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第三十七話「上ではなく横に立つ者」


 森の中にふと、開けた場所が見えた。

 その向こうにはゲート・タワーの防壁が見える。

 せっかく修復したはずのそれは、またも破られ正面の門さえ打ち砕かれていた。

 夕闇に沈み行こうとしている戦場の彼方より、まだ微かに抵抗の音が耳に届く。


 怒号と剣戟の音だ。

 一重に微かな希望となったそれは、一瞬絶望しかけた俺の心に怒りの炎を焚き付ける。

 だから俺は、馬鹿正直に突撃した。

 攻めるべきは塔なのだろう。

 防壁の上に立つ見張りなどは居らず、誰も俺に気づいた様子はない。

 打ち破られた門を潜った先に踏み込んで初めて、一部が俺を視認した程に背後への警戒が疎かだった。


 彼らは皆、エルフ族と同じ姿をしていた。

 特徴的な長耳に、整った容姿。

 太いというよりはスマートなその姿は、正にエルフ族そのものだ。

 笑えないのは、彼らの姿がシュランさんの所にいた戦士たちに非常に酷似しているということだろう。


 上半身を覆う革製の軽装鎧に、それぞれが携えた剣、槍、弓。

 まるで正規軍のような出で立ちは、奇襲するために態々あつらえたものに違いない。

 或いは、最悪防がれたことも考えて、全てをシュレイクの戦士に扮して押し付ける意図さえあったのか。

 連中の企みはしかし、これで終わりだ。


「識別――」


 俺は連中がハーフエルフの一団であると看破できる。

 だから、俺に戸惑いはない。

 地面を蹴り、タケミカヅチの発する紫電を纏いながら連中が何かを言う前に接近。

 事情も聞かずに切りかかる。


「消え失せろ!」


「ぐ、がぁ!?」


 上段からの一撃。

 咄嗟に掲げられた剣を、防御など知らぬとばかりに剣ごと叩き折って切り捨てる。

 上がる絶叫と血飛沫に頓着せずに、更に長大な剣を横に一閃する。

 膂力任せの一撃は、射程範囲内に居た数人を切り裂いて余りあった。

 まとめて数人なで斬りにされた敵が、自らの血に濡れた大地に倒れ、消失する。


 単独での躊躇の無い攻撃と、死した者を消す異様な能力。

 それを目にした敵陣に、微かに動揺が奔った。


「て、敵襲だ!」


「か、かかれぇぇ!」


 叫びは木霊し、一瞬塔内から聞こえる音さえ止む。

 そうだ、もっともっと仲間を呼べ。

 そして俺の前に姿を見せろ!


 近づいてくる敵を遮二無二切り捨てながら、湧き上がる怒りの感情のままに刃を振るう。

 手数が欲しいと思った瞬間にはもう、左手にグングニルを取り出していた。

 長大な獲物を両手に、我武者羅に腕力で振り回す。

 鎧ごと叩き切り、突き刺し、なぎ払う。


 俺を突き動かす憎悪の感情は、物言わぬ死体たちへの無念に呼応したかのようだった。

 足元にある何人もの死体は、俺と一緒に防壁の修理をした戦士たちだった。

 皆凄まじい形相で、怒りと絶望に塗れたまま事切れている。

 それを前にして、躊躇を覚えるなど土台無理な話だ。


「こいつ、ここの連中とは違うぞ!?」


「同時に掛かれ! 数で押し潰すんだ!」


「識別、識別、識別――」


 警戒を伝達する声が次々と上がった。

 どいつもこいつもレベル八十オーバー。

 虎の子って奴だろうか。

 戸惑いから立ち直り、初めは自らの有利を確信していたその連中。

 しかし二十人は切り捨てると、途端に表情を一変させ青ざめ始めた。


「なんだ、なんなんだよこいつは!」


「あああ、あんな重装備のエルフが居るなんて聞いていないぞ!?」


「あの稲光、まさかこいつも神宿りかっ――」


 何人かが背を向け逃げようとするのが遠目に見える。


「逃がすかよっ」


 そこへタケミカヅチのスキルを行使して追い縋り、背後から切り抜ける。

 振るった直刀の軌跡の上を、放物線を描いて飛ぶ上半身。

 降り注ぐ血が、同じく逃げようとした者に降り注ぎその顔を絶望で彩る。

 両足で地面を削りながら奴の眼前に躍り出る俺の横を、上半身が落着。

 そのまま、下半身諸共消失する。


「あ、うぁ、ああ……」


 ガチガチと歯を鳴らし、回り込まれた敵が手にした剣を構えながら逃げ場を探す。

 薄情なことに、絶体絶命の彼を助けようという仲間は居なかった。

 グングニルを突き出し、鎧ごと胸を貫いて絶命させる。

 こんなことをしても、誰も生き返らないことは分かっている。

 だが、だが――俺はもう止まれなかった。


 次の獲物へと視線を向け、スキルを起動して脳内のマップから敵の反応を消失させる作業に没頭する。

 火を掛けられただろう宿舎の焼ける匂いに混じり、新たな血の匂いが異臭を生み出す。

 死臭を更に上回る生贄の死臭が、生々しいまでに鼻腔を貫く。

 連続でのスキル起動に、何度も戦場に轟く雷鳴。

 それは、俺の心情を代弁したような咆哮だった。




 いつしか、完全に周囲から敵が消えていた。

 ふと我に返った俺は、マップを移動してくる反応が一つあることに気づいた。

 拠点の外から、ではない。

 塔の上からだった。


 散々塔の中から連中の増援が出てきてはいたから、奴らの仲間だろうか?

 そう思い、一度沈下した殺意の炎を滾らせながら両手の獲物を強く握る。

 はたして、待ち構える俺の前に姿を現したのは光を纏ったダークエルフの青年だった。

 識別したが、やはり間違いはない。


「ふぅ、やはりアッシュでしたか」


「アクレイか」


 彼は持っていた長剣の切っ先を下ろし、纏っていた光を消した。

 相当に敵を斬ったようで、返り血で服が濡れている。

 その顔には、やはりいつもの笑顔が張り付いているが眼だけは笑っては居なかった。

 それが当然のような怒りの感情であることは明白だ。

 笑みとのギャップも相俟って中々の凄みが感じられる。


「連中はハーフエルフでしたか?」


「ああ。どうやら面倒なことになっているらしいぞ」


 俺は一旦ノームさんを召喚すると、正面の門以外の防壁を石の壁で囲うよう指示を出した。

 丸太の防壁では心もとないのは明白だ。

 その間、お互いに情報を交換し、現状の把握に努める。

 しばらくすると、また別の戦士が降りてきた。

 すぐにアクレイは指示を出し、事後処理を始めさせる。

 それが終ればすぐにまた俺との意見交換に戻ってくる。


「それで、ああそうでした。私はすぐにリスベルク様の所に手紙をやりましたよ」


「俺の脚で追いつけると思うか?」


「手紙の回収なら微妙でしょうね」


 森の異変にはアクレイも気づいていたそうだ。

 方々から遠めに煙が上がるのが塔の上から見えたのだとか。

 炊事の時間帯ではないこともあって、アクレイ自身が下で警戒していたそうだが、それでも被害は大きいようだ。

 逆に、アクレイが下で抑えなければ向こう側への侵入を許してしまったかもしれない。

 後退しながら戦い、ギリギリ最上階手前で押さえ込めたと彼は説明してくれた。


「アッシュが来なければ危なかった。途中から下の援護に向かう者が増えたので、なんとか捌けました。今回は敵の錬度が桁違いでしたが、神宿りとアーティファクト持ちが居なかったのも勝因ですね」


「向こうの数はそれなりだったよな。占領して上を支配できる程の数じゃない。……連中の本命は何だと思う?」


「狙いは下でしょう。エルフ・ラグーンはゲート・タワーさえ占領できれば封鎖も容易です。連中がゲートを修理できるなら、後回しでも問題は有りません。ですので百に届かない程度の少数でも良い。しかし城は違います。恐らくは要衝にある村や集落などが一斉に攻撃されたのではないでしょうか」


「……何のために?」


「陽動でしょう。異変があれば戦士たちを方々に派遣せざるを得ませんから」


 適当な棒切れを拾い、アクレイはエルフの森の全体図を簡易的に書き出す。


「ここが我々の居るゲート・タワー。その大よそ北にはモンスター・ラグーンへの塔があります。そして、エルフの城があるのは東の……ここです」


 ほとんど真東だが、距離がかなりある。

 三日で往復したというディリッドの言葉から考えれば、彼女が如何に破滅的な速度で飛翔したかがよく分かる。


「ここに山、ライクル山がありましてね。その麓に都があり、そこから山道を登ればすぐ城があります。ですが、ここから徒歩で向かおうとするとかなりかかりますよ」


「普通の伝令はどうしているんだ」


「最速の道を、それぞれの集落の者たちで手紙を受け渡して貰うことで繋いでいます」


 つまりリレー方式か。


「しかも、今なら途中で連中の仲間が道を塞いでいる可能性があるわけだ」


「十分に考えられますね」


 現代日本のような通信網など、当たり前だがこの森にはない。

 無線もないから、自らの足や馬頼りだということか。


「狼煙<のろし>で伝達する方法とかはないのか?」


「なんですかそれは」


「煙の上がり方に意味を持たせて、長距離との連絡を取り合う手段だ」


「エルフにはないですね。強いて言えば、銅鑼や鐘を叩く回数で戦場で指示を出すというのは有ります。ああ、あとはほら貝や太鼓もですかね」


「それ、頻繁に使われてるのか?」


「昔の軍だけです。さすがにそこらの村の戦士たちは覚えていないでしょう」


 やはり、情報伝達速度は死活問題だな。

 無事にことが済めば、伝書鳩みたいなのでも研究するように言っとくべきか。


「アッシュ、実は一つ気がかりなことがあります」


「……この上なにがある」


「連中の目的ですよ。城が狙いで陽動をしたと私は予測しました。ですが、ここまで動いて一体何を望むのかが問題です」


「上と下を統合されて、エルフ族が完全に一致団結する前に手を打ちたかったんじゃないか? この機会に王都を攻め込んで落とすとか、無理でも王族を潰すとか色々あるだろ」


「ならばシュレイク王の体を乗っ取り、緩やかに行う方が良いと思いませんか?」


「それは……確かにそうだな」


 言われてみれば妙な話だ。

 指導者層である王族を一掃するだけだと考えたとしても、アーティファクトを王に持たせて体を乗っ取るにしても、王女の立場なら不可能ではないはずだ。

 何せ身内だ。

 やりようはいくらでもある。

 ましてや姫将軍なんて呼ばれているなら、武器の携帯も容易なはずだ。


「エルフ族の身柄が目的なら、別に今までのようなやり方でも良いのです。仮にケーニス姫が体を無自覚に乗っ取られているとしますよ。それでもう十分にどこに集落があるか把握できるのです。なら一つ一つ確実に攻めるべきでしょう。この森は基本的に大軍での行軍は不向きですから」


「だからそもそも少数だったって線もあるのか」


 元より連中の領土に隣接してさえいないしな。

 侵入経路なんかも気になるが、こうなると尋問のために一人ぐらいは生かしておくべきだったのかもしれない。

 怒りで我を忘れていたとはいえ、ある意味痛恨のミスだ。


「それに下の王家を全員亡き者にしたとしても、ラグーンには血を同じくして分かれた王家が存在するのです。致命的に指導者層を害するのが目的なら、ここも同時に攻めるべきでした。しかし、見ての通りそのつもりがあるとは思えない程度の数です」


「王族狙いでもないわけか。だったらなんだ? 占領して侵略の橋頭堡にするにしても、アヴァロニア本国からは遠すぎる。第一、抑えるにしても城は位置が悪い。仮に本隊がくるまで篭城するつもりだったとしても、その前に潰されるだろ」


 一瞬、ダロスティンがまた暗躍しているのかとも考えた。

 だがそれならそれで初めから侵略軍を一気に送れば良いだけの話だ。

 それができるなら、態々ここを少数精鋭だけで攻める意味が分からなくなる。

 その疑念の答えが、どうやらアクレイにはあるようだ。


「ここまでの推察を踏まえた上で、連中の狙いがシュレイクの王城にあると考えれば答えは一つしかないと思います。なので、是非とも阻んで頂くべく貴方しか通れない最短の道を使って城に向かって欲しいのですが……やってくれますね?」


 ズイっとばかりに詰め寄りながら、笑顔で尋ねてくるアクレイ。

 やはりその眼は笑ってはいない。

 それどころか、四の五の言わずにやれ、とばかりに爛々と輝いていた。


 こいつ、絶対に連中の企みを潰すつもりだ。

 なんだか、連中はおっかない奴にも火をつけてしまったらしい。

 もっとも、その意見には賛成だから、俺も当然のように唇を吊り上げるだけだ。


「いいぜ。どんな道かは知らないがやってやるよ」


「では急いで上に向かい準備しましょう。カミラ姫様のご助力が必要ですので」


 言うなり、アクレイは塔を登り始める。


「先に行ってくれ。ちょっと精霊さんを急かしてくる」


「急いでくださいよ」


 俺は頷き、ノームさんを探しに出た。




「アッシュ!」


 俺が上に向かうと、塔から出たところでお盆を持ったダルメシアが駆け寄ってきた。


「これ、戦士長さんが用意してあげて欲しいって」


「おっ、ありがとな」


 運んできてくれたのは水で濡らしたタオルと、具材を詰め込んだパン。そしてお茶だった。

 いつものミスリルコート姿にチェンジした俺は、両手をタオルで拭うとパンにかじりついた。


「ん、美味いぞ」


「良かったぁ」


「それで、アクレイがどこか知ってるか?」


「うん。こっちだよ」


 案内も頼まれていたようだ。

 少女の背を追い、何やら新しく建てられたらしい家屋に向かう。

 その間、暗いざわめきが良く聞こえた。

 運ばれてきた戦士たちの遺体には布が被せられ、生き残った仲間たちが別れの挨拶を交わしていた。


「ナターシャは元気?」


「おう。来年ぐらいにはまた顔を出せると思うぞ」


「そっか。なら安心。でも、またここの人が居なくなったんだね……」


 死んだ戦士たちを見るのは、これが初めてではないだろう。

 やっぱり、小さな子供にとっては良い光景ではないに違いない。

 俺は早足でダルメシアの隣に立つと、視線を遮るように位置に移動しながらアクレイを呼んだ。


「アクレイ、最短の道ってのはどこにあるんだ」


 すると、すぐに巫女さんが一人外に出てきて、俺たちを中へと誘った。

 どうやら、入って直ぐには祭壇が設けられているようだ。

 祈りでも奉げるのだろうとは思うが、その奥の通路を進むと個室のドアのようなものがあった。

 巫女や姫様たちの宿舎も兼ねているのだろう。

 巫女エルフの女性は、その更に奥に俺たちを案内する。

 書庫らしく、そこでカミラ姫とアクレイが巫女団と共に書物を漁っていた。


「……何やってるんだ?」


「いえ、アッシュにはエルフ・ラグーンから飛び降りて頂こうと思いましてね」


「そりゃ、間違いなく最短ルートだな」


 俺しか使えないわけだ。


「私の記憶が正しければ、この時期のはずなのですよ。このラグーンが森の上を通過するのが。ですので、こうして昔見た書物を探すのを手伝ってもらっているわけでして」


「わたくしもさすがに驚いてしまいました。その、飛び降りるお姿を拝見させて貰ってもかまいませんか?」


 姫様は元より、巫女団も何故か熱い視線が飛んでくる。


「別にその、ピカッと光ったりしながら飛ぶとかそういうわけじゃないぞ」


「そうなのですか?」


 キョトンとした顔で、姫様が目を瞬かせる。

 一体、姫巫女様の頭の中では俺はどんな風に空を飛んでいるのだろう?

 尋ねたいところではあったが、その前にアクレイが書物を発見した。


「ありました、これですこれ。いやぁ、懐かしい」


 管理している巫女団より早く見つけるとはさすがだ。


「よくご存知でしたね。これはもう誰も気に留めない資料ですのに」


「若気の至りという奴ですよ。実は昔、ラグーンから地上を攻撃できないかと考えていた時期がありまして」


「まぁ、何故そのようなことをお考えに?」


 おい、飛行機もない文明レベルに生きている癖に対地攻撃の手段を模索しているってお前、時代を先取りしすぎだぞ。

 突っ込むべきか、それともスルーするべきか。

 俺は当たり前のように葛藤した。

 その間にもアクレイは説明する。


「ゲートがまだ普通に開通していた頃、つまりはアッシュが来る遥か前ですね。いつか、森を周辺の国が襲ってきたら、その報復として大岩でも落として敵国の城を潰せないかと考えついたんですよ。その時、ラグーンの飛行経路の資料を探したら見つけまして」


 笑いながら言う台詞ではないと思う。


「さすがアクレイ様ですね。わたくし、戦いには疎いので初めて耳にしましたわ」


「いえいえ、私など可愛い者です。ほら見てくださいアッシュを。あの顔はもっと凄いことを知っている顔ですよ」


「いやまぁ、確かに爆撃とかコ○ニー落としとか知ってるけどな」


「よく分かりませんが、貴方の顔を見るだけで相当に期待できそうですね」


「作り方が分からんし持ってないぞ」


「いえいえ、どんなものか概念さえ教えていただければ後はこちらで」


 こちらで、なんだ。

 何だって言うんだよ。

 これ以上話すのが恐ろしくなった俺は、ページをめくるアクレイに先を促す。


「雑談してる場合じゃないだろ。実際どうなんだ。本当に上を通るのか?」


「えー……ああ、ここですね。やはりそうです。記録では明朝にでも上を通る感じです。さすがに誤差はあると思いますが、そのあたりはアッシュの飛び降り方次第かと」


「少しぐらいなら大丈夫だ。最悪追加で一日ぐらいかかっても俺が走ればいい」


 妨害もあるかもしれないしな。

 そう考えれば陸路よりはマシか。


「となれば、夜も移動してもらった方がいいですね」


「結界の下を掘りぬく時間も必要だしな」


 いや、ノームさんに頼めばすぐに掘れるか?

 なら、本当に上を通過するかどうかが問題か。

 怖いのはまったくの無駄でしたって場合だ。


「信頼性はどうなんだ」


「研究者が数人で、百年がかりで観測しているそうなのでほぼ間違いはないかと」


「ならすぐにここを発つか」


 盆の上の茶を一息で飲み干し、一息つく。

 すると、ダルメシアがお盆を持ってくれた。


「がんばってね」


「ああ。――っと、肝心なことを忘れてた。結局、下の王家にしかないものってなんなんだよ。俺は何を連中から守ればいい」


「鈍いですね。リスベルク様に決まっているじゃないですか」


 確かに、一つしかないアーティファクトではあるのだろう。

 だからってそのためだけにこんな騒動を起こすか?

 疑問しか沸かない俺だが、カミラ姫は察したようだった。


「そんな、もしあの方が奪われでもしたら……」


「間違いなく、森中のエルフ族の戦士がアヴァロニアに取り戻しに向かいますね」


「……本当か?」


「それぐらい当然の如く影響力があるとお考え下さい。この場合、最後の一人まで徹底して命を捨てる覚悟で望みます。勝てる勝てないは関係有りません。これは聖戦になりますので。無論、この私だとてここを出ざるを得ません」


 分からない。

 生粋のエルフ族ではないからか、まったく理解が及ばない。

 それは俺と彼らとの価値観の差を如実に表す相違だ。

 だが、ある種の宗教戦争に近いのかもしれないとは思った。


 地球の歴史を思い出せ。

 信仰のために戦う、なんていう価値観は、向こうでもあったじゃないか。

 今の無宗教な日本人にはもう馴染みなどないが、そういう価値観があると受け止めるぐらいならできる。

 それを真に理解することだけはできそうもないし、するつもりもない。

 けれどまぁ、自爆テロさえ辞さないような連中が神を返せと叫びながら戦うと考えれば当たり前のように笑えない。


「よく分からんが、なら俺も体には気をつけないといけないな。一応は神らしいし」


 しくじって連中に殺され、神の仇とばかりにエルフ族が報復に走るとしたら地獄の底で頭を抱えることになりそうだ。

 神妙な顔して頷くと、アクレイが笑顔で言いやがる。


「ご安心下さい。アッシュがどうなっても、別に我らは命を掛けたりしませんから」


「……おい、新種の神とか持ち上げといてそれかよ」


 なんだ?

 見渡したら巫女団さえ全員視線を逸らしたぞ。

 俺、神なんじゃなかったのか?

 それとも何か。

 風呂エルフは敬えないとでも言うのか巫女集団!

 貴様らまとめて風呂を使用禁止にするぞ!


「はぐれの貴方とリスベルク様とでは違うということですよ」


 こうも残念そうな顔で言われると、ぶすっとした表情を浮かべずには居られない。


「そ、その、アッシュ様が居なくなられるとわたくしは寂しく思います……よ?」


 姫巫女様はフォローしてくれているらしいが、何故か疑問形であらせられる。


「いや、いいんだ。よくよく考えるとその方が身軽でいい。好きなだけはぐれ生活を満喫できるからな」


 ニヤリとアクレイに言ってやる。

 これにはさすがの奴も肩を竦めるが、そこはやはりアクレイだった。


「いけません、いけませんよアッシュ。そういう軽はずみな発言のせいで、信頼は容易く失われていくのです。嗚呼、今も私から信頼が目減りしてしまいました。なんてことだ」


 腹黒い奴の信頼などいらんわ!


「俺の信頼は生産中止中なんだ。残りの在庫はそれ相応の奴にだけしか売らんと決めている。勿論、安売りなんかしないからお前にはやらん」


「でも、これから貴方は吹っかけに行くわけですよね」


「この機会にリスベルク信者共からお高く巻き上げてやるのさ」


 言うなり、踵を返し歩を進める。

 その背中に、アクレイが苦笑交じりに言う。


「西に真っ直ぐ向かってください。ここからなら外環部へはそこが一番近いですので」


「了解だ。守りは頼むぞアクレイ」


「はい。こちらのことはお任せを――」


 しかし、本当に間に合うか?

 陽動で戦士たちが動くにしても、城の警備がそこまで落ちるとも限らないはずだが。

 一抹の不安を胸に、俺は拠点を飛び出した。




 出て行ったアッシュを見送ったカミラは、資料本を戻すアクレイに抗議した。


「アクレイ様。さすがにその、ああいう言い方はアッシュ様に失礼ではないかと」


「別にアッシュは気にもしませんよ」


「だとしても、です」


「しかし実際そうでしょう? アッシュが死んでも聖戦はありえません」


「それは……しかし……」


 言い淀みはしても、彼女自身が否定ができないのがその証拠だった。


「そもそもリスベルク様と比べるというのが間違いなのです。アッシュは我々の上に立つ気がない。どちらかといえば、彼は我々の横に居ることを好むような相手ですから」


「距離感が違うと?」


「本人もそれを望んでいる節が有りますし、私も跪きたいという気にはなりません。なんと言いますか。神としての神聖さや、あの独特の威圧感がまるで感じられないのが致命的にそう思わせるのでしょうね」


 神宿りに至ったレベルホルダーの、あの荘厳な輝きさえアッシュに感じたことがない。

 神だと言うのも、所持するアーティファクトやリスベルクが認めたからこそ信じる気になったことで、そうでなければアクレイはアッシュを神などとは呼ばなかった。


「ですので、私は彼を妙な力を持つエルフぐらいに思うことにしています。聖戦云々もそうですね。個人的には何か在れば怒ることだけは確信していますが、それとエルフ族の意思はまた別でしょうし」


「まぁ、ではそう仰ってくだされば良いですのに」


「いえいえ。隣人にそんなことを言うのは意外と恥ずかしいものですよ」


 いつものようにふふふっと笑い、アクレイも巫女団の家屋を出て行く。

 その後ろを、思い出したかのようにダルメシアがついていった。


「戦士長様、アッシュは大丈夫でしょうか」


「そうですねぇ、少なくとも彼は問題ないでしょう」


 それだけの力を持っていることは、少し前に確認できている。

 そして、初めて会ったときよりも確実に強くなっているということも。

 何せ、前とは違ってあの屈強な護衛を使っていない。

 それだけでも尋常ではない速度で力を手にしたことの証明になる。

 それは、アクレイの知りうる常識から完全に逸脱していた。

 正に神の力だ。


「……時に、ダルメシアはアッシュをどう思います?」


「えと、あんまり怖くない人……です」


「なるほど、言い得て妙ですね。私も彼を怖いと思ったことは不思議とありません。相手は神らしいのですがね」


 『神』の名に相応しい力がある存在の癖に、そこにあるはずの畏れが感じ取れない。

 それはつまり、世間一般の神とは毛並みが違うということか。

 それとも、単純に本能で理解しているということなのか。

 アレが、自分たちの味方である神だ、と。


「本当、アッシュは何者なんでしょうか」


「神様じゃないんですか」


「そうですね。彼は神でした。ふふふ。ついついそれを忘れそうになってしまう。不思議な存在ですよ彼は」


 新種とは良く言ったものだ。

 そう、アクレイは思いながら仕事に戻った。

 森が落ち着くまでは、なんとしてもラグーンを守らなければならない。

 もっとも、アッシュがどうにかするだろうと彼は確信していた。


 確かに、少し頼りないところはあるし薄情なところもある。

 だが、それでもエルフ・ラグーンがこのきな臭い森の上を通過するこのタイミングでやって来た。

 その事実から考えれば、やはりアクレイは感じずには居られない。

 リスベルクのように、アッシュもまたエルフ族にとっての守り神なのだ、と。


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