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第五十話「ロマントリガー」


 星空の下、命の揺りかごが寄せては返す。

 気がつけば俺は、生命の母の声を耳にしていた。

 故郷と変わらないその波の音は、夜闇の中で静かに子守歌を歌っている。

 そのままその声に耳を傾けていたい欲求を振り切って、俺は周囲を見渡した。


「海……砂浜だと?」


 この景色は知っている。

 地下迷宮の直ぐ側、大砲を試射した場所だ。


「まさか、空間転移って奴か――」


 驚く俺の眼前。

 切っ先の向こうに白衣を纏った女が立っている。

 ただし、その距離がいつの間にか十メートルは離れていた。


「使えないと言った覚えは無いよ。フランベに教えたこともない児戯だがね」


 涼しげな顔で、海風によって肌に張り付いた紫の髪を払う。

 魔法も当然探求しているとでも言いたげな相貌は、彼女の探求の虫が八方美人であることを匂わせてくる。


「魔女狩りの前には、少なくとも使える者たちが居た。そうだな……彼らに信仰されていた魔術神は当然として、ある程度以上の神なら鼻歌交じりで行使できるだろう」


「ロウリー、あの野郎そんな手札あるなら旅で楽をさせろよ……」


 おかげでペルネグーレルの山道を歩いたのは良い思い出だ。


「なるほど。はぐれ魔女とも既に面識があるわけだね」


「世界は狭いな。なら、フランベはディリッドと知り合いか?」


「イビルブレイクはアヴァロニアから攻撃対象にはされないからね。基本的には戦争に加担しない勢力だ。だから、ハイエルフお抱えの諜報員、『はぐれエルフ』も団員として各国の情報を集められる」


「……は? あいつ、諜報員だったのか」


 あんなマイペースな奴で大丈夫なのだろうか?

 とても不安になる人選だぞ。


「おや、はぐれを名乗る癖に知らなかったのかね」


「知らん。森から出る奴がはぐれだって認識しか持ってないんだ」


「君は何も知らない方のはぐれだったのか。あの時の『アッシュ』は諜報活動をしていたのだが……なるほど。リスベルクも君を完全には信用してはいないということか」


「――」


 当然といえば当然だろう。

 俺達は利用しあっているだけなのだから。

 森のためにはその方が都合が良いからそうしている。


 ……森のため?

 違う、安住の地が欲しかった俺自身のためだ。

 ついでに言えば、孤軍奮闘しているハイロリフ様への同情もあった。

 だが、それにしたって森のためはちょっと大き過ぎる。

 微かな違和感。

 それを押し殺し、探究神に悪態をつく。


「そうはっきりと言葉にされるとイラっとするな」


「無遠慮ですまない。ハイエルフの思惑も視野に入れるべきだったのでつい、ね」


 まったく悪気を感じないように淡々と言うので、逆に毒気を抜かれた俺はレヴァンテインを下ろす。まずは聞くだけ聞いておこうか。対応するのはその後でも遅くない。


「そもそもの話だが、リスベルクが『アッシュ』に気づかないはずがない。なら、やはり君を別人として使っているということだろうか。ワタシはまず、君が賢人の男である、あのはぐれエルフを幻想化して生まれた念神なのかと思った。しかしそれでは使うにしても色々と危険すぎる。ではやはり違うのだろうか? 一応聞いておくが、君はアーク・シュヴァイカーではないのだろう?」


「人違いに決まってるだろ」


「それが真実であることを願うよ」


 肩を竦めて呟くと、探究神は「なら」、と前置きした上で続ける。

 ようやく確かめる気になったのだろう。


「何事も実践して検証するに限る。雨をもう一度ここに降らせてくれないか」


「なんでまたそんな手間を」


「視なければ判断ができないものもある」


「まぁ、道理ではあるんだろうな」


 レヴァンテインを仕舞い、代わりに草薙を抜きスキルを行使する。

 そうして、俺はしばし彼女の前で雨乞い剣舞を披露する。

 このスキルの舞いはオートだ。

 一度発動すると途中のキャンセルはできない。


 果たして、一・二分ほどスキルエフェクトを纏って舞った剣舞は、問答無用で雨を降らせた。効果時間は十分も無いが、濡れれば水雷コンボは発動できる。

 VR系のゲームは当たり判定がシビアだ。

 従来のゲームとは違って計算式で回避を算出するのではなく、当たったか当たらなかったかで判定されるから、フルダイブ系の擬似体感ゲームの回避率というのは、どうしてもプレイヤースキルに依存する。

 しかし振り続ける雨を回避する術など無い。

 雨具もあったが、それで戦闘すると結局は濡れるから意味が無い。

 だからこそ余計に、攻撃力が無いのが勿体無い残念スキル。


「もういいよ」


「何か分かったか?」


「その前に聞きたいのだが、あの魔導雲は何時消えるのかね」


「そのうちだ」


 俺の言葉に、探究神は天を仰ぐ。

 雨で張り付く前髪が鬱陶しいのか、手でよけながら俺を睨みつけてくる。


「――結論から言おう。君は、明らかにアレと同一の物と繋がっている」


「繋がっている……とは?」


「そうとしか言えない。雨を降らせたにしては、君自身の力の消費量が極めて少ない。発動の瞬間、どこからか莫大な力を引きこんで使用しているように視えた。いや、君は知らないだけで今もそれと繋がっている。常時存在するための力の供給を受けているんだ」


「実感はないんだがな」


「勿論、君が知らないだけだという可能性は十分にある。だが、これでは――」


 何かを考えるように、彼女は目線を下げる。

 力とか想念とかを感じ取れない俺には分からないけれど、どうにも腑に落ちないような顔をしているように見える。


「想念に不純物が無さ過ぎる。九割以上はそちらから供給はされているが、別ラインからのそれが存在を染めているね。いや、しかしだったら何故……」


「おい」


 声をかけても探究神は、ブツブツと呟くだけだ。

 完全に自分の思考に埋没している。

 しばらく待っていると、ようやく雨も止んできた。

 俺はインベントリからタオルを取り出すと、探究神の腕に押し付ける。


「夏でも夜風に当たってると風邪引くぞ」


「ああ、すまな――」


 タオルを取ると、探究神は凄まじい勢いで距離を取る。


「な、なんだよ」


「……いや、どうやら勘違いだったようだ」


 ふむ。

 反応から見るにこいつは俺を危険人物だと思っている、ということだろう。

 それは別にどうでもいいが、頼むから分かるように話してもらいたいもんだ。


「こうも敵意無く踏み込んで来られると困る。念神は基本、敵対的だというのにまったくの無防備とは……だいたい、君は存在からしておかしいのだ。君の正体は、念神に似て非なる『何か』だろう」


「はぁ?」


 散々神だなんだと言われてきたわけだが、違うとか言われてもサッパリ分からない。

 もう本当に勘弁してくれ。


「おそらく、君の本質は神モドキなのだ。それが、余計な想念網に繋がって念神になったんだろう。例えるなら、純水にインクでも数滴垂らしてかき混ぜたような状態だ」


「混ざると問題でもあるのか?」


「あるといえばあるし、ないといえばない。ただ忠告はしよう。きっとエルフ族辺りの想念を受け取っているのだろうが、これは健全な状態とは言い難いよ。高々数パーセントの願いに染め上げられるほどに、君の肉体は純粋な力の塊なのだ。これでは、もっと多くの想念を得た時に君は――」


 少しだけ迷った風な顔をされた。

 中途半端に切られる方が怖いので先を促す。


「途中で切るなっての」


「あー、うむ。最後にはエルフ族のための神として、その存在を括られてしまう懸念がある」


 タオルでメガネのレンズを拭く探究神は、面白くなさそうな顔でそう告げた。




「――マジか」


「確かに想念の量が増えれば力は得られる。だが君の無意識や思考は、確実に願う者たちの都合が良い方向へと誘導され安くなる。それで問題がないというなら問題ではないだろうね」


「例えば?」


「身の危険を顧みず、エルフ族を無条件で助けるようになったりするかもしれない」


 信仰に支配されるとはそういうことだそうだ。

 元より、念神とは信者にとって都合が良い存在。

 願いの果てから生まれるということは、逆に言えばその願いに引きずられるということでもある。突きつけられた言葉の意味が脳髄に浸透するに従って、思わず俺は背筋を震わせた。


 これまで、どこからどこまでが想念によるもので、どこからどこまでが日本人だった俺の判断であったのか。

 分からない。

 今の俺ではもう、それらの判断がつかない。


 やりたいようにやってきたつもりだった。

 そのはずなのだ。

 けれどもし、俺以外の意思がそうさせていたのだとしたら?

 これは、ちょっとした恐怖だ。


「君が肯定か否定、どちら側の共通幻想に影響を受けているのかは知らない。だが、気をつけたまえ。初めから存在が規定されている念神とは違い、君はとても染まりやすいように見える」


「……なぁ、それってあやふやな伝承でもか?」


「君みたいな変則的な念神なんて、ワタシも初めて視た。さすがに分からないね」


「そうか」


 リスベルクは想念が被らないと言っていた。

 ということは、別にあの森に住んでも俺の想念が増えるわけではないよな。

 そもそも、大前提だが明確に俺を意識した信者なんていないはずなのだ。

 まず正確な伝承が存在しないからな。

 つまりこれ以上信仰とやらで想念が増える下地はないというか、増えようが無い気がする。

 てことは、今と変化することはないような?


「そうか、だったら対策は簡単じゃないか。全部リスベルクに押し付けてやればいいんだ」


 別に名を上げたいわけでは無いし、想念が欲しいわけでもない。

 森で手に入る想念は、リスベルクが享受して復活のためにでも使えばいいのだ。

 寧ろ、俺が掠め取る方が問題だ。

 その辺りをリスベルクに言って、俺は空気扱いにでもしておいて貰えばいいだろう。

 難しく考えたって、どうしようもないだろうし。

 というか、考えすぎるとハゲそうだ。


「……随分適当に言うのだね。想念の確保は、今の念神たちにとって死活問題なのだが」


「俺としてはそっちじゃない方のラインの力が気になるぞ」


 何だよ、俺に流れ込む力って。

 力が感じられないから余計に気になる。

 そもそも、ゲームのキャラで転生したら異世界トリップしてたんだ。

 そしたら、ダークエルフの子供たちに助けてくれって言われたから安全確保のついでに助けた。

 もし、アレが念神化する切っ掛けだったというのなら、それ以前の俺はどうだったんだって話になる。

 今の話だと、神モドキとしての俺が存在していたってことになるじゃないか。

 そっちの方が訳が分からない。


「ああもう、どうでもいいことがさも重大事みたいに聞えるから困るぜ」


 訳が分からないことばっかりなんだよ。

 マジで誰か、人生という名のゲームを攻略する情報を俺にくれ。

 今なら喜んで読破するよ。


「とにかく、どうでもいいことにしとくわ」


「開き直るつもりかね」


「何か在ってもさ、後悔なんて結果が出た後にするもんだろ」


「君がそれでいいならワタシは止めない。フランベは焼き餅を焼くかもしれんがね」


「……あいつ、本気なのか?」


「かなり浮かれているね。君は彼女にとって突然に現れた理解者だ。おもしろいアイデアも持っているようだし、相当に乗り気だよ」


 いや、まぁそれはいいんだけどさ。

 今更だが、白衣の下に見えるブラウスが、雨のせいで肌に張りついているのが非常に気になる。

 視線誘導ってレベルじゃない。

 視線に対するテロリズムだ。


「見たいなら彼女に頼みたまえ」


「俺はまだ何も言っていないぞ」


「視線が物語っているのだがね」


 俺は断腸の思いで視線誘導に抗う。

 その間、探究神はタオルで体を拭う訳だが、俺はふと彼女に聞いた。


「なぁ、お前の用件は済んだか」


「そうだね。結局真実は闇の中だが、今知りたいことは知れたね」


「じゃあ、ちょっと知恵を貸してくれ」


 俺はイシュタロッテを取り出すと、ツクモライズで擬人化する。

 その頃には、雲はいつの間にか消えて月光と星光が顔を出していた。


「……待ちたまえ。アーティファクトも擬人化できるとは聞いていないぞっ!」


「言ってないからな」


「君は馬鹿かっ!? 重大案件じゃないか!!」


 眼を見開き、怖い顔で詰め寄ってくる探究神。

 彼女は俺が抱いたイシュタロッテを見て、更に眼を皿のように広げた。


「し、しししかもその娘は大公爵じゃないかっ!?」


「大公爵?」


 なんて偉そうな肩書きだ。

 強そうなんてもんじゃない。

 公爵ってあれだろ。

 王家の次に偉い貴族だろ。

 その上に大の字がつくとか、どんだけ偉いんだよ。


「彼女はリストル教に取り込まれた元女神で、悪魔にされた念神だ。ワタシが出会ったときは、何故かアーク・シュヴァイカーの剣となって加護を与えていた。そして恐らくは、彼女は誰よりも早くアーティファクト化していた念神でもある!!」


「つまり凄い奴なんだな」


「そうだよ。そして、それだけでは飽き足らず、賢人と共にリストルを物理的に存在できなくなるまで何千回と殺し続けたという。言うなれば、悪魔界の超重要人物だっっ!!」


 言うなり、フランベが周囲に視線を向ける。

 百八十度では足りないとばかりに、全周囲を警戒。

 三百六十度に視線を向ける。


「――ちなみに、リストル教の悪魔勢力がずっと探していたはずだ」


「……何故、小声で話す」


「悪魔系のアーティファクトに見つかったら、取り返しに来るかもしれないのだよ」


「――カットォォ!」


 ツクモライズを解き、インベントリにイシュタロッテを送り込む。


「良い判断だ。悪魔の中には千里眼の魔法を使う奴が居たはずなんだよ」


 二人して冷や汗を拭う。

 俺はなんとはなしにレヴァンテインを抜くと、周囲を見渡す。

 マップを確認するが、悪魔なんて影も形も見えない。


「勿論、天使系の念神はその娘を殺したがっているからそちらも注意したまえ」


「把握した。リストル教徒の目のあるところでは使わないようにする」


「剣の状態なら力を使わない限りはバレないかもしれないが、注意しておきたまえ」


 自然と顔を見合わせた俺達は、妙な連帯感と共に地下迷宮へと場所を移した。




 一端服を着替えに戻った俺は、話の続きのためにフランベの部屋に向かった。

 もう夜も遅いが、明日には森に戻るのだから時間が無い。

 部屋の間取りは大体俺のところと同じようだが、設計図や本やらが散乱している。


「もう一度風呂に入りたい気分だよ」


「悪いな。そうだ。ちょっと探究神を貸してくれ」


 髪にブラシをかけるフランベに断り、ちょっとした好奇心からアナにツクモライズをかけてみる。


「いやはや、今日は驚かされてばかりだ」


「おお、君がアナかね」


 白衣の美女の眼前には、これまた負けず劣らず知的美人が顕現した。

 右目にモノクルをつけた探究神は、フランベが差し出した手鏡を見て満足そうな笑みを浮かべている。


 フィッシュボーンとかいうお下げにも似た緑色の髪を揺らしながら、自分自身の姿を入念に探求するその姿はまるで旅の学者のようだ。

 纏った外套に、その下にある旅装束。

 フィールドワークに今でも行けそうな身軽さがある。

 しかして、妙に理知的な瞳からは真理に挑む理性の光が見て取れるようだ。


 相変わらず神特有の妙な圧はあるが、敵対者の向けてくる鬱陶しいそれとは違っていた。言うなれば中立か。攻撃的ではないが、さりとて無視も出来ない感じだ。


「――素晴らしい。この芸術のような術式構成はなんだ。半ばブラックボックスで訳がわからないが、奇跡だ。完全に奇跡の領域に足を踏み入れた技法じゃないか!」


「これ、ロウリーが分からないって嘆いてたぞ」


「ほう! 彼が分からないなら、ワタシが理解できなくても不思議ではないな!」


 分からないという割には、嬉しそうな顔を浮かべるものだ。

 その隣で、フランベがしみじみ頷いている。


「やはり謎が難解であればあるほどに楽しいものだよ」


「その通り。フランベは本当に良く分かっている」


 何故かガッシリと握手を交わす二人。

 さすが、念神に共生を選ばせるだけのことはある。


「話の続きだ。イシュタロッテを覚醒させるにはどれぐらいかかる」


「少し待ちたまえ」


 アナが何か室内を歩きながら、魔法陣を描く。

 歩いた軌跡に現れるその光は、所謂魔力という奴らしい。


「よし、これでこの魔法陣の中の様子は視えないはずだ」


「結界って奴か?」


「そんなものだ。外に音が漏れないようにもしてみた」


 もう一度イシュタロッテを擬人化し、魔法陣の中央に寝かせる。

 悪魔の少女は相変わらず眠りこけたままだ。


「……妙だな。覚醒するだけの想念は溜め込んでいるように視えるが……」


「ワタシにも寝てるだけにしか見えないね」


 それ以外に形容する言葉は無いようだ。

 とりあえず、揺さぶったり頬っぺたを抓ったり色々してみるわけだがまったく起きない。


「はてさて、本当にどうなっているのかな」


 楽しげにモノクルを弄る探究神は、じっくりと彼女を診察する。


「む?」


「何か分かったか」


「ワタシが使った念神化の技法と、術式構成に差異がある」


「……他の念神のそれと同じなのか?」


「アーティファクトは色々と見てきたが、奇妙なことに全て寸分違わず同じだった」


 しかし、イシュタロッテだけが違うってことは。


「こいつが最初のアーティファクトだから……か?」


「かもしれない。だから――いや、待ちたまえ! おかしい、辻褄が合わない!!」


「アナ?」


「彼女はラグーンズ・ウォー以前に会った時からアーティファクト化していたのだ!」


「まさかっ、そんなことがありえるのかい!?」


 二人が顔を見合わせ、大仰に驚き合う。

 なんだか分からない俺だけが蚊帳の外だ。


「なぁ、何がおかしいんだよ」


「アーティファクト化の技法は、ラグーンズ・ウォーの最中に念神たちが手に入れた技術だ。それを念神がラグーンズ・ウォー以前に編み出せす必然性がない!」


「別におかしくはないだろ。ラグーンズ・ウォーを起こしたのが賢人なら、そいつの男が持っていた剣がアーティファクトだったとしてもどこも変じゃない」


 味方がやばくなると分かっているなら、対策ぐらいは取るはずだ。

 辻褄は合っている。

 どこもおかしいところはないと思うが。


「アッシュ君、それはつまり賢人がそれを用意したということになるよ」


「君はこの世界に住む念神全てが、賢人にその技法を授けられたとでも言うのかっ!?」


 フランベの言葉を遮って、アナが大声を上げる。

 そのきつく睨むようなその双眸は、果たして本当は誰を睨んでいるのだろうか。

 俺は賢人とか言う奴を知らないから分からない。

 ただ、そこにある怒りの感情だけは見て取れた。


「落ち着けって」


「ありえない。ワタシは念神だ。想念の欠乏状態に陥ってはいたが、それでも無理矢理魔法式を植えつけられ、気づかずにそれに縋ったなどと認められるわけがない」


「けれど、アッシュ君の言う通りなら術式が全て同一であることに説明が付くね」 


「ッ――」


 フランベの一言に、ギリリと唇を噛み締める探究神。

 全員が独自に開発したなら、寸分違わずに同じになる方が不自然だろう。

 少し考えれば分かることだ。

 アナは大きく息を吐くと、頭を振るって切り替える。


「すまない。みっとも無いところを見せた」


「や、まぁ……いいさ」


「もう少し待ってくれ。是が非でもこいつを叩き起こしてやる。この悪魔が全てを知っているはずなのだ」


 怜悧な微笑を浮かべ、アナはイシュタロッテに向き直る。

 そうして更に待つわけだが。

 しばらくすると、分からないらしいアナがキレ始めた。


「この、やたら難解な術式を解析しているところに、気持ち良さそうな声でムニャムニャ言いやがって!! 殴り起こすぞテメェッ――」


 知的美人な印象が死んだ。

 元ヤン系の方なのかもしれない。 

 外面だ。

 きっと神が外面を纏ってやがったのだ。


「……なぁフランベ」


「なんだい」


「アナ、実は怒りっぽいのか?」


「根に持つタイプではあるよ。記憶力が良いことの弊害らしいね」


 頭脳系の神様も大変だな。

 絶対記憶能力とか持っていそうだぜ。


 このままアナにだけ考えさせるのも時間が勿体無い。

 俺も無い知恵を絞ってみるか。


「そういえば、万能薬は試してなかった……ような?」


 これで起きたら笑うしかないな。

 ありえないと分かっていながら、実践してみることにする。

 インベントリから取り出し、瓶の中身をぶっ掛ける。


「……無意味か」


 効果はないようだ。


「君、得たいの知れない液体をかけて何がしたいんだい?」


「起きないからといって、さすがにそれはないだろうアッシュ君」


 二人がドン引きしているが、知ったことではない。

 どうせエフェクトの後にすぐに消えたのだから問題でさえない。


「俺なりに起こす手段を模索してみたんだ。後はもう、眠り姫を起こす手段なんて一つしか知らないぞ」


「ほう? 何か良い手でもあるのかね」


 アナが俺の持っていた瓶の中身を見ながら問うてくる。


「俺の知ってる童話では、王子様にキスされると起きる話がある」


「試したのかい?」


「や、さすがに寝込みを襲うのはな」


 知り合いに王子が事欠かないから試そうと思えば試せるかもしれないが、さすがになぁ。うっかり王子に、口は悪いが行動は素直なエルフ王子、そして陽気な関西弁王子。

 どの面子もそうだが、まずこんなこと頼めねーよ。


「ダイガン王子に頼めばどうだね」


「仮にそれで起きたら王子の身がヤバイと思うんだ」


 ツクモライズで擬人化された念神の戦闘能力は、リスベルクが証明している。

 彼女は戦闘力重視の念神ではないはずだが、二重神宿りが撤退する程度には強いのだ。 

 つまり、怒らせるとダイガン王子の命がヤバイ。

 きっとゼロ距離だから、スキルカットの余裕がないはずだ。


「この際だ。色々と試してみようではないか」


「試すって、おい探究神。それは誰がやるんだよ」


「君しかいないだろう」


「いや、待て待て」


 冗談に本気になられても困る。

 しかし、果てしない探究心を持つ二人は止まらない。


「アッシュ君、アヴァロニアにはマウス・トゥー・マウスという蘇生技術がある。まだまだ実験段階だったが、試す価値はあると思う」


「医療行為だから何も悪いことでは無いね」


「人工呼吸は呼吸が確保されてる奴にやったら不味いんじゃなかったかっ!?」


「この際だ、心臓マッサージも試してみたまえ」


「やる前から動いてるだろうがっ!」


 だというのに、である。

 二人はイシュタロッテを抱え、床にあぐらをかく俺の上に乗せると無理矢理に腕に抱かせる。そればかりか、寝ている少女の手を俺の首に回させた。


 きっと探究心だ。

 抑えきれない探究心がこいつらを動かすんだろう。


「ほ、本当にやらないといけないのか」


「生娘でもあるまいに、そこまでうろたえることではあるまい」


「アッシュ君は以外と純情なのだね」


「……お前ら、本気か冗談か分からないのは止め――」


「「あっ――」」


「ぬぉっ?」


 それは、一瞬の早業であった。

 ギョッとした二人の目の前で、イシュタロッテの両腕が俺の頭を掴んだ。

 そうして、流れるように眼前に広がったのは、目を瞑ったままの少女の子顔だ。


「んむ!?」


 悪魔の腕力は、その馬鹿力で容易く俺の顔を下げさせた。

 その先には当然少女の唇があるわけで。

 目を瞬かせた俺は、唇に感じるその柔らかな感触ですぐに頭を真っ白にされてしまっていた。


「んむ、んん!? んんんんんん!?」


 だがそれだけではない。

 こいつ、両腕を離さないのだ。

 十秒、二十秒……。

 時が止まったフランベの部屋で、彫像のように固まった俺。

 目線だけでギャラリー二人に視線を送るが、二人は討論していた。


「知っているかいフランベ。古代ロロマでは、唇同士の粘膜接触に重要な意味があるのではないかと、興味深い実験が成されていたという」


「なるほど。確かに、男女の仲になった者たちは当たり前のようにキスをする。何か意味があるのかもしれないね。今度アッシュ君と試してみようか」


 冷静に観察しているフランベたちの前で、濃厚なそれが続く。

 というかこいつ、寝ぼけながらいきなりディープな奴を繰り出してくるとかスゲェよ。


 更に一分程が経っただろうか。

 ようやく満足したのか、そいつはようやく両手を緩めた。

 呆けた俺の眼前で、うっすらと銀の瞳が開かれる。


「――ん、んー、良く寝たわい。なんぞ百年ぐらいは寝た気がするのう」


 両手を伸ばすついでか、背中に蝙蝠のような黒い翼を出して全身で伸びをする。

 まだ寝ぼけているのか、目をとろんとさせたまま欠伸をかみ殺す。

 その仕草事態は可愛らしいのだが、起きたことで背中がゾクリとするような気配が濃くなった。


「しっかし、お主の唇を堪能させてもらうのは久しぶりだのうアッシュ。また嬢ちゃんの実験……ん……んん?」


「えーと、その、おはよう?」


「――誰じゃお主」


「……通りすがりの廃エルフだ」


 言ってから思った。

 他に言いようが無いものか、と。

 

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