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第五十三話「夜明けを望む者たち」


「――風だけじゃなくて地の戦士団まで裏切っただって?」


「ああ」


 忌々しそうに頷くラルクは、俺が捕らえた連中に殺意を向けたまま事情を説明した。

 色々な意味で頭に来ているのは俺だけではないようだが、その理由は次に集約されていたようだ。


「しかも裏切り者のスイドルフが人間共を城に引きこんだのじゃ!」


「はぁ!?」


「驚くのも無理は無い。オレだとて知った瞬間には頭が真っ白になった。だが、問題はそれだけではない。奴ら、クルスの手の者らしいのだ」


「おいおい。余計に意味が分からないぞ」


 当然のように頭の中にアヴァロニアを浮かべていた俺は、その言葉に混乱させられた。

 クルスといえば、聖王国とか呼ばれる中央四国の西国。

 アヴァロニアの東進を抑えていた国だろ。

 しかも、その間には北のリスバイフと東のロロマがあるためエルフの森とは地続きではない。態々呼び込む意味が分からない。


「対アヴァロニアを掲げる同盟国として、リスバイフを越えて進軍することができるかもしれないか。いや、しかし……」


「実際に軍が動いているかはまだ分からん。だが厄介な神宿りが居た」


 さすがに念神が出てくるとかはないか。

 なら来たのは少数精鋭だろうか。

 あの森を人間が突っ切るなら、大軍を一目に付かずに動かすのは難しいはず。


「相当な使い手なんだな?」


「一人はオレと互角程度だが、厄介な魔法を使うエルフだ。だがもう一人が桁違いだ。リスベルク様がケーニス姫の体を借りて挑み、その片方にやられた」


 さすがにその情報は洒落にならない。

 一瞬息が止まった俺は、恐る恐るその先を問う。


「……二人は無事なのか?」


「辛うじて生きてはいた。だがケーニス様が重症だった。何故か倒した奴が癒していたが……それでもあの敗北は大きすぎた。せめてお前のツクモライズであればまだ……」


 思い返すのも腹立たしいのか、ラルクは腰元の剣を強く握る。


「その後は逃げるのに精一杯だった。クルルカだけはなんとか助けたが、ルース王子が逃がすために囮になられ、おそらくは捕らえられた……」


『状況は最悪だな』


「――くくっ」


 半殺しにしてロープで簀巻きにしておいた戦士の一人が、血走った目で俺を見上げる。


「何がおかしい」


「アリマーンに勝てない貴様では、奴を押し止めてきたというあの男には勝てまい!」


「あの男?」


「聞いて驚け! 最強の傭兵アスタールだ!」


 ……誰だよそれ。


「有名な奴なのか?」


「いや、オレに聞かれても分からん」


 アヴァロニアの六魔将なら名前ぐらいは知っているらしいが、クルスは注目していなかったようだ。元より、彼は近衛剣士で王女の護衛だ。クルルカ姫は内政はともかく外には疎い上に、シュレイクは外向きではなく内向きである。


「だが強い理由は分かっている。奴は七つのアーティファクトで神宿りを行っていた」


「七重ってわけだな。強いわけだ」


 二重までなら相手にしたことがあるが、その上に更に五つか。

 そりゃ、リスベルク一本じゃどうにもならないな。


『――信じられん』


 黙って聞いていたイシュタロッテの呟き。

 儀式での繋がりを利用した魔術の一種らしいがラインを繋いだ俺にしか聞えない声だ。


『妾の加護を例外としても、神宿りシステムでは重ねるだけでも危険なはず。そやつ、特別な素養でもなければ長くは持たんぞ』


「逆に言えば、それぐらいやらないとアリマーンを止められないわけだ」


 リスクを背負うが故の強さか。

 そこまでの覚悟と信念が相手にはあるってわけだ。

 尋常な相手ではさそうだ。


「何にしても、このままは面白くないな」


「だからお前やドワーフの戦士たちに救援を乞おうと思っていた」


 この前の借りもあるから、彼らに返して貰うことは可能だろう。

 それにクルルカ姫が居るから、引き連れて乗り込んでも大義名分は立つ。


「エルフ・ラグーンには?」


「さすがに遠すぎる」


「だが案内人を確保しないとドワーフだけじゃ王都にたどり着けないだろ」


 関所の連中だけじゃ、大軍の先導は心もとないはず。

 案内人を失えば、ドワーフ軍では森を延々と迷って削られるリスクがある。

 それに何より、持ち直したとはいえドワーフたちだって復興中なのだ。


「シュランさんに声をかけたらどうだ。あそこの戦士たちなら手を借りられるだろ」


 イシュタロッテの転移が使える今なら、まだ巻き返せるはずだ。

 しかし謎がある。

 この一点だけは腑に落ちない。


「そもそも、何故クルスが動いた?」


「分からん。スイドルフと組んでいるのだって謎だ」


 俺がエルフの政治に疎いのはまぁしょうがないにしても、ラルクでも分からないとなればクルルカ姫か。


 視線を向けるも、ふるふるとのじゃー姫は顔を振るって「分からんのじゃ」と力なく答えるだけ。泣きそうな顔の彼女にそれ以上聞くこともできず、ラルクと二人で途方に暮れる。

 

 最悪、中央四国が森に攻め入ってくるなんて考えさえも脳裏をちらつくのだ。

 押し黙ったその時、捕虜の一人が口を開いた。


「ラグーンと森の西側、そしてリスベルク。それで我等の安全を奴らが保障するからだ」


「……随分と口が軽いなお前」


「死に逝く者への手向けだ。森の浄化は始まっている! 森が白く染まる時代が遂に来たのだ! 今この瞬間にもラグーンに連中の軍隊が向かっているはずだからなぁぁ!」


 白<エルフ>に染まるときやがったか。

 時代錯誤な連中だ。

 色々と整理して考えたいところだが、時間が惜しい。


「ラルク、キリク将軍とシルキー将軍は?」


「どちらも生死は不明だ」


「分かった、その二人は当てにしない」


 兎にも角にも行動あるのみか。

 息を吐き、軽く深呼吸。沸騰しかけの頭をクリアにし、適当に考えてみる。


 相手はクルスの軍にエルフ主義者とかいうスイドルフ一派。

 対処するにしても俺の体は一つしかない。

 つまり、一つずつ問題を対処するしかないのだ。


「――状況は大体分かった。で、こいつらはどうする」


「お前の好きにしろ。オレはもう、こいつらを仲間だとは思えない」


 まぁ、射られてたしな。

 関所に置いて行くって手もあるが何か問題を起こされても困る。


「イシュタロッテ。この二人をエルフ・ラグーンに転移させられるか?」


『うむ。あそこの結界は転移阻害効果はないからのう』


 すぐさま同調し、加護を貰う。

 ほとんど神宿りみたいなそれは、俺とイシュタロッテの力を宿した燐光で体を光らせる。

 同時に、俺には普段感じることができない力の流れが感じ取れるようになった。

 それは、イシュタロッテの感じ取っている神域の感覚か。

 その上で、腹の奥から力が湧いてくるような高揚さえ感じ取れる。


 だが何故だろう。

 嫌にこの状態がしっくり来るのだ。


「お前アーティファクトの声が聞えるようになったのか」


「こいつだけだけどな。二人ともこいつの力でアクレイのところに送るから現状を伝えて、できることをしてくれ。俺はこのまま王都に行く」


「正気か!?」


「リスベルクさえ奪還できればエルフはこっちに着くだろ。お前はクルルカ姫を頼む」


「……前も、こんなことがあったな」


「今度はラグーンから飛び降りる必要はないぜ。気楽なもんさ」


 申し訳なさそうに眼を伏せるラルクに、苦笑しながら頷く。


 分かってるさ。

 お前は簡単にはクルルカ姫から離れられないんだろう?

 最悪の時は、彼女が最後の王家になるだろうから。


「アスタールとやら以外で額に傷のあるエルフの神宿りが居たら、そいつは毒霧の魔法を使う短剣使いだ。すまん、貸しがまた増えるな」


 戦場に立てない言外の無念。

 それが分からないようなほど、俺は鈍くはないつもりだ。


「気にするな。お前はちゃんと返してくれる奴だから貸し甲斐がある。短剣使いは見つけたらこっちで叩いとくよ」


『送るぞ』


 俺には使えない念神としての力を制御し、イシュタロッテが二人の足元に魔法陣を展開。二人と一頭、そして鹵獲した馬を目の前から転移させた。


『こやつらはどうする』


「殺すのもアレだしな。カルナーン地方にでも跳ばしてくれ」


『ほう……流刑というわけか』


 捕虜をこの地から消すと、すぐさま悪魔の翼を借りて飛翔する。

 方角は王都がある西。

 関所を飛び越え、深き森の上空を飛ぶ。

 飛ぶ感覚は滑空するだけのウィングスーツとは似ても似つかない。

 それでも、経験は無駄ではなかった。

 空は俺を拒む事無く受け入れてくれている。

 万人を受け止めている星の重力が、今ならきっと恨めしげな目をしているに違いない。


『お主、キレておるな』


 最高速で飛ぶ俺を、イシュタロッテが楽しげに揶揄してくる。


「気に入らないんだよ」


 端的に言えば、その一言に尽きた。


「あいつを取り巻く今の環境も、鬱陶しい外敵もその全部が気に入らない」


『ほう。ならばどうする』


「ぶち壊しにしてやるさ。スイドルフとか言う『エルフ主義者』連中の企みごとな」


 思惑も何もかもが知ったことじゃない。

 泣き寝入りなんて馬鹿な真似、俺は嫌だ。

 あの偉そうなハイロリフ様が自分からそうすると言ったなら、俺は盟約を切ってとんずらするが、そうじゃないなら話は別だ。


「――そもそもだぞイシュタロッテ。本当にアスタールとか言う奴がアリマーンに匹敵するなら、何故クルスから動いたんだ。アヴァロニアとクルスが戦争中なら、絶対に動かせない切り札だろうが」


 アホでも分かる構図だろ。

 そいつが『俺』対策だって言うなら、もう休戦協定が結ばれたってことかもしれないが、もしそうなら確定する。

 そいつは確実にアリマーンより弱いって。

 何故なら、アリマーンより強いなら休戦協定なんていらない。


『もしその読みを外したらどうする』


「お前の転移で逃げて、態勢を立て直せばいい」


『結局は行き当たりばったりか。王子やら王女やらが人質にされたらどうするのだ』


「クルスの王を人質にし返す。んで、後で報復する」


『くははははは!!』


 イシュタロッテは笑った。

 擬人化していれば、きっと腹でも抱えているに違いない。


『まぁ、お主も一応は念神じゃからのう。そのハッタリ、信じさせられるかのう?』


「さてな。やってみないと分かんねーよ」






「――どうやら、本当のようですね」


 縮地で王都を見てきたアクレイの一言が、疑うシュランに止めを刺した。

 執務室で重苦しい顔をし続けていた彼にとっては、待つだけの時間が地獄のように感じられていたようだった。

 青いを通り越して白い顔を浮かべる彼は、ただただ愕然と呻く。


「なんということだ……」


 たった一言に凝縮されたであろう様々な感情。

 右手で額を押さえる彼は、どうしようもないほどのやるせななさにただ堪える。


「戦士長、帰還準備が整いました」


「分かりました。ではすぐにラグーンに戻りましょう」


 報告に来たドレムスに頷くアクレイは、押し黙ったままのシュランに一礼してドアに向かう。

 彼にはシュランに命令する権利はないのだ。

 要請することはできても、それ以上はできない。

 命令系統が違うからである。

 ただ、それでも。

 最後の一言を忘れなかった。


「選びなさい。リスベルク様とラグーン。そして森の一部を捨て、人間の手の下でのうのうと生きるかを」


「ッ――」


 彼は人の良い部隊長であった。

 ラルクが知る限り、こんな鋭い目をする男ではなかった。

 なのに、彼の浮かべる相貌は悲しいほどの憤怒に満ちている。


「馬鹿にしないで頂きたい!」


 啖呵を切る彼は、執務机に両手を振り下ろす。


「私は――いや、ここに居る戦士たちは断じて恥知らず共の仲間ではない!」


 アクレイの縮地でやってきたクルルカが、その啖呵にビクリと震える。

 それを、ラルクは優しく背を抱くことで安心させる。


「では?」


 歩みを止めたアクレイが振り返り、言葉を確認するように先を促す。


「アヴァロニアのハーフエルフ共は、城を襲ってからピタリと動きを止めていると聞いています。故に伝令を出し、振り分けた戦力をここへ戻します。その上で貴方たちラグーン勢と合流しましょう。この森の未来のために」


「英断、感謝しますよ」


「礼など要りません。この暴挙を許容するなら、エルフ族には最初から未来などない」


 立ち上がり、部下に指示を出すと彼はアクレイに言う。


「アクレイ殿、貴方のアーティファクトの力で上のコアを破壊して戻ってこれますか」


「可能です」


「ならばお願いします。最低限それだけはやっておかなければ、動くに動けませんので」


 頷き、イミテーションコアを破壊に向かうアクレイ。

 しばし残された二人に、シュランは頭を下げる。


「申し訳ありませんクルルカ姫様。御身を疑ったこと、そしてお見苦しいところをお見せしたことを謝罪致します。これより我等は姫様の指揮下に入ります」


「う、うむ。妾は戦はよく知らぬから頼むのじゃ」


「はっ。お任せ下さい」


 慇懃に礼をするシュランは、幼い姫を安堵させるように殊更力強く頷いた。

 その顔からは少しだけ険が取れ、クルルカを少しだけ安堵させる。


「――さて、そうと決まれば連中に目にものをみせてやりましょう」


 そう言い切ったシュランは、此度の敵に当たり前のような憤りを覚えると共に、哀れみの感情を胸に抱く。


(よりにもよってリスベルク様をか。もはや正気の沙汰ではない。キリクと、そして彼だけではない。下手をすれば森の全てが確実に動き、あの旗が掲げられるに違いない。白でも黒でもない、神話時代に掲げられたという、あの旗が――)






――シュレイク王都『ベルライク』。


 住民が知ったときにはもう、全ては終った後であった。

 かつては戦士だったそのエルフの男は、まことしやかな噂の中に真実が何一つ無いことを心の中で嘆いていた。

 夜の帳が落ちたこともあって、閉店の札を下げ、いつものように店仕舞いをすると軽く残り物で軽食を作って店の奥へと消える。


「起きていたのか」


「ああ」


 答えたのは、エルフにしては大柄な男。

 火の戦士団の団長、キリク将軍であった。

 巻いた包帯の痛々しさをよりも、失われた覇気が重症だった。


「ほれ、飯でも食え」


「……すまん」


 酒場の店長になったその男は、彼に食事を渡すと椅子にどっかりと座り込む。

 自分用にと手にした酒の瓶を煽ると、やるせない顔で告げる。


「ルース王子が捕まったとよ。結構逃げ延びたな」


「……クルルカ姫は?」


「まだだな。確か、護衛の餓鬼、足はぴか一だったろう」


「さすがはジンに選ばれし戦士か。それに比べて俺は――」


 引きちぎったパンを食う手を止めて、大男が脳裏に過ぎる記憶を咀嚼する。

 でかい図体に比例する健啖も、あの日からずっと鳴りを潜めていた。


「そう思いつめるなって。似合わないぞキリクよぉ」


「……」


「とにかく、今は傷を癒すことだけを考えろ。チャンスはまだある。昔の仲間も、あんたが動くのをきっと待ってるぜ隊長」


「隊長、か」


「辺境上がりの俺らは、将軍にまで上り詰めたアンタを誇りに思ってる。今でも思い出すよ。暴れん坊のキリクや、本好きのシュラン。長弓のノウルに年齢不詳のシルキー姉さん。そして、あのリスベルク様と戦ったラグーンズ・ウォーの初めの年を――」


 目を瞑れば、生き足掻いた日々の記憶が確かに男にはあった。

 過去の栄光にしか過ぎずとも、それでも胸を張れる大事な宝物だ。

 その結果として今が在る。

 死守された今の王都、このベルライクこそがその証拠であった。


「そういや、死んだ親父がよく言ってたぜ。エルフ主義者には気をつけろってな」


「……俺の親父も言っていたな。王家のことだとばかり思っていたが」


「まさかあのドラスゴルの爺<ジジイ>も、とはな」


 地の戦士団団長のドラスゴル将軍。

 いつから生きているのかは誰も知らないと言う程の高齢だともっぱらの噂であった。

 二十台後半にも見えるその姿で、ジジイなどと呼ばれていたのもそれが原因である。


「風もそうらしいな」


「きっと、根が深かろう。地と風を温存させたのも、きっとこの時のために違いない」


 思い出したかのように食事に戻るキリクに、男は続ける。


「あの失われた神の空白。その答えがこれかよ」


「皆が噂していたな。リスベルク様が失われたというあの日に」


「そうだ。そしてそれから再びあの方の名を聞けたのはこの前だ。なんだったか、あの廃エルフとか言う奴の名前」


「アッシュだ」


「そうだ、そいつに会いに行くってんで王都の民に健在が知れ渡った。同時に、俺達は王家を余計に怪しんだ。まぁキリクや姉さんたち一部の奴だけは知ってたみたいだが、今はいいか。それで、そいつはどんな奴だった? 信用できるのか?」


「まだよく分からん。あの方が自ら認めたらしいということぐらいしかな」


 ハーフエルフを見抜く力があり、ラグーンから飛び降りる力があり、一時的に彼らの神に体を与えられる者。そして、ダークエルフの子らの祈りより現れたという、新しくも胡散臭い神。彼のことを、キリクはまだ判断しかねていた。話した時間が少なすぎるのである。


「……そいつも繋ぐ者だと思うか?」


「違う、とは思うがな。不思議と敵意を感じなかった」


「それはお前の勘か」


「根本的にリスベルク様と違うのだ。まったく威厳がないのも気に掛かる」


「この前城にあの方を助けに来たって聞いたぜ。てことは、噂のように敵じゃあないってことだよな」


 今、廃エルフとラグーンのダークエルフ王がアヴァロニアのハーフエルフを匿っているとか、手引きしたとかいう噂が広がっていた。

 噂の出所は風の団。

 キリクを匿った男からすれば、眉唾でしかない噂だ。


「ラグーンの連中が攻めてくるだの、王家がアヴァロニアに降伏しかけたからリスベルク様の命令でスイドルフが粛清しただの、とにかく滅茶苦茶だ。皆真実を知りたがってる。だってのに、奴らは納得のいく説明なんかせずに戦争の準備をしてやがる」


「有耶無耶にするのだろうよ。議会の連中は昔からそうだ」


「なんだかんだでラグーンズ・ウォーも生き残ったからな。保身の腕だけは一流か」


 キリクを探している動きも当然ある。

 巡回の戦士が王都を回り、都の各所は見張りが立ち、王都の出入りはずっと監視されている。ここも、いつ嗅ぎ付けられるかは分からない。

 だというのに、その男は匿ったことを後悔してはいなかった。


「生き残った皆が薄々感じているはずだ。祈りから逆流してくるような、あの方の怒りの念を。お前を見つけた日から、ずっと腹の奥が煮えたぎるような感じだからな。相当に腹に据えかねておられるはずだぜ」


 彼にとっては懐かしい感覚である。

 今となっては、完全な始祖神を知っている者ぐらいしか分からない感覚だ。


「――奴ら、間違いなく手を間違えたぜ。だから、その時が来るまでに怪我とその情け無い面をどうにかしとけ」


「……迷惑をかけるな」


「いいさ。それより、城に肉を搬入したノウルが見たらしいんだが、連中は城の庭で妙なことをやってるってよ」


 訝しがるキリクに、続けて報告する。


「庭になんか図形を描いてよ、リスベルク様らしき剣を中心に突き刺してるんだと」


 「何かの儀式でもしている感じだ」、などと呟く男だったが、キリクにもその意味が分からない。


「人間が中心になってやってたことらしいからなぁ。もう少し探らせてみるか?」


「いや、深入りはさせるな。あの方の無事が確認できたなら今はそれでいい」


 今現在必要なのは、状況が動いた時のための情報である。

 一人では何も出来ない。

 戦士団を抑えられた今、民が決起するぐらいのことがなければ動きようが無いのだ。

 傷も癒えない今、ひたすらに機を待つしかなかった。


「水の団と近衛は捕縛されたらしいが、シルキーの姉さんはまだ行方不明だ。それだけが救いだぜ」


「あの女なら心配するだけ無駄だ」


「へへ。違ぇねぇ――」


 酒瓶をラッパ飲みする男は、そこに居ない誰かを懐かしむように笑った。







――ライクル山裏手の湖。


 暗闇の中、一人のエルフ女性が己の感覚だけを便りに天地上下の態勢で潜行していた。しなやかな両足は水を蹴り、手は水をかく。

 瞳は開けない。

 ただひたすらに、感覚だけを信じてそれを目指す。


(まだ、もうちょい北かな)


 反転。

 今度は、水面に向かって浮上する。


「――ぷはっ。はぁ、はぁ……」


 肺へと新鮮な空気を吸い込み、清涼なる水の冷たさに耐えながら感じた位置まで背泳ぎ。

 そうして、少しだけ休憩してから大きく息を吸い込む。

 取り込んだ空気を武器に、もう何度も繰り返した潜行を再開。


 元より、夜の湖だ。

 水中で目を開けたところであまり期待などできない。

 穏やかな瞳は、瞼の奥でも迷い一つさえ抱かず、星光と月光では足りない視界でさえも恐怖とは無縁だった。


(ここ!)


 レベルホルダーとしての身体能力が、肺活量さえも強化していた。

 常人離れした潜行。

 一糸纏わぬ姿のままで、人魚もかくやというような滑らな動きで水に挑んだ。

 水中の魚たちが、その影に逃げ出したことさえ知らずに彼女は黙々とそれを目指す。


(高々一本増えたところで変わらないなんて嘘。だから――)


 それに意味がないはずが無いと、彼女は知っていた。

 だから、限界ギリギリの苦しさに耐え底に突き立つそれに、祈るような気持ちで手を伸ばす。


 形の無い水の向こうに、硬質な何かがある。

 触れれば分かる幻想もある。

 それは自然崇拝の中で生まれた、精霊という名の幻想の成れの果てだった。


(届いた!)


 彼女の右手がそれに触れた瞬間、彼女が燐光に包まれる。

 一瞬の対話。

 それは言語を超越した会話だった。

 その異常と当然のように対峙しながら、彼女は急速浮上する。


 苦しい呼吸。

 それでも。

 確かな右手の感触と共に得た神宿りの力が、凄まじい勢いで湖面へと体を誘う。


「――っしゃー!! ディウン様ゲェェェット!!」


 息苦しささえ忘れ、彼女は手にした槍型のアーティファクトを闇夜に掲げる。

 見開いた瞳が見た青く揺らいだ形状の矛先は、まるでその存在を端的に表しているかのようだった。


――水の精霊『ディウン』。


 ラルクのジンと同じく、四大精霊に数えられる失われたはずの一柱である。

 水の巫女たる彼女が発見し、覚醒させた後は言われた通りにずっと秘匿していたアーティファクトである。


「待ってなさい。エルフ主義者の残党共め」


 水の戦士団団長『シルキー』、旧い時代には水の巫女と呼ばれた女が屈託なく笑う。

 封鎖された王族の脱出経路から離脱するのが精一杯で、知っていることは少ない。

 けれど、そんなことは彼女には些細なことだった。


「お姉さんを怒らせたらいったいどうなるか、しっかりと教えてあげるわ」


 決意を新たに岸辺に向かって泳ごうとすると、シルキーはディウンの声を聞いた。


「ふぅん。神が近づいてるのね? なら急いで戻らないといけないかしら」


 この森に神はいない。

 少なくとも、復活した念神は。

 ならば、ようやく彼が帰ってきたということは明白であった。

 ディウンの加護で湖面の上に立ち、彼女は岸辺に向かって水面を走る。

 彼女の頭の中では、どうやって城に戻るかが思考されていた。







「ええい、まだ発見できないのか!」


 執務室で、一人のエルフが激怒した。

 既に前線を離れて久しい、その恰幅の良い男の名はスイドルフ。

 かつて、エルフ主義者と呼ばれていた勢力の残党である。


 決起してから一週間程が経過しようとしていた。

 城を押さえたまでは良かったが、そこから先は完璧とは言い難い。

 未だに捕まらないクルルカ姫と二人の将軍。

 第一段階は成功したとはいえ、まだ予断は許さない。

 この次はラグーン勢との戦いが控えているのだ。

 その中で僅かでも計画通りに進まない現状は、彼の中で確かな恐怖を育んでいた。


「そうカリカリするでないわ。軍を押さえられた連中に今更何ができる」


 視線の先に居る年齢不詳のエルフの言葉に、スイドルフは恐怖と怒りを飲み込んだ。

 彼はスイドルフが最も信頼する男であった。


――地の戦士団を預かる将軍ドラスゴル。


 年齢からすれば老将とも言うべき古参の戦士であり、エルフとダークエルフの争いさえも経験している数少ない旧い時代の生き残りだ。

 見た目の若々しさと実年齢が合わないのは、エルフの不老特性とも言うべき性質からである。しかし、これまで長きに渡って水面下で立ち回ってきた同志でもあった。


「……準備は本当に完璧なのだな?」


「地と風はいつでも動けよう。東側は風のばら撒いた噂があった。今この瞬間にも戦士の数は増えている。もう一月もしないうちにリスバイフ方面からラグーンへの攻撃が始まる。そうなればこちらに負けは無い」


「そうであって貰わねば困る」


 そこに打って出れば挟み撃ちにできる。

 仮に、将軍や姫がラグーンに援軍を求めたとしてもそれで詰む。ドワーフに援軍を求めたとしても彼らでは森責めは論外だ。


 故に下の勢力であれば、鍛え抜かれた戦士団を要する地と風を温存した彼らが有利。

 そこへ、廃エルフとダークエルフの王に押し付けるアヴァロニアとの内通者の烙印は、東側では有効であると考えられていた。


 ラグーン勢力がアヴァロニアのハーフエルフを匿っていることをスイドルフは知っている。喧伝した以上、何も知らない民は動揺したことだろう。

 アヴァロニアへの交戦を訴え続けた、今は亡きシュレイク王『クルセルク』。

 彼に降伏の決断を促すために、クルルカ姫を誘拐させようとしてアヴァロニアに働きかけたのは彼らだったからである。


 リスベルクとアッシュの邂逅の時も、当然のようにリークして手勢を仕込んでいた。その際に、偶然手のものがイスカを発見している。

 これを利用しない手はない。

 つまりは自らが招いたアヴァロニアへの怨嗟を、敵陣に擦り付ける作戦である。

 迎合する数を減らせればそれだけでも効果がある。

 リスベルクを手元に押さえている以上、彼の行動はハイエルフのためのものとして偽ることが可能だと踏んだ。だが、想像と現実の乖離は始まっていた。中でも痛恨と言えるのがやはり彼の存在であった。


「確実に廃エルフを仕留めろ。奴だ、奴の出現で全てが狂ったのだ」


 シュレイクではアヴァロニアには勝てない。

 だからこその降伏。

 徹底抗戦をして、全滅や無条件降伏などという最悪の事態を招くよりはと、彼が選んだのはその選択であった。手に入れた情報だけでも、今のエルフにとっては途方もない敵になる。

 廃エルフがアリマーンに倒されたと自ら自供したこともこの決断へと到った理由である。

 まだ痛み分けならば勝ち目があるとして、決断はしなかったかもしれない。

 しかし、完膚なきまでに負けたのであれば抗う意味が見出せなかった。


「上のゲート、クルルカ、リスベルク。そしてアヴァロニアとのパイプ。全て奴一人に台無しにされた。その上であの汚らわしい肌のダークエルフ共が、統合論などルースに吹き込んで戻ろうとして来た。全て奴のせいだ。廃エルフはエルフにとって厄病神なのだ。二度と復活できないほどに殺し尽くさなければならん!」


 アヴァロニアは森の情報を十分に収集できたと判断し、ハーフエルフ共々完全に撤退した。もはや連絡をつける術はない。

 一縷の望みを賭け、ペルネグーレルで連絡をつけようと風の団に使者を紛れ込ませたものの、結局はそれも失敗した。

 水の戦士団長シルキーの眼を誤魔化せなかったからである。

 おかげで今ではもう、彼の大国とは連絡をつけることさえ難しい。不可能ではないが、時間が掛かりすぎる。


 ならば、もう縋れるのはクルスしかなかった。

 アヴァロニアの東進を押さえ込んでいるという、その大国に。

 その代価は高く付いたが、それで安全が買えるならばとエルフ族の神まで捨てた。少なくともこれで当座の安寧は手に入れられる。そうなれば、後はただ勢力を密かに研磨するだけ。それで彼の希望は叶うはずであったが、思い描いたシナリオ通りには進んでいない。


「しかし、奴らは何故リスベルクでの実験に拘っているのでしょうな?」


 荒れているスイドルフを宥めるためか、ドラスゴルはふと話題を変えた。


「アヴァロニア戦のための、極めて重大な魔術儀式だとは聞いているがな」


 その実験のために、スイドルフは彼らに城の庭園を貸したのだ。

 それにより、相手からの譲歩を更に引き出せると踏んで彼は好きにさせていた。


「星の巡りがどうとか、でしたかな」


「リストル教の司祭が出張ってきているからな。占星術でも試しているのかもしれん」


「はっ。占いで戦に勝てれば是非もない」


「コレも貸しだと思って放っておけ。今の問題は逃げた連中と遠からず来る廃エルフだ」


「閣下」


「……む?」


 ノックの音の後に、女の声がした。

 入室を許可すると、金髪ショートのエルフ女性が入ってくる。

 風の戦士団団長のイリス将軍であった。

 機動力を重視してか、風の団は革鎧さえ纏わない者が多い。

 彼女もその例には漏れないタイプだったが、体に巻いたベルトには投げナイフなどの暗器が見て取れる。その相貌は怜悧な表情が張り付いており、ラグーンズ・ウォー後の生まれにしては中々に貫禄があった。


「アスタール殿が、神が近づいてきていると」


「神……奴かっ!? 直ぐに守りを固めさせろ!」


「既に城内に伝令を出し、王都にも戦士をやっています」


「クルスの連中はどうした」


 少しばかり思案する素振りを見せるスイドルフに、彼女は続けた。


「アスタール殿は城の手前で迎え撃つと言って城門へ。残りは明朝を予定していた儀式を前倒しにし、邪魔が入る前に行うと庭へ」


「ふん。神とはいえ所詮は一人。今のリスベルクと同程度の戦闘能力なら数で押せるはずよ。アスタール殿の前に我等で一当てするのはどうですかな」


「……ドラスゴル将軍、それは余りに軽挙ではないか?」


 伝え聞くハイエルフの本来の戦闘能力は想像を絶する。

 類似品とはいえ、欠陥神でも油断はできない。

 それを知っているはずのドラスゴルの言動に、彼女は眉根を寄せる。


「何、本物の神ならばアリマーンとの戦いでこの城が吹き飛んでおる。じゃが城は無事だった。つまり、廃エルフはそれほど強くはないのだ。神の強さはピンキリだというが、奴からは畏れも何も感じ取れぬ。確実に全盛期のリスベルクよりも数段弱い」


「……ペルネグーレル戦では千人以上単独で斬ったという話が有りますが?」


「誇張だ。戦場では戦士を鼓舞するために分かりやすい英雄を立てる。よくあることよ。現にラルクもジンを賜りながら人間如きに梃子摺っておっただろう」


 ドラスゴルは首を鳴らすと、イリスを見下ろす。


「まさか臆したかイリス。アクシュルベルンの暗殺に失敗して逃げ帰り、無様に死んだお前の父のように」


「貴様、父を侮辱するか!」


「止めろ!」


 スイドルフが一瞬即発の空気の中で一喝する。

 武器に手を掛けた二人は、その声で辛うじて制止した。


「ドラスゴル、イリスの父は奴こそ討てなかったが奴の妻を消しゲートを使用不能にした。その功績は決して馬鹿にはできん」


「逃したからこそ、ラグーン勢が気を抜けぬ相手に育っている可能性がある」


「しかしお前はあの時辞退した」


「……平等主義者共の中に取り残されるなどゴメン故な」


「そう、それを奴は買って出たのだ。その勇気は買おうではないか」


 フンッと鼻を鳴らして先に槍の柄から手を離したドラスゴルは、渋々挑発を辞める。


「イリス。風の団を率いて民を抑え、隙あらば奴を仕留めろ。ドラスゴルは城の守備だ。ドサクサに紛れて鼠が来ないとも限らん。それと、王子と姫の見張りを厳重にしておけ」


「ハッ」


「……了解しました」


 一礼し、二人が部屋を出て行く。

 スイドルフは、自らも着替えると部屋の外に居た護衛の戦士を率いて玉座へと向かう。

 城内が俄かに騒がしくなるにつれ、不安そうな同志たちがやってくる。

 それらの顔を見渡し、彼は玉座に座った。


「――さて、お手並み拝見といこうか諸君。奴を押さえ込めれば、次はラグーンとアクシュルベルンだ。それで森は平和になる」


 更迭されずに済んだ議会の過半数以上の者は、その言葉に安堵の表情を浮かべる。

 しかし、言った本人は不安が皆無という訳ではなかった。

 彼の邪魔をするのは、いつだって神であったから。


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