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第五十五話「善神と廃エルフ」



 大気が震えると同時に、衝突の余波が耳障りな金属音をかき消した。

 飛び散る火花と対消滅する神気の衝突が、眩いほどに闇を照らすその向こう。少しだけ驚いたような顔で、アフラーが感嘆の吐息を零す。


「情報通り奇妙な武器だ。アーティファクトとまともに打ち合えるとは」


 纏う炎雷を意に返さず、アフラーが動く。

 左手に持つ長方形の大きな板型の盾<タワーシールド>形態を取っているアーティファクト『クシャスライン』。奴はそれを繰り出し、その角で殴ってくる。

 まるでカタールのようなその変則的な使い方は、盾使いが使う技シールドバッシュだ。


「ッ――」


 俺はそれを後ろに飛んで避けると、再び突撃を敢行しようとして踏み留まる。

 角による線の次は面。

 ただ前に構えられたクシャスラインが、城壁のように俺の前に立ちふさがっている。

 その後ろでは、盾で隠された左半身があるのだろう。


 盾でブラインドされたせいで半身になっていることしか分からない。

 武器を持ち替えているかもしれないし、そのまま大剣かもしれない。


 逡巡は一瞬。

 瞬きを一つ。


 その瞬間、起動した悪魔の眼が炎で炙られる未来を幻視する。

 イシュタロッテは過去と未来を見通す悪魔。

 不完全ではあるが、そのおかげで前後数秒程度の未来を見通せるそうだ。

 これを近接戦闘で有効に使えれば、達人の剣筋を読み技量差をペテンにかけることさえできる悪魔の技だ。


――飛び込んだ先にあるのは、長剣の『アシャール』。


 高まる魔力。

 微かに感じるのはイシュタロッテが感じた魔法の気配。

 瞬間、唇を吊り上げて前に出る。


「最大出力っっ!!」


 右手のタケミカヅチを渾身の力で盾に叩き付け、無理矢理に外側へと弾き飛ばす。

 解けるブラインド<目隠し>にあわせて左手を振るう。

 そこへ、互いに炎を纏わせた剣が衝突した。


「ぬっ!?」


 軌跡の後に追従する炎は、半瞬遅れて互いに貪りながら消えていく。

 それらには構わず、俺は炙られながらも渾身の力で剣を押し返す。


「炎で俺を殺やれると思うなよ善神っ」


「面白いっ――」


 盾を戻すアフラーに、再度タケミカヅチを叩き込む。

 受けられる直刀が、恨めしそうに盾の表面で稲光る。

 それを意に返さず、武器を変える暇を与えないように二刀を振るう。


 薙ぎ、突き、斬りつける。

 肩の力を抜いたまま振るわれる剣閃が、デタラメに虚空を何度も踊った。

 その度にアフラーは、長剣と取り回しの悪そうな大盾で凌ぎ続ける。


『攻めでは無く待ちの剣か。お主との相性は良くなさそうだのう』


 攻撃が無いわけではない。

 ただ基本に忠実なだけなのだろう。

 盾で受けてその瞬間を攻撃する。

 タンク系のプレイヤーに似た動きだが、ここに更に魔法が加わってくるから気が抜けない。

 猛る炎が、しつこいぐらいに周囲を焼く。

 その中でひたすらに剣を交わす。


「クシャスラインよ!」


 次の瞬間、盾が魔力を放出し光を放つ。


「なんだ?」


 魔力が俺へではなく真下へと流れた。

 如意棒を攻撃などしても無駄だ。

 れには当然不壊スキルがある。

 そう思うが、垣間見た未来は不可思議だった。 


――奇妙な破裂音と共に地面が傾ぐ。


「な、にぃぃ――」


 何かが崩れる音がしたかと思えば、足元の如意棒が傾いた。


『真下の城壁を今の魔法で崩しおった!』


 分かっていても、数秒先の未来の意味が分からなければ対処は後手に回る。

 それが悪魔の眼の限界か。

 右にごろりと回転する如意棒。

 意図せず動いた足元のせいで、咄嗟に態勢が崩れる。

 そこへ、予定調和とばかりに容赦なくアフラーが切りかかってくる。


「イシュタロッテ!」


『応っ――』


 背中に翼を生やし、虚空を踏みしめてレヴァンテインで間一髪長剣を受け止める。

 ギチギチとかみ合う刃の向こう。アフラーから怒声が叩きつけられる。


「痴れ者めがっ。悪魔に力を借りるとは何事だっ!」


「お前が言うな! 善を名乗る癖に当たり前みたいに犠牲を許容する癖に!」


 如意棒が更に転がる。

 その拍子に押し返せば、奴は後方へと跳躍。

 翼も無く空を飛び、ゆっくりと城壁へと降りていく。

 ついでに武器チェンジもするつもりらしく、長剣を鞘に仕舞いこんでいた。

 その間に俺はレヴァンテインを仕舞うと如意棒に触れる。

 こいつのスキルは発動条件が少し特殊だ。

 触れている必要があり、発動はスキル名ではなくキーワードが必要である。


「戻れ如意棒!」


 伸縮した如意棒もまたインベントリへ。

 うっかり王都の住人を踏み潰さないように気を使いつつ、奴の手札を見定める。

 と、ふと奴の盾が鎧とおそろいの白い兜へと変化した。当然のようにそれを装備した奴は次に両手に肉厚な短剣を抜き放つ。

 右手に『ハルワムト』、左手には『アムルラート』。

 奴は相変わらず自分からは攻めてこず、握り城門の上で手招きして挑発してくる。


『アッシュ、アフラーといえばゾロス教において善側の最高神ぞ』


「まさか全知全能とか言わないだろうな」


『その通りよ。だがそういう謳い文句は誇張だと思え。大抵のことができるが、そこまで大仰な力を使うにはよほどの想念が必要だ。星一つをゾロス教徒で埋め尽くそうが、完全にはその領域には届かぬ。それができるのは正真正銘の『神の如き者』だけだからの』


「……紛らわしいから返上しろよ通り名」


 公共広告機構<ジャ○>にでも訴えられろ。


『それは奴に言ってやれい』


 右手のタケミカヅチをエクスカリバーに変更。

 左手にはもう一度レヴァンテインを抜き空を蹴る。


 羽ばたく背中の翼は、一瞬で体を奴の眼前に誘う。

 そうして、待ち構える奴の防御を突破しようとひたすらに切りかかる。

 長剣の間合いよりもやや短い得物を持つアフラーは、さっきまでとは打って変わった軽い動きへと切り替えて来た。


 武器相応の動きというわけか。

 伊達に最強の傭兵と呼ばれてはいないのだろう。

 戦場で培ったであろう戦闘技術が、俺を殺そうと斬閃を刻み続ける。


――だが、攻撃がただの剣術ならば悪魔の眼は有効だ。


 未来を読み、フェイントを見透かして本命に対処する。

 目まぐるしく城門の上で二刀を振るうアフラーを、できる限り懐に入られない程度の距離を保ちながら切り結ぶ。

 相手の得物の短さ故に、回転速度で負けている。

 しかし、それをリーチの長さで距離を取ることで補って対処する。


「惜しい、惜しいな廃エルフ」


「何が惜しいってんだっ」


 ゼロ距離。

 両手の剣を互いに得物で押し合った頃、奴が残念そうな口調で言い募る。


「邪悪なる悪魔の力に魅入られた貴様がだっ」


「訂正しろ。俺にとってはこいつは、まだ邪悪でも何でもないただの相棒だっ――」


 右膝を跳ね上げ、鎧越しにその腹に打撃を見舞おうとするも、向こうも負けじと膝を重ねてくる。

 衝突した膝の余波で、二人して後方に吹き飛んだ。

 その瞬間、確かに俺は奴の体に鎧の金属とは違う妙な感触を膝に覚えた。

 周辺に居た戦士たちを巻き込み、城壁の上を盛大に転がるもすぐに跳ね起きる。

 そこへ、イシュタロッテからありがたい忠告がやって来た。


『魔法障壁の上からただ殴っても効果は薄いぞ。魔力を集束し、威力を高めて障壁を抜かなければ致命傷は与えられん。せめてアーティファクト級の武器か魔法を使えい! もし殴り殺すつもりならそれ相応の威力でやるのだ!』


「おい。そういうことは先に言っといてくれ」


『き、聞かぬお主が悪い!』


「どうやら当てが外れたようだな。悪魔などに頼るからそうなる」


『言わせておけば……ええい、さっさとあの石頭を勝ち割ってしまえ!』


 言葉が届かぬと分かっていながら、イシュタロッテが悪態を吐く。


「――ったく、こりゃあ参ったな」


 相手はアーティファクトの鎧を纏った敵だ。

 俺とは違い、HPゲージは無いだろうからダメージを重ねて倒すってのは難しそうだ。

 となれば、取りうるべき手段は少ない。

 ちらりと庭園の上に視線を向ければ、儀式のせいか魔法陣が輝きだしている。

 目の前のアフラーとはまた別の魔力の高まりが確かに有るようだ。


『パワースポットの魔力が気になるなら、この善人面した石頭を無視して先に奴らを襲えば良かろう』


「そうしたいのは山々なんだがな」


 隙を見せれば、こいつが攻撃してくるのは明白だ。

 まぁ、こいつ以外もそうだろうけれど。


「やってやる。やってやるぞ!」


 アフラーとにらみ合う俺に向かって、近くに居た戦士が叫びながら切りかかってくる。

 右足を跳ね上げ、剣ごと障壁に包まれたグリープで溝尾を蹴り砕く。

 哀れその勇気なる戦士は、城壁を超えて庭園へと背中から落下した。

 そこへ、隙と見て他の戦士たちが決死の形相で襲い掛かってくる。


「引っ込んでろ。死にたいのか!」


 殴り、蹴り、力任せに一蹴する。

 鈍く骨を砕く感覚の後には、痛みに耐えかねた絶叫が上がる。

 そこへ、開いたスペースにこれ幸いとアフラーが飛び込んでくる。


「私を前にして雑魚に構っている余裕があるのか?」


 ほとんど瞬時に現れたかのような移動。

 これまでの誰よりも早い速力で、左右から剣閃が迫る。

 それを後方に跳躍して躱せば、追いすがるようにアフラーも前へと飛んできた。

 それを迎撃するように、左右の剣で再び切り結ぶ。

 舞い散る火花をその場に残し、デタラメな軌道を空に描くその様は、遠目に見ればライトアップされた粉雪が舞うように美しいのかもしれない。


――互いの速度が更に加速する。


 知覚が加速し、天井知らずの反応速度で応戦。

 全身は絶えず剣閃を生むために駆動し、遂には衝撃波を生んだ。

 掠めるだけで体表の魔力障壁が切り裂かれ、その下の鎧越しにジリジリとHPを削ってくる。だが、こちらもタダではやられない。

 やられればやられるだけ、更に攻める手数を増やしていく。


 互いの障壁が切り裂かれる。

 耐えず修復、再展開される障壁によって互いの魔力さえも緩やかに削りあいながら確かな殺意をぶつけ合う。


『――腑に落ちん。こやつ、確かに念神クラスの力を得た神宿りだが素体が人間であろう。なのに、神を相手に呼吸さえ乱れる気配が無いとは何事ぞ』


「レベル99だからじゃないのかっ」


『馬鹿者。七柱も重ねているのだ、聖人でもなければ体に無理が生じるものだ。その負荷がまったく表れないのが不気味極まるわ』


 持久戦で勝ちを狙うのは止めた方がいいか。

 召喚とやらのことを考えれば時間的な余裕が無さそうだってのに面倒な。


「ハルワムト!」


『――任せよ!』


 アフラーの右の短剣が輝き、左手のレヴァンテインに接触する。

 次の瞬間、ハルワムトの向こうから突如として水流が生まれた。

 水流は眼前で水竜となり、イシュタロッテが張った面の障壁と衝突。

 魔法陣系の魔法障壁は荒れ狂う水から俺を守る。

 だが、魔法陣の向こう。

 割れた水が鎌首をもたげるようにパックリと広がる光景を幻視した。


 現実の認識が追いつく。

 水が槍のように伸び、襲ってくる。


「ッ――」


『慌てるな! 妾を信じよっ――』


 垣間見た未来が現実になる。

 空間ごと貪ろうという悪食の顎が閉じる寸前、浮遊感が身を包んだ。

 

 視界が暗転。

 重力感が消失。

 気がつけば、俺は奴の背後へと転移していた。


『今だ振り下ろせい!』


 自然と体が奴の背中に剣撃を見舞うべく反応する。


「この速度で転移だと!?」


『悪魔の力を舐めるでないわっ!』


 振り下ろした聖剣が、奴の横殴りの剣閃に阻まれる。

 そこへ、すかさずに魔剣を振り下ろす。

 背後を取っての二連撃目。

 それは、奴の障壁を切り裂いてその下の鎧に直撃した。


「ぐぬっ!?」


 鎧越しに両断することこそできなかったが、剣戟は確かに奴から浮力を奪い去った。

 錐揉みしながら落ちていく善神。


『畳み掛けるぞっ。しかと味え我が魔力の刃を――』


 好機とばかりにイシュタロッテが俺を経由して魔法を紡ぐ。

 ほとんど一声で、俺の周囲に魔力でできた武器が何十と虚空に浮かぶ。

 剣、槌、槍、斧etc――。

 かつて武器と共に生まれた女神と同一視された彼女の名残りが、流星の如くアフラーへと落ちていく。


「――ッアムルラート!!」


 その剣呑な流星を前にして、城壁の外に落ちたアフラーが左手の短剣を大地に突き刺す。

 途端、ライクル山の草木に異常が起きた。奴を中心にして木の枝や草の蔓が巨大化し、まるで意思を持ったかのように奴の眼前に伸びる。それらは何重にも重なって流星の乱舞をことごとく阻んだ。

 薄っすらと木々それ自体が魔力の光を纏っていることから、物理的にではなくて魔法的な防御力も当然のように備えていそうだ。


『ふむ。手駒の天使だからこそ重ねる負荷が少ないというわけか』


「部下を扱き使ってるってのか?」


『他にも何かありそうじゃがの。ゾロス教の念神同士ということに加えて、奴に仕えるという明確な伝承の元にある天使たちだろうの。その起源は善悪二元論に由来するはず。故に、奴らは必ず対の存在の天敵として、相克する力を持っておると聞いたことがある』


 アリマーン側と有る意味ではセットの存在ってことか?

 本来は最後には勝つ側のはずだったんだよな。


「だから、予定調和を崩した悪魔が嫌いなのか」


『しかも常時回復魔法で壊れる体を回復させておるな。常人なら激痛で発狂しておるぞ』


「……尋常じゃないな」


 元々対立する上に、神話的お約束までぶち壊されたから根に持ってやがるのだろうか。

 本物の神の癖に、意外と粘着質な。


「武器ごとに魔法が違うなら選択肢が多いな」


『アムルラートは確か、生命、不死、そして植物を司る天使だったはず』


「厄介な」


 何せここはエルフの住む地だ。

 切り開かれた部分はともかく、植物は潤沢にある。


「……これ、全部支配下に置かれたらやばくないか?」


『間違いなくやばいぞ』


 他人事のように言うなり、悪魔は再度詠唱。

 今度は、大量にではなく一本の巨大な剣を作り出す。

 巨人でも握れないほどの大きな柄を持つそれが、淡い燐光を纏って容赦なく飛翔した。

 見るからに極大の一撃。

 それを、懸念したとおりに奴の周囲の草木が防ぎに掛かった。

 大樹を思わせる木がその幹で受け止め、砕かれながらも受け止める。そこへ、這い上がった蔦と枝が魔法の剣を締め上げた。

 やがて勢いを失った剣は、砕かれて魔力の塵へと還元される。


「げっ――」


 それだけでは終らない。

 敵を見失った木々は、次の標的に俺を選んだ。

 翼をはためかせ、伸びてくる枝や蔓を両手の剣で切り裂いて上空へと逃げる。


『む? 何か来るぞ!』


 その時、城の方からいきなり大量の魔力反応を感知した。

 何事かと思えば、拡声魔法ではぐれ魔女の声が聞えてくる。


『ナイスですよアシュー君! そのままアフラーさんを城外に引き付けておいてください! リスベルク様は私たちでなんとかしますのでー!』


「あいつら俺を囮にしやがったな!」


「アッシュ! 城はオレたちに任せて大物をやれっ!」


「彼は貴方以外には止められません。存分に神の戦をお楽しみ下さい」


 城壁の上、俄かに騒がしくなった庭園の方から新たに現れた神宿り二人の声がする。


『魔女がさっきの空間転移で連れて来た連中か』


「ラルクにアクレイ……他にもいるな。ああもう。どいつもこいつも面倒な奴は俺任せかっ――」


 俺は悪態を吐きながらも、自然と唇を歪ませた。

 これで、急ぐ理由は無くなった。


「イシュタロッテ」


『なんだ?』


「奴の周囲に結界を張れるか? それも、外界から完全に切り離されるレベルの奴だ」


『……できなくもないがの。いったい何をするつもりだ』


「何、ちょっとばかし燃やすだけだ」








「む?」


「あら、キリクじゃない」


 シュレイク城への坂道ではなく、ライクル山へと入ったキリクは二本の槍を手に持つシルキーを見つけた。


「こんなところで何をしている」


「貴方と同じよ。ドサクサに紛れてスイドルフたちの首を取りに来たの」


 ニパーッと微笑むその女性は、キリクを手招きして奥の坑道へと誘った。


「ふん。俺はリスベルク様を助けに来ただけだ。そっちは好きにしろ」


「さすがロリコン戦士の鑑ね。これだから第三世代のエルフ族は」


「……斬るぞババァ」


「お・ね・え、さ・んだ糞餓鬼!」


 神宿りの燐光を纏ったシルキーが、笑顔で凄む。

 次の瞬間、キリクが捻った首元を水精の槍が通過した。


「――今、確実に殺る気だったな!?」


「私はねキリク。世の中には冗談でも言って良いことと悪いことがあると思うんだ。特にレディに年齢を連想させる話題を振る男は皆死ねばいいとさえ思っている」


「分かった、分かったから止めろ姉さん!」


「そうそう。そういう態度がグッドよ」


 そのまま燐光を光源として坑道を進むシルキーに、キリクはげんなりだ。


「いつもの気色悪い外面はどうした」


「団員が居ないのに仮面被ってても肩凝るだけだっての。ぶっちゃけもう退職したいんだけどさぁ」


 肩を竦めるシルキーは、すぐに冗談を止めてキリクを手招きする。


「調子が悪そうね。ディウン様――」


 槍が輝き、アーティファクトが魔法を紡ぐ。

 槍先から突如として現れた泡は、キリクを包み込んで癒してみせる。


「ディウン……まさか、秘匿していたのか!?」


 リスベルクが探していたことを知っているだけに、キリクが血相を変える。

 考えてみれば、神宿りに到っていることさえ大事だった。


「だって私はハイエルフ信仰者じゃなくて精霊信仰者だもの。それも、より水の精霊に特化した信仰持ちよ。リスベルクちゃんは可愛いから好きだけど、それ以前の信仰とは比べられないわ」


 だから、リスベルクよりもディウンの命令を優先しただけに過ぎなかった。


「姉さん、本当はいったいいくつなんだ」


「こう見えて第二世代エルフのドラスゴルより更に上かしらねん」


「神話時代以前から森に居たということか!?」


「私は第一世代になるかなぁ。いやぁ、長生きするものだわ。また新しいエルフの神のドンパチが見れるなんてね」


 生きてて良かったー、などとしみじみ呟く自称最古参エルフ。

 見た目は明らかに十代後半程度なだけに、不老特性の恩恵のデタラメさをキリクは改めて思い知らされた。


「……まぁいい。それより、なんで髪を切った」


「これ? んー、逃げる途中で邪魔だから切ったの。どう、似合う?」


「も……元の伸ばした方がいいと思うが」


「そう? じゃあまた伸ばそうかしら」


 有事だということを忘れそうになるほど快活に、シルキーが笑う。

 闘争の空気が鈍ることに顔を顰めながらも、キリクは緩やかに走り出した。


 ライクル山は鉱山でもある。

 王の寝室から城の抜け道が繋がっているのはそのせいであり、王族を除けば将軍職と近衛。そして城の建造に関わった者だけがそれを知っていた。

 城の裏庭には工房があり、ドワーフレベルの鍛冶技術こそないものの、武具の製造、修繕などにも使われている。その中には山から続くルートもあった。

 キリクとシルキーは、有事のためにそれらのルートを頭の中に叩き込んである。

 途中、壁が作られていたがシルキーがディウンの魔法で壁をぶち壊す。


「やっぱり。スイドルフはビビリだから完全には塞いでないみたいね」


「……力押しでぶち壊しているだけだろうが」


「ノンノン。手抜き工事の差分で私腹を肥やしてるに違いないわ」


 三枚目の壁をぶち抜いた頃、二人の前に目当ての螺旋階段が現れる。

 将軍二人は迷い無くそれを駆け上がる。

 その時、上で何かが振動した。


「おー、廃エルフ君め。随分派手にやってくれちゃって」


「姉さんは奴をどう見る」


「ちょっと危ういわね。力を持て余してるというか、自身をよく理解していない風だわ。リスベルクちゃんはそんなことなく初めから全部持ってたけれど、あの子は逆ね」


「何も持っていないとでも?」


「それがしっくり来るわ。だからきっとほとんどのエルフが勘違いしてる。あの子、多分エルフ族なんて本当はどうでもいいのよ」


「……なに?」


「想念こそが念神の行動理念に直結する重大要素よ。だったら、その始まりの想念は彼に一体何を求めたのかしらね」


 リスベルクは繋ぎ、導くために現れたとシルキーはあの時に直感した。

 実際、その通りに動いていることを彼女は知っている。

 けれど、アッシュには存在理由がとんと見えない。


「きっと種族全体じゃない。第零と第一には精霊が、第二、第三世代にはリスベルクちゃんという拠り所<念神>が在った。だったら、彼は拠り所が無い者のための神か或いは――」 


 言葉を切り、口元に人差し指を当てて彼女は黙るようにキリクにゼスチャーを送る。

 無言で頷いたキリクは、階段の先にある工房への入り口のドアへと忍び寄る。

 耳を澄ますまでおなく、その向こうからは予期せぬ怒号と剣戟の音が聞えてきた。


「あちゃー、ちょっち出遅れたかも」


「民か」


「違うみたい、ねっ!」


 乱暴に木のドアをシルキーが蹴り破る。

 今の水の団員が知れば卒倒するようなガサツさだ。

 すぐに飛び込んだ二人は、得物を構えながら周囲を確認する。


 工房には誰も居ない。

 だが、窓ガラスの向こうから予期せぬ光景が飛び込んできた。


「ダークエルフの戦士だと!?」


「廃エルフ君、自らを囮にして招きこんだんだわ。そりゃ派手にやるか」


「……ただの馬鹿ではないということか」


 キリクは、そこで更に火の団の戦士が混ざっているのを見て更に驚く。


「シュラン?」


「いきなさいキリク。火の団には貴方が必要よ。部下に勇気の火を見せ付ける者がね」


「姉さんはどうする」


「スイドルフ一択よん」


「死ぬなよ」


「貴方もね」


 一瞬、キリクの頬に柔らかな感触が触れた。

 ギョッとして後退したキリクは、足元の槌で地面を踏み外し転倒した。


「あらあら。相変わらずからかい甲斐のある子ねぇ」 


「こ、こここのっババア! いつまでも子供扱いするな!」


「うふふ。じゃねっ」


 からかうだけからかって外に出るシルキーに、キリクは歯軋りする。

 だが、諦めたかのようにため息を吐いた。


「まったく。怖がられるばかりだった俺に、そんなことができるのはアンタぐらいだ」


 大剣を手に体を起こし、数瞬遅れてキリクは外に出る。

 乱戦の中、矢が飛び交い剣戟と怒号で埋め尽くされている。

 その中で、火の団を指揮する男に向かって地の戦士団の男が忍び寄っているのをキリクは見た。


「死ねぇぇ!」


「お前が死ね。エルフ主義者」


 真横から、大剣を力任せに振り下ろす。

 アーティファクトは当然のように威力を発揮し、革鎧ごとその男を血の海に沈める。


「キリク!」


「無事で何よりだなシュラン」


「申し訳ありません。独断でラグーンと連携を取り、お預かりした戦士を動かしました」


「構わん。やはりお前は背中を預けるに値する男だ。任せるぞシュラン」


「はっ――」


 大きく息を吸い込み、キリクは野太い声で号令を出す。


「行くぞ火の戦士たちよ。リスベルク様を人間とエルフ主義者共の手から守るのだ! ついて来い、道は俺が切り開く――」







「シィィ――」


 風精の担い手が暴風となり、眼前の道を切り開く。

 その足裁きに停滞は無く、むせ返るほどの血を浴びながらも血路を開き続ける。


 風に舞う血飛沫。

 閃く剣閃。


 それを生み出すのは、縦横無尽に壁を蹴り、天井さえも風の力で走り抜ける少年剣士。


「ラルク、無茶はするなよ!」


 ルースが諌めるも、ラルクは「ハッ」と返事だけ寄越して止まらない。

 それどころか、寧ろ勢いを増して通路を駆けた。

 まるで、この程度は準備運動でしかないと背中で語るかのようだった。

 嫌に手強い守りも、彼を止められない。まるで戦えば戦うほどに研ぎ澄まされていくような男だった。


「まったく。クルルカはよくあんな無愛想な奴に懐いたものだ」


 剣の腕は誰よりも達者だが、達者すぎて突出するために集団戦闘にはとことん不向きな男だ。しかもジンの魔法は言わずもがな広域攻撃。だからこそ扱い辛く、少数精鋭の近衛以外には中々に行き場が無いような男である。


「彼は寡黙ではありますが邪気が無いですからね」


 ラルクが倒した者から手に入れた剣を振るい、ケーニス姫がルースと共に後に続く。

 重傷の怪我は、アフラーに癒されて傷跡一つ体には残っていない。

 二人ともラルクには劣っても、これまた素晴らしい剣裁きで敵を血の海に沈めていく。


「……お前もあんな無愛想が好みか?」


「別に嫌いではありませんが、どちらかといえばキリク将軍の方が気になりますね」


 主に筋肉が。


「あの豪傑か。うーむ。私の妹たちはなぜこうもズレているんだ」


「兄上こそ、カミラ姉様はどうかと思います。アレは世間知らずの箱入りですよ」


「――カ、カミラは関係ないだろうが!」


 痛いところを突かれたのか、ルースが声を荒げる。


「この局面で無駄話とは。さすがに王家の者は肝の据わり方が違うな」


 立ちふさがる敵を始末し終えたラルクが真面目腐った顔で賞賛した。

 話しの内容を敵の絶叫で聞いていなかった彼は、素直に感心の意を示す。


「と、当然だ。王家たるもの、有事にうろたえるようでは民の血税で生かされている意味がないからな」


「なるほど。そこで上の姫の名が出てくるということはやはり、統合論を推し進めるか」


「他に道は無い。……お前は反対か?」


「反対する理由など一回の剣士風情にはない。ただ……」


「どうした」


「スイドルフがクルスと手を組んだ折、ラグーンとリスベルク様を奴らにやると交渉したと聞いた。まだ未確認だが、人間の軍が動いているとも。だから全てはその後になるだろうな、と思うのだが……」


「な、んだとぉぉっ!?」


 知らなかったルースとケーニスは、その言葉に一瞬声を失うも血相を変えて吼えた。


「は、ははは。さすがに我慢の限界を超えたぞ。いや、超越したぞあの老害共めっ!」


「急ぎましょう兄上」


「こうなったら必ずや奴らの名をエルフ族の裏切り者として歴史書に記してやる!」








「何が、何がどうなった!? 何故ダークエルフ共が、アクシュルベルンがここに来た?! いくらなんでも早すぎるぞ! 風の団の情報封鎖はどうなっているんだ!!」


 玉座の間で報告を受けたスイドルフが血相を変えた。

 余裕をかなぐり捨てたその顔は、誰がどう見ても旗色の悪さを案じさせるには十分だった。

 彼らは武官ではなく文官である。

 前線の戦士でないせいもあってか、喉元に這い上がってくるような死の恐怖に体を震わせていた。


「は、話しが違いますぞスイドルフ殿!」


「左様。アスタール殿は廃エルフよりも確実に強いのでは無かったのか!?」


「――で、伝令!」


「今度はなんだ!?」


 飛び込んできた風の戦士団の一人が、生気の無い顔で叫ぶ。


「エ、エルフ族最強! あ、あああのはぐれ魔女がクルスの神宿りたちと交戦中!!」


「ディ、ディリッドだとぉぉ!?」


「そんな馬鹿なっ!?」


「あの女は傭兵団へ戻ったはずだろう!」


「し、詳細は不明! それともう一件!」


「このうえに何が有る!?」


 悲鳴のようなスイドルフの言葉を受けながらも、伝令は職務を全うする。


「ラルクが、あの天才剣士がたった一人で地の団の守りを……ルーンエルフ隊を突破! 幽閉したルース王子とケーニス姫を解放しました! 奴は、そのまま捕らえた近衛と水の団を解放し、城外へと向かって暴れています!」


「ド、ドラスゴルゥゥ!!」


 彼を大したことが無いと言ったのはその男だった。

 怨嗟の如き声で地の将軍を睨むスイドルフは、男が険しい顔で彼が玉座への扉を睨んでいるのを見て取った。嫌な予感がした。

 それを肯定するかのように、交戦の音が扉越しに響き始める。

 その奥から聞える絶叫は、彼らを震え上がらせるには十分だった。


 そしてついにそれは現実となる。

 分厚いはずのその扉を蹴破って、燐光を纏った一人の女戦士が姿を現したのだ。


「はぁい。久しぶりー。お礼参りに来たわよ糞餓鬼供」


「……シルキー。やはりこの機会を逃さんか」


「当然でしょドラスボーヤ」


 血塗れた二槍を軽く片手で回転させながら、水の将軍が目を細めてゆっくりと構える。

 相貌からは笑みが消え、純粋なる殺意だけが迸る。

 その眼光、その怜悧な表情は普段は穏やかな顔の下に隠された紛れも無い戦士としての彼女の本質だった。

 対峙するドラスゴルは、苦笑して手にした大槍のアーティファクトを構える。

 左腕には円形の盾――ラウンドシールドを持ち上げて、無言でジリジリと距離を測る。 


「落とし前は付けさせてもらうわよ。第二世代<神の子を詐称した者>の遺物共め」


「――抜かせ。第一世代<自然崇拝者>止まりの老害よっ!」


 そして、二人の間で当然のように戦いが始まった。

 遥か昔、精霊信仰と始祖信仰が争う時代があった。

 これはかつて行われた神話を巡る戦いの、その焼き回しでもあったのかもしれない。 


「幻想<カミ>も道具だって言い切れる、その不信心さが身を滅ぼすと知りなさい――」






――一閃。


 剣神の刃を振るい、涼しげな顔で単身で城内へと乗り込んだアクレイは、大胆にもエルフ主義者を挑発するようにして進んでいた。

 おかげでラルクも侵入が楽になったことだろう。

 エルフ主義者であればあるほど、ダークエルフは攻撃対象になりえる。

 盛大に引きつけた後、彼は微笑みのままで前に切り抜けていく。


「奴は、奴は化け物かっ!!」


「相手は一人だぞ! 何故、止められん!?」


「ええい、一端引け!」


「――なんてことだ」


 人材不足などではない。

 時間の浪費だ。

 長らく戦いから離れすぎていたとはいえ、この結果に失望さえしていた。


(敵が満足に居なかったとはいえ驕りが過ぎる)


 落胆を覚えながら、スイドルフを探して城内を歩く彼は進んでいく。

 と、ゆるりと進めば曲がり角の向こうには矢を構える一団があった。


「今だ、放て!!」


 引き絞られた弦が、矢に運動エネルギーを付与。

 号令を受け射手により発射される。

 そこへ、いつもの笑みを浮かべたまま彼はただ前へ。


「き、消え――」


「――てはいませんよ?」


 射手の後方。

 立った一歩で二十メートル以上奥の通路へと『縮地』で移動したアクレイは、律儀に言葉を繋げて剣を振るう。

 振り返る頃には二人が死に、彼の微笑みを見た瞬間には三人目が死んだ。


 次の矢を番える余裕は誰にもない。


 四人目は矢を取り落として死に絶え、五人目は腰元の剣を抜いた瞬間に剣ごと叩き折られて絶命。六人目は距離を取ろうとしたところを背後に回り込まれて切り殺され、七人目は逃げようとしたところを背中から貫かれた。

 笑顔のままで敵を一蹴したその男こそ、エルフ族で二番目に神宿りの力を得た男の力であった。


「しかし守りの人員だけは多そうですね」


 血糊を振り払い、奥から顔を覗かせる新手へと視線を向ける。

 と、その次の瞬間である。

 アクレイは剣神の忠告を受けて振り返るや、飛翔してくる物体に迷わず剣を振るった。

 硬質な音と共に、燭台の炎の光を反射する投げナイフが床石に叩きつけられる。

 その向こう、音も無く背後から忍び寄ってきた女戦士が視線で殺すでのはないかというほどに彼を睨みつけていた。


「会いたかったぞアクシュルベルン!!」


「……おや?」


「先先代の風の団長を覚えているかっ!」


「いえまったく。私は諸事情から下のエルフたち……特にここには疎いものでして」


 そもそも今が何代目かさえアクレイは知らない。

 彼が覚えているのは、殺し損ねたただ一人だけなのだから。


「ならば、お前の妻を殺した男は!」


「――ああ、彼なら覚えています。部下に任せて自分だけ逃げた卑怯者ですよね? そういえば、彼もエルフ主義者のはずでしたか……」


 まるで今思い出したとでも言わんばかりの態度で、アクレイは頷く。


「生きているなら始末しないといけませんね。おかげで息子がグレたのですから」


 最終的には盛大な親子喧嘩の果てにイビルブレイクに放り込んだその息子は、今では副団長にまで上り詰めた。親子仲は険悪極まりなかったが、それでもその息子はディリッドを動かした。

 時の流れの早さを実感すると共に、アクレイは思い出したくもない記憶を想起する。


――貴方は……生きてあの子を……。


 その苦味はかつての未熟さを詰り、後悔と悔恨だけを彼に与え続ける。

 その一端に触れる者を前にして、アクレイは少しだけ逡巡した。


「父は死んだ。お前に斬られたという背中の傷のせいで」


「……何か勘違いをしているようですが、その言いようから察するに今は貴女が?」


「風の戦士団団長イリス。覚えておけ。これからお前を殺す者の名だっっ――」


 ベルトから新しいナイフを抜くと、彼女はアクレイに投げつけた。







「――アハハ。本当にアッシュは手緩いなぁ。城ごと吹き飛ばせばそこで終ってたのに」


 シュレイク城の遥か上空。

 ほとんど誰も知らない勢力がそこに居た。

 彼女は悪魔の探知可能範囲さえ超える超上空で、周囲に立体映像<ホログラム>を無数に投影して観戦していた。


 風に靡くロングの黒髪。

 白い肌の上に纏うのは黒のセーラー服。

 丈の短いスカートに履いたパンプス。

 上から下まで黒黒黒のそのティーンの少女は、突然に始まったその乱痴気騒ぎをただただ一笑するだけである。


「しっかし、召喚幻想かぁ。『レグレンシア帰り』の感染力の高さは分かっていたつもりだけれど、ここにまで感染する程に確率の壁が薄かったなんて。ちょっと驚きだな」


 確かにこの世界は召喚幻想の普及は認めている。

 彼女も、彼女の先代もそれを承認し、チトテス2『レグレンシア』の研究成果は利用させてもらっている。


 けれど――。


「間違ってもLiLiMの切り札を呼ぶのだけはやめて欲しいなぁ」


 誰にも認められない夢を追うマイノリティを、決して認めない勢力もある。 

 だからこそ、彼女の夢を託された黒の少女はもしもに備えてそこに居た。


 ここは箱庭。

 賢人レイエン・テイハが受けついで、彼女が残した実験場。

 だから。

 念のためにと、最近運動をしていなかった彼女は、上に前から手を上げてラジオ体操<アップ>を始めていた。


――天敵以外は、当然のように放置すると心に決めて。


「でも気をつけなよアッシュ。君、後一回ぐらいしか念神として死に戻れないからさ」


 立体映像のモニターの向こう。

 テイハがかつてポイ捨てしたゴミの力で奮闘している男に、聞えないと分かっていながらそれだけは忠告する。


「ああ、でもボクに会うにはまだ早すぎるかな。今の君には出会う価値が無いし――まっ、もうしばらくは遊べばいいさ」






 木の枝と蔓が伸びる。

 ジャックと豆の木の様に、下手をすれば雲まで届いてしまいそうだ。

 その間隙を縫うように、体は絶えず飛翔する。

 しなる枝は打撃武器となり、蔓は天然の鞭となって四方八方から襲い掛かってくる。


「まだかっ――」


『慌てるな。こういうのは丁寧にやらんと不発に終る』


 飛行はもはや、俺の意思に添う軌道ではなかった。

 結界を張る準備をするというので全部丸投げしているのだ。

 まるでレールがないジェットコースターにでも乗っている気分だ。


 初めは円。

 外と内を切り離すためのポピュラーな文様。

 それを、奴を中心に飛翔の軌跡で魔法陣として描き行く。


 夜空が発光する。

 その円から、カーテンのように魔力の光が落ちた。

 それは強固な壁となって円の外と内を切り離す。

 アフラーが光の壁に木の枝やツルをしならせて攻撃するも、結界はそれらを弾き返すだけに終る。それなりの魔力を使っているだけあってかなり強固だ。


『悪魔と契約するために古の召喚王が編み出した封印結界だ。力はそれなりに使うが、構わんのじゃろ』


「ちゃんと切り離してくれればいいさ」


『急ぐからの。適当に槍でも構えろ』


「オーライッ――」


 聖剣と魔剣をインベントリに仕舞い、グングニルに変更。

 両手でしっかりと握ると、槍先から真っ直ぐに体が更に加速した。

 ほとんど抱きつくように槍を支え、空を貫く。

 ジリジリと削られていく魔力<MP>。


 ミスリルリングの回復効果なんて気休めだと思わせるような消耗だ。

 山中から見上げる奴には、描こうとしている図形が見えているだろう。

 結界の壁が破れないと知るや、邪魔するようにアフラーが枝を伸ばしてくる。

 それを、構えた槍で強引に突貫。

 壁のように迫った大樹の幹ごと貫いて砕き往く。


 迫る円陣。

 目の前で輝く円の壁を蹴るようにして向きを変え、体は更に加速する。

 まるで物理法則を無視したような動きは、やがて六茫星を円内に描く。

 遂に魔法陣が明滅しながら駆動すると、円の外がいきなり色彩を失った。


『位相をずらして空間ごと切り離した。さぁ、お主のやりたいようにやってみよ!』


 飛行制御が戻る。


「隔離結界……何をするつもりだ廃エルフッ!」


 アフラーは、周囲から切り離された意味が分からずとも目聡く守りに入った。

 攻撃用に使っていた草木を自らの周囲に配置し、こちらの攻撃に備えている。


 あくまでも基本は待ちの戦術か。

 俺を倒すことよりも時間稼ぎに傾注するつもりなんだろう。

 槍を仕舞い、再び炎の魔剣を抜きながら最後に脳内のマップを確認する。


 はたして、マップはこの結界内をダンジョンだと認識してくれていた。

 ストーン・ウォールで覆ったモンスター・ラグーンのゲートタワーと同じだ。


「お前は最高の相棒だなっ!」


 MPを回復するマジックポーションを取り出し、頭上で砕いて中身を浴びる。

 体を光らせる回復エフェクト。

 回復するゲージを確認する事無く右手で魔剣を掲げ、スキルをぶっ放すべくあの起動言語を口にする。


「全部まとめて焼き尽くせ。『終焉の炎』よっっ!!」


――発動意志クリア。

――音声トリガークリア。

――MP残量クリア。

――全プレイヤーの発動承認クリア。


「ッ――ハルワムト!!」


 瞬間、確かに切り離された結界内が全てが紅蓮の炎に飲み込まれた。






 それは、桁違いの力の解放だった。


『おおっ。こ、この力はまさしくっ――』


 腕輪型のアーティファクトとして、アッシュに己の力を加護として与え半ば同調しているイシュタロッテは、アッシュに直接流れ込んでくるその力の奔流を感じ取っていた。

 それは複雑怪奇な伝承の色に染まらず、信仰の垣根さえ超える極めて純粋な一色。


 その力の源は、確かに想念ではあるはずなのだ。

 だが、まるで規格が違うかのように念神では認知し難い特性を持つ。

 その癖、一度感知すれば忘れられないほど鮮烈な想念として認識できた。

 その特異な力の正体を知る念神は、クロナグラではまだイシュタロッテだけ。


(アッシュ、お主はやはり――)


 力が疾走する。

 それはアッシュの体を通して手にした魔剣へと流れ、当たり前のように奇跡のような魔法<スキル>を顕現させた。


 剣から放たれた紅が、ただひたすらに周囲に広がっていく。

 逃げ場など無い。

 切り離した世界ごと無作為に焼く勢いで全周囲に広がって、一切合財を焼却し尽すべく拡散した。


 閉じ込めれた世界が終わりの色に染まる。


 その光景の意味が、力の制御を受け持っている彼女だからこそ嫌でも分かった。

 だから、何れ来たるその時まで悪魔はただ待つだけだった。







 炎上する異界の中で、当然のように草木が燃え尽きる。

 全てが灰に変わるのではないかと思うほどに、害なす魔の枝<レヴァンテイン>は容赦などしなかった。


 終焉の炎は、攻撃力に比例する計算式によりはじき出されたダメージを撒き散らすはずのスキルだが、アフラーは咄嗟に水を生み出して防ぎに掛かっていた。

 しかし、それでも紅は水ごと容易く木々を焼く。

 熱波に炙られ、蒸発していく清らかなる水は、タダひたすらにその無力さを儚んでいる。


「火力が違うぜ。これは世界を焼き尽くす業火だぞ――」


 炎の紅が消え、奴を守る草木の守りが炭化して崩れ落ちる。

 その向こう、燻る煙と灰に塗れた鎧が見えた。

 マップの反応は奴の健在を示し、悪魔が感知した魔力のせいで当然のように無事を知らせてくる。だが、これで草木は無意味だ。

 そして、宿主がただの人間ならばもう全力は出せまい。


「今の力は……なんだ? 奴の力の総量に無関係だと? いや、それどころか――」


 見上げる善神は、何かを恐れるかのように声を荒げて叫ぶ。


「真逆、貴様も奴と同じで伝承を超越する神だというのかっ!?」


 アフラーが恐怖に声を震わせる。

 それは前提が壊れる恐ろしさを知っているからだったのか。


「でなければ、でなければエルフ族の神が平然と木々を焼けるはずがあろうかっ!」


「知るか!」


 俺はリスベルクと違って真っ当なエルフ族の神なんかじゃない。

 そもそも彼らが常識としていることさえ碌に知らないのだ。

 だから。


「――俺ははぐれだ。スタンダードな連中と一緒にされても困るんだよっっ!」


 天地上下に反転し、魔剣を掲げて飛翔する。

 ここは俺が何の呵責も無く全力で戦える異界。

 故に、余計な思考を斬り捨ててただ一重に殺傷するために力を振るえる決戦上だ。


「何かの間違いだっ! アルマティ、ハルワムト、アムルラート!」


 鎧から光が放射され、周囲に何かが作用する。

 その上に水が放たれ、焼き払ったはずの緑が一瞬で再生を果たす。

 デタラメなその所業は、確かに善神らしい命を育む力だったのかもしれない。

 だがそれを。


「――全部燃やせぇぇぇっっっ!!」


 スキルを起動し、容赦なく結界内を焼きながら奴の元へ翼をはためかす。

 生まれた木々が再び炭化し、灰になるその中で目を剥く敵に問答無用で斬りかかる。

 両手の短剣をクロスし、煉獄と化す結果以内でアフラーはその上段斬りを受け止める。

 地面にめり込む両足。

 力強く踏ん張るその足は、しかし突如として力強さを失った。


「な、なんだとっ――」


「酸欠だ馬鹿野郎!」


 結界により密閉された空間で、馬鹿げた火力を行使した。

 結果として内部の酸素が相当に燃焼されているはずだ。勿論、長く居れば一酸化炭素中毒の可能性も浮上するだろう。こんな悪環境の中で普通の人間が満足に戦えるものか。


「これ以上まともに戦えると思うな!」


 右足を跳ね上げ、動きの鈍った奴の腹を蹴り上げる。


「ぬぐっ」


 衝撃で浮き上がるも、障壁が邪魔で大したダメージは伺えない。

 しかし、それでも構わずに奴へ左足を跳ね上げる。


『なんだか知らぬが、合わせるぞ!』


 インパクトの瞬間、左足に魔力の燐光が宿った。

 奴の胸部へと触れた瞬間、至近距離で魔力が破裂。

 そのまま灰塗れの地面へと奴を誘う。


 距離が開く。

 これでもまだ大したダメージはないようだが構うまい。

 魔剣を収納し、すぐさまショートカットで取り出した俺はミョルニルを握って身を捻る。


「雷神の鉄槌、ついでに――」


 投擲し、その反動を利用して更に身を限界一杯まで捻りながらグングニルを右手に展開。


「――必貫の大神槍!」


 こちらも間髪居れずにブン投げる。

 よろめきながら起き上がろうとしていたアフラーは、正面から迫ったミョルニルを何とか短剣で受け止めた。


 雷鳴が鳴る。

 その瞬間、確かにノックバック効果が発動し、両腕ごと弾かれた善神は大きく体を後退させた。

 そこへ、容赦なく大神の槍が飛翔する。


「まだだ! まだこの程度でっ――」


 槍は魔法障壁と衝突し、そしてそれを当たり前のように貫通して見せる。

 胸部に叩き込まれた槍は、しかしアーティファクトの破壊はできなかった。

 だがそれでも、確かな手ごたえが俺の中に去来する。


「やっぱりだ。こいつにはスキルが通じる!」


 イシュタロッテの加護による戦闘能力の大幅な向上。

 その結果として、目の前でアフラーが激しく地面を転がっていく。


『時間稼ぎなどとつまらぬことを考えるからよ。さぁ、妾を構えろアッシュ。纏ったアーティファクトが貫けずとも、中身を滅すればそれで終るぞ!』


 地面を蹴りながら、長剣と化したイシュタロッテを手に走り寄る。


『妾は確かに神殺しの時の力こそ散らされたがのう。それを成した事実は再び上書きされぬ限り消えずに残っておるのだ』


 純白の刀身に展開された大量の魔力が、地獄の業火を思わせる紅黒い魔炎へと変容する。

 これが、唯一神殺しを成した悪魔の奥の手なのか。

 その炎には確かに、身震いするほどの力が込められているようだった。


『神殺しの悪魔としての力。さぁ、余さずまとめて叩き込めい!』


「これで終わりだ善神っっ――」


 彼女を握り締め、渾身の力を込めて大上段へと振り上げる。

 小細工などいらないと確信できる。

 その一撃は、神を殺したという彼女に刻まれた伝承の産物であり、そういう力として定義された物なのだ。


「――まだだ。私はまだ、奴を倒すまでは死ねぬのだぁぁぁっ!」


 アフラーの体が激しく輝く。

 その目も眩むような光は、一瞬奴の姿を眩ませた。

 そこへ、魔力の感覚便りに構わず剣で斬り付けた。

 振り下ろした悪魔の剣より放たれる黒炎がある。

 それは、空間ごと焼き抉るように眼前にある全てを結界ごと焼き尽くす。

 山肌に盛大な裂傷を刻みながらも空へと登った魔炎。

 だがそこに、求めた手ごたえは感じられなかった。


「――逃げられたか」


『攻撃に力を割きすぎて結界が緩んだかの。リストルと同じで往生際の悪い奴よ』


 気がつけば、周囲の色彩が元に戻っていた。

 結界は音も無く消え、背後から強烈な光と共にどよめきのような音が聞えて来る。

 空間が切り離されていたが故に気づけなかったのだと、俺は振り仰いでその意味を知る。


「――なんだあれ。光の……滝?」


 呆然と呟く俺の瞳の向こうには、シュレイク城から立ち上る光の柱が見えていた。







「ずっと昔に、そして今もずっと。どこかで誰かがその夢を見ているんだ」


――召喚幻想。


 異世界からの召喚という、言ってしまえばただそれだけの事象は、しかし存在してはならない禁忌にも等しい劇薬である。

 それは彼らにとってさえ、現実にはありえないとされた夢のはずだった。


 叶ってはならないはずの夢がある。

 願っても叶わないはずの夢がある。


 大多数の者にとっては叶えられるべきではない願いというのは、当然のように常識から乖離して、願う者以外には不利益をもたらす可能性が有る。

 そんなモノははた迷惑以外の何物でもない。

 だから夢とは本来、決して綺麗なだけのものではない。

 醜悪で悪辣な夢もあれば、ただただ切実なだけの尊い夢もある。

 けれど彼女はそのどちらも否定しない。


――できるはずがなかったのである。


 夢はどこまでいってもただの夢。

 そんな物に善悪を当て嵌めたところで意味は無い。

 けれど、それで願った者が幸福になるのならば彼女にはそれで良かった。


 夢に溺れることでしか幸福が実感できないというのなら、きっと彼らにはそれが必要で、彼らの夢の片棒を担いでいる少女は、彼らが満たされれば満足だったのだから。


「召喚幻想もその一つ。ただの空想では満たされなくなったから、彼らドリーマーの一は異世界に夢を見た。例えマイノリティだと呼ばれても、誰にも理解されない圧倒的少数派であっても。でもね、だからこそ届いた。もう奇跡はずっと昔に起きているのさっ――」


 眼下に降り立つ荘厳なる光の輝きこそその証明。

 それは少数派がもたらした無限大の夢の、その一欠けら。


 魔法の光の向こうで、遂に世界に穴が開く。

 術式は定められたパラメータを参照し、対象をランダム検索。

 偶々条件に合致した対象を、こちら側へと召喚<誘拐>するべく光の門を開いていく。


「何が出るかな。何が出るかな。……おお?」 


 少女がホッと胸を撫で下ろす。

 誰よりも先に彼女はそれに気づいていた。

 そこから来る者が天敵ではないのだと。


「良かった、この感じだと外れだ。けれど――」


 異界の念神<カミ>に救いを求めた者たちは心せよ。

 彼が存在を肯定されて望まれた神だったとしても、存在を否定された唾棄すべき邪神や異形の怪物であったとしても。

 どちらであっても、今、この神滅の世界でそれらに抗える力は限りなく少ないのだとということを。


「忘れない方がいいぞ。その願い<カミ>を生み出したのは君たちではなく、どこか別の、遠い遠い世界の者たちであるってことだけはさ」


 黒の少女は嘲笑する。

 奴らに自らの神の祝福があると本当に思っているのだろうか、と。


「これは驕りだ。試してもいない間接使役術式に、要<かなめ>には完全復活もしていないリスベルク。それでも『悪意の魔神』の記録を見て、知っただけですぐにやれると、本気でそう思っているなら痛い目を見るぞ。何せ――」


――君たちの信じる神リストルは、とっくの昔にテイハに殺されているんだから。


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