第四十一話「混迷へと誘う影」
「ん!」
妙に気迫の篭った顔で、レヴァンテインさんがトライデントから放水する。
城の中では大してやることが無い俺は、朝も早くにデッキブラシに力を込めた。
風呂である。
だが、ただの風呂ではない。
城の中に存在する、王族用の風呂である。
磨きぬかれた石で作られたその見事な作りは、俺の作った手作りの風呂とは比べ物にならないほどのクオリティを誇っている。
なんというか、輝いている。
なのに昨日は入れなかった。
非常時だから、一時的に非武装になる風呂はダメだというのだ。
少なくとも真夜中は。
なら、昼間に入るしかないじゃないか!
「誰がなんと言おうが俺は入るのだ」
朝も早くにソファーから起きた俺は、近衛戦士殿に聞いて風呂の清掃中である。
リスベルクは酒盛りの後すぐに寝たので、ケーニス姫の横で就寝中だ。
だがケーニスが起きたので、後は任せて俺はこうして奮戦している。
汚れを流していつもの手順で風呂を沸かす。
そうして、レヴァンテインさんと共に汗を流した。
「そのうち温泉にも入りたいな」
「旅に出る?」
「そうしたくても今は森から離れられないしなぁ」
アヴァロニアの問題を無視して旅に出る気力はもうない。
なんとかしなければならない危機感だけが募り、ひたすらにもどかしい。
「アッシュの好きにすればいい。誰も止める権利なし」
「いやいや、止めるのは割りと簡単だけどな」
例えば、泣かれたり弱いところを見せられると止まってしまう。
後味が悪いし、代わりがいないんじゃどうしようもない。
ふむ。俺以外のエルフ系の神が居たら、俺はもうお役御免か?
少しばかり考えてみると、妙に腹が立ってきた。
イケメンで超強いハイエルフ様(男)がアヴァロニアの悪い奴を成敗し、キャーキャー言われる所まで考えたが、どうにもイラっとする。
楽が出来て良いと思う反面、感情移入している現状でそれをやられたら俺の立つ瀬が無い。
というか居るんなら初めから助けとけよ。
出番を窺うとか舐めてるのかって話だ。
「いかん、ついつい重箱の隅をつついてしまう」
居ない存在に悪態を吐いても意味が無い。
ウィスプが消えたことでナターシャも心配しているだろうし、とっととモンスター・ラグーンに戻りたいのだがままならないものだ。
何かしていないと落ち着かない。
昨晩のケーニス姫の気持ちも分からんでもないな。
「ん――」
と、いきなりレヴァンテインさんが湯船から立ち上がる。
その視線は、心なしか険しいような気がする。
相変わらずノーガードな彼女は、珍しく感情的な表情を浮かべてキッと入り口を睨む。
脳内マップに反応アリ。
何か集団っぽいのが近づいて来ている。
「おいおい」
まさかとは思うが、レヴァンテインさんが警戒している。
インベントリからすぐさまタケミカヅチさんを取り出して構えていると、扉が凄まじい勢いで開かれる。
はたして、風呂場に飛び込んできたのはリスベルクとその護衛であった。
「やはりここか!」
「なんだ、リスベルクか」
敵じゃないじゃん。
用意していた武器を仕舞っていると、リスベルクがドレスを無造作に脱ぎ捨てる。
後ろで近衛戦士の人々が困っているが、気にせずに浴室から追い出した。
「貴様、風呂だけはどこでも遠慮せんな」
「風呂エルフらしいからな」
適当にかけ湯した後、リスベルクが隣にやってくる。
「……おい」
が、何故かそれをことごとくレヴァンテインさんが阻む。
鉄壁の防御体勢という奴だった。
SPもかくやという動きで両手を広げ、その進行を妨げている。
「なんだ貴様は」
「アッシュの嫁」
「それは風呂に入っている時点で分かっている。それが何故私の邪魔をする」
「答える義理なし」
「……なるほど、主を取られないように必死というわけか。無理も無いな。その貧相な体ではな」
チラリと視線を向け、何やら勝ち誇ったような顔でリスベルクがくくくと笑う。
瞬間、レヴァンテインさんの横顔からタダでさえ希薄な表情が消え失せた。
「燃やす」
「にょわぁぁっ!?」
突如として発生した業火により、俺の直ぐ側の空間が当たり前のように燃えた。
溜まらずに後退したリスベルクが、湯船の中へと飛び込む。
「ストップ。ストップだ!」
追撃しようとしている少女の肩を掴んで止める。
不思議と熱さは感じない。
所持者だからか、それとも彼女が手加減しているからかは分からないがとにかく落ち着かせる。
「ダメだ。リスベルクは燃やすな」
「……ん」
渋々といった様子でこっくりと頷くと、湯船に浸かる。
「おーい、生きてるかー」
「な、ななな、なんだそいつは!?」
驚きから立ち返ったリスベルクが俺に詰め寄ろうとするも、またレヴァンテインさんが立ちはだかった。
「ん!」
「うっ!? おま、おまえのその力は――」
パクパクと、声にならない声を上げるリスベルクの顔が、青ざめるを通り越した。
「何か知らんが落ち着けって」
後ろからレヴァンテインさんを抱き上げると、反対側へと移送する。
その間に彼女が抵抗することはなく、借りてきた猫のように大人しい。
が、リスベルクに対してだけ見たことも無いような敵意を向け続けていた。
「おい貴様! こいつお前よりも明らかに力を持っているぞ!?」
「持ってたらおかしいのか?」
スキルの破壊エネルギーを考えたら持ってても可笑しくないんだよなぁ。
「こいつは神モドキだろうが! というか今も何をしようとしている。おい、貴様!」
「煩い。雑魚神は引っ込んでる」
「ざ……ぐぬぬっ――」
歯軋りするリスベルクとは対照的に、怜悧な態度を崩さないレヴァンテインさんである。
力量さえ感じ取れない俺は、一体何をしているのか想像することしか出来ないわけだが、リスベルクの動揺が尋常ではないことだけは理解できる。
ロウリーと一緒だ。
うん、確実にビビッてるな。
「そこまでだ。ほら、あまりリスベルクを脅すなよ」
「ん」
注意すると大人しく引いてくれるが……うーむ。
こんなにも攻撃的なレヴァンテインさんは初めてだ。
そもそも何故リスベルクを威嚇するんだ?
ナターシャには別に何も反応してなかったのに。
……基準が分からん。
「アッシュ、貴様そんな力の塊みたいな奴がいてアリマーンに負けたのか!」
「そうなるな。いやぁ、この娘で斬りつけても全然刃が通らなくてなぁ」
「腑に落ちんが、そこまで奴は強いということか」
「じゃなきゃ蹴り一発で殺されたりしないだろ」
今考えても信じられないが、それが現実だからしょうがない。
「気楽に言いおって。私たちはそんな化け物からエルフ族を守らなければならない立場に居るんだぞ」
「凹んでたってしょうがないだろ。だから開き直ることにしたのさ」
でなければ、恐怖に押し潰されて何も出来やしない。
「まったく、その気楽さを分けてもらいたいものだ」
コテンと俺の左肩に頭を預けるリスベルク。
こんな程度で孤独を癒してやれるなら安いものだが、生憎と一時的な現実逃避場所にしかなってやれない。
しばらくそのまま無言でいると、何故か右肩にも重みがかかった。
膨れっ面のレヴァンテインさんである。
明らかに対抗している様子だ。
両手に花なので男冥利に尽きるはずなのだが、これはこれで問題である。
頼むから、俺を挟んで視線の火花を散らすのは止めてくれないだろうか。
未だかつて味わったことの無いストレスに、俺は少しだけ胃の辺りを押さえた。
「こちらから打って出るべきだ!」
「馬鹿な、距離を考えろ。一体どれだけ離れていると思っているんだ」
「そもそも、戦っても勝てる目処はあるのかね」
「とにかく今は防衛体制を整えるべきだろう!」
無理矢理リスベルクに連れてこられた会議場は、紛糾するとかそういう問題を通り越して踊り続けていた。
一晩明けた事で回復した者たちがいたこともあったのだろう。
数が急激に増えたおかげで纏まりを欠き、それぞれが主張する今後のあり方を巡って言い争っていた。
主張それ自体はそれぞれに意味があることは分かる。
大まかに分ければ抗戦派と降伏派になるわけだが、その中にだって派閥はある。
例えば交戦派。
独立派の流れを組む交戦派のエルフなどはこれを機に、「どうせ上の連中は戦わん」などと言って、統合論の破棄を叫んでいる。
おかげで今こそ全てのエルフを一まとめにするべきだと逆の意見を出す者とぶつかっている。
少しでも話が進むと、その方策を巡って話は蒸し返されて逆戻り。
まるで平行線だ。
会議は纏まる気配さえない。
「苦々しいことよ。これさえも奴らの爪痕だ」
さっきから沈黙していたリスベルクは、俺にだけ聞えるように呟いた。
「私への信頼にこうも容易く亀裂が入れるとはな。まったく、置き土産が多すぎるぞ」
強権を振るうことはできるそうだ。
それこそ命じれば従わせることは容易いと言う。
けれど無理を通し過ぎればリスベルクを良しとしない者は確実に生まれる。
不満と不安は簡単に伝染する。
今回に関しては、そこらの魔物と戦うのとは訳が違うのだ。
明確な侵略に対するそれは、今までの様子見とは比べられないほどの被害を出した。
この上で全力でぶつかる未来があるとすれば、会議が紛糾するのも致し方ないのかもしれないと言えよう。
おかげで足並みが揃わないことが最初の難題としてリスベルクを悩ませている。
これでは迂闊に発言もできまい。
信頼は構築するのは難しく時間がかかるものだが、何か有れば一瞬で失われる。
それは、想念によってその存在を支えられている念神にとっては死活問題なのだ。
寄る辺であるからこその集束が、逆にこの会議では疑念となって吹き荒れかねない状況だと思えばしっくりと来る。
森への攻撃に城への強襲。
あまつさえ国王夫妻の死に、新しい神の敗北。
バッドニュースの数々が不安を煽り、会議を混迷へと誘っている。
その中には当然、俺への不信感さえ見え隠れしていた。
リスベルクの隣に居るというだけで気に食わないという視線を送ってくる者もいるし、役に立たん奴だと小声で囁く奴も居た。
そういう視線に晒されるたび、俺はここに居るのが馬鹿らしく思えてならない。
立ち去るのは簡単なのだ。
けれど、それができない。
こんな胸糞の悪い場所にリスベルクを一人で置いていくことができなかった。
中途半端な良心か、それともただの同情心か。
はっきりしていることは、ただここに居るだけでは時間の無駄でしかないということだ。
それが妙に苛立ちを呼ぶ。
昨日は自身の無力感に苛まれていたが、今日は好き勝手言う連中への怒りに苛まれていた。おかげでふと分からなくなる。
何のために戦う決意をしたんだろうって。
少なくともこいつらのためじゃあないのだ。
俺は聖人君子でもなければ正義の味方でもないただのはぐれ野郎。
ダルメシアや、ナターシャ、ヨアヒムにゲートタワーの拠点に居た戦士たちや、ラルクやリスベルクといった知っている奴のために戦うのであれば躊躇は無い。
だが、これではまるでその決意がさえ擦り減らされるような心地だ。
こんなのを一人で背負い込み続けるだなんて苦行でしかない。
だってのに、なんでお前はこんな連中に付き合えるんだリスベルク。
「そう不安そうな顔をするな。今は吐き出させてやればいい。そのうち皆も冷静になる」
そう言って、彼女は膝を力強く押さえていた俺の左手に手を重ねてきた。
無言で頷き、その手を握り返す。
情けないことに、ただ側に居ることだけが今の俺にできるたった一つのことだった。
小休止の中、何やらルース王子が囲まれていた。
ケーニス姫は国葬の手配に奔走し、クルルカ姫はその手伝いでいない。
次のシュレイク王であるルースは、初めは戴冠式の打ち合わせについての相談を受けているようだったが、どうにも俺についての探りを入れられているようだった。
チラチラと連中の視線が俺に向けられているし、微妙に聞える程度の声は出ている。
「あの男、本当に信用できるのですか?」
「リスベルク様に何かあってからでは遅いですぞ」
「だいたい、リスベルク様のあのお姿は何なのだ。あの方は童女だったではないか」
「しかも不自然なほどに信頼されているご様子まである。まさか、あの姿にされると同時に不可思議な術で操られているのではないのか? 操られていたケーニス様のように」
「ありえるな。アヴァロニアの工作員という線はどうだ」
好き勝手言ってくれるものだ。
しかも態々聞えるように言うところに腹が立つ。
だが、俺への陰口はともかく、リスベルクへの不満は不思議なほどに聞えてこない。
それだけが救いだ。
ここでそんなのが出たら、俺だっていい加減我慢できない。
「皆の疑問はもっともだが、奴はリスベルク様に躾けられている。心配など不要だ」
しかし、ルース王子はいつも良いことを言う。
俺が気に食わないと態度で示しているのに、間違ったことを言っているところを見たことが無い。
「あの男は今回、奴らと敵対しリスベルク様の危機を救ったのだ。負傷した戦士たちの治療にも手を貸してくれたと聞いているし、奴を手元に置こうとしているのはリスベルク様のご意思だ。あの方を疑うものではない」
「それはそうですが、しかしですな……」
「こんな状況故、皆が不安なのは分かる。だが、あのラルクも奴をエルフ族の戦士だと認めている。それで十分ではないか。今はそんなことより、一刻も早くシュレイクとしての方針を決めなければならん。時間は待ってくれないのだからな」
極めて落ち着いた声でそう発言するルースは、話題を逸らすためか別の案件を口にする。
「私としては、この機会に遷都する必要があるかと思っている。その件についても皆の忌憚ない意見が欲しいが、どう思う?」
「遷都ですと!?」
「馬鹿な、そんなことをして一体何になるというのですか!?」
会議室の中で、聞き耳を立てていた者たちが顔色を変える。
だが、ルース王子は涼しげな様子を崩さない。
「最悪のことを考えた。その場合、民を守るための最善の方法はラグーンに送ることだ。ならば、ゲート・タワー近辺に遷都し、いつでも民を避難させられるようにしておくべきだ」
ここからではラグーンが遠すぎる。
また、地図で見たときに西から来るアヴァロニアに対してはこの城は東に在りすぎた。
情報伝達という観点から見ても、より西に近い方が良いと考えたのだろう。
「同時に、散らばった集落を統合して防衛するための戦士たちを一箇所に集め、戦力の集中を図りたい。また、あそこならモンスター・ラグーンへの塔が近い。戦力の研磨もやりやすかろう。被害を減らすためにも、この機会に是非、問題点も含めて揉んでおきたい」
「……確かに、守るべき者を一箇所に纏めてしまえば防衛も楽にはなりますが」
「森が広すぎるからこその分散でしたからなぁ」
「しかし、ダークエルフたちの問題もありますぞ」
「分かっている。それこそ向こう側の王とも協議する必要があるが、これは昨年個人的に彼の王と語り合った時に出された提案の一つだ。向こうも、少数で散らばりたいという習性を我慢してのことだと思う。向こうの価値観を曲げてまでの提案であるし、一考する価値はあるはずだ」
アクレイ……お前、本当にどこまで先に手を打ってるんだ。
会議場にいないのに、お前の案がシュレイクの連中に一石投じているぞ。
「ですが、そうなると森を守りきれないのではないですか? 多方面からの侵略に対して後手に回ってしまいませぬか」
「だからだ。彼の王は更にこう言った。この森の中でエルフ族に勝てる種族は少ないと」
「それはそうですが……」
「森の中に引きずり込んだ方が戦いやすい。それに、ケーニスから漏れた情報は多岐に渡るはずだ。今の状態で放置する方が危険だ。刷新し、欺瞞情報にすり替えて来るべき日に備えたい。それでもハーフエルフを伴って攻めて来ようが、ここで暮らしているのは私たちだ。迷いの効果が通じずとも、森は必ずや我等の味方になってくれる。この地の利を捨てる選択肢はないぞ」
不安要素は多々ある。
だが各個撃破されるよりはマシであるし、侵略軍をこちらの土俵に引きずり込んでゲリラ戦を仕掛けた方が被害を与えられるかもしれない。
「それともう一つ。今のは最悪のシナリオに備えてのものだが、現状でアヴァロニアの防波堤となっている大陸の中央四国。このうち、森と隣接しているリスバイフとペルネグーレルを結ぶパイプ役になりたいとも思うがどうだ?」
話が飛んだな。
西のリスバイフと東のペルネグーレルか。
確か、リスバイフは資源に乏しいんだよな?
ペルネグーレルはドワーフの国。
武具の輸出国として大陸東では有名だ。
地図上で見れば、エルフの森を挟んで西と東に存在する。
これを一直線で繋ぐ最短ルートを形成する。
するとどうだ?
「なるほど。間接的に防波堤を強化するのですな」
「何も直接戦うだけが戦ではない。敵の敵を使うことも必要であろう」
直接戦わずに敵を押さえ込ませる。
長引けば長引くほどに、アヴァロニアの通常戦力は疲弊するのだからやらない理由はあまりない。ただし、六魔将が復活する前はという前提だと思うが。
「しかし、それなら直接クルスと手を結んでは?」
「ダメだ。クルスと直接は組めん」
「何故です? 今は彼の聖王国が対アヴァロニアの最前線だと聞いておりますが」
俺もそう聞いている。
だからこそ、より効果を発揮するなら直接の方が手っ取り早いと思うのだが。
「私を守るためか、ルース」
リスベルクが、初めて済まなさそうな顔を晒した。
「クルスはリストル教が国教となっている国。そしてリストル教は唯一神教。ロロマ帝国で生まれ、周辺の土着神をことごとく邪悪な存在、悪魔に仕立て上げた宗教だ。ラグーンズ・ウォー以前には大陸西部にまで信者を広く獲得していた。今の中央四国は当然、そのリストル教の影響下にある。そこに私を掲げるエルフ族。相性が良いはずもないな」
「ですが、リスバイフはその土地柄のせいもあってその影響力は薄い。国教ではなく、未だに土着の自然崇拝系の信仰が根強く残っている国と聞きますから、立場は我等に近いはずです」
だから間接的に支援するという形になるわけか。
クルスだと付き合い方を間違えた時の被害が懸念されるわけだ。
そうか。だから、今までエルフ勢力が対アヴァロニアを掲げて纏まっている中央四国と結びつこうとしなかったのか。
念神という神魔が実在するこの世界クロナグラにおいて、信仰と戦争は切っても切れない関係にあるのだろう。
俺には、その視点が欠けていた。
安易に手を組めば良いとだけ考えていたのだから、自分の短絡的思考に呆れてしまう。
宗教戦争の悲惨さは、聞きかじっただけで満腹になるほどに凄惨だというのに。
「また、仮にアヴァロニアとの戦いに彼らが勝てれば中央四国はその土地をリストル教徒で埋め尽くさんとするでしょう。その後が問題です」
相当なIFではあるが、なるほど。
その時を見据えれば、リスバイフに肩入れして恩を売っておいた方が利口か。
「実際にはアヴァロニアに滅ぼされてクルスに逃げ込んだ、数々の亡国の末裔たちが黙ってはいまい。だが、そういう未来もありえると考えられる」
戦争が終ってもその次の戦争があるということだ。
為政者としては、考えないわけにはいかない。
ぐうの音も出ないほどに、会議室が静まり返る。
「だからこそ尚更、最重要拠点であるラグーン近辺への遷都をと考えます。同時に、出来うることなら統合も必要だ。食料や物資の生産などのバックアップ。一箇所に纏まるからこその不都合が予想されても、それ以上に効率的だ。相手は知能の低い魔物どもではない。ラグーンズ・ウォーと同じようには切り抜けられないだろう。できれば、これらは総合的な国家戦略として……いや、エルフ族全体の未来を担う議題として広い視点で議論してもらいたい」
熱の篭った顔で、ルース王子はそう締めくくる。
ざわめきが再び、会議室に漣のように寄せては返す。
そこへ、喧騒さえ貫くようなソプラノの声が上がる。
リスベルクだ。
不敵な笑みを浮かべたまま、ルースを言う。
「よく言った。それでこそ次の王だ。先代夫妻も貴様の勇姿を見れば浮かばれよう」
「ありがとうございます。ならばこそ、もう一つだけこの場で言わせていただきたい」
「存分に言うが良い。貴様の言が無価値ではないと、ここに居る皆はもう理解している」
「降伏についてですが、リスベルク様や反対派を殺す覚悟がある者については認めるべきかと思います」
「馬鹿な!?」
「正気かルース殿!」
「静まれ。ルースよ、言いたいことはこの際全てぶちまけよ」
「はっ」
会議室を見渡し、彼は続ける。
「勿論、ただの降伏ではありません。これは生存戦略としての降伏です」
「ふむ?」
「エルフ族の種を後世に残すための手段として、先の覚悟がある者が居ればエルフ族の血は残せるやもしれません」
似たようなことを、どこぞの戦国武将がやっていたと聞いたことがある。
確か、関ヶ原だったか?
豊臣方と徳川方に親兄弟で別れ、どちらが勝っても血を残せるようにした武将が存在したとかしないとか。
ルース王子、そこまでの覚悟をエルフ族に強いるのか。
背筋が凍るような戦慄が吹き荒れ、会議場から再び声を失わせる。
「こう言ってはなんだが、私にはできない。リスベルク様は我等エルフ族にとっての神であり始祖であり、祖母や母のような存在だ。そして民や戦士もまた同じエルフ族。それらと戦うなど考えたくも無い。だがそれでもなお、それがエルフ族のためにできるというのであれば、その者は向こうに着かせてやるべきかもしれませぬ」
降伏したエルフ族は、エルフ族を殺すために投入されるだろう。
そうして、アヴァロニアからは忠誠度を計られ、エルフ族からは裏切り者として怨嗟を浴び続ける生き地獄を味合わされるに違いない。
「ラグーンが絶対安全な楽園であるとは、私は思わない。はぐれ魔女のディリッドはアーティファクトの力で空を飛べる。もしかしたら、いつかラグーンに攻め込めるような時代が来るかもしれない。そうなれば、エルフ族はこの世界から消えうせてしまうかもしれない」
「先の先、そのまた先まで模索するか」
「真にエルフ族を後世に残せるならば、今できるありとあらゆる手段を講じるべきです。我々が生き残るために」
言い放ち、ルースは立ち上がる。
「休憩中でしたな。少し、水を飲んできます」
「うむ。お前の覚悟、しかと皆も心に刻んだだろう。次までの間に喉を潤しておけ」
「失礼します」
威風堂々と去っていく。
その道を、自然と人々が開けた。
凄まじい存在感だ。
彼が去っても、しばらくの間は会議室は静けさに侵されていた。
俺は思うところがあり、リスベルクに断って王子を追った。
「なんだお前か」
「水を飲むんじゃなかったのか」
城の屋上に出た王子は、ぼんやりと王都を見下ろしていた。
うんざりした顔で俺を見たのは、やはり俺が嫌いだからだろう。
「アクレイ王の言ったとおりか。まったく、どこまでも私に未熟を痛感させるお方だ」
「なんでそこでアクレイが出てくる」
「さっきの話をお前が聞けば、話を聞きに来るだろうと言われていた」
アクレイ、だから何でそんなことが分かる。
「言っておくが、さっきのはあの方の受け売りだぞ。去年、リスベルク様共々こっそりと提案されていたことだ。苦い顔だったが父も賛成してな、暖めていたのだが……我慢できずに言ってしまった」
「……何故、今になって?」
「統合計画の反対派が予想以上に多すぎたのだ。すんなり行かなかったことが響き、そして今回のことで自分を見失った。なんだアレは、思い出しても赤面ものだ」
「見失ったって、堂々としたもんだったじゃないか」
「あんなのはただ感情に任せての発言に過ぎん。共感し、有効性を認め、されどそこに持っていくだけの力が王家にはなかった。それが歯痒くて堪らん。本当は昼にリスベルク様が言うはずだったのだ。だが、私が場の空気に耐え切れずにやってしまった。これが未熟以外のなんだという」
自嘲するように哂い、王子は視線をまた王都に向ける。
「議会が荒れるのは良くあることだ。当然だ、皆が皆同じではない。様々な視点を持ち、願いを持ち、望む未来を持っている。それを調整し、纏めるのが王家の本来の役割でもある。ケーニスが独立派だったのもそうだ。アレは統合には反対でなくても、遷都することだけは耐え切れなかったからであり、その想いを共有する者の意思をまとめようとしたからだ」
何故ならば、それが下に残ったエルフ族の拠り所の一つであったからだとルースは我がことのように語る。
「お前は、この場所に意味が無いと思うか?」
「分からん。戦略やらに疎いんでね」
「ここは最終拠点だったのだ。物資が集められ、糧食が集められ、多くの散っていった戦士たちが死守した要衝だ。モンスター・ラグーンの位置を思い出せ。遠いほどに安全なのだ。だから、ここを最後の拠り所として下のエルフ族たちは戦った」
森を駆け、夥しい数の魔物との戦いに明け暮れたと語る王子。
きっと、その頃の王都の様子さえまだ彼には思い出せるのだろう。
百も生きていない俺には分からないことだ。
だが、それがエルフ族であり長命種の宿命か。
膨大な過去が、積み重ねた年月が呪縛する。
保守派が多いというのもそこが起因するのかもな。
「思い出に縋っても意味はないかもしれん。だが、ここを守って死んだ同胞を思えばこそ、皆はそれを受け入れられん。私だって反対したい。だが、過去ではなく今が押しつぶされようとしている。それの方が耐えられんから苦汁を飲んだ。だからこそ、だな。会議で無為に時間が過ぎることが耐えられなかった。皆の不安を、吐き出させてやることができなかった。本当は分かっているはずなのにな」
「もう一つあるな。あんたは、リスベルクに発言の責任を押し付けることに耐えられなかったんだ」
予定を前倒しにしたのは、責任を自ら被るためか。
根本的な問題だ。
アレは有効であるように聞えはしたが、しないよりマシだという程度にしか王子も感じていないのだろう。
最善だが最終的な効果の程が疑わしい。
そんな案だ。
本当に皆が欲しいのは、確実なる勝利の方程式。
それが無いからこその、ある意味では苦肉の策だ。
その上でどこまでもリスベルクに義理立てしようとするその覚悟には感服するよ。
「あいつでなければ、エルフ族の未来を背負い込めないか」
「当然だ。あの方はそういう存在として望まれた果てに顕現しているんだぞ。だから他の誰にも代わりなど務められない。無意識レベルであの方に甘え、あの方を支えたいと願ってしまう。始祖の縛りだな。そしてそれを当然だと思ってしまうエルフ族の精神的な弱さが、あの方を苦しめ続ける。分かっていても、誰もがその役割を押し付けてしまうのだ」
未来永劫、楽にさせてやれない。
それを悔いるように、ルース王子は吐き捨てる。
「今回もそうだ。私が責任を取ればいいというだけの話ではない。あの方はエルフ族が滅ぶその時まで、アーティファクトとして我等が苦しむ様を最後まで見続けさせられるだろう。私は、それが分かっていても止められない自分自身が許せぬ」
今俺が感じているそれとは別種の無力感が、王子のため息と混じって風に溶ける。
「覚えておけ廃エルフ。私がお前に期待することなど何も無いし、お前がどう行動しようが知ったことではない。だが、あの方の信頼を裏切ることだけは決してするな。その時はエルフ族全てが、当たり前のようにお前に刃を向ける。それだけ教えておいてやる」
「……はぁ。なんでそこで最後に俺を槍玉に挙げるかね」
「アヴァロニアもお前も、あの方を苦しめている原因には変わらんということだ」
「苦しめた覚えはないんだが……」
「だが、心配はさせているだろう。俺の体を使う度、ヤキモキしているあの方の念が伝わってくる。正直、お前がエルフ族から白い目で見られるのは至極当然の報いだ。なんでこんなのが、という思いが今でも拭えん。身の振り方ぐらいは自分で考えろ。私にはお前に助言してやるような余裕も、案も何もないのだ」
「そうはっきり言われると身も蓋も無いな」
話は終わりらしい。
とっとと行け、とばかりに顎をしゃくるルース王子。
俺は渋い顔をしながらも、彼に向かって水の入った瓶を投げた。
「……あの妙な薬か」
「ただの水だ。精々会議までの間に喉を潤しておいてくれ」
「余計な気遣いを」
言いながら、それでもルース王子は水を飲んだ。
嫌いな奴の用意した水なのに、な。
素直じゃない奴だよ。
「身の振り方ぐらいは自分で考えろと言ったが、そのために俺ができることの中でエルフ族のためになることを知りたい。誰に教わればいい」
「何故私に聞く」
「シュレイクの次期国王陛下なら、そういう人材ぐらい覚えているだろ」
「ちっ」
心底嫌そうな舌打ち。
だが、彼は答えてくれた。
「誰でも良いならアクレイ陛下にでも当たれ。シュレイクでなら……そうだな。ケーニスが良かろう。細かいことはあいつの方がよくやる。忙しいならクルルカでもいい。あいつなら暇を持余しているから、お前の相手ぐらいはするだろう――むっ?」
「……戦士団が帰ってきたのか?」
「いや、それにしては速すぎる」
城門が開かれ、その向こうから馬に乗った一団が入って来るのが見えた。
その最後尾には、エルフ族ではないものたちが居た。
「ドワーフ?」
「あの旗……ペルネグーレルからの使者だな。しかし、数が多いな」
時間的に考えれば昨日の今日だ。
同盟国として、無事を確認するために人を派遣してきたというわけではないだろう。となれば、だ。
「貿易関連の交渉か?」
「いや、連中とは旧くからの付き合いだ。いつもなら事前に書状ぐらいは送って来る」
訝しむ彼は、目を凝らして一団を見る。
すると、すぐに何かに気づいたように俺に振り返った。
「あの薬はまだ残っているか!?」
「あ、ああ」
「譲ってくれ! ドワーフの王が負傷なされているっ」
その時のルース王子の苦みばしった顔。
その意味を俺は読み違えていた。
それは知るのは、すぐだった。
下に到着した頃には、先により伝令から出迎えようとした城の者たちが顔を悔しげに歪めていた。
その中には、リスベルクも居た。
「アッシュ、薬を寄越せ!」
最上級のポーションを投げると、彼女が手づから包帯を撒いたドワーフの男に飲ませた。
「何があったんだ」
「落ち着いて聞け。アヴァロニアの軍がペルネグーレルの首都を落としたそうだ」
リスベルクの冷たい声が、無慈悲にもそう告げた。