EX04「はぐれエルフ 加護を得る」
この戦いに始まりの合図など無い。
対峙する少女と悪魔。
両者の間に、公正無私に立てる審判など存在しないのだから当然か。
片や天災の如き力を持つ悪魔という形の念神と、それを迎え撃とうという神の如き人間の一勝負。
これには闘争の結果を彼岸に追いやる平和なルールなど無粋。
今ここで必要なのは、対峙する両者の闘争の意思だけだ。
元より、神の争いに外野など存在できない。
だから、当事者たちだけで勝手にやって勝手に終るのが正しい摂理という奴なのだろう。
「■■■ッ――!」
初手は悪魔。
奇声と共に、地面を蹴り砕きながら疾走する。
その速度。
もはや目で捉え切れそうに無いと思うほどに速い。
一瞬で零から最大へ乗れる脚力が、とてつもない魔速を生んでいる。
対してレイエン・テイハは動かない。
そして来たるは、人と魔の織り成すグラウンドゼロ。
「くぅっ――」
二人の激突は熱と風と閃光を生み、直ぐ目の前を馬鹿げた速度で横切った。
地面を擦るような音が、当たり前のように鼓膜を揺さぶるその中で、俺は新たな轟音と両足を振るわせる振動を感知する。
「マ、マジかよ……」
それは二人がその先にある家屋へと突っ込んだ証拠だった。
振動はそれだけでは止まらない。
何枚もの家屋の壁をぶち破ったような音だけを残して遠ざかっていく。
「ば、馬鹿げてるだろこれ」
恐る恐る通りから目をやれば、地面を削って作られた二本の轍と、踏み砕かれた地面がある。
轍はテイハの抵抗の軌跡で、砕かれた地面は悪魔の疾走跡だ。
目を疑うような光景に混乱する脳髄は、しかして真実を追い求めている。
視線は自然と轍を追う。
その果てに、粉塵を巻き上げながら街を横断していく小さな影を一瞬だけ確認した。
「ええいっ――」
剣を鞘に仕舞い、俺は地面に刻まれた轍を追う。
途中で穴の明けられた風雲な民家に踏み込み、震え上がる住人の呆気に取られたような顔を尻目に通過する。
圧倒的な人々で賑わっていたはずの表通り。
そこでも轍は健在だ。
誰しもが青ざめたまま、力比べをしている天災たちの過ぎ去った方角を見ている。
悲鳴さえ撃滅する神撃の重み。
恐怖に彩られた沈黙の中、遅れてやってくるざわめきを背にひたすらに駆け抜ける。
やがて轍が蛇のように唸り、出鱈目な軌道を描き始める。
それは俺が入ってきた東門の反対側へと延々と続き、遂には西門付近の外壁にさえも到達していた。
「ありえねぇって。コレが人と神のぶつかり合いかよ」
当たり前のように外壁には大穴が空けられており、人々がその穴の前で混乱している。
この時ばかりは途方にくれるしかなかった。
それでも、野次馬たちを押しのけて外壁の向こうへと向かう。
振動、振動、大振動。
遠い地面からもたらされるだろう超越的な振動が、地鳴りのように響いてまるで大地の悲鳴のように聞える。
知らず知らずの間に、俺はその事実を前にして拳を握ってしまっていた。
振るえる指先をただ押し殺し、湧き上がってくる驚愕で背中をただひたすらに震わせる。
「まだ、終ってないんだな……」
普通なら一撃で粉砕されるだろうところを、受け止めて抗っている。
戦っている。
戦っているのだ。
レイエン・テイハという人間の少女が!
俺の肩ほども無い小柄な自称人間が、念神を相手に戦っている。
振動がもたらすその事実に、俺は知らず知らずの内に高揚していた。
だって、それはつまり、あの悪魔を実体化させている人々の想念の重みに、たった一人で匹敵してるってことなんだぜ。
クロナグラに実在する神、念神とは、そこに住む人々が信仰した共通の幻想である。
大気中には魔力という名のエネルギーがあり、人間なども持っているのだが、これは知的生命体の精神に感応する性質があるという。
その魔力にある種の魔法効果を与えるのが想念だ。
これは、人々が心に思い描く神さえも実体化させてしまう力を持っていると聞いた。
基本一人に想念が一しかないと仮定しても、念神を生み出すにはそれこそ沢山の想念をかき集めなければならない。
例えばリスベルク様はエルフ族全体から想念をかき集めているし、あの悪魔だってアレが存在するとした想念を受けて顕現しているはずなのだ。
その力は当然、想念の総量と思い描かれたモチーフの力に比例して凶悪になる。
本来は人一人がどうこうできるような相手じゃないのだ。
「なのに匹敵できるってことは、アイツは一人でその他大勢の力に抗えるほどの力を持っていることになる。あり得ない! そんな話は聞いたことが無いぞっ――」
なんて不条理だ。
そんなことが認められるなら、これは脅威以外の何者でもない。
神に比肩するレベルの力を持つ個人。
そんな奇跡のような人間を知り、我が身可愛さに諜報しないなんてことができるかよっ。
「畜生、狡いぞ! どうやったら俺もそうなれるんだ!」
俺は強くなりたかった。
今の弱い自分が嫌で、変わりたいと願っていた。
はぐれエルフとしての諜報活動を投げ出さないのもそうだ。
根底にあるのは今の役立たずな自分から変わりたいっていう意思のせいだ。
戦士として役に立たないなら、せめて裏方として貢献したい。
ざっくりいえば認められたい。
シュレイク王を笑えないな。
俺だって人並みにはそんな思いがあるのだ。
もしかしたら、嫌いなのは同族嫌悪って奴なのかね。
まぁ、今はどうでもいいや。
とにかく重要なことは。
レイエン・テイハに着いて行けば、もしかしたら今よりも強くなれるかもしれないってことだ。
ならやるしかない。
犬でも奴隷でも何でもいいから、とにかく一緒にいてその強さを学ぶのだ。
「ぜぇ、ぜぇ。いい加減、姿ぐらい、見えてもいいだろうに……」
平地を西に向かってひた走る。
ちくしょう、街を出る前に水を用意してたらよかったぜ。
後は地図だ。
土地勘が無いのがヤバイって分かってたはずなのに、学習能力が無いのか俺は。
「うっ、この匂いは!?」
鼻がもげそうになる悪臭に、今また左手で鼻を摘んで耐え忍ぶ。
なんであんな悪魔が生まれたのか分からないが、これはつまり近くに居るってことだよな。だが、周りを見ても二人の影さえないのだが?
「――馬鹿、とっとと離れろ!」
「うぇ?」
真上である。
テイハの声が聞えたかと思えば、風と共に悪魔が真上から降ってきていた。
その後ろには、紅く燃える黒いのが居た。
どうやらテイハのようだが、二人が揃うと熱い上に臭い。
止めろ、二人ともこっち来るな!
鼻を押さえながら逃げようとするも、ギリギリで踏みとどまる。
ふと、森の動物を思い出したのだ。
小動物やら虫を取る鳥も居る。
奴らは地面スレスレまで滑空し、獲物を強靭な足や嘴で捕まえて空に攫う狩人だ。
その構図が、今と酷似しすぎていた。
臭気で死にそうだが、現実問題として空に持ち上げられたら俺は終わりだ。
だって、普通のエルフは空を飛べない。
ならギリギリで回避するしかないぜ。中途半端に逃げれば、空に攫われて終焉<ジ・エンド>だ。
「■■■ッ――」
迫り来る悪魔を睨みつけ、腰元の剣を右手で抜いて振りかぶる。
全力で投擲。
すぐに払われるも、一瞬だけでも悪魔の視界を奪えたと仮定して地面を右に転がる。
転がった拍子に地面にある石で頭を打ったが、遮二無二回転。
次の瞬間、至近距離に光る悪魔が落着した音がド派手に響いた。
「いててて。良かった、まだ生きてる……」
なんとか最悪の事態だけは免れたようだ。
だが、ちょっと、この距離は不味いのでは?
起き上がろうとして身を起こした目の前に、血を垂れ流す悪魔が見下ろしている。
その手が俺へと伸ばされかけた次の瞬間、すぐ様悪魔は背後に向かって拳を振るった。
「バーニンキィィック!!」
衝突音の前に何か妙な叫び声を聞いた気がしたが、生憎と彼女たちの衝突によって発生した衝撃波らしきもので俺は地面を転がっていた。
滅茶苦茶に回転する視界の中、また頭がそこらの石に当たって悶絶する。
「痛たたた。なんだよばーにん……」
なんとか起き上がる俺の横を、またも女たちが通り過ぎる。
今度は今までと違っていた
「もう、そんなとこに居たら邪魔だってアッシュ」
「お、おう……」
振り返れば、テイハが二十歩も離れていない位置で悪魔をぶん殴っていた。
俺に近寄ろうとしているのか、悪魔は何度も俺の周囲を旋回しながら突っ込んでくる。
あれ、攻撃目標が変わっていらっしゃる?
「な、なんで俺? 悪魔に惚れられるほど格好良かった覚えはないぜ!」
「だから、ボクに対しての人質にしようとしているんだってば」
捕まったらそのまま見捨ててぶん殴るけど、などと物騒に言い捨て、悪魔の眼前にテイハが躍り出る。
やっぱり目にも止まらないぐらいに速い。
悪魔が飛来し、少女が殴り飛ばす。
中心は俺で、二人が衝突するたびに発生する衝撃波で嬲られていく。
「ぬ、ぐ、これは……」
熱波と臭気と衝撃波の容赦ない三重奏。
気を抜けばどれでも死ねそうで、嫌過ぎるコラボレーションです。
俺はもう立ってるだけで必死だった。
「アハハ。いい感じになってきたね。君は今、特等席に居るよっ」
「ちっとも嬉しくねぇ!」
俺を中心に描かれるバトルサークル。
オフェンスは悪魔。
ディフェンスはテイハ。
そして俺はただの嬲られ役です。
これで嬉しいわけが無い!
とはいえ、この状況は延々と続くわけではないらしい。
殴る、蹴る、ぶちかます。
偶に頭突きまで入れてテイハが悪魔を追い払うが、その度に悪魔の元気がなくなっていくのだ。
二人に翻弄されながら、俺はようやくそれに気づいた。
「どっせい!」
思い切りグーパンチで悪魔を殴り飛ばすテイハ。
一瞬だけ運動エネルギーを殺された悪魔の顔が、その度に苦悶に歪んでいるのが見えた。
「神様の癖にもうバテたのかい? ほら、早くしないと手遅れになっちゃうぞ――」
余裕綽々の声で迎撃は続く。
気のせいか、彼女が纏う炎の熱が増していた。
汗がやけに出る。
これは、つまりそういうことかっ。
「手加減してやがるな!?」
「殺さずに捕獲するつもりだからね。およっ?」
悪魔の動きが変わる。
ようやくタイミングを覚えたのか、テイハの拳を掻い潜った。
「お?」
移動速度の惰性によって、悪魔が大地を滑りながらテイハにぶちかま――。
「おおお!?」
――さずに、引いた。
カウンター狙いでテイハが振るったらしき左拳が、当たり前のように空を切る。
そこに飛来する悪魔の蹴り。
それは真下からテイハの顎を蹴り上げる。
仰け反るような仕草を取るテイハの体。
後退する小さな体に、勝機を見た悪魔が虚空に次々と武器を取り出す。
剣、槍、斧、杖、槌……。
数限りない武器たちが、一斉に虚空に現れる。
テイハが体勢を整えた頃にはもう、それらは中空を埋め尽くしている。
そして今気づいたのだが、俺の上にも何かある?
「そのまま動くなっ!」
「は?」
動くとか動かないとかの問題じゃない。
つーか、腰が抜けて動けん。
「■■■ッ――」
悪魔が笑う。
必殺を確信したようなその奇声が、合図となって武器の雨を降らす。
そこへ、瞬きをしない間に俺の眼前に出現したテイハが呟く。
「――全部燃やせ、レーヴァテイン」
そして、俺の視界が彼女の色に完全に染まった。
赤、赤、赤。
どこを見ても紅である。
ここは異界。
炎の壁に守られた不可侵の聖域。
その向こうで、こちらに向かって飛んできた数々の武器が炎壁に触れるだけで水の様に蒸発した。
「あ……え?」
そして聞えるシュコー音。
目の前には、炎で出来た剣を持つテイハが、眉根を吊り上げて俺を見上げていた。
どうしてか、炎が熱くない。
テイハが何かしているのだろうか。
「まったく、もうちょっと遊ぼうと思ってたのにアッシュのせいで台無しだぜ」
「それは、その……申し訳ない?」
「それにしても不思議だ。君がどうなろうと無視して続けようかと思ってたんだけど、なんでボクはこんな手間をかけているんだろう?」
「そこはほら、神様の偉大な愛って奴じゃないかな」
「神様……ね。ボクは現地人にちやほやされたいプレイヤー志望と違って、生粋のクリエイターだよ。そんなのとは無縁なはずなんだけどなぁ。……大いなる謎だ」
シュコー音の向こうで、小首を傾げながら自分の行動を省みるテイハさん。
「そもそもだよ。本物の神様ってのはね、誰かを守ったりはしないんだ。つまり、これはボクの偽者さの証明なのだ」
「そんな馬鹿な。守って下さるのが神様だろっ」
「特定の誰かに大して手を差し伸べるってことは、それ以外に対して不平等を生むってことだよ。肩入れされなかった方は泣くしかない。だからほら、本物の神様は誰にも手なんて貸さずに全員を平等に見捨てる。ボクはこの星の所有者という意味で、頂点という意味で神という言葉を使うけれど、実際は好き勝手やるだけの暴君だ。だから、これからは期待しないでよね」
まるで助けたことが罪だとでも言うかのような言い草。
納得がいかないが、神について討論したいわけではない。
「それで、これからどうするんだ」
「どうとでもするよ?」
何が言いたいんだ、とばかりに見上げられる。
「あの悪魔、今も好き放題やってるじゃないか」
「そうだね。悲しいほどにがんばってる。詰んでるのにね」
詰んだ?
「アレはね、後天的に過去や未来を視る力を得た悪魔なんだ」
「それ、とんでもなく厄介じゃないか?」
「ちゃんと使いこなせればね。アレだけ一方的に打ちのめされてもボクに抗い続けてるってことはさ、勝ちうる未来を任意で掴み取れる程確かに視えてないってことなのさ。そんなのは全然怖くないよ」
「勝てる未来が視えてないから、全部無駄ってことか」
「そう、だからこれは悲劇だ。努力ってさ、正しく、継続的に行われなければならないものだよ。だから無駄な努力ってつまり、質が一切伴わないただの自慰行為なんだ」
「……質がなければダメなのか?」
「ただ積み上げるだけじゃダメだね。それじゃあ効率が悪すぎる。世の中に才能という物があるとしたら、それはきっと最高効率で正しい努力ができる能力のことを言うんだよ」
「でも、そんなのどうやれってんだ。やらなくちゃ分からないだろ!」
「そうだよ。やって、踏み出して、更に気づいて初めて意味を持つ。まぁ、何もやらないよりかはマシだろうから、それも努力といえば努力なのかもしれない。けど効率が悪いから大成しにくい。そのひたむきな姿は大好きだけど――って、本当、なんで柄にもないこと話をしてるんだろう」
困った顔で、テイハが剣を地面に刺す。
揺らめく炎の剣から手を離し、炎の壁に向かって歩いていく。
「お、おい――」
「終らせてくるから、そこで大人しくしてなよ。次は絶対に助けないぞ」
シュコー。
そして彼女が、炎の壁から出て数瞬である。
炎が消え、突き刺さっていた剣までもが消えた。
その向こうには、左手一本で吊り下げられた悪魔が、苦しそうに悶えている。
ゴキリ。
気のせいではない鈍い音が、シュコー音と一緒に静かに響く。
そのまま彼女は、虫の息になった悪魔を地面へと下ろした。
まだ手足を痙攣させながら悪魔が動いているので、近づかずに声をかける。
「なぁ、そいつもう死ぬのか?」
「そうだよ。急がないと、死んでまたどこかで蘇っちゃう」
何やら虚空に光る板のようなモノを二枚浮かべたテイハは、右手一本で板を叩く。
「それは?」
「端末」
だから、さっぱり分からないってば。
「何してるんだよ」
「現在の想念情報を無理矢理クラッキングしてるとこ。ボクが妥協できる存在として書き換えるんだよ。終わったらフィードバックでリストル教の連中がひっくり返るかもしれないけど、別にどうでもいいし。ほら、嫌がる女の子にこんな酷い匂いさせてちゃ可哀想でしょ。こんな可愛くない奴は実験後のボクの世界に必要ないから、こうして情けをかけてやってるんだよ」
「だから、強制上書き?」
「そういうこと。バグの存在なんて許せるかー!」
ちなみにバグとは、彼女が気に入らないモノ全てらしい。
どこまで自己中なんだよこいつ。
しかし、これはまさしく神の所業じゃあないのか?
気に食わないからって、念神様を好き勝手するなんてな。
「くっ……妾を、妾をこれ以上どうするつもりだ人間」
「だから、可愛くしてあげるんだってば。ついでに余計なこともするけどいいよね? 敗者はいつの時代も好き放題にされてしまうものだ」
「是非も無し、か」
「じゃ、生まれ変わりたまえ!」
そうして、眩い光が悪魔を包み込んだ。
「お、おおお!?」
見守る俺は、その様子に仰天する。
悪魔が、銀髪を横で縛っている少女に変わったのだ。
魔性の如き美しさは消え、代わりに全体的に可愛さを押し出したようなティーンの少女になってしまっている。さっきまでの服は消え、薄い白と黒の衣へと変化。垂れ流していた血も消え、異臭も無くなっている。しかも彼女と同じスカート丈だ。
まだ少し見ていると寒気がするが、さっきまでとはまるで違う別の存在になっているぜ。
「よしよし、匂いも取れてるね。アッシュ、君のナイフ貸して」
「お、おう」
マスクを仕舞った彼女に渡すと、すぐさまナイフの刀身を鏡代わりにして本人に確認させる。
「ほら、こんなのでどうだい」
「こ、これが妾なのか」
「そんな馬鹿な、声まで可愛くなってる!?」
「はっはっはー。伊達にクリエイターを名乗ってないよ」
悪魔の首を掴んでいた左手を離し、キョトンとしたままの彼女に差し出す。
いつの間にか折った首まで治したらしく、悪魔は言われるがままに手を取って立ち上がった。
敵意はもう、完全に無かった。
「身勝手な連中のせいで、あんな碌でもない存在に変えられたというのに。それをこんな愛らしい姿にしてくれたのも人間とはのう。なんと業の深き者共か……」
「さて、それじゃ次の実験を……あ、ああぁぁ!?」
「な、なんだ? こやつはいったい何を驚いているのだ」
「いや、俺に聞かれてもさっぱりだぜ」
目を大きく見開いたテイハは、表情を完全に消して虚空に浮かぶ板を覗き込んでいる。
横からひょっこりと覗き込むと、何やら知らない文字らしきものが動いていた。
「やられた。仕様書に無いプログラムがこっそり追加されてる。こんなアホなことをする奴は……ええい、ウィザードの爺だなっ!」
何やら「うがーっ」と吼えるテイハは、黒髪をかいて右手を忙しなく動かす。
だが、どれだけ経ってもその顔色は優れない。
「これはもうバグだ。最終実験前には絶対に解除するしかないけど、それには一回状態を見てみないとどうしようもない。しかも無駄にプロテクトがガチガチなんて」
据わった目で板を消したテイハは、困惑を隠せない俺たちを他所に呟く。
「丁度実験対象は確保してある。つまりA計画発動前に修正すれば間に合うわけだ」
「な、なんじゃこの嬢ちゃん。何故、妾ににじり寄ってくる!」
「俺にも分からん」
「そんな自信満々な顔で言うことかっ!」
「――さぁ、実験開始だ。大丈夫、ボクは痛くはしないよ」
左手を突き出し、悪魔の額に指先を当てる。
「きょ、拒否したらどうする!」
「塵も残さずに燃やすよ。バグった存在はボクの所有世界にはいらぬわっ」
「……その、あれだ。悪いことは言わないからさ、好きにさせた方がいいと思う」
「お主、人事だと思って?!」
うん、人事だし。
というか他神事だし
「強制インストーラー起動! それっ、アーティファクトライズだ!」
――そしてまたも全身を光らされる悪魔っ娘。
するとどうでしょう。
彼女はテイハの手に掛かって、今度は白い刀身と黒い柄を持つ立派な長剣に!
「……ってなんじゃそりゃっ!?」
「ここまでは予定通りだ。問題はその後か……」
地面に落ちた剣を拾い、適当にブンブンと振るう。
「重さは体感上無し。うん、これも問題はない。アッシュ、君の剣を借りるよ」
悪魔に弾き飛ばされて折れ曲がっていた俺の剣を拾い、悪魔の剣とぶつけ合う。
果たして、俺の長剣は一撃で折れ飛んだ。
「うわ、なにこれ脆過ぎ。とんだ粗悪品だ」
「ちょ、おま――」
「丁度いいや、君はこれからはコレを使いなよ」
悪魔の剣を差し出してくるので受け取ると、何やら頭の中で声がする。
『おいお主。妾の声が聞えるか?』
「うっ、剣が喋ってる!」
「アッシュも感応制御システムに問題なしか。いや、でも直ぐに聞こえるとありがたみがない。そうだ、最終的にはレベル制限を設けよう。憑依システムはレーヴァテインのを流用すればイケるはずだし。やっぱり、この先のテスト項目が問題か……」
「何なんだよこれっ」
「アーティファクト<神造兵装>だよ。欲しがるのが居るんだよね」
『頼む、すぐに元に戻すようにあの嬢ちゃんに頼んでくれい! 手も足も出ん!』
「こいつ、戻せって言ってるけど……」
「自分でも戻れるはずだけど、まぁいいよ。次の実験だ。それっ、付喪神顕現<ツクモライズ>だ!」
そしてまた悪魔が光るわけだが……お、おい?
「これも成功……かな」
「い、いきなりやるなよ。落とすところだっただろ!」
悪魔がさっきの少女姿に戻ったので、なんとか地面に落とす前に抱きとめる。
ただ、どういうわけか寝ていた。
それを見てか、テイハが怖い顔で近づいてくる。
「むぅ。頬を引っ張っても、頭を叩いても、ボクより小さい胸を揉みしだいても起きない。なるほど、古典的でクラシックな奴がお望みってわけだ……」
「どうするんだよこいつ」
「君が起こせばいいよ」
「だからどうやって? なんかこいつ、ムニャムニャ言うだけで起きてくれないぞ」
問う俺に、テイハは「カット」とか言って剣に戻す。
そして更に「強制解除」とか呟きながら悪魔っ娘に変える。
それでもやっぱり寝たままだ。
「本来の姿にしても寝たまま。やっぱりコレはアレだ。よし、目覚めさせるためにキスしな」
「はぁ? いや、何でだよ」
「どうやら、武器から戻るときに強制的に眠らせる機能が付け加えられていたみたいなんだよ。で、起こすための覚醒条件がキスに設定されてる。だから、今すぐヤレ!」
いや、そんな凄まれても。
寝込みを襲うみたいで抵抗があるんですが。
「……ああ、ごめんごめん。君にも好みってものがあるよね」
躊躇している俺に、彼女は頷く。
「ならそのままそこらに捨てとけばいいよ。適当な男が襲うだろうから」
おい、ひでーよ考え方が。
「ほ、他に方法はないのか?」
「無いね。ちなみに、ボクの唇は一等高いからこいつにはやらないぜ!」
「オーケイ。覚悟を決める」
念のため、揺さぶったり頬っぺたを引っ張ったりしながら声をかけるが、やっぱり起きる気配はない。このまま放置するのも可哀想なのでやるしかないようだ。
「み、見られてるとやり難いんだが」
「ボクが構えとかないと、起きたら多分殺されると思うんだ。それでもいいの?」
「是非とも見届けてください!」
「ん。素直でよろしい」
失う物は大きいがやるしかない。
初めてが悪魔<念神>とか、大丈夫か俺。
意を決してトライ。
何やら柔らかい感触の後、悪魔が光る。
驚いて唇を離すと、ようやく目を開けた少女の銀の瞳と視線が合った。
「お、起きたか?」
「……お主、妾に気があったのか。ぬふふ。それならそうと言えば良いものを」
「はい?」
何だろう。
殺されるどころか急に熱っぽい目で見られてる気がするぜ。
「そうだのう。悪魔にされてから初めて妾を求めた男だ。特別に、妾の信徒にならずとも抱いてやってもいいぞ」
「……なぁ、これも寝たままと同じ後遺症か?」
「キスポトラップはないはずだよ。んー。その悪魔、元々は性愛や繁殖、戦を司る女神だったんだ。だからエロいのはむしろ普通なんじゃないかな。愛人も多かったはずだし」
「女神? こいつ、悪魔じゃないのか?」
疑問に思う俺の首に手を回しながら、悪魔が言う。
「神の戦いは信仰の戦いよ。妾を支える信仰は、リストル教の奴らによって蹂躙されてしもうた。あの姿は悪魔だと蔑まれ、連中に押し付けられた敗北者の烙印に過ぎぬ」
「上書きだよアッシュ。その悪魔、今はイシュタロッテと呼ばれる存在はね、ボクが力づくでやったように、別の宗教の台頭によって存在を悪魔として無理矢理変質させられたんだよ」
とんでもない話だな。
やはり人間は恐ろしい。
「妾にはいくつかの顔があるが、その中でも特にセクシャルな部分が奴らには大層気に入らなかったようだのう。これでも発祥地域周辺では時の王でさえも妾に仕える聖職者として宣言したものだが……時代も変わったものよ」
「君の場合は人気がありすぎたのさ。おかげで未婚の女性が君に仕える娼婦巫女とかになってたから、むやみな姦淫を禁じる教義を掲げるリストル教には疎ましかったんだ」
「そのくせ、奴らは異教徒や魔女共相手に励んでおるがの」
「純粋な聖職者なんて一握りしかないってことだよ」
うーむ。
そのリストル教とかいう奴、調べた方がいいな。
リスベルク様を悪魔扱いされたら困るぜ。
「まっ、連中なんてどうでもいいよ。それより君、アーティファクトライズは覚えたかい?」
「……妙な魔法知識があるが、それのことかの」
「そうそれ。さっきの武器変化の技法。実験サンプルとなってくれたお礼にそのまま使えるようにしておいてあげるから、好きなときに使いなよ。それがあれば想念が尽きかけても何とか剣の姿で耐えられるはずだ」
「しかし使う予定などないがのう」
「剣になって、力を使わずにいれば多分リストル教の天使に狙われなくなるよ」
「なんじゃとっ!?」
「ただし、今のままじゃ剣から戻るとキスされるまで寝たままになっちゃうから、そこだけは気をつけるんだよ」
「そうか、だからこやつが……まぁ良いわ。それならそれでしばらくはこの男の剣となろうぞ」
「い、いいのかよ。そんな軽く決めて」
「エルフなら長命であろう。同じく悠久を生きる者同士なら、我の管理を任せるのも悪くない。ここは奴らの台頭する地ロロマだ。奴らと戦うのは面倒だし、しばらくは世話になろうかのう」
ニヤリと笑い、イシュタロッテは俺の頬に両手を滑らせる。
そうして、おもむろに唇を重ねてきた。
「んむ!?」
「ぬふふ。妾の加護をやろう。信徒になる気があれば言え。その時は本気で天国に逝かせてやろうぞ」
自信たっぷりの笑顔の後で、彼女は自らを剣とした。
『これからよろしく頼むぞ。今の妾はイシュタロッテ。過去と未来を見通す悪魔よ』
柄を握り締めると、頭に直接声が聞えるので返事を返しておく。
「俺ははぐれエルフのアッシュだ。その、よろしく頼む」
剣がぶっ壊れたのでこちらとしてはありがたいが……これ、凄いことなんじゃね?
何せ悪魔の剣だ。
そんじょそこらの武器とは威力が違うだろ。
「さて、用事が終ったからボクはもう行くよ」
言い捨て、俺に背を向けて黒の少女が歩き出す。
「な、なぁ! 俺も一緒に連れていってくれないかっ!」
「また今日みたいなことがあるけど、それでも着いて来たいのかい?」
「勿論だ。その方が俺に都合がいいんだからしょうがないだろ」
「それはつまり、ボクの迷惑はどうでも良いわけだね君は」
呆れたような視線が返ってくるが、俺は挫けない。
「いやいや。俺が一緒だとぼっちな君が寂しくないだろ」
「……はぁっ!? なによそれっ!」
「だってお前言ってたじゃないか。最後の一人だって」
「そりゃ言ったけどさ。寂しいって言ったことはないはずだよ」
「強がるなって。何なら手だって繋いでやるぞ。ほら、テイハ」
右手を差し出すと、テイハは何ともいえない表情を浮かべてすぐに視線をプイッと逸らす。
そして当たり前のように俺を放置したまま明後日の方向に歩き始めた。
「あ、おいっ――」
イシュタロッテを長剣の入っていた鞘に仕舞い、急いで俺は後を追う。
「分かった、手が嫌なら腕でもいいぞ! 何なら背中でもいい!」
「君さ、バッカじゃないの?」
『妾もそう思う』
悪魔にまで呆れられたが、俺は挫けずにがんばったんだぜ。