第五十九話「マリオネットライン(上)」
適当に整地した拠点に、これまた適当な位置に張った天幕がある。
ラグーンに住む戦士たちも続々と集結中で、カミラ姫の親父さん――つまりはハイシュレイクの王であらせられるクレイン陛下も来ていた。親戚らしくルース王子に似ているが、穏やかな人だった。
争い事は得意ではないようだが、それ以外はアクレイがとても絶賛していたことが記憶に新しい。
おかげで迎撃準備はつつがなく進んでいると思う。
今のところ何も問題はない。
元よりアクレイが俺を囮にしている間にエルフ主義者との戦いに備えて準備を進めていたせいでもあったようだが、それにしたって動きが早い。
「どうした、柄にも無く何ぞ考えておるのか?」
薄暗い天幕の中、イシュタロッテが腕の中で呟いた。
「まぁな。戦争のことじゃあないんだが気になることがある」
「妾か、それともあの紅い奴か?」
「両方だな。お前はまぁ……その開き直りっぷりに呆れるだけだが」
「深く考えるでない。元より、妾はこういうのは奔放じゃからの」
元女神であるという悪魔は、そう言って胸板に頬を摺り寄せてくる。
確かな熱がそこにある。
念神とはいっても、人肌の温もりはあるのだ。
肌を通して感じるその熱は、心地よいほどに安堵をくれた。
「本当はな、どこかおかしいとは思っていたんだ」
いや、おかしいのは分かっていたはずだ。
それでもこうして、そのおかしさを享受し続けてきた。
そうでなければ平静が保てなかったからだ。
けれど、遂にそのごまかしさえ打ち砕く事象にぶち当たってしまった。
――付喪合体<ツクモニオン>とゲームのアップデート通知。
元々、鍛冶師という職業は地味だ。
武具を作り、改造するだけのゲームは多い。
鍛冶師でなければ出来ないことを用意することで、VRMMOというゲームの枠で存在意義を作り出す。
そうして、ゲームバランスを整えてプレイヤーに様々な選択肢と遊び方を提供して長く遊んでもらうのが、この手のネットゲームの醍醐味だろう。
ツクモライズは、単純に必要だけれど地味な役柄だった鍛冶師ゲーマーたちに、新しいプレイスタイルを確立させたと言っても過言ではない。
しかし、ツクモニオンはその枠を超えていた。
普通のコンシューマゲームもそうだが、ゲームにはレベル限界が決められている。ハードやプログラムの設計上の限界のものから、意図的にゲームメイクされた上での限界の場合などいくつかパターンがあるが、無限転生オンラインの場合においてレベル限界は99だ。
やろうと思えば最大桁数を上げることはできただろう。
けれどオンラインゲームという枠組みで上限を適度なところで設けなければ、最初期のプレイヤーに永劫に追いつけないという事態が起こりえる。レベル制のゲームにおいて、後追いのプレイヤーが追いつけないのでは新規参入者にとって面白くない。
一人の人がつぎ込める時間には限界があるからだ。
だからそれを誤魔化すための転生強化システムだったのだと思う。
転生をし続ければ確かに強くなる。
強くなるが、それには膨大な時間が必要だ。
それはそれだけの時間と金をつぎ込んでくれたプレイヤーのためのある種のプレイ特典だと思うべきなのだろう。
それ故に、レベル加算ができるツクモニオンは実装されなかったのだ。
そしてもう一つがスキルの統合だ。
祭り用のキチガイ的な固有スキルも、何もかもを関係なく合成するという仕様であるから、単純に言えばありえない。
戦闘職ではない鍛冶師の切り札としては面白いかもしれないが、ゲームバランスを恐ろしく崩す。
レベル加算とスキル合成。
どちらも無限転生オンラインでは認めるわけにはいかなかったのだ。
調整し、制限を加えることで実装することは不可能ではなかっただろう。
けれど、開発陣のツイッターでポロリと出たツクモニオンは、結局は反対されてお蔵入りにされた幻の非実装スキルの一つである。
それが、いきなりアップデート通知と共に使用可能になるなんて冗談にも程が有る。
だいたいそのアップデートもありえない。
通常はログアウトさせてからゲームがアップデートされるのが普通だ。
だというのに、アップデートの最中も俺は動いていた。
ゲームであるならこれはありえない。故に、俺という存在も含めて考えないわけにはいかなかった。
レベルが99で制限されている無限転生オンラインで、99を超えるのがそもそもありえない。俺自身もそうだが、いよいよこれは我慢ができなくなってきた感じだ。
ていうか、自キャラトリップ説だの転生説だの色々と浮かぶが、今の状況は結局はなんなんだ。
「知らぬが故の恐怖か。その答えが知りたいのだな」
「知りたいさ。でも、お前に教えてもらうわけにはいかない」
あの娘たちに聞かなければならないと分かっているのに、それがどうしてか怖い。
いいや、取り繕ってもしょうがない。
「なんでかなぁ。知るべきじゃないんじゃないか、とも思うんだよ」
何故、そう思うのかは分からない。
けれど深く考えれば最近頭が真っ白になっていくのが分かる。
「他にもある。俺は、武具が作れる。アーティファクトに似た魔法染みたそれを使えるようにすることもだ。けど、最近それを作って配ろうかと思う度に何かが俺の邪魔をする」
戦争をやるというのだ。
武器は強力であるべきだと子供でも分かる。
だってのに、スキルを付与した武器を大量配布しようと考える度に頭が霞む。
風呂用のそれや、ゲートのバッテリーコアの充電用のそれを用意するときにはそんなことは無かった。
ナターシャにソードブレイカーや指輪をやったときも何も無かった。
しかし、二度と手に入らないから勿体無いなんて理由をかなぐり捨てるべきこの場面でそれができない。そのくせ、普通の武具や矢は制限なく製造して供給できる。
「これじゃあまるで、行動が制限されているみたいだ」
念神だからそうなのか?
想念の呪縛という奴なら、その元になった伝承があるはずだ。
けれど、俺はそんなモノに心当たりが何一つない。
「俺の体は一体どうなっているんだろうな」
今更のような恐怖が背中から這い上がってくる。
棚上げした問題が、忘れているべき問題が、まるで無理矢理にでも直視させようとしているかのようだった。
その果てに待つものって、なんなんだろう。
このままでは気持ちが悪い。
気持ち悪すぎてたまらない。
思わず、縋りつくように尋ねてしまう。
「それともこれが想念の呪縛って奴なのか?」
「それは知らぬよ。元よりお主を縛る法則が通常の念神のそれと同じであるかどうかなど妾には分からんのだ」
イシュタロッテは裸身のままで身を捩じらせ、這い上がってきたかと思うと細腕を伸ばして俺の頭を抱き寄せる。その両手には、まごう事無き慈愛があったように思う。
やがて無言で居るだけに耐えかねた俺は、恐怖から逃れるためか目を瞑った。
「のうアッシュ。中身が凡人でも、英雄に仕立て上げるのが女神だった妾の力だ。しかし、できるのは力を貸すことだけだ。心までは加護で誤魔化せぬ。だからその時が来るまで、好きなだけ妾に甘えるが良い。お主が今の担い手ぞ。ならば、何があってもまた最後までお主の側に居てやるでな」
子供をあやすような手が、何度も後頭部を撫でていく。
崩れ始める何かに怯える俺に、何かを確信しているだろう悪魔はそうして少しずつ確実に俺の中に居場所を作っていく。
不思議な感覚だった。
そういえば、俺はこいつを警戒したことはあってもあまり疑ったことは無い。
武器娘さんたちと同じだ。
「なぁ――」
「ん?」
「前世の俺とかいう奴は、お前とこんな関係だったのか?」
「少し違うの。起こしはしても、それ以上はなかった。必要が無かったというのもあるし、テイハ嬢ちゃんが居ったのも大きい。実験を除けば、こんなにホイホイと妾がこの姿になることも稀だったのだ。妾は一人では起きられぬからのう」
自由が無かったようにも聞えるが、どうしてこいつはそんなにも嬉しそうに言うのだろうか。
分からない。
知らないからではなく、単純に俺の想像力が足りないのだろうか。
「アッシュ?」
「……ああ、悪い。寝ちまいそうだった」
「そうか。ならば無理せずに眠れ。好きなだけ妾の胸を貸してやろうぞ」
「悪い……な」
こいつのためにも聞くべきだったのかもしれない。
けれど今はそれさえも分からぬままに、俺の意識は闇に落ちていく。
そのせいか、悪魔の呟きが聞えなかった。
「アッシュ。お主は、前のお主よりは普通だ。だから、思い出さぬ方が良いのかもしれん。……いや、思い出したくないからこその今かもしれぬ。ならば、好きなだけそのままで居ると良い……」
どうせ思い出しても碌なことにはならない。
ならば、一つの災厄が痺れを切らすまで今を謳歌すればいいと悪魔は思った。
(妾だって開き直るしかないのだ――)
もう何も知らない。
何も知らないから、腹だけは括った。
元より今の彼女は悪魔であった。
他人にただ尽くすなどありえない。
アッシュに手を貸す分だけ、貰えるものは貰うのだ。
それは物理的な形あるモノではなく、想念でもない。
欲したのはただの居場所。
奇しくもそれは、担い手が望むそれと同じ安住の地に似ていた。
篝火の光の中、怒号と喧騒が錯綜していた。
「アクシュルベルン!!」
城内部がどこもかしこも喧しいその音の中で、イリスは両手に抜いたナイフを投げ放つ。
手首のスナップを効かせた投擲。
射程圏内の得物に喰らいつこうと迫る二本のナイフはしかし、すぐさま明後日の方向へと消えた。
それを阻んだのは闇夜に煌くただの剣戟。
その数はきっかりと、投げ放ったナイフの本数と同じだ。
一本も逃さずに弾き飛ばされたナイフが、甲高い悲鳴を上げて夜闇に消えて床に落ちる。
「まだ、まだぁぁっ――」
懐に両手を忍ばせ、ベルトから音も無く次の投擲短刀<スローイングナイフ>を抜く。
同時に、モーションを隠すように外套を靡かせるるように回転。
放つ瞬間をブラインドしながら、遠心力を加えて投げ放つ。
「ふむっ――」
距離は十メートルも無い。
その間を、飛翔する三本の投げナイフ。
レベルホルダーの膂力と、習練に裏打ちされた技術によって加速する凶刃が敵に迫る。
――だが結果は変わらない。
その場で刃を造作も無く振るったダークエルフの王は、投げた本数と同じ数だけ剣を振るって叩き落す。
その涼しい眼差しは、いつだって変わらない微笑みに彩られている。
強襲に動揺するでもなく、必死になるでもない。
まるで気にもならないと言った風情だ。
イリスは更に攻撃を続行する。
左手の指に挟んだ二本を投擲。
次には右手から一本。
そして、更に回転しながら黒塗りのナイフを本命として、両手で四本投げつける。
都合七本。
息をつく暇も無い連続投擲はしかし、まったく彼女の望む答えを出さなかった。
「――今のは良い工夫ですね。慣れさせておいて、光を反射しにくいとっておきを速度を変えて投げ放つ。素晴らしい。ついでに毒でも塗っていたら完璧です」
「化け物がっ――」
篝火があるとはいえ、薄暗闇の中で黒い飛翔体を叩き落す。
いかに高レベルのレベルホルダーの中には弓矢を切り払える者が居るとはいえ、彼女のそれを剣一本で防げる者など風の団員の中には存在しない。
それが神宿り。
神の恩恵を受けし者。
「だからって――」
イリスは聞いていた。
父の遺言として聞いていた。
しかし、それでも。
「認められるかぁぁぁ!!」
再度両手にナイフを抜くと、投げ放って床を蹴る。
それを前にアクシュルベルンは、何を思ったか神宿りを解いた。
背中に怖気が奔る神気が消える。
腰元のショートソードを二本抜いたイリスは、一瞬だけ目を見開くも更に加速。
右手のショートソード型アーティファクト『斬神』で魔法を行使。
――アーティファクト魔法『スライサー』。
左手の普通のショートソードに、鉄をも切り裂く切れ味と威力を与える補助魔法だ。
「あっ――それは失策です」
間合いに飛び込む寸前、嗜めるような男の言葉さえ切り裂く勢いで二刀が踊る。
右手は袈裟斬り。
それを、一歩下がってアクレイが無造作に後ろに避ける。
(――勝機!)
そこへ、いち早く本命の左手を振り上げ、渾身の力で至近距離から投げ放つ。
もとより、まともに戦うつもりなどイリスにはない。
避けさせ、後方へと逃げる相手に向かって回避不可能なタイミングで一撃を叩き込む射剣術。
狙うは胴体。
一撃は線ではなく点として真っ直ぐに飛ぶ。
疾駆する刃は、すぐさま目標に喰らいつこうと敵に迫る。
そして高鳴った金属音。
途端に、イリスが眼を見張った。
「なっ――」
――アクレイが、虚空で踏ん張り当たり前のように剣を振るった事実に。
「呆けている暇は無いですよ?」
頬を掠めて飛んでいくショートソード。
そこへ、正気に返ったアクレイのアーティファクトが光る。
魔法の前兆だ。
何が来るかはさすがに知らない。
イリスは咄嗟に床を蹴る。
腐っても機動力は、どの団長よりもあるという自負がある。
軽装を頼りに転がって、遮二無二射程圏内から離脱を図った。
すぐさま飛び起きつつ左手にナイフを抜けば、アクレイは何ごとも無かったかのように立っていた。
ただのブラフだったのだ。
「貴様っ――」
イリスの中で激情があふれ出す。
復讐者としてだけではなく、戦士としても。
元より気に喰わない相手だったが、歯牙にもかけられていないという事実は彼女には耐え難いものだった。
「舐めているのかっっ!」
「心外な。これでも少し迷っているのです。ですので、その結論を出す前に尋ねたいのですが――ねっ」
アクレイが振り返る。
剣を振り、跳んで来た矢を振り払う。
そこへ、イリスが左手のナイフを投擲。
その間に弾かれて床に落ちたショートソードを拾いにかかる。
瞬間、通路の奥から悲鳴が上がった。
「移動の魔法……ッ――」
悲鳴は直ぐに消え、吐き捨てた彼女の眼前に再び彼が現れる。
右手を振り上げる。
掬い上げるような咄嗟の迎撃。
空を斬る感触だけを残す右腕にあわせ、左手のショートソードを操った。
衝撃はやはり無い。
更に踏み込み、回転するように何度と無く叩き込むが、それさえも届かない。
そして届くは、涼しい声色。
「聞きたいのは一つです。貴女、父親が死んだときは既に風の団に?」
「――冗談。その頃は十にも満たなかったっ!!」
回転を止め一瞬だけイリスは動きを止めて、剣を構え直す。
――このままでは勝てない。
ようやく悟った彼女は、悲願の戦力差を埋めるために命を掛けた。
詰める。
ただ距離を詰めることだけを考え、機動力に傾注する。
「――嗚呼、それも愚策です」
声を無視し、そのまま前へ。
だが、剣を振らない。
間合いの中に侵入しても、それでは足りぬとばかりにそのまま前に出た。
狙うは相打ち。
攻撃の瞬間にあわせて、両手のどちらかを突き込――。
「ッ――!?」
そこで、アクレイの姿がフッと消えた。
魔法かと思ったイリスが歯噛みしたのは一瞬。
その空白に、それは来た。
「か……はっ」
溝尾にある衝撃。
背中まで突き抜けるような打撃が襲い掛かってきたかと思えば、体はくの字に曲がり彼女の覚悟を裏切っていた。
「すいません。魔法としての縮地も好きですが、歩方としての縮地も好きなのですよ」
溝尾には剣の柄がめり込んでいる。
軽装なのが裏目に出た。
踏みとどまろうとする意思が、抵抗もできずに断線していく。
「それと、これは忠告ですが……」
「ぐ、あぐ……」
「悪い大人に騙されるのは止めなさい。私は、あの男を部下に邪魔されて斬れなかった」
「な――」
「そして、一族を守るために探すことを後回しにしたせいでついに見つけられなかったのです。つまり、斬ってなどいないのですよ――」
その一言は、彼女のなけなしの意識を寸断した。
「――待て、アクシュルベルン!!」
息を荒げながら、イリスが覚醒する。
跳ね起きた体は、すぐさま武器を抜こうとして空を切る。
それに驚くよりも先に、彼女は知り合いの視線に気が付いた。
「やっほーイリス」
「……シルキー」
牢獄の中、武装を取り上げられていた彼女は苦虫を噛み潰したような顔をする。
ここ最近、どうしてか同じ夢ばかりを見る。
そして何故か、その度にシルキーが牢の向こう側に居た。
「……笑いたければ笑え」
「ぷっ」
遠慮も無く笑い声が木霊する。
本当に遠慮なく笑ったシルキーは、イリスの前で転げまわった。
「笑いすぎだ」
「あ、そう?」
途端に、笑うのを止めるシルキーである。
変わり身の早さを突っ込むべきか、笑いものにされていることを恨むべきか。
少し悩んだイリスは、なんとも言えない顔で背を向けた。
「で、どうなの。そろそろ全部吐く気になったかしら」
「話すことなど何も無い。さっさと殺せ」
「ふーん。じゃ、愛しのアクレイ陛下でも呼んで来てあげよっか?」
「――」
イリスが振り返って睨みつけるも、シルキーは涼しい顔を崩さない。
非武装だからでも牢屋越しだからでもない。
元より、シルキーはイリスを一顧だにしていないからだった。
団長同士の力量は拮抗などしない。
単純に戦士団の用途によって求められる能力が違うからだ。
その中でも、特に水と地の団長は個人の技量が別格だった。
何でもできると言われたシルキーと、守りと用兵に長けるドラスゴルは特に年季が違う。
「意地張っちゃって。あの方がとりなしてくれたから今も生きていられるって言うのに」
王都を突如として襲った災厄。
その元凶であるスイドルフ派の重鎮たちはそのほとんどが怪魚に飲み込まれた。
しかし、だからといって責任を取る者が居ないというのでは民も納得はすまい。
当然のようにイリスも槍玉に挙げられたが、それをアクレイが止めていた。
何のためかはイリスも知らない。
シルキーだって分からない。
けれど、リスベルクがそれを認めた。
ただ、リスベルクへの信仰を捨てているガチガチのエルフ主義者にはハイエルフであっても言うことを聞かすことが難しかった。信仰していないから、想念の繋がりが断たれていてディウンを隠していたシルキーと同じように強制力が働かないのだ。
辛うじて信仰を捨てきれずに居たものは口を割った。
罰せずにいられるわけではなかったが、まだ更生の余地があるとされた。それ以外は罪を償う姿勢をみせない限り断罪されいる。
当然といえば当然か。
王城は既に、ほとんど機能していない。
修復の目処などたっていないない。
辛うじてここのような地下牢はいくつか残っていたが、上層部の半分以上がほとんどが使い物になるわけもないのだ。
蓄えた物資も、財宝も、拠点としての防衛機能さえもほとんどが失われた。
この被害をもっとも生み出したのが人間たちだとしても、スイドルフ派の人間が責任を何も負わないのでは誰も納得などしない。
なのに、イリスは生かされていた。
「私に利用価値などないだろう」
「残念ながら、それを決めるのは貴女でも私でもないのよね。まぁ、見当もつかないってことはないけど」
「……団の再建か」
「そういうこと」
逆に言えば、それ以外には無いとも言える。
壊滅的な被害を受けた地と風は、少なくともシュレイクとしては必要な戦士団であった。
その二つを統括する二人のうち、一人は怪魚の腹の中に消え団員も精鋭が消えた。
特に地の団は生き残りはほとんどが下っ端で、アッシュの言葉で寝返ったような連中やたまたま生き残ったような者が大半である。
風も減っているが、そもそも市内や方々の情報伝達のために回されている者が居る。
それらを統括し、再建するとすれば把握しているイリスが適任と言えた。
運用資料なども城と共に消えたのも痛い。
が、これに納得出来るものが果たしてどれだけいるか。
「ラルクにでもやらせればいい。彼は風に愛されている男だ」
「彼は孤高の風よ。大体、王家が彼を易々と手放せるもんですか」
神宿りという力と、その卓越した剣技。
そして、追跡者を振り切ってクルルカ姫を抱えて逃げ出せる実力。
近衛としてだけでなく、是非とも押さえておかなければならない人材だ。
エルフ族内で、とりわけリスベルクが手放すなと言った人材が四人居る。
一人目がディリッド。
二人目がアクレイ。
三人目がシルキー。
最後の四人目がラルクだった。
「貴女も、だろう」
「光栄といえば光栄なんだけど、別に廃エルフ君でいいと思うのよね」
水精ディウンの担い手シルキーもまた、ラグーンズ・ウォーの最中に名を挙げられてしまっていたが、今度のことでより名が広まっていた。
「廃エルフはもう、そういうレベルの存在ではないだろうが」
「かもね。でも、名を上げるってことはそれだけ面倒もあるってことなのよ」
誰かさんのせいで余計に面倒になったー、などとぶつくさ言うシルキーはそこで手招きした。
すると、カツカツと石畳を響かせながら涼しげな顔でアクレイがリスベルクと共に現れた。イリスが瞬きをして、すぐさまシルキーをキッと睨みつける。
「中々話しが弾んでいるようで何よりです」
「シルキー、お前は前から見所が有る奴だったがやっと分かりやすく尻尾を見せたなぁ。これからは仕事をたっぷりとくれてやるぞ」
「げげっ」
引き攣った顔でシルキーが逃げようとするも、リスベルクは彼女の服の袖をしっかりと掴んで離さない。
「この忙しいときにサボるな貴様は」
「ふふふ。リスベルク様から逃れられるとは思わない方がいいですよシルキーさん」
「えー、でも廃エルフ君には逃げられてたわよね?」
「くく、くくく。シルキーよ、貴様はよく私の前で奴のことを話せるな」
「あ、あちゃー」
リスベルクは当然のようにお怒りであった。
ただ、怒ろうにも本人が居ないので当り散らさなかっただけなのだが、ついに爆発した。
「何故だ!! 私より風呂が良いというのかあの風呂エロフは!!」
ぐぬぬであった。
成長できないせいで手に入らないとさえ思っていた美貌を手に入れたはずなのにこれである。ようやく一つのコンプレックスから脱却できたとうのに、そんな彼女よりも自分で作った風呂を選ぶような男など存在したら困るのだ。
せめて王都の宿屋に逃げ込むならまだ分かったが、滞在すらせずにアッシュは逃げたのである。女としての矜持は元より、契約婿としてそれはどうなんだという思いが膨れ上がっていく。
「それとも人間か? あの人間の女がそんなに良いのかあの男はっっ!!」
「ふふふ。私に聞かれても困ります」
首をガクガクと揺さぶられるアクレイは、とても優しい目で自らの信仰する神を見る。
神は必死だった。
色々な意味で崖っぷちのような顔で、憤っておられた。
だからつい、アクレイは茶目っ気を出してしまうでのある。
「最近はイシュタロッテさんも居ます。リスベルク様にはもっと頑張ってもらわないと」
「イシュタロッテ? 待て、誰だそれは。知っているような、知らないような……」
「前に報告したリストル教の神を殺したという噂の悪魔ですよ。賢人が最後に振るったアーティファクトで、アーク・シュヴァイカーが使っていた剣でもあったそうですね」
「な、なぁにぃぃぃぃ!?」
牢屋に響き渡るハイエルフの金切り声。
咆哮とも似つかぬそれに、見張りの戦士たちが大慌てで駆け寄ってくる。
その中にはやはり、キリク将軍も居た。
「何事ですか!?」
「いや、良い。良いのだ。少し驚かされただけだ」
「はっ――」
「いやいや、何ナチュラルに近衛に混ざってるのよキリク。ははーん。貴方、またシュランに仕事を押し付けたわね?」
「失礼なことを言うな。団の戦士たちは先にディリッド様のお力でラグーン勢と合流しただろうが」
「そうだったっけ?」
「そうだ」
「じゃ、なんで貴方がここに居るのよ。団と一緒に行くべきでしょ」
「……さて、俺は仕事に戻るぞ」
キリクは答えずに背を向けると、近衛を引き連れたケーニス姫と一緒に離れていった。
「ふむ? キリク将軍に残る指示を出していたのはルースだったような気がするが……」
「そうだったかしら」
自分への矛先を有耶無耶にしたシルキーは、そうして自らも仕事を理由に逃げおおせる。
(まっ、イリスも自分で自分の価値が分かるなら後は大丈夫でしょ)
一度だけイリスにパチリとウィンクを送った彼女は、これから待つ仕事を想像し、すぐさま歩みを遅くした。
戻ったら仕事の続きが確定していたからである。
「結局、何の話でしたかね?」
「そのイシュタロッテとやらは私のアッシュの何だ!」
「愛剣で愛人で相棒だそうです。いやぁ、アッシュも満更ではない様子でしたね」
「お、おのれぇぇぇ!! 今度会ったら序列というものをきっちりと話し合わねば!」
「ライバルが増えて大変ですねぇ」
アクレイは涼しい顔で微笑むと、神気を纏いながら地団駄を踏むリスベルクを宥めに入る。
「まったく、プライベートも頭が痛くなるな。状況は予断を許さぬというのに」
「それもこれも、エルフ主義者のせいですよ」
「まったくだ。帰ってきたらペルネグーレルでの働きを労わねばと思っていたのに何故こんなことに……」
勿論リスベルクは王家の浴場も解放するつもりだったが、今は風呂さえも無い。
途方に暮れるリスベルクは、すぐに仕事に戻らなければならないことを思い出す。
ルースなど、もはや無事な部屋で缶詰だ。
書類地獄に追われ、その手伝いをしているリスベルクもまた不眠不休といった有様である。テンションがおかしいのも、太陽が黄色く見えるのも仕方がないことだとは言えた。
神も疲弊するのだ。
だというのに、唯一子供ではなく男として認識できる同族のアッシュは、彼女を置いて風呂に逃げた。
元より、国政について知らないアッシュに手伝いなど不可能ではあったがそれはそれである。
「――でだイリス。その頭痛の種を貴様が減らせ」
いきなり話を振られた彼女は、怪訝な顔をする。
「そろそろ頭も冷えたろう。それとも、本気で貴様はエルフ主義者などと称する馬鹿共の仲間だったのか?」
「――」
イリスは答えない。
ただ、無言で視線をアクレイに向けた。
「答えろアクシュルベルン。お前でなければ、父を殺したのは誰だ」
「それは分かりません。そもそも、貴方は本当に父親に会ったのですかね?」
「……どういう意味だ」
「仮に私に斬られてから自宅に戻るまでの間、命が持ちますかね?」
当時で言えば、エルフは森の東側に逃げ込んでいた。
森の西側に有るゲート・タワーから戻るとなると、如何に風の団員といえど、数日でそこまでたどり着くのは不可能だ。
レベルホルダーだったとしてそうなのだ。
しかも切られて手負いの男なら、その移動もかなり遅くなるだろう。
馬であれなんであれ、移動には体力を使う。
重傷のままたどり着けるほど、当時からアクレイの剣技は生易しくは無い。
そしてそもそもアクレイには、逃げ出した人物を斬った覚えが無い。
「だがお前には移動の魔法がある」
「妻の死体を放置などできませんよ。それに見失えばこの森で見つけるのは容易ではない」
「……」
「では仮に私が斬らなかったとして、後日王都へと縮地で移動したと考えてください。そうなったら、私は貴方の父親とやらを絶対に見逃したりはしませんよ?」
それどころか、シュレイク王さえも斬っている。
そうなっていないのは、同胞を避難させる必要があったからだしリスベルクが失われた当時に、エルフとダークエルフを衝突させるわけにはいかなかったからである。
「まぁ、それ以前に論外ですがね」
大前提としてだが、アクシュルベルンはダークエルフの王だった。
それを斬り損ねた、などと子供に聞かせるような父親など存在するのだろうか?
風の団の暗殺部隊は秘匿されていたはずなのだ。
いろいろな意味でアクレイには疑問があった。
「そしてもうひとつ。貴女はどこの出身ですか」
「……なに?」
「風の団の生き残りに聞いても、誰も知らないというのだ。ある日、シュレイク王……クルセルクが連れてきて、いきなり病死した先代の後釜に据えたとしか誰も知らん」
当時リスベルクはアーティファクト状態だったので知らない。
暗殺者育成もそうだった。
未覚醒状態であったが故に経緯を知らない。
ただ、子等が決めた人事ならばと団の配置などは放置していた。
今はアクレイからアッシュが預かっていた資料によって知らなかったことを有る程度補完しているとはいえ、それらは痛恨の出来事であった。
「後はとても不思議なのですがね。貴女、私を見つけたときに迷わずアクシュルベルンと呼びましたよね? いえ、私も顔はそれなりに広い方でしたからどこかで会ったことはあるかもしれません。しかし何故、はっきりと今の私を判別できたのですか?」
エルフで顔を覚えているとなると、相当に長く接していた者になる。
だが、ラルクでさえ時の重みでアクレイの顔を忘れていたのだ。
アクシュルベルンと言えばラルクは思い出しただろうが、ゲート・タワーを守るためにアッシュが使えるようにしてからはアクレイと名乗りほとんどあの地でいた。
その間、イリスが来たことは無い。
「それは……」
小さな沈黙。
その間に思考をめぐらせて考えようとしたイリスは、当時のことを振り返る。
そうして、何か大事なことを脳裏に描いた。
途端、それは起こった。
「がぁっ、ぐう――」
喉に手をあて、苦しげに膝を折るイリス。
アクレイとリスベルクは、それを見て演技ではないことを悟った。
脱出するために鍵を開けさせるだけならば、イリスの首元から魔力光が不自然に漏れ出すはずもない。
「いかん、アクレイ!」
「はっ!」
縮地で檻の中へと飛び込んだアクレイは、すぐさま檻の外へとイリスを連れ出す。
通路に寝かそうにも、イリスは喉元を押さえて暴れ始める。
「間違いありません。条件発動タイプの呪いです」
アクレイが声を震わせた。
二人がかりで押さえ込み、パニック状態のイリスの首元を無理矢理に観察して分かった結果は、二人に大きな衝撃を与えた。
「馬鹿な、スイドルフたちに魔術など使えんはずだぞ!」
「そう思いたいですが……くっ、駄目です。私では解除できそうにない!」
精霊魔法が使えないリスベルクは論外としても、齧っているだけのアクレイでは太刀打ちが出来ないレベルのそれだった。
ギリギリと魔力光が喉を締め付けていく様は、とても尋常ではない。
また、反応からしてイリスの意思が介在しているとも思えず、二人は歯噛みするしかなかった。
「ディリッドさんなら解除できるかもしれませんが……今は情報収集中のはず。ひとところに居るとは……」
「ええい、ならばアッシュは!? あいつなら何が出来ても不思議ではない!」
「彼は……いや、そうだアレなら!」
懐をまさぐったアクレイは、一本の瓶を取り出す。
アッシュから預かっていた万能薬だ。
その中身を振りかけると、イリスの体が発光。
次の瞬間、出たらめな効力を持つその液体がその名の通りの結果をつむぎ出した。
状態異常系を問答無用で解除するその神秘なる液体は、祈るような気持ちで見守る二人の眼前で呪いを解呪してみせる。
「ハァ、ハァッ――」
貪るように空気を吸い込むイリスを前に、アクレイとリスベルクが肝を冷やす。
「ふぅ。いやはや、どうなることかと思いましたが」
「だが、どういうことだ?」
「分かりません。アッシュのおかげなのはいいのですが、余計にワケが分かりませんね」
シュレイクの闇は深い。
そう思う二人の眼前で、イリスは気を失った。
どこの誰が仕掛けた置き土産かさえ知らぬ二人は、それに異常なまでの執念を見た気がした。
「俺にどうしろと?」
アクレイとリスベルクが朝も早くにすっ飛んできたのである。
いきなりイリスとか言う、元スイドルフ派の捕虜に呪いがかかっていたとか言われても困る。俺は精霊魔法が使えるが、それはスキルであって俺自身の力ではないのだから。
「しかし呪いか」
ゲーム時代ではHP・MPが回復しなくなるという嫌がらせみたいな効力を持っていた。
武器を外せなくなる類の呪いもあるが、それはある種の固有スキルみたいなものだ。
例えば、ティルフィングという魔剣がある。
アレもスキル性能がキチガイだ。
確か、一度抜けば攻撃対象が死ぬまで止まれず(ステータスがかなり上がる)、三人殺すまでは絶対に武器変更ができない。しかも三人殺すとプレイヤーは絶対に死に、そこで初めて装備が外れる。
本来は鞘から抜かれる度に必ず命を奪い、三度願いを叶えた持ち主を必ず殺す呪いが掛かったものだが、ゲームに取り込むためのアレンジだったのだろう。原典をリスペクトしたかったという拘りだかなんだか知らないが、あのゲームは本当にイカレてやがる。
いやまぁ、そこまで拘るからこそ逆にアリだなと思わせる魅力はあったわけだが。
「で、こいつがイリスか」
とりあえず、運び込まれて来た女戦士を識別して見る。
名前はイリスで間違いないようだ。
レベルは76。だが、その次の種族で俺は目を疑った。
「……なぁ、エルフ族ってダークエルフとエルフ以外で何が居る?」
「私かお前ぐらいだろうな」
「でもこいつ、種族が『強化エルフ』だぞ」
「なんですかそれは」
「俺に聞くなっての」
この二人が知らないんじゃお手上げだ。
「新種のエルフ族というわけかのう」
俺の背中に張り付くイシュタロッテが、「まさかな」などと小声で口走る。
やはり、呪いなら悪魔であるこいつの方が詳しいかもしれないな。
「――で、いい加減気になっているのだがその背中の奴はなんだ」
「イシュタロッテだ。俺のアーティファクトだな」
「想念の奪い合いなんかする気はないからの。まぁ、仲良くやろうぞ」
「……おい待て。こいつ、あの紅い奴並に小さいではないか」
「いや、小さいから何なんだよ」
「まさか、そんな……」
天幕で両手を床に付くリスベルクは、何故か愕然としていた。
「貴っ様ぁぁぁぁ! 我が美貌に靡かぬかと思えば、元の姿の私を望んでいたということかっ!」
「おちつけ」
相変わらず俺に対してはテンションが高い奴だ。
まぁ、元気そうなので何よりだぜ。
ワナワナとしきりに胸元を押さえるリスベルクは、穴が開くほどの勢いでイシュタロッテを凝視している。
「こやつは大きいも小さいも気にせんと思うがの。ほれ、フランベ嬢ちゃんなんか凄かろうて」
「また知らない名前だと? ええい! 何人だ。本当に何人嫁がいるんだ貴様っ!?」
「あー、推定三桁オーバー?」
武具娘さんという二次元嫁を無理矢理に勘定すれば、であるが。
「な――」
リスベルクが口をパクパクと金魚のように開け閉めしたかと思えば、慄いた顔でペタンと尻餅をつく。前もこんなやり取りがあったような気がするが、果たして気のせいか?
「うむうむ。神たるもの愛人が百や千程度居ても不思議ではないな。妾も女神時代なら腐るほど愛人がおったわ。夫らしき奴は冥界に捨てたことになっているが」
俺の場合はほとんどが二次元嫁なんだけどな。
というか、既婚者だったのかお前。
「そういう問題ではないわエロ神共めっ!!」
我に返ったハイロリフ様が怒髪天を突く勢いで詰め寄ってくる。
何故か涙目だ。
おい、神気を纏って一張羅のローブを引っ張るのは止めろって!
「わ、私だけでは満足できないとでも言うのか……」
「あのな。俺の嫁の話は置いておいて今はこの強化エルフだろ」
「ぐぬぬ。後で絶対に洗いざらい吐かせてやるぅぅぅ!!」
「それで相棒。何か気づいたことがあるんじゃないか?」
「気づいたというか、こやつは何か魔術的な力の施術を受けた痕跡があるのう」
魔術やら魔法なんて言われても分からん。
そもそも自分で使えないからな。
顔に出たのか、悪魔は補足してくれる。
「要するに、そういった力で肉体を改造――強化されておったということだ」
種族名の字面からするとそうなるんだろうな。
魔術強化されたエルフか。
アーティファクトの魔法なんかで一時的に身体能力なんかを上げるのとは違うのだろう。
つまり、狙いは恒常的な能力強化というわけか?
「なら強いんだな」
レベルも高レベルといっても過言ではないわけだし、風の団長なら強いんだろう。
「大して違わないように思えましたがね」
「じゃが、レベルアップシステムのことを考えれば悪くないアプローチぞ」
そう言って、イシュタロッテは興味深い話をしてくれた。
「そもレベルとは基礎能力をブーストする、一種の補助魔法のような物だと聞いておる」
「ではレベルホルダーの個体別の能力差というのはそのせいですか」
「左様。じゃから、元の身体能力の高さが能力に個性を生む」
ラルクが速度に特化しているのは、元々の敏捷性が高いからというわけか。
こうなると、元の身体能力が強ければ強いほどに恩恵が出てくるな。
レベルだけを上げるのではなく、基礎能力を上げることでレベルホルダーは強くなれるわけだ。となると、全盛期を過ぎたり体が鈍ると弱くなる奴も出て来るのか。
「というわけで、肉体を魔術的に強化するというのは理に適っておる。が、どうにもこの娘の強化は中途半端だったようじゃの。まるで実験体のような感じだ。妾には無茶苦茶に試行錯誤されたように視えるの」
「まぁ、エルフ主義者ならやりかねませんね」
「そこまでしてエルフという種族を高いところに置きたかった、というわけか」
天幕の外から響く、戦士たちの準備の音の中でも、嫌に重く聞えたリスベルクのため息。
冗談のような会話の中には決して無い、そのハイエルフの険しい横顔はただただやるせなさに塗れていた。
「しかし、これでスイドルフ一派が調子に乗っていた理由が分かったわけだ」
「アフラーさんをアッシュ対策で用意したように、強化エルフを神宿り対策にしていたというわけですね」
「でなければさすがにやらんだろう。アクレイ、貴様はラグーンズ・ウォーで神宿りの力を見せ付けていただろう」
「温存する余裕などありませんでしたのでね」
「奴らにとって、だからこそ貴様が恐ろしかったのかもしれんな……」
ダークエルフというだけでなく、神宿りの力を目の当たりにしたことで生じた恐れか。元より、エルフ主義者であった以上は、アクレイの存在を認められなかったのかもしれない。積もり積もって爆発したか。
「ですが、神宿りは私の力ではなく剣神の力です。神の力を借りられるとはいえ、それで危険視する以上のことをされても困ります」
「貴様は最初から神宿りが使えていただろうが。想念の欠乏から身を守るためにアーティファクトに身をやつした念神が、再び覚醒するにはそれ相応の力を溜め込まねばならん。しかし初めからそんな必要が無かったお前を前にすれば、何故自分は、という劣等感が生じたとしても不思議ではない」
「自らが至高の種族だという自負故に、ですか。困ります。実際はただ、剣神『無銘』は元から覚醒していただけなのですが……」
「奴は妾と同じである意味例外な奴じゃからのう」
「結局、自分が持ってないもんは欲しいってことなんだな」
レア武器なんかがそうだ。
持ってなければ当たり前のように欲しがる。
その感覚は分からないでもないが、だからってなぁ。
「となると私は勘違いしていたのかもしれませんね」
「なにをだ」
「いえ、風の戦士団の暗殺者教育というのは隠れ蓑だったのかなと」
「強化エルフを造り上げるためのものだったと言いたいのだな?」
「はい。しかし、何故魔術だったのか……」
そこだけが腑に落ちないようだ。
だいたい、エルフ族には魔術が無い。
ペルネグーレルやヴェネッティー、バラスカイエンなんかを旅した俺だが、魔術師や魔法使いなんて連中の話は噂に聞かなかった。
強いて言えば、魔女を名乗るディリッドぐらいだった。
アーティファクトではなく、自ら行使する類の魔術に魔法。
そんなのが存在するらしいというのは分かったが、それが森の中で研究されていたらしいと言われてもピンと来ない。
が、本人は知っていたようだった。
「――ルーンエルフ計画」
「む、起きたか」
「周りでああもやかましく騒がれてはな」
ゆっくりと身を起こし、イリスは頭を振った。
頭痛ではないのだろう。
額を押さえ、食いしばるように何かを堪えるような顔で口を開いた。
「シュレイク王クルセルクは、アクシュルベルンを超えるエルフを知っていた」
「……ディリッドさんですか?」
「エルフ最強の魔女。ハイエルフに最も近き者。そして、神に手解きを受けながら人間の生み出した魔術に傾倒するはぐれエルフ。その力の根源が魔術であると知った連中は考えたんだ。魔術があればアクシュルベルン<ダークエルフ>を超えられると」
「勘違いも良い所だな。ディリッドはそんな物に頼らなくても強いのだぞ」
「けれど、連中にはそれを判断する術がなかった」
ポツポツと話すイリスは、やがて自分の生い立ちにも触れた。
「私は、私たちはエルフとダークエルフの混血児だった。だから、実験するのに躊躇を抱かれなかったのだろう」
攫われて実験台にされたと、自嘲する彼女は脳髄から思いだしたくもないだろう記憶を掘り出していく。
「強化施術に耐え切れば、今度は記憶をかき変えられた。連中はアクシュルベルンの顔が忘れられなかったんだ。だから、親を殺されたことにして皆に教育を施した」
「記憶転写に改竄か。まぁ、できなくはないが……素人がやるものではないのう」
「かもしれない。何人もが支離滅裂なことを言い、狂ったように暴れて死んだ。けれど、私はそうはならなかった。比較的後期の施術だったからだろう。無事に済んだ最初の者だと言われたからな」
その顔は、いよいよ蒼白に変わっている。
とても、居心地が悪い空間だった。
天幕の中は異界と化し、聞きたくも無い戦士の製造工程が読み上げられていく。
耳を背けたくなるような内容ばかりだ。
俺達の中に尋常ではないほどの怒りが渦巻くのに時間はそれほどかからなかった。
「呪いは口封じだったんだと思う。訳も分からない契約をさせられた記憶がある」
「――で、それが発動してここに来たと」
「しかし、万能薬のう」
イシュタロッテが頬をヒクつかせながら、「そんな薬が実在してたまるか」などと違う意味で毒づいている。
「まぁ、薬のことはほっとこう。それで、今のアンタは解放されたんだろ。だったら、後はリスベルクやシュレイクの裁量次第だ」
「ふんっ。試すような言い方をするでない。イリスの証言が正しいのなら、問うべき責がどこにも見当たらんわ!!」
機嫌悪く吼えるハイエルフは、彼女の手を取る。
「他にも覚えていることがあれば教えろ。さし当たっては、その施設の場所は覚えているか? すぐに閉鎖に追い込んでやる」
「は、はい……」
「では、私とアッシュも行きましょうか」
「まぁ、そうなるかな」
足が軽い上に、機動力もある。
ついでに他にも居るなら万能薬持ちの出番というわけだ。まぁ、ウィスプ呼ぶけど。
「……もし、私が嘘を付いていたらどうするのだ」
「その時は貴女の首を撥ねればいいだけでしょう」
「おいアクレイ。さすがにそういう言い方はないだろう」
「構わない。そもそも、この記憶だって本当かが分からない」
「ええい、下らん話は後にしろ! 私の子供たちに酷いことをする奴は全殺しだ!」
レイピアを取り出して吼えるリスベルクは、イリスの手を引いて立ち上がらせる。
「行くぞ。強化エルフなど私は認めん。お前はエルフだ。それ以上でもそれ以下でもないエルフ主義者共の被害者だ。いいな?」
俺とアクレイは顔を見合わせて苦笑した。
それが大多数のエルフ族の想念を得る神のお言葉であるというのなら、エルフ族はイリスを許せるということだろうから。