしそれでは」


「話は最後まで聞け。そもそも今のエルフ族は複数の信仰を両立させて来た種族だ」


「精霊信仰ですか!」


「そうだ。そして精霊信仰と私を崇める始祖信仰は対立していないだろう?」


 神話以前に対立したことはあるが、結局は失われることは無かった。


「取り込むのではなく、伝承をリンクさせて繋げればいいのだ。奴が私の夫となった伝承を始祖信仰に用意し、奴の信仰には私の婿になった伝承を用意させる。そうして、互いに補完しあう形に持っていけば取り込まないままに両立できる」


 元より、廃エルフとハイエルフでは質が違う。

 はぐれのアッシュと、導き、繋ぐ者としてのリスベルク。

 きまぐれに個人の都合で動く彼と、エルフ族全体を見据える彼女ではご利益がまるで違うのだ。被らなければ優劣は無い。優劣が無ければ信仰を取り合うこともない。


「あいつは、全部功績を私に回してさっさと復活しろなどと言っていたがな。冗談ではない。あいつの想念はあいつの物で、私のは私のだ。しかしな、夫婦になるなら互いの物をシェアしてしかるべきでもある」


「御身の復活が遅れるのでは」


「その程度、私とあいつでエルフ族を繁栄させればすぐに取り返せる」


「ふふっ。リスベルク様らしいですね」


 ケーニスにはそこだけは分からない。

 リスベルクのその強さだけは。

 楽観しているというよりは、苦難と知っていて背を向けず気丈にも振舞っているのだ。


(思えば、ラグーンズ・ウォーが始まったときもそうでした)


 魔物がいきなり森中に溢れ出した中で、剣を取れ、弓を取れと真っ先に叫んだのは少女の姿をした彼女だった。

 精霊魔法を失い、本来の姿を失い、アヴァロニアという大国との絶望的な戦力差を前にしてもその闘志は消えないままで、こうして目の前で背負い続けている。


(否、違う。この方に背負わせているのだ。我々が――)


 それは導く者への甘えか、それとも神への祈りの当然の帰結だったのか。

 無理難題を押し付けて、不可能を可能にさせようと突き動かしているのだとしたらと考えると、ケーニスは歯痒さを覚えてはならない。


「申し訳ありません」


「む、なんだ藪から棒に」


 膝を着き、自然と礼の構えを取ったケーニスは心中を吐露せざるを得なかった。


「我々の弱さが、リスベルク様を苦しめているのではないかと改めて痛感しました」


「……馬鹿者め。兄妹揃っていらん心配をする。そら、とっとと顔を上げよ」


 木をくりぬいて作ったコップを木製のテーブルに置くと、リスベルクは心の底から笑いながら立ち上がる。


「だがなケーニス。その心遣いは感謝するぞ」


 近寄り、その両の頬に手を当てて顔を上げさせる。


「貴様らと血の繋がりこそなくとも、私たちは想念で繋がっている。だから私はお前たちの祖母や母のような存在だと、胸を張ってここに居られるのだ。確かに、実の母とは比べる程の価値はないだろうさ。だがそれでも、偽りの子や孫の世話を苦にしたことなどない。それはきっと、私が完全に死ぬまで変わらぬ役目であり、生まれた意味であり、生きがいなのだ」


 顕現したその日から、何一つ変わらない存在理由がある。

 それを恥じるような生き方は、生憎とリスベルクはしていない。

 だから、彼女は謝られても困るのだ。


 確かに押し付けられているのかもしれなくても、そのために生まれ望まれている。

 今ではそれが当たり前になっていて、その背には当たり前のように守るべき子らが居る。


「貴様たちは余計なことは考えずに限りある生を精一杯に謳歌せよ。そうして、お前たちが幸せそうな顔を見せてくれれば私は幸せなのだ」


「リスベルク様……」


「分かったら自分の天幕に戻れ。私は、今夜は奴の所に乗り込まねばならんからな」


「――それとこれとは話が別です」


 すっくと立ち上がり、ケーニスが鉄面皮で立ちふさがる。


「……貴様。このままあの悪魔の台頭を許せというのか?」


「いえ、私は御身を大事にして欲しいだけです」


「リスベルク様!」


 と、にらみ合う二人の所に近衛が一人やってくる。


「どうした」


「はっ。人間とダークエルフの少女が廃エルフ殿の天幕へ向かいましたので報告をと」


「くっ!? 出遅れたかっ!!」


「そのようですね」


「これから参戦する! 共はいらんぞっ!」


「御武運を」


 状況は変わっていた。

 臨機応変に頷いたケーニスは、立ちはだかるのを止めて始祖を見送った。

 ダルメシアが居るなら問題はないだろうという判断である。


「リスベルク様、なんだか気合入りまくりですね」


「もう少し慎みを持ってもらいたいものですが……」


 一人の男を巡って右往左往している姿を、部下が目を輝かせていることに頭痛を感じながら、ケーニスは考える。一緒に風呂に入ろうとしたりと、些か行動が目に余る気がしたのである。それらはすべてが廃エルフに起因しているのは明白だが、彼女は別にアッシュを嫌っているわけではない。ただ、リスベルクの場合はとある懸念があるだけであった。


「昔は、あんな方ではなかったように思うのですが」


「男で女は変わるって聞きますよ。始祖様もそうなのでは?」


「嗚呼、我等が神にも春が……」


「いえ、やはり元凶はあの体でしょう」


 幼女が美少女になった。

 ただそれだけのことだが、だからこそケーニスは余計に心配なのである。

 復活したら、彼女は元の幼女姿を取り戻すはずなのだ。


「元からあのお姿であれば私もとやかく言わないのですが……とても不安です」


 彼女が復活すれば、廃エルフはその時に間違いなく不名誉な称号を得るだろう。そんなのを新しい神として崇めるのは、さすがにケーニスも御免被るというものである。


(兄さん、貴方の懸念は私にはよくわかりますとも)


 執務室で奮闘しているだろう兄に、第一王女は理解の念を送った。

 そんな彼女の耳に、遠くから「貴っ様ぁぁぁぁ!」などというはしたない叫びが聞こえた。


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