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第四十八話「かつて神だった獣」


 アヴァロニア軍の残党がいないかを確認しながら山降りた俺達は、その足で一路ドワーフ・ラグーンへと向かった。

 すると、途中で八千を越えるドワーフの戦士団と合流。

 すぐさま平地を北に進んだ。


 鉱石や食料、武器を買い付ける商人たちのために整備されていた街道を北へ。

 更に数日後には、後続部隊との合流を果たしたシュレイクの軍勢とカタロフ陛下たちの軍勢とも合流した。


 総勢二万を越える大部隊。

 さすがにその軍勢を前にすれば、アヴァロニアの軍も遅滞用の罠を仕掛ける程度で逃げていた。

 山道と荷馬車の妨害する木々のバリケードに落とし穴。

 単純なものから凝ったものまでそれなりにあったが、本隊から先行した俺の一団によって速やかに排除していく。


「いいな、その罠発見メガネ。俺も欲しいぞ」


「こればかりはダメだよ。第一、君は同調が出来ないから見えないだろう?」


「く、この体力馬鹿なだけの体が憎い!」


「それだけでも驚嘆に値すると思うが、意外と貪欲だな」



 魔力やら力の感知ができないのは致命的だ。

 痛い目にあっているし、割と切実なのだがラルクが何故か感心するように頷いている。


「何でもいいがお前さんたち、何で捕虜の俺まで借り出すんだっての。こっちにもノームっての使えよ」


 ジョンが持たされたショベルで落とし穴を塞ぎながらため息を吐く。

 その周囲では、エルフの戦士とドワーフの戦士の混成部隊が周囲の警戒やバリケードの石をどかしている。

 でかい木や岩は俺の仕事なわけで、当然インベントリ行きだ。


「大穴はノームさん。小さいのは人力。適材適所だ」


「うへぇ。この上飯まで作らせるんだからなお前ら」


「命があるだけマシと思いや。ほら、急がんと本隊が来るで」


「あた!?」


 オッサンの尻を軽く蹴り上げるティレル王女。

 むっとした顔で振り返った彼が見たのは、大きな丸太を軽々と両肩に担ぐドワーフ少女の勇姿だった。


「お、お疲れ様です……」


「きりきり働くんやで」


「ヤ、ヤー<了解>!」


 豪快に道の端に木を投げ捨てる王女には、さしもの料理軍人も逆らえないようだ。

 彼はケツを押さえるのを止めて敬礼。

 次の丸太を担ぎに向かう彼女の元気な姿を見送ると、粛々と作業に戻った。


「王女様自ら露払いとはな。こうも精力的に働かれては、後ろの戦士たちも奮い立つしかないぞ」


「可哀想だから、シュレイクの『のじゃー姫』と比べてやるなよ」


 行動力はどっちもありそうだが、如何せんパワーが違いすぎるぜ。


「のじゃー?」


「クルルカのことだよ。よく語尾になのじゃーってつけるだろ」


「ああ、しかしアッシュ。アレはアレで居るだけで大抵の戦士を奮起させるぞ」


「……何だって?」


「エルフ族にとって、子供は次代を担う宝だからな」


 良かった。

 ハイロリフ信仰もある。

 一瞬、エルフ族が危ない種族かと誤解するところだったぜ。

 そういえば、ダルメシアも可愛がられてたっけ。


「よし、こんなところか?」


「だな。移動するぞ!」


 ラルクが号令を出し、百人も居ない集団が進軍する。

 その先には更に先行する斥候が様子を探っており、本隊に伝令がてら報告していく。

 どうやら敵の斥候らしき人影を見つけるが、待ち構える部隊は見つけられないようだ。

 ただ、それでも自然とティレル王女を守るように一団は形成される。


 目的は地下迷宮。

 もう絶望的だと皆の頭の中には諦観があった。

 ただ、それでもどこかでフランベを疑いたい気持ちがあったのだろう。

 一縷の希望を胸に、進軍が再開された。

 ゲートを守った時点で最悪は脱しているが、それでも欲は出る。

 混成軍の足は速まるばかりだ。


 東への行軍。

 地下迷宮へと近づくたびに、これでもかという程のバリケードに出会う。

 何度も足を止められながら、俺達は本隊のために露払いを続けた。

 そうして、遂にそこへとたどり着く。


 地下迷宮という名前から地下にあるのだろうと連想されるが、実質は鉱山の坑道を利用した都市だ。

 ありの巣のようになっており、それぞれ好き勝手にドワーフが住んでいたという。

 彼方にある山脈には、いたるところに坑道らしき無数の穴が見える。

 地肌がほとんどむき出しであるのは、鍛冶仕事で使われたからだろうか。

 本当なら鍛冶の音や、そこで暮らすドワーフたちで賑わっていたはずだった。

 けれど今は活気など無く、不気味な静寂を漂わせるのみである。


「……樽?」


「爆薬が詰められているのさ。見たまえ、導火線が繋がっているだろう」


 坑道の入り口に設置された樽を指差すフランベは、眉を顰めながら説明した。


「てことは、まだ間に合うんやない?」


「むしろ逆だよ。誰もいないことから察するに、いつ爆破されてもおかしくない」


 迂闊に中に入れば、そのまま生き埋めにされかねないってわけだ。

 監視者がいるようで、坑道からこちらを窺う影がチラホラある。


「止める方法はないんか」


「残念だがない。今すぐ坑道全てを水浸しにでもできるなら話は別だが……」


 意味深な目で俺を見るフランベ。

 それに釣られて、縋るような目でティレル王女が俺を見上げてくる。


「無茶を言ってくれるな」


 結論としては馬鹿げている。

 そんなこと、いったいどうやればいいのだ。

 しかもいつ爆破されて生き埋めにされるかも分からない場所に足を運んでだぞ。

 自殺願望でもないとできないだろ普通。


「ラルク、戻らなかったらまた死んだと思ってくれ。その時はフランベとジョンを頼む」


「まさかやれるというのか?」


「五分五分じゃないかな。ただ、これをやると中が水浸しになって二度と使えないかもしれない。それでもいいか、ティレル王女」


「……ええよ。あいつらにぶっ壊されるよりはマシやもん。親父や兄ちゃんはウチが黙らせる。やから、お願いします」


「了解」


 祈るような王女の嘆願に、適当に返事を返していつもの鎧に身を包む。

 その右手に取り出すのは、いつもはタケミカヅチさんに貸している草薙さんだ。


 正式名称は『天叢雲剣<アマノムラクモノツルギ>』。

 ヤマタノオロチの尻尾から見つかり、その時にスサノオの持つ天羽々斬<アメノハバキリ>を欠けさせた程の硬度を持つ神剣とか霊剣とか言われている剣だ。


 オロチは龍神の化身とも言われ、龍神は天候を司る属性を持つ神とされている。

 そのせいか、雲を呼び、雨を降らせられる霊力がある剣だと思われてその名が付けられたそうな。

 だからだろう。

 開発陣はそれ相応の固有スキルをこの剣に与えた。

 ただし、そのおかげで残念な武器とされた不遇なる剣でもある。

 ちなみに、ヤマトタケルが草を刈って迎え火を放ち、窮地を脱したという逸話もあるせいか、地味に植物系の魔物に対するダメージ増加効果もある。


「しっかし、間に合うかなぁ雨乞い」


 一抹の不安を胸に、俺は独りで地下迷宮へと侵入した。




 山脈の裏側。

 五隻の船が錨を下ろした海岸線で、ダロスティンが日光浴に勤しんでいた。

 季節は春。

 いささか日光浴には早すぎるが、波の音を聞きながら用意したジュースを傾ける。

 態々用意した南国の果実で作ったジュースは甘く、フレッシュな喉越しで口内を満たす。


「ふぅ、偶にはこういうバカンスも悪くないわね」


 アリマーンに移動を手伝えと言われて手伝ったわけだが、直接手を貸すことはしない。

 そこまでは依頼されていないからだ。

 そういうところはとてもビジネスライクな付き合いをする男(?)であった。


「でもこれで終わりかしら。モロヘイヤが来たみたいだしねぇん」


 嗅覚が匂いを捉えている。

 そして何より、神特有の力を隠す事無く放っている彼の気配が彼にビンビンと伝わってくる。


 力に自信があるからではなく、単純に力が扱えない未熟な神。

 それが、ダロスティンがアッシュへの評価。

 馬鹿力は認めるが、それも元の姿と比べれば大したことも無い。

 そう、思っていた。

 今日、この日までは。


「――ッ?!」


 その気配を感じた瞬間、ダロスティンの操る獣人の毛が逆立った。

 背もたれ椅子から飛び起き、兵士たちが爆破タイミングをうかがっている山を凝視する。

 例えば、晴天の下。

 洞窟の中に雨が降るなんてことがありえるだろうか?


 ありえない。

 ありえない。

 ありえない。


 何度否定してもありえないと分かるそれが、ソレによって成されている。

 それを奇跡と呼ぶのなら、その燃料はなんだろう。

 そして、それに必要なエネルギーとは一体どれ程になるのだろうか。


「……なによこの馬鹿げた力。モロヘイヤ、あんたどうやってそれだけの力を用意したって言うのよ。アンタの力の総量、完全に越えてるじゃないっ――」


 予兆はあった。

 偶に、妙な気配を発するときが。

 彼の人化する武器が発するそれに近いだろうか。

 けれど、こんなにも明確にはっきりと力を感知したことは今まで無かったのである。


 自然と走る両手の震えによって、鉤爪型のアーティファクトを握り締める指先が震えている。今までは気のせいかとも思っていた彼だったが、そこまで濃いとなると認識を改めざるを得なかった。


 ドクン、ドクン、ドクン。

 全身を巡る獣人の血流が加速する。

 滾る力に反応し、自然と戦闘態勢へと全身を移行させる。


「しかもこれは、この不明瞭な力は――」 


 知っている。

 識っている。


 その不条理が忘れることができず、未だに怯え、記憶から消せずに痕跡を追い続けていた彼は、アレにここまで酷似する力を遂に見つけた。


「賢人……レイエン・テイハ――」


 自然と呟いたその名に、苦い記憶がフラッシュバック。

 一瞬だけ嫌に鮮明に、その時の光景を脳裏に映し出す。


――ソレはボクのものだよ発情犬。


 それは暗黒よりも昏く、黒曜石よりも冷たい、あの――世界の怨敵たる女の眼差し。


――そもそも、発情するなら相手を間違えちゃダメじゃないか。


 声は透明なほどに静かに、究極の無関心と微かな苛立ちで彩られていただろうか。


――あー、テイハ。もういいんじゃないか? 俺は無事だぞ。


 そして、生贄として届けられたエルフの声と共にダロステインの記憶は寸断した。

 最後に見たのは、全盛期のダロスティンさえ抗えない極限の紅。


 燃える。

 燃える。

 網膜ごと視界を焼いた、あの紅だけを残して幻視が消える。


「ハハッ――アハハハハハハハ……」


 堪えられないほどに引き攣る腹のせいで、呼吸にさえ喘ぐ獣人の肉体。

 呼応するように立ち上るは想念の淡き輝き。

 全身を焼く、神の力のその源。

 解放する力の本流が吹きすさび、足元の砂を吹き荒らす。


「■■■■――!!」


 その中心で、ダロスティンは人語にならない咆哮を上げた。


 正にそれは獣の叫びだ。

 懐かしき記憶を抉る、旧き怨敵への開戦の狼煙。

 彼は今できる最高でもてなす選択をした。


 獣人の血が宿す、獣の系譜。

 目覚める野性の力に引きづられ、自然と四つんばいになった体が二足歩行から四足歩行へと移行する。


 裂けそうなほど顎からは鋼さえ引きちぎる牙が伸びる。

 血走った目は怒りに染まり、体力を消耗する変身が飢餓感を誘発。

 溢れ出る唾液で口元を湿らせながら、空腹感を示すように盛大に腹を鳴らした。

 ならばと、獲物を引き裂き捉えるための爪が伸びる。


 それにあわせるのはアーティファクト。

 より巨大な担い手に合わせるかのように、両の前足にフィットする。

 同時に彼の全身が一回り大きく膨張。

 遂には三メートルは超えるだろう、黒斑のある白き巨狼へと変貌を遂げていた。


「な、なんだ!?」


 周囲では、六魔将と対等にしていた獣人の変貌に目を奪われる兵士たちが呆気に取られながらも見守っている。

 訳が分からずに途方にくれる彼らを一顧だにせず、ダロステインはもう一度吼える。

 途端に、空間を切り裂いて彼の眷属が次々と馳せ参じた。


 一匹、二匹、三匹……。

 それらは不定形に揺らめく陽炎であり、狼の輪郭を持つ眷狼だ。

 彼らは黒い体毛を靡かせて揺れる群れとなって、砂浜で主へと吼え返す。

 今はもうほとんど忘れられた太古の神の、仮初の帰還をここに祝う。


(タロマティが飽きっぽくて助かったわ本当に)


 六魔将の一人は既に飽きて本国に帰った。

 残ったのは作戦の完遂を見守る軍部の人間とわずかばかりの兵士だけ。

 単純にアリマーンに廃エルフとの交戦を禁じられているからかもしれないが、もうそんなことはダロスティンにはどうでも良かった。


「■■■■――!」


 アリマーンが宿主にしているアスタムのような聖人には届かずとも、これこそが一握りの獣人が持つ太古の力、先祖帰り。

 そこに、同じ獣としての属性で同調し、偽りの血肉へと変えるこの姿こそダロスティンの今の全力形態。

 それは、何れは相対するかもしれないアヴァロニア勢に見せてやる気は毛頭無かった姿であり、彼の切り札であった。


「■■■■――!」


 ダロスティンが吼える。


「■■■■――!」


 従僕が旧き盟約の歌を謳う。


 神は宿りて大神<オオカミ>となる。

 おお、同胞よ。

 恐れること無かれ。

 神との合一こそ我等の誉れ。

 森を駆け、草原を駆け、虚空さえも我等は駆ける。

 永劫に、永遠に。

 祖の血脈と共に。

 この魂、終ることなく何処までも神と共に――。

 

「付いて来なさい貴方たち。さぁ、狩りを始めるわよ」


 本物だろうが、偽者だろうが、子孫だろうが、遺産だろうが構わない。

 この飢餓感を埋めるにはもう。

 この憎悪を贖うにはもう。

 彼は確かめるしかないのだ。




――固有スキル『龍神の霊雨』。


 マップ全域スキルでありながら攻撃力が一切無いという、ただ雨を降らすだけの不遇スキル。

 水雷コンボを狙うなら丁度良いが、これを使えば雷が来ると分かる。そのせいで上級プレイヤーにはすぐに装備が変更され、対策を講じられてしまう雷警報でもある。


 しかも、スキル行使させるためには剣舞を舞わないといけないところも好まれなかった。その代わり、例外的にマップに居る住人からの承諾なしで行使できる。

 けれど、それでも天叢雲剣は残念な子扱いされてしまっていた。

 剣としての性能が無駄に高いせいで、余計に全域スキルの残念さが強調されたのだ。

 まぁ、タケミカヅチさんが舞うと絵になるのでよく舞って貰ったものだが。


「雨乞い剣舞が間に合ったのはいいけど。これ大丈夫かよ」


 ダンジョンマップに切り替わったマップから足元を見る。

 水でぬかるみ、泥だらけだ。

 そもそも、水捌けなどほとんど考えられていないだろう。

 ドワーフたちの居住区なら石畳や板で匠の手によるリフォーム跡があったが、どうにも後始末が大変そうだ。


 だが、おかげで導火線は水浸し。

 山の外から遠隔で爆破など到底出来まい。

 そして何より、導火線からしみこむ雨水が樽の中の爆薬を湿気させる。

 フランベが開発したという爆薬がなんだかは知らないが、この雨が起死回生のそれになってくれることを祈るばかりだ。

 勿論、一緒に水で強度を失った土壁が崩れてくるなんてアクシデントが無いことも祈っておきたい。


「しっかし、雲が邪魔だ」


 洞窟の中に無理矢理に雲を呼んだのだから、当然のように視界が悪い。

 濃霧に飲まれたような心地だ。

 その内消えるだろうが、それに加えて今は火気厳禁。

 レヴァンテインさんの炎が使えない。

 暗視のメガネだけが視界を確保する唯一の救いだ。


「――ん?」


 恵みの雨が降り注ぐ中、気のせいか雨音以外の何かが聞えた。

 まるで野犬のような遠吠え。


 まぁ、山だし犬ぐらいは居るかもしれない。

 などと、のんきに考えているのがいけなかったのだろうか。

 マップに異常あり。

 何かが大量にこちらに向かって移動してきているのを見つけた。


「おいおい」


 そして、それらはやってきた。

 徐々に薄まっていく濃霧のような雲の中、四本足で泥をはねてくる黒い影。

 反響する叫びが、急激に大きくなり冗談ではない状況が生まれた。


 左手にイシュタロッテを取り、マップを確認。

 すると、俺が居る広間へと続く道のことごとくが敵の反応で埋まってしまっていた。

 突如としてそこに現れたような感じだ。


「■■■ッ――」


「チィッ――」


 咄嗟に右手に握る草薙の剣を振るう。

 瞬間、飛び掛ってきた狼の体が上下に分かれた。

 返り血は無い。

 代わりに、まるで精霊さんのように黒い不透明な体が、光の粒子となって掻き消えてしまった。


 一緒に来たらしいお仲間を識別すると、眷狼とだけ出る。

 レベルは無い。

 しかしこいつら、気のせいでなければ壁をすり抜けてやしないか?


「ゴースト系か? なら――」


 草薙さんをインベントリへ。

 代わりに、右手で鞘ごと剣帯に現れたエクスカリバーさんを抜く。

 瞬間、近くにまで忍び寄っていた眷狼が警戒するように後退る。

 ゲームにおいては光属性を持っていた剣だ。

 ゴーストには効果抜群だろう。


 それにしても、火と雷が使えないのは痛い。

 樽に満たされた爆薬が邪魔なのだ。

 何かの拍子で爆発されでもしたらたまらない。

 というか、この地下迷宮自体がヤバイ。

 いや、そもそも。


「こいつら、一体なんなんだ?」


「――何って、私のために身を奉げた殉教者たちよモロヘイヤ」


「その声はっ――」


 振り返れば、見たことも無い程巨大な巨狼が居た。

 目が合う。

 その正体を確信するよりも先に、俺は地面を蹴った。


 同時に振り下ろされた右の前足。

 ぬかるむ坑道がその威力によって抉られ、泥が弾ける。

 巨躯相当の威力。

 神宿りの光と相俟って、並の相手なら容易くひき肉に変える力が見て取れる。


「随分な挨拶じゃないかダロスティン」


「あんた程じゃないわ。私の前であんな胸糞悪い力を解放するだなんてね」


「……何のことだ?」


「恍けるんじゃないわよ。無理矢理にこんな坑道全体に雲を呼んで雨を降らせるなんて、欠陥神の貴方にできるはずがないのよっ!」


 唸りながらダロスティンが顎を大きく上げ、泥の地面を蹴り飛ばしながら喰らいに来る。


「なんだか分からんが、決着をつけようってんなら相手してやるさっ――」


 負けじと地面を蹴り中空へ。

 天井に届きそうな程飛び上がり、真下で食い損ねた餓狼へと真上から切りかかる。


「甘いわよ」


 そのまま脳天に叩き込まれるはずのその一撃はしかし、器用にも阻まれた。

 掲げられた右手の鉤爪と、イシュタロッテの刃が衝突して火花を散らす。

 衝撃で地面を半歩滑る巨狼。

 だが、その程度では怯むことさえしなかった。


「不用意だってのよっ」


 着地するよりも早く、左手が振るわれる。

 それに、エクスカリバーを合わせるも空中では踏ん張ることさえ出来ない。

 聖剣ごと殴られた体は、呆気なく宙を舞う。


「ぐっ――野郎、獣人姿と桁が違うじゃないか」


 そのまま壁まで運ばれた体が、背中からの衝撃に呻く。

 思考はすぐにHPゲージを確認。

 己の命の残量を推し量る。

 問題ない、まだ十分にやれる。


「さぁ、見せなさいモロヘイヤ。もう一度、この目で直に確認してあげる。さっきの雨を用意するための力の供給元をねっ!」


 巨狼が吼える。

 それは命令。

 死の後に続く、主君の号令。


 応えるのは夥しい数の従僕たち。

 煩いほどに反響する遠吠えで返す彼らは、すぐさま獲物<おれ>目掛けてなだれ込んで来る。


「冗談じゃない。また俺を生贄にできると思うな犬畜生共っ――」


 戦意は消えない。

 覚悟を決めて幽狼の群れに切り込む。


 全身全霊。

 満員御礼。

 たった十メートル四方の闘技場<広間>のただ中で、我武者羅に生き足掻く。

 ぬかるむ地面を踏みしめ、四方八方からの襲撃者に対して剣を振り手当たり次第に駆逐していく。


 でたらめに弧を描き、殺戮の斬線を刻み続ける剣閃。

 その向こうでは、爛々と輝く瞳で様子を窺っているダロスティンが居る。


「――!?」


 地面の下から現れた口が、俺の右足に喰らいついた。

 生憎とその牙は装甲に守られて届かないが、これは鬱陶しい。


「邪魔だっての――」


 右足をあげ、前方から来たお仲間に向かって叩きつけてやる。

 哀れ、首筋に喰らいつこうとした彼は真下からの同族に打ち据えられ、放物線を描いた。


 俺の一撃は軽くない。

 その証拠に眷狼たちはほぼ一撃で戦闘不能に陥る。

 なのに、ステージに無遠慮に上がってくる観客の数は一向に減らない。

 いや、それどころか増えている?


 周囲が敵を示すマーカーで染まる。

 減ってもすぐに補充され、まるできりがない。


「手駒の数は無限だとでも言うつもりか」


「だったらどうするの」


「決まってるだろう――」


 一瞬脳裏にちらつくのは逃げ場さえ許さない灼熱の力。

 だが、今はそれに頼ることは許されない。

 誰が火薬庫で火遊びをするかってんだ。


「我が魔力を糧に自然界より来たれ。世界を循環する水を司る精霊よ――」


 乱戦の最中、ウンディーネLV99を呼ぶ。


「ウンディーネっ。こいつらを磨り潰せ!」


 虚空に浮かぶ水精がコクコクと頷き、すぐさまスキルエフェクトを纏う。

 声無き詠唱は数秒。

 その間、不穏な気配を放つ彼女に群がろうとする連中を全身で阻む。

 両手の剣だけでは足りないので、ついには両足での蹴りまで入る。

 ラルクのように舞うようにとは行かず、ただただ不器用にも力任せに立ち回る。 


「それじゃないわ。今更神モドキなんてお呼びじゃないのよっ!」


「知るか。仲良く犬掻きでもしてろ!」


――精霊魔法『メイルシュトローム』。


 虚空から突如として大量の水が落ちてくる。

 水はやがて広間を飲み込み、渦潮となって獲物を翻弄する。

 飲み込まれていく狼や爆薬の樽。

 そこで更に、水圧と回転で敵陣を纏めてミキサーにかける、その寸前だった。

 いきなり水位が下がり、水が不自然にも無くなっていった。


「不発だってっ!?」


「忘れたのモロヘイヤ。私には飛び道具は効かないってことを!」


 前足の下、空間に亀裂が走っている。

 そこに、排水口のように水が流れ落ちていた。


「ちっ。ウンディーネ、アレ以外を任せる」


 コクコク。

 再度光輝くウンディーネ。

 次の瞬間、泥に塗れた水が鏃となる。

 真下から真上に、銃弾のように飛翔して広間の狼へと襲い掛かる。


 その間に、更にもう一柱精霊を呼ぶ。

 相手が幽霊なら呼ぶ相手は決まっている。


「ウィスプ、二人で雑魚の相手を頼むっ」


 水と光の矢が乱舞する。

 ウンディーネとウィスプは、互いに背中合わせに中空を飛びながら、術を行使。

 包囲網に風穴を開ける。

 その間に、俺は諸悪の根源を立つべく前進を開始する。


「アンタ、ちょっと見ない間に芸風を広げてんじゃないわよっ!!」


「見ない間に、でかくなったお前には言われたくないぜ!」


 距離を詰める。

 背中など気にせず、ひたすらに両手の剣を繰って敵を切る。

 その後ろでは、ウンディーネとウィスプが援護してくれている。


「待ってろ。その肥えた腹、今すぐ掻っ捌いてやる」


「ヒトを豚みたいに呼ぶんじゃないわよ廃エルフ」


 金斬り声を上げ、ようやく眼前にへと躍り出た俺にダロスティンが応戦に入る。

 見れば、四足歩行から二足歩行へとシフトしていた。


「た、立ちやがった……」


 驚愕を堪え、勇気を振り絞る。

 そこへ落ちてくる豪腕。

 それに両手の剣を合わせ、渾身の力で弾き飛ばす。


 衝撃、衝撃、衝撃。

 硬質な音が鳴り響くたび、奴の鉤爪と剣と衝突。

 その度に何度も暗闇の中にに火花を散らす。


 この反応速度、この膂力。

 下手をすると、この前の二重神宿りよりも上かもしれない。


 素体の能力差か。

 エルフの身体能力を超えた獣の肉体のせいなのだろう。

 グレッグの腕力も、ジドゥルやアエシュマとかいう奴らの二重神宿りに匹敵していた。それに加えてこいつのこの獣のような敏捷性。


 最悪なのは、人のセオリーを外れた動きだ。

 もはや剣術とかそういうものではない。

 完全に野生の獣のそれだ。

 だが、それでも――。


「負けて、られるかぁっ」


「ッ――」


 剛撃のせいで、ぬかるみに沈む足なんて構ってはいられない。

 かつてのように肩の力を抜き、ひたすらに剣を繰る。

 その最中、ふと何かが足りないような奇妙な感覚を俺は覚えた。

 

 俺の中で違和感が肥大化する。

 あるべきものが無い。

 喪失感にも似たそれの意味を知らぬまま、欠落した何かを埋めるためにひたすらに身体能力でカバーする。


「アンタ、その動きはっ――」


 右の前足をイシュタロッテで跳ね上げ、一歩前へ。

 続く左前足の一撃を、右手のエクスカリバーで斜め下から振り上げて逸らす。

 空いた間隙へと更に一歩。

 力ずくで押し切り、ダロスティンを壁際へと少しずつ追い込んでいく。


 神と神宿りの差か。

 押し始める俺の剣を嫌って、奴は第三の攻撃に出る。

 眼前で獰猛な顎が開かれ、鋼さえも噛み砕いてしまいそうな牙が迫り来る。

 その意図は明白だ。

 両手が塞がれた中、咄嗟に脳裏に思い浮かんだのは、ティレル王女のハイキックだった。


「ハっ――」


 鍔迫り合いに持っていき、その間に頭ごと食いちぎろうという一撃に対して、間一髪右足を跳ね上げことで対処する。

 衝突する足と顎。

 肉ごとその下の骨を打った一撃は、鈍い打撃音を広間に響かせる。

 次の瞬間には、顎を跳ね上げられたことによって、奴の巨体が一歩後退していた。


 大きな隙だ。

 すかさず右足を戻し、全力で地面を蹴る。

 そのまま弾丸のように懐へと潜り込み、右腕を突き出す。


「くたばれっ。悪神に擦り寄る駄犬めっ!」


 聖剣が遂に肉を割き、腹腔へと切っ先が突き刺さる。

 エクスカリバーの刀身が、先刻の宣言通りに腹に埋まった。

 だがまだ浅い。

 奴は咄嗟に身を捻って致命傷を避けている。


「くぅぅ、モロ……ヘイ――」


 唾液交じりの血が、地面を濡らす。

 闘争の意思は消えず、体は命が尽きるその瞬間まで命を燃焼し続けようとしている。


「いい加減、終わりにしようぜ」


 力ずくで聖剣を押し込みながら、左手のイシュタロッテを引く。

 奴が抜こうと暴れようとするが、エクスカリバーのせいで動けない。

 それどころか、動くたびに傷が広げられ内臓が傷ついていく。


「黒白の……剣。やっぱり……アンタあいつの――」


 そして遂に奴の体から神宿りの光が消えるのと、イシュタロッテの切っ先が奴の心臓を貫くのはほぼ同時だった。

 巨狼が神の加護を失い、元の黒斑の獣人に変わってかき消えた。

 二刀に滴る血を払い飛ばし、鞘に仕舞う。


「はぁ、はぁ、はぁ――」


 俺は大きく息を吐く。

 しばらくすると、脳裏のログに反応があることに気づいた。

 ダロスティンはどうやらインベントリに取り込まれたようだ。

 見渡せば、眷狼の群れも消えていた。


「ごくろうさん」


 雑魚の相手をしてくれていただろう精霊さん二人に礼を言う。

 相変わらず無言だが、二人とも勝利を喜んでいるようだ。


 しかし、この勝利の意味は大きい。

 神出鬼没かつ、大兵力の移動を簡単に成すことができる奴を封じられたのだ。

 にしても。


「力の供給元ってなんだ」


 MPか。

 それとも、想念って奴のことだろうか。

 分からない。

 あいつら、俺にはサッパリ理解できない視点で話すからな。

 分からないと言えば、最後にあいつはイシュタロッテを凝視してたような気がする。

 知り合いだった……とか?


「いや、でもおかしいな。だってダロスティンとあいつは接点が……」


 ん?

 今、俺はなんて言った?


「……ダロスティンはビストルギグズの、土着の獣人たちが崇める古い神だろ」


 確か、前に識別したときはそんなような項目を見た……ような?

 それでイシュタロッテはユグレンジ大陸西方の、カルナーン地方だろ。

 距離を考えれば接点なんかあるわけが無い。

 何も間違ってなどいない。


「なんだ気のせいか」


 精霊さんを還すと、俺は地下迷宮を後にした。




 坑道から出れば、本隊と合流した一団が整列していた。

 いつでも攻め込む準備はできているといった風情で、中々に頼もしい。


「アッシュ、首尾はどうだ」


「オーケーだ。中は暗くて水浸しだから気をつけてくれ」


「神宿りの気配があったようだが、そちらは?」


「片付けた」


「そうか。さすがだな。こっちは今、フランベが爆薬の扱いについて戦士たちにレクチャーしているところだ。それが終わればすぐにでも奪還作戦に出るぞ」


 言うなり、ラルクが司令部へと走る。

 伝令を使えよ、と思ったが、伝令よりもあいつが走った方が速いか。

 後は山の向こう側だ。

 これから最後の追い込みになる。

 ようやく終わりが見えたせいで、肩の力が抜けそうだった。

 そのままぼんやりと東の空を見上げていると、おずおずとティレル王女がやってくる。


「あ、あのっ!」


「ん?」


「ありがとうございます。これで、ウチらはまたここで鍛冶仕事ができます」


 深々と頭を下げてくる。


「お礼も絶対にさせますから!」


「あー、うん。まぁ、その……アレだ。俺への個人的なお礼とかは別にいいから、エルフとドワーフの末永い友情で返してくれたらいいと思う。だから頭を上げてくれ」


「でもアッシュ様には是非お礼が……」


「なら様とかは無しで呼んでくれ」


「ええっ!?」


「ダイガン王子みたいに、フレンドリーに呼んでくれたらええんやティレルはん」


 だいたい、そういうのは面倒だ。

 完全に奴らを追い払った後にでも、国のお偉いさん同士で決めてくれればいい。


「それにまだ終ってない。そういうのは奴らを追い出した後にしよう」


「は、はい」


「だからもうひとがんばりやでティレルはん」


 怪しい王子口調で受けを狙う。

 けれど彼女は真剣な顔で頷くばかり。

 これ、滑ってますがな。


「アッシュさんの背中はウチが守ります! 例え兄ちゃんを犠牲にしてでも!」


「お、王子は大事にしてやってくれ」


 ハンマースティック握り締め、決意を固める元気な王女を微笑ましく見守りながら俺は思った。


――ブラコンな妹って、クロナグラに存在するのだろうか、と。


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