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第三十八話「虚偽の悪魔」


「昨日の今日でこれか!?」


 日も昇らぬ早朝、ラルクはけたたましい音を聞いて目覚めた。

 咄嗟にベッドから飛び起きた彼は、すぐさま武装を整えると真っ先にクルルカの部屋を目指した。

 近衛の立場自体にはそれほど執着はなかった彼ではあるが、アッシュへの借りを返すためにもクルルカ姫の護衛に戻っていた。


「何故だ。何故外からではなく内側から――」


 石作りの城内で、灯された蝋の光の中混乱した城内の者たちが右往左往している。

 その波をかきわけ、すぐさま彼は王族の住む階へと踏み込む。

 だが、そんな彼であってもさすがにその惨状にはギョッとした。

 パーティーなどで使われる広間で、エルフ族の戦士同士での戦いが行われているなど完全に埒外であったからだ。


「ッ――」


 見知った近衛戦士と、近衛戦士とまったく同じ装備に身を固めた者が戦っている。

 勿論、全ての戦士をラルクが知っているわけではない。

 駆けつけた守備隊の戦士も、どちらに手を出すべきか迷っている風がある。

 いや、近衛だけではない。

 戦士同士でも戦いが始まっていた。


「ええい、ままよ――」


 見知った近衛戦士に止めを刺そうとした相手の横に踏み込み、横合いから蹴り飛ばす。

 横腹から無防備な所を蹴られた相手が、よろめきながら構えるのを見ながらラルクはジンを抜き立ちはだかる。


「ラ、ラルクか。すまん、助かった」


「それよりこの状況はなんだっ」


 すぐさま起き上がった近衛戦士の男は、ラルクの横で構えると端的に言う。


「分からん。見ない顔だと思って声をかけたら、いきなり仕掛けてきやがった」


「……知った顔には襲われたか?」


「いや、それはなかった」


 夜勤シフトの男が言うと、敵と交戦する近衛に向かって動く。

 同僚を助けに向かうつもりだ。

 ラルクもまた、知り合いと戦う敵に狙いを定める。


「させるかっ」


 ラルクは踏み込み、躊躇なくジンを一閃した。

 その、横合いからの斬撃に剣を阻まれて敵が後退。革鎧を掠めながらもやりすごす。

 ラルクはその動きで一切の躊躇を捨てると、更に追撃を仕掛けた。


 後退する敵に構わずに踏み込み、上段から切り込む。

 その動きは恐ろしく速く、並の戦士にはいきなり目の前に現れたように見えるだろう。

 しかし、それでも敵は辛うじて反応していた。

 咄嗟に横に構えられた剣とジンが衝突し、一種だけ火花を散らす。

 受け止められたことへの戸惑いは、ラルクにはない。

 そのまま一気呵成に連撃を繰り出し、お得意の速度で圧倒してみせる。


 弧を描く流麗な銀閃。

 剣と剣が交差するその度に、敵の顔が苦渋に染まる。

 そうして、五度目の交差にて敵の顔が完全に絶望に染まった。

 剣が先に耐え切れなくなったのだ。

 ジンと衝突した長剣の刃が砕かれ、刀身が明後日の方向に折れ飛んだ。

 それを彼が認識した瞬間には、容赦のない一撃が胸元を奔り抜けている。


「違う、こいつは近衛の戦士ではない!」


 崩れ落ちる敵が血の海に沈む中、ラルクは声を張り上げる。


「エルフの剣技ではない奴は全て敵だ! 迷わずに切り捨てろ!」


 レイピアを左手に抜いたラルクは、そのまま劣勢の同胞を援護するように動いた。


「ここは良い! お前は自分の務めを果たしに行けっ!」


 七人ほど切り捨てた頃、広間は駆けつけた戦士たちの増援によって状況が変わった。

 顔見知りばかりであり、疑う必要がない。

 ラルクは決断した。


「任せるぞっ」


 目の前の一人をまた新たに切り伏せ、クルルカの元へと急ぐ。

 その間、ラルクは静かに唇を噛んだ。

 昨日、森の集落で異常が見られたことでシュレイク王家は三つの軍を動かした。

 エルフ族が信仰する地水火風の四大精霊に肖って作られたその軍団は、別件で出払っているキリク将軍の火の戦士団以外が全て動いていた。


 王都と城は残った守備隊と近衛騎士団が守る手はずだ。

 異常事態のため、厳戒態勢が敷かれていたはずだがそれでもこの様である。

 賊の侵入経路が分からず、内心で苛立ちが募る。

 階段を更に数段飛ばしで駆け上がり、上の階へ。

 その間でもやはり、敵は当たり前のように存在していた。


「いかん阻め!」


 賊は得物を構えて切りかかってくる。

 ラルクは近衛では名が知られている存在だ。

 少なくとも近衛でラルクが知らない者が居ても、ラルクを知らない近衛はいない。

 それを阻むというのであれば、敵と断ずるに値した。


「ジン、手を貸せ――」


 所持するアーティファクトに語りかけ、淡い光を纏ったラルクが応戦。

 通路一杯に構える集団へ、神宿りの恩恵を頼りに単身での突撃を敢行する。

 多勢に無勢の中で疾風となった彼は、眼にも留まらぬ速さで剣を振るい、目に付く敵のことごとくを切り伏せる。

 事切れ、血溜りに臥す近衛戦士たちの亡骸に見守られながら、王城を敵の血で汚すことさえも厭わず、ラルクは一心不乱に剣を繰る。


 細められた眼は底冷えするような怒りに燃え、純粋な殺意に研ぎ澄まされた淡い光が、冷たさを孕む風を生んで敵陣に吹き込んでいく。

 その猛威を前に、自然と敵は焦りを露にしながらジリジリと後退する。

 しかし、焦っているのはラルクも同じだ。


(ええい、一体何人潜んでいる!?) 


 切り伏せた数の多さが、状況の異常さを物語っていた。

 少数なら潜入するのも不可能ではないかもしれないが、明らかに五十人を越えている。

 そして、その錬度が異常に高いことも彼には気がかりだった。


 イスカの時の連中にも苦労させられたが、明らかにそれさえも上回っている。

 これだけの数のレベルホルダーを用意するなど、容易なことではない。

 しかもそれだけでは飽き足らず、大胆にも侵入し王城に仕掛けて来たのだ。

 まだ警護の近衛戦士たちの奮戦の声が聞こえるが、それでも状況が良くないことは明白。

 ラルクに出来ることは、一人でも早く斬り殺して加勢に向かうことぐらいだった。


(今しばらく持ちこたえてくれ――)


 焦りを押し隠しながら、近衛剣士は剣を振るい続けた。




 剣を打ち付けあうような音が微かにあった。

 金属の咆哮か、それとも悲鳴か。

 担い手の無事を高らかに叫ぶ剣戟の音こそ、ラルクにとっての希望だ。

 その音の弱さから予測すれば、数はもうかなり少なくなっていることだろう。

 事実、ラルクがクルルカの部屋の前へと到着しときにはもう、近衛のほとんどがやられていた。


「なっ!?」


 だが、そこで彼が予想にもしなかったことが起きていた。

 あの小さな姫君クルルカが、一本の剣を手にケーニス姫と戦っていたのだ。

 その背後には負傷したルース王子が倒れ臥し、倒れ臥した近衛と共に廊下の端で蹲っている。


 王子の顔色は悪く、今にも死にそうなほどに顔が白い。

 異常極まりない事態だ。

 ラルクは一瞬だけ言葉を失った。

 その間にもクルルカは、淡い光を纏ったまま白いドレスの裾を靡かせながらレイピアを繰る。


 その鋭い切っ先は、やはり同じように光を纏ったサーベルの一撃を逸らし、無理やりにも間隙を生む。

 そこへ、小さな体を潜り込ませるや否や、虚空に幾重にも光の軌跡を生み出していく。

 その突きの残光は、まるで流星のように煌き、対峙するケーニス姫の肌を浅く切った。

 回避しなければ、間違いなく戦闘能力を奪える部位狙い。

 それらを小さな裂傷で済ませたのは、ケーニス姫の回避速度によるものだ。

 しかし、その動きの妙には溜まらず、彼女も射程圏内から逃げ出すしかなかった。


(あの突き……まさかっ――)


 見覚えはあった。

 少なくとも、ラグーンズ・ウォー時代を知るラルクには。

 両者の距離が離れた頃、ようやく彼は思考を再開する。

 クルルカの異常の理由は分かった。

 しかし、ケーニス姫がクルルカと争う理由は彼には皆目分からなかった。


 と、そのときバッとケーニス姫が振り返った。

 その相貌は、やはり美しい。

 ドレスで着飾っていれば、エルフ族一の美姫と呼ばれても納得すらできただろう。

 しかし、そんな称号などケーニスは気にもしない。


 長く美しい金髪を、邪魔だからと三つ編みにし、華奢な肢体をドレスではなく鋼鉄製の軽装鎧覆っている。

 両手両足もまたガントレットとグリープでコーディネートされたその姿は、エルフ族としても珍しい。

 それら全てはドワーフの職人によって作られており、実用性一点張りといった風情だ。

 最終的にはそれにマントと弓矢が装着され、重装備になる。

 だが今はマントはあっても弓はなく、その代わりに血塗れの棍棒を背負っていた。


「ラルク――」


 ケーニス姫が呟き、半身のまま視線でラルクを射抜く。

 それは明らかに味方に向けるような眼ではなく、位置取りも前後から教われた場合を想定していたように見える。

 しかし、その険のある視線はすぐに目の前から消え失せる。

 まるで普段のケーニスのように。


「気をつけよラルク! そいつはケーニスではないっ!」


「騙されないで! あの子こそ、クルルカではないわっ!」


 クルルカとケーニス。

 二人の姫君の声が、ラルクを混乱へと誘おうとする。

 彼の中で確信はあったが、確証はない。

 だからラルクは、己の推察ではなく確実性を取った。

 左手のレイピアを鞘に戻し、懐をまさぐる。


 取り出したのは、ポーションの小瓶だ。

 かつてアッシュによって押し付けられたそれを手に、訝しげな視線を送って来る二人の前でラルクは言う。


「これは傷によく効く薬だ。昔、廃エルフから貰ったものだが……王子に使うぞ」


 邪魔する奴が敵。

 言外に視線で告げ、距離を埋めるように歩く。

 シンプルで確実なその回答を前にして、不遜にも笑ったのはクルルカだった。


「私に寄越せ。奴の薬なら、ルースも持ちこたえられるかもしれん」


「良いだろう。飲ませるか掛ければそれで効く。受け取れ――」


 無造作に投げられたポーションの瓶が虚空を飛ぶ。

 瞬間、動いたのはケーニスだ。

 彼女は真っ先にラルクを目指し、サーベルを一閃する。


 横殴りの攻撃。

 それを、右手のシャムシールからの斬撃でラルクが凌ぐ。

 衝突の軌跡が、互いの纏う光で十字を描いたその次の瞬間にはもう、二人ともが斬りあっている。


「やはり貴様が偽者かっ!」


 後ろにジリジリと下がりながら、猛撃を仕掛けてくるケーニスの剣を防ぐラルク。

 見た者が凍えるような冷徹な瞳が、明らかな殺意へと変じる。

 しかし、それでも彼は冷静だった。

 クルルカたちから距離を離そうと後退し、同時にどうすれば傷つけずに捕縛できるかを考えていた。


「おおっ、この光は!?」


 その背後では、ルースに瓶の中身を飲ませるクルルカが驚いていた。

 明らかに致命傷に近い傷が癒えている。

 完治ではないが、出血は止まった。

 そのままクルルカはドレスの裾をレイピアで切断し、傷口を縛る。

 遠目にそれを見る余裕すらあったラルクに、女が言う。


「余所見とは余裕じゃん」


「力任せの剣でやられるほど、オレは柔ではないっ」


 十分な距離を取ったと判断し攻勢に出る。

 その攻めは、クルルカの放った剣とはまるで質が違っていた。

 点ではなく線。

 そこに、速度が乗った一撃が次々と飛来する。

 やがて耐え切れなくなったケーニスは、苦し紛れに近くの部屋へと飛び込んだ。


 彼も見知ったクルルカの部屋だ。

 天蓋付きのベッドに、教育用にと集められた本が乗った机。

 奥には中庭を見渡せるテラスへと続くガラス窓があり、朝日が遮るカーテンから薄っすらと光が差し込んでいる。


「お前は何者だ。本物のケーニス様はどこへやった。アレだけの人数をどうやって手引きした!」


 レイピアを左手に抜き、油断なく見据えながら追い詰めたラルクが問う。

 それを前に、ケーニスの姿をした女が薄く笑った。


「――答えるわけないじゃん」


「ならば、ここから生きて帰れると思うな」


 切りかかろうとした刹那、女が左手に背の棍棒を抜いた。

 血で染められた様などす黒い染みのあるそれは、ラルクの二刀流に対抗しようとしてのことだったのか。

 それとも、起死回生の威力を持つ魔法を放てるアーティファクトか。

 純粋な剣技では、ラルクは既に勝てると確信していた。

 しかし、まだ敵のアーティファクトの魔法が何なのかは不明。


 魔法は切り札だ。

 変じた神魔の特性を色濃く受け継ぎ、場合によっては状況を一変させる力さえ持つ。

 ラルクは生来剣技が得意であるために魔法頼りの戦いをあまりしない。

 また、攻撃範囲が広すぎるために魔力の消費も大きく乱発ができないので基本は剣技と決めている。

 だが振るう武器によって戦い方が変わるように、アーティファクトで戦術も変わるのだ。


 すり足気味に、慎重に距離を詰める。

 咄嗟の攻撃にも反応するべきその慎重さは、当然といえば当然だ。

 けれどそれを見据える相手からは、どのように映ったかは別であった。


「アハッ、アハハハハ……AHAHAHA――」


 嘲笑が狂笑となり、音声が獣染みた咆哮となって鼓膜を震わせる。

 同時に、纏った光がラルクのそれよりも更に苛烈に輝き始めた。

 燐光は遂に物理的に周囲にまで干渉し、部屋の床に亀裂を生んだ。


(プレッシャーが増した。術者に作用するタイプの魔法か? しかしこれは――)


 無言で女を見据える彼は、ジンの警告の声を聞く。

 だが、ジンの声には確かな戸惑いが混ざっていた。


「おっと――いけない。混線してるじゃん。こらアエシュマ。サポートの癖に表に出ようとすんなっての。そうそう。お互い御下命を受けた身じゃん? メインはこっちなんだから仲良くやったらいいじゃんよ」


 まるでアーティファクトに語りかけるような態度。

 ただそれだけであったなら、ラルクとしても不思議には思わない。

 しかし、焦燥感だけは彼の中に確かにあった。

 そこへ、前傾を取った相手の姿が変化した。


 クルルカだ。

 ケーニスがクルルカに変身していた。


「貴様!」


 ラルクはそれを見て激昂した。

 彼の意思を受け、アーティファクトが風を呼ぶ。

 そのまま、嘲笑する相手に向かって切りかかる。

 初撃は、左手の突きからだ。

 鋭い切っ先は空間ごと引き裂くように大気が抉り、一足飛びにつめた足に連動。

 しっかりと体重の乗った刺突となって真っ直ぐに少女に襲い掛かった。


 クルルカに変身した女は、半身になって軽く避ける。

 本命のジンが予定調和とばかりに振り下ろされる。

 そこへ、少女が跳ね上げた棍棒が無造作に衝突した。

 衝撃が右腕から伝い、ビリビリとラルクの手を痺れさせる。

 阻まれたと思った刹那にはもう、体が反射的に次の斬撃を見舞うべく動き出している。

 その、はずだったのに、


「なっ、にぃ――」


「アハッ」


 棍棒がラルクの振るったジンを、いとも容易く跳ね上げていた。

 姿からは想像も付かないような膂力。

 力ずくで体勢を崩された彼に向かって、お返しとばかりにサーベルが振るわれる。


「く、おおっ――」


 後方に飛ばされた右腕の勢いをそのままに、床を蹴って全力で後退。

 斜め下から首筋狙いで奮われたサーベルの間合いから逃れる。

 後方に転がるようにして避けたラルクは、すぐさま受身を取って立ち上がる。

 その右手の甲が、瞼の上から感じた違和感をなぞる。

 それは、額に刻まれた小さな裂傷だった。

 

 掠めていたのだろう。

 肌に触れた指先に薄っすらと血が滲んでいる。

 間に合わなければ、確実に死んでいただろう。

 確信と共に背中を伝う冷や汗。

 その冷たさを味わいながら、ラルクは彼女の腕力が自身を急激に上回ったことを理解した。


「ダメじゃぞラル。慢心は強者にだけ与えられる特権なのじゃ」


 クルルカの声で、まるで物まねでも披露するかのように女が言う。


「……身体能力強化系の魔法か」


「魔法? 魔法が見たいのかラルは。ニシシシ」


 言うなり、またしても女の姿が変わった。

 今度は、ラルクと瓜二つの少年だ。


「どうだ。オレの魔法も大したものだろう?」


 変身する魔法なのだとしたら、それはそれで厄介だ。

 しかし、それだけでは急激に腕力が増した理由にはならない。

 やはり、棍棒に別の秘密があることは明白。


「――ほう、珍しいことをする。二柱での神宿りか」


 と、ラルクの背後から、顔色の悪いルース王子を伴ってクルルカが顔を見せた。


「リスベルク様、そんなことが可能なのですか?」


 ラルクは、クルルカの体を使っているリスベルクに振り返らずに尋ねる。


「さて、私も今の今まで聞いた事も見たこともなかった。だが目の前でやられるとなれば、認めないわけにはいくまいな」


「なんだ、もうバレたか」


「それに変身か。貴様、ケーニスと入れ替わりおったな」


「正解」


「くっ、ではケーニスは!」


 ルースが激昂する。

 まだ全身が痛むのだろうに、それでも声を挟んできた。


「そちらの態度次第では二度と会えなくなるだろうな」


「卑怯な!?」


「そういきり立つなルース。むしろアヴァロニアの悪魔らしいやり口ではないか。なぁ、アヴァロニア六魔将。虚偽のジドゥルよ」


「六魔将!?」


 六魔将はアヴァロニアにおいては、王に軍を授かった精鋭中の精鋭である。

 神剣アリマーンの配下たる悪魔が変じたアーティファクトがあり、それを授けられた者が将軍職になるとラルクは聞いたことがあった。

 国内外に喧伝されているというその武勇は言うに及ばず、その功績は現在のアヴァロニアを語る上で外すことが出来ない。

 森の外の情報に疎いエルフの森にさえその名が届くほどに有名だ。


「アハッ。森の引きこもり共。その頂点にまで名が轟くってのは光栄じゃん。その仮初の体、伝承通りみたいで可愛らしいじゃん。失われたはずの始祖神。ハイエルフのリスベルクちゃん」


「そういう貴様は噂どおりだな。敵国に潜り込み、混乱させて潰すという悪神の下僕め」

 

 光と共に、ジドゥルの姿がまたケーニスに変わる。

 挑発するようなその行動。

 ラルクとルースが必然的にいきり立つも、リスベルクはレイピアを片手に前に出て止めた。


「まぁ待て。せめて目的を聞いてからでも良かろう。ケーニスの居場所を吐かせるにしてもそれからで構うまい」


「余裕だねぇリスベルクちゃん」


「話を聞いてやるぐらいの寛大さは持ち合わせているさ」


 不遜にも言い放ち、顎をしゃくるリスベルク。


「さっすが、同族以外にはプライドがお高いエルフ族! お言葉に甘えて我が主アリマーン様の言葉を伝えてやるじゃん」


 居住まいをただし、更に変身するジドゥル。

 今度はこの国の者ではなく、人間の少年だった。


「――無条件降伏しろリスベルク。今なら我が民としてまとめて貴様らを飼育してやる」


「……はは。これはまた随分と直球で来たな」


 その姿が、アヴァロニアの王アスタムであると理解しながらリスベルクは言葉を返す。


「奴に伝えろ。貴様こそ降伏しろ、今なら私の下僕にしてやってもいい、とな」


「だよねー」


 すぐにまたケーニスの姿に化けなおしたジドゥルは、うんうんとばかりに頷く。


「今まで伝えた連中も皆そう言ったじゃん。でも本当にそれでいいじゃん?」


「くどいぞ。結論は変わらん」


「じゃあ、そっちの王子にも聞くじゃん。シュレイク王家として答えるじゃん」


「ここまでしておいて始まってさえいないとでも言うつもりかっ!?」


「冷静になるじゃん。時流に取り残されて引きこもり続け、大局さえ読めなくなったわけじゃないじゃん?」


 国力差は言うに及ばず、人口だって比べ物にならない。

 故に抵抗するだけ無駄というのがジドゥルの結論であった。

 だが――、


「ふざけるな! 我らは邪悪なる者共になど決して屈したりしない!」


「はぁ。これだから田舎者のエルフ連中は愚か極まるじゃん」


 本心からそう思っているのか、表情には当たり前のような同情心が垣間見える。

 いや、これは純然たる哀れみか。

 嘲るよりもさらに酷い憐憫の情。

 しかし、その先に広がる期待感は一体なんなのか?

 リスベルクの手前黙っていたラルクは、肌を粟立たせるような焦燥を感じていた。


(……音が消えた?) 


 戦いの音がいつの間にか消えていた。

 城内の混乱が終息しただけなら問題はない。

 それなら当然の帰結として、敵はエルフの戦士たちに取り囲まれ逃げ場を失う。


(だが、何故誰も援軍に駆けつけて来ない)


 冷静な思考が、結果への矛盾を思い、憂いに変わる。

 生じた不安を振り払うように、ラルクは背負っていた長剣をルースへと手渡す。


「戦えますか」


「まだ、やれるさ」


 青い顔のまま額から零れ落ちる汗を拭うルース。

 しかし、その体が膝をついた。


「王子!?」


「なんだこれは。急に体が熱くなった。喉がひりつく……」


「ルース! ええい、また妙な魔法をっ――」


 その異常は、ラルクも感じ取っていた。

 同時に、部屋の外から何かがゆっくりと歩いてくる音が聞こえ出した。


「ニシシシ。やっと城内の掃除が終ったじゃん。もうこれで詰みじゃんね。さぁ、このままリスベルクちゃんっていう儚い希望を、拠り所を簒奪してやるじゃんよぉ!」


 気を逸らされた次の瞬間、床石を蹴り砕くような勢いでジドゥルが動いた。

 言動からリスベルク狙いなのは明白だ。

 その体はクルルカのものであるため、すぐさまラルクが割って入った。


「させるものかっ!」


 衝突する互いの得物。

 握った剣ごと弾き飛ばされかねない猛撃を、ラルクが辛うじて阻む。

 剛を阻む柔の剣。

 腕力差を勘定に入れ、剣でいなし、逸らして機動力で翻弄する。

 アッシュ相手に振るった剣と酷似していただろうか。

 しかし、状況が悪い。


「急げラルク! クルルカの体では、この魔法を使っている奴相手では長くは持たん!」


「リスベルク様!?」


 部屋の外へ、息を荒げるルースを支えながら忌々しそうにリスベルクが言う。


「さっさと倒して加勢に来い。それまではなんとか持たせる」


 いつの間にか、滝のような汗が自らの全身から流れ、すぐさまに乾いていく。

 そしてそれは、クルルカも同じだった。

 まるで真夏の日差しの下、延々と走らされているかのような疲労感が襲ってくる。


「鬱陶しい――」


 部屋を出るリスベルクたちの気配が遠ざかるのを感じながら、ラルクは異常な熱の中で剣を振るった。




「アッシュ」


 気づけば、俺はユサユサと体を揺らされていた。

 薄っすらと眼を明けると、レヴァンテインさんの顔が直ぐ前にある。

 どうやら仮眠は終わりらしい。


 ノームさんが繰り抜いた穴の向こうから吹きすさぶ冷風が、コートに包まった俺を痛いぐらいに歓迎してくれている。

 その向こう、穴の外を無言で指を指す魔剣少女。

 視線をやれば、当たり前のように大陸の姿が見えていた。


「もう朝か。見張り、ありがとう」


「ん」


 適当にパンと水で簡素な朝食を摂りながら様子を伺う。

 まだまだ暗いが、それでも薄っすらと照る日の光の下には広大な森の姿が見て取れる。

 その中に、一際大きな山がある。

 あれが王都があるというライクル山だろう。


 その南側は、森の中とは思えないほどに開かれており、木造の民家が立ち並んでいる。

 農業もやっているようで、どこか牧歌的なイメージが付きまとう。

 それでもやはりというべきか、定期的に木がありどこまでも森に囲まれた生活が基本なのだということを視覚で感じさせてくれる。


 更に視線を変えれば、山の北側に川が流れているのが見えた。

 どうやら大陸の遥か北まで続いているようだ。

 なんとなく周辺の地理を確認し終えた俺は、すぐに王都周辺で一際目立つその居城に眼をやる。


 山の南側、その麓に王都があるのだとすれば、それは中腹の斜面に建てられていた。

 一言で言えば異質であろう。

 木造を主体とする建築様式とは一変し、そこだけは石造りのせいで堅牢な城砦にも見える。

 周囲の斜面に添うように作られた外壁に、王都と城を結ぶ長い坂。

 防衛も考えられているのだろう。

 真っ直ぐに登るのではなく、蛇行するように坂はうねり、上から長く矢で狙い打ちにできるようにされている節がある。

 おかげで王都を見渡すかのように堂々と建つその城は、まるで王家の力までをも象徴しているかのようだった。


「さて、行くか」


 この位置ならよほど風に流されない限りは辿り着ける。

 一旦レヴァンテインさんをインベントリに戻し、手作りのウィングスーツを身に纏う。

 そして俺は、最短ルートに向かって飛び降りた。


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