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第三十二話「風呂契約」


 どうにも、お偉方の会議というのは紛糾しているらしい。

 俺の擬人化スキルにより、リスベルクが活動できるのも大きいようだ。

 エルフ族の政治のなんたるかを知らない俺は現在退避中である。

 早々に朝の入浴を終えると、下で防壁を修復する手伝いをしていた。


 昨日も昼から手伝ってはいたが、やはり俺がいると格段に木材の運搬速度が早い。

 なので材料調達班の選んだ大木を、長い柄のついた戦斧で根元から断ち、インベントリに入れて運ぶという作業を繰り返していた。


「倒すぞ!」


 一応声をかけ、安全を確かめてから辛うじて立っている木に戦斧を叩きつける。

 途端に、メキメキと音を立てながら大木が倒れるので、動かなくなってからインベントリに収納する。


「本当、アッシュが居ると楽でいいな」


 ヨアヒムが次の木へと案内しながら呟く。


「折れた防壁の丸太もすぐにどけちまうしな。立てるときも期待してるぜ」


「単純な力仕事なら任せてくれ」


 木工技術は日曜大工程度しかないが、これぐらいはできる。

 昨日犠牲になった者たちの代わりが勤まるとは言わないが、これぐらいはやらなければならないだろう。

 遺体は家族の元に荷車で運ばれるそうだが、何にしても今はゲートタワーの人手が少ない。もしもの時のためにタケミカヅチさんとロングソードさんを残してきたが、早く残りを集めて戻りたいものだ。

 そして、エクスカリバーさんの無事の確認もしたい。とりあえず昼食時にでも擬人化を試そうと思うが、何も無いことを祈るばかりだ。


「そうだアッシュ。ナターシャのレベル上げだがどうやら認められたんだよな」


「耳が早いな。誰から聞いた」


「昨日の夜、戦士長から通達があったんだ。俺も第一陣に志願したからよろしくな」


「第一陣?」


「戦士長がローテーションを組むって言ってたぞ」


 またアクレイか。


「なぁ、本当にゲートを直せるのか?」


「多分な」


 切った線を繋げて、サンリタルを嵌めこめば良いのだからそれほど難しい作業ではない。

 最悪電気を作るあの装置が破壊されていたら、雷の精霊を使えば出るぐらいはできるだろうし、それもダメならまた飛び降りれば良い。


「ならいいや。どうにも心配だったんだよ」


 歩きながら、ダークエルフの青年は遠い目をする。


「昨日な、俺が生きてたのは偶々上のローテーションだったからだ。きっと、下に居たら俺は真っ先に死んでたよ。あそこの連中の中じゃ多分一番俺が弱いからな」


「……」


「悪い、お前に聞かせる話じゃないか」


「いいさ。愚痴ぐらいなら聞くぞ」


「そうか? んー、その、アレだ。また、襲われるよなきっと」


「可能性はあるとしか言えないが……」


「それまでにな、俺はちゃんと強くなれんだろうかって思ったんだよ」


 不安げな顔だった。

 レベルが足りるかどうか、だけではないだろう。

 その時にちゃんと生きていられるかという恐怖もあるに違いない。


「怖いんだ」


 端的に心情を零すその一言が、森の中に解けて消える。


「怖いんだよ、どうしてもな」


「……しっかりしろよヨアヒム」


「痛てっ!?」


 暗鬱な雰囲気を醸し出す背中を、バンッと手で叩いて活を入れてやる。


「お前はダークエルフの戦士だ。村での時や、今回もそうだ。お前は逃げたか?」


「いや、さすがに逃げちゃいないが……」


「なら、十分にお前は心が強いんだ。あとはレベルを追いつかせるだけでいい」


 恐怖に打ち勝ち、悲惨な戦場に踏みとどまる勇気は最低限必要だ。

 それを持っているなら、きっと強くなれる。

 少なくともアーティファクトを所持し、敵と戦えるならレベルを上げられる。


 レベルとは強さの指標であり、この世界ではきっと戦士たちにとっての自信の源泉に他ならない。

 それを高める機会に恵まれていなかったヨアヒムの強さへの渇望。

 それはきっと、もうすぐ潤せるはずだ。


「時間はかかるかもしれない。だがやる気は十分あるんだろう?」


「あ、当たり前だ」


「ならもう少しだけ我慢してくれ。すぐに俺がレベル上げの機会を用意してやる」


 どの口が偉そうにもほざくのか。

 出来なかったら失笑ものだってのに、ヨアヒムは暫くを目を瞬かせて破顔した。


「ははっ。我らが新しき神、風呂エルフ様にそこまで言われちゃ、俺もこれ以上は愚痴れないな」


「風呂エルフは止めてくれ。せめてはぐれエルフにしといてくれよ」


 もう一度だけ背中を叩き、活を入れると俺は次の木材を手に入れる。

 その頃には、彼は恐怖とは違う強い何かをその目に宿していた。




「すいません。主に心配をかけたようですね」


「いや、俺があの時に動けなかったのが悪いんだ。本当にすまない」


 エクスカリバーさんは無事だった。

 その事実を目にしたことで、ようようやく俺は安堵した。

 自分のことなら諦めも付くが他人の命ではそうはいかない。


 そうか、こういう歯がゆさもヨアヒムは味わっているんだな。

 恐怖だけではなく諸々の感情を内に秘めた彼は、俺の隣で「良かったな」などと言って笑っていた。

 朝のお返しとばかりに背中をバンバンと叩いてくるので、ちょっと力を込めすぎたかと反省する。


 先に昼食を終えた戦士たちと交代し、ラグーンに戻って食事を取った。

 その後、俺だけはいつもの日課である昼の風呂掃除を行ってから再び下を手伝う。

 先に出しておいた木材は、既に戦士たちが枝を切り取って丸太にし、更にそれを地面に刺すために先端を鉛筆のように削っていた。


「木材はまだ必要か?」


「いえ、防壁用のものは十分ですから先に南側への運搬をお願いします」


「よし、分かった」


 俺は頷き、削り終えた丸太を南側へと輸送。布陣を交代し、レヴァンテインさんとタケミカヅチさん、そしてエクスカリバーさんと共に突き刺していく。


「おいおいおい、なんなんだよその馬鹿力は」


「レベルの恩恵って奴だな」


 ヨアヒムを筆頭に、戦士たちが呆れる中で二人一組に分かれた俺たちが一本一本穴が掘られた地面に刺していく。

 その後は、木の梯子に登った戦士たちがロープで隣の丸太に固定。

 最後には穴を土で埋めて踏み固めていく。

 それが終れば、更に上から射れるように木の台を作り始める。


「主、周囲に堀は掘らないのでしょうか」


「そういう話は聞かないな」


 ヨアヒムたちに聞いてみると、戦士長に聞いてくれということだった。

 もっとも、先に防壁の修理だろうということで意見は一致していた。

 もう一つ西側が破られているので再び力仕事に精を出す。

 東にある門も破られてはいたが、そこは門を取り替える作業が必要なので俺が出る幕はないだろう。

 

 とりあえず、門を除けば防壁の修理は終った。

 破壊された下の兵舎などの修復については戦士たちに任せることにして、一度アクレイに堀についての確認を取りに向かう。

 だが、お偉いさん方の会議はまだ続いていた。

 上の姫巫女団と下の王子集団で対峙し、議長兼意見番としてリスベルクとアクレイが仕切っている。


 ここでの会議の結果が絶対に反映されるわけではないらしいが、両者合意のための草案に近いものが次々と話し合われているのだとか。

 この会議は踊るというよりは、疾走するような円滑さがある。

 かなりの拙速に事態は進んでいるようだが、それはやはりリスベルクの存在が大きいらしい。


 エルフ族は保守派が多そうなイメージがあった。

 けれど彼女が無駄に長引くことを許さず、また議題が一族の盛衰に直結するような話なので、個人の利益から程遠いことも作用していたのだろう。

 どうもエルフ族は一族全体の利益を考える価値観が普通であるらしく、個人を重視するのははぐれに多いらしい。

 それは一族を背負い、大局で考えるリスベルクと、個人的な都合に合致した場合にのみ動く俺という存在の方向性の違いを明確に表しているようにも見えた。


「む、アッシュか。どれ、一旦休憩にしようか」


 現れた俺の姿を見て、リスベルクが仕切る。

 煮詰まっていたわけではなさそうだが、それでも一旦会議が止まった。

 弛緩する空気の中で、巫女団の一部が一息入れようと茶の準備に向かっていく。


「邪魔して悪いな。下の拠点について戦士長殿に聞きたいことがあってな」


「私にですか? さて、何か問題でもおきましたか」


「防壁の修理はほとんど終ったんだが、その周りに堀を作った方がいいか?」


「無いよりはマシでしょうが……戦士たちは手一杯ですよ」


「手が空いているから俺がやるぞ」


「なら一週間以内に完成させてください。貴方にはすぐにモンスター・ラグーンに向かってもらいたいのです」


「やっぱり人員不足か」


「どちらかといえばレベル不足ですよ」


 ラグーン側は、満足にレベルを上げられる状態ではなかった。

 その分安全であり、下に降りられないせいもあってはぐれがほとんど現れない。

 おかげでそれなりに人口が増えたそうだが、モンスター・ラグーンの恩恵が受けられないのでレベルホルダーの育成という点では致命的に遅れているそうだ。


「俺の書状を持たせたディリッドが、下の国王に許可証を貰いに向かっている。早ければ三日もせずに戻ってくるはずだ」


 ルース王子がとても複雑そうな顔で教えてくれる。

 内心では苦々しく思うことはあるのだろうが、私情を今は飲み込んでいる様子だ。


「とまぁ、そういうことですのでやるなら急いでください」


「やれやれ。最悪、ただの溝になりそうだ」


 森の上を飛べるディリッドなら、相当に早く戻ってくるな。

 擬人化人数を上げて対応するか、何か手を考えるべきか。

 勿論、無理なら無理でレベルを上げてから戻ってきてからでもいい。


「そうだ貴様、ラグーンに行く間は私をどうするつもりだ?」


「勿論、アーティファクトに戻すぞ」


 俺の言葉に、周囲が少し困った顔をする。

 理由は分かるが、こっちもレベル上げの効率というものがある。

 彼女はアーティファクト状態でもルース王子と会話できるのだから、我慢してもらうしかない。


「その力、やはり制限があるな?」


「精霊を含めて最高五人までしか維持できない」


「レベル上げ連中のバックアップに必要という訳か。しょうがあるまい。では、その後にすぐ婚姻だからすぐに私の元に来い」


「……はぁ?」


 お構い無しに言う彼女は、更に追加で条件を出してくる。


「それと、食料の補給などで戦士を行き来させるだろうからマメに手紙を寄越せ」


「本気で俺の嫁になる気か」


「ふっ、間違違えるなアッシュ――」


 右手でウェーブの金髪をかきあげながら、奴は言うのだ。


「――私が嫁になるのではない。貴様が私の婿になるのだ!」


 ズビシィッとばかりに突きつけられた左手の指先。

 同時に放たれた言葉の弾丸は、容赦なく俺を真っ直ぐに撃ち抜いた……ように周りには見えたかもしれない。

 その証拠に上と下のエルフたちがざわめいている。

 目出度いと両手を叩くもの、俺を睨むもの、おろおろする者、実に多種多様だ。


「そして貴様を尻に敷いて扱き使い、私はエルフ族を更なる繁栄に導くのだ!」


「素晴らしい決意表明です。当然、私も微力ながらお手伝いしますよ」


「いえ、あの、お二人とも。当のアッシュ様が頭を抱えてらっしゃいますが」


 どうやら、ここに居る常識人はカミラ姫だけらしい。

 しょうがない、今一度この純情ハイエルフ様に思い知らせてやらなければな。


「俺は世間では風呂エロフなどと呼ばれる男なわけだが、お前はそれでいいのか?」


「ふっ、貴様こそ私を舐めるな。昨日はいきなりだったから驚かされたが、一晩で覚悟を決めてきたのさ。接吻だろうと風呂だろうが、好きなだけかかってこい!」


 実に強気な態度だ。

 よろしい、ならば追撃だ。


「俺は寝かせないぞ」


「な、に? そ、それはいったいどういう意味だ」


 つかつかと議長席に近寄り、テーブルにドンと両手をたたき付けて凄む。


「一晩中だリスベルク。あれよりも更に凄いことが一晩……いいや、俺の気が済むまで三日三晩昼夜問わずUTAGEが続くと思え」


「あれより凄いことが三日三晩……だと? まま真逆、本気で言っているのか!?」


 顔を真っ赤にさせてたじろぐ彼女を追い詰め、耳元で呟く。


「無論、嫁は全員参加だ」


「――」


 声にならない悲鳴が出た。

 どんな想像をしたのかは知らないが、慄いたことは確かだ。

 己の評判を犠牲に、ハイエルフ様を恐怖のどん底に叩き落した俺は踵を返す。

 これで決着は着いたと思ったのだが、どうやら甘かったようだ。


「――だ」 


「何?」


「ななな、何が三日三晩だ! 私を甘く見るな風呂エロフめがっ!」


 いや、もういい加減に諦めたらどうだマジで。

 そう思う俺を他所に、覚悟完了していた彼女は言うのである。


「なら私は、その代償として貴様が泣いて謝るまで扱き使ってやるわ!」


「無駄に決意が固いな」


「結婚を推奨している私だからな。率先して婿を迎えねば皆に示しがつかんわっ!」


 こ、こいつ、自分なりに確固たる大義を背負って臨んでやがる。

 私心がない分、余計に自らを犠牲にする覚悟か。

 これを挫くのは生半な言葉では無理そうだ。

 まさか、躊躇しないためにもこんなところで決意表明したのか?


「ふふふ。リスベルク様は機を見るに敏でありますからね。このチャンスは決して逃さないでしょう。ですからアッシュ、早く諦めて楽になった方がいいと思いますよ」


「俺は反対です。こんな怪しげな奴が何故リスベルク様と!」


 もっともな意見だ。

 本当にルース王子は良いことを言う。

 何も言わずに楽しそうな顔で様子を窺っているクルルカ姫も見習うべきだ。

 彼女にちらりと視線を向けると、そっぽ向いて口笛を吹きやがった。


 他に助け舟を出してくれる者がいないかと見回すも、皆さんは一斉に目を逸らす。

 どうやら、援軍は望めないらしい。

 その間にも、ルース王子だけは奮闘してくれる。


「大体、かつての縁談は全て断っていたではないですか!」


「当然だろう。これまでは私と対等な立場に立てるエルフなど居なかったからな。しかしこいつは違う」


 止めようとする彼を諭すようにリスベルクは続ける。


「今の政治的状況を鑑みれば、上に現れたアッシュと下の私の婚姻は上下を一まとめにして余りある意味を持つのだ。加えてこいつの神としての特異な力と戦闘能力。これらをまとめて手に入れるこの好機を逃す私ではない!」


 どこまでいっても、俺の政治的価値という側面で語られるのは悲しい。

 しかも言い寄られているという気がまったくしないときた。

 まぁ、逆にちやほやして体よく利用するだけのような奴よりは、体を張っている分だけマシなのかもしれないが。


「それにだ。こいつは私に気があるようだからな」


「待て、そんな素振りをいつ俺が見せた!?」


「なんだ、自分で気づいていないのか貴様」


「気づくもなにも意識してさえいないっての!」


「貴様は私に諦めさせようとするだけで、自ら進んで断らんではないか。それこそが私に気がある証拠だろう」


「はぁ?」


 何やらふふん、と勝ち誇られる。


「無理も無い。今のこの完璧な美貌を持つ私を見て、断れるエルフ族などいないからな」


 その倣岸不遜な言葉に、周囲の男たちが何故か納得顔で頷いていた。

 なんと王子までもが悔しそうな顔で頷いているのだ。

 妙に説得力がある言葉だった。

 だが、敢えて俺は否定する。


「分かった。じゃあ断――」


「だ・ま・れ!」


「むぐぐっ」


 それは、一瞬の早業であった。

 お茶請けに持ってこられたパン――メープルシロップ掛け――を手に跳躍したリスベルク。

 彼女はテーブルを越えるや否や、俺に向かって一足飛びで移動してきたのだ。

 その俊敏な動きに驚いていた俺は、不覚にも無抵抗でパンを頬張ってしまっている。

 すぐに取り出そうとするも、俺の首に手を回して更にパンをグリグリと押しこんで来る。


「これで断れまい。聞けい皆の衆。つまりはそういうことだ。この決定は覆えらんぞ!」


「ふ、ふぐぐー(や、やめろー)!」


 抵抗を試みるも、神宿りの巨人の一撃さえ受け止めきった俺の力でも容易には振りほどけない。

 く、これが神の力という奴か。

 完全復活してない癖になんて馬鹿力だ。

 しかたなくパンを齧りつつ視線で抗議すると、リスベルクがニヤリと笑う。


「だいたいだな、この私と裸で混浴した以上もう絶対に逃がさんぞ」


「なんと裸で!?」


「まぁ、既にそこまで関係とは……」


「貴様ぁぁぁ!!」


 周囲の視線が、痛い程強烈に突き刺さってくる。


「エルフ族のしきたりに無知な貴方は知らないと思いますが、一応は言っておきます」


「ふぐぐふ(なにをだ)!」


「我々エルフ族にとって、異性と裸で入浴するというのは結婚相手として認めるという意思表示なのですよ」


 俺は急いでパンを食い、したり顔のアクレイに問いただす。


「待てい! お前たちに風呂に入る習慣なんてほとんどないだろう!」


 俺が作るまでは大体井戸水で拭くとか川やら湖に入ってたって聞いたぞ!


「それでも、男女一緒に裸で入浴するというのは家族以外ではありえませんので」


「ふははは。策とは二手三手読んで手を打つものよ。献策ご苦労だったなアクレイ」


「いえいえ、これは私のハイエルフ様への忠誠心の発露というものですよ」


 ええい、また貴様かアクレイ!


「だったら、エルフ族の盛衰がどうとか言ったのも嘘か!?」


「それは本当だ。ラグーンズ・ウォーでかなり人口を減らされたからな」


 痛恨の極みだという顔が一瞬浮かんでは消える。

 そのことに後悔の念があるのは分かったが、それとこれとは話が別だ。


「ほう、反抗的な目だな」


「当たり前だ。特別嫌いではないが、特別好きでもない女にいきなり結婚しろと言われて、すぐ了解なんてできるか!」


「では今すぐ私に惚れろ。それで円満解決だ」


「どうやってだ!」


 物事には順序というものがある。

 そう抗議するも、こいつは聞かない。


「ええい、ならこれでどうだ!」


「むぐ――」


 今度はパンではなかった。

 桜色の柔らかい唇が、衆人環視の中で俺のそれに重ねられていたのだ。

 その時、初めて俺は知った。

 偉そうにしているこいつの体が、小さく震えていたことに。

 それは唇をただ相手のそれに押し付けるだけの行為で、きっと致命的に愛が足りない。

 あるのは打算とそのための覚悟。

 けれどこれが彼女なりの信念の果ての行動だ。


 この柔らかな唇に比肩する価値が俺にあるなんて信じられないが、この躊躇の無さには感服するしかない。

 そうと感じてしまった俺は、これ以上の抵抗を諦めた。

 そのまま彼女を抱え上げると、会議室から外に向かって歩く。


「こ、こら貴様! どこへ行くつもりだ!?」


 ルース王子の問いかけ。

 俺は無駄に強がる女を腕に抱いたまま、去り際に見守っていた連中に言っておく。


「悪いが会議は一時中止だ。俺たちは今から風呂だ」


「どうぞごゆるりと」


 アクレイめ、これもお前の仕込みだったら許さんぞ。

 清々しいまでの笑みとざわめきに見送られながら、俺は風呂に向かった。

 その後ろでは、止めようとするルース王子を羽交い絞めにするアクレイと肯定派が居て、大変だったとクルルカ姫が後で教えてくれが、当然知ったことではない。




 間違いなくリスベルクは耳年増だ。

 それも、膨大な月日を過ごしたアラサウザンド(推定)。

 俗世から隔離されていても可笑しくは無いが、ハイエルフとしてアーティファクト姿だろうとエルフ族の王家と共にあった彼女だ。

 完全に無菌室で生きていたわけではないのだろう。

 その価値観は、当然のように普通のヒトのそれとは乖離している。


 もとより、俺の中身は日本人。

 異世界人の考え方など分からず、ましてやエルフの神の思考など理解さえできない。

 だが、想像することだけは俺にもできる。

 念神が信仰による想念で生まれるというのなら、リスベルクの原型となったハイエルフ信仰はきっとよくある超常的な神様とは違うのだろう、と。


 彼女は始祖。

 遠き祖先にして原初のエルフを神格化した存在だ。

 俺はその伝承も何も知らないが、リスベルクは顕現したことでエルフ族を繁栄へと導く神としての役割を押し付けられているのかもしれない。

 いや、そもそも彼女もそれを自分から望んでいるのか。


 自我を持つというのに、それを成し続けようとする確固たる意思。

 存在を維持するための想念が必要だったからかもしれないが、アーティファクト化してもなおそれを続けるのはきっと、自らもそれを望んでいるからだろう。

 だから俺のような胡散臭い者相手でも、必要ならば躊躇しないのだ。


「まったく、まだまだ詰めることは多いというのに……」


 浴槽の中、俺の隣でブツブツと呟くリスベルク。

 はたから見れば、仲の良い男女の混浴にも見えるだろうが現実は違っていた。


「その会議が俺をどうこうしようっていうのより価値があるなら行けばいいさ」


「なんだ、妙に含みのある言い方だな」


「そもそも、いきなり過ぎるんだよ」


 そして愛レベルが低すぎる。


「嫁にしろというならまずデレろ。普通はそれからだってのに、内面の葛藤を放り出してまず事実から入るってのはどうなんだ。そこがまず気に入らない」


「気に入る気に入らないではない。初めから中睦まじい生活など求めてはいないのだ」


「つまり、事実だけが必要なんだな? だったら、俺はレベル上げが終ったら森を去ってもいいわけだ」


「たわけ。それは損失だと言っているだろうが」


「お前の中ではそうなんだろうな。お前の中ではな」


 そこが致命的に俺と違う。

 俺の意識は俺が制御している。

 少なくとも大前提として、俺は必要になれば全てを投げ出せる精神的な身軽さを持っている。

 そんな俺とリスベルクでは、最初から性質に差が有りすぎる。

 このギャップを早期に埋めなければ、俺は間違いなくはぐれ旅に出るだろう。


「リスベルクはエルフ族のためなら何でもできるんだろうさ。だが俺は違う。俺にはそんな大層な思想も意思もないからな。あまりにも鬱陶しくなったら出て行くだけだ」


 そもそも俺ははぐれることを是としている精神を持っている。

 だから森の外に出ることに躊躇がない。

 というか、進んで森の中に住みたいという意識が無い。


 嗚呼、今なら胸を張って言える。

 寮住まいだったあの頃、入寮の時にはそのボロさに愕然とした。

 だが、今思えばあそこは天国だった。

 フローリングではなく畳の上に安物のカーペットが敷かれただけの六畳一間。


 畳は年代もので、一部が完全に腐っていた。

 そこに無造作に置かれたデスクと椅子と、押入れがあるだけだった簡素な部屋。

 水漏れのするエアコンのおかげで苦労させられたものの、それでもその空間は今この世界のどこよりも比べ物にならないほど快適に過ごさせてくれた。

 しかもトイレと洗濯機と風呂は共同だったが、空いてさえ居れば風呂は入り放題だったし何よりもネット環境は整っていた。


 だというのに、今の生活はどうだ?

 エルフ族には致命的に文明の利器が足りないし、なんだか希少で長生きで見目麗しいという理由やら想念だか戦力確保だかのために攻められている。

 正直、安住の地とこれほど遠い場所はない。


「俺は今自由なんだ。その自由をお前や連中の都合でどうこうしたいなら、束縛されることを受け入れるだけの理由を寄越せ」


 例えばナターシャは身一つだから、向こうも身軽に動いて俺に合わせられるし、愛想が尽きたなら別れれば良いとドライに考えられる。

 だがこいつのは比べ物にならないぐらいに重過ぎる。

 下手をすると一緒にエルフ族の未来を背負わされかねない。

 それは俺という個人が持ちえる器量を越えて余りある。


「つまり、私の婿になるだけでは不服というわけか」


「そうだ」


 この際だからはっきりと言うと、彼女は目を吊り上げた。

 女としての矜持か、それとも彼女が大事にしたい一族を平気でないがしろにできる俺への純粋な怒りか。

 その小さな唇が何かを紡ぐ前に、俺は言った。


「もし、それでも引き止めたいなら約束しろ」


「……約束?」


「俺は妥協できる程度には安全な、安住の地を探している。だから、俺をここの都合で拘束するつもりなら、この森を俺にとっての安住の地にしろ」


 ずっと彷徨い続ける気は毛頭無い。

 けれど、ここがそうなるというならまぁ、我慢できないこともない。


「どうだ、できるかリスベルク」


「ふははは。この私を誰だと心得る! エルフ族の神、リスベルク様だぞ。その程度の願い、簡単にこなして見せるわ!」


 彼女は愉快げに笑った。

 この森が色々と問題を抱えていることは重々承知している癖に。

 まぁ、今はそれを追及することはするまい。

 現実問題として、それをどうこうするのは今すぐには不可能なのだから別の問題を解決させなければならない。


「それとだ」


「んむ?」


「仲むつまじい生活など求めてはいないと言っていたが、さすがにそれは対外的にもどうかと思うぞ。お前が俺と冷たい家庭を築いたら、神も結婚は苦しいと捉えられかねない」


「……一理あるな。うーむ、しかしこれは政略結婚に相当するモノだぞ?」


「それでも、別に政略結婚から始まる愛があっても良いはずだ」


「はっ、愛など夢と同じで耳障りの良い幻想だがな」


「だとしても、そこに希望が無いなら誰が結婚なんてするんだよ」


 痛みと苦しみしかないなら、誰もそんな行動になど出ないだろう。

 けれどそれでも人は結婚することが幸せの一つであって欲しいと望んでいる。

 異性と結婚して居れば幸せか、独り身でも大金があれば幸せなのか?


 幸福の形は人それぞれだと知っていても、それでも大多数の人にとって、結婚とは夢があるものなのだ。

 生物的な本能が、子孫を残し、次代へと繋げることこそが幸福であると認識しているかどうかなどは知らないが、それを完全に否定できる者は向こうでもいなかった。


「聞いた話によれば、結婚は始まりに過ぎないらしい」


「通過点だな。それは私も聞いたことがある」


 人生の墓場まっしぐらとも聞くが、してからが大変だとよく言われている。

 当然、俺とこいつはお互いに何も知らない。

 その苦労は計り知れないものがあるだろう。


「その上で必要なのが妥協だそうだ。完璧を自他共に求めると疲れて破綻するらしい。その点、俺たちは互いをよく知らないから、これを逆手に取れないかと思うがどうだ」


「どうだ、と言われてもな」


 元々マイナスあるいはゼロから始めるのだ。

 なら、後は上げていくだけで済む。


「俺は嫁とはイチャイチャラブラブしたい派だ。そういう方向を念頭に入れといてくれ」


「ふん。結局は条件付けをしたいんじゃないか。不純な愛もあったものだ」


「だが言い出したのはリスベルクだ。そっちの無味乾燥なそれよりはマシだろうさ」


 それは自覚していたのだろう。

 苦い顔をしながら、それでも妥協する様子を見せる。


「ならばこちらも二つ目の要求を出そうか」


 結婚という彼女の要求に対して、俺は安住の地と愛の二つを求めた。

 互いに釣りあう契約にするためには、もう一つ求めるものがあるということだろう。

 どこまでもビジネスライクな態度だが、彼女が要求してきたのは以外なことだった。


「我が愛の対価に、貴様が私の孤独を……逃れられない神の孤独を癒せ」


「……驚いた。お前からそんな言葉が出てくるなんて」


「私にはお前以外に対応できる者がいない。そういう意味では、私には初めから選択の余地がないのだ」


 言いながら、リスベルクは茜色に染まりかけている空を見上げた。


「ラグーンズ・ウォー以前からそうだったよ。ハイエルフという神は、この森の中に私一人しか存在していなかった。普通のエルフ族はな、始祖神と呼ばれる私にとっては子や孫みたいなものなのだ。だからまったく微塵も、そんな気になどなれなかった……」


「だが俺は違うと?」


「そうだ。お前は違う。毛並みが違っても私と同じ領域に立てるエルフ族の神だ。だからかもしれんが、我慢してやろうという気になれたのだ。ほら、手を貸してみろ」


 言うなり、俺の右手を掴んだリスベルクはそれを躊躇無く胸に押し当てた。

 何やら柔らかな感触があるその下で、確かな鼓動が息づいている。


「どうだ、私の心の臓は」


「元気そうだな」


 気のせいでなければ、嫌に早く脈打っている。

 おかげで見上げてくる彼女の顔さえも、妙に赤く見えてしまう。

 それが風呂のせいか羞恥のせいかどうかは俺には分からない。

 けれど、こうしてみせたということが、如実に彼女の心情を表していると思うのは俺の自惚れではないと信じたい。


「こうさせたのはアッシュ。ここに居る貴様なのだぞ」


「お、おい?」


 湯船の中で立ち上がり、俺に覆いかぶさるようにしなだれかかってくるリスベルク。

 直接肌が触れ合う感触が生々しく、とても妖艶だ。

 だというのに、それでは足りないとばかりに両腕が俺の首に回され、俺の首筋に顔を埋めてくる。

 これを拒むのは難しくなかった。

 けれど、それよりも先に俺はまた彼女の震えを感じてしまっていた。

 気が付けば俺は、両手で彼女の背を抱きしめながら忠告していた。


「震えるほどに嫌なら、心にもない色仕掛けは止めた方がいい」


「勘違いするな。別に私は貴様と触れ合うことが怖いわけではない」


 耳元で小さく聞こえる声の弱々しさが、妙に切ない。


「怖いのは孤独だ。ようやく見つけた相手だというのに、貴様は目を離すとすぐにどこかへ消えてしまいそうで、しかもそれを隠そうともせん。それが歯痒く、そして恐ろしい」


 少しだけ、その両手に力が篭った。

 一人っきりの神という孤独を埋めるために温もりが欲しいのだろうか。

 きっとそれは、自分を信奉するエルフ族には見せられない弱さだったのだろう。

 だからこその神の孤独か。


 リスベルクは彼らの神だから、当然のように強く在らなければならない。

 信仰される神としてエルフ族を導かなければならないから、余計に普通のエルフの男を伴侶に迎えるわけにはいかなかった。

 安易に逃げるわけにも行かなかったのだ。


 そしてやはり、この決断を後押ししたのは今の森の状況もあったはずだ。

 満足に力を振るえない彼女の元に、俺が都合よく現れた。

 居ないより居た方が良く、しかもそいつは胡散臭いが妙な力で自分を単独で動けるようにしてしまった。


 神としての彼女、つまりはハイエルフとしては森の勢力として組み込みたい。

 その一方で、彼女個人にとっては同じ神として後ろではなく隣に立てる俺を、その孤独を癒す相手として欲した。

 何故ならそれは、俺が対等に立てるという確固たる前提が彼女の中にあるからだ。


 彼女の言葉が確かなら、俺はある種のイレギュラーな神。

 廃エルフという字面からしても、まともなそれとは言いがたい。

 彼女自身もきっと、ハイエルフはもう生まれ得ないと諦めていたのだろう。

 けれど望んでも手に入らないはずのそれが、いきなり降って湧いたこの好機。

 それをモノにするべく、こうして必死に説得しようとしている。

 だというのに、俺がはぐれを自称している。

 そりゃあ不安にもなるというものか。


 ああ、そうか。

 婿になれというのは、俺を森に繋ぎとめる術を持たない今のリスベルクにとって、唯一正当に俺を拘束できる方法なのだ。

 こいつは俺がスキルを解いたらアーティファクトに戻るしかない。

 そうなれば自力で動くことさえままならない。

 だったら、俺自身にここに居たいと思わせるしかなかったのだ。


 引き止めるためにエルフ族を使う訳にもいくまい。

 そんなことをされたら、俺は間違いなく用事を済ませてから逃げる。

 それが態度で分かっていたから、俺にしっかりと逃げられないように婿という首輪を嵌めようとしているのだ。


「私の寵愛でも安住の地でも望むならなんでもくれてやる。だから、貴様が私の孤独な日々を終らせてくれ」


 甘い声が、耳朶を通って俺の脳をのぼせ上がらせる。

 少し前まで持ちえたはずの純情さは、もう存在さえしていない。

 別人にでもなったかのようなこの声色はなんだ。

 女は変わると聞いたことはあるが、このギャップに抵抗できる程の強固な意志が俺には無かった。


「貴様はこの世界に現れて私と出会った。これは運命だよアッシュ。貴様は私の番となるためにこの世界に生を受けたのだ。だから、だから――」


 そこまで耳元で囁いていた後、リスベルクの顔が俺の正面に来た。

 金糸の如きウェーブの髪が、カーテンのように広がって夕日を遮る。

 吐息がかかる程の刹那の距離のその向こう側で、宝石のような碧眼と俺のそれが交差する。視線が自然と絡まり、当たり前のように吸い寄せられる。


「――この運命<私>を受け入れよ」


 呟きと共に、互いの距離が零になる。

 それは正に、神と神の契約だった。

 触れ合った唇は切実に契約履行を求めていて、一度目はただ押し付けるだけだったのに、二度目はまったく違っていた。


 俺を捕えようという切実な意思の元、より深い行為となって熱情を運んでくる。

 艶かしい唇の感触と、時折漏れる甘い吐息。

 密着した体は更に押し付けられて、文字通り逃がさないとばかりにホールドされている。

 その求めに、今度こそ俺は応じた。

 重なった唇で返答し、安心させてやるためにも抱いていた両手を強く引き寄せる。

 元より互いの間には空いた空間など一ミリもなかったのに、暑苦しい程に肌を密着させ少しでも孤独が癒えるようにと契約の成就に望んだ。


 そこにはきっと、神らしい神々しさなんて無かった。

 元より俺たちは完璧でさえなくて、全能な神でもない。

 きっと清らかでさえもなかっただろう。

 互いに個人の打算と都合をぶつけて妥協し、望み、そして勝手に期待した。

 そんな不純な始まりでも、俺は夕日の下で決めたのだ。

 契約が成されている間は、はぐれ旅をやめようか、と。


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