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第六十一話「エンカウント・トレイン」


 耳慣れぬ汽笛の音が高らかに鳴り響いていた。

 それを追うかのように吐き出される黒煙が、大気に拡散しながら飲み込まれていく。

 世界初の蒸気機関を搭載したその黒いボディの持ち主は、後部に連結したいくつもの車両を力任せに牽引していた。


 中にはただの貨物を詰んだだけの車両も当然ある。

 しかしここまで巨大な人工物が我が物顔で国を東西に横断しているのは、ユグレンジ大陸広しといえどまだクルスだけだった。


 陸上を疾走するその姿は、知らぬ者には新手の魔物とでも認識されたかもしれない。

 それほどまでにそれは既存の物と根本的に違っていた。


「――君は昔の彼にちょっと似ているね。そう、真っ黒で強そうなところなんか特に」


 レールの上を車輪でただ疾走するだけで、自由意志さえ許されない彼の汽笛が、少年には全力疾走の果ての吐息、或いは一本道しか走れないことの嘆きのようにも聞こえていた。

 ならば、ガタンゴトンと小うるさい車体の軋みは、枠に嵌ることを無理矢理に強制された苦悶の声だったのか。


 窓を開ければ場合によっては煤交じりの煙で真っ暗になるものの、夏であるせいで締め切っていては蒸気風呂<サウナ>かと間違えるほどに暑くなる。

 そんな不便で、しかし画期的な、まだまだ発展の余地があるその若い発明に、少年はただ感心するばかりであった。


「お客様。申し訳ありませんが、切符を拝見させていただけますか」


「ああ、これでしたね」


 タダ乗りを防ぐためだと聞いているそれを車掌におっかなびっくり手渡す姿は、まるで初めてそれに乗ったと告白するような有様である。

 上品な白いシャツの上に、これまた品の良い外套を纏ったその黒髪の少年は、庶民ではまだ運賃が割り高なそれの上で一人だった。


 けれど、その明るい表情から察するに不安とは無縁そうだ。

 十代半ばにも見える若いその客は、貴族かそれとも豪商の息子か。

 失礼の無いようにと心がけるその車掌の男は、切符にハサミを入れて返却したところで、その少年の顔が知っている誰かに酷似していることに気づいた。


「つかぬ事をお聞きしますが、もしやアスタール殿のご家族の方ですか?」


「そうですが……まさか、『兄』が何か失礼なことでも?」


「とんでもない。昔、軍に居た頃に助けられたことがありまして」


 苦笑いしながら、男はのんきに話しかける。


「いやぁ、懐かしい。あの方のおかげで、なんとか歩ける程度の怪我で済んだんですよ」


「あの兄が人様を救ったというのは驚きです。事実なら、少し嬉しいですね」


 はにかみながら、少年は微笑んだ。

 人の良さそうなその笑みには、邪気が欠片も無い。

 よく硬い表情を浮かべていたアスタールとは雰囲気がかなり違う。

 戦いを生業とする前はそうだったのかもしれないと、そう男は考えながら、懐かしさに駆られて当たり障りの無い頼みごとをした。


「よろしければ、ミルトルカで傷を治療してもらったリズラルという男が礼を言っていたと、彼に伝えていただけませんか」


「分かりました。これも何かの縁でしょうし、再会したら伝えますね」


「ありがとうございます。それでは、引き続きクルス横断列車『まどろみ』一号での旅をお楽しみ下さい――」


 車掌が会釈し、次の客の相手をするべく歩き去る。

 少年は、窓ガラスの向こうへと視線を向け、初めて見るクルスの光景をぼんやりと眺める。

 もっと高い切符でも買えば、金持ち用のもっと快適な車両に乗れただろう。しかし、家族連れの旅行客の和気藹々とした声を聞くほうが、待合馬車に乗り込んだときのように少年の心を弾ませていた。


 少年は人間が好きだった。

 穏やかに、慎ましく暮らす彼らを愛してさえいた。だから息が詰まるような車両など選ぶつもりはなかったのである。


「それにしても、どこも格差は酷いものだねぇ」


 一通り風景を楽しんだ彼は、持ってきていた本を開く。

 友人に言われていた通り、その内飽きるからと用意しておいたのが功を奏した形だ。

 しばらくするとたどり着いた駅で列車が停まった。

 上客のいくばくかが降り、代わりの人が当然のように乗車してくる。

 それにつれ慌しくなる車内の中で、ふと彼に声をかける者が居た。


「やぁっ。前の席に座ってもいいかい」


「どうぞ」


 少年が乗っているのは自由席だった。

 誰がどこに座ろうとも問題はないと前に利用した友人に聞かされている。

 本から視線を外し、見上げてみれば対面にどっかりと座った黒髪の少女と目が合った。


 互いの黒瞳が絡み合う。

 瞬間、少年は素直に驚いてみせた。


「――信じられない。貴女は、貴女はいったいなんなんですか?」


「ふむん。知りたいというなら教えてあげるのは吝かではないね。でもさ、普通こういう時は先に君が名乗るべきなんじゃないのかい?」


 楽しげに笑う少女は、そう言って左手に持っていた円柱の物体を放り投げる。

 両手で受け取った少年は、その物体が持つ温度に驚いた。


「冷たい? ちょ、なんですかこれ!」


 生憎と、この時代について詳しく知っているわけではない少年は、それについての情報を求める。少女はそれを見て、悪戯が成功したような顔で答えた。


「缶コーヒー。この碌でもない退屈な世界に、ちょっとした彩を与えてくれる飲み物さ。それは通称『親分』って言うんだぜ」






 列車が動き出す。

 徐々に勢いがついていくその列車の中で、プルタブという物を知らない少年はすっかり困り果てていた。

 友人に小声で尋ねるも、その彼は素っ気無く「知らん」と言ってだんまりを決め込んでいる。


 いや、当たり前のように警戒していると言っても良かった。

 けれど少年は、彼の気も知らずに無邪気に会話の続きを選ぶ。


「あの、どうやって飲むんですか?」


「ん? ああ、この上の奴を指で引っかけて開けるんだよ」


「えーと、こう、かな」


 おっかなびっくりプルタブを開けることに成功した少年は、少女を真似て中身に口をつける。予想通りに冷たい口当たりと、独特の香りに苦味。けれど、後に引く甘味が喉奥に消えていく様は妙な爽快感があった。


「初めての味です。クルスって色々と進んでるんですね」


「いやいや、それはボクが持ち込んだものだからここらでは売ってないよ」


「そう……なんですか。えと、もしかしてお高いんですか?」


 少年は、恐る恐る値段を尋ねる。

 この国のお金についても聞き多めに両替しているが、無駄遣いは好きではないのだ。


「気にしなくていいよ。欲しければそれぐらい好きなだけ驕ってあげよう」


 虚空からポンポンと手品のように同じ物を取り出して、少女は窓際に置いて行く。

 二人の間にある窓ガラスが、缶コーヒーで埋まるまでの間、ジッと少年は少女を見つめていた。恐ろしいと思う相手だというのに、敵意のようなものはない。


「それでその、僕たちに何の御用ですか」


「君たちか。君の友人には妹たちが不愉快な思いをさせられたことがあるけれど、今日の用件はそっちじゃあないよ。君という特異な存在をこの目でちゃんと見て置きたかったんだ」


「はぁ……」


 要領を得ないが、話がしたいと解釈して少年は頷く。

 同時に、彼もまた彼女のことを知りたいと思って名を名乗ることにした。


「知っているでしょうけれど、僕はアスタムといいます」


「よろしくアヴァロニア王。ボクは……そうだなぁ。暴君、破壊神、テイハ、真っ黒透明、レーヴァテイン。このどれかのうち好きなので呼んでくれたまえ」


「はぁ、それじゃあ……テイハさんで」


 一番無難な選択をしたアスタムは、涼しい顔で缶コーヒーを飲む黒の少女に習い、もう一口コーヒーを飲んだ。


「なるほど。確かにアリマーンが過保護になる気持ちも分からないでもないね」


「えっ?」


「毒なんて入っていないけれど、まったく警戒していない。というよりは、君はデータ通り他人の悪意が理解できない典型的な聖人なんだね」


「その、あまり他人を悪く思うのは好きじゃないので……」


「素晴らしい。それは圧倒的長所だよ。君を騙す奴が悪いのであって、騙される君は別に悪くない。ヒトは臆病だから他人を信じない。信じた振りはするけれど、それでも完全に信じるまでは時間がかかる。それはテイハも経験していたことだ」


「褒められているんですかね?」


「勿論さ。べた褒めと言ってもいいぞ」


 今度は薄い黄色の袋らしき物を二つ程取り出し、またも片方をアスタムに放り投げた。


「君は強いから他人を信じられる。それは優れている証拠だから、失わずに大事にしな」


 少年は、目の前で開けられるのを真似しながら袋を開ける。

 既存の袋の概念には存在しないそれを、ただ素直に受け入れていく。


「今度は食べ物ですか」


 それが通称ポテチと呼ばれる物のコンソメ味だとは知るはずもなく、ただ真似て齧る。


「あっ、これも美味しい」


「旅は長いからね。話しに付き合ってもらうから色々と用意してきたのさ」


 勿論、お土産もある、などと言って少女は一冊の本を取り出した。


「先に渡しておくよ。君の友達が調べたがっているものだ」


「なんだろ。んー、他の回帰神の情報とかかな」


「それはリストル教の連中が異世界の念神召喚術を印刷した魔術書だよ」


「……えっ?」


 慌ててアスタムが確認すれば、それらしい記述が確かにあった。


「――貴公、何が目的だ」 


「おっ、出たな悪神め」


 宿主の体を借り、表に出た回帰神を見据えながら少女は薄く笑った。


「前からアスタム君に興味があったのさ。テイハは本物の聖人と直接会ったことが無かった。だから間近で見ないのは勿体無いと思っていてね」


「ほう。ではアスタムが狙いか」


「いや、全然」


「……なに?」


「アスタム君はさ、あれでしょ。対魔物を想定して生まれた超人幻想の体現者でしょ」


 かつてその少年は、ラグーンズ・ウォーの後で念神が消えた世界に生まれた希望だった。人の身でありながら、想念という名の力の集束点となることで覚醒するのが聖人である。

 彼らは念神と同じある種の共通幻想に支えられて、初めて奇跡という力を行使できた。念神と違うのは生身があるということ。そして伝承ではなく彼に向けられた願いによって力の質が左右される、ということである。


 偶に念神化する者も居たが、アスタム本人は神として崇められていないのでその可能性はない。だがそれでも、人類種が生み出す強者の一角である。


「やっぱり最強の席を取られちゃってるからもう誰も到達できないのかな。しかも善でなくてはならないという制約があるから、まぁ、その程度に収まるしかなかったってとこか……」


「……何の話しだ?」


「こっちの話さ。まったく微塵も君たちには関わりの無い領域での話だよ」


 鷲掴みにしたポテチを口の中に放り込み、バリバリッと齧る。

 敵意はまだ感じ取れない相手だが、アリマーンは迷っていた。


 彼にはわからなかった。

 今日初めて彼女に出会った、念神である彼には。


「矛盾だな。関わりが無いならそもそも何故接触して来る」


「興味があったからって言ったじゃん。まぁ、お前だけは一回殺す予定になってはいるけれど。でもアスタム君は関係ない。だから必要が無い限り手を出さないであげるよ」


 缶コーヒーが一本無くなる。

 空き缶をインベントリへと仕舞い、二本目を開ける少女はアリマーンにもポテチを薦めた。


「噛み締めろよ。クロナグラでそれを味わった念神はかなり少ないぞ」


「ほう……」


 さしもの悪神も、ポテチ(コンソメ)に挑むのは初めてである。

 毒が無いのは分かっていたので、そのまま豪快に喰らいついた。


「……おもしろい」


「でしょ。シンプルな薄塩もいいけれど、飽きるまでは口に放り込みたくなるのさ」


 コーヒーも当然のように堪能し、アリマーンは膝上の書をめくる。

 長年の政務で自然と鍛えられた速読を駆使し、一先ず真贋を確かめることにする。

 ただ、いつでも迎撃できる程度には意識を少女に割いた。

 けれど、そうやって挑発しても彼女はサッパリ動かなかい。

 結局、先に折れたのはアリマーンだった。


「それで、この書はどうやって手に入れた」


「夜中に連中の印刷所に忍び込んでね。ちょろまかしたんだよ」


「ほう、悪い娘だな」


「はっはっはー。悪い神に言われるのは光栄だね」


 しばらく書を確認するアリマーンに、彼女はエルフの森での一件で使われた召喚にも触れる。

 神魔再生会で剣神の担い手に暴露されたそれとほとんど同じ内容だったが、彼は記述された内容のあまりの完成度に内心では舌打ちしたい気分だった。


(どう見ても偽物ではない。内容が具体的に過ぎる)


 あやふやな直感は嫌いだが、それでも彼には分かった。

 子飼いに千の魔術を操る従僕が居たこともあって、魔術に無知ではないからだ。


「今後君が警戒するべき事案にアヴァロニア国内での召喚テロが加わるね」


「これでは停戦が裏目に出るな。……余にこれの拡散を止めろとでも?」


「まさか。ボクは出てくる者を警戒しても、それを否定できる立場にはいない」


「では何故これを用意した」


「だから、話に付き合ってもらったお礼という名のお土産さ」


 次のポテチに喰らいつき、彼女は疑う悪神に笑いかけた。







「どうも、話しが弾んでいるところにすいません」


「線路はまだまだ続いているんだ。気にせずに行こうぜ」


「はぁ、ではその……」


 ケーキを頬張るテイハに、アスタムがごくりと喉を鳴らす。


「ああ、こっちも食べるかい。相当に甘いけれど」


「僕、甘いお菓子も結構好きなんです。昔って余裕が無くて……」


「あー、いいよいいよ。君、王様が手を出した侍女の子だったんだよね?」


「そうなんですよ。その癖、父は何もしなかった。それどころか――」


 受け取ったショートケーキに目を輝かせるアスタムは、見よう見まねでフォークを突き刺す。


「うわぁ、なんだろう。僕が知ってるのと全然違いますよ」


「こっちもどうだい。これは妖精神ドテイがひれ伏したチョコという名の魔物が入っている一品だぜ!」


「魔物!? 嗚呼、嘘だ。コレが魔物なんて信じられない……あの頃居たら、山のように狩ったのに……」


「ゴメン、魔物は例えだったぜ」


 遠慮なく食べるアスタムは、欠食児童のようにお菓子を貪った。

 その様を見れば、誰がどうみたって救世主になど見えないだろう。

 だが、大抵ある特徴があることをテイハはデータで知っていた。

 それは、ほとんどが幸福ではない生まれであり、悪人ではないということである。


「母さんが生きてたら、食べさせてあげたかったなぁ……」


「ふむん。しかし、そんな母親思いな君が世界征服ってのはどうなんだろうね?」


「手段であって目的ではないですよ。僕たちの目標は世界平和ですから」


「悪神もそれを願ってるってところがまた、君たちの凄いところだよねぇ」


 或いは、そうさせたという事実がありえない。

 テイハとしての感性からしても、アスタムの偉業はそこが始まりであることは理解できる。


 悪神と救世主。

 本来は敵対すべき二人が、何故手を組んだのか。

 残っているデータだけでは分からないこともある。


「一周回ったというか、そんな感じですよ。それに彼、口は悪いけどナイーブなんで」


 コーヒーで一息ついたアスタムは、お菓子のお礼とばかりに当時のことを語り始めた。






「ラグーンズ・ウォーの後、念神が存在を維持できないほどに人口の減少が起きたのはご存知の通りだと思いますが」


「うん。それを抜きに今のクロナグラは語れないよね」


 そして魔物の召喚によって大気中の魔力が膨大なまでに使用された。

 おかげで想念を伝道する力さえも薄まり、念神が新たに発生できる環境そのものにも多大なるダメージを被ってしまった。昔の魔力濃度であれば、回帰神がもっと増えていてもなんらおかしくは無いのにほとんどが復活できないままでいるのもそのせいである。


「その最中、念神の方々も保身に走っちゃったわけです。善側の神様に顕著なんですが、邪神と呼ばれる神々よりも力が強い。なので、より長く人々の前に存在できたことを利用し、悪者側のアーティファクトを信者に命じて様々な場所に封印させたんですよ」


 二度と復活させないための処置である。

 トレジャーハンターたちが遺跡からアーティファクトを発見するのも、それによるケースが多々有る。逆の場合も有るが、その行為それ自体は当然の方策だ。


 未覚醒状態であれば体を乗っ取られることもないし、使わなければ目覚めることもない。誰の手にも届かない場所に隠すというのは選択肢としては間違っていないのだ。


「彼もその一柱のはずでした。が、彼は少し事情が違います」


「というと?」


「彼、アーティファクト化する術を得た時点で、すぐにアーテクファクト化したらしいんですよ」


 つまり、覚醒したままアーティファクト化した一本であるということである。


「彼は悪ですし、誰からも存在を求められていない。だから魔物から人々を守る必要もなかった。否定信仰されてきたわけですからね。一部の崇拝者以外には助ける義理さえも無い。だから寝たふりをしたままアヴァロニア城の地下に、側近の部下共々纏めて封印されていました。後の世で善神を出し抜くために」


 その間、善神は眠りにつくまで人々のために戦い、ギリギリでアーティファクト化して眠りについた。失った力を補填するために、自らを魔物との戦いで使うように伝えて。

 やがてそれは、当然のようにその当時の王家によって対魔物用の武器として利用され続け、ひたすらに魔物を殺すことで想念を溜めながら復活の時を待ったのである。


「で、紆余曲折あって王家には成人の儀と称して妙な儀式が生まれました」


 元々ゾロス教の世界観は善と悪の対立する二元論。

 やはり骨子はそこだった。


 信者は悪の誘惑と戦い続ける信仰を持つが故に、アーティファクト化した悪神と善神を同じ場所に置き、善の方を選び取ることで悪と戦い続けていることを神に証明した。

 それが、いつしか十四で成人とされる王家の男に求められた儀式へと変じたのである。


「僕が力に覚醒したのは十一です。息子を王の座に突かせたかった正妻の謀略で、まぁ、母の死が切っ掛けとなって僕は生き延びることができた。その後の二年間は、城壁の外の下町で魔物に震えながら暮らしていました。でも力がありましたからいろいろと困っていた人を助けていたんです。そしたら目立ってしまって……」


「よくありそうな話だね。見つかって城に戻されたわけだ」


「死んだことにされてたみたいですけれど、生きてましたからね。父は掌を返して喜びましたよ。僕の力は、善神アフラー様と近い属性を持っているから嫌でも分かった」


 それが対魔の力として機能する事実がある以上、王家に箔をつけるためにも利用できた。


「正妻やら別の愛人たちの子たちは恐怖してましたよ。彼らでは僕を傷つけられない。毒とかも苦しくなるとすぐに解毒できたし、料理を抜かれてもそこらの石ころをパンにすれば空腹にもならなかった。挙句の果てには魔物の大群に向かわせても死なず返り討ち。しかも傷ついた兵たちを癒すことで軍部の人望さえ手に入れていった」


 自然と、ただ力を行使するだけで彼の居場所は広がった。

 奇跡の力は不治の病さえも治す。

 救われた人々はアスタムを称え、死人が減れば想念の力は増してアスタムもまた強さを増していく。彼を擁する小国は、彼の威を借りて魔物との戦いに光明を見た。


 彼はアーティファクトすら必要としていなかった。

 レベルなどまったく関係なく、念神級の力が振るえたのである。

 救世主アスタムは、確かにその国での希望になった。


「――けれど、僕は魔物は駆逐できても人々の心の中に住み着いた悪意を駆逐することだけは出来なかった。兄たちは変わらず、僕もただ人々を一人でも多く救えればそれでいいとばかり思っていた。いつか変わるはずだと、漠然とそう思っていました。まぁ、そんなことはなかったですね。十四の誕生日に儀式を受けさせられたとき、僕は性懲りも無く罠に嵌められました。彼が封印されたままだったのは当然ですが、城の地下には選ぶべき善神のアーティファクトが安置されて無かったんです」


 儀式はアフラーを持ち帰るまで終らず、それまでは入り口が封鎖されたまま。

 けれど、持ち帰るべきアーティファクトがない以上はアスタムは戻れない。


「確認するためには当然悪神の剣を手に取らなければならない。そうしていると寝たふりをしていた彼が僕に興味を示し、話しかけてきました。面白いことに、彼は僕が嵌められたことを知るとまずアフラー様を怒りました。もうあれは僕の代わりに怒ってくれていましたね。『善神の癖に、聖人を救わないとは何事かっ!?』が、その時の彼の言葉です」


「それはまた妙だね」


「その時はまだ押し付けられた役割に忠実だったんですよ。だから、善を全うしないことが余計に頭に来たのでしょう。彼は負けなければならない。悪辣に振る舞い、悪を気取り、悪逆の限りを尽くして嫌々ながら倒される。まぁ、僕がアフラー様を信仰していたので、結果として質の高い想念が確保できたことが彼には感じ取れていたのでしょう。『目覚めていたのに助けない』。これは善の神としてはありえてはならないと彼は思っていた」


「だから怒ったと」


「その時は悪魔の誘惑だって思っていたんです。けれど対話を続ける内に彼が求める物が悪側の幸福だと気づきました。自分だけならまだしも、彼の側に立つ者は皆が勝つことを許されない。だから、余計に腹立たしかったんだなって」


「何故善神は助けなかったんだい?」


「アフラー様は僕が自力で出てくるものだと思っていたようです。そうして、隠された自身を自ら手に取るだろうと。乗り越えるべき試練のつもりだったのかもしれません」


 けれど、そうはならなかったことが現状を証明していた。


「僕は出ませんでした。アフラー様を手に入れるまで出てはならない決まりでしたから、善に生きる者ならルールを破ることは許されないと思っていたんです」


 或いは、伝承の通りに聖人を善神の元へと導いた天使が動いていたら彼は外に出たかもしれない。けれど、ラグーンズ・ウォーが伝承の再現の道さえも断っていた。


「融通が利かないなぁ」


「それが信仰ってものですから」


 そしてその罠は上手く機能した。

 永劫に彼が外に出ることができない、彼の善性を利用した罠として機能したのだ。


「特にゾロス教は、悪と戦い続けることを信者に義務付ける宗教です。悪魔の誘惑と戦い、善と悪の戦いに決着が着く最後の日までそういう道を説く宗教だったんです」


「で、善であった人だけが死後は天国ってわけだ」


 オーソドックスに行けば、そうと予想はついた。

 けれどアスタムは曖昧に笑った。


「そこはまぁ、僕の時代は色々な説がありましたね」


「ラグーンズ・ウォーで失伝した? いや、新しく改変されたのかな?」


 リストル教で天使崇拝派などが生まれたように、宗教もまた時代によっての改変はありえる。都合の良い発明だからこそ、使う者は改造し改良するだけのこと。


「当たらずとも遠からずだと思います。そうですね、天国という表現は近いかもしれません。最後に善神が勝ち、死んだ者は蘇り、悪神が死んだことで死が無くなった世界で生きるというのがラストです。それが天国と表現されるべきものならばそうなのでしょう」


 一息つくようにコーヒーの缶に手を伸ばし、残った中身でアスタムは喉を湿らせる。


「それで続きですけど、僕は外に出ざるを得なくなりました」


「それは自分からかい?」


「というより、そういう状況ではなくなったんですよ」


 アスタムは地下から出られないまま、何日も過ごした。

 その間、彼はどういうわけか水も食糧も口にせずとも生きたという。

 彼を求める者たちの想念が、彼を生かしたのだ。


「やがて一年ぐらい経ち、気づけば僕への想念の供給量がかなり減ってしまっていた。そろそろ危ないかなと思っていたんですが、城に侍女として潜り込んできた幼馴染が僕を助けに来てくれたんです。それまではこっそり兵士の人が様子を見にきていましたけどね」


「それはまた、不気味だっただろうね」


「ええ。よく「何故生きているんだって」言われました」


「事情を話せばよかったんじゃないかい」


「そんなはずはないとしか返事は返ってはきませんでしたよ。きっと、彼らも掌握されていたんでしょう。で、そんな中危険を犯してもぐりこんできた彼女が教えてくれたんですよね」


 すぐ、そこに迫る危機を。






「魔物が来たって言うんです。それも凄く強くて、軍じゃ歯が立たない奴だって。実際、見たこともない奴で、今でもアレと同じ奴を僕は知らない」


「でもさ、どんなレアモノでも君からしたら雑魚でしょ」


「結果としてはそうでした。けれど、城のように大きな宝石のゴーレムだと言われたんです。さすがに大きさで先ず驚きました。だから用心して彼を持って行ったんです」


 側に有る物の中で、彼自身を除けば最も強力な武器はそれしかない。

 単純な消去法で選んだアスタムは、城門をぶち破って来たその大質量の持ち主と戦った。


(レア召喚枠の奴か。アッシュが出会った戦鬼みたいな奴だね。宝石なら対魔法処理が施されてたあいつかな?)


 極稀に、通常のそれとは隔絶した戦闘力を持つ魔物が現れることがある。

 現在のモンスター・ラグーンもそうだし、ラグーンズ・ウォー時代でもそうだった記憶が彼女にはあった。ただ、エンカウント率は天文学的に低かった。

 スーパーにレアだけに。


「それ、強い奴に反応してたでしょ」


「え、ええ。どうにも高レベルの人たちを優先して襲ってたらしくて」


「魔術師殺しの『アマジュエル』君だ。中々憎めない奴だよ」


 倒されるとその死体(?)が宝の山に早代わりする憎い奴である。


「そんな可愛らしい奴じゃなかったですよ。どれだけ被害が出ていたことか……まぁ、一撃で真っ二つでしたけど」


「君だからこその会心の一撃というわけだ」


「彼の強度もありましたよ。で、そしたらまぁ、倒した後に王家の者たちが血相を変えまして……」


 よりにもよって、出してはならない悪神の剣が日の下に晒された。

 けれど、彼は人々の前で誰にもどうにもできない魔物を駆逐した英雄だ。

 王は苦渋の決断を迫られるなか、しかし事態はさらに動いた。


「兄たちの反応は凄かった。彼らは嬉々とした顔で、隠し持っていたアフラー様たちを持ち出してきました。けれど父が儀式をやり直すと言うと、父を殺しました。悪神に心奪われた賊を擁護した罪だそうです。続けて兄の中でも最も狡賢いアスタールが言いました。「次はお前の番だ」と」


「けど悪人が君とやりあって勝てるわけがないでしょ」


 聖人を殺せる悪人はいない。

 聖人を殺せるのは愚者か、単純により強い者だけだ。


「ええ。なので、幼馴染の彼女を人質に取って僕に無抵抗を命じました」


「ほほう?」


「で、言われるがままに首を差し出した時でした」


「……差し出すのかよそこで」


「や、彼女の命と僕の命じゃあつりあいが取れませんよ。万が一を考えるとさすがにね」


「アハハ。無量大数が一の間違いだねっ。君は筋金入りだな」


 少女は残していたイチゴにフォークを突き刺し、パクリと一口。


「で、今にも殺されそうな僕を前に彼女が泣き叫んだ。すると彼が、アリマーンが兵士の体を乗っ取ってアスタールを蹴り倒し、彼女を助けて僕に投げました」


「ええっ!? そこで悪神が動く意味が分からないんだけど!?」


「僕もその瞬間は分かりませんでした。けれど、彼はその後に大声で僕に怒鳴りました。『誰も救えない善行に貴公の命以上の存在価値があるのか!? そんな下らない物に、余たち悪は永劫に負け続けなければならぬのか!!』と」


「……はぁ?」


「彼はどうやら、僕を善の尖兵として認識しながらも、倒されるに値する強敵<友>として認識していたようでした。だから余計に我慢が出来なかったんでしょう」


 善に価値が有るからこそ、散るべき悪に意味が生まれる。

 嫌われ、疎まれ、蔑まれ、それでも対立し続けなければならない宿命を押し付けられた幻想<カミ>の、それが想念の呪縛の中で得た願いだったのか。


「『それは悪だ、悪に屈する善など、悪以外の何者でもない。この世全ての悪を生んだと言われし者として、余はそれを悪と呼んでやる!! 呆けた面など見せるなアスタム!! 立て、立って悪を駆逐しろ!! 目の前の悪を放置する善など、余は善などと絶対に認めぬぞ!』だそうです」


「なにそれ」


「でまぁ、そう言われると僕としても、父親殺しをするような連中をそのままにするのは駄目な気がしたので捕らえるために気絶させました」


「それで一件落着か。ふむん。しかし、これじゃ君が悪神を選んだ話にならないよね?」


「それはこの先です。終った後、彼はアフラー様を僕の眼前の床に突き刺しました。そうして自らも床に突き刺すと、兵士の人の体で一度だけ僕の眼をジッと見て頷き、無言でその人を解放しました。まるで、儀式を今すぐにでもやり直せとでも言うかのように」


 アスタムは懐かしそうに微笑むと、左手に握っていた空の缶コーヒーとは別に右手にもう一本新しい缶を手に取った。


「僕は考えました。善の剣と悪の剣。目の前に突き立った神の成れの果てを前に、どちらを選ぶべきかと。ここは迷うべき場面ではないと思ったので、善の剣を手に取りました。彼もそれを望んでいると思った。そうして僕はアフラー様の声を聞きました」


「ふむん。それでなんて言ったんだい?」


「要約するとこうです。『よく私を選んだアスタム。君の善心は証明された。さぁ、私と共に善の道を歩もう』、そんな感じのことをアフラー様は言ってくださいました。なので、僕は嬉しくなってつい言ってしまったんです」


「おお、なんてなんて?」


 アスタムは楽しげに続きを待つ少女に、彼には似合わないようなドヤ顔で言い放つ。


「悪を散々見逃した貴方<アク>に用は無いです、と」


「わーお!」


「ついでに、城の柱にブン投げてやりましたよ」


 根元まで綺麗に刺さりました、とまで付け加えるとテイハはグッと親指を立てた。


「アハハハハ! いい、それ最高っ!」


「そしたら、近くで気絶していたはずのアスタールが飛びついちゃいましてね。善のために協力するから、自分を永劫に死なぬ聖なる不死者にしてくれ! とか叫んで神宿りになりました。ただ、アレはどう見ても体を乗っ取られただけでしたね」


「あはは……そ、それで君はどうしたのさ」


「怒気を放つアフラー様の目の前で彼を抜いて、そして彼にも言ってやったんですよ」


 と、アスタムの雰囲気が変わる。


「『悪神、嫌々負ける悪なんて倒す価値もない! それよりも善より善を成す悪になって、全部ひっくり返してしまえ! どうした、これ以上の悪なんて僕には考え付かないぞ! 僕の体を貸してやるから、何もしない善神より先にこの世界を平和にして見せろ!』」


 一字一句淀む事無く、悪神はまるで昨日のことのように言い切って見せた。

 薄っすらと微笑するその顔には、彼がその時確かに得ただろう痛快さが確かに見て取れる。


「あー、なるほど。だから、世界征服の果ての世界平和なのかぁ」


「生憎とそれ以外には余も実行方法が思いつかぬ。究極の悪行を善行に摩り替える……そんな馬鹿な話、余には終ぞ思いつかなかった。きっとこの先も思いつかぬだろうよ」


 空き缶を握りつぶし、ついでに奇跡の力で跡形も無く消滅させるアリマーンは、右手に残った新しい缶を持ち上げて絵柄を眺める。

 彼には理解できない白い文字と、真っ白いパイプを加えた親分の顔がダンディな笑みで彼を楽しませていた。


「だから力なんだね。どの種族も理解するしかないから」


「文化も種族も超越する価値観となれば、それはもう『力』しかない」


 故に掲げるのはただの力。

 それも圧倒的なまでの暴力だ。

 唯一それだけが、伝承の呪縛さえも粉砕し、自らが望む世界へと変革させるタダ一つの答えだと当時の彼は夢想した。


「勝てば官軍、勝った者が正義。遥か昔から良く言ったものだ」


 最悪最低の悪行でも、ひっくり返すことができるそれこそが、彼の覇道の根幹を成している。だから彼はアスタムの体を借り受けて世界征服に挑んだ。

 言葉など飾らず、そのために必要な悪行をなんら躊躇せずに実行してみせる。

 そうして時折、自分の成果を眠り続ける彼に伝えてきた。


「アスタムだけでは無理だ。余だけでもまだ足りぬ。だが余とアスタムの二人が組めばどうだ」


「アスタム君というクロナグラ最強の人間の力と、君自身の念神としての力。二つ揃えればなるほど、念神二柱分だ。今の世界だと確かに凶悪な武器になる。手堅いなぁ」


「無論、これは無理矢理おしつける偉業となる。だから反発は必須だが、しかし対立存在を全て破壊し、既知のそれ以上のモノを与えて長い目で飼育すればどうだ。余とアスタムの命はアーティファクトライズのおかげで悠久にも等しい。ならば、原初の意志を初志貫徹することさえ可能だ。これは貴公のおかげだぞ。賢人レイエン・テイハよ――」


「およ?」


「貴公の名は聞いたことがある。探究神と妖精神、そしてその他諸々のルートからも出で立ちと人相付きで聞いていた。……確かに、上から下まで真っ黒な女だな」


「ふむん。しかしそれだけだと勘違いかもしれないぜ?」


「アマジュエルなどという魔物の名を知るのは召喚した者だけだ。あれは現地ではダイヤモンドゴーレムとしか呼ばれていないからな」


「じゃ、そういうことかもしれないね」


 正解、とは言わずにレーヴァテインはただ頷く。

 ただの好奇心――というよりは、聖人のデータ収集のためだったのだが、救世主がレベル八十の壁を無視してアーティファクトと会話できる、などというバグを知れたことに満足していた。例外はイシュタロッテと剣神だけのはずだから、もしアリマーンがそうではないとしたら、借りて調査するところだった。


 幕引きのためにしておくべきことが、少しずつ着実に消化されていく。

 それは、今のクロナグラへの興味の消失をも意味していた。


「時に悪神君。君のライバルではなくなった念神が血相を変えてやってきてるぞ」


 窓の向こうの空を指差せば、その向こうに光点がある。


「思ったよりも遅いな。リストル教の連中とは足並みが揃っていないとは思ったが、まさかこれほどとは……」


 リストル教の唯一神教という縛りが、アフラーという神を認められないのだろう。

 それ故の遅れと見るべきか、それともリストル教がクルスを斬り捨てる気になったのか。

 たった一つの対応だけで計れることもある。

 つまらなそうに鼻を鳴らす一方で、ただの便利屋になった善神を彼は内心で嘲笑した。


 彼が視線を向ければ、北側から高速で接近してくる飛翔体がある。

 その清浄なる気配の持ち主など、彼はもはやライバルなどとも思えない。


「放っておけばよい。この国で余に何かして困るのは奴と、クルスの連中だけだ」


 召喚の書を自室に転移すると、アリマーンは涼しい顔でコーヒーを嗜む。


「ところでまだ疑問なのだけれど、どうして善神は何もしなかったのかな?」


「さて。人の手に寄る統治を望んでいたか、あるいはアスタムの力を考えれば手を出す必要もないと思ったか。はたまた、人類の持つ善性とやらを最後まで信じたかったのか」


 元よりアフラーの思考など考えたくも無いアリマーンは、分からんとだけ言って話しを打ち切った。そこへ、窓の向こうを並走するようにアフラーが近づいてくる。


「アリマーン! 貴様、何故こんなところに居る!?」


「先に言っておくがな。乗り込んできたら無銭乗車だぞ。もちろん、列車を壊したら器物破損だ。――さぁ、どうする傭兵のアスタール」


「ついでにやりあったら被害が出るよね。これ壊したらクライアントが怒るだろうなぁ」


「――くっ、次の駅で待っていろ!!」


 善神は断腸の思いで列車を追い越していった。

それは、雇われ傭兵の悲しいところだった。








 駅へと到着した列車で人員が入れ替わる。

 そんな喧騒に包まれる車内で、善神が声を荒げた。


「か、観光……だと!?」


「それ以外の何がある」


「一国の王が共もつけずにか!?」


「他の貧弱な王ならともかく、余に護衛など不要だ」


 クツクツと嘲笑する悪神に、善神が歯噛みする。

 そうして、どっしりと鎧姿で彼の隣へと座った。


「……ほう、貴様にしては良い位置を取る」


「お前たちの顔など見たくもないからな」


 無理矢理に座るアフラーは、そこで当然のようにレーヴァテインに視線を向けた。


「……何者だ? 気配が希薄に過ぎるようだが……」


「通りすがりの旅行客だ。中々面白い女だぞ」


「惚れるなよ。ボクに触れると火傷じゃすまないぜ?」


「余はそこまで悪趣味ではない」


「はっはっはー。一回は辞めて二回にするぞこの野郎」


 緩やかに列車が走り出す。

 コーヒーを一本手に取ったレーヴァテインは、アフラーに差し出した。


「これも何かの縁だ。今日は無礼講ということで、君にもこれをあげようじゃないか」


「……なんだこれは」


「フッ――」


 その隣で、これ見よがしに新たな缶コーヒーを開けるアリマーンである。

 無知を笑われたアフラーが、青筋を浮かべながら見よう見まねでプルタブを開け、中身を飲み干す。


「……悪くないな。目が冴えるようだ」


「さすが『親分』だね」


 満足そうに笑むと、彼女は話題を振るう。


「ところで君たちはこの列車をどう思う?」


「どう、と言われてもな。人間の知恵には驚かされるとしか言えない」


「果たして、本当にそれだけかな」


「……何が言いたい」


「我がアヴァロニアでも蒸気機関の研究は進んでいるがまだ実用化に苦心している段階だった。それがこの国はどうだ。いつの間にか出来上がり、この通り利用されている」


「それが貴様の国の限界なのだろうさ」


 何かにつけて衝突しなければ会話ができない二人である。

 元々はこのクルス横断列車のレールの上は馬車が通っていた。

 レールの上を走る馬車。

 昔、アリマーンはそれを知り馬の負担軽減などの理由が有るのかと思っていた。

 が、機関車に取って代わった今では、その認識が間違いだったのだと悟っていた。

 周到に準備されていたのだと。


「アフラー、そもそも蒸気機関とはなんだ」


「燃料を燃やして水を熱し、生まれた蒸気の力を動力とする物だろう」


「そうだな。大雑把に言えばそのはずだ。しかしならば何故、蒸気機関が搭載されているだろう先頭車両から魔力の励起を感じるのだろうな」


「私が知るか」


 アフラーからすれば、何も問題ではない。

 仮に魔術などの魔導の技術が使われていたとしても、この地ならば神魔再生会が関与していないリストル教の管轄である。

 口出しできる立場にはおらず、気にもしていなかった。


「つまりだ。この列車に積まれている蒸気機関は、純粋な蒸気機関ではないかもしれないということだ」


 答え合わせをするかのように、悪神は少女を見る。

 レーヴァテインは頷いた。


「……何が言いたい。クルスにはリストル教がいる。この列車も彼らの関与があると聞いている。連中が都合よく『魔女の遺産』を使っていたとしても驚くべきことではない」


「素晴らしく杓子定規な回答をありがとうアフラー」


「貴様……」


「はいはい。話しが進まないから挑発合戦は止めたまえ」


 果てしなくうざいので、仕方なくレーヴァテインが嗜める。


「この場合、普通に考えれば問題はどう使っているのかなんだよ」


「……燃料の火力を上げるために使っているのではないか?」


 善神は、魔力をそのために使っていると考える。


「外れ」


「では、水を補給するためはどうだ」


「それも外れだ。無難な使い方を言ったとは思うけれど、こいつはそんな生易しい使われ方はしていないんだ」


 そもそも。

 二人が言ったのは普通に魔術を使った単純な運用例に過ぎない。

 彼女が言いたいのはそんな短絡的なものではなかった。


「時にアリマーン。停戦前に何者かにゲート・タワーが破壊されていなかったかい?」


「戦争ではよく有る話しだが……なるほど。そういうことか」


「……壊したのは私ではないぞ」


「貴様であろうとなかろうとどうでもいい。問題は壊され方だ」


 黙っていろ、とでも言うかのように制し、アリマーンは続ける。


「被害報告では最上階ごと入念に破壊されていると聞いたがな。盗んでいったか」


「多分ね。ゲートを維持するための動力装置は、大気中の魔力を取り込んで電気エネルギーに変換している。それで転移装置<ゲート>を絶えず駆動させているのさ。この場合は動力装置が欲しいだけだから転移装置はいらない。だから床は壊されずにそのままだったんじゃないかい?」


「その通りだ」


 レベルホルダーの育成阻害や魔物由来の資源の獲得妨害のためではなく、端から動力装置が狙いだったのではないか? レーヴァティンが言いたいのはそういうことだった。



「ま、待て。では何か? この列車の蒸気機関は、ゲートを稼働させていた装置をも利用していると言うのか!?」


「そうなるね。だから魔女の遺産をどうしようが蒸気機関とは繋がりえないのさ。そもそも発想が違うからね」


 蒸気機関は魔力的な力など一切介在しない科学の産物。

 そも、普通のリストル教徒にとっては魔術や魔法は異端なのである。

 この二つを掛け合わせるという思想自体が、本来はクルスで生まれるワケがなかった。


 そもそも知識の研磨さえ異端ではないかという風潮さえリストル教にはあったのである。それが覆されてきたのは、アヴァロニアの発展に今まで否定してきた知識や技術の発達が関与していたからで、それ以前には知識をもたらす者は悪魔ではないかと言われていた。


 神の奇跡であるはずのものが、そうではなかったとされるのは彼らにとって都合が悪い。

 真理の求道からくる弊害だ。

 叡智の光が神域を脅かすのは、彼らにとっては好ましくなかったのである。


「探究神風に表現すれば、蒸気機関は人類の叡智が生み出した産物だ。魔術とはまったく根本的に生まれが違うからね。この二つを融合した魔導科学なんて、錬金術を除けばクロナグラの文明の中では一度だって存在していない。それが生まれただけなら在りえるかもしれないけれど……これは違うな。出力を補うために意図的に使われている」


 電気エネルギーを使って簡易的なモーターが仕込まれていることを彼女は確認していた。

 小学校でやる理科の実験の延長のような、そんな程度の代物に過ぎない。しかし、ようやく蒸気機関を実用化したような文明が、いきなりそんな物を補助動力として組み込んでいる事実は彼女をして疑問だった。


「天才か、鬼才か、秀才か。はたまた凡才か。これを作った奴が一発屋でなければクルスはもっと伸びるだろうね」


 レグレンシア帰りが犯人なら話は単純なのだが、彼女はそれがありえないと知っている。

 あそこは技術を伝えて送り返すなんてことはしない。

 だから、レグレンシア帰りの司祭メルヘブではないことも分かっていた。


「現状から考えればリストル教徒以外に犯人はいないと思うが」


「それはボクも間違いないと思うな。まぁ、別にどうでもいいことではあるけれどね」


 喉に小骨が引っかかったような、そんな不快な感覚がふと念神二人に去来する。

 しかし必要以上に調べなければならないことだと彼女が認識していないことだけは感じとる。


「結局、貴公には話の種以上ではないということか」


「困るのは君たちであってボクではないからなぁ」


「そのリストル教といえば、エルフの森を襲うそうだな。アフラー、こんなところで遊んでいて良いのか」


「……分かっていて言っているだろう貴様」


 アリマーンを警戒するためにアフラーはここに派遣されたのだ。

 逆に言えばアリマーンがクルスに居る限り、アフラーは行動を束縛されざるを得ない。


「フッ。貴公抜きでどこまでやれるか楽しみだな」


 アッシュが森に居る限り、森のラグーンを手に入れられる確率はグッと低くなる。

 アフラーを退かせる程であれば、それこそリストル教の神宿りたちでさえも手を焼くだろうことは明白。そうやって潰し会えば喜ぶのはアヴァロニア。ひいてはアリマーンだ。

 この観光がただの観光ではないのは、アフラーにも嫌でも分かっていた。

 彼は役々顔を曇らせ、込みあがってくる殺意をただひたすらに押さえ込む。


「どうした。今日に限っては大人しいではないか」


「私はお前のそういうところが大嫌いだ」


「安心しろ。余も貴様が大嫌いだ」


「じゃ、なんで生かしてるのさ」


「こいつの使い方で相手の手の内が読めるだろう。馬鹿と善神は使いようだ」


「なっ!?」


「今回は裏をかかれたかもしれぬが……まぁ精々役に立て。余のためにな」


「ふざけるなよ悪神めが! 大体、貴様は昔から――」


 そして始まる口撃の応酬。

 懲りるということを知らない二人は、レーヴァテインを当たり前のように辟易させる。

 彼女は窓の向こうを流れる風景に視線を向けて考えた。

 だるいから次の駅で帰ろうかな、と。


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