EX02「はぐれエルフ 森を出る」
「まったく、あいつら容赦なくしごきやがって」
打撲のせいで全身が痛い。
おのれ、ダークエルフ王め。
ディリッドに勝てないからって、腹いせに雑魚戦士相手に本気でやりやがってからに。
少しはディリッドを見習えばいいのだ。
向こうは杖で人体の急所をツンツンするだけだぞ。
だが、そんな生活も今日で最後だ。
何せ今日、ついに森を抜けたのである。
これでようやくはぐれエルフとしての仕事が始まるのだ。
野蛮な外の連中の情報を探るという厄介な仕事だが、それが仕事なのだからしょうがない。
この世界『クロナグラ』にはエルフ族以外にも様々な種族が居るらしい。
人間、妖精、ドワーフ、獣人、ホビット、竜、巨人などだ。
俺はまだ同族以外をよく知らないが、村長が言うにはどいつもこいつも野蛮だったり、がめつかったり、何を考えているのか分からなかったりと様々であるらしい。
その中でも森の南西側といえば、やはり気をつけるのは人間だ。
連中は寿命が短いが繁殖力が馬鹿に強く、一人見つけると十人は居るのだとか。
しかも同族同士でいつまでも殺し合い続け、次々と版図を広げていると聞く。
それもこれも、奴らには信仰する神が多すぎるからなのだと評判である。
エルフ族が信仰するのはハイエルフにして始祖神という肩書きを持つリスベルク様と、自然界の代弁者たる四大精霊様だけなのだが、連中はバリエーションが多すぎる。
美の神やら創造神やら、悪神やら善神やら。
果ては神々の御使いとかいう天使や、堕落した天使とも言われる堕天使に悪魔。
仕舞いには不可思議で凶悪な生物。
そんなものを沢山夢想しては次々と顕現させているそうな。
それらは念神と呼ばれる、知的生命体の生み出した想像の産物だ。
だがその想像の産物が信仰によって実体化し、活動してしまうからこそ厄介になる。
その全ては人間さえ知らないんじゃないかって思うぐらいには多いらしい。
アクシュルベルン陛下も探りを入れていたそうだが、それでも全容は把握しきれないぐらいには多いのだとか。
増えたり減ったりで大忙しだそうだ。
そこで、俺達の出番というわけだ。
リスベルク様や精霊様には弱点という弱点はない。
だが、連中の神はどうにも敵対者やなんやらがセットな場合が多いとか。
だから、それらの情報を集めることに意味が生まれる。
森や一族を守るために敵の敵として利用したり、その行動原理などを逸話から推測し、予測することで優位に立とうってことだな。
また、供物を奉げることで動いてくれる神というのも居るらしく、そういうのを動かすためにも知識も必要なのだとか。
上の人は色々と考えなさるものだね。
後はそれぞれの国の思想や技術。
人口や地形、新たなる発明などを知ることも重要なのだとか。
とにかく、そういう情報をできるだけ集めてくるのが俺達はぐれエルフのお仕事。
森のために必要だというのなら、これはもうやるしかないぜ。
「……で、さっそく人間らしき連中を発見したわけだが」
巨人や獣人も危険だが、このユグレンジ大陸で最も危険なのは人間の連中だともっぱらの噂だ。一応、俺たちはぐれはもいつでも戦えるようにと装備を整えられているが、それでもどこまでやれるか分からない。
てか、スゲー数の人間が戦ってるんだが。
いきなり戦争中かよ、おい。
ダメだ。
あんなのに近づくなんて正気の沙汰ではない。
とりあえず遠くで様子を伺おう。
戦争の行方は分からない。
だが、見るべき点は多い。
例えば、連中の装備だ。
盾に兜に剣。
それ以外は半裸だったり腰巻だけだったりする。
あ、服着てる奴も居るな。
何やらブォォォなどという音や、銅鑼らしき音もする。
「音で戦場をコントロールしているのか?」
声もあるのだろうが、届くのは近くだけだ。基本は普通一々伝令を走らせるしかない。
だからこその楽器か。
エルフ族でも鐘を使ったりはするが、なるほど。
「あれが戦争のための人間の知恵なんだな」
忘れない内に羽ペンで羊皮紙に記しておく。
人間め、戦うために色々と工夫しているようだな。
野蛮人の代表格みたいな連中だと聞いていたが、中々どうして知的じゃあないか。
「しかもなんだアレは。最後には仲良く合流して帰って行ったぞ」
つまり、これは模擬演習だったのか。
馬鹿げてるぜ、何て人数でやってやがる。
百人程度ではすまない。千人か、それとも万?
ともかく数えるのも馬鹿らしいほどに居る癖に、完全に統制してやがる。
耳が寿命も短い癖によくやるもんだ。
しかも、今気づいたが連中何百頭も馬を持ってやがる。
馬鹿な、あんなにいたら飼い葉や水が大量に必要だろう。
つまり奴らは、あれだけの数の馬を維持できる程に国力があるってことか。
一体誰だ!
人間は野蛮人で馬鹿で先の見えない自然界の破壊者などといった奴は!
そいつらは絶対に反省するべきだぜ。
連中、野蛮人かもしれないが少なくとも馬鹿じゃない。
耳や寿命が長くないからって馬鹿にしてたら、いつか森が滅茶苦茶にされてしまうかもしれないぜ。
奴らは侮っていい相手じゃない。
警戒し続けるべき相手じゃあないかよ。
俺は戦慄しながら、こそこそと軍の後を追った。
そこからまた驚かされた。
道が綺麗に整備されていた場所にたどり着いたのだ。
「これは、石か?」
軍の連中も通っていったが、とにかく歩きやすい。
しかもこれなら迷わないだろう。
エルフの道とは一体なんだったのか?
それにしても馬鹿げている。
たかが移動するためだけに、こんな便利な道を手間暇かけて作り上げるだなんて。
その発想、労力を厭わぬ行動力。
短い耳族<にんげん>め。
道だけでこれほど驚かせてくれるとは侮りがたし。
しかも途中で親切にも板が打ち付けられた杭が打たれ、その先に何があるのかを説明している!
くそ、このアイデアが広まっていれば森で迷うこともないだろうに!
何故エルフ族はこんな簡単なこともしていないんだ!?
森の声が聞えるから?
馬鹿を言うなっ!
聞えないせいで不自由した奴がここに居るぞ!
「いや待てよ? 森でそうすると人間が乗り込んできたときに集落の位置が露呈するか」
防衛のためにあえてやっていない可能性が存在するのか?
くっ、分からん。
こちとら辺境の村落出身者だ。
そんなことこれまで考えたことさえなかったんだぜ。
畜生、なんだか人間に随分と先を歩かれている気がするぜ。
だが、このアイデアも報告だ!
そして俺は、ここで一先ず撤退することを決意した。
この杭の示すとおりに進めば、恐らくは人間の村にたどり着けるのだろう。
それは、言い換えれば奴らのテリトリーに侵入するということを意味していた。
森の生き物の中には、自分の縄張りに侵入した相手を獰猛に攻撃する奴もいる。
連中がそうでないとも限らない。
たった少しの情報だが、これだとて貴重な情報である。
念のため持ち帰り、受け渡しポイントで預けておくべきだろう。
何せ、この先に待ち受けるのは野蛮人の巣窟。
俺では逃げ切れないかもしれない。
もしものためにも、一旦引く勇気を持とう。
だから俺は走った。
道の向こうからやって来る、野犬の群れに尻尾を巻いて。
「はぁ、はぁ。死ぬかと思ったぜ」
奴ら、鼻が効く上に集団戦闘が得意だからな。
平地でやり合うなんて絶対に御免だ。
なんとか森に逃げ込み、事なきを得た。
後ろから来ていた馬車が居なければやばかったな。
馬車の連中には悪いが、とにかく命あってこそだ。
まぁ、俺よりも向こうの方が旨そうだったからかもしれないが。
「あややー? 半日も経たずに戻ってくるとはー」
受け渡しポイントの設営のために、戦士たちが頑張っている中でディリッドが真っ先に俺を見つけて駆け寄ってくる。
「ぜぇ、ぜぇ、舐めるなよディリッド。ちゃんと……情報、集めてきたぜ」
荷物袋を下ろし、羊皮紙を押し付ける。
「わ、私に渡されても困りますよー」
「直接俺が持っていくと稽古が始まるだろ、だから頼むよ」
「んー、それもそうですねー」
魔女はそれで納得してくれた。
俺は呼吸を整えながら木陰に座る。
そうして、しばらくの間休憩しているとザッザッと足音がした。
ディリッドかと思えば、そこに居たのはエルフの王だった。
名前があやふやだ。
確か、シュレイク王だったか。
金髪碧眼で、肌の白い良く見かける典型的なエルフだ。
きっとプライドも相当にお高いに違いない。
典型的過ぎるが故に俺が一番嫌いなタイプだ。
そして恐らくは、向こうも俺が一等嫌いだ。
何せ、その証拠に敵意を隠そうともしていない。
「リスベルク様だと思うたか」
「いえ、ディリッドが来ると思っておりましたよシュレイク陛下」
ゆっくりと起き上がり、片膝をついて形式上の礼をする。
こちらからは面を上げない。
お許しが出ていないからであるし、俺が面を見たくないからだ。
エルフで良かった。
ダークエルフなら礼の形が違うせいで、立って胸元に手を当て、真正面から相手を見据えなければならないところだった。
「また稽古の呼び出しでしょうか?」
「たわけが! 末端の戦士風情がそう何度も胸を借して貰えると思うな。分を弁えよ!」
瞬間、何かが俺の左頬を殴打した。
あまりにもいきなり過ぎて、頭が真っ白になっちまった。
長剣の鞘で殴打されたからだと理解したのは、横からの衝撃に耐え切れずに地面に倒れた後だった。
久しぶりに鉄錆びた血の味を口内に感じた。
どうやら、唇が切れたらしい。
「余は貴様程無能なエルフを見たことが無いわっ!」
「お褒めに預かり、ぺっ。光栄です陛下」
血交じりの唾を地面に吐き捨て、痛みを堪えてもう一度礼の形を取る。
そこへ、今度は逆側から一発鞘が飛来した。
歯を食いしばってそれに耐え、今度は倒れずにそのまま堪える。
「貴様の無能さが」
痛い。
「あの方からの信頼を」
痛いって。
「エルフの品位を」
痛いんだってば。
「貶めていると何故気がつかん!」
嗚呼、普通に心が痛い。
こんなのがエルフの王だったなんて、生まれて初めて知ったよ。
畜生だぜ。
認めたくない現実のせいで、胸が張り裂けそうだ。
そういえば、村長が弟さんと違って短気だから気をつけろっていってたっけ。
「貴様にはリスベルク様に与えられた使命の重さが分からんのかっ!」
使命?
はぐれエルフの使命。
それは外の情報を持ち帰ることだったはずだ。
そこに重さの指定なんて無かったと思うが。
それとも、俺が理解した以上の何かがあっただろうか?
とんと覚えが無いぜ王様。これも無能なせいかな。
それと、これは親切で言うんだがあんまり鞘で殴ると無能の血で汚れちまうぜ。
忠告は届かない。
心の奥からでは聞えない。
だから未来永劫に察することはないだろう。
「こんなどうでもいい情報で!」
痛みの後に、何かが俺の頭部に投げつけられて地に落ちる。
「半日で調べた程度の情報で!」
それは、確かに。
「何が分かるというのだこの無能がっ!」
俺がついさっき持ってきた羊皮紙じゃないか。
どういうことだディリッドさん。
これは話が違いませんかね。
王様は王様でも、俺が届けて欲しかった相手はエルフ族を統べる女王様なんだ。
あの、神様の癖に小さい偉そうなお方です。
もしかして途中で奪われた?
それとも楽して届けてもらおうとしたのかな?
まぁ、どっちでもいいか。
頼んだことがミスだというのなら、頼んだ俺が悪いのだろう。
ならまぁ、甘んじて受けようじゃないか。
あの日からまぁ、慣れてるし?
「今からでも遅くは無い。今すぐにでも行って参れ!」
でも、なぁ、おい。
たった半日だ。
それでも、それが持ち帰った俺の成果だという事実は変わらないと思うんだよ。
それを目の前で足で踏みにじられるとその、さすがに俺も困るんですよ。
ましてやそれが、アンタの無能さを帳消しにするための物扱いされちゃあたまらない。
「そんなに、そんなに陛下はアクシュルベルン陛下がリスベルク様に認められるのが怖いのですか」
「ふざけるな! 余が何故あんな若造を恐れなければならぬ!」
馬鹿め。
若造とか言ってる時点でバレバレなんだよ。
このはぐれエルフ計画だって、あんたはどうせ乗り気じゃあなかったんだろう?
本当はダークエルフだけでやれって言いたかったんだろうさ。
あんただけは説明の時に不機嫌そうな顔をしていたからな。
でもそれだとダークエルフだけが貢献してしまうかもしれない。
だからエルフからも出した。
無能でも分かる構図だな。
きっと、あそこに居たはぐれエルフ候補以外にも別のはぐれエルフが居るんだろう。ただし、そっちはダークエルフだけで構成された連中の子飼いで、先行者だ。
なーんて、俺の妄想は逞しいね。
で、そろそろいいんじゃないですかアクシュルベルン陛下。
最近覚えたあんたの足音、確かに聞こえたぜ。
「――これは手厳しい。若造で申し訳ありませんシュレイク陛下」
「ぬっ――」
ほら来た。
アレだけ大声で叫んでたら誰だって聞えるっつーの。
ましてや作業はダークエルフの戦士も手伝ってるんだぜ。
来ないと思う方が間抜けだ。
そして、耳に入ったってことはどうなるか。
答えは単純明快だ。
「随分と騒がしいな。一体何事だ」
「ア、アーク君!?」
さて、これで役者は揃った。
王様の狼狽する顔を見せてもらおうか。
俺は血を拭いもせず、そのために救いの神様に向かって面を上げ、適当なことを言っちゃうんだ。
「申し訳ありませんリスベルク様。命からがら持ち帰った報告書が、下賎なる賊に奪われ、今こうして足蹴にされたせいで届けられませんでした。どうか、どうか! 報告書一枚届けられない、この無能極まるはぐれエルフをお許し下さい!」
「畜生だぜディリッド。血が止まんねーよ」
「ううー、ごめんなさいアーク君……」
「あー、いいよいいよ。相手が王様だから逆らえなかったんだろ」
天幕へと案内してくれたディリッド。
しょぼくれた顔をするので慰めながら、用意してくれた布を傷口に押し当てる。
傷に効く薬草の汁を染み込ませたというそれのせいで、鼻が馬鹿になりそうだが耐える。
しかし、好き勝手やられたせいでうざいことになってやがるな。
あの野郎は手加減も碌に知らないらしい。
あれはきっと反撃を受けたことの無い奴の手口だぜ。
何せ王様だからな。
殴られないと痛みが分からないから、痛みを知らない奴ほど平気で殴れる。
そういう奴がブチ切れたときが一番ヤバイ。
何せ、自分が何をしているのか分かっていないんだ。
などと、適当なことを考えつつ染みる薬の痛みと格闘する。
「それにしてもやりたい放題だったなあの野郎」
個人的には奴のアホみたいな焦りと妬みが鬱陶しいが、俺の無能さを攻撃されると反論できなくなるから嫌になるね。
本当、訳知り顔の正論ほど憎たらしいものはない。
なんだか自分が悪い気になってくるしな。
そうして反撃できない相手を、一段上の場所から見下ろして攻撃するのはさぞ気持ちの良いことなのだろう。
理由があれば何でもしていいって錯覚するぐらいにはさ。
負け犬の遠吠えですがね、権力と力があれば何してもいいとは認めたくないもんだよ。雑魚底辺戦士でも生きてるんですぜ。
「どうせなら一発殴っとけば良かったな」
まぁ、それをしたら俺の心象が余計に悪くなるだけだから、できるはずもないが。
「もう、そんなことしたらアーク君が追放されちゃいますよー」
「それはないな」
「ええっ!? なんでそんな自信満々なんですかー!」
「その時が来たら、逆に俺が見限って森を捨てるからさ」
追放される前に逃げていれば追放などされーん!
本物のはぐれになってやるぜ。
「おやおや、中々危ない会話をしていますね」
気がつけば、アクシュルベルン陛下の登場である。
何でも、今日はダークエルフの天幕で泊めてくれるらしい。
さすが話の分かる男は違う。
明らかに好き放題されても健気に振舞っていた俺を庇うことで、リスベルク様の心象をアップさせる作戦と見た。
でないとあいつが暴走したときにストッパーになれないしな。
シュレイク陛下よりもやはり、この方が恐ろしい。
何せこっちは笑いながら刺せるタイプと見た。
感情を爆発させないと動けないようなのとは違う気がする。
「では、その時は陛下に匿ってもらいますですよ」
「ふふふ。ダークエルフになりたいのでしたらいつでも仰ってください」
「はっ。その時に備えて日焼けをしておきます」
「もうっ!」
ディリッドがプリプリ怒っているが、こればっかりはしょうがない。
ついでに謙るのも面倒だから、このまま押し切ろう。
「それで、俺の報告書はまったくの無駄だったんですかね」
「おや、シュレイク王のことは良いのですか?」
「どうでもいいよあんな小物」
ダークエルフとエルフ。
二つを合わせたエルフ族の頂点は、念神たるハイエルフのリスベルク様である。
その確固たる事実が揺らがないならどうでもいい。
これこそが信仰であり、真の権威だ。
そのおこぼれに預かってるような奴の暴力程度に屈してたまるものか。
「始祖様が相応しい罰を決めて下さるなら文句などない。俺ならとっとと王様を挿げ替えるが、あの方は俺みたいな底辺野郎に気を使ってくれる程寛大でいらっしゃる。それを仇で返されなければ良いんだが……」
「中々に辛辣ですね」
「辺境のエルフからすれば、王家の威光なんざ何の役にも立たないんだ」
そう。
拝むべき光が別にある限りはどうでもいい。
それでも従うのは、一応はリスベルク様が遥か昔に王家とかいうのをお決めになったからだ。
エルフとダークエルフ。
白と黒。
この二つの間には、両者を統べる至高なる灰色が君臨している。
白でもなく黒でもないあの方がいらっしゃらなければ、きっとエルフとダークエルフは森を巡って未だに争っていただろうとは村長の受け売りだ。
エルフ族は、始祖様の血に連なる兄弟。
当然、始祖たるリスベルク様は俺達の遠い親であり、祖母であり、ご先祖様に当たるわけで、餓鬼共がその愛を一身に受けようと取り合いをすることだってあるわけだ。
新しく妹や弟が生まれた兄や姉のささやかな抵抗みたいなもんだな。
王様の場合はどうも度を越しているみたいだが、根底にあるのはだいたいはこんなもんだろう。
特に王家なら立場上距離が近しい。
余計にポッとでの雑魚がうろちょろすると目障りに見えるってわけだ。
尊敬する人物に認められたいっていう欲求は以外と強いよ。
純粋であればあるほどに暴走する。
あー、恋に似てるのかもな。
きっと、多分、おそらく。
「今は親に褒めてもらいたい子供が注意を引こうと駄々を捏ねているわけだが、必要なのは拳骨と成長だって相場は決まってる。アレに伸びしろがあればいいな」
俺も欲しいよ伸びしろ。
偉そうに言うのは簡単なんだ。
なんせ俺にだってできるんだから。
でも、それ以上は難しい。
「アレを子供と言い切りますか。大物なのか小物なのか、貴方はどちらか分かり難いですね」
愉快そうに笑う陛下は、奴に若造呼ばわりされたことを気にしてもいないようである。
その余裕、その振る舞いが、きっとアレの劣等感を刺激している。
病で亡くなった先代のシュレイク王が飛びっきり優秀だったとも聞くからな。
しかも武力と覇気以外は弟の方が優秀だとも聞いたことがある。
そこに、代替わりしてすぐに頭角を現してきたダークエルフの若き王のご登場。
色々とストレスが溜まってるのかもしれないね。
だからといって、俺が嫌わない理由はないが。
というか、今のところ好く理由がないし。
「老いるって嫌だね。不老のエルフだって、心が悪徳で染まってしまうんだから」
調子に乗っていいたい放題だが、陛下は止めない。
それどころか、面白そうにこんなことを言うのだ。
「では、リスベルク様の御心はどうでしょうか? エルフ族最年長のお方ですよ」
「相手は神様。海に墨を流したって真っ黒に染まらないように、悪徳なんかには染まらないんじゃないかな。多分比べる意味がないね」
「――だ、そうですよ」
「海と比べられるのは初めてだが、なかなかどうして悪い気はせんな」
おおう、マジで調子に乗ってましたすいません。
後ろにいらっしゃったとは気づきませんでしたです、はい。
おかげで一瞬、痛い程の沈黙で俺の口が塞がってしまったぜ。
その俺の目の前では、アクシュルベルン陛下がニコヤカに笑っている。
こうなれば奥義を発動するしかないぜ。
「さて、俺は傷が痛むのでそろそろ休ませてもらいます。御前失礼――」
「待て」
会釈して逃げようとする俺の外套を掴む、我等が親愛なるハイエルフ様。
い、意外と力がお強くていらっしゃる。
動けないぜ。
そして反対の手にあるのは、報告書の成れの果てだ。
「甘えたがりのせいでインクが滲んで読めんのだ。アッシュ、貴様が報告しろ」
「……あの真面目腐った顔で甘えたがりかよ」
野郎、只者じゃないなっ!
とにもかくにも報告である。
個人的には今日の模擬戦争は衝撃だった。
たった半日の収穫だが、とにかく知ったことを伝えようと必死に言葉を繰る。
「概ねアクレイの情報通りのようだな」
「カルチャーショックは大きいですよ。私も立案するまでに街を見てきましたが、完全に別世界です。やはり、根本的に異なる文化から発展しているのでしょう」
「なんだか、俺の報告の意味が無い気配が」
「いえいえ、ダークエルフとエルフでは感じ方が違うはずなのです。だから貴方の意見は無意味ではありません。むしろ、危機感を共有できただけでもありがたいことです。頑なに認めない連中もおりますのでね」
微笑みながら頷いてくれるので、俺としてはありがたい。
どこかの王様とは大違いだ。
「しかし、アッシュ以外報告に戻ってこないのが気になるな」
「もしかして、馴染んじゃったとかですかねー」
「そんな馬鹿な」
俺はディリッドの言葉に呆れるが、違う意見を持つ者は居た。
「ありえないことではないですね。人間の世界というのは、とにかくお金さえあれば生きていける世界ですから。なんといいますか、徹底して効率化が進んでいる感じなのです」
「そ、そうなのかー」
「アレは中毒的ですよ」
前情報として、人間の世界は金で何でも解決すると聞いた。
体験談を下に具体的に聞くと、生活様式の違いが漠然とではあるが分かってくる……気がする。
「換金のために渡した宝石はまだ持っていますね?」
「まだ辿りつけていないんで」
「では気をつけなさい。通りを歩いていると盗まれる危険が常にありますし、店で売るときも気をつけなければ安く買い叩かれてしまいます。知らないというのは、ことさら自分を不利にするのです。だからこそ、情報を集めるはぐれエルフが必要なわけですよ」
うーむ。
分かったような、分からないような。
「でもそれって、結局は知らない俺にはどうしようもないんじゃないですかね」
「いえいえ、別に貴方が知らなくても知っていそうな人間の手を借りればいいのです」
むむ?
「他者に手を差し伸べる優しさというのは、種族さえも超えるのです。愛というのは偉大ですね」
腹黒そうな男に『愛』を強調されても困るが、そんな不確かなモノに頼るのは危険ではあるまいか?
「そうですね。一か八かの賭けになりますが街中、それも治安が悪そうな場所の裏通りがいいです。そこに粗忽な男に無理矢理にも連れ込まれている女性がいたら助けてあげなさい。その男たちを打ち倒し、救うことができれば、その女性がお礼に助けてくれることがありますよ」
ほう、これはまた具体的なアドバイスだ。
問題は、その人間の男がどれだけ強いかだな。
三人……は無理だな。
二人だ。
一人を奇襲して潰し、二人目が倒されたことに驚いている隙に攻撃して倒す。
これしかないな。
なんだ、状況によってはイケるんじゃないか?
「それぐらいなら、俺でもなんとかできそうだな」
「ええっ!?」
「悪いことは言わん。勘違いだから止めておけ」
ディリッドとリスベルク様が呆れた顔で俺を見ている。
「お二人とも、あくまでもこれは最終手段ですよ」
「さすがに、初めからそんな野蛮な方法は取らないぜ」
人間の戦士たちがどれぐらい居るのかも分からないし、騒ぎを起こして顔を覚えられたら不味い。
やるとしたら、ちゃんと逃走経路を確保してからの方がいいだろう。
土地勘が無い場合の恐ろしさは、この森で嫌というほど知っているんだ。
「にしても、その顔では悪目立ちしすぎるな。どれ――」
リスベルク様が何事かを呟く。
すると、突如として俺の眼前に水で出来た神聖な何かが顕現した。
それは不定形な水そのものであり、はっきりとした形を持たないが、何やら人型の輪郭を取った。
リスベルク様を真似ているようだ。
当然だが、これは生物ではない。
「ディウン、癒してやってくれ」
「はぁ!?」
まさか、このお方は水の精霊ディウン様か!
呆気に取られる俺に近寄ると、精霊様が掌で俺の顔を撫でて下さる。
冷たく、しかし柔らかい感触。
くすぐったいそれは、すぐに止みディウン様は空気に溶けるようにして消えてしまった。
「これは……治っている?」
まさかと思い、与えられた剣の刀身を鏡代わりに顔を確認すると血の跡さえ無かった。
恐るべき力だ。
ディリッドの魔術とやらも畏怖すべきものであるが、精霊様の力をこうも容易く借りられるとは。
他にも火の精霊『フリッド』、風の精霊『ジン』、地の精霊『ガイレス』といった精霊様が居ると聞く。
リスベルク様はその方々に頼めば、天変地異さえ引き起こせるのだろう。
正に神の御業だ。
当たり前のように感じる戦慄と、その奇跡の力を賜ってしまった恐れ多さで無意識に震えが走った。
ましてや精霊様は、自然界そのものの代弁者なのだ。
気がつけば、俺は無意識に礼を取っていた。
それも、それが当たり前だと心底思うほどの敬意と共に。
「ええい、一々畏まるな貴様ら!」
「そうは仰られますが、あんなものを見せられてしまうと不可能ですよ」
「ですねー」
周りを見れば、いつの間にか陛下やディリッドも礼の構えを取っていた。
それに少しだけ不機嫌そうな顔をしたリスベルク様は、ため息を吐いて俺を見た。
「それで、貴様はどうする」
「明日には街に向かいます」
「……辞めぬのか」
「その理由がありませんので」
憂い顔を浮かべられても困るので即答しておく。
「そうか。ならば、今度からはちゃんと私に直接持って来い。アレは今拗ねているからな。一応は釘を刺したが何をするか分からん」
「善処します」
「そこで素直に持ってくると言えないところが初々しいですねぇ」
「まぁまぁ。これが若者の矜持って奴ですよ。見守ってあげるのが年長者の務めー」
どういう意味だよそりゃ。
「くくく。それでアッシュよ。今回の褒美は何がいい」
「褒美……ですか?」
「僅かでも成果は成果だ。見合ったもので労うのが上に立つ者の義務と言えよう」
「はぁ。それでは――」
とりあえず、欲しいものなど特に無いのでまた笑顔を頼んでおいた。
しかし、治療してもらっているから結局は前借りしているようなものだぜ。
いつかまとめて返したいもんだ。