第四十三話「ドクトル・フランベ」
カンテラの炎の光が、女の肌を赤く染めている。
そんな中、照らいも見せずにドクトル・フランベは着替えを始めた。
脱ぎ捨てられているのは夜着だろうか。
白の下着に守られた裸身の上に、俺など存在しないかのような顔でゆっくりと衣服を身に着けていく。
どこか野暮ったいズボンをはき、その次にシャツを羽織る。
その上に白衣を纏い、ついでとばかりにボサボサの紫髪に櫛を通していく。
堂に入った一連の流れには、大人の女性らしい落ち着いた色気があっただろうか。
俺は彼女が武器を所持していないかチェックしていたわけだが、まったく武装している気配がない。
「ワタシの生着替えは楽しかったかね? アラハッシュ・モロヘイヤ君」
「サラシが減点だと言っておいてやる」
「それはすまないね。ちょっと抑え付けるぐらいが好みなんだ」
そういって、彼女は梳かしたばかりの髪に指先を通した。
見た目の年齢は二十代半ばか。
ナターシャより上といったところだろうか。
だが、俺は内心で驚かされていた。
その女性らしい体つきに、ではなく鑑定で判明したそのレベルにだ。
「それで、そのサラシ愛好家でレベル99の神宿り様がいったい俺に何の用だ」
「あの少年に聞いていないのかい。君に興味があると言ったはずだがね」
「目的は?」
「探求さ。世の中は不可思議な法則が席巻している。ワタシはそれらを解き明かし、森羅万象を理解したい。当然、神もまた興味の対象になりうるわけだ」
「アリマーンじゃダメなのか。今現在最強の回帰神なんだろ」
「彼はそういう神聖さを暴き立てる行為が嫌いなのさ。万人のための叡智の光ではなく、神意の光で全てを覆い、無知蒙昧のままでいる盲目で愚かな民をこそ望んでいる。例えば、大砲や爆薬。あの二つは神の力など介在せずに破格の威力を引き出せる代物だ。これは彼らにとって、自らの力に取って代わりかねない発明の、その入り口だ。だからああして言うことを聞かずに研究をしたがるワタシを亡き者にしようとしている」
神様からの自立などさせんということか。
しかし、ただの性犯罪者じゃなかったんだなあの連中。
「何故、俺も同じだと思わない」
「こうしてワタシに会いに来てくれたことで、君の存在がワタシの発明を肯定してくれたと確信した。そんな君が、ワタシの求道する物を否定したりするはずがないじゃないか」
ドクトル・フランベはまるで、ようやく理解者に会えたかのような顔で嬉しそうに笑う。
「アリマーンを含めた他の三柱の回帰神では論外だ。巨人は人間を下等生物だと思っているし、獣人は暴力的だ。そしてアリマーンは言わずもがなだろう? 叡智ではなく原始的な、生物的な強さをこそ価値基準を置きたがる彼らに、ワタシの求めるものが理解できるとは思えない。その点、君は違うのではないかと勝手に期待していた」
他の回帰神。
獣人と巨人にも居るのか。
どちらも別の大陸で幅を利かせていると聞く種族だから、今は考える必要はない。
いや、この情報は価値があるな。
対アリマーン戦で協力できればどうだ?
知ってか知らずか、気になる情報を口にするフランベは、更に熱っぽく語る。
「モロヘイヤ君、是非ともワタシと手を組まないかね。そうだ。なんだったらワタシを嫁にしてくれても構わないよ。ワタシは君を探求するのだから、君がワタシを探求するのも至極当然だと思う。色々と疑いを晴らすためにも、体を張りたいと思うがどうかな?」
「そこでどうして嫁になるなんて発想が出てくるんだ。色々とおかしいだろ」
「では、匍匐状態でワタシを見上げている君はおかしくないのかね」
これはスキル行使のための仕様だ。
好き好んでこの状態を維持しているわけではない。
カンテラの明りを消さないと、外の巡回にバレるから仕方なくこのままでいるだけだ。
不満が顔に出たのか、小首を傾げたフランベだったがすぐに謝罪してきた。
「おっとすまない。ワタシとしたことが凡人のような浅はかな考えで決め付けてしまったね。普通はそんなけったいな体勢のまま移動しない。……そうか、その状態に意味があるのだね? さっきの兵士たちが君に気づいた素振りがなかった。つまり、その姿勢だと普通は姿が見えなくなるわけだね。いやはや、ハイエルフの持つという魔法の武具は実に興味深い。理屈が分からないところも最高だ。益々気に入ったよ」
「知的美人に気に入られると悪い気がしないが、今の俺はエルフ族の味方だ。アヴァロニアの人間とは敵対するし、アリマーンと戦う時だって来るだろう。あんたは、それでも最後までこちら側で戦う覚悟があるのか?」
「なるほど、人生を共に歩むと言っても口だけではダメか。よろしい、ならば行動で示そうじゃないか」
「どうするんだ」
「何、今から隣で寝ている指揮官殿の首を取ってみせよう。騒ぎになるかもしれんが、覚悟は示せるだろう? その後で少し厄介なことになるかもしれないが、君が守ってくれるなら問題無い。やってやろうじゃないかね」
「オーケイ分かった。信用するから止めてくれ」
そんなことをされたら、一々兵士の相手をしなければならない。
そんなのは御免だ。
「ありがとう。ではモロヘイヤ君、これからワタシは君の嫁だ。好きな時に好きなだけワタシに甘えたまえ。神の篭絡方というのをこの機会に探求するからね」
何故だ?
どうしてこの世界で俺に寄ってくる女は押し売りが多いんだ。
「さて。商談が纏まったところで聞きたいのだが、これからどうするかね」
「とりあえずここを動くな。先に用事を済ませてから迎えに来る」
「分かった。楽しみにしているよ」
まいった。
話だけ聞き出して逃げる羽目になるかとも思っていたんだが、レベルだけ見れば戦力としても欲しい人材だ。
スパイでもなんでもないなら手を取らない理由がない。
加えて大砲や爆薬に精通しているのであれば、他の国にやる義理もないしアヴァロニアの情報だって詳しく聞き出したい。
問題は、連れ帰った時のエルフ族の反応か。
いや、これは今更だな。
ナターシャのような同族に対する恩人という方面での説得はできないなら、俺の身内として連れ込むぐらいしか方法がないだろう。
どうせ森にすぐ戻れるわけでもない。
少し様子を見て、見極められたら腹を括るか決めよう。
匍匐前進で食料の集積所を目指しながら、俺は思った。
どいつもこいつも、この世界の男女は俺も含めて清き愛が足りないな、と。
作戦は順調だ。
食料の集積された天幕に次々と潜り込み、物資を片っ端からインベントリへと放り込む。
申し訳程度に残した後は、睡眠薬で眠らせた兵士から装備を剥ぎ取る。
一応はインベントリ経由で早着替えができるようにショートカットに新たに登録だ。
運が良いことに、アヴァロニア軍の兵士の装備は耳が隠せる兜だった。
だが、まだ着替えるには早い。
今度はラルクが見たという大砲の天幕だ。
そちらは見張りがいないらしく、特に気にすることなく忍び込めた。
そうして、大砲五台と一緒に置かれていた砲弾や火薬の入った箱をまとめてインベントリへと収納しておく。
ついでに矢玉なども回収したいが、さすがにそれは欲張りすぎだろう。
食料のところの見張りの交代時間にでもなれば、侵入が露見する危険もある。
撤退の時間も考え、ドクトル・フランベのところへ急いで戻る。
「食料が狙いだったのかな」
やはり、俺の動きを感知しているな。
「一々連中の相手をするのは面倒だろ」
「お優しいことだね。それで、脱出はどうするのかね」
「最悪は力ずくになる。荷物はそれで全部か?」
「そうだが……ほう?」
問答無用でインベントリへと収納し、カンテラの炎を消させる。
そうして、兵士の装備に化けようとしたときだった。
闇夜に響く鐘の音が、喧しくも静寂を侵した。
かと思えば、腹の底から響く砲撃音がそれに続き兵士たちの怒号が響き始めた。
「……森の方からじゃないな」
「山道の上から聞こえたよ。ここを襲う連中といえば一つしか思いつかないが、敢えて尋ねよう。これは君の作戦かね」
「まさか。俺なら大砲相手に真正面からは御免だ」
逡巡は一瞬。
俺は身を起こすと、兵士の装備を身に纏って備える。
「もう少ししたら、どさくさに紛れて抜ける。いいな?」
「勿論だとも」
さて、予定とは大分違うがどうなるか。
兵士から失敬した槍を片手に、俺は天幕の中で外の様子を窺った。
「すまんなぁ、皆」
志願者を募り、突撃を命じたドワーフの男が柄の長い戦斧を両手で折れそうになるほど握り締めた。
男の樽を思わせる胴体は今、分厚くも強固な鎧で覆われている。
それを支える両足は短いが太い。
結果として低身長ではあるものの、骨太で筋肉質な肉体を持つ重戦士。
ドワーフの戦士としては良くある姿の男は、周囲の者たちよりも一等見事な髭を蓄えていた。
彼らが潜んだ森の中から眼下に見据える敵陣は、エルフ族との連携を阻む要衝にある。
アレを食い破るには、今の兵数では心もとない。
チマチマとエルフの森に送った伝令も、結局はこの山からは戻ってこなかった。
不透明な状況の中、取りうる術は時間と共に磨り減っていく。
(親父なら辿り着けたと思うんやけど、時間稼ぎで疲弊した戦士たちも限界や。補給の当てもない。やからエルフさんとこに逃げ込みたいわけやけど……)
まだ動ける内に突破しなければならず、そのためにはこの山道を抜けるより他に無い。
そしてそのためには、敵の厄介な兵器と戦う必要があった。
ドォンと、けたたましい音が鳴る度、鎧に守られたはずの彼らを肉塊に変えるその忌々しい音の元を断つには、結局は近づくしかない。
だがそれをさせないように敵は布陣している。
それを無理矢理にも突破しようというのだ。
最初から犠牲が出ることなど分かりきっていた。
だから、せめて犠牲を最小限に止めるには陽動するしかなかった。
「王子、頃合かと」
「せやな。よし、こっち側への警戒が十分に殺がれた。いくで――」
山の斜面から、ドワーフの戦士たちが合図に従って降りていく。
目指すは敵の横っ腹。
よそ見している間に埒を明けるべく、それぞれに小隊を組んで進む。
近接戦闘にさえ持ち込められれば、彼らが作った質の高い武具は機能する。
世界屈指の名工が揃うペルネグーレルの戦士の力が発揮できる。
「舐めるなよアヴァロニアの人間共。仲間の恨み、今すぐ教えたるわい――」
斜面を滑り降りながら、そのドワーフ――ダイガン王子は部下と共に敵陣に飛び込んだ。
慌しく動き出した陣から、敵の攻めてくる方角へと兵士たちが動いていく。
明りを消した天幕の中、しばらく身を隠しているとやがて砲撃音に混じって雄たけびが近距離から発生したのに気がついた。
「斜面だ! 山からもドワーフ共が来たぞ!」
「弓を撃て! それから予備の大砲を出して守りを固めろ!」
伝令の声に混じって、隣の指揮天幕から野太い声が聞こえてくる。
「直ぐそこまで迫っているだと? くそっ、連中の突破力は侮れん。エルフの救援に備えていた弓隊を戻せ! それからドクトル・フランベを呼ぶのだ。あの方に何か在れば我々の首が飛ぶぞ!」
必死な声で、保身のための命令が飛んでいる。
その保身のための対象が、実は亡命を企てているなどとは知りもせずに、だ。
首が飛ぶ未来しか先にない指揮官殿の冥福を祈りつつ、俺は入り口へと無言で回る。
「ドクトル、急ぎこちらへ――」
天幕へと無遠慮にも侵入してきた哀れな兵士が、暗闇に立つフランベへと声をかけるその瞬間、俺は首筋へと手刀を落とす。
衝撃は呆気ないほど簡単に男の首の骨をへし折り、前のめりに倒れさせる。
兵士は倒れたまま痙攣。
すぐに動かなくなって忽然と消失し、インベントリに遺品だけを残して消え去った。
もう、人殺しを忌避する心さえも俺からは消失してしまったようだ。
何の感慨も抱かない自分を、この世界に適応した自分が冷笑する。
そうでなければこの世界では生きていけない。
平和ボケした頭のままじゃあ、きっとこの先は苦しむだけだ。
俺は俺のために、この精神の変容さえも受け入れるしかないのだろう。
「ドクトル、こちらへ」
兵士と入れ替わるように、今の消失現象に眉根を寄せる彼女の手を取る。
すぐに外へ。
幸いなことに、フランベを呼びに来た伝令は一人だけだった。
そのまま彼女を案内するように指揮用の天幕へと移動しつつ、目深に兜を被る。
「ドクトル・フランベをお連れしました」
「夜分に騒がせて申し訳ないですな」
「構わんよ。それよりワタシに構わず仕事に専念してくれたまえ」
落ち着いた声で堂々と言う彼女に頷き、指揮官らしき中年の男が次の指示を出すべく他の伝令に命令を出す。
徐々に近づいてくる剣戟の音と、ドワーフたちと思わしき叫び声。
顔を顰める彼に、ドクトルは尋ねる。
「かんばしくないかね」
「そのようですな。……おい、何をしている。お前もさっさと迎撃に出ろっ」
「すいません、ドクトルに護衛を命じられまして……ねっ!」
申し訳なさそうにして弁解したところで、持っていた槍で喉を突く。
その結果、声を上げる暇さえなく指揮官殿はこの世から消えた。
俺は血の滴る槍をそのままに彼女の手を引き、天幕の外へ出た。
これで有機的な行動はできまい。
発覚すれば混乱し、隙が出来ればドワーフたちも攻めやすくなる。
「次は安全地帯にエスコートでありますよドクトル・フランベ。臨機応変に合わせてくれるとありがたいであります」
「了解したよ兵士君」
俺達は慌しく動き回る兵士たちに紛れ、エルフの森の方へと移動する。
「ドクトル、安全な後方へお急ぎください!」
大げさに周囲の兵士たちに聞えるように言い放ち、案内する素振りを見せながら下がる。
そのまま進むと、弓を持った部隊がやってくる。
ラルクが見たという射撃部隊だろう。
天幕の影にドクトルを案内するように見せかけ、それらとすれ違う。
「大丈夫です、しばらくここに居れば直に片がつくでしょう! それまでは命令どおりに俺が命に代えてもお守りします!」
訝しむ視線があったが、安心させるようにドクトルに言う俺を、彼らは護衛とでも勘違いしたのかすぐに移動していく。声をかけてくる奴はいなかった。
「ちょろいな」
「新兵器の実戦テストのためのオブザーバー。それがワタシの今の肩書きなのさ。安全地帯に逃がそうとする味方の兵士を疑うのは難しいだろう。それに、ほとんどの兵士はワタシがレベルホルダーだと知らないからな」
「何故だ」
「どうせ全滅する奴らに教える意味はないだろう」
「それじゃ、そもそも撤退命令なんざ来ないんじゃないのか?」
「上はワタシがレベルホルダーだと知っている。なら、死亡は確認したいはずだ」
なるほど。
こちらを急かすためにラルクに言った出任せでもないわけか。
「しかし確実な情報とは明言できない。ワタシは兵法は専門外でね」
「ジャンル違いは誰にでもあるさ」
しおらしく謝罪してくるその顔は、はたして本心か作り顔か。
できれば本心であってもらいたいものだと思いながら、弓隊が移動し終えたことを確認し動き出す。
更に後退し、下り坂手前から先ほどの弓隊が潜んでいた側面へと移動。
後ろを警戒しながらドクトルをエスコートしていく。
夜の山はもう、静けさとは無縁の戦場だ。
そのまま、弓兵たちが潜んでいた山の斜面を見つからないように伏せて進む。
仕掛けられているというトラップを警戒していたが、それらはフランベが全て発見。
俺が渡したナイフで易々と解除した。
「どうだね。ワタシのアーティファクトも役に立つだろう」
「たいしたもんだ」
素直に賞賛して斜面を進む。
そうして、俺達はエルフの森の関所へとたどり着いた。
途端に、関所に潜んでいた戦士たちが防壁の上から弓を構える。
「待て」
それを止めたのはラルクだ。
「アッシュだな」
「おう」
兜を脱ぎ捨て、いつもの全身鎧姿にチェンジする。
「こいつを捕虜にするがいいな。身柄は俺預かりで頼む」
「いいだろう。お前が責任を取るなら構わん」
「助かる。それと、敵の陣地の反対側からドワーフが攻めてきてる。戦士たちは出られるか?」
「当然だ。門を開けろ! 援護に向かうぞ!」
「「「おう!」」」
関所が開かれ、防壁の上で構えていた戦士たちが続々と現れる。
ドワーフの戦士とエルフの戦士の混合軍だ。
俺はエクスカリバーさんを擬人化し、ノームさんを召喚。
フランベの監視と拠点防衛のために残す。
「しばらくは監視付きだが文句はないよな」
「勿論だとも。その代わり彼女たちに話し相手をしてもらうよ」
「世間話ぐらいにしといていてくれ。じゃ、行ってくる」
「御武運を」
武器娘さんと精霊さんに見送られながら、戦士団の先頭に立つ男たちと合流する。
一人はペルネグーレルのドワーフ王カタロフ。
そして、シュレイクの近衛剣士ラルク。
二人と頷きあい、タケミカヅチさんを取り出して掲げ夜闇の中で紫電を纏う。
「ラルク、両脇の弓隊は既に陣地の防衛に向かった。今なら気にする必要は無いはずだ」
「ならば、大砲とか言う奴とその周辺だけか。そっちはどうなっている?」
関所の様子は見えているはずだ。
それでもなお発砲がない。
水による不発か、それとも装填中かは知らないが撃たせる前に潰すとしよう。
「細工はした。再使用可能になる前に俺がすぐに行って黙らせる。始めるぞ――」
目標は、こちらを見て慌てている兵士の男だ。
遠目でも見えれば、攻撃対象としてスキルが行使できる。
「神鳴る剣神の太刀――」
山道を、雷鳴を轟かせて駆け上がる。
数秒も掛からない。
すれ違い様振り切った刃が、情け容赦なく兵士の体を両断する。
俺は直ぐに勢いを殺して反転。
余りの非常識さに声さえ失った砲手たちに、必殺の刃を振るう。
「て、敵襲! エルフ側が動いたぞ!」
二人斬った頃には、声が上がる。
しかし遅い。
発砲しようとしていた者から優先的に切り捨て、駆け上がってくるエルフたちの安全を確保する。
「いかん矢だ、矢を撃て!」
最低限残されていた弓兵が次々と矢を放ってくる。
けれどその矢は鎧にぶつかって、呆気なく地に落ちた。
その無情なる現実が、弓兵たちの顔を恐怖で彩る。
重装備のドワーフ対策の強弓だろうと、俺の鎧は貫けないのだから当然だ。
HPは減っているが、撃たれても気にするほどのものでさえない。
戦力差は確かにあった。
だが、肉薄したドワーフと指揮官の暗殺。
その混乱に、エルフの攻撃という攻めが駄目押しとなって奴らを襲うのだ。
「夜も遅い。手早く終らせてもらうぞっ――」
ラルクが戦士を率いて上まで向かうと、既にエルフ側を抑える兵士たちのことごとくが血痕だけを残して消えていた。
「アッシュめ。馬鹿力なのは変わらんな」
「で、でたらめだぞあの男」
力任せに振り回される剣で、兵士たちがなぎ払われたかと思えば忽然と消えていく。
近づくこともできず、遠くから矢を放ってもまるで無視して襲い掛かってこられてしまえば打つ手がない。
敵兵に同情を禁じえない二人だったが、すぐに戦士たちと共に切り込んでいく。
「アッシュに負けるな!」
「こちらも続けい!」
彼らの本格的な参戦で混乱が更に増す。
木霊する戦声が山を震わせ、剣戟の音が死を彩る。
そしてそれは、ダイガン王子のところまでしっかりと届いていた。
「聞える、聞えるで。親父の声や。しかもシュレイクの増援も一緒かいな!」
戦斧を一閃し、数人ごと力任せになぎ払っていたダイガンは喜色を浮かべる。
「よっしゃ、風はこっちに吹いとるわ」
「王子、連中の兵器が完全に沈黙しましたぞっ」
重厚な鎧で身を守る戦士たちと共に、老練なドワーフ戦士が報告する。
ダイガンは頷いた。
「陽動してくれた勇者たちを後ろに回してや。このまま反対側まで突き破るでっ!」
「はっ」
「そら、ビビッてないでかかってこんかい! 玉ついとんのかアヴァロニア人!」
距離を取り、槍衾を形成する敵兵に対してダイガンはまるで戦車のように突っ込んだ。
それを阻もうと、突き出される槍が洗礼となって彼を襲う。
だが、そのことごとくが彼の身を守る鋼鉄製の鎧に阻まれた。
それを鬱陶しげに振りぬかれた戦斧が無理矢理にも弾き飛ばす。
途端に、兵士たちの槍が一斉にへし折られて砕かれる。
明らかな武器の質の差と、膂力の違い。
それらに動揺する彼らを支えるべき指揮官は既におらず、アヴァロニア兵が一人、また一人と逃げ出し始める。
その中をドワーフの戦士たちが突き進み、確実に前進していく。
そして遂に、ダイガンが率いる戦士たちが敵陣を突破した。
「ダイガン!」
「生きてやがったな親父!」
「それはワシの台詞だっ」
挨拶もそこそこに二人は頷き合うと、共に目配せして声を張り上げる。
「反転や。連中を追い払うで!」
「さぁ、今こそ知らしめろ! 我等ドワーフの勇猛さを!」
武器を振るう親子が再会を果たし、ドワーフとエルフの戦士団が合流する。
誰が敵で誰が味方かなど問うまでも無い。
元より同盟国であり、その仲は険悪でもない。
ラグーンズ・ウォー前ならいざ知らず、今この時代には両者の培った時間がある。
しかもアヴァロニアに煮え湯を飲まされた同士ともなれば、両戦士団は共通を敵を前にして纏まれた。
――ドワーフの戦士たちが重武装で前に出る。
片や重装備鎧と武器を纏った近接特化の戦士たち。
彼らは大抵の矢を弾き、並の武器を打ち砕き、防具ごと骨を砕く。
――その後ろから、弓が得意なエルフの戦士たちの放つ矢が乱れ飛ぶ。
長身なエルフたちの矢は、ドワーフたちの上を飛び越えて対峙する人間たちに降り注ぐ。
更に機動力で勝る軽装備の戦士たちが、正面を受け持つドワーフたちの両脇から回りこみ側面からも攻め立てていく。
「憎きアヴァロニアの走狗共は目の前だ。容赦などいらん!」
自ら声を張り上げて敵を斬り、ラルクが戦士たちを激励するべく吼える。
殺意を隠さぬ怜悧な眼光は、一片の曇りさえ無い。
人一倍血風を産む暴風が、包囲網の右手で荒れ狂ったかと思えば、反対側からは雷鳴が轟いた。
――アッシュだ。
右手でタケミカヅチを振り回し、左手でミョルニルを力任せにブン投げている。
投げられた鉄槌は、大砲の砲弾にも勝るのではないかという勢いで飛翔し、兵士たちをまとめて粉砕する。
数人まとめて当然のように吹き飛ぶその威力は、常軌を逸して余りあった。
それはアヴァロニアの兵士たちの交戦の意思さえも砕く破心の鉄槌なり、恐怖という名の杭を打ち込み続ける。
「な、何で投げた後に手元にあるんだよ!」
「知るか。俺はもう逃げるぞ! あんな化け物どうしろってんだ!」
「退却だ、退却しろぉぉ!」
辛うじて生き残っていたリーダー格が、しきりに撤退を叫ぶ。
我先にと逃げ出すその様を見て、なんとか踏ん張っていた兵士たちも瓦解。
完全に敗残兵といった体で逃げ出していく。
「追撃は……必要ないか」
回収したミョルニルを背に投げつけることは容易い。
それはせずに踏みとどまったアッシュは、タケミカヅチの血糊を振り払う。
その背後で煩いほどの勝ち鬨が上がった。
山に木霊するその声は、ドワーフとエルフのアヴァロニアへの怒りの程を表している。
だが、これで終わりではない。
続くだろう戦いを思い、アッシュは逃避するように呟いた。
「風呂、入りたいぜ――」
ウィスプに怪我人の治療を任せ、俺はコート姿で一旦関所に戻った。
フランベたちは、関所の防壁にもたれかかって談笑していた。
「お疲れ様です。我が主、その様子だと勝利されたようですね」
「ここまで勝ち鬨が聞こえただろ」
エクスカリバーさんとノームさんがすぐに立ち上がり、俺を迎えてくれる。
「中には入れてもらえなかったのか?」
「君が居ない間に問題を起こすわけにもいかないから辞退したよ。彼らも人間のワタシが居れば不安になるだろうしね」
気を使ったとでも言いたげな様子だ。
まぁ、本人が良いならそれでも構わないか。
「とりあえずは勝った。天幕もかっぱらったから移動するぞ」
「了解したよ」
俺の差し出した手を掴み、フランベはようやく起き上がる。
「話が弾んでいたようだな」
「うん。君のことも彼女たち嫁のことも、色々と聞かせてもらったよ」
嫁の部分をことさらに強調し、フランベが言う。
「やはり先達が居るというのは心強い。どうやら、ワタシ以外にも人間の嫁がいるらしいじゃないか。おかげで少し肩の荷が下りたよ。こう見えて緊張していたんだ」
「別に嫁になるのに拘らなくてもいいんだがな。ただの協力者でいいだろうに」
「そうはいかない。古今東西、神に何かを頼むなら生贄が必要だと相場は決まっているだろう? ワタシには差し出せるものが自分自身しかないのだから、これは当然の選択だ」
「生贄なんていらないが。まぁ、好きにしてくれ」
裏切らないならそれでいい。
「そうだ。人間が不老になるにはどこまでレベルを上げればいいか知ってるか?」
「レベル99だよ。限界まで上げなければ無理だね」
「つまり、アンタは不老なのか」
「アヴァロニアでは何かに秀でた人間は不老へのチャンスが与えられるんだ」
おかげで優先的にレベル上げができたと彼女は言う。
「いくつか上げ方にパターンはあるが、ワタシは若い頃に短期集中でのレベル上げを希望した口さ。運が良かった。おかげでアナとも出会えたからね」
メガネのフレームを押し上げて微笑む。
しかし、アーティファクトでメガネ型とは。
武器の姿が当然だと思っていたが、随分と変則的だ。
お互いに今日が初対面。
それもあってか、俺は軽く質問をして隣を歩く。
ただ、アヴァロニアのことは聞かなかった。
今は考えたくなかったから、聞かなかったのだ。
それを知ってか知らずか、彼女もまた余り国のことは語らない。
「そうだ。君の事はなんと呼べばいいかね。モロヘイヤは偽名なのだろう?」
「好きに呼んでくれ」
「では、その言葉に甘えてアッシュ君とでも呼ばせてもらおうかな」
言いながら、彼女は俺の左手を取る。
自然と握られたので驚いたが、俺はそのまま好きにさせた。
「アッシュ君」
「なんだ」
「国でのことを何も聞かないでくれてありがとう。君のこの選択を絶対に後悔させないと、ワタシが信仰する探究神『アナ』に誓おう。覚えておいてくれたまえ――」
握られた左手に力が篭る。
何故、そんな大仰に誓うのかなんて、当然だが俺には分からない。
けれどやはり、聞かなかった。
言いたくなったらそのうち教えてくれるような気がしたからである。
我ながら単純だが、なんとなくその言葉で狙いが分かったような気はした。
それが俺の都合の良い妄想ではないことを、今日から切実に願うばかりである。