第三十九話「魔将と廃エルフ」
(さて、どこまで誤魔化せるか……)
熱にうなされるルースを廊下の隅に座らせたリスベルクは、深刻な事態であることに気が付いていた。
クルルカ姫は若すぎてレベルを上げていない。
だからその身体能力は歳相応のものしか存在しない。
今はそれを、無理矢理にも神宿りの恩恵で動かしているだけに過ぎず、長期戦などできはしないのだ。
(ええい、もうしばらくディリッドが残っていればどうにでもなったものを)
居ない相手に毒づいていると、ゆっくりと足音を響かせながら近衛戦士姿のエルフが姿を現した。
見覚えはあった。ケーニス姫の側近である女戦士だ。
体を乗っ取られているのは明白。
それだけでも忌々しいというのに、リスベルクを見た瞬間にはまたも二重の神宿りを行っていた。
「また六魔将か。四人も投入してくるとはな」
「いいえ。それは違います」
「アエシュマハ違ウ」
一人で代わる代わる宿主を使って言葉を紡ぐ彼女たちは、そのまま対峙したままでピタリと止まった。
「中央四国を切り取るために、そんなにもこの森が欲しいか」
エルフの森を抑えれば、隣接するリスバイフとロロマに背後から襲いかかることが可能となる。
それは、戦略的にも意味があることである。
「まさか。そもそもこんな森」
「我ラ二人ガ居レバ簡単ニ滅ボセル」
律儀に反論しながら、短剣をもったそれぞれの腕を構えることさえしない。
その短剣はどちらも逆手に握られたまま一向に動かない。自分からは攻める気がないとでもいうかのようだが、その実は違っていた。
アーティファクトは光を放ち、魔法を今も行使していたのだ。
「では、何の用で来たっ――」
リスベルクは駆け出す。
目的が降伏勧告だけのはずがないのは明白だ。
元より、既に国王も妃もやられたことを彼女は知っていた。
その上でケーニスも抑えられ、城中が不可視の魔法によって未曾有の危機にある。
王家の権威失墜は元より、リスベルクの力にさえも疑念を植えつけるだろうこの一手。
それを成した上での狙いなど、あまりにも少な過ぎた。
残りは王族の命と、そしてリスベルク自身。
そうと考えるには容易く、だからこそ攻めるしかなかった。
「答える」
「義務ナシ」
突きの雨を降らせ、幾度となく突きかかる。
だが、レイピアの速度がジドゥルと対峙していた頃よりも明らかに落ちていた。
いとも簡単にそらされ、返す刀で短剣が振るわれる。
「遅い」
「ヒンジャク」
「くっ」
それを、小柄な体躯を利用してしゃがみ込んで避けるも、すぐさま跳ね上がってきた足で蹴り飛ばされる。
小柄な体は、ただそれだけで虚空を飛んだ。
「リス……ベルク様……」
ルースが悔しげに剣に手を掛けるも、彼の体はもはやその精神を裏切っている。
傷は塞がっても負傷による失血があった。
そこに奇妙な熱と渇きが弱った体をことさらに疲弊させる。
唾液では潤せぬ乾きに喉が痛み、声も掠れた。
そしてそれは、当たり前のようにクルルカの体をも蝕んでいた。
「ごほっ。ええい、奴に近づくだけでこの様か」
吐血しながら、起き上がるリスベルクだったが、蹴りを防いだ左手はダラリと下がり、立ち上がれずに膝を突いたままだった。
間違いなく折れている。
それだけでもなお防ぎきれなかった衝撃は、当然のように内臓まで傷つけている。
また、無理矢理に使っているクルルカの体が感じる激痛がフィードバック。
寄り代がエルフ族であるということで、力を授けるためより深いレベルでの神宿りを行っていたリスベルクは、唇を引き結んで耐えるしかなかった。
その手には、零れたはずの血があったはずだ。
なのに、それさえも十数秒も掛からずに凝固した。
不自然な熱に蝕まれていく体が、更に渇きにまで苛まれている。
二重の責め苦。
それを成す『熱』と『渇き』というキーワードと、六魔将という事実が、彼女の中で一つの結論としての答えを導き出す。
「土産話としてディリッドが言っていたな。熱のウィタルに、渇きのザリーチェ。術者を中心とした不可視の魔法を使うとは聞いたが、私に発動さえ気づかせぬとは……」
元より、精霊魔法を失ったリスベルクには防げない。
これをまともに防げるとしたら、リスベルクが知る中では魔術神の加護を得たディリッドぐらいしかすぐには思いつかなかった。
直接的な物理的破壊力こそないが、見えず作用し続ける分厄介だ。
これは芳醇な大地であってなお逃れられない、生命を蝕む力に相違ない。
(いかん。こいつには近づく気がまったく無い――)
一定の距離を保ったまま、歩を止めている。
決死の抵抗さえも許さず、真綿を締め付けるように処断する気なのは明白だ。
「私は熱を司り、ザリーチェは渇きを司る」
「ソレハ死ノホウヨウ」
「実り豊かな聖なる巨木であってさえ、逃れえぬ砂漠の洗礼」
「サァ、灼熱ト渇キニ抱カレテ逝ケ」
何もしなくても、ただ対峙し続けるだけでクルルカを殺される。
だが、無策で近づけば余計に消耗し更に迎撃まで喰らう。
必死に打つ手を考えるリスベルクだったが、その時間さえもクルルカの体を蝕んでいく。
ならば結局は、動けるうちに対処するしかない。
(城内の援軍は期待できん。ラルクもすぐには無理だ。二柱同時の神宿り、二人分の力で襲いかかられているに等しいが、何故そんなことができる? 普通は反発しあって器の者が持たないはず……)
「お逃げ……下さい」
「……黙れルース」
「リスベルク様さえ、ごほっ。生きて下されば……我らは何度……立ち上……ます」
身を起こそうと、長剣を杖にして王子が歯を食いしばっていた。
その手に握るアーティファクトが、魔法の発動のために淡い光に包まれかける。
「隙を作ります……エルフ族の未来を……どうか――」
敵の魔法の有効範囲から出さえすれば、逃げ切れる可能性はあった。
ましてやここはエルフの森だ。
リスベルクにとっては庭にも等しい。
ならば、派遣した軍と合流さえできれば反撃の目はある。
それを彼女だとて考えなかったわけではない。
しかし、考えはしても真っ先に除外したことでもあった。
それこそが、リスベルクがエルフ族の神であるための呪縛。
アーティファクトに身を変じてなお根幹にある、導き守る神として求められた想念。それが、安易な結論へと至ることを許さない。
態勢を立て直して奪還する。
けれどそのためには、守るべき者の多くを見捨てなければならない。
犠牲を是とする思考は、当然のようにリスベルクの中で大きな葛藤となって行動を縛る。
何れそこに至る結末があるとしても、ギリギリまでは取れない。
彼女はそういう神だ。
ましてや彼女はアッシュに言ったのだ。
――エルフ族は子供や孫みたいなものだ、と。
他の神ならば容易に切り捨てられることでも、彼女には無理だった。
「馬鹿者め。早まるでないわ」
「しかし……」
「まだその時ではない。もうしばらく耐えろ。奴が来た」
「……奴?」
言いながら、リスベルクが明後日の方向を向いた。
そしてそれは、魔将も同じだった。
共に石壁の向こうへと視線を向け、警戒する素振りを見せている。
「来る――」
「クル――」
魔将はそれまでの余裕の笑みを消し、仇敵を見るかのような目で壁の向こうを睨んでいる。
「援軍……ですか」
城の異常を感知して派遣した者たちが帰ってきたのだろうか?
そうと考えたルースは、すぐにそれがありえないことだと斬って捨てた。
だがそんな彼に、リスベルクは言って聞かせた。
「そう、援軍だ。喜べルース。我が番、はぐれの神が来おったぞ」
その時、ルースは今にも気絶しそうな中で確かに見た。
妹の小さな唇が、釣りあがっていたのを。
「この森に居る神は奴だけだ。ならば、この気配は奴以外にはありえんさ――」
次の瞬間、ルースの寝室からガラスを突き破るような音がしたかと思えば、しばらくして廃エルフが現れた。
久しぶりということもあったのだろう。
ちょっと減速に失敗した俺は、気づけば城の窓ガラスを突き破っていた。
おかげで机にぶつかって盛大に書類をぶちまけ、床を転がってしまった。
部屋の持ち主には悪いと思うが、非常事態なので我慢してもらおう。
「なんだこの城。熱いし喉がやたら渇くぞ」
部屋には天蓋付きのベッドややはり偉そうな机があるので、きっと偉い人の部屋だ。
コート姿に戻り、一応は敵意が無いことを示すためにも非武装のままドアを出る。
マップによれば、通路には人が居るようだ。
面倒になる前にすぐに謝ろう。
と、そう思っていたのだが、いきなりエルフ族の躯を見つけてしまったせいで足が止まった。
「くくくっ。やはり貴様か風呂エロフ! 良い所に来た。褒めてやるぞ!」
クルルカ姫であって、クルルカ姫ではないようだ。
吐血し、膝を突いたままでレイピアを持っているそのその体が光っている。
間違いなくリスベルクが憑いているな。
そのすぐ側にはルース王子が壁を背に剣を抱え、更にその向こうには神宿りの女性エルフが俺を睨みつけている。
俺は無言で鎧を纏うと、やたらと城内が熱いのでレヴァンテインさんを抜いた。
途端、火耐性のせいで熱さが消えた。
その間に識別してみたが、リスベルクたちと退治している相手は生粋のエルフだった。
ケーニス姫ではないが、それでもかなりレベルが高い。
どうやら敵対しているらしいが……なんだこいつ。
普通の神宿りよりも更に光ってるぞ。
「なんだ、ケーニス姫がアーティファクトに体を乗っ取られたとかじゃないのか?」
「ケーニスは誘拐された。しかしこの窮地に当たり前のように現れるとは貴様、やはり私と運命で繋がっているようだな」
「運命ねぇ……」
左手でポーションの瓶を二本取り出し、リスベルクに渡す。
「薬だが飲めるか? 無理なら被れ」
「助かる」
「んで、そこで動かないお前だ。アヴァロニアの奴ってことでいいんだよな」
何故か、敵らしい女は突っ立ったまま動かない。
なんだ、獲物を前にアクションを起こさないなんて。
無駄にピカピカとアーティファクトを光らせてるが、目に見えて何かが起こっているわけではないので何がしたいのかさっぱりだぜ。
「……」
「だんまりかよ。なぁ、あいつが敵でいいんだよな?」
「そこの部屋でラルクと戦っている奴も敵だ。そっちは変身する。そしてあいつは不可視の魔法で私たちを疲弊させているところだ」
「なるほど。効果は……ちょっと熱いのと喉が渇くとかそんな感じか」
脳裏のHPゲージが不自然に減少しているのはそのせいか。
暑さはレヴァンテインさんが効いてるし、指輪の回復効果があるせいでダメージも微弱だ。ただ、喉が異常に渇くのは困る。
「熱中症と脱水症状を起こす魔法ってことか?」
普通は間違いなくぶっ倒れて戦闘どころじゃないな。
この体がゲームのアバターじゃなかったら、すぐにでも倒れていたかもしれない。
俺はトライデントを取り出すと、杖のように持ち矛先から噴水のように水を出す。
「飲むか」
「むしろ頭からぶっかけろ。暑くてかなわん」
ポーションを飲んだリスベルクは左手の調子を確かめながら頭から水を被った。
ついでに、身を起こそうとしているルース王子にもぶっ掛けておく。
「な、何をする!」
「死なれたら困るだろ」
しかし凄いな。直ぐに水が乾いていく。
梅雨の時期に欲しいな。
「それで、無駄に光るだけで仕掛けてこないのは何故だ」
「貴様を熱と渇きで潰そうとしてるからだろうが。……何故無事なんだ貴様」
「あいつの魔法が弱すぎるんじゃないか」
軽く挑発してみるが、敵は表情を険しくするだけで乗ってこない。
「まぁいい。それよりお前のアレを私に掛けろ。この体では不自由だ。ルース、クルルカを任せる」
神宿りを解いたリスベルク。
妹の体をルース王子が抱きとめると、床に落ちたレイピアに向かって俺はアレを掛けた。
「付喪神顕現<ツクモライズ>!」
「なっ!?」
「馬鹿ナ!?」
これには敵も、今度こそ動揺を見せた。
「はーっはっはっは!」
光に包まれ、擬人化されたリスベルクが高笑い。
怒気を隠そうともせずに俺の横に並び立つ。
その手には、どこからか取り出したレイピアがあった。
アレがあいつの、ハイエルフとしての魔法の武器という奴なのだろう。
「あの目障りな奴は私がこの手で捻り潰す。お前はラルクの手伝いに回れ」
「大丈夫かよ」
「私が心配ならさっさと倒して来い。ラルクではこの状態が不味い。助けてやれ」
「あいよ」
「くくく、さぁて反撃といこうかっ!」
「ふーむ。まぁ、大丈夫か」
レイピアを片手に、リスベルクがドレス姿で優雅にも近寄っていく。
その堂々とした振る舞いは、手に持つ武器の違和感を無くすほどだった。
まるで、パーティー会場で剣舞でも披露してやろうかというような姿。
それがソードダンスに変わるのは速かった。
先に攻めたのはやはり、リスベルクだ。
待ちが主体の敵に、一気呵成に攻め立てる。
怒涛の突きの連打を前に、敵の顔色にようやく必死さが見え始めていた。
火花が散る。
幾重にも止むことが無い両者の攻防は、リスベルクの方が優勢か。
「あの様子なら大丈夫か」
ツクモライズによって擬人化した神の戦闘能力が未知数だったから心配だった。
けれど、あの様子だとなんとかなりそうだ。
武器娘は状態異常は無効だから暑さも無縁だろうしな。
「何かあったら声を上げてくれ。ラルクの方を片付けてくる」
ルース王子にポーションの瓶を念のため一つ投げると、そのまま返事も聞かずにラルクが暴れているという部屋へと向かう。
そこで俺は、見目麗しい女性エルフと切り結ぶ彼を見つけた。
予想に反してまだ元気そうだった。
俺との戦いのように敵の攻撃を掻い潜り、足で翻弄して戦っている。
床にポーションの瓶らしきものが転がっているから、それで凌いだか。
けれど、それでも目に見えて辛そうだ。
「ラルク、選手交代だ」
「その声、アッシュか!?」
すぐに後退したラルクは、息を荒げながら苦しげな表情で俺を見た。
「後ろでリスベルクが暴れてるからフォロー頼む。水いるか?」
「頼む」
遠慮せずに言うので、瓶を渡しつつ女を視線で牽制した。
やはり、エルフ女性は美人だ。今まで見てきたエルフたちと装備が若干違うが、見てくれは大して変わらない。
「お前、モロヘイヤじゃないのじゃん?」
警戒しながら問うて来る神宿り。
しかし、情報は筒抜けのはずなのに何故俺の名前はモロヘイヤのままなんだ?
不可解だが、これは利用できるかもしれないな。
「モロヘイヤさんなら、去年にアヴァロニアに攻撃を仕掛けに行ったぞ」
「馬鹿な!? ダロ犬からそんな情報は届いてないじゃん!?」
ああ、まったくの嘘だからな。
「なんだ、まだたどり着いてないのか? あいつ方向音痴だから心配だなぁ」
欺瞞情報を流しながら、識別する。
すると、妙なことが分かった。
「ラルク、ケーニス姫は誘拐されたんだよな?」
「そうらしい。できれば奴を捕まえて吐かせたいが……」
「こいつがそのケーニスだぞ」
「……何? 魔法で変身しているのではないのか」
「体を乗っ取られてるんだろ。まったく、これだからアヴァロニアは……」
つくづく人の神経を逆なですることしかしないな。
しかも変身した別人と見せかけて本人を使うとは。
……いや、待てよ?
俺の識別能力で看破できないだけで、本当に化けてるって可能性もあるのか?
「どうして分かったじゃん!?」
はい、確定きたこれ。
「見れば分かる」
「お前、頭可笑しいんじゃないじゃん? どうして見ただけで分かるじゃんよ」
「別にどっちでもいいけどな。本物でも偽者でも、邪魔するなら切り捨てればいいだけだ」
「姫がどうなってもいいっていうじゃん!?」
本当に隠す気があるのかこいつ?
いや、違うか。
単純にバレたから人質として使おうとしているのか。
しかし、なぁ。
「お前、あんなのに梃子摺ってたのか」
「……性格はともかく腕は立つ。お前に似たタイプだが、気をつけろ」
瓶を俺に投げ返したラルクは、すぐに通路の向こうに消えた。
俺の呆れ混じりの視線から逃げた、というわけではないと思う。
「丁度いい。独立派の姫は邪魔だからここで斬り捨てよう」
俺の言葉に、敵が信じられない者を見たような目を向けてくる。
「不慮の事故って奴だな。許せ、ケーニス姫――」
勿論嘘だが、教えてやる義理はない。
それに、ああやはりそうだ。
俺は今、自分で思っている以上に激怒しているらしい。
人様の領域を我が物顔で荒らしまわり、今また他人の体を好き勝手にしている連中に。
両手の剣を強く握り締め、つかつかと前に向かう。
対峙する美女はそのまま動かず、それまでの見せていた軽さを捨てまるで見定めるように俺の様子を窺っている。
踏み込めばお互いに一瞬で縮まる程度の距離。
その初動を見逃せば、刹那の間に一撃を見舞われるだろう。
そんな状況の中、緩やかに距離を詰めていく。
「――」
ラルクの合流により、廊下での戦いが激しくなった。
どこからか聞えるリスベルクの不遜な声が、徐々に遠ざかっていく。
それを合図に、俺は遂に敵の間合いへと侵入した。
「シャッ――」
途端に、鋭い呼気と共に敵の右腕が動いていた。
サーベルが弧を描き、左から首狙いで閃く。
俺は閃く剣閃に合わせ、左手のエクスカリバーで受け止める。
その後に続くのは、空気を押し潰すような音が二つ。
振り下ろされるのは血染めの棍棒とレヴァンテイン。
再びの衝突音。
互いの獲物が、俺たちの眼前で交差する。
その向こう、敵の操る端整の顔が微かに歪んでいるのを俺は見た。
「どうやら、俺の方が力は上らしいな」
「力だけあっても無意味じゃん!」
言うや否や、軽くバックステップを踏み、一旦敵が距離を取る。
足りない腕力を補うためか、勢いをつけたまま跳躍。
そのまま、両手の武器を一気に振り下ろしてくる。
三度目の衝突。
「軽いな。軽すぎるぞアヴァロニア!」
少々の運動エネルギーが増したところで、そんな程度ではどうにもならない差がある。
確かにあの神宿りの巨人程度には威力があったのだろう。
けれど、その程度の威力ではもう意味が無い。
あの時から更に俺のレベルは上がっているのだから。
「そんな馬鹿な。ふ、復活前とはいえ、神二柱分の恩恵があるじゃんよっ!? パワーだけならグレッグに匹敵するじゃん!」
「二柱? よく分からんがお前、大したことないな」
攻撃につぎ込まれた力をエクスカリバー一本で完全に押さえ込み、そのまま強引に体ごと剣を振りぬく。
ケーニス姫の体は、たったそれだけのことで体ごと壁際まで軽く飛んだ。
なんとか壁に着地し、背中からの衝突を避けたようだが、すぐに重力に捕まって床に落ちた。
その顔にはもう、目に見えて余裕の色が消えて居た。
焦燥だろうか。
それを押し隠すためにか、すぐにキッと眼つきを鋭くし彼女は床板を蹴って周囲の地形を利用し始める。
床を蹴って跳躍。
天蓋付きのベッドを蹴り、そのままの勢いで天井さえも蹴り、目まぐるしいほどに周囲を飛び交う。
三次元起動で俺を翻弄し、死角へと潜り込もうというのだろう。
だが、俺だってその動きに合わせるべく動いている。
「レヴァンテイン!」
魔剣の刀身が炎に包まれ、それだけでは飽き足らずに俺の全身を包み込む。
業火は当然のように熱を産み、差し込む朝日にさえ負けぬ程に爛々と室内を照らし出す。
そこへ、赤い光に照らされながら敵が果敢にも飛び込んでくる。
まるで、体の持ち主がどうなろうとも知ったことでは無いとでも言いたげだ。
事実、そうなのだろう。
一回、二回、三回と剣で弾き返す中、躊躇する気配を見せない。
意思の力で火への恐怖をねじ伏せているのか、初めからそんな本能がないのか。
そう考えるも、俺は思い違いに気づいた。
「消すじゃん。その胸糞悪い炎を今すぐ消しやがるじゃんよぉぉ!」
それは間違いなく、天敵を見たかのような形相。
畏れが無いわけではないのだ。
それ以上に猛る感情で、確実に恐怖の感情を振り切っている。
「アエシュマァァ! 全力でやるじゃん、私の想念を燃やせ。こいつは絶対にここで始末する。もう待てない、待てないじゃんよぉぉぉ!」
歪んだ相貌が、憎悪に染まる。
元の顔が美しければ美しいほどに、その歪みが悪鬼羅刹の如く変貌している。
同時に、右手に持つ軍刀が明滅。
「アシャールの野郎みたいな火はいらないじゃん!! 消せぇ、消すじゃん!」
羽音が聞える。
窓から、暖炉の中から、一体どうやって集めたのか分からないほどの羽虫が羽音を響かせながら飛翔してくる。
ハエのような虫から、蚊や蛾にも似たものまで生理的嫌悪を確実に催す害虫たちが集まってきた。
まるで黒い霧だ。
それらは全て群れであり、それが俺の周囲を旋回するように飛ぶせいで敵の姿が視界から消えてしまった。
脳裏に浮かぶマップも、こうなれば役に立たない。
虫さえも敵として認識されたせいで、完全に俺の周囲を数え切れないほどの光点があるからだ。
そして、その羽音に混じって部屋中を蹴って移動する音が所狭しと響き渡る。
「気色悪いったらないな。だが――」
明らかに変身の魔法じゃない。
使ったアーティファクトが違うのか、それとも別種の魔法が使用できる神なのか。
その答えを知らぬ俺は、ただただ右手のレヴァンテインに焼却の意思を伝えた。
「そういうの、飛んで火に入る夏の虫って言うんだぜっ」
そのまま、部屋ごと焼き払うのではないかという火力で羽虫の群れをなぎ払う。
鼻につく異臭さえも焼き払う魔剣の業火。
その熱と赤い光に、愚かにも自ら飛び込む虫は直ぐに炭化し燃え尽きていく。
加減知らずの熱量が、家具ごとことごとくを発火させた。
そこへ、黒い霧を突破して敵が野獣の如き咆哮を上げて飛び込んでくる。
「GUGYAOOONN!」
迫り来る血染めの棍棒が、炎の向こうより飛来する。
炎とは別種の輝きは、霧の中ではことさらに目立つ。
おかげで俺は、エクスカリバーで受け止めることができた。
しかし、今度の一撃は尋常ではなかった。
「な、にぃ!?」
「ZINE、ZIね、死ねぇぇぇ!!」
今までとは打って変わった膂力。
それが、暴力的なまでにやたら滅多ら振るわれる。
これまでの攻撃はまだ、理性的な動きが感じられたが確実に一変していた。
だが、それでもやはり腕力は俺を凌駕しない。
しないが、こいつはまるで戦闘狂<バーサーカー>だ。
熱で肌を焼かれ、燃え尽きる虫の灰を被りながら獲物を繰り出す。
それをことごとく凌げば、今度は全身の全てを凶器へと変えた。
グリープで包まれた足を跳ね上げ、腕のガントレットで殴りかかり、あろうことか頭突きまでしてきた。
凄まじい猛攻だ。
しかし、その代償としてかその身を包む神宿りの輝きが少しずつ翳っていた。
その度に、僅かずつ膂力が小さくなる。
それが分かっているからか、攻めはより苛烈になった。
「特攻かよ。本当、度し難いよお前ら――」
明らかに常軌を逸している。
全身鎧とゲーム補正に守られた俺は、HPゲージが減少しこそすれ致命的なダメージをことごとく遮断する。
逆に、向こうは破壊できない俺の装備と炎のせいで肉体を次々と損傷させていく。
宿主の安全に気を配りもしない。
きっと、奴らにとっては代えの効くパーツ程度の認識なのだ。
呆れを通り越して吐き気まで覚えた俺は、いい加減虫が焼け死んだことを確認してから炎を消して反撃に出る。
蹴り上げられてきた右膝に膝を返し、無理矢理にも膂力で蹴り飛ばす。
その際、明らかに骨を砕くような嫌な感触があった。
案の定、敵の膝が壊れた。
片足でようやく立ち上がっているという風情だ。
それを少し心苦しく思いながら、しかし俺は手を緩めない。
上半身の力だけで振るわれる両手の一撃を弾き返すと、そのまま踏み込んで右肩から軽くぶちかます。
支えることができない体は、それだけで意図も簡単にバランスを崩した。
後ろへと倒れこんだ彼女が、その後ろにあった焼け焦げたテーブルに突っ込む。
俺は一旦エクスカリバーを鞘に収めると、剣の代わりに左手にコレクションの一つである棍棒を取り出した。
ゲーム時代には初期しか使わなかったが、これもやはり不壊スキルをつけた武器だ。
そのまま闘争の意思を消さない相手の攻撃を両手の武器で防ぎつつ、それぞれの手を棍棒で打ち据える。
ガントレットで守られているとはいえ、威力が威力だ。
衝撃を完全に防げはしない。
やがて、彼女の両腕の方が先に落ちた。
恨めしげな目で俺を見据える女性から完全に光が消え、アーティファクトが床に落ちる。
ぐったりとしたまま起きないケーニス姫。そっと抱き上げ、さっさとアーティファクトから遠ざける。
「しっかし、酷いな」
お姫様の状態がやばい。
レベルホルダーでなければ、きっと死んでいたに違いない。
念のため最上級のポーションをぶっかけておく。
そうして、俺はふとあの熱の魔法が消えていることに気づいた。
「リスベルク、終らせたのか?」
「――いや、逃げられただけだろう」
何気ない呟きが、背後からの声によって拾われていた。
俺はバッと振り返るや否や、壁に横たえたケーニス姫を庇う位置に立つ。
視線の先には、見知らぬ人間の少年とダロスティンが居た。