第四十話「ファースト・インパクト」
「くそったれ。結局はまたお前かダロスティン!」
「ちょっと、いくら何でも全部が全部私のせいなわけないでしょ」
「信じられるかっ」
吐き捨て、棍棒を仕舞って左手にミョルニルを取る。
「エルフ族だけじゃ飽き足らず、今度は人間の少年まで誘拐かっ!」
「……あのねモロへイヤ。私はどっちでもイケル両刀だっつってんでしょうが! んな差別主義者と一緒にしないでよっ」
「余計に酷いわ!」
嫌がる連中に被害を出す時点で害を成すことには変わらない。
一言で斬って捨てるが、肩を竦めるダロスティンは俺には構わずに落ちていた棍棒とサーベル型のアーティファクトを拾い上げる。
「二人は無事よアリマーン」
「アリ……マーンだと?」
アリマーン。
アヴァロニアの王が持つ、最強と嘯かれているアーティファクト。
確かに、その少年は剣を佩いている。
しかし、まさか。
信じられず、俺はその剣を識別を試みる。
はたして、それは本当にアリマーンと言う名のアーティファクトであった。
「本物かよ」
「当然じゃない。彼の偽者がわんさか居たら、もう世界は地獄を通り越して平和になってるわよ」
言いながら、ダロスティンは拾い上げた武器を少年に投げた。
それを両手で掴むと、少年はすぐに俺を見た。
「ふむ。ジドゥルとアエシュマは二人合わせれば確実にグレッグよりも戦闘能力は上のはずだが、それさえも上回るか。さすがは回帰した神ということだな」
黒い瞳が、静かに俺を見つめる。
その暗黒のような眼は疑いようの無いほどに余裕があった。
間違いない。
こいつは、俺を脅威だとさえ思っちゃいない。
今までの神宿りとはまったく違う態度。
そもそも、まるで警戒さえしていないのだ。
同時に俺の体が、今まで感じたことのないレベルの寒気に襲われていた。
神宿り特有のプレッシャーはまだ感じない。
その代わり、意識した途端に感じるこの圧迫感はなんだ。
気を抜けば、その無形の圧力に膝を突いてしまいそうだ。
だが、だが、だが――俺の体は、言い知れぬ恐怖を拒絶した。
右手に握るレヴァンテインが刀身に炎を宿し、左手に新たに取り出したミョルニルが雷光を纏う。
「それで、アヴァロニアの奴が何をしに来たんだよ」
「我が新しき宿敵の顔を見るために。そして、五人目に最も近い者を探しにだな」
「五人目だと?」
「リスベルクのことよ。もっとも、貴方の妙な力のせいでの変則的な復活だって分かったから、五人目にさえなれないみたいだけど」
「……そんなに、そんなにリスベルクが怖いのかお前たちは」
「まさか」
少年は否定する。
その眼は瞬き、理解できない問いを聞いたかのような疑問顔になる。
「その結論に至った理由には興味があるが、別段余はハイエルフに恐れなど感じない。勿論、今のお前もだぞ。アラハッシュ・モロヘイヤ」
フッ、と流し目をと共に前髪が優雅にかきあげられる。
中々に様になっているが、モロへイヤとか野菜の名を呼びながらだと妙な笑いがこみ上げてくるから困るぜ。
「強がっているわけじゃ、なさそうだな」
「当然であろう。今存在する全ての神宿りが束になって掛かってきても余は倒せん」
「そいつはまた大きく出たな」
「何せ、余が一人目の回帰神だ。年季が違うぞ四人目」
つまり、俺と同じラグーンズ・ウォー以降に帰ってきた神……なのか?
だが腑に落ちない。
「だったら、何故宿主を使う。自分の体があるだろう。貧弱な器に拘る意味はなんだ」
奴の体は人間、アスタムという名のレベル99の少年だ。
念神の体と比べれば、当然弱いはずだ。
その体では全力など行使できまい。
「……貧弱? 今、貧弱と言ったかお前は」
「ちょ、ちょっとモロヘイヤ。あんた、今のマジで言ったの?」
「……マジだったらどうする」
「だとしたら貴方、相当な欠陥持ちよ。彼の器は聖人なのよ? 確かに人間だけど、アレは規格外の力を振るえる寄り代……所謂救世主なの。力がちゃんと感じ取れるなら絶対にそんなこと口が裂けても言えないわよ」
神の次は救世主かよ。
さすがファンタジーな世界だ。
俺の理解など超越して余りある。
「とんだ欠陥神だな。妙な力などこの際どうでもいい。これでは無知を通り越して愚かだ。見ろダロスティン、あの間抜けそうな面を。こいつは自分の力さえ満足に制御できないに違いないぞ」
「あのねモロへイヤ。ただでさえ回帰したってだけでアリマーンは莫大な想念を取り戻してるのに、その上でその力を余す事無く振るえる器を手に入れたってことなのよこれは」
「……そのままで十全に神の力を振るえるわけか」
「その認識でもいいけど、彼の器は私たち念神の助けがなくても素質次第では単体で念神に匹敵すると言えば、想像ぐらいできるかしら。これは考えられる限りで言えば最悪の組み合わせなのよ」
それは、それはさすがにありえないだろう。
ただの人間が、どうやってそんな領域の力を手に入れられるっていうんだ。
「ダロスティン、一々講釈してやる必要は無い。興が殺がれたから帰るぞ」
「もう帰っちゃうの? ここでモロヘイヤを潰しちゃえばこの森を守れる奴が居なくなっちゃうのに」
「構わん。こいつは魔将でも何れ容易に潰せるようになる程度の雑魚神だ。それまでは、エルフ共の偽りの希望にでもしておけば良い。ジドゥルとアエシュマも、この屈辱を思い更に励むだろう。余は部下の雪辱を晴らす機会を奪うするほど狭量ではないのだ」
「……まさか、六魔将たちにも回帰の兆しがあるって言うの?」
「当然だろう。奴らは余の配下だぞ」
「なんてこと、既にそんなところまで世界の再生が――」
その言葉に、目に見えてダロスティンが狼狽した。
まるで、何かを恐れるかのような顔で頭を振るう彼は、そうして平静を保とうとしている。
そしてその衝撃は、当然のように俺にも伝染していた。
完全に事情など分からずとも、理解したことはある。
回帰。
その言葉が指し示す事実は重い。
俺は俺と同じ奴を相手にしたことはまだ無い。
きっと六魔将というからには六人は居るに違いない。
ならば魔将が復活しただけでエルフ族は六対一に追い込まれる。
数の上では完全に不利だ。
あわよくばリスベルクが復活したとしても六対二。
それにアリマーンまで加わったら、どちらにせよ不利なことは変わらない。
更に連中には大国としての強大な軍事力さえ有していると聞く。
だとすれば、今ここで俺にできることは一つしかない。
――ここで、アリマーンの首を取る。
他の魔将とやらが復活してしまえば多勢に無勢。
しかし今はどうだ。
奴はここに一人しかいない。
インベントリにさえ格納してしまえば、二度とこの世界には現れられまい。
これは、もう二度とないかもしれないチャンスだ。
ダロスティンは奴を恐れているようだ。
だったら、ここで俺の邪魔はしないだろう。
「……」
アリマーンは狼狽するダロスティンの顔を楽しそうに眺めている。
その間に俺は、右手のレヴァンテインを仕舞いグングニルを取り出した。
俺は、俺自身の戦闘技術をあまり信じてはいない。
であれば、頼れるのはやはりゲーム補正か。
その中でもグングニルは、防御力を無視するスキルが備わっている。
相手がどれだけの力を持とうと、人間の少年の体が基本ならば防御させれば勝ち目はある。
一撃だ。
たった一撃、この槍を胸に突き刺すことさえできれば勝負は着く。
それは、俺にとってとても甘美な誘惑だった。
ゲートタワーの戦士たちや、アヴァロニアによって被害を受けたエルフ族。
彼らの無念さえ晴らせ、まだ生き残っているエルフ族の未来まで切り開けるかもしれない名案にも思えていた。
だから――拙速にも決断した。
静かにただ左手を引き、体を捻り、スキルを行使するための最後の言語を口にする。
「馬鹿、止めなさいモロヘイヤ!」
「雷神の鉄槌――」
ダロスティンの制止の声を振りきり、俺の左手から投擲された槌が途方も無い力で飛翔した。
雷光交じりの投擲を、しかし最後まで見届ける暇など俺にはない。
投げ放った勢いを利用し、今度は右に体を捻るや否や間髪入れずに槍を投げる。
「必貫の大神槍っっ――」
必中投擲スキルの二連撃。
だが、それだけでは安心できないとばかりに、俺は自然と前に出た。
床を蹴り砕くような加速。
今できる最大の力で、レヴァンテインを抜きながら突貫する。
「哀れだな」
黒い瞳の主は、そのまま無造作に手にしていた棍棒でミョルニルを弾き飛ばす。
ノックバック効果が、無い。
ミョルニルは、まるで光が鏡に反射するが如く勢いを殺さずに壁を破って飛んでいく。
その事実がもたらす情報はしかし、既に動き出した俺を止められない。
続くグングニルの一撃は、ただ静かにサーベルによって弾き飛ばされ天井に突き刺さって止まる。
ああやはり、そしてならば。
スキルでダメなら最後に残るのはリミットオーバーのレベルが生み出す力のみ。
この状況では、これ以上はない。
恐怖を押し殺し、ショートカットで取り出したレヴァンテインを大上段から振り下ろす。
硬質の音と共に、燃え盛る刀身からの熱波が周囲を焼いた。
苛烈にも業火を抱くその一撃はしかし、冷めた目の主に阻まれる。
「ば、化け物めっ……」
害を成すはずの渾身の一撃は、呆気ないほど簡単に振り上げた右足で止められていた。その足は信じられないほどに澄んだ白光を纏い、レヴァンテインの一撃を靴底で受け止めている。
それは、ただの靴だ。
少しばかり華美ではあったが、アーティファクトでもなんでもない、正真正銘ただの靴だ。
信じられずに鑑定したから分かる。
しかし、だからこそ余計に――
「眼を引く程に良い品だろう。ドワーフの男が余のために丹精込めて設えてくれた一品でな。やはりこうした見てくれも上に立つ者には必要なのだよ。下らん見栄という奴だな」
――信じられない。
「あ、ああ……うぁぁぁぁ!」
剣を振るう。
恐怖を押し殺し、絶望を振り払うべくレヴァンテインを叩きつける。
しかし、その度に俺は一欠けらの安堵さえ手に入れることができなかった。
清廉なる光に、斬撃の全てが阻まれる。
頭、首、胸部、腕、足。
ありとあらゆる部位に渾身の力で切り込むが、まったく刃が通らない。
「このマントは余に忠誠を誓ったエルフが献上したものでな。特殊な製法らしく、中々に肌触りが良いのだ。この服は人間だな。この金糸の刺繍が特にセンスがある。そうは思わないか、貴公は」
白く澄んだ光りの膜に覆われた奴は、その度に俺に自慢するように話す。
あまりの不気味さに耐え切れなくなった俺は、剣から右手を離しグングニルを手元に戻すと至近距離から叩き込む。
タンク泣かせの防御無視。
その一撃に、微かな希望を託したのだ。
だが、それでも。
「何故だ。何故、貫けないんだよっ……」
防御無視の効果が発揮されない
奴を覆う、光の膜を貫けない。
ゲーム補正が、俺だけが持つ唯一のアドバンテージさえもが通じない。
「所持する想念の差は歴然だ。その槍が如何なる奇跡を発現しようと、それを上回る奇跡の力には刃も立たんよ」
「奇跡……だと」
「救世主の力の総称よ。想念の力によって顕現する人造の奇跡。貴方、その器にさえ届かない程度の力しか持ってないのよ。というか、全盛期の私にさえ劣るんだけどね」
「念神としては最下級だな。戦闘特化ではないにしても、この程度では話にならんよ」
「嘘だっ!!」
「本当よ。だからこその結果でしょ。そりゃあね、神宿り程度なら圧倒できるかもしれないわ。でもそれ以上はさすがにねぇ。元々、ハイエルフは始祖の側面が強すぎるし、神としての共通幻想だって、別に力が重視されてるわけじゃないんだもの。廃エルフだかなんだか知らないけど、だから――」
「そう、だから――」
少年の顔が、更なる哀れみに彩られる。
憐憫と、同情と、嘲りが確かに同居した顔が、冷たく俺の脳髄に現実を叩んでくる。
「力量差さえ感じ取れぬ程度のお前では、永劫に余に勝てんよ。初めから格が違いすぎるのだ。欠陥神モロヘイヤ――」
その絶望的な事実の宣告と共に、無造作な蹴りが俺の腹を襲った。
ガードする余裕さえないほどの、圧倒的な速度。
俺は、その戯れのような一撃にさえ抗えなかった。
触れた部位から眩い閃光が拡散したかと思えば、白光が視界を焼き尽くす。
瞬間、脳裏に浮かんでいるHPゲージが、減少という工程さえ観測できずにいきなり消え失せたことによって、呆気なく意識を失った。
「――ふむ? 手加減したつもりだが死んだな。玩具にさえならんとは脆すぎる」
「手加減って、いやしてるんでしょうけどね。私だって死ぬわよアレ」
顔を引き攣らせたまま、尻尾を縮こませたダロスティンは、つい先ほどまでアッシュが存在していた場所を眺めた。
正に一撃だった。
奇跡の力が込められた、無造作な蹴りの威力に耐え切れず、構成魔力さえ維持できずに跡形もなく掻き消えた。後ろに吹き飛ぶよりも先に消し飛んだところに、その戯れの一撃の破壊力が窺える。
「でも、本当に彼は意味不明だわね」
「余もさすがにこればかりは理解できん。一体、どんな共通幻想に支えられているのだろうな」
何故かアッシュの居た場所に、金貨らしきモノが大量に現れていた。
床を埋め尽くすのではないかというほどの馬鹿げた量には、二人ともが不可解を感じるしかない。
軽く手にとって確認したダロスティンは、その見たことも無い絵柄を見て首を傾げた。
「どこの金貨よこれ」
「少なくともエルフ共の通貨ではないな」
「殺したら金貨が残る神って……何よ」
「知らんよ。だが財政面では有用だ。殺し続ければ国庫が潤う。見かけたらその都度抹殺することにするのもいいかもしれんな」
冗談のようなことを真顔で言い、アリマーンは唯一の生存者に視線を向ける。
シュレイクの第一王女ケーニスは、まだ眠りについたままなのかピクリとも動かない。
攫うも殺すも自由な状況の中で、すぐに彼は視線を逸らした。
起きていたとしても、もはや興味さえないのだ。
「五人目を確認するついでだったが、やはり脅威にさえならんな」
たったそれだけの好奇心のために、アリマーンは今回の作戦を行った。
勿論、威力偵察の意味はあった。
けれど、実際はただの戯れにも等しいことをダロスティンは知っている。
「エルフ共は危機感が足りん。悠久の時間に研磨されているかとも思っていたが、これならうちのハーフエルフ共で十分に落とせる。邪魔臭い念神モドキの森さえ焼き払えば、人間たちでさえ対処できるだろう。やはり、エルフ族は脅威にさえならんな」
「ディリッドも居なかったしねぇ」
「はぐれ魔女か。アレも別段脅威ではないがな」
「力だけならね」
「その心配は不要だ。ロウリーは他の神と同じで魔導をみだりに教えたりはしない」
アーティファクトを使わなければ魔法は使えない。
その制約を課すのは、結局は求心力を維持するための生存戦略でしかない。
だから、アーティファクト抜きの強力な戦力というのは育たないし神自身が育てさせない。
けれど神魔からすればそれでいいのだ。
弱いからこそ縋る。
力に魅せられ渇望し、神を信仰して与えられる力に酔いしれ、想念を生み出し続ける。
その素晴らしき合理的な世界は、ある種基本的な自然界のルールを遵守していた。
より強い者たちこそが弱者を蹂躙することを許されるという不文律だ。
その単純明快で不動なルールが変わらぬならば、彼はそれで良かった。
善でもなく悪でもなく、ただの力の多寡による蹂躙ならば、それはただの摂理と呼ばれる現象に過ぎないからだ。
善は希望。
単純で無慈悲な世界の真理を覆い隠す、オブラートにも似た発明。
だが、そんなものは元来存在しないはずの価値観でしかないのだ。
それは悪であっても同じこと。
善悪二元の狭間を打破し、ただの摂理として真理を世に曝け出す。
宿主アスタムの願いと同期するそれが、悪神にはただただ心地よい。
「生粋の魔女や魔法使い共はもう表には出て来ないだろう。研鑽した知恵を弱い者どもに吸い上げられるだけなど耐えられんだろうし、奴らを狩りたてた教会の犬どもに義理立てするほど耄碌してもいまい」
「で、後はただ時間をかけていくだけか。詰んだわね。この大陸も、そして世界も」
アリマーンが直接出なくてもこの状況だ。
もはや時代の趨勢は決まっている。
それに風穴を開けるには、並大抵の方法では不可能。
そして、一時的に戦局を有利に出来ても彼が出ればそこまでだ。
今回のことでダロスティンは一つの確信を得た。
(まともな方法じゃあ、アリマーンはやれないわね。現在最強の神に、ただ生まれたばかりの神をぶつけるだけでは無意味。そもそも殺しきれないから、神同士ではなく信仰を支える方面から手を打つしかない。その確信だけが今回の収穫かしら)
分かりきったことではあるが、あまりにも一方的に過ぎる結果は彼の予想範囲を超えている。それが分かっただけでもまだ、今回の件に彼なりの意味があった。
「この先、恐らくはクルスと一時的に休戦協定が結ばれる。が、それも期間限定だ。どうせ十年も持つまい。リストル教、負け犬共の残党にアフラーのアメシャル・スペンタ。何か予測不可能なことでも起きなければ、愚か者共がクルスにそれ以上の停滞を許すまい。そしてその時こそ、中央四国と東部四国が陥落し、アヴァロニアがこのユグレンジ大陸を支配する兆しとなるだろう」
何の障害ももはやない。
今の盤面を見渡したとき、何ら自身の読みを狂わすような存在を見つけられない。
油断しているというわけでもなく、彼はただただそれが事実だと心の底から認識していた。それは、ダロスティンも同じだった。
「ユグレンジ大陸を、そしてそれが終れば次の大陸を。くくっ。百年以内だ。百年以内に余のアヴァロニアは世界を取るぞ。その頃には、エルフなどただの珍獣に成り下がっているだろう。精々足掻けリスベルク、そしてモロヘイヤ。お前たちに託される希望の想念が尽きぬ前に――」
マントを翻し、アリマーンはダロスティンと共に金貨ごと転移した。
「……十年。それが、エルフ族に残された猶予だというのか」
静寂に戻る部屋の中、一人残されたケーニスは寝たふりを止めて呟いた。
その顔には苦渋と、そして絶望だけが刻まれていた。
「ぐっ――」
背中に感じる落下の衝撃と共に、俺はうめき声を上げた。
そこがどこだかは知らない。
ただ、そうただ、致命的なものを喪失したことだけは理解した。
ゲーム通貨ではない。
死に戻りによるデスペナルティによる一時的なステータスの低下でもない。
俺が失ったのはきっと、もっと大切な何かだった。
「くそったれ。一撃死だと……」
どうやら、木造の家屋の中に落ちたようだった。
天井はどこか見覚えがあり、知っているような気がした。
同時に、死んでもクロナグラから消失することさえできないという現実を俺は知った。
ログアウト不可能なのは相変わらずだが、死ぬことさえ許されないのか。
ゲームでならただの死に戻り。
けれど、現実でそれが成されたらそれはもう、世界という牢獄に閉じ込められることど同義だろう。
その薄ら寒い事実が、あまりにも俺が知っている現実とは違いすぎて、頭が変になりそうだった。
「こうしちゃいられない。だが……」
起き上がる気力を失っていた。
一撃死それ自体は、ゲーム時代に体験しなかったでもない。
例えば即死攻撃系スキルというのがある。
低確率で問答無用に殺害する凶悪なスキルだ。
それらは確実に成功するものではないから、装備で対策さえ施せばどうにでもなった。
けれど、アリマーンのアレはただのダメージだ。
確率など関係なく、当たればHPを奪うただの純粋な攻撃だ。
ガチで殴りあうスタイルの俺では、防げない時点で歯が立たない。
それどころか、グングニルの防御無視効果が無効化された。
その事実の方が苦しい。
――ダメージを与えられない敵は倒せない。
ゲームでも現実でも同じだ。
それができないのであれば、勝負にさえならない。
その上で俺のゲーム補正がアドバンテージにならないとなれば、いったいどうすれば良いというんだろう。
「レベルを上げるしかないのか」
既存の制限を振りきり、カウンターオーバーを可能とする今の状態を逆手に取って天井知らずにレベルを上げ続ければ、いつかは対抗できるのだろうか?
そんな単純なことで、本当にどうにかなるのかよ。
分からない。
自問自答するも、明確な答えが出ない。
少なくとも分かっていることは、今の俺ではアリマーンに絶対に勝てないということ。
そして、俺は純粋な神にさえも、きっと今の段階では勝てないということだ。
全盛期のダロスティンにさえ劣るというのだ。
もしかしたら俺は、復活したリスベルクにさえ勝てない程度の雑魚神なのかもしれない。
調子に乗っていたのだろうか?
偶々、神宿りよりも強くなれたから、自分よりも弱いだけの奴を倒して、ありもしない自信を得てきただけなのか。
だとしたらあまりにも――
「――滑稽だな」
踏みとどまれなかったのは、数の不利を考えたからだ。
まったく微塵も歯が立たないなんて、そんなことはあの時これっぽっちも浮かばなかった。神宿りの延長で考えていたのだ。
それは間違いなく傲慢な考えだというのに。
痛みなど感じる暇さえなく死んだというのに、妙に蹴られた胸が痛む。
「そういえば、昔にもこんなことがあったっけな」
俺は廃人でもなければ廃神でもない。
サービス開始から始めているため、無限転生オンラインのプレイ時間は多い方だったが、ただそれだけのプレイヤーだ。
何時間、何百時間をつぎ込もうとも本物の廃ゲーマーに勝てたことは一度も無い。
だからこそ、彼らはいつからか廃人ならぬ廃神とまで呼ばれて奉られていた。
俺は結局、その領域には立てずに自分より熱心ではない者や仲間内で「この廃人め!」などと冗談半分で言われていた程度の平凡なプレイヤーに過ぎない。
そんな程度の奴だったのだ。
なのに、どうして、いつから俺は勘違いしたんだろう。
ナターシャの時もそう。
リスベルクの時もそう。
寄りかかられるほどの価値のある男でさえない。
そんな俺が、唯一連中と張り合える力なんて一体何があ――。
――本当に、何も無いのだろうか?
チラリと掠めた疑問の答えは、必然的にレヴァンテインさんに行き着いた。
「ダメだ。それだけは、やっちゃダメなんだ」
たった一つだけ、俺でも出来ることがある。
脳裏を掠めたそれだけは、きっとしてはならない禁忌だろう。
だから、それ以外の方法を手に入れなければならない。
「そうだ、リスベルクはどうなった」
俺が死んだということは、必然的に彼女も元のアーティファクト姿に戻ったということだ。
「馬鹿野郎。戦闘中だったら致命的じゃないか!」
あいつは、アーティファクトに戻ったら手も足も出なくなる。
アヴァロニアに持っていかれてしまう。
立ち上がり、いつもの服に変更。
すぐさま家屋の外へと飛び出す。
どおりで見覚えがあるはずだった。
そこは、俺が初めて現れた家だったのだ。
丁度管理しているだろう巫女さんが、井戸水を汲んだ桶を手に家から出た俺を見て驚いている。
「アッシュ様……ですか? 一体何故ここに……」
「すまない、急いでいるんだ」
説明する時間さえ惜しんだ俺は、もう一度ラグーンから飛び降りるべく集落の外に向かって走った。
勝てないなら、せめてエルフ族の希望だけは守らなければ。
消えるなら、はぐれの俺だけでいい。
欠陥品の俺だけで。
なんとか昼前には飛び降りることができたが、おかげで城までは届かなかった。
仕方ないが、それでも森を突っ切るよりは断然速い。
嫌に騒がしい王都を走りぬけ、蛇行した山の斜面を駆け上がる。
エルフ族の民もまた、異常には気づいているのだろう。
不自然な喧騒と、何やらすすり泣く声がある。
王城に勤めていた者の家族だろうか。
暗い現実がのしかかる中、当たり前のように無力を感じた心がやけに軋む。
そうして、城にたどり着いた俺は門番に頼み込みルース王子とラルクへと繋いでもらう。
「アッシュ、無事だったか!」
やってきたのはラルクだった。
「すまん、リスベルクはどうなった? それに敵はどうした。引いたのか?」
「敵は撤退した。リスベルク様は敵を追撃中にいきなり目の前で消えてしまったぞ」
「消えた? 剣に戻ったんじゃないのか?」
「いや、消えたぞ」
となれば、インベントリか。
くそっ、それがゲーム時代の仕様だったな。
ツクモライズのせいで、俺の所持物品扱いになっていたんだろう。
俺が死んだから、インベントリに回収されたんだ。
「あった。悪い、俺のところに帰ってきてたみたいだ」
取り出し、目の前で擬人化する。
「ええい、何がどうなった!? いきなりアーティファクトに戻されたかと思ったら、真っ暗闇の中に閉じ込められたぞ!」
「悪い。俺が死んでたからだ」
「……死んだ? 馬鹿な、貴様がか!?」
「詳しい話をしよう。どこか、人目の無いところがいい」
「ならルース王子の所がいいだろう。リスベルク様の安否も知らせねばならないからな」
ラルクの提案に頷き、俺達は城に向かった。
やはりというべきか。
王子だけの耳に止めるべき話ではもはやない。俺達だけではなく生き残りの王族や、重鎮たちを集めた会議室の中で緊急会議が行われた。
そんな中、情報交換をした俺たちは険しい顔をするしかなかった。
「ケーニスが言う通りか。本当に、アリマーンがここに来たというのか……」
「今の俺じゃあ歯が立ちそうに無い」
ルース王子が唸るが、険しい顔をするのは彼だけではない。
「オレにはお前が一撃で蹴り殺されたという方が信じられんぞ」
「本当のことだ。気をつけろ、あいつは洒落にならん」
疑うラルクに釘を刺し、今度は逆にリスベルクたちの話を聞いた。
「それで、そっちはどうだ? 侵入経路とか色々、分かったのか?」
「この城には秘密の脱出路があってな。それらはライクル山の採石用の古い坑道に繋がっている。それは山の北側へと出る逃げ道なんだが、王の寝室からも繋がっていた」
それがケーニス姫から洩れていたのか。
「連中、撤退用に船まで用意していたぞ。オレは中の様子を知らなかったから追いつくのに手間取ってしまった。追いついた時にはもう、アーティファクトを船に投げつけ器を放置して川を下っている所だった」
「奴ら、海に逃げたわけか」
「ヴェネッティーとの海路も持ってるからな。海を渡る術を利用すれば長期航海も可能だろう。いや、この場合はリスバイフ方面からかもしれんが、ルートはそれだけではあるまい。小分けにして陸路から侵入した可能性も否定できん。何せこの森は広すぎるからな」
リスベルクがフンッとばかりに吐息を漏らすと、すぐさまケーニスが謝罪した。
「申し訳ありません。アーティファクトに操られたとはいえ、とんでもないことを……」
「ケーニスのせいではない。アーティファクトの力に抗える者など早々にいないさ。よほど抵抗力を持つ者か、同じ神でなければ不可能だ。偶々お前だっただけに過ぎん」
慰めるように優しくは言わず、ただ淡々と事実だけを告げてフォローする。
その振る舞いは、それ以上外野も口を出すなという意思表示だろうか。
苦々しい顔をしている重鎮も居たが、それを潰す意味でもリスベルクは言う。
「そもそも、悪いのは攻めてきた馬鹿共だ。犠牲者の貴様を詰っても何も事態は好転しないのだから、いつものようにしっかりと仕事に励めばそれでいい。私は敵を間違えん。ここに居る皆もそうだ。下らんことを言う奴が居たらつれて来い。直々に張り倒してやる」
「は、はい……」
「うむ。しかし頭が痛いな。十年……つまりアレか。それまでに降伏しろと、そういうこと悪神めが!」
テーブルに叩きつけられた細腕が、容赦なくテーブルを割った。
そのけたたましい音を合図に、室内にいたエルフたちが震え上がる。
それぐらい、リスベルクは怒りを露にしていた。
「その悪神っていうのはなんだ」
「アリマーンのことだ。奴はゾロス教とかいう人間どもの古い宗教から生まれた、太古の神を原型とする念神なのだ」
調べていた、ということだろうか。
ルース王子が苦々しい顔で補足する。
「今は宿主の王の名を取り、アスタム教と言う国教になっている。元は善の神を崇拝し、悪神や悪魔の誘惑と戦う善悪二元論を母体としていた。本来であれば、最後には絶対に善神に勝てない運命を背負わされた最強の敗者のはずだった」
「はずだった?」
「奴はなアッシュ。ラグーンズ・ウォーの後、善神に勝ってしまったのだ」
「それが問題なのか? 結局は強い奴が勝つってだけの話だろう」
それが道理だろうに、リスベルクは頭を振るう。
「馬鹿者。我々神は共通幻想に基本的には存在が縛られるのだ。だというのに、最後には善に勝てないという運命から逸脱できるということは、奴に対抗するための最強の手札の消失を意味することになる。そんな単純な話にされては困るのだ」
つまり、絶対的な弱点を克服したということか。
善には勝てないというルールの粉砕。
それは、ただの力の多寡だけが結果を決定する要素になるように摩り替えられたとも取れる。
悪者が正義の味方に負けなければならない。
その予定調和を、崩す。
するとどうなる?
善性の根本が揺らぐ。
例えば法か。
アレは普通に日常を送るために常識と良識で作り上げられた社会のしがらみだ。
それは、言ってしまえばただの指標であり規範。
それを逸脱するものは社会的悪であり、淘汰されうるべきなのである。
そう定義することで、社会に生きるものたちは安心して暮らすことができるのだ。
ならばこれを壊し、強い者なら何でも許されるなどということにしたらどうなるか。
理性的正義が正義ではなくなり、法は獣の正義に成り下がる。
すなわち、食うか食われるか。
強い者だけが正義の弱肉強食の世界の到来。
そんなものは正義ではない。ただの摂理だ。
そうか。
だからなのだ。
力の多寡なら善悪は関係ない。
だから、最も奴が恐るべき正義執行のルールが発動し得ない。
何者も奴を罰することが出来ないことをこそ、リスベルクは恐れているのだ。
「奴は示してしまった。悪が善に勝るということを信者にな。これにより想念は確実に歪み上書きされ、信仰者たちの価値観をも変革させただろう。そればかりか、奴は二元論を克服して絶対強者、唯一神となるためにアスタム教の教義を自らの手で新たに編纂した。自分の都合の良いようにだ。これにより奴はまた変化した。悪の神から、人間のための神に。人間を選ばれた人種にして庇護する神に。こうなれば人間は奴を手放せん。何せ、怒らせなければ、好きなだけ甘い汁を吸わせてくれるお優しい神にさえなるのだからな」
厳しく叱り付けるのではなく、甘やかす。
つまりは、堕落を認めてくれるということか。
どちらが居心地が良いかという問題だ。
ガミガミと叱り付けてくる教師より、なぁなぁで済ませてくれる教師のほうが人気があるのと同じなのだろう。
結局はバランスの問題だが、それでも片方が欠けたらもうバランスも糞もない。
楽なほうに流されたいと思うのは至極普通だ。
皆が高潔に生きるなんて不可能。
それは日々のニュースによって地球でも証明されていることだ。
悪の絶えた日など無い。
「……アスタム教の教義は単純明快だ。強い奴が正しい。負けた奴は愚者。そしてその頂点に立つ最も強き神が擁護するのは人間。だから、人間は優遇されて然るべき種族。この教義の最大のポイントは、アスタム教に敗北した全てを自らの下位存在であると定義してしまうことだ。つまり奴に負けた神は、下位の神としての弱体的想念を押し付けられかねんわけだが……どうだ。何か貴様自身の体に変化はあるか?」
「特に無いけどな」
デスペナはあったが、それはゲーム時代と変わらない。
一時間で消える程度のものしかないので、もう低下したステータスは元に戻っている。
「ならば、例えばお前の武器が失われたとかそんなことはないのか?」
「……ないな」
武器娘さんたちに欠けはない。
メニューを軽く確認するが、やはりめぼしい変化はない。
強いて言えば金が半減しているが、ゲーム通貨なんざどうでもいい。
「であれば、お前を支える想念が減ったやもしれんな」
「減ると、やっぱり俺は消えるのか」
「当然だ。お前の敗北や死は信仰者を疑わせ想念を薄める。だから気をつけろ。死にすぎると復活できずに消滅することになる。信仰から生まれる想念こそが私たち神の命綱だ。それから逃れるならもう、常時アーティファクトに身をやつすより他にない」
「……」
「そしてそれは、私にも当てはまる不変の真理だ。今この状態で死んだらどうなるかは分からんが、少なくとも神宿り状態になり、使い手と繋がった状態で殺されれば私という存在も連鎖的に消滅する。神として回帰していない今、死ねば復活などできるはずもないからな。だからラルクよ。死にかけた時は神宿りを解け。ジンに死なれては困る」
「……肝に銘じておきます」
「うむ、頼むぞ」
「しかし、ではこれからどうします」
会議に参加していた一人のエルフから、質問が飛ぶ。
「降伏などせん。まずは森中から希望者を募り、エルフ・ラグーンへと避難させる。最悪、下のゲートを二度と使えないように完膚なきまでに破壊すればいい。残りは、ギリギリまでゲートの死守か、或いは……」
現状で取るべき手を模索しながら、エルフたちの視線を彼女は一人で受け止める。
その内心にある危機感は、一体どれほどのものなのだろうか。
想像さえできない重みを受けてなお、彼女は気丈に振舞っている。
俺は、なんだか無性に自分が情けなかった。
盟約さえ守れていないんだ。
リスベルクは今、孤独だ。
皆が最後の希望とばかりに彼女に縋り、未来をその背に託している。
孤独に戦っているというのに、俺は何一つ手助けができない。
俺にできることは、戦うことぐらいだった。
それが、アリマーンという一戦力のせいで、唯一と言って良いほどの手段を失った。
これがポッとでの欠陥神の現状だ。
きっと、奴はもう神宿りは送ってこないだろう。
今回で俺の戦力を見定め、エルフ族の底まで見た。
ならば、次に攻め込むときは六魔将とやらが復活した後になるはずだ。
紛糾する会議からそっと抜け出した俺は、慌しく走り回る戦士たちの邪魔にならないように静かな場所を探して歩いた。
酷く、惨めな気分だった。
生きていく上で失ってはならないものが二つある。
金ではない。
それは希望と自信だ。
希望を奪われればやる気を失い、自信を失えば挑戦することを躊躇する。
その先にあるのは停滞であり、現実からの逃避に他ならない。
或いはその状態を『鬱』とでも呼ぶべきなのかもしれない。
「おお、本当に居ったぞラル! さすがは我の専属護衛じゃ!」
「ジンが感知していただけだ」
屋上の上で大の字になっていた俺のところに、クルルカ姫がラルクと共にやってきた。
「なんだ、会議は終ったのか」
「紛糾しているところじゃ。遂には降伏論まで出てのう。呆れてラルクと逃げてきたところじゃ」
「……いいのかよお姫様」
シュレイクの国政に最初から関係が無い俺とは違い、クルルカは一応王家だろうに。
「良くはないな。内部分裂寸前じゃ」
「だからここにつれてきた。仮に何か起こっても、お前の側が一番安全だからな」
「そういうことか」
姫を土産に寝返る輩がでてきたらってことか。
さすがにこの期に及んでそんな馬鹿な話もないと思うが、ラルクは真面目な顔を崩さずに姫と一緒に座り込む。
「なぁアッシュ。エルフ族はこれから一体どうなってしまうのかのう」
「それを決めるのが会議だろ」
「アッシュはどうすれば良いと思うのじゃ?」
「そうだな。現実的に考えれば、各国と手を取り合う以外に道は無いと思うぞ」
少なくとも、エルフ族単体でアヴァロニアとやり合うなんて不可能だ。
なら味方を増やすしかない。
だが、それでもあの白の少年の顔が脳裏から離れない。
「後は、連中に対抗できるだけの神が必要だ。有象無象じゃ勝てない」
「アッシュみたいな?」
「いや、俺じゃあダメだ。欠陥のある俺じゃなく、もっとちゃんとした奴が必要なんだ」
「神に欠陥なぞあるのか」
「アリマーンが言いやがったんだ。俺は相手の力量さえ読めない欠陥神だってな」
できるだけ、顔色を変えずに言う。
だがそれをみて、ラルクが眉根を寄せた。
「……アッシュ、ジンを持ってみろ」
「会話なんてできないぞ」
「いいから試してみろ」
押し付けてくるので、渋々受け取る。
だがやはり、俺はジンから何も感じ取れない。
力も、そしてラルクが聞けるという声さえも。
「ダメだ、何も感じない」
ラルクに返すと、すぐに彼はジンからの言葉を代弁した。
「何らかの理由で同調そのものができないそうだ。リスベルク様なら、少なくとも声ぐらいは届けられるそうだが……何故だ? お前は精霊を呼べるだろうに」
「精霊モドキな。アレも俺の武器と同じで神モドキらしいぞ」
「神モドキ……か。お前ならばと思ったが、無理ならやはり、リスベルク様に任せるしかないのか」
「何をさせるんだ」
「あの方なら精霊との親和性は高い。だから、折を見て今の体でジンと神宿りを行う実験をさせろと、休憩中に仰られてな」
「神に神を宿すってことか……」
それができるなら、少しは戦えるか?
でもこれじゃあ、ますますリスベルクの負担が増してしまう。
「厳密に言えばジンは精霊だが、今の状態ならできるかもしれんとのことだ。昔は似たようなことを精霊魔法で行っていたらしいから、可能性はあるのだろう」
「そう……か。それでなんとかなればいいが……」
「いや、それが成功しても届かんとジンは言っている。相手は救世主と回帰した神。神宿り時の相乗効果は想像さえできないそうだ」
「そいつは絶望的だ」
「せめて、残りの精霊を見つけられれば数で誤魔化せるかもしれなんとは言っているが」
ジンは風らしいから、後は地・水・火辺りか。
「捜索の目処は?」
「あるわけが無い」
どうしようもないということか。
「他の覚醒した奴じゃだめか? 例えばディリッドのロウリーとか」
ロウリーが拒絶するなら、ディリッドにロウリーとジンを持たせればどうだろう。
「ダメだ。魔術神とジンは同じ幻想の派生存在ではない。最悪の場合は、力を無意味に対消滅させるだけで終る可能性が高い。実際、今日戦った奴らは仲間内でしか二重神宿りをしていない。きっと、それ以外では無理が生じるのだろう。元々、信仰とは対立するものだ。神もそれに引きずられる」
「だからリスベルク頼みだが、それも儚い希望ってことか」
しかし、それでも。
「あいつだったら必要なら無視してやるな。躊躇せずに、やるだろうな」
「そういうお方だ。だからこそエルフ族はあの方の下で最後には纏まれる」
きっと、詰め込めるだけラグーンに移住させて戦う意思がある奴は下に残す。
そうして、エルフ族の種を保存しつつ抗う道を模索し続けるだろう。
かつてあったというラグーズ・ウォーの時と同じ様に。
その最前線には自らが立つ気に違いない。
何故だろう。
その姿が簡単に想像できてしまうのは。
「……ったく、腐ってる暇さえないな」
俺は何ができるわけでもなく、あいつの孤独を癒してやることさえできない欠陥神だ。
そんな無力な奴の癖に、何かをする意思と行動力さえもなくなってしまえば一体俺に何が残るんだ。
自分で考えて腹が立つ。
どうせ妙案など今の俺にはないのだから、それまでは確実に力を高める方法を取らなくてどうするんだ。
「ラルク、ここから真西に進めばゲート・タワーにたどり着けるな?」
「そうだが……もう帰るのか? 方針が決まるまではここに滞在してもいいと思うが」
「時間の無駄だ。だから俺は、俺のレベルを上げるためにも一旦戻る」
「馬鹿な、神のお前にレベルなどあるわけがないだろう!」
「俺は欠陥神だぞ。だからあるんだよ。俺にはレベルホルダーと同じレベルがな」
立ち上がり、屋上から歩き去る。
「リスベルクに言っといてくれ。必要があれば呼べってな。多分、俺はナターシャが不老になっても篭り続けるが、あいつの大事には顔を出したい」
「了解したのじゃ」
こっくり頷く姫に背中越しに手を振ると、俺は階段を降りていく。
他に方法がないのなら、もはやレベルを積み上げるしか強くなる方法が無い。
あいつを見捨てて逃げ出すことだけはしたくない。
そうだ。
絶対に俺からは盟約を破ってはやらないぞリスベルク。
これは意地だ。
無力な俺の、ただの意地だ。
ともすれば震えが走りそうになる手を強引に握り締め、決意を噛み締めるように降りていった。
――が、しかしである。
「――おい。この忙しい時に、私に一言も言わずに去ろうとはどういうつもりだ」
城門を潜ろうとしたところで、怒気を隠さないリスベルクに捕まってしまった。
「……会議中じゃなかったのか」
「貴様が離れる気配を感じたから無理矢理休憩をねじ込んでやったわ。この私を走らせるとは貴様。本当にいいご身分だな」
「いや、俺はお前と違ってこの城でやることがないだろ。だから、一刻も早くレベル上げに戻ろうかとな」
「はぁ? レベル上げなどレベルホルダーがやることだろうが」
「だからだ。俺はレベルホルダーでもあるんだよ」
「……神の癖にか」
「ああ、神の癖にだ」
コートの裾を掴んだまま、リスベルクが呆けた用に口を開けた。
ラルクと似たような反応だ。
やはり、おかしいんだろうな。
新種の神というよりは、欠陥神だ。
やはり神の常識からさえ、俺ははぐれている異端存在なのだ。
「お前は本当に念神なのか? 今なら神の気配を持つだけのエルフだと言われても信じてしまいそうだぞ」
まぁ、神はレベルが無いみたいだしな。
「ということはなにか? 貴様はレベルが上がるとそれだけで強くなるのか」
「そうなるな。こう見えて、コツコツと強くなってるんだ」
「念神の力はモチーフになった共通幻想<モデル>の強さと、想念の総量で決まるのだが……何故だ? 何故そんな無駄に手間のかかる方法で強くなろうとする」
「他に方法が無いからだ」
大体、俺を信仰している奴なんて世界中にどれだけ居るんだよ。
そもそもどこの誰が俺の存在を祈っているんだって話だ。
俺は存在してからこっち、俺を信仰してますなんて言う奴に会ったことさえない。
第一、存在しても困るぞ廃エルフ教なんて。
なんだ、一日一回は必ず風呂に入らなければいけない教義でもあるのか?
「変な奴だ。いや、元から風呂に妙な情熱を持つエロフだったみたいだがしかし……」
何故か、不審者を見るような目でリスベルクは俺を見る。
「レベルというのはそもそも、アーティファクト状態で吸い切れなかった余剰エネルギーを担い手に分配して強化し、効率よく想念を集めるためのものだぞ? なのに取り込んだ想念で神自身のレベルを上げるなんてのは意味が――いや、待て。そもそも何故貴様に想念を取り込む力がある。そこがまずおかしいだろうが」
「神だからじゃないのか?」
「アレはアーティファクト化したときに後天的に得る技能だ。普通は何かを殺して、無理矢理神の実在を刷り込んだ上で、その想念を強引に吸収するなんて変則的な機能を持った神なぞ存在せん。そもそも効率が最悪で、邪道極まる手段なのだぞ」
邪道の上に効率まで悪いのか。
知らんかった。
その割にはレベルが上がるのが早いんだがな。
「初めからそういう力を持った奴ならともかく、ハイエルフモドキのお前だとよほどの数を殺さないと無意味だろう。まったく、妙だ妙だと思っていたが、根本的に貴様は神としても不可解だ。ええい、こうなったら私が直々に貴様を調査してやる!」
「うぇ!? ちょっ――」
結局、俺の決意は十分も立たずに妨害された。
他ならぬ、リスベルクの手で。
「ラルク、クルルカ! こいつが城を出て行かないように見張っていろ。会議が終り次第、私が対応する。いいな!」
「わ、わかったのじゃ」
戦々恐々とするクルルカの足元で、俺は連れ込まれた部屋の床に投げ捨てられていた。
何故、縄で全身が縛られているのかは謎だ。
「まったく、頭が痛い」
夜である。
ブツブツと呟きながら、カンテラを手にリスベルクが戻ってくる。
蓑虫状態であった俺は、クルルカ姫の情けによって救済され夕食を終えていた。
いい加減夜になったので、ラルクと姫は別の部屋へと移動している。
警備強化のために寝室の位置は変えられているらしいが、俺はよく知らない。
どうも、今夜の警備は心もとないらしい。
何せ戦士たちの被害が多すぎた。
熱中症と脱水症状でダウンしたモノも多く、直接戦闘で大怪我をおった者も少なくない。
一応、死に戻ったことで置いてきたウィスプが呼べるようになったので、召喚して怪我人の下に派遣させたが、それでもすぐに復帰できる者は圧倒的に少なかったそうだ。
派遣した戦士軍団に急ぎ伝令は出したようだが、方々の村や集落の確認もしなくてはならず、伝令の戦士たちは森の中を駆けずり回っているとか。
当分心もとないから、戻るまではリスベルクは俺をこき使う腹積もりらしい。
それにこれで終わりだと限らないと彼女は言うのだ。
「国王夫妻の国葬の手配にルースの戴冠式の準備。森の安全確認に戦士たちの増援手配に上下統合案件、そしてアヴァロニア対策に貴様の相手。体が一つでは到底足りんわっ!」
客室のベッドに飛び込んだリスベルクは、俺の眼を気にせずに転げまわる。
意外と可愛い側面もあるようだ。
ドレスが皺くちゃになるのも構わないその姿は、昼間の毅然とした態度とはまったく違うぜ。そういえばこいつ、元々はハイロリフだったか。そのせいか?
「ええい、アヴァロニアめアリマーンめ。許さん、絶対にほえ面かかせてやるぞ! 私の子供たちを傷つける奴は、どこの誰であっても全殺しだ。くくくっ。今に見ていろ。絶対にその思いあがりごと粉々にしてくれるわっ!」
そのまま枕をサンドバッグ代わりに暴れまわっている。
かなりストレスが溜まっているようだ。
これが俺だけに見せられる姿なら大歓迎だが、生憎とここに居るのは俺だけではない。
「私たちは居ないものと思ってください」
ケーニス姫と近衛戦士(女性)たちである。
ズラリと壁際に控え、リスベルクを護衛している。
ザッと見て、八人は居るな。
皆、リスベルクの可愛らしい姿を完全武装で見守っていた。
「できれば俺を別の部屋へ案内してくれ。なんだったら屋上でもいいし野宿でもいい」
「馬鹿者、貴様はここで私と同衾だ」
「――だそうですので諦めてください」
「……リスベルク。せめて、ケーニス姫は外せよ」
色々、今日はゆっくりと考えたいんじゃないかと思うんだが。
「お気遣いありがとうございます。ですが、働いていた方が気が紛れますので」
「そ、そうか」
エルフ族の女性は強いらしい。
いや、この世界の女性全てが強いのか?
ナターシャもそうだが、やはり過酷であれば過酷であるほど強くなければ生きていけないということか。
ラグーンズ・ウォー経験者でもあると聞くしな。
柔な精神はしていないのだろう。
「あんた、神宿り状態のことは覚えているのか?」
「いえ、それが記憶にないのです。大層迷惑をかけてしまったこと、心より謝罪します」
「あー、いや、操られていたんだからしょうがないさ」
そういえば、バラスカイエンのクロ姫もそうだったな。
問題は、俺が問答無用で負傷させたことなのだが、ポーションで傷は完治しているようだ。動きに辛さは見られない。
内心でホッとしながら、思いつきで全員を識別してみる。
「ふむ」
さすがに近衛の中にはハーフエルフはいないか。
「おいリスベルク。そういえば、はぐれとして侵入してきたっていうハーフエルフのチェックなんかも終ったのか?」
「うぐっ、それも残っていたな。今回の件で監視対象が動いたかも確認しなければ……」
枕に突っ伏したハイエルフ様は、しばらくするとグギギっとでも聞えそうな硬い動きで視線を向けてくる。
懇願である。
その何か悲痛な叫びが聞えてきそうなほどの無言の表情に、俺は負けた。
「……ハーフエルフかどうかは会えば分かる。怪しい奴は俺が居る間につれて来れば見極めるぞ」
「よし、ならばそう手配しよう」
一つの安堵と共に、ホッと表情を緩めるリスベルクは少しだけ肩の力を抜いた。
「随分と簡単に言うな。お前に実権はないんじゃなかったのか?」
「心配無用だ。私が強く言えば誰も逆らわん」
それはそれで問題のある発言だと思うが、近衛やケーニス姫は何も言わない。
否定する要素はないということか。
「それより少し付き合え」
ベッドから降りると、手近にあった棚を開き中から酒瓶とグラスを取り出してくる。
「酒だ」
「そういうことなら俺も出そうか」
酒類のアイテムがある。
食材の中には大手の会社ともコラボし、味覚を再現したモノも多くあった。
宣伝目的という奴だ。
当然、宣伝費用は運営会社の手に渡るし何よりもゲーム内なので未成年でも飲める。
中にはそれで禁酒する者も居たという。
「とりあえず定番だな」
ファンタジー世界で缶は著しく美観を損なう。
なので瓶が主流だ。ただしラベルは現物そのままである。
俺はインベントリから取り出したユウヒスーパードライを取り出し、コルクの蓋を開けてグラスに注ぐ。
少々イメージに合わないが、まぁいいか。
「なんだその泡は」
「喉越しを出す秘密兵器だ」
無くなれば二度と味わえないそれを掲げ、軽くグラスを合わせる。
乾杯の合図はない。
ただ合わせたそれらを、二人で呷る。
懐かしい味がした。
そういえば、久しぶりだったな。
地球の味を味わうのは。
「どうした、急に無言になるな」
「いや、余韻に浸っていた」
「ほう……よし、それを寄越せ。こっちのも味あわせてやる」
空のグラスを互いに差出し、片手で注ぐ。
そうして、この世界の酒を飲む。
「な、なんだこれは!?」
「安酒になるが、面白いだろ」
「ふ、ふん。このシュワシュワに驚いただけだ。ま、まぁ飲めないことはないな」
そういうと、リスベルクはにじり寄り小声で囁いてくる。
「眠り薬を出せ」
「……なんでだよ」
酔いが醒める一言だ。
「ケーニスに酒と偽って飲ませる」
「……了解」
何故俺が睡眠薬を持っていると判断したかは謎だが、インベントリから取り出して渡すと俺の肩に頭を預ける不利をしてグラスに注ぎ込む。
そうして、ビールをそれに入れるとケーニスを呼んだ。
「面白い味がするぞ。貴様も飲んでみろ」
「いえ、今は職務中ですので」
「一杯だけだ」
「しかし」
「いいからそこに座って飲め。私が許す」
「……はい」
押しに負けたケーニス姫は、渋々飲む。
「どうだ、面白い味だろう」
「ええ、なんと言いますか、とても……不思議な……」
テーブルにドサリと倒れるケーニスに、近衛が一声に武器に手にかける。
「ケーニス様!?」
「おのれ、毒を盛ったか廃エルフ!?」
「大丈夫だ。眠り薬を盛っただけだ」
「そのやり方はどうかと思うけどな」
というか、近衛戦士よ。
やっぱり何かあれば斬る気だったな。
なんだ、そこの舌打ちした奴!
「こいつは無害だから心配するな」
「は、はぁ……」
一言で止めると、ケーニスをベッドに寝かせて装備を剥ぎ取る。
俺は視線が行かないようにベッドを背にする席に移動し、ビールを飲む。
「まったく、今日ぐらいはゆっくりと休めばいいものを強がりおって」
「ハイエルフも大変だな」
「この体のおかげで、子供やら孫の世話で休む暇もないのだ。もっとも、この可愛らしい寝顔を見るための苦労だ。惜しみはせんよ」
言うなり、ケーニスが持っていたグラスをリスベルクは呷る。
「ほう、かなり強い薬だな」
「何故飲んだ」
「私の伝承にな、眠り薬でエルフを攫う人間の悪党を懲らしめたものがある。無論、飲んでも効かずに逆襲したという話だ。だからその手の薬は効かんのだ」
「なるほど。神ってのはやっぱり、そういう武勇伝が何かしらあるんだな」
「私の場合はなんと言っても森か精霊に関するものが多いな。基本弱みになるような類はないが、その代わりに常軌を逸するものもない」
「……アリマーンは?」
「奴の場合は、最初から敵対存在とセットみたいなものだからな。悪さをした話はそれなりにある。弱点は言わずもがな対立存在。つまりは善の神……善の概念だろう。今となっては効果も薄いだろうがな」
何か突破口になるような話はないのだろうか?
「なら、救世主ってのはどうだ」
「それこそ裏切られて死んだとか、非業の死以外には何も無いな。その力は多種多様。しかも殺しても蘇ったとか馬鹿げた逸話には事欠かん。人間は想像力が旺盛だ。海を割って歩いただの、世界を支配することさえ神に許された存在だとか、思いつくままに空想をする。奴ら程に多様な神を生み出した種族もない」
世界を作っただの、空を割っただの、大地を割いただのとそれこそ沢山の神の話を聞いたと彼女は言う。
「神だけではないな。その敵も豊富だ。悪魔や悪霊、魔獣に神獣に数々の化け物。ラグーンズ・ウォーの前には、それらが当たり前のように跳梁跋扈し、信仰のためにぶつかっていた。どこの神こそが真の神だとか声高に叫んで、そうして同類さえも殺していくなんざざらでな。だからこそ、歯止めが利かずにやがて賢人の怒りに触れたのだろうよ」
懐かしむように、酒を呷る。
「その賢人ってのはさ、結局何なんだ」
「ラグーンやゲート・タワーを作った人間の女だ。今ではラグーン関連は神が創ったと伝承されたり、勝手に自分の神の功績にしたリストル教なんてのもある。だが真実を知る長命種や神は賢人だと言うだろう」
「そいつの名前は?」
「……さてな。ドリームメイカーと名乗って動いていたりもするようだが。その力は凄まじく、怒り狂う神さえも殺しきるほどだったと聞くぞ。確かに、洒落にならんぐらい強かった」
「そいつも、まさか救世主だったのか?」
「あいつはただの人間だという話だ。だというのに、幾多の神を屠ってきた神殺しだ。どこかの神が奴の男を殺した。そこからあの神滅の戦いが始まったそうな――」
遠い目をするリスベルクは、そういって俺のグラスにもビールを注いだ。
俺は、無性にその女とやらが気になった。
何故なら、賢人の残した石碑の文字が日本語であったからだ。
そしてドリームメイカーという通り名。
それは、無限転生オンラインを作り上げた運営会社の名前では無かったか?
まだ、俺はその単語を覚えていた。
だから尚更にその奇妙な符号に興味を抱くのを止められない。
「そいつは、黒髪で黒眼だったか?」
「ああ。顔立ちがちょっとユグレンジ大陸の人間とは違っていたぞ」
「そいつの武器は? どうやって戦っていた」
「よく分からんが、手に持った筒やらから魔力の玉を撃ち放ったり、空の彼方から凄まじい魔力の光を落としたりして念神をも消し飛ばしたりしていたそうだ。後は、炎の魔法や生命力なんかも使っていたような気がするな。後は殴ったり蹴ったりもしていた」
筒……銃か?
だが魔力の玉ってなんだよ。
弾丸じゃないのか?
レーザー兵器なら実用化されていたからありえそうだが、魔力に生命力ってなんだよ。
分からない。
25世紀の地球には、そもそも魔力なんてファンタジックなエネルギーはない。
……もしかして、まさかの未来人か?
いや、さすがにそんな訳は無いだろう。
タイムマシーンの是非はともかく、そもそも関係があるかも定かではないのだ。
だが、あの日本語の石碑。
アレだけは、確実に地球日本を知る者の犯行だ。
いかん、混乱してくるな。
「賢人の武器、手に入れられないか」
「無理だろう。墓さえどこにあるか分からんし、奴はこの世界の大敵となった。碌な死に方はしていないはずだ」
「大敵……」
「モンスター・ラグーンの魔物の無限召喚。それと同じことをこの地上でも引き起こしたのだ。おかげで大気中の魔力が激減し、魔物が無限に現れ、ありとあらゆる種族の者が犠牲となった。魔物とは復讐のため、神を根絶やしにするための神滅の呪いだという。神が消えたらその効果も失われたらしいから、今の地上では魔物が召喚されることはないがな」
信仰を支えるのは生きた知的生命体。
ならば、魔物にそれらを狩らせたわけか。
信仰を生み出す者を間引き、念神の力の源である想念を根こそぎ消し去るそのために。
なるほど、だからこその神滅暦か。
そして、そのための救済が各種族のラグーン。
「だったら、ラグーンは本当に楽園として用意されたんだな」
「そうだな。あの女の最後の良心だったのかもしれん」
皆殺しにはできなかったということか。
犠牲が多すぎるから、良心が耐えられなかったのだろう。
「――そういえば、な。死んだ賢人の番は、噂でははぐれエルフだったらしいぞ」
「えっ――」
それは、何気ない一言だったに違いない。
ただの話題だと、俺も思う。
だが、何故かふと考えてしまった。
俺があの子を所持しているのは、本当に偶然なのだろうか? と。
世界を焼き尽くせるスキルを持つ魔剣レヴァンテイン。
アレはもしかして、神を殺すためだけに、この世界の住人を皆殺しにするための武器なのではないか?
だからロウリーがレヴァンテインさんの力を恐れたのだとしたら辻褄が合わないか?
「……まさかな」
そんな馬鹿なことが在ってたまるか。
あんな真ッ更な子が、そんなことをする役目を持っているだなんて、そんなわけがない。
そんなわけが無いだろうアッシュ。
違うはずだ。
ただの偶然だ。
きっとそうだ。
そうに違いない。
飛躍のしすぎだ。
それなら、そんなのを持つ俺はなんだって話にもなる。
「――どうした。手が止まっているぞ」
「あ、ああ……」
この妄想染みた想像を、注がれたビールを飲み干すことでかき消した俺は、今度はリスベルクの酒瓶に手を出した。
果実酒でもなんでもいい。寝て、一刻も早くこの妄想を忘れてしまいたい。
この日、俺はアリマーン以外にも恐れを抱いた。
それは真実という名の、妄想だった。
「――そうだよアッシュ。念神を滅ぼすには、普通は直接殺すだけでは不十分なんだ。だったら、それを維持してる奴らを全部燃やせばいい。その結論であっている。君はほとんど正解に近い答えに辿り着いているよ」
暗い場所で、彼女は語りかける。
届かぬ声だと知りながら、それでも答え合わせを一方的に続ける。
「逃げ場以外の全てを燃やして、生存環境のことごとくを破壊しつくして、想念の源ごと焼き払ってしまえば良いんだよ。そうしたらここは、『チトテス8』はボクとアッシュのためだけの箱庭になる。何の枷も柵もない、ドリームワールドに生まれ変わる――」
だが、そうなる確率は低いだろう。
何故なら引き金をアッシュは引けない。
その理由も、欲も、理由もまだないのだ。
今を望み、今のままでの循環を望んでいることぐらいは彼女にだって分かる。
前と同じだ。
自由を愛すると言いながら、リスベルクに縛られていた彼と同じだ。
それだけなら彼女は我慢できた。
けれど、その我慢に亀裂を走らせたのもまた彼女だった。
何も知らない働き蜂に、甘い蜜を貢がせ続ける女王蜂など不要。
そんなモノの存在を許容はできない。
「悪神め。お前はきっと、三柱目になる」
最初の一柱は、報復として存在さえ抹消した。
ならあの女も、そして此度の悪神も同じだ。
どちらもイラナイ。
「だから早く、気づいてアッシュ――」
その特異な力の本質に。
あの願いの果ての今に。
支配剣の継承者は待っていた。
彼に望まれるのを待っていた。
神殺しの力を順当に行使するその瞬間を。
もう一度再会する、その時を。
「全部、忘れられたままでも構わないんだ。君が転生前のことを覚えてなくてもさ。でも、それでもこれは夢だ。あの日の続きを願ったテイハの夢なんだよ」
最悪はただの一振りとしか思われなくても構わない。
それでも願わくば、完全な形で再会し――、
「――また一緒に、時を重ねさせてくれれば」
本当の願いが叶わぬと知りながら、それでも彼女は夢を見る。
遠い昔にテイハが綴った、転生幻想という名の夢を見る。