第五話「ゲートの向こう」
「ん……んん?」
トンカチを振るう音とともに、鳥の囀りが微かに聞こえた。
朝、まだ寝たり無い気だるさの中で目覚めた俺は、何かが側でもぞもぞと動くのを感じた。木造の家屋はガラスなどはめ込まれては居らず、あるのは戸板だけだ。
隙間から何かが入って来ないとも限らない。
ムカデやGという名の黒い奴ではないことをただただ願いながら目を開ける。
すると、目の前にいきなり紅が見えた。
「お、おはよう」
「ん」
パッチリと目を開けたまま、レヴァンテインさんが目の前で頷く。
一部燃えているように見える髪は、どうやら任意で温度を変えたり消したりできるようだった。
Gではなかったことに安堵するべきか、それとも毛布ごと燃やされていないことに安堵するべきか。その判断が咄嗟にはつかなかった。
「何故、ベッドの上に?」
「アッシュの身辺警護」
短か過ぎる説明ではあったが、言いたいことは分かった。
「ちなみに、タケミカヅチさんは?」
「ドアの向こうで悔しがりながら護衛中」
どうやら防備は完璧のようだ。
一体何に対して彼女たちが備えているのかは分からないが、その姿が何故か簡単に想像できた。
昨日の夜は、二人には好きに休んでくれと言っておいた記憶がある。
別に彼女たちは睡眠をとる必要がないんだから、好きにした結果が護衛ということだろう。二人を維持している俺に何かあれば終わりなのだから、二人の懸念は分からないでもない。
「まぁ、いいか」
おかげでもう眠気が完全に消し飛んだ。
ベッドから降りて二人で部屋の外に出る。
「おはようございますアッシュ様」
「おはよう」
ドアの前に立っていたタケミカヅチさんは、眠そうな様子一つ見せない。
だが、一応は聞いておく。
「疲れてはいないか?」
「大丈夫です。寧ろ、ゲートの向こうにある戦いのせいか気が高ぶっているぐらいです」
そのせいか、バチバチと体中から紫電が舞っていた。
「今日はよろしく頼むよ」
「お任せください」
そう言って凛々しくも微笑む彼女は、間違っても軍師タイプではないだろう。
そんな感慨を抱きながら、俺はナターシャとダルメシアが住んでいる食堂へと移動する。
外では、ダークエルフの戦士たちが昨日は手をつけていなかった家屋や防壁の修繕作業に勤しんでいるのが見えた。
昨日は門の修理や現状把握、警備の組み分けなどで時間を割いていたから、今日から色々とやるのだろう。
「二人ともおはよう」
「相変わらず朝は遅いねアッシュ」
ナターシャは厨房で、ダルメシアと一緒に何かを調理していた。
「あんたの分はそれだよ」
「助かる」
干し肉の入った野菜スープとパンだ。
もうすっかりと慣れたこの世界の朝食を頂きながら、俺は二人に問いかける。
「もう昼飯の仕込みか」
「何言ってるんだい。アタシは今日ここを出て行くんだからその準備に決まってるだろ」
「そういえばそうだったか」
だから、ダルメシアも一生懸命に手伝っているのか。
黙々と必死に小麦か何かを捏ねている少女は一心不乱の様子である。
やはり、彼女へのお礼のつもりなのだろう。
そういえば、俺もなんだかんだ言いながら飯を作ってもらっていた。
地上の話なんかも聞かせてもらったし、やはり何か返しておくべきかもしれない。
手早く食事を済ませると、鍛冶スキルを行使しミスリルの指輪を作る。
それに『不壊』とHPとMPを一定時間ごとに微量回復させる『自動治癒』。そしてソロであることを考えて『状態異常無効』の三つをつけた。
「ナターシャ、今日までの食事の代金と情報料だ」
「随分と唐突だね」
「一応傷の治りが早くなり、毒なんかを防ぐ効果をつけた。戦いで役に立つはずだから貰ってくれ」
「はずって……いやまぁ、本当なら凄いけどさ。いいのかい、値打ちものっぽいけど」
「決して安い物ではないが、まぁ、今回は特別だ」
言いながら、自分用にも一つ作り装備する。
指が妙に重く感じるのは、やはりステータスを満たしては居ないからだろうか。
微かな違和感を覚えながら、それでも安全のために無理やりにも装備したままにする。
「準備ができたら声をかけてくれ。浴場に居るから」
「分かったよ」
ふと、まだ顔を洗っていなかったことを思い出し井戸で洗顔してから浴場に向かう。
戦士たちは昨日の夜に入っていたが、どうやらそれなりに入浴という行為を楽しめたようだった。ヨアヒムが川と違って寒くないから良いと、サッパリしたと表情で言っていた。
手作りの栓を抜き、水を抜く。
そうして、取り出したトライデントでレヴァンテインさんに放水してもらい、ネタ装備のデッキブラシを取り出して適当に汚れを流しておく。
ゲーム時代は、魔女を気取る者たちが浮遊魔法で飛んで移動していた。
勿論、箒派とデッキブラシ派で闘争があった。
そこに第三勢力である杖派も加わって、スレを荒らしていた記憶がある。
当時は、どんな些細なことでさえ楽しめた。
楽しいだけで済んでいた。
それがゲームでは当たり前だったのに、今の俺はこうして掃除に逃避することで精神の安定を目論んでいる。
魔物と戦うのはまだ怖い。
もっと言えば、この世界そのものが俺は怖いのだろう。
何も知らない無知さのせいか、知らないことが心の中に恐怖を呼んでいる。
それを払拭するためにも、俺は色々なことを知らなければならない。そして、その上で安住の地を探したいのだ。
(そうか、だから俺は地上に降りたいんだ)
きっと、俺の心は安らぎを求めている。
出来うる限り住んでいた街に近く、少しでも戸惑わないで住む場所を求めて。
高度な文明と引き換えに得る、あの無味乾燥とした街並み。
金さえあれば生きていける冷たい街特有のそれが、何故こうも未練がましく欲しいのだろうか。
決まっている。
それは俺がまだ、このクロナグラという世界に適応していない証拠なのだ。
少し前まで、外部からの強制ログアウト処置による現実への帰還の可能性が頭にちらついてはいたのだ。
けれど一週間以上経過してなおそれが成されないということの意味を考えれば、それがもはや意味が無い想像になってしまったと理解できる。
だから、俺は諦めの向こうにある現実をそろそろ受け入れなければならないのだろう。
そのために必要な儀式が掃除だということが、少しばかり滑稽である。
これじゃあ、テスト前の勉強から逃避しようとする学生そのものの行動じゃないか。
「その、アッシュ様」
「なんだいタケミカヅチさん」
「できれば私もその、仲間に入れてもらいたいのですが」
「あ、えーとじゃあこれを頼むよ。俺は箒で脱衣所から掃いてくるから」
「御意!」
やけに気合を入れて彼女は掃除を始める。
やはり戦えることが待ち遠しいのだろうか?
彼女たちのことも理解しなければならないが、そうは考えてもまだ俺には余裕がありそうもない。
適応するのには、まだまだ時間がかかりそうだ。
準備を終えたナターシャと合流し、塔へと向かう。
入り口には警備の戦士たちがおり、その手前まで付いてきたダルメシアはナターシャと抱擁をかわしていた。
「元気でね」
「あんたも、しっかり生きるんだよ」
側で見ていた俺たちも、そして戦士たちもその様子に少しだけ胸が熱くなる。種族が違うのに、まるで抱き合う二人が親子のように見えた。
「じゃ、行くさね」
見上げる少女の頭を最後に撫でて、ナターシャは背を向ける。
その背に、少女は両手を大きく振って彼女を見送った。
彼女は警備の戦士たちへと会釈し、静かに塔の中へと消えていく。彼女の顔には涙はなく、優しげな笑顔だけがあった。
「来ましたね」
最上階に辿り付くと、ゲートの直前に警備の人間とアクレイが居た。起動する方法を確かめたいということだった。俺は、昨夜のうちに用意しておいた一本の長剣を取り出し、アクレイに差し出した。
「あのクリスタルを狙いながら『サンダー』と発声してくれ」
「あの海水の出る槍と同じ、というわけですね」
頷き、彼が言われたとおりにする。すると室内に雷が落ち、クリスタルに吸収されて消えた。その際、バッテリークリスタルは更に輝き、それに連動するようにして中心にある魔法陣がより輝いた。
「まだ足りないようだな。繰り返しやってくれ」
「分かりました」
更に三度繰り出すと、ブゥンと、低音染みた音を発し遂に魔法陣が完全に起動した。
「成功のようですね」
「向こうで見たゲートのそれと同じだ。これなら行けそうだよ」
ナターシャが頷くと、アクレイは今にも飛び込みそうな彼女に念を押す。
「では、約束ですがこのゲートの場所は他言無用ということで」
「勿論だよ。そんなことしたらダルメシアを連れてきた意味がなくなっちまうよ」
釘を刺すアクレイに向かって肩を竦めると、彼女は俺を見る。
「じゃ、行こうかアッシュ」
頷き、四人で魔法陣の上に歩を進める。足を乗せた瞬間、俺の意識が暗転した。
それは、とても気持ちが悪い感触だった。
事前に聞いていなければ、自分の身に起きたことを理解できなかったに違いない。
やってきたのはいきなり虚空へと身を投げたような浮遊感。
見開いた目の向こう、いつの間にか暗闇に包まれた世界の先に光が見えた瞬間、浮遊感は消え俺の足は床を捉える。
そして前を見据えた瞬間、一も二も無く床を右に転がった。
魔物だ。
それも、今にもゲートへと踏み出そうとしているオークの一団であった。
「ッ――」
向こうも驚いたらしく、距離を取ろうと転がった俺を呆然と眺めている。
すぐに腰元からショートソードさんを抜き、魔法陣の外へ。
連中も、俺が剣を構えると威嚇するように各々の持つ武器を構え始める。
「どうもタイミングが悪いねぇ」
「切り伏せます」
「ん!」
数秒程遅れて転移してきた三人もまた動き出す。
真っ先に飛び出したのはタケミカヅチさんだった。
草薙さんを構え問答無用で切りかかる。
それに一歩遅れて、レヴァンテインさんが俺の方へとダッシュ。
今にも槍を突こうとしたオークへと距離を詰める。
彼女はミョルニルさんで吹き飛ばし、オークの一団を将棋倒しにする。
もつれ合うオークたち。奴らが体勢が整えるよりも先に、俺はインベントリからバックラーを取り出して左手に持つと、彼女たちの後に続く。
それほど広くは無い最上階。
次々と魔物の雄たけびが上がる。
同時に鼻を付き始める血臭の中で、俺は遮二無二剣を振るう。
村以来味わっていない、剣が骨肉を切り裂く感触。
頭部の頭蓋ごと叩き割るその一撃は、脳漿をぶちまけてゲーム時代には自主規制された発禁モノの描写をリアルに呼び込む。
「やけに多いねぇ」
遠くで、ナターシャの余裕のある声が聞こえた。
が、俺はそれに答える余裕がない。
錆びた鉄の剣が飛来する。
左手のバックラーを突き出し、受け止める。
思ったよりも軽い衝撃。
体格の不利を物ともせず、俺は押しのけるようにして剣を弾くと右手の剣を振り下ろす。今度は、斬撃が肩口から肥え太った腹まで抜ける。
そのまま倒れようとしてくるその体を右足を跳ね上げて蹴り、後退。
次の敵に備える。
これはもう、完全にゲームなんかじゃない。
それ以外に例える言葉さえ思いつかない程生々しく、そして凄惨な実戦。
ならば当然、相手も死に物狂いの抵抗を見せる。
けれど――、
俺を攻撃しようと決死の突撃をかけたオークへと、レヴァンテインさんが割って入った。
鉄槌が再び唸り、牛のような突進を思わせる相手の質量など軽く無視して横から殴り飛ばす。
一撃の重さを容易に窺えるほどの打撃音。
それを受けたオークが呆気なく骨ごと命を砕かれて消える。
レヴァンテインさんの小学生とも中学生とも思えるその体格には見合わない膂力。
そして、その身に纏う炎がオークたちの攻めを鈍らせた。
その向こう、戸惑った彼らを強襲する紫電の輝きがある。
タケミカヅチさんだ。
俺はレヴァンテインさんに任せれば大丈夫だと判断したらしく、彼女は増援が次々と入ってくる部屋の入り口を塞ぎにかかっている。
「入り口は押さえました!」
「助かる!」
増援が無いのをいいことに、一先ず部屋のオークを一掃する。このときばかりは死体が消える現象がありがたかった。
「ちゃんと無事だねアッシュ」
「そっちもな」
剣についた血糊を払いながら、ナターシャさんが寄ってくる。
彼女は俺が相手にしていたオークを背後から強襲し、アーティファクトのショートソードで頭部をカチ割った。
ドッと倒れ伏すオークの巨体。
それらを尻目に、笑いそうになる膝に力を込める。
「それにしても、あんたのところの娘さんたちはやけに強いね」
「ナターシャもな」
「あんた、やっぱりアクレイが言ってた通り神様なのかい?」
なんとも言えない顔で、彼女は俺を見た。
俺にできることといえば、肩を竦めることだけだ。
何せその自覚はないし、自ら神を名乗るだなんてそんな恥ずかしい真似はできない。
「それこそまさかだ。神様ならこんなにも無知で弱いはずがない。俺のことは少し変わったことができるエルフだとでも思ってくれればいい」
「ふーん。まっ、あんたがそれでいいならそれでいいけどね」
詮索はそこで止まった。
タケミカヅチさんが声をかけてきたのだ。
「アッシュ様、連中が下に逃げていきますがどうしますか」
「分かった。少しずつ降りていこう」
塔の作りは、ラグーンのそれと変わらないらしい。
一度登ってきたナターシャが言うからにはそうなのだろう。
ただ、妙に魔物の数が多いとは言っていた。
タケミカヅチさんを前面に押し出して、慎重に降りていく。
向こうも手に負えないとは分かっているのだろう。
ある程度交戦すると後ろの方から逃げていく。
「群れを統括する奴がいないね」
「ゲートの場所で倒した、とか?」
「それにしちゃ随分と纏まりが悪い。んー、逆かねこれは」
「逆?」
「リーダーが初めから不在」
レヴァンテインさんが言う。
俺はふと、オークキングのことを思い出す。
ナターシャに言うと、合点が言ったとばかりに頷いた。
「なるほど。だから単純に探してただけなのかもしれないね。アタシとダルメシアが来たときも、妙に連中の行動範囲が広かった。その癖、数は少なかった」
「なら、次のリーダーが現れるまでこのままか?」
「どうせなら、この機会に一網打尽にしてしまいましょう」
タケミカヅチさんが下へと続く螺旋階段の途中にあった窓を指差す。釣られて見てみると、塔の下にはオークたちが出入り口を固めるように封鎖しているのが見えた。
百匹以上は居ただろうか。叫び声が上がるたび、森から少しずつ小集団が合流してくるのが見える。
「もしかしてあいつら、リーダーが俺たちにやられたかもしれないって考えてさ、俺らを狩った奴が次のリーダーにって、そんなことを考えたりはしてないよな」
「そんな単純なことはないだろうさ」
冗談めかして言う俺の言葉を、ナターシャが斬って捨てる。
「ただ、あんまり集まってこられるとアタシには都合が悪いね」
「ここ、エルフの聖域なんだよな」
「そのはずだよ。なんせ、連中の支配している森だ。エルフ族以外が入ると絶対に迷うって言われてるがぐらい深いさね」
「ナターシャは無事に帰れるのか?」
「あんたが居るから大丈夫だよ」
確かにマップが在るから迷わなくて済むとは思う。思うが、俺はまだ森を抜ける気は無かった。いや、これも経験か。彼女が居ない間に一人で抜けるよりは、旅慣れた者からやり方を学習する方が安全だ。
とはいっても、だ。アクレイやヨアヒムたちに旅に出るなんて言っていなかったから、このまま消えたら二人は驚くだろう。うん、最悪無事かどうか確かめに出てきたり? などと思っていると、マップに反応があるのに気が付いた。振り返れば、遠目にこちらの様子を窺っているヨアヒムが居た。
「……何やってるんだあいつは。おい、出て来いよヨアヒム」
「いや、アッシュが中々戻って来ないから見て来いって言われてな」
「なんでもいいが、せめて声をかけろよ」
「悪い。それより、報告せずにそのまま旅に出るつもりだったんじゃないだろうな」
疑わしい目で俺を見るヨアヒムである。
だから俺は正直に言ってやった。
「そのつもりは無かったが、それでも良いかと悩んでいたところだ」
「お前なぁ……」
困ったような、呆れた表情。
「どうせならヨアヒムも掃除を手伝わないか? 下を見てみろよ」
「ああん? ……げっ。なんだあの数!?」
「レベルアップのチャンス到来だな」
「待て待て、この人数でか? どうせなら戻って戦士たちも混ぜよう」
「馬鹿を言うな。そんなことしたらレベルアップのチャンスが無くなるぞ」
「……正気か?」
ギョッとした顔で尋ねてくるので、当然のような顔をして頷く。
すると、彼は気は確かかというような目で俺を見た。
「別に私一人で十分だと思いますが」
「ん」
タケミカヅチさんの一言に、同じように胸を張るレヴァンテインさん。
頼もしいことだと思う。
ゲーム的に考えれば不可能ではないのだ。
特にネットゲームなら雑魚の敵というのはレベルカンスト後は脅威ではない。
ゲーム的に考えればだが、ここで一つ懸念材料がある。
それはリアルとゲームの差だ。
今はまだ、その差を全て把握したとは思えない。
戦闘能力という意味では通用することは分かっているが、懸念材料が無いわけではなかった。
確かに俺たちにはゲーム補正がある。
レベルの恩恵、転生の恩恵、そして溜め込んでいる数々のアイテム。
これらは俺の持つ絶対のアドバンテージだ。
だが、この世界は夢のような現実。
ならば現実の補正もまた掛かっているはずなのだ。
蘇生薬――リザレクションボトルを思い出せ。
何故、ポーションは効果を発揮して、アレは効果を発揮しなかった?
考えられるのはやはり、現実からの侵食。
一応、これをリアル補正とでも呼ぼうか。
あの日にヨアヒムが言ったことだが、死者が蘇るはずがない。
この当たり前のようなリアル補正は、俺の持つゲーム補正を完全に上回っている。
これから導き出される推測は今のところ一つだけ。
――度を越した力、現実を逸脱して余りある力は発現しない。
ポーションもどうかと思うが、それがギリギリだと思うべきなのだろう。
では、それらを踏まえた上で下の連中を片付けることはできるのか?
――推測される答えはイエス。
ただし、条件はある。
相手のレベルホルダーの数が少なく、しかもレベルをカンストした者がいないこと。そして、敵の数が二人の対処限界を超えない場合だ。
「まぁ、あれぐらいならやり方次第だろう」
「やり方ねぇ」
二人に無双させるというのは選択肢の一つだが、頼りきる選択をあまり取りたくはない。
「塔の形状が上のと同じなら入り口は一つだ。だったらそこを抑えて戦えばいい」
「しかし、入って来ないんじゃないか?」
「来ないなら来ないで、上から矢を撃ってやればいい。そのうち痺れを切らすだろ」
上から見る限りにおいては弓を持った者は一匹もいないから、やりたい放題できる。
「連中が森の中に逃げた場合は?」
「連中だって飯を食う必要はあるはずだろ。そのための飯がここにいるから、適当に塔の入り口辺りで姿見せてたら、空腹を我慢できずに来るんじゃないか? あいつらは頭が良さそうには見えないしな」
「それは確かにそうなんだが」
「どちらにしても、あいつらは間引いておいて損はないさ」
「放って置けば、ここのゲートからラグーンに行くかもしれないしねぇ」
そのナターシャの一言に、ヨアヒムが顔を引き締める。
だからこそ彼は言った。
「やっぱり、戦士たちも呼んでこよう。やるなら徹底的に叩きたい。個人的にはレベルを上げたいさ。でも、だからって、そのためだけに撃ち洩らしたくはない」
一人の戦士としてのその言葉。私情を捨てたそれに、俺は頷く。
「分かった。一応は一階までは掃除しておくから、その間に呼んで来れば良い」
「無理はするなよ」
「気をつけるよ」
方針を決め、俺たちは分かれた。
俺たちは上から一階ずつ確実に敵の数を減らしていく。
数は先ほどよりは少なくなっている。
擬人化させたあの二人だけで十分に対処できるだろう。
こういうとき、敵の死体を消せる能力が役に立つ。
逃げ場が塞がらないために、回避や侵攻スペースを制限されなくて済むからである。
その分攻撃が殺到するが、それを捌くことがあの二人は出来ていた。
「敵が変わったな」
「ゴブリンたちだね。弱い奴が強い奴に使われるのは偶にあるけど……」
「こっちを疲弊させるつもりか? まぁ、無駄だけどな」
俺を含めて、武器娘たちはゲーム補正によって肉体的な疲労という概念を与えられていない。
精神的な疲れはともかく、消耗はない。
ただ、そう考えると俺はもしかして飲まず食わずでも大丈夫なのだろうか?
少なくともあの二人は武器だから食べなくても問題ないが、今度検証する必要はあるかもしれないな。
「なんだか、ゴブリンたちが可哀想に見えてくるねぇ」
露払いのために投入されてくる彼らを、問答無用で武器娘たちがなぎ払う。
その後ろを進む俺とナターシャは、運良く生き延びた連中をし止めていく。
いい加減、血の匂いが気にならない程度にはなってきた。
何れは切り伏せたその遺骸も、塔の中に散らばっているゴーレムの残骸や、彼らが倒しただろう侵入者たちの骨と同じ末路を死体たちは辿るのだろう。
それは相容れない者たちの摂理だったのか。
無情なるその壁が、俺たちと彼らの運命を断絶させている。
まるでゲームと同じだ。
十把一絡げにまとめて『敵』として処断できてしまうほどに、敵の命がこんなにも軽い。 もしかして、この世界に完全に適応したときにはもう、俺は何も感じることがなくなるのだろうか。
そう考えれば、良い悪いかはともかくこの胸に妙な寂しさが去来する。
「アッシュ! 待たせたか」
「いや、かなり早いな」
気がつけば、俺たちは一階手前まで降りていた。
上階から降りてきたダークエルフの戦士たちは、十人は居ただろうか。
彼らは塔に来たときのように完全に武装していた。
「途中で外を見ましたが、確かに多い。あの数で攻められると少し困りますね」
アクレイ戦士長が、危機感を少しも感じさせずに言う。
「結局どれぐらい居たんだ」
「二百は越えているんじゃないですかね」
他人事のように彼は言うが、引き連れてきた戦士たちもさすがに緊張しているように見える。ただ、そろそろゴブリンが少なくなってきたのか、階段の下でやりあっている二人の戦闘音が小さくなってきた。
「それで、上から矢でしたか」
「できるか?」
「出来ないとは言いませんが、どうせならアーティファクトで攻めたいですね」
「なら、全員で打って出るか?」
冗談のように言うと、向こうも笑って否定する。
「ふふっ。今のは限りなく本音ですが、私は部下を無駄死にさせるようなやり方は好きではありませんよ」
「そいつは奇遇だ。実は俺も、あまりあの娘たちに無茶をさせるのは好きじゃない」
「では?」
「上から撃って数を減らしてくれ。できるだけ後ろの奴から狙って欲しい」
「下は貴方たちが抑えてくれるわけですね」
「そうなる。それからは臨機応変でどうだ」
「ではそれで行きましょう。危なくなったら遠慮なく後退してくださいね」
「ああ。無理はしない」
もっとも、下がる必要はないだろうが。
ヨアヒムが個人の都合よりも安全や集団の利益を選んだように、俺も自身の経験値効率を捨てるとしよう。
少し離れてインベントリからグングニルさんとエクスカリバーさんを取り出す。
その際、階段に響く落下音。
その音に皆の視線が俺に向かうが、構わずにスキルを行使。
グングニルさんを擬人化させる。
「悪いが、また手伝ってくれ。今度はちょっと数が多い」
「お任せ下さいマスター」
言わずともエクスカリバーさんを拾い上げ、彼女がたおやかに微笑む。
俺は頷き、そのまま螺旋階段を降りていった。
背後で初めて擬人化スキルを見た戦士たちが驚いていたが、既にヨアヒムによってバラされていることだ。俺は気にもしないで階段を下りていく。
その向こうで、タケミカヅチさんとレヴァンテインさんが戦っているのが見えた。
「ダークエルフたちと話が付いた。一階入り口を押さえるぞ!」
「御意!」
「ん!」
三人と共に、俺もまた戦場に飛び込んだ。
その後に、ナターシャが思い出したかのように降りてくる。
「ちょっと、私を忘れるんじゃないよ!」
「別にのんびりしてくれてもいいぞ。どうせ今日は村に戻るだろ」
「はぁ、分かれてまたすぐに戻るってはどうなんだろうねぇ」
少なくとも、ダルメシアは喜ぶのではないかと俺は思った。