EX01「はぐれエルフ 適当派」
「よく集まってくれたな。貴様たち、面を上げよ」
厳かな声で、その少女がは集められた戦士たちに告げた。
一族の誰より可憐であり、一族の誰よりも王の名が相応しいエルフ族の始祖神。
ハイエルフのリスベルク様である。
ウェーブの長髪は金の糸のように艶やかで、纏った白のドレスによく映えていらっしゃる。
見た目だけならば、十歳にも満たないのではないかという程の幼子の姿をしているというのに、エルフ族最強の戦士でもある。
弓を放てば百発百中。
レイピアを持たせれば、雷光の如き速度で翻る切っ先が敵を貫く。
そして何よりも恐るべきは、自然界を根源を司る四大精霊と感応し、使役することができる精霊魔法を唯一行使できるお方であることだ。
村長の昔話でよく聞いていたが、どれだけ眉唾であろうと、こうして対峙し、その威光を肌で感じればもうその力に疑いようはない。
何故か分かるのだ。
俺達とは格が違うのだ、と。
その証拠に、玉座にちょこんと座っているその両脇には、エルフとダークエルフの王が両脇を固め、さも忠臣の如く振舞っている。
きっとここにいる戦士たちの誰しもが分かっていた。
その両者など、所詮は仮初の支配者でしかないということが。
畏怖の念と共に感じる高揚が、ただただ背中を震わせる。
集められた戦士は、各地の村や集落から集められた戦士たち。
風の噂で聞いた狩りの達人や、剣術に長けた屈強な戦士なども集められているようだ。
一体、これから俺達はどんな仕事を任されるのか?
謁見が始まるまでの間、誰しもが期待と不安が入り混じったような顔をしていた。
「さて、皆を集めたのは他でもない。貴様たちの腕を見込んで仕事をしてもらいたいと思ったからだ。アクシュルベルン、説明せよ」
「かしこまりました」
慇懃に礼をし、ダークエルフの王が俺達一人一人に視線を向ける。
薄い笑みを浮かべるその男は、ダークエルフの肌よりも腹黒いともっぱらの噂だ。
しかし、そんな噂がある一方で、彼に対して不満を口にするダークエルフの戦士は少ないという。
本名はアクシュルベルン・レイ・フォン・デルニカ。
近しい者にはアクレイと呼ばれているそうだ。
銀髪黒目のその青年は、俺たちの視線を受けても表情を変えずに柔和に告げた。
「皆も知っている思いますが、世界中の国々が次々と己の信じる神のために戦争を始めています。我等エルフ族の住むこの森は迷いの森であり、その不可思議な力によってエルフ族以外が容易に侵略できないようになっています。とはいえ、いつ襲われても不思議ではありません。人間などは永遠の命と若さを保てる我等のことを、生きた宝石と呼んで捕らえ、売り買いしているとも聞きますからね」
恐ろしい話だ。
おかげで、森の外に出て帰って来る一族は少ないそうだ。
また、人間やそれ以外の連中に追い回されて命からがら逃げてきたなんて話も聞いた。
アレ、子供が外に行かないようにするための迷信じゃなかったんだな。
俺みたいな若い奴では余り信じていない奴も居るんだが、ダークエルフの王にまで真顔で言われるとさすがに信じないわけにもいかない。
「そこでです。大陸中を巡り、様々な国の情報を森に持ち帰る諜報員を派遣したいということになりました。そう、君たちにはその諜報員候補として集まってもらったわけです」
戦士たちがざわめく。
これはつまり、ここに居る者たちに森の外へ出ろということだ。
同族同士で殺し合う、野蛮な連中共が闊歩する外に。
そんな連中の中に潜り込み、情報を集めるなど生半な腕ではできないだろう。
この時点で俺は訝しんだ。
こんなのはエリート戦士の仕事だろうに。
おい村長。
何が、「お前が好きそうな仕事」だ。
難度が高けぇよ。
俺だけ雑魚戦士じゃあないか。
場違いにも程があるぜ。
まさか、口減らしか?
それとも孫娘と隣近所で仲が良かったからか! などと憤っている間にも説明は続く。
「無論、これは強制ではありません。何分、我々は人間たちと違って諜報活動を同族に行う必要がこれまで無かった。リスベルク様の下、自然と森の恵みで平和に生かされてきた我々です。技術の集積などなく、必要な技能の教練もできない。それさえも君たちにノウハウから作ってもらわなければならない程です。それでも森のために命を賭けたいという者はここに残りなさい。更に詳しい話を行います」
戦士たちが再びざわめく。
リスベルク様の下に集められた時点で、皆がこれからの仕事について思いを馳せていた。
俺などは適当にやって誤魔化そうと思っていたのだが、どうにもそういう冗談で済ませられそうな雰囲気ではない。
誰か、引く者はいないのか!? などと様子を伺うが、誰も降りると言わない。
く、ここは腹を括って俺が先陣を切るしかないのか。
数秒の葛藤の後、手を上げかけたところで何故かアクシュルベルン陛下と目があった気がした。
気のせいだろうか。
ニコヤカに笑っているのに、嫌に眼に力が入っている気がするぜ。
「素晴らしい。さすがはエルフ族の戦士ですね。誰も辞退しないとは」
いやいや、妙な圧力と戸惑いのせいで動けなかっただけだろ!
考える時間はきっと、十程の数を数える間にも満たなかったぞ。
「これから、皆さんにははぐれエルフを装ってもらいます。森での生活に飽き、諸国の見聞に出た。そんな外の世界に好奇心旺盛なエルフ族として外でも内でも振舞って下さい。昔から少数ながらこの手のエルフ族は居ました。これなら森の外でもそう怪しまれない設定だと思いますよ」
あー、確かに偶に居るよな。
代わり映えのしない毎日に刺激が欲しくなった連中が。
気持ちは分からないでもないが、そのために命を掛けるのはどうかと思っていたんだが……まさか、な。俺が似たようなことをする羽目になるとは。
そうして、俺はなんだか分からない内にはぐれエルフという名の諜報員として仕事を授かってしまった。
勢いに流されたって奴だな。
「危険な任務になると思うが、お前たちが頼りだ。この森のために力を振るってくれ」
どいつもこいつも最後にはリスベルク様の言葉にやる気になっていたが、現金なものだ。
かく言う俺も、何故かやらなければならないという気分になってしまっている。
適当が信条のこの俺でさえもそうなのだから、真面目な連中にとっては命を掛けるに値する仕事になってしまったわけだ。
だが、俺は知らなかった。
この時の召集が、俺の運命を決めることになるとは。
おっと、そういえばまだ名乗っていなかったな。
俺は金髪碧眼のエルフの男。
名をアーク・シュヴァイカーという、自由と適当を愛する戦士だ。
ちなみに、戦士としての腕はサバ読んで並ぐらいが精々である。
だから遠くに行くと怖いので、初めは森に日帰りしながら内偵するべきだと思っている。
間違っても戦争中の国になんて行きたくない。
よし、ひとまず森の近くから内偵しよう。
とりあえず、俺は同じようにはぐれエルフをやるように言われた連中の一部と混ざって集落伝いに南を目指した。
正直、森から出るだけでも一苦労だ。
何処に集落があるかは大体の位置が記された地図が用意されていたが、ほとんど地図など関係ない。
紙に書かれたそれが大雑把に過ぎるからだ。
幸い、その方角の村から来た奴が居たので先導することになったのだが、森の外に出るときは目立つので大集団では行動するなと言われている。
今は分割されて十三人ほどの小集団だが、三日もしないうちから、「森を出た後に一緒に行動しないか?」などと誘い合う姿が見て取れた。
初めの数日で、それぞれが使えそうな奴と手を組み出したわけである。
まず真っ先に弓の名人と剣の達人が組み、やがて他の連中もくっつき始める。
今回、ノウハウが蓄積されるまでは女性のはぐれエルフは出ないと聞いていた。
謁見でも姿を見なかったしな。
おかげで第一陣のむさ苦しさはかなりのものだ。
しかも腕に覚えのある奴というのは大体が自己主張が強く、各自の生存を重視するために能力が高い者が集められたせいもあって皆が中々に逞しい。
そんな中、気がつけば俺は森の中で一人になっていた。
「作戦通りって奴だな」
ニヒルに笑って、現実逃避。
泣きそうな目で地図を広げる。
うん、これはアレだ。
完璧に置いていかれたって奴だな。
別にすぐに組む必要は無いと、適当にしていたせいかもしれない。
誰ともペアを組んでいなかったことで、誰からも注意されていなかった可能性がある。
だから昼食を食べてちょっと休憩がてら木陰で寝ていたら、周りには誰も居なかった。
まったく、連中はとんだうっかりさんだぜ。
仲間の数もまともに数えられないなんて、それではぐれエルフが務まると思っているのかよ。
――ということにしておかないと、色々とくじけそうだ。
「それで、だ」
地面には足跡がある。
これを追っていけば良いだろう。
荷物袋と装備を担ぎ直した俺は、ゆっくりと後を追った。
「――おかしい。連中に追いつけん」
夜営の準備もあるはずだから、途中で合流できるかと思ったがそうでもない。
歩いても歩いても後ろ姿さえも見えないのだ。
「しょうがないか」
いい加減暗くなってきた。
火が無い場所で野宿なんてありえない。
急いで燃えそうな木と草を集め、火打石で火をつける。
夜の森はエルフと言えども危険なのだ。
幸い、春先のために焚き火さえあれば外套だけで十分に暖かい。
前の集落で分けてもらった干し肉を齧り夕餉にすると、もう少しだけ薪を集めておく。
そうして俺は、三日も土地勘の無い場所を彷徨った。
彷徨った森の中、扉のある洞窟を見つけた。
入り口付近は杭と板で囲まれていて、その中にはなんと畑のようなものまである。
藁にも縋る思いで扉をノックすると、ドアの向こうからひょっこりとエルフの少女が姿を現した。
「あやや、珍しいですねー。この家に他所から人が来るなんてー」
金髪ウェーブの髪に青い瞳。
白い肌の上に対照的な黒いローブを纏った彼女は、俺の話を聞きながらお茶をご馳走してくれた。
「なんとぉぉ。貴方ははぐれエルフなのですかー!」
そういう設定なので正直に打ち明けると、少女は大げさに驚いた。
それどころか目をキラキラさせて洞窟の奥へと走っていく。
何がなんだか分からない俺がしばらく呆気に取られていると、少女は自分も一緒に森を出ると言い出した。
「止めた方がいい。森の外は危険だ」
この森も危険だが、とにかく外は野蛮人がうろつく危険遅滞。
雑魚戦士である俺さえも危ないのだから、とても連れていけそうもない。
「むぅ。森に迷っちゃうアーク君は良くて、魔女たる私がダメだというのですか?」
「ま、魔女?」
「そうです。証拠ですよー。ムニャムニャ……火の玉ぽん!」
なんだか適当な呪文と共に、俺の目の前に熱い塊が出現する。
やべぇよ。
熱い上に何も無い場所で火の玉が浮かんでやがるよ。
「どうですか、これぞ恐るべき魔術の力ですよー」
「すげぇ。こんなの見たことねぇ!」
正直、興奮した。
何をどうやったらこんなことができるんだ。
虚空に浮かぶ火の玉は、幻でもなんでもない。
確かな熱元となって存在している。
「なぁ、これ俺にも教えてくれよ」
「ダメです。魔術は優秀な弟子にだけ教えて良いものと教本に書いてましたのでー」
「ちぇっ」
「でも、旅に連れて行ってくれるなら教えてあげる気になるかもですねー」
ぐぬぬ。
チラリチラリと意味深に見られてもダメなものはダメだ。
断ると、なら一人で出て行くと言うので、俺は悩んだ末に折衷案を出す。
「よし、分かった。なら許可を取りに行こう」
「許可って、誰にですか?」
「勿論リスベルク様だ」
「おおー! じゃあすぐに行きましょう!」
再び洞窟の奥に走っていくと、物音を立てながら少女は荷物を整えて来る。
躊躇せずに行動するところが凄まじい。
そもそも、リスベルク様への謁見は下っ端エルフがそう易々とできるものではない。
俺は一応は諜報員を命じられたはぐれエルフではあるが、謁見は難しいはずだ。
が、そんなのことを少女は気にもしない。
背中にリュックを背負い、黒い帽子を被って杖を手に俺を外に引っ張り出す。
「ほら、いくですよー。丁度あの方も近くまで来ているようですしー」
「なんだって?」
どうやら、俺は彼女を見誤っていたようだ。
優れたエルフというのを見分ける方法はいくつかあるが、ポピュラーな方法が二つある。
一つは森では絶対に迷わないということだ。
なんでも、森の声が聞えるそうだ。
ありえないと思うが、この森事態に意思があるためだそうだ。
だから迷わないし、森の中なら地図など見ずとも目的地に行ける。
そしてもう一つは、かなり若いときに老化が止まるということだ。
そのせいで木の杖を片手に隣を歩く少女――ディリットは、なんと俺の十倍も生きているそうだ。
最低でもこの二つが満たされているエルフは血が濃く、ハイエルフ様に近いため優秀だと言われている。
だが、それだけでは飽き足らないのがこの女だった。
「なんとなくですがー、森の中ならリスベルク様の大体の位置は分かりますよー」
そろそろ18歳だが、俺はそんな話は聞いたことが無い。
「家が巫女の家系だったので、リスベルク様の気配はよく分かるんですよね」
「巫女って……いいのかよ。連中は色々口煩いだろ」
「そうなんですよー。だから家出してたんですけど。この際、本格的な魔女の修行がしたいと常々思ってたんです。できれば外で魔術神様に会って手解きされたいですねー」
俺と違って外に出る理由はちゃんと自前で用意してあるらしい。
こりゃ、放っておいても行くな。
仕方なく、信じて森を歩く。
そうして二日程森を彷徨っていると、エルフ族の戦士たちの行列が現れた。
「ほ、本当に分かるのかよ」
胡散臭かったのだが、本当に合流できてしまうと信じないわけにもいかない。
俺はディリッドと二人で戦士団に手を振った。
リスベルク様は情報の受け渡しポイントの視察と、設営人員の補充という名目で移動している最中だったようだ。
そういえば、地図にもそのポイントが書かれている。
すぐに整備すると言っていたが、まさか御自ら動かれるとは。
そのまま次の集落に合流し、借り受けた家屋の中で謁見が始まった。
はぐれエルフの肩書きが効いたようで、呆気ないほど早く謁見が許されてしまう。
「ふふふ。すぐさま同僚をスカウトしてくるとはやりますね」
「……」
アクシュルベルン陛下が愉快げに微笑む一方で、我等がエルフの王はむっつり顔で顔を顰めている。
その後ろで佇むリスベルク様はといえば、なんだか怖い目でディリッドを見ていた。
だが、ディリッドはのほほん笑顔を崩さない。
マイペースの権化だぜ。
「久しぶりに顔を見せたかと思えば、はぐれエルフをやらせろか。貴様は本当に親の心を解せんなディリッド」
「性分ですからー」
あ、リスベルク様がため息をついてらっしゃる。
「まったく、貴様は百年経っても変わらん」
「不老なエルフですのでー」
「姿形の問題ではない。中身だディリッド。……分かった。なら第二陣だ。巫女団に戻って両親に顔を見せてやれ。それまでは視察に混ざればいい」
「うー、そういう言い方をされては断れませんね」
「よしよし。大人しくしておれ。それで、アレはどうなった」
「大よその内容は理解しましたよー。でも、アレはどうやら初心者用みたいなので」
「ふむ。なるほどだからか」
「そうなのですよー」
何やら訳知り顔で話す二人に、男三人で困惑する。
「リスベルク様、また内緒話ですか」
「うむ。ただ、少々危険があってな。ディリッド、そこらはどうだ」
「危険極まりないです。アレは好奇心を刺激され、自らの力で事を成す快楽を得られます。私でさえきっと、半分は持っていかれてしまいましたー」
「だから好き勝手にできる……か。危険だな」
「リスベルク様や、現体制の方々にとってはそうですねー」
困った話だと二人して笑う。
だから、話の内容が分からないんだってば。
「ですがー、昔おしめを変えてもらった者としては従えないこともありますね」
「くくく。なら良いぞ。お前の好きにやってみよ」
「ははぁ。ありがたきしあわせー」
「ならば、貴様は今日からはぐれ魔女のディリッドだ。よし、余興だ。アクレイ、剣でディリッドの相手をしろ」
「私がですか?」
「そうだ。剣と口が滅法得意な貴様がだ」
何がどうなったのか分からない間に、外でアクシュルベルン陛下とディリッドが模擬戦をさせられていた。
護衛の戦士たちや村人が、なんだなんだと様子を伺っている中で、木の杖と木剣が唸りを上げて何度もぶつかる。
一合目の時点で、俺はディリッドが負けると思ったのだが中々どうして驚いた。
あのミス・マイペース。
余裕で渡り合ってやがる。
低身長故のリーチの短さや、華奢な体格というハンデをまったくものともしていない。
アクシュルベルン陛下の剣戟を杖で受け流し、避け、信じられない速度で懐にもぐりこむや、杖先でチョンチョンと急所を軽く突いては離れを繰り返す。
おかげで陛下から段々と笑顔が消えていくぜ。
その陛下も俺からは考えられないほどに動きがやばいんだがな。
あいつ、どうやってそれを上回ってやがるんだろう。
謎は深まるばかりだが、ハッと気づいた。
あれはきっと、魔術とかいう不可思議な技に違いない。
「くくく。前より腕を上げているではないか。そうだ、それでいい。仕込んでやったかいがあるというものだ」
愉快げに笑うリスベルク様は、ズイっと俺の方に杯を突き出す。
俺はすかさず果実酒を注ぐ。
やばい、手が震える。
なんだって俺が給仕の真似事をしているんだろう?
ディリッドの戦いも気になるが、この状況の方が訳が分からないぜ。
「そら、お前もそうは思わないか。アーク・シュヴァイカー」
「は、はぁ。仰るとおりで……」
答えるとすかさずエルフの王が無言で睨んでくる。
なんだ、不満ならアンタがやれよ。
俺だって神様相手に接待とか嫌だっての! などと、言えるものなら言いたい。
生憎と俺は、適当が信条のはぐれエルフ。
偉い人に面と向かって口答えする勇気など、必要が無い今は毛頭無いのでありました。
「あいつが森に消えてから百年。誰も見つけられなかったというのに見つけてくるとはな。貴様は紹介状に書かれていた通りの奴なのかもしれんな」
「……紹介状にはなんと?」
「剣も弓もからっきしだが、悪運だけはあるから良き耳になるだろうとあったな」
村長、他にも何かプッシュするところがあるだろう。
「正直、私は一番貴様を危惧していた。使って良いものか、とな」
「……」
「だが、お前はあの時辞退しようか葛藤した上で踏みとどまり、こうして一つの結果を出した。変則的ではあるが、これは貴様の功績だ。喜べ、お前が一番乗りだ。ディリッドは今のところ私に一番近いエルフ。手元に置いておけるなら置いて置きたかったのだ」
「その……近いとは?」
「そのままの意味だ。ある一点を除けば私の後継者にしたいぐらいだよ」
「リスベルク様」
王様が苦言を呈そうとするが、目で制して続ける。
「安心しろ。あいつは導き手として大事な物が欠けている。だから永劫に魔女のままだ」
少しだけ羨ましそうな顔で言い、杯を空にする。
俺はすかさずに果実酒を注ぎながら思った。
もしかしたらリスベルク様は外に出たいのだろうか、と。
この、安全な森の外に。
気がつけば俺は、恐れ多くも尋ねていた。
「リスベルク様は、外に出たいのですか」
「ふむ? ……くくく。さぁて、どうだろうな」
意味深に笑って、我等がハイエルフ様は左手でエルフの王を制する。
何事かを俺に言おうとしていた彼は、それだけでピタリと止まった。
「そうだアーク・シュヴァイカー。褒美は何が欲しい」
ここで茶目っ気を出し、貴方様が、などと言ったら俺はきっと王に斬り殺されるだろう。
だから、ギリギリ殺されないもので妥協する。
「では、貴女様の極上の微笑みを頂戴したくあります」
「なっ――」
「ははは。なんだ、そんなものでいいのか。よしよし、好きなだけくれてやろう」
「ありがとうございます」
愉快そうに笑って下さるので、俺としても気分がいい。
うん、満足した。
ついでに言えば、王様が顔を顰めているがその顔も満足感を掻き立てる。
ただの雑魚戦士が王様を歯軋りさせているのだ。
これはとても気分がいい。
なってよかったはぐれエルフってなもんだ。
例え、まだ何も仕事らしい仕事をしていなくてもだ。
「気にいったぞ貴様。これからは親しみを込めてアッシュと呼んでやる。顔を覚えておくからいつでも好きな時に来い。知り得た情報を直接私のところに持って来るのだ」
なんですと?
「リスベルク様、いくらなんでもそれは戯れが過ぎますぞっ!」
「良い。こいつは、これから死ぬかもしれない場所に出て行くのだ。それぐらいの労いはあってしかるべきだ。他にもはぐれエルフで会いたいと言う奴は通せ。私の笑顔をくれてやる」
「……かしこまりました」
今にも歯軋りが聞えそうな程に葛藤しながら王様が唸る。
その向こうでは、喉下に杖を突きつけられたアクシュルベルン陛下が、両手を挙げて降参の意を示していた。
「よし、アッシュよ。次はお前がアクレイの相手をしろ。貴様の実力が知りたいぞ」
なんてこった。
「お手柔らかにお願いしますよ」
「こちらこそ、全力での手加減を所望するであります」
そうして、試合が始まったわけだが……なんだこれ。
陛下が一歩踏み出したかと思えば、目の前にいつの間にか木剣があったのだ。
「うえ?」
「おや?」
両者ともに困惑の声を発する。
そして、その困惑の結果は直ぐに出た。
脳天に叩き込まれた木剣。
その、容赦なく俺の額を打ちすえた音が静寂の中にやけに響いた。
頭蓋が割れていないので手加減はして下さっているのだろうが、痛いものは痛い。
俺は痛みにのた打ち回り、無様にも地面を転がった。
始まって三秒も掛からない瞬殺劇だ。
当然、俺の渾身のパフォーマンスに飲まれた観客は一様に言葉を失っていた。
「えと、すいません。手加減を間違えました」
困った顔でダークエルフの王が笑うが知ったことではない。
「――さて、準備運動は終わりにして、そろそろ本番に入りましょう陛下」
「え、いえ、しかし……」
痛みを堪えながら剣を構え、問答用で切りかかる。
けれど間合いに入った瞬間、腹に突きがいい感じに入っていた。
「ぐふぇっ」
「す、すいません。つい反射的に……」
ぎ、技量が違いすぎる。
ヤバイ。
本気で良いところに入った。
俺は今度こそ意識を失い、地面に倒れた。
「――はっ!?」
気がつけば、木造の家屋の中に居た。
どうやら今までのことは夢だったようだ。
「そう……だよな。俺みたいな無能がはぐれエルフなんて嘘だ」
人間が怖いなんて嘘だし、森で迷って遭難しかけたのも嘘さ。
おまけにリスベルク様のスマイルを貰ったのも嘘だし、ましてやダークエルフの王に瞬殺されたのも嘘だ。
そして当然、ゴーストなんてこの世にはいないんだぜ。
「なのに、知らない部屋ってのはどういうことだ」
「あ、起きましたねアーク君」
はぐれ魔女様の降臨である。
「夢じゃ、ないのか」
ガックリと項垂れる俺を他所に、ディリッドが部屋の外へと出て行く。
どうやら人を呼んでいるようだ。
そしてやってくるのはダークエルフの青年。
「ようやく起きましたね。もう夕方ですよ」
「アクシュルベルン陛下……」
「リスベルク様からの伝言です。ポイントに辿りつくまでの間に、私に稽古をつけてもらえとのことですよ」
「すいません。お手を煩わせてしまい……」
「いえいえ、私も政務にかまけて鍛錬を怠ったことを恥じていたところですからね。いい練習相手ができて助かりますよ。ところでアーク――」
「は、はい」
「――本当に良いのですか?」
最後の確認だ。
今なら引き返すことができると、彼の眼が言っている。
だが、答えはもう決まっていた。
「……ええ。どうせ、あのまま村に居ても大して役に立てないので」
「そうですか。私は止めはしませんが、忠告はしますよ。自らの弱さを自覚した上でやるというのですから、最後まで足掻きなさい。確かに、はぐれエルフの仕事を考えれば立ち回り次第では弱さなど無視できる。しかし、その弱さを相手は考慮などしてくれませんよ」
無言で頷き、去っていく陛下の背中を見送ると、ディリッドが持ってきてくれた夕食を頂くことにする。
「今日で貴方は二回死にました。私が言うのもなんですが、いいんですか」
「良いんだ。なんとか適当にやりきるさ」
「ならいいですけど、無茶はメッですよ。リスベルク様も心配されますからねー」
「ああ。それはダメだな」
我等が神を困らせるのはいただけない。
変わるためのチャンスまで下さったのだから、そっちの恩は返さなければなるまい。
褒美はもう貰っている。
俺はまだ借りを作ったままなのだ。
借りたままでは気持ちが悪い。
だからまだ、逃げずにがんばれそうだ。
「明日から頑張るさ。適当にな」
「適当って、もうー不真面目さんですねー」
「思いつめたって良い結果なんざ出たことがない。だから適当にやるんだよ。肩の力を抜いてな。開き直るって奴だな」
「意図的に適当に生きるのって、案外難しいですよー」
意識した時点で自然体ではないのだ。
例えば剣だ。
しっかりと全身に力を込めて構えるよりは、力を少し抜いて遊びを作った方が早く振れることがある。つまりは、そういうことだ。
ガチガチだと動きが硬くなる。
それは、不器用な俺が唯一よく知っていることであった。
「さて、体の汗を拭いたらもう一眠りするわ」
「早いですねー」
「おう。明日は早起きしたい気分なんだ」
そして翌日。
旅立とうとした俺は、朝日が昇る前にディリッドに見つかった。
「まさかまさかとは思いましたが、そうきますかー」
「そう来るんだなー」
「意地になってますね?」
「意地も張れない生き方は願い下げだ」
立ち塞がるディリッドは、頷いて道を開けてくれた。
「なら、止めてあげませんよ。私は甘やかしたりはしませんからね」
「ありがとう。リスベルク様によろしくいっといてくれ。良い思い出が出来たってな」
「もーう。そういう言い方はよくないと思います」
「なら、今度会うときは驚くべき情報を持っていく、とだけ伝えてくれ」
「了解ですよー」
俺は魔女に見送られて村を出る。
次の集落の場所は既に大まかに聞いている。
これも練習だ。
この程度やってのけなければ、森の外なんて出歩けない。
戦闘能力は最低限必要だ。
しかし、そんなものよりも旅慣れることの方が遥かに大事だろう。
「さーてと。追いつかれないようにしないと」
地図を睨みながら、俺は南に脚を向けた。
数時間後、辛くも追いつかれた俺は、森の茂みに隠れて様子を伺う。
だが、アクシュルベルン陛下に見つかり、彼の手でリスベルク様の下に連れて行かれてしまった。彼は楽しそうな笑みを浮かべていた。
「くくく。さぁアッシュよ。私に驚くべき情報とやらを聞かせてみせろ」
「実は――今日の空は以外に青いのです!!」
「つまらん」
一言で斬って捨てられた答えのせいで、俺は次の集落までの間ずっと暇を見て稽古を受けさせられた。
嗚呼、始祖神様の寛大にして母なる愛が痛い。
感極まった俺は、咽び泣きながら隙を見て朝逃げした。
そしてその後も三度捕まり、地図の精度向上と集落間の道の整備を提案した。
ええい、何故奴らは追いつくんだ。
きっと、使えない落書きみたいな地図と、ほとんど整備も出来ていない道が悪い。
当然、まったく土地勘が無いせいでぐだぐだ歩いている俺も悪い。




