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第五十一話「欠落を埋める者」


 膝の上で、悪魔イシュタロッテがこちらを見上げている。

 初めは怪訝そうな顔だったが、すぐに驚愕の視線を向けてきた。それからは一言も喋らずに俺を凝視したままだ。

 どう対応するべきか分からず、こちらも黙って見つめ返すのだがこれはいつまで続ければいいのだろうか。


 しばしの静寂。

 そんな中、フランベを庇うようにアナが彼女の前にさりげなく位置取りを変えているのが視界の端に映り込む。

 悪魔からは見えない位置のはずだったが、その動きにコイツは気づいているようだ。

 白と黒の薄布の服に包まれた小さな体は、動きがあった瞬間に身じろぎしかけていた。


 それも当然か。

 普通の念神には魔力だか想念だかで相手を感知する能力があるらしいのだ。

 今頃は室内の人数や俺とアナの力さえもある程度は読み取っているに違いない。

 彼女からすれば、敵か味方かさえ分からないのだから警戒するのは当然だ。

 その、はずなのだが。

 こいつは距離を取ったりせずにそのままで問いかけてきた。


「名は――」


「えっ」


「お主の名は、なんだ」


 桜色の唇から、鈴の音のようなソプラノが部屋に溶ける。

 旅に出ようと思ったあの日、聞いてみたいと思っていたその声は見た目相応に可愛らしい。

 ただ、何かに縋るような声色だったように思えた。

 気が付けば、当たり前のように俺は名乗っていた。


「アッシュだ」


「真逆……では、あの話は本当に……」


 次の瞬間、何故か悪魔は俺の胸に縋りついてきた。

 双眸から溢れる涙が決壊し、服を濡らす。


「よくぞ、よくぞクロナグラに戻ってきたのう」


 なんだかよく分からないが、また誰かと勘違いされているようだ。

 だが、嗚咽する少女が落ち着くまではとそのまま好きにさせた。

 最悪の場合に備えていた警戒心はもう、俺の中には無くなっていた。




「そろそろいいかね」


 落ち着いてきたイシュタロッテに、探究神が問いかける。


「これ、いいところなんじゃから邪魔をするなストーカー神」


 目元を拭う悪魔は、妙な通り名で彼女を呼んだ。


「……ストーカーではない。ワタシはただ、遠目に君たちの様子を伺っていただけだ」

「世間ではそれをストーカーと呼ぶのだ」


「見解の相違だね」


 眉根をヒクつかせながら、探究神は問う。


「それより、何故キスで起きたんだい」


「アーティファクト状態から変異したとき、キスされないと起きないように術式が構成されておるからよ」


「何故、そんな意味の分からないことを」


「妾にも分からぬ。仕掛けた奴の趣味だとは聞いておるがの」


 ますます意味が分からない。

 困惑する俺達だったが、どうも言っている本人も完全には理解してはいないようだった。


「テイハ嬢ちゃんの知り合いがこっそり仕掛けたおったそうでな」


「テイハというと、やはりあの賢人のことかね」


「その賢人がレイエン・テイハのことを指すなら、そうだのう」


 隠すようなことでもないのか、イシュタロッテはフランベの質問に素直に頷く。


「なんでもいいがな。そろそろ膝の上からどかないか」


「よいではないか。お主と妾の仲ではないか」


 俺の膝の上を占有したまま、悪魔っ娘がしなだれかかって来る。

 追い出すのは簡単なので好きにさせている訳だが、これは言っておかなければなるまい。


「多分、人違いだと思うぞ」


「いいや、お主が『アッシュ』なら何も距離感は間違ってなどおらぬ」


「ふむ。君は彼をどう認識しているんだい」


「アーク・シュヴァイカーの生まれ変わりよ」


 どうしよう。

 また正気を疑いそうなファンタジー設定が来た。

 なんですか、俺の前世はクロナグラのはぐれエルフだったってオチですか。

 ゲームキャラトリップの次は、マジもんの転生説か。

 現実は俺に、どれだけの要素を盛ってくるんだよ。

 自重しろよ俺の現実<リアル>。


「根拠は?」


「悪魔だからのう。こやつの魂の相似性に決まっておろう」


「そうかっ! リストル教の悪魔にはそれがあったか!」


「じゃから間違える訳がない」


 逆に言えば、俺の正気が更に削られるような事態は確定だということか。


「言っておくが前世の記憶なんて無いぞ」


「普通はそういうものらしいのう。じゃが別にそれでも構わぬよ。今は、な」


 意味深に笑うイシュタロッテは、言いながら背中の翼を仕舞う。

 虚空に溶けるように消えたその根元には、穴一つ無い布地が見える。

 そのデタラメさに、半ば達観した視線を送っているとフランベが手を上げた。


「一ついいかね」


「なんだ人間。妾は今とても気分が良い。何でも教えてやろうぞ」


「生まれ変わりは、リストル教の教義には存在しないのではなかったかね?」


「なんだそんなことか」


 つまらなそうに頷き、イシュタロッテは質問に答える。


「リストル教の天地創造論もその他の伝承も、所詮は念神と同じく虚構の存在よ。擬似的な天国も地獄も確かにあるが、それが世界の真実ではない。そもおかしいじゃろ。信仰は世界中に腐るほどに在る。それらが皆全て真実であれば、それだけ沢山の世界が存在することになるではないか」


「では、魂の定義とはなんだい」


「悪魔的な価値観で言えば、存在固有の波動とでも言うべきものだ。嬢ちゃんはそれを、『転生コード』とか『でんぱ』とか呼んでいたのう」


「……アナ」


「無理だ。ワタシにはまだ観測できない。領分を越えているのだよ」


 探究神は、少しだけ悔しそうな顔で肩を竦める。

 しかし、そこに諦めの色はない。

 野望を隠しもせず、フランベに頷いて見せる。


「だが何れは、そこまで到達して見せるさ」


「楽しみにしているよ」


 挑戦的な笑みを浮かべる二人に、俺は丁度良いとばかりにもう一つ厄介ごとを頼む。


「そうだ、話は変わるがついでにコレも研究しといてくれないか」


 インベントリから回復用のポーションと万能薬を十本ずつ取り出して説明する。

 複製ができればいいが、まぁ、駄目元という奴だ。


「さっきの妙な魔法薬かい。これなら魔術神辺りの協力も欲しいが……ふむ。効能が捨て置けないな。フランベ、やってみるかね?」


「アッシュ君の頼みだ。承ろうじゃないか」


「銃や大砲の片手間でいい。劣化版でも量産できそうだったら教えてくれ」


 さて、これでペルネグーレルでやり残したことはないはずだ。

 いい加減夜も遅いので、最後に尋ねるべきことを尋ねておくとしよう。


「後は、こいつだな。連れて歩いてると不味いんだよな?」


「むぅ? 何故困る」


 そこで探究神が現状の世界情勢を交えて説明するのだが、イシュタロッテは鼻で笑った。


「リストル教系の念神はリストルを殺されたこともあって弱体化していよう。妾に流れ込んでくる想念の量からも察しが付く。今のこやつと妾が揃えば大して怖くもないわい」


「……君たちが良くても周りへの被害を考えたまえ」


「ならば、またアーティファクトにでもなっておいてやろう。力は使うがの」


「それ、意味がないんじゃないか?」


「備えは必要じゃ。妾とアッシュは相性がいいはずだからのう」


 意味深に笑う彼女をそのままに、俺は探究神をメガネに戻す。


「ほう、やはりな」


 何がやはりかは知らないが、ニヤニヤといやらしく笑うイシュタロッテと共に、俺は宛がわれた部屋へと戻った。




「さて、そろそろお前もアーティファクトに戻すぞ」


「まぁ待て、そう急くでない」


 悪魔は、殺風景な部屋で何やら魔法を行使する。

 探究神のそれと同じようなものらしいが、それ以外にも何かありそうだ。

 心なしか、空気が変わった気がするぜ。


「こんなものかのう。さて――」


「……何故にじり寄ってくる」


「妾が元は女神であったことは知っておるか?」


「いや」


 ベッドを指差されたので、座れという意味だと解釈。

 まだ話しでもあるのか思えば、こいつは俺に寝ろと指示を出してきた。


「……おい」 


「種まき、繁殖、性愛、戦。当時の妾はのう、様々な顔を持っていたのだ」


 武器と共に生まれた女神、性愛の女神、種まきと戦の女神。

 一柱で様々な顔を持つ、同一視された女神であったと彼女は語る。

 これは、暴風の神ルドラとシヴァ神、そして大黒様が同じ神でありながら別の名で呼ばれるのにも似ていたのかもしれない。


「そして、そんな妾に一つの信仰が生まれた」


 イシュタロッテは、言いながら俺をベッドへと押し倒す。


「妾を信仰する神官や巫女と交わった者は、霊的に我と繋がることで加護を得ることができるというそれだ。まぐわいとは命を紡ぐ聖なる行為。古き人間は、その瞬間に神と繋がるとでも夢想して、この信仰を生み出したのだろう。いや、我等の原型がそうだというだけだったか……」


 それから、その地では人気の神となったのだ彼女は語る。

 時の王でさえ、彼女に仕える聖職者だと宣言して戴冠する程であり、信者も多く居たとう。


「――じゃが、それが仇となってしもうた。妾への信仰のうち、このエロエロな部分がむやみな姦淫を禁じるリストル教徒にとっては疎ましく、また攻撃しやすかったのだ。やがてむやみな姦淫を行う巫女たちは、先に忌避されるようになった娼婦と同じように蔑まれ、それまで人気であった職業ではなくなってしもうた。そうして、人々の価値観は移り代わり、新しい価値観や神を迎合した。それまであった幻想は捨てられたよ」


 見下ろす悪魔は、そうして切なげに笑った。


 それは、一つの信仰の終わりを見た神の悲哀だったのだろう。

 望んで生み出されて、願いの果てに顕現したはずなのに、結局は信仰でさえも発明で、人類にとっては日々を円滑に回すための道具でしかなかったのだ。

 だから、必要でなくなれば神であっても捨てられるのか。


 ヒトの営みは消費社会。

 無常としかいえないそれが、念神の存在するこの世界ではやけに重い。


「やがて少しずつ信者を失い、弱体化して信仰でも完全に負けた。だからこうして悪魔として取り込まれ、まったく別の力を持つ存在にさえされてしもうた」


 自らの過去を憂うその表情は、確かな自嘲を含んでいる。

 だがそれは、彼女にとって敗北者としての烙印で終るものではなかったようだ。

 見下ろす彼女の相貌が、古き過去の栄光と没落の痛みを微笑みで塗り変える。

 それこそが、こいつの今の行動の理由なのだろうか?


 俺を通して、別の誰かを見ているのもそのせいか。

 鬱陶しいという思いは皆無ではない。

 けれど、不思議とそれだけでもなかった。


「――だが、完全に存在が上書きされきる前に妾は『アッシュ』と『テイハ』に出会った。おかげで辛うじて当時の力を残したまま、今の姿と能力を手に入れることができたのだ」


「そう言われても俺には分からないし、実感もないんだがな」


「構わんよ。妾がそうだと認識できたなら、そこに他人の価値観など挟む余地は無い」


「例え本人が否定しても、か」


「そうよ。ここにあるものの価値を認められるのは、この世で二人だけで良い」


「だからコレ……か」


「そう、だからコレなのだ」


 頷くイシュタロッテの銀髪が揺れ動く。

 垂れ下がってくるツインテールが、室内を照らすカンテラの炎を遮った。

 抵抗感はまるでなかった。

 跳ね除けるという選択肢さえ思いつかずに、小悪魔のキスを受け入れる。

 次の瞬間、淡い光が俺達を一瞬だけ照らし出す。


「ん……やはり、この程度では加護のラインは繋がらんか」


「失敗か」


「妾を舐めるでない。今のは小手調べに過ぎぬよ」


 強気に笑う少女の顔は、悪魔というにはあまりにも慈愛に満ち過ぎている。


「お主、さっき想念さえ感じ取れない欠陥神だとか言っておっただろう」


「ああ」


「妾がその欠落を埋めてやろう。前と同じだ。弓が使えないなら代わりに魔法を放ってやる。剣術が駄目なら、我が眼でズルをして達人を引っ掛けてやるし、空を飛びたいなら翼を貸してやる。だから、だからのう――」


――今度こそ、無為に死んでくれるなよ。


 耳元で囁かれる、願いのような言葉があった。

 今は存在するはずの無い誰かへのその念が、正直に言えば少しだけ妬けた。


「……なんていうかさ、悪魔ってのは悪い奴だと思ってたよ」


「間違っておらぬよ。だから妾は悪戯もするしエロいこともする。誰かを騙し、誰かを殺し、求められたが故の悪行の限りを尽くして、その役割を与えた者共を恨んで妬むのだ」


 ツインテールの髪を束ねる髪留めの紐を解く。

 腰元までありそうな髪が、窮屈な束縛から解き放たれて重力に舞う。

 そうして、彼女は今度は着ている衣類を躊躇無く床に投げ捨てた。

 翼と同じか、魔力の塊か何かだったそれは虚空に解けるように消えていき、少女の裸身を晒していった。

 赤い炎に彩られるミルク色の肌。

 惜しげもなく晒される裸身は、同時にその心根さえも曝け出していくようだった。


「嫌いな奴は嫌いで、好きな奴は好きだ。だから、想念のために争う念神としての宿命を忘れさせてくれたお主らが、妾は好きだったのだ……」


「案外、単純ってことか」


「ぬふふ。妾だとて所詮は人類が生み出した幻想<カミ>ぞ。高尚な存在であるものか」


「そうか。なら、俺も適当にやらせてもらうよ」


 拒絶する理由なんて無く、拒絶する程に嫌いでもない。

 知らないぐらいに知らないが、否だったらここまで好きにはさせていない。

 だから、このままありがたい申し出として契りを交わそう。

 せっかく努力ではどうにもならないだろう領域へ引き上げてくれるというのだ。

 ここは強がれる場面ではないのだろう。

 ただ、これだけは譲れないことがあるとだけは彼女に伝えねばなるまい。


「なぁ」


「なんだ。今更怖気づいたか」


「俺はきっと、身代わりにはなれないぞ」


「ハハッ。こんなときに、そんな真面目腐った顔で言うことか」


「こんなときだからこそ、大事なことだ」


 他人と混同されたままじゃあ迷惑極まりないんだ。

 前世とかいう胡散臭い話なんか知らない。

 だから、知らない誰かに重ねられるのはゴメンだ。


「良かろう。お主は廃エルフのアッシュであり、二代目の妾の担い手。これで良いな?」


「十分だ。これで知らない誰かに焼きもちを焼かずに済む」


 後はおいおい、埋めてけば良いさ。

 四の五の言うのはここまでだ。

 身を起こし、服を脱ぎ捨てた俺は、加護とやらを貰うべく儀式に望んだ。




「――ぬふふ。昨日はお楽しみじゃったのう」


 翌朝。

 目覚めれば、隣に素っ裸のイシュタロッテがいた。

 だが何故だろう。

 昨日の記憶が途中から無いのだ。


「なぁ、激痛と一緒に意識がぶっ飛んだんだのはなんだ」


「無理矢理加護のラインを繋げた反動じゃろう。普通の男ならともかく、妾とお主は異なる幻想同士。下手をすると力の反発でどえらいことになっていたかもしれぬな」


「……聞いて無いぞ」


「言って無かったからのう」


「悪魔かお前は!」


「そうとも。割と偉い立場の悪魔よ。怠惰だから仕事は滅多にせんがの」


 ぬふふ、ぬふふと笑う小悪魔は、頭を抱える俺の前で指先をドアの方に向けた。

 見れば、何故かドアが全開。フルオープンだった。


「……何故、開いている?」


「少し前にドワーフの嬢ちゃんが起こしに来てのう。なんぞ悲鳴を上げて出て行った」


「それを早く言えっ」


 そりゃあ悲鳴の一つも上げるだろうよ。

 つーか、全開のままにする意味が分かんねぇ。

 急いでドアを閉め、服を着替えながら悪態をつく。


「まったく、ちゃんと成功しているんだろうな」


「勿論よ。まぁ、少し想定していたものとは違う結果になったがの」


「……危険性でも?」


「加護を発動させるには、どうもお主の近くにいないと使えぬようなのだ」


「それ、意味が有るのかよ」


「武器として振るえば良かろう。そうでなければ、探究神のようなメガネ、或いはアクセサリーにでもなっておいてやる。ラインは繋げたから、会話ぐらいならできよう」


 それなら問題はない、のか?

 腕輪とか指輪にでもなってもらえれば、手持ちの武器も使えるし、戦いの幅が広がるだろう。


「ん、分かった。なら試すのは道中にでもやろう」


「それと、だ。重大なことがもう一つだけある」


 何事かと耳を傾ければ、奴は極めて重大そうな顔で言った。


「次こそはちゃんと天国に送ってやろう。あのままでは妾の沽券に関わるでな」


 重大の意味が違うことに気づいた俺は、当然のように悪魔の頬っぺたを抓り上げた。




「色々助かったでアッシュはん」


「ホンマにありがとうございました」


「次に来るときまでには、一つぐらい君の言ったアイデアを形にしておくよ」


「じゃ、またな――」


 ドワーフに見送られ、アッシュは地下迷宮を去っていく。

 むず痒いのか、少しだけ困ったような顔で手を振って歩く彼の姿を、ティレルが物憂げな顔で見送っていた。それに気づいたフランベは、少しばかりの探究心を発揮する。


「ティレル君、どうかしたかね」


「ちょっと、な。ショッキングなことが朝にあってなぁ」


「そうなのかね」


「英雄色を好むか。当分は、モンスター・ラグーンでゴーレムでも殴り倒したい気分や」


 アッシュに貰ったアーティファクトの握りをためつすがめつしながら、ドワーフ王女は何故か兄を見る。


「な、なんやその目は」


「兄ちゃんでもええけど、物足りへんからなぁ」


「あのな、お前ホンマにおしとやかさを覚えんと嫁の貰い手がないで」


「そんなデリカシーのないこと平気で言うから、兄ちゃんはモテへんのや」


「ごふっ!?」


 鎧越しに響く、とびっきりの笑顔での肘打ち。

 衝撃に耐え切れず転がった彼の首根っこを引っ掴み、妹様は地下迷宮へと引きずってのしのし歩く。

 それを見たジョンが、耐久力に磨きをかける王子に自然と敬礼を送った。

 周辺のドワーフたちは総スルーだが、フランベだけは空気を読まずに声をかける。


「随分と力を持て余しているようだね」


「そらそうや。並のレベルホルダーやったら、魔物と同じですぐに壊れてまうもん」


「アッシュ君には通じていなかったようだがね」


「だって根本的に体のつくりが違うやんか」


「そうだが……ふむ」


 地下迷宮へと戻る最中、フランベは少し悩む素振りを見せる。


「少し、ドワーフたち自身にも梃入れしてみようか」


「なんや、大砲以外にもなんかあるん?」


「これだよ」


 言うなり、フランベは全身に淡い光を纏った。

 途端に、周囲のドワーフたちが驚きの声を上げる。

 そんな中、ティレルだけは意に返さずに寧ろ喜色を浮かべて聞き返す。


「もしかして神宿りって奴か? それなら、アンタに相手してもらうのも有りやなぁ」


「組み手ぐらいなら時間があるときに付き合おう。だが本題はこちらだよ。これは生き物が誰しも持っている力でね」


「魔力……じゃあないんやよね」


「うむ。昔レベル上げをしていた時に出会った、食いしん坊な竜に習った技なんだ。生命力を練り上げて使う。どれ、使い方の一つを見せようか」


 ダイガンをうっちゃったティレルを迷宮の入り口まで招き寄せ、フランベは半身に構える。そして、アッシュが居たが故に、一度も戦場では使う必要が無かった力を振るった。


「いくよ」


 一声と共に、誰も居ない空間を殴るように細腕が風を切る。

 正拳突きにも似たその拳の先から、驚くべきことに淡い光の塊が飛翔。

 その先にある岩に炸裂した。


 轟音。

 着弾したそれは、アーティファクトの魔法のように岩を砕く。

 その様はまるで、小さな大砲のようだった。


「な、なんやそれっっ!?」


「――内気魔法『オーラショット』さ」


 それは、クロナグラには存在しないはずの技法である。

 偶々魔物の召喚魔法に巻き込まれて異世界から迷い込んだという、その食いしん坊な緑竜は、迎えが来るまで倒した魔物の肉を貰うことを条件にそれをフランベに享受した。それが無ければ、到底彼女が得ることが出来なかった代物である。


 生き物は魔力の他にも生命力という、気とかオーラとか呼ばれる力を持っている。

 それを練り上げることで増幅、運用するのが内気魔法<インサイドマジック>。

 これは体を内側から強化する効果さえ持ち、人類が格上の生物とさえ戦うことができるようになる異世界の戦闘技法だった。


「この力は生き物が誰しも持っている。習得できるかは才能と努力次第だ。けれど、魔力が乏しい反面、頑強で生命力の高い君たちドワーフとは相性が良いはずだ。どうだね、習得してみないかティレル君。体得すれば、神宿りに到らずとも戦闘能力を一段階上げられるかもしれないよ?」


 それを探究神は止めない。

 真理の探求のために知識の収拾と伝道を存在意義としている神だからであり、普通の魔法以外は開陳することを基本スタンスとしているからである。


(アリマーンが神の利を基準に人々の無知蒙昧を望むなら、ワタシは叡智の光で対抗しよう)


 偽りの幻想<カミ>に世界の理<ことわり>を押しつけて、神の所業という曖昧な物で納得させるのではなく、曝け出して突きつけた上で神域を暴き立てる。

 それが、探求者としてのフランベにできる戦い方。

 彼女が信奉する念神は、それを選んだ同志を歓迎し手を差し伸べるだけ。


(まぁ、やれるだけやりたまえフランベ)


 もとより、分が悪いだけの賭けではあった。

 アリマーンとハイエルフの類似品ではモチーフとなったモデルの規模が違う。

 片や善悪二元論の悪側の親玉にして、己に押し付けられた役割を救世主と共に越えた者。そしてもう一人は、念神殺しの賢人が愛した男の生まれ変わりらしき何か。


 念神の戦いは信仰の優劣だ。

 しかし廃エルフにはそれが限りなく存在しない疑惑がある。

 故にこれは、クロナグラで飽きるほどに繰り返されてきた従来の信仰戦争ではないかもしれないと探究神は考える。


――神魔再生会、十三幹部七番『探究神アナ』。


 彼女は自身の復活のための戦略に、旧態善としたルールの上にあるそれではなくて、その外側での復活を目論んでいる。

 神利ではなく真理を選んだのもそう。

 走破していない未知という名の道は、やがて叡智の光で暴かれていく。

 そうと予見するからこそ、彼女は『科学の神』として再臨する道を選んだのであった。


 そのチャンスを逃すほど彼女は愚かではない。

 戦場を変革せしめる可能性を持つ兵器と、それを生みだした探求の成果がこれから世界を緩やかに変えていく。その確信がある限り、彼女は今の宿主との共生の道を選び、フランベが選んだ陣営に肩入れすることを決めたのだから。


――ただし、たった一つの不安が現実に起こらない限りは、である。


「ホンマにウチにもできるんか、それ」


「可能性はあるよ。そうだね、ドワーフの戦士団にも試してみたらどうかな。準備運動程度だから、鍛錬の前にでも加えて様子を見ればいい」


 フランベは「美容と健康にも良い」と付け加えて微笑を返す。

 探究神は宿主の戦いを否定しない。

 知識の求めにも応じる。

 けれど、アッシュを知ったときから感じた危惧は、まだアナに残っていた。


(フランベ、君の選んだカードは危険極まりないぞ。災厄を呼び込む手札であるかもしれないということだけは、決して忘れてくれるな。アレはデタラメだ)


 その日、地下迷宮に済むドワーフたちに『気増演舞』と『気増剣舞』が伝道された。

 レベルの重要視される世界での、レベルに由らない戦力向上技法の享受。そこに新兵器の導入が重なれば、今よりも通常戦力は間違いなく向上し、対人への備えに寄与するのは間違いない。

 しかし、問題となる対神戦に関しては不安が拭えるわけではなかった。

 その要になるだろう男はまだ、未知数であった。





 ペルネグーレルでの戦いは終わり、もうすぐ二ヶ月が経とうとしていた。

 アヴァロニアによる奇襲、ペルネグーレルからの援軍要請に、亡くなった国王夫妻の国葬。そしてペルネグーレルでの勝利宣言。

 シュレイク王都『ベルライク』の民の間では、ここ数ヶ月に渡って起きた事件による不安が広がっていた。


 その不安を払拭するのは次の王となるルース王子の即位式と、彼が押している統合論であろうことは間違いないと一部城内では専らの噂である。


 しかし、噂は噂だ。

 それを現実に起こそうという彼を阻むものたちが居た。


「――妙だ」


 議会の重鎮にして先の王の側近でもあったエルフ――スイドルフと、彼の一派と思わしき者たちがルースの案は愚か統合にさえ反対してきていた。

 元々スイドルフは独立派である。

 彼らの言い分は、アッシュが議会に顔を見せてからあまり変わってはいない。しかし、リスベルクが彼の側に立っていてこれなのだ。


 その数は既に、議会の半数を超えているのではないかというほどである。

 確かにペルネグーレルへの戦士の派遣や、そのバックアップなどのために議論が途中で有耶無耶になってはいたのだが、どうにも雲行きが怪しい。


「私の能力が足りないということであれば、まだ分かるのだがな」


 修繕され、新しい家具が配置された部屋の中で机の上に両肘を乗せていたルースは、大きく息を吐きながら組んだ指先に額を乗せた。それはまるで、何かに祈るような姿だった。


(……まさか、な)


 頭を振るう。

 一考に話が進まぬもどかしさが、馬鹿な妄想へと発展したのだと。

 胸を締め付けるこれから先のエルフ族の未来への不安も、きっとその妄想を加速させるスパイス。まだそうと決まったわけでもないと、彼は自分に言い聞かせていた。


 ただ、それでもやはり異常ではあった。


 単純な話で言えば、リスベルクは彼女を信仰するエルフ族の想念を受けた存在である。その上で、彼女はエルフ族を良き方向へと導くことを願われた神なのだ。彼女がルースの意見を肯定するということは、有る意味では信仰者たちの大部分が否定的ではないと考えても良い。だというのに、彼らは反論し続けるばかりではなく議会においては勢力をより拡大しつつある節さえある。


「兄上」


 ドア越しに聞えてきたクルルカの声に、ルースは考えるのを一端止めて中に呼んだ。

 中に入ってきたのは、クルルカとその護衛のラルク。そして、ケーニスの体を借りているリスベルクだった。


「どうしました」


「うむ。クルルカがお前にお茶を持っていくといっていたのでな」


「そうでしたか。ありがとうクルルカ」


「疲れた時にはこれが効くのじゃ」


 クルルカの運んできたカップを受け取り、ルースは口を付ける。すると、微かな甘味が彼の舌を楽しませてくれた。


「蜂蜜か。ああ、これはいいな」


 ホッと一息付く彼に、クルルカが満足そうに頷く。

 それを見たルースは、妹にまで気を使わせる程に顔に出していたのかと己の力量不足を恥じた。


「ふむ。最近、ケーニスの代わりに出すぎていたこともある。兄妹で少しは相談して見るが良い」


「……かなりお疲れのようですね」


「ああ、お前の知っている通りだケーニス。想像以上に上手く行かなくてな」


「いいや、兄上はしっかりとやっているのじゃ。何も間違ってなどおらんのじゃ」


 無言で一礼し、ラルクは王族三人が集う部屋を出た。

 家族の時間を邪魔するほど彼は野暮ではない。リスベルクも居るのだ。何も心配することはないと考え、部屋の外で壁に背を預けるようにして目を閉じる。

 しかし、その時間は長くは続かなかった。


「――なに?」 


 ラルクはジンの警告に従って目を開けた。

 無意識にその気配を感じて柄に手をやっていた彼は、ほぼ同時に階下からけたたましい音がしたのを耳にした。

 それを皮切りに怒声が響き、城内が一気に騒がしくなる。

 そこへ、階下に居たはずの近衛戦士が走り寄ってきた。


 尋常な様子ではない。

 自然と目を細めたラルクは、迷わずに両手に剣を抜いた。


「何があった」


「議会の重鎮スイドルフ殿が、地と風の戦士団を引き連れてクーデターをっ!」


「なんだと!?」


それは、アッシュが地下迷宮を出る前のことだった。


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