第三十四話「剣士来訪」
半年が経過した。
夏が終わり、秋も過ぎて森にも冬が訪れている。
大陸の位置的には北方に分類されることもあって、当然のようにエルフの森も雪化粧に覆われていた。
ゲート・タワーの拠点も例外ではない。
この拠点はエルフ・ラグーンへと続く塔よりも更に厳重な作りになっている。
塔の周辺には石作りの堅牢な防壁で囲まれており、その門の手前は石の塀で囲まれていて、戦士たちのための木造家屋が存在する。
その家屋も今や雪の重量による重みに喘いでいた。
これにはたまらず、拠点の戦士たちも雪かきに励まざるを得ない。
怠れば家が潰れるだけではなく移動さえも困難になるのだから、彼らは作業をこなしていく。
ラグーンから来た者は俺も含めて慣れない若者が手間取っていたが、それも雪が降ったあとに必要なことだと思って諦めるしかなかった。
とはいえ、今の俺にはレヴァンテインさんや炎の精霊イフリートさんが居るのだ。
他のエルフに被害が及ばないように熱で雪を溶かすことを覚えていた。
「うう、早く朝飯が食いたい」
ラグーンに季節はない。
ほとんど春で固定されている場所に住んでいるので、冬である森に来るときには外套が欠かせない。
後は朝風呂だ。
しかし、これがまた厄介なことになっていた。
俺は住居区画の広場に許可を得て風呂を作った。
さすがに三作目ともなれば手馴れたものである。
調子に乗って男湯と女湯を作り、更にアデル王子の養殖時に作った二作目(小型)を俺専用としてモンスター・ラグーンの塔に置いた。
風呂の反応は上々だった。
一日中汗と返り血に塗れる戦士たちは、レベル上げが終るとそこで汗を流す。
ただ、元々詰めていた拠点の戦士たちには当初受けが悪かった。
しかし、共にレベルを上げる過程において仲間意識が芽生えたのか、元々興味があったのか、少しずつ交流を深めていく中で、一人、また一人と風呂に入るようになった。
おかげで今では皆が入るようになっていた。
だというのに、俺は雪の対策などまったくしていなかった。
秋が終る頃になって初めて、エルフの戦士が冬は入れないことを嘆いているのを聞いて知ったぐらいだ。
なので当然、浴槽が雪で埋まる。
それに露天風呂で全裸はきついので、現在では使う者が少ない。
それでも皆無ではないのは、皆が風呂の魅力に取り付かれたからであろう。
だから俺はリピーターを失わないように毎朝風呂を掃除するのである。
炎の精霊をけしかけ、鬱陶しい雪を温水に変えて排水口から流し込みこんで溶かし清掃。
そうして、雪かきで体を冷やした戦士たちの憩いの場を確保してから食堂に向かうのだ。
「普通は飯を食ってから働くもんだけどアンタは本当に逆だねぇ」
「風呂エルフ様だからしょうがないんじゃない?」
朝食を終えたナターシャとイスカとすれ違うので挨拶をすると、感心とも呆れとも取れる言葉で迎えられた。
「なんと言われようが、風呂を沸かすのは今の俺の日課だ」
「さすがね。それじゃ、雪かきの後で使わせてもらおうかしら」
「おう、存分に使え」
チラリと視線をナターシャに向けると、彼女も渋々頷いた。
「はいはい、分かってるよアッシュ。ちゃんと肌を磨いとくよ」
なんだかんだいって、俺が起きてくる時間帯に合わせてくれているナターシャである。
「風邪を引かないように気をつけろよ」
「そうしたら一日中看病してもらうさね」
快活に笑い、去っていく姿も相変わらずだ。
諦める気配はなく、むしろ破竹の勢いでレベルを上げている。
俺は結構この距離感が気に入っているが、どうせなら一緒に食事を摂るために少し早く起きようと思った。
雪かきがある日は、レベル上げは昼からになる。
ただ、早く終れば個人的に励みに来る者は居た。
ヨアヒムもその一人だ。
半年も四六時中戦っていれば、当たり前のようにレベルは上がる。
そしてそれ以外にも、強さを渇望する者は自然と塔にやってくる。
初めは無茶をする者も居たが、痛い目を見た後は慎重に戦うようになった。
怪我人は出てもまだ死人は出してない。
その秘訣はやはり、単独行動をさせないことだろう。
必ず二人以上でレベル上げに向かう。
人が居なければ、手が空いている武器娘さんに声をかけ監督してもらうことで身を守るようになっていた。
やはりひたむきに戦う奴の方が成長は早い。
特にエリート扱いされなかった連中は、春には交代するということもあって最後の追い込みにも熱が入っていた。
「よしよし、早く大きくなれよ」
彼らが頑張っている間、俺が何をしているかといえば畑仕事である。
ぶっちゃけ、俺が手伝いに呼ばれることはない。
ヨアヒムやらナターシャたちは別だが、それ以外ではあまり声を掛けられない。
なので、暇な時間にはモンスター・ラグーンで畑を作った。
ここで戦わない間に調べていたから分かったのだが、塔の周辺はどうにも魔物が召喚されにくいようだ。
その距離を見極めた俺は、塔周辺を囲うように地の精霊ノームさんに石の壁<ストーンウォール>を作らせた。
元々は障害物を作る魔法なのだが、いきなりこいつは地面の下からそそり立つのだ。
似たような妨害魔法で炎の壁<ファイアウォール>などもあるが、あれらと違って石の壁は消えない。
結構分厚いので、これで塔の周囲を囲った。
迎撃ができるように段差も付け、アーティファクト魔法による遠距離攻撃での新兵のレベル上げに利用できるようにもした。
もっとも、魔物に荒らされないようにと考えた結果、塔の入り口以外を密閉してしまったので出入りするには塔の窓から出入りするしかなくなってしまったが。
その頃には風呂もこれで作ればよかったと後悔したが、それは春の課題である。
何はともあれ塔の周囲を覆った俺は、それにより畑を荒らされる心配が無くなった。
嬉しい誤算という奴で、石壁の内側全てがダンジョン扱いされたのだ。
おかげで終焉の炎でのレベル上げが出来なくなるという最悪な事態まで避けられた。
なので、とりあえず適当に買った種を植えたのだが、これが中々に楽しい。
何せちゃんと芽が出て来たのである。
当初は耕すのには苦労させられるかと思ったが、そこもノームさんがやってくれた。
小石などを土の中からマシンガンのように飛ばし出し、土を盛ってくれたのだ。
俺がやったのは邪魔な骨やらを取り除き、種を撒いて水をやり草を抜く程度だった。
これにより俺は、精霊さんの能力と自由度、そしてゲーム設定を逸脱する要素について更に考えさせられることになった。
そもそも、俺のノームさんにそんなスキルは無い。
しかし、地の精霊という確固たる設定がどうやら彼女たちに影響を与えているようだ。
よくよく考えてみれば似たようなことは他にもある。
例えばトライデントだ。
アレで放水しているが、本来はあれにあそこまで水量を調節するような機能はない。
だというのに、なんとなくそれができていた。
つまりこれは、武器スキルも使い方に工夫ができるということの証明に他ならない。
おかげで夜の修行にレベル上げ以外の楽しみを見出してしまっていた。
「アッシュ、あんたにお客さんだよ」
皮袋に針で穴を空け、トライデントを突っ込んで簡易的なじょうろにして水をやっていた俺は、ナターシャの声に振り返る。
一階ではなく、二階からのようだ。
「なんだ、またリスベルクから手紙の催促か?」
「いや、それとは別件だ」
男の声だった。
手を振るう彼女の隣の窓から、見覚えのあるエルフの少年が飛び降りてくる。
「……ラルク? お前、ドワーフのところで修行中なんじゃなかったのか」
「年が明ける前には森に戻っていたが、クルルカ様に近衛に戻れと捕まってしまってな」
エルフの剣士は苦笑しながら俺と畑を見比べる。
「姫から聞いてはいたが、本当に畑仕事をしているな」
「戦うだけの毎日なんて御免なのさ」
話しながら、トライデントジョウロでの水やりを再開する。
色々と種を植えたが、勿論俺がインベントリから持ち込んだ奴も挑戦していた。
ジャガイモやいちごもそうだ。
後はよく分からないのがあるが、適当にナターシャに聞いたりして収穫したりしなかったりである。
レベル上げの戦士たちは四六時中戦うので良く食べる。
その分ラグーンから食料が輸送されてくるが、ここで作っておけば食料負担が減る。
また、コツを掴んでおけば後々俺自身のためにもなるだろうという打算も勿論あった。
「でもよく来たな。下は雪で大変だっただろ」
「あれぐらい大したことではない。むしろ上と下の温度差の方が堪えるぐらいだ」
涼しげな顔で言うと、外套を脱ぐ。
完全武装しているところがらしいといえばらしいが、おい、何故光る。
「神宿りに至ったか」
「だが、この力をまだ使いこなせているとは言いがたい。はぐれ魔女のディリッド様にも軽く揉んでもらったが、どうにもスタイルが違いすぎてな」
「そりゃ、あいつは魔法重視だから剣士とは領分が噛み合わないだろ」
「だから手合わせしてくれ」
「うぇ?」
思わず聞き返してしまった。
「俺とやっても参考にはならないと思うぞ? それでもいいのか」
「勿論だ」
むっつり顔で頷くラルクは、やる気満々といった風情だ。
神宿りってことは、勿論真剣でやりたいっていうことだろうが……俺、寸止めとかそういう手加減の仕方を知らないんだが。
「怪我しても文句言うなよ」
「そちらこそな」
ニッと笑う彼に頷くと、俺は言った。
「じゃ、水遣りが終るまで待ってくれ」
本組み手は上で行われることになった。
さすがに雪の中でやるよりはマシだが、何故かギャラリーが集まっていた。
どうやら、ナターシャがイスカを呼びに言ったときに聞かれていたようだ。拠点の兵士はもとより、ラグーン組もチラホラと顔を見せている。
「あの彼、相当に強いけどいいの?」
「別に負けてもいいだろ。純粋な剣技じゃ勝てないだろうし」
俺が勝るのはレベルに裏打ちされた身体能力と装備のみ。
まぁ、それでも並大抵の神宿りに遅れを取るつもりはない。
ナターシャも見ているし、少しは格好をつけてみよう。
久しぶりに全身鎧を身に纏い、右手にタケミカヅチさん、左手にミスリルシールドの布陣で挑む。
念のため、武器娘さんは全員回収。
その代わり精霊さんを呼んで魔物の介入を防ごうとしたが、どうやらそれには及ばないようだ。
「あれま。魔物が不自然なまでに逃げちまったよ」
「神宿りの効果だ」
ナターシャの疑問に、ラルクが答える。
「体から洩れ出るこの神気は、魔物だろうとなんだろうと例外なく威圧する。弱い奴は身を守るために近づこうとはしない」
「便利だねぇ」
「神宿りのデメリットは……やっぱり体を乗っ取られることぐらいかしら」
「そんなところだ」
しかし、このプレッシャー。
至近距離だと心臓に悪いな。
地獄の戦鬼やらのせいで、あまり神宿りには良いイメージが無い。
「そろそろ準備はいいか」
軽く素振りをしていた俺は、ラルクに頷いて皆の周囲から離れた。
「お前が生きていると聞いたとき、オレは自然とこの機会を切望した。何故だか分かるか?」
「矜持だろ」
「無論それもある。あの時、ジンにまで逃げろと言われたのは屈辱の極みだった」
仲間を見捨てるというのは、それほどまでに後ろめたいということだったのだろう。
当然か。
俺だって、そんなことをされたら忘れられないぐらいには葛藤を覚えるに違いない。
静かに瞳を閉じ、当時を振り返っているだろうラルクは、それでも軽く笑って見せた。
「だが、そのおかげで停滞していたオレは今この境地へと至ることができた。そういう意味でも借りを返したいと思う。だが、今は――」
右手の右手にシャムシール型の愛剣ジンを、そして左手にナターシャが持っていたレイピアを抜く。
その背には、俺が送った三本目の長剣型アーティファクトが抜かれずに背負われている。
剣一本分の余剰ウェイトなど、今の彼には関係が無いのだろう。
淡い光の中で、空気の流れが生まれ風が自然と彼を中心に渦巻き始めている。
「――一人のエルフ族の戦士として、我らが新しき神に胸を貸して頂きたい」
見開いた瞳の中にある爛々とした輝き。
喜びと気迫とが混じった顔には迷いなど欠片も無い。
それは真正面からその眼差しを受け止めるには、少しばかりこそばゆい気がした。
「その、なんだ。あんまり俺に尋常な強さを期待するなよ」
言いながら、それでも模擬戦を止めようとはせずにただ構える。
そうして、互いに頷いてすぐ俺たちは試合を始めた。
速い。
それが、一も二も無く感じた感想だった。
ジンの生み出しただろう不自然な風を背に、右のシャムシールが襲ってくる。
左手の盾でそれを受け止め、右手のタケミカヅチで薙ごうとした刹那。
連動した左手のレイピアがそれよりも早く飛来した。
「――ッ!?」
咄嗟に右足を引き、半身になってそれを避ける。
だが、それはただの突きではなかった。
鎧の右腹部を容赦なく掠める螺旋の風がある。
大気ごと抉るようなレイピアの切っ先には、小規模な竜巻が見えた。
兜の隙間から入り込む風が、妙に強くその存在を主張する。
正に、風精が宿ったとしか思えないような一撃。
それに見とれる暇はない。
俺はタケミカヅチを振るい、返礼とばかりに右下から払い上げる。
二・七メートルのリーチは伊達ではない。
斜め上に跳ね上がる斬撃は、早々簡単には間合いの中の獲物を逃がさない――はずだった。
右手には手ごたえがまるでない。
その切っ先の向こう、一瞬で射程圏内から離れてのけたラルクが居た。
やはり、速い。
今までの連中とは速度においては段違いだ。
巨人しかり戦鬼しかり、基本的に機動力を重視するタイプではなかった。
近いタイプなのはダロスティンだが、奴は変則型であるし、アヴォルに至っては寄り代のレベルが低かった。
しかしラルクは違う。
この世界で、ここまで足を使う神宿りとの対戦経験は俺にはまだない。
そして、その機動力に剣技と魔法を融合させている。
そこにラグーンズ・ウォーから来る戦闘経験がプラスされるのだ。
やはり単純なスペック差で楽に勝てる相手ではない。
おそらく、俺の最も苦手なタイプになりえる存在だ。
「遅いぞアッシュ」
涼しげな顔でそういうラルクは、不敵な笑みを浮かべながら切り込んできた。
「お前が速過ぎるんだよ!」
風混じりの剣が次々と飛来する。
息をつく暇も無い旋風の如き連撃。
それらを盾で受け止めた感触から行けば、パワーはきっとそれほど怖くはない。
というか、当たり前のように軽い。
だが、俺の攻撃が致命的なまでに当たらないのでは力比べも何も無い。
間合いは見切られ、攻撃した次の瞬間の隙には猛撃が帰ってくる。
「くっ、ぬ、おぉ!?」
盾のガードを抜けて、レイピアの切っ先が兜を掠めた。
首を逸らさなければ即死コースだったに違いない。
ヒヤリとする汗が、全身に流れるような不快な感覚。
ここ最近感じたことの無い危機感と共に、大きく後ろに跳躍し距離を取る。
「逃がすかっ」
そこへ、追従するかのように駆け抜けてくる少年剣士。
その疾走からの追撃に、当たり前のように身構える俺の眼前で、ふとラルクの姿が空気に溶けるように掻き消えてしまった。
「消えた? いや、これは――」
イスカの持っていたレイピアの魔法か。
足音が数歩で消え、完全に無音になる。
そうと分かった瞬間には、俺は『索敵』と呟きながら後退する。
マップの反応は……後ろか!?
すぐさま右旋回をしつつタケミカヅチを一閃する。
手ごたえあり。
硬質な物体を叩いたような感触と共に、姿を現したラルク。
彼は剣を交差して防いだ姿のまま後方へと飛んでいた。
その顔には微かな驚きが浮かんでいる。
「呆れるほどの膂力だな。一瞬、両腕が壊れるかと思ったぞ」
「当たらなければ意味が無いさ」
これ以上本気になられても困る、などと思っているとラルクが全身から光を消した。
「これぐらいにしておくか」
「もういいのか?」
「これ以上熱くなると、止まれなくなりそうだ」
一瞬だけゾッとするほどの冷たい笑みを浮かべ、すぐにラルクは頭を振るった。
さすがに全力で殺し合いをするつもりはない、ということだろう。
「ならいいんだが」
剣を鞘に収めるラルクに習い、俺も構えを解いて塔に戻る。
遠目に見ていたギャラリーの一部が俺たちを取り囲んだ。
どうやら狙いはラルクのようだ。
その証拠に、いつの間にか来ていた警備隊長がラルクに頼み込み始めた。
「ラルク殿、是非戦士たちの指南を頼めないだろうか」
「オレがか? あまり教えるのは得意ではないんだが……」
チラリと、俺に視線を向けてくるラルク。
助け舟を期待しているようだが、この波には乗るべきだろう。
「いいな。どうせならラグーン組も一緒に揉んでやってくれよ」
「お前が教えているのではないのか?」
「俺はレベル上げの手伝いしかしてないぞ」
「……二、三日で帰る。それまでで良いなら構わないが」
呆れながらも頷いてくれたので、さっそく傍観していた男を引っつかんでくる。
「よし、ならこいつも頼む」
「ちょ、アッシュ」
「教えてもらっとけヨアヒム。俺は剣術なんて教えられないしラルクは強い。レベルを上げる以外に強くなれるチャンスだぞ」
「そ、そうか? じゃ、じゃあお願いしてみようかな」
「……なら、この際希望者はまとめて呼んで来い。だがな」
「ん?」
「お前は強制参加だ。我流過ぎるのを少しは矯正して行け」
薮蛇だった。
苦手だと言いながら、訓練用の木剣で指南する姿は中々堂に入っていた。
修行と一緒に教官を押し付けられたというのは伊達ではないらしい。
戦士たちも良い刺激になったようだ。
俺はといえば、ひたすらに素振りを押し付けられた。
エルフ戦士の剣の型、という奴である。
本当に基礎中の基礎からだそうだ。
「今更アンタに必要なのかい?」
「知らないよりはいいんじゃないか」
「付け焼刃で終りそうだけどね」
「全体的に体の使い方が滅茶苦茶なのに、アレだけ動ける妙な男だからねぇアッシュは」
「逆にアレで戦えてるのが凄いわ」
ナターシャとイスカのダメ出しである。
片や傭兵団仕込みで、もう一人はアヴァロニア仕込みの剣術を体得している。
基礎という意味では俺を圧倒する二人は、話の種程度にはラルク臨時教官の話を聞いていた。
そしてヨアヒムはといえば、なんとラルクから筋が良いと褒められている。
レベル上げに猛進していた女性陣二人の無茶に付き合わされるせいだろうか。
ここ半年で逞しく成長した彼は、確かな手ごたえに感極まっていた。
もっとも、ラルクに打ちのめされてすぐに気絶してしまったが。
嬉しそうな顔が一変した瞬間は、とても気の毒に思えた。
そして増える教導の犠牲者の数々に、魔物がチャンスとばかりに攻め込んでくる。
俺はこれ幸いとばかりに精霊さんと武器娘さんを従えて塔の入り口を死守。
素振り地獄から脱出し、この日の訓練をうやむやにした。
どうにも、型に嵌った動きがしっくりこないのである。
夕食を終えた俺がラグーンのベッドで横になっていると、ラルクがやってきた。
「本当に住んでいるとはな。呆れた奴だ」
「まだ何かあったか?」
「機密事項の連絡だ」
言うなり、彼は手紙を二つ差し出してきた。
このタイミングということは、他のエルフには伝えられない話というわけか。
どちらも厳重に蝋で封がされていたが、構わずに破って中の手紙を読む。
一つ目はどうやらクルルカ姫からのようだ。
要約すると、ラルクが護衛に戻るように説得してくれと書かれていた。
「……」
なんとも言えない表情で文面を確認するが、どこをどう探しても機密事項らしき文面が無い。
「中身は知っているか?」
「機密文書だぞ。近衛ではなくなった今のオレ程度が知るべきことではない」
「そんな深遠な理由かどうかは、次で決まるな」
二通目はリスベルクからだ。
ルース王子の体を借りて書いているらしいが、想像するとちょっとアレだな。
アーティファクト姿なのだから当然といえば当然だが、彼も色々と大変だ。
「春は気をつけろ、か」
さすがに、冬に森の中で暴れる連中はいないらしい。
警告文と共に、城での近況などが書き綴られている。
どうやら、上と下のエルフ族の統合計画は緩やかに進んでいるようだ。
もっと手紙を寄越せという言葉と、できるだけ早く城に来いという言葉がある。
いつものように催促する旨が書かれていたが、話はそれだけではなかった。
――一応は独立派に気をつけろ。
その意味深な一言で手紙は締めくくられていた。
「ラルク、独立派ってなんだ?」
「現在、上と下で統一の話が出ているのはさすがにお前も知っているな」
「勿論だ」
「それを阻もうという勢力だ」
ここまで端的に言われるとああそうですか、とでものんきに構えられるが、『気をつけろ』という文面があると途端にきな臭くなってくるな。
「つまり、上と下のままで別に良いだろうって勢力でいいのか?」
「そんなところだ。血の気が多くて古株に多い。だから王家も説得に手間取っている」
大御所という奴か。
エルフ族は長生きだから、世代交代が中々に進まないはずだ。
その弊害として、長く重鎮として機能してきた彼らは国に貢献してきた実績もあるせいで無碍にも出来ない。
だから、今は拙速にことを進めたいリスベルクにとって、彼らは目の上のたんこぶみたいなものになるのかもな。
しかして要職についている連中も多くて結託されると厄介だ、と。
上と下の問題だけではないんだな。
下だけ見ても、エルフの王国も一枚岩ではないってことか。
「ダークエルフ側にはそういうのはいないのか?」
「向こうはそういう話を聞かないな。連中の事情は余り詳しくは無いが、元々王が上と下で別れてはいない。命令系統が初めから一つだから、混乱は少ないのだろう」
てっきり、上と下で同じように王家を分割してるかと思ったのだが違うのか。
だからアクレイの判断ですぐに動けるってことだな。
どこまで考えてそういう政策で推し進めていたのかは知らないが、あいつならそれも見越して動いていそうだな。
もう全部アクレイのせいとでもダークエルフ関連は思えばいいのかもしれない。
極めて安直だが、そのつもりでいるとしようか。
「話を戻すが、その独立派とやらは過激なのか?」
「抗議ぐらいはするぞ。ただ王家に取って代わるような野心などはないと思うが……」
「こういう時によくあるのが、王家を幽閉したり、言うことを聞きそうな奴を身内に取り込んで権力を分捕るってのがあるが……さすがにないよな」
「飛躍のしすぎだろう。元々がリスベルク様の案だ。検討に値する議題だったはずだぞ」
「だが、あいつに実権はないんだろ」
建前としては王家が政治をしているというのがある。
リスベルクにあるのは至高の権威だけと聞いている。
最終的に決め、国を運営するのは王家の役割だ。
そういうプロセスだから、逆に言えば実権を握ればやりたい放題できる。
今ならアーティファクトであるリスベルクが面と向かって物申せない。
仲介が必要だということを逆手に取り、リスベルクの言葉として政治を動かすことができるかもしれない……なんて、さすがにお約束過ぎる妄想か。
「そうだ。すっかり忘れていたが、はぐれとして紛れ込んだかもしれないハーフエルフの問題はどうなってる?」
なんだかんだで棚上げされているが、この問題も残っているはずだ。
「分からん。近衛としての身分を失っているから、今は踏み込んだ話は聞いてない。ただ、はぐれのチェックはしたしイスカが知っているルートに関しては監視を置き、対処はしたはずだが……」
それでも被害は出ているという現実がある。
言葉を濁すラルクは、壁に持たれながら思案顔になった。
「やはり、元を断たない限り被害は出続けるだろう」
「或いは、手を出すと割に合わないと心底知らしめるかだな」
「それが難しい。基本的に下っ端のハーフエルフ共は買われた奴隷や、人質を取られて仕方なく動かされている者が多いらしいからな。幸いとも言えんが、イスカは身内が皆死んだからこちらに着いた」
「……死んだ?」
「仲間はオレとお前の武器が始末しただろう。束縛するための鎖はもう、アヴァロニアにはなかったんだ。イスカ自身は迎撃しただけの俺たちに内心で恨みを抱いてはいても、頭では理解はしている。後は、お前の説得が効いたのもあるかもしれんな」
その結論に至る精神的痛痒がどれだけのものだったかは想像もしたくないが、あいつも強いな。
そんな恨みの念を俺に曝け出すことなく接して来た。
再会する前には既に乗り越えていたのか、感情に折り合いはつけていたのだろう。
元々あまり自分のことを話すような女ではないようだし、距離感はあった。
しかし、そうか。
なら直のことアクレイの戯言には困っただろうな。
冗談のような口ぶりでイスカも娶れとあの男は言うが、本気の眼だったように思う。
実際問題としては、俺にとっては別に大した問題でもない。
必要ならそういう設定として受け入れるぐらいはできる。
そういう意味でいえば、リスベルク関連もそれに近い。
「いかん、いつから俺はこんな諦観野郎になったんだ」
今更の話だが、冷静に女性問題を考えるととんでもないな。
愛が欲しいと口では言うが、俺自身はもうどうとでもなれみたいな風に受け止めている。
これでいいのかと思わないでもないが、今更の話だ。
開き直って色々抱える覚悟だけはしておこう。
「どうした」
「いや、少し心配になってな」
「イスカがか?」
「それもあるが、クルルカ姫もだ。独立派にとっては一番利用しやすいだろう?」
「さすがに考えすぎだぞ」
「そうだ。きな臭い間はお前があの子の護衛に戻っていてくれれば俺も余計な心配はしなくて済むな。神宿りが常時張り付いていたら連中も迂闊には動けないはずだ。なぁラルク、ついでに当分シュレイクの様子を知るための耳になってくれないか?」
「意外と心配性だな」
「何かあったら担ぎ出されそうだから慎重にもなるさ。これで借しは無しで良い」
肩を竦めて言うと、ラルクは頷いた。
「いいだろう。陛下がそれを飲むならやってもいい。俺の独断でどうこうできる話ではないから、どうなるかは分からんぞ」
「それについてはリスベルクに手紙を書いとくさ。届けてくれるか?」
「承ろう」
これでクルルカ姫の機密事項と言う名のお願いも完遂できるな。
それにラルクが見張っていてくれれば安心だというのは本心だ。
何せ俺は連中をよく知らないし、城の位置だって分からない。
腕の立つ味方が近くに居てくれればリスベルクも少しは楽になるだろう。
俺は文面を考えながら、手紙を書いた。