第二十六話「ソードブレイカー・下」
「――別に、大した思い入れがあるわけじゃないよ」
そう言いながら、スープの鍋を暖めなおしながらこちらを見ずに彼女は語る。
振り返らない態度こそが、先ほどの言葉を裏切っていると気づいてはいるのだろう。
或いは、一人の人間としての当たり前の矜持か。
自らの弱さを露呈するには、俺のような胡散臭いエルフは信用にさえ値しないということだろう。
ああ、だがそれでもいいのだ。
その果てに勝手に話したくないことを話させて嫌われて、縁が完全に切れようとも構わない。
――これはきっと、俺の精神安定のためなのだから。
「アタシはこの国の生まれでね。もうずっと昔の、それこそあの子より少し上ぐらいの頃かねぇ。私は家に居られなくなった」
「追い出されたのか?」
「単純な話さ。実家が貴族って奴でね、このご時世に馬鹿正直に清廉潔白を掲げ続けて政争で破れた。だからアタシは、親父の知り合いが居るっていう傭兵団に、あのアーティファクトごと預けられたってだけの話さ」
淡々と、しかし淀みなく声は続く。
「その時、アタシに熱心に剣を教えた男が居たのさ。若い男だった。妙に品が良くて、荒くれ者の連中の中じゃあちょっと浮いていたっけね」
懐かしむような独白。
俺にはそこにある念など何一つ分からないけれど、それがきっとこのソードブレイカーへと続くのだろうと想像することぐらいはできた。
そして、ふと納得できるものがあった。
ナターシャのレベルは、去年会った頃で既に43もあった。
二十代前半にしか見えない年齢でこのレベル。
ヴェネッティーの老騎士レイモンドのレベルが五十台前半だったことを考えれば、これは破格のレベルだ。
人間のレベルが上がりやすいとしても、これは異常なのだろう。
「アタシのレベルの高さはその時の無茶のせいだね。何度も何度も傭兵団の新人教育に混ざってレベルを上げた。アタシは純粋な人間だから、レベルは他の種族連中より上がりやすかったさ。ただ、それでも餓鬼だったからね。一人で敵を倒せるまではそれなりに体力づくりなんかに時間が掛かったもんだよ」
それから、ひたすらに魔物を倒したという。
効率という意味では、少人数で朝から晩まで戦い続けたあの王子よりもかなり悪そうだ。教導は周りの傭兵も自分の身を守りながらだろうから、恐らくはナターシャ一人だけを重点的に上げるのではなく、集団連携を考えて同時に何人ものレベル上げが行われたのだろう。だが、その分集団戦闘での戦いも習得しているということだ。
イビルブレイクのワルサーたちがそうだった。
俺のような単一で突出しているのではなく、あくまでも傭兵団として戦い、集団で効率よく魔物を仕留めていた。
大勢の魔物には大勢の傭兵をぶつける。
酷く理に適った選択であり、そのための教導が彼女のレベルの高さに出ているのだ。
それを陳腐な言い回しで言えば、当たり前のように積み重ねられた努力の結果と呼べばいいだろうか。
「で、その時よく世話をしてくれたそいつは剣を教えてくれて、ついでにそれもくれたのさ。あいつは、アタシの家を嵌めた連中を調べ上げてくれたりもしたっけね」
「だから好きになった?」
「好意はあったと思うよ。でも、突然居なくなっちまった。アレはそう、嵌めた連中のトップを暗殺して帰った後だ。彼はいつの間にか傭兵団を抜けていたよ。団の連中は誰も行方を知らなくてね、ただこの村と皇帝のことについての手紙だけが残されていた」
「……この村?」
「ここはね、今の皇帝や貴族たちを倒そうっていうレジスタンスたちの隠れ家の一つなんだとさ」
「なるほど、だから安全だったわけだ」
同時に、彼らの態度も頷けた。
俺やグングニルさんが国側のスパイではないかと疑っていたのだろう。
「なら、ここは手に入れたアーティファクトの受け渡し場所ってことか」
「そういうこと。世話になった古巣とここ。手に入れたのは全部預けた。アタシが集められた数なんて高が知れているけど、これでレベルホルダーを育成できる」
物々交換とはよく言ったものだ。
交換レートに見合うとは言いがたいが、これが未来への投資なら頷ける。
「正直に言えば、もうアタシは国なんてどうでもいいけどね。でもまぁ、せっかくあいつが調べてくれたもんだし、もう一度会えるまでは続けてもいいかと思った。ここに通っていれば、もしかしたらまたあいつに会えるかもしれないなんて、馬鹿なことを考えてね」
けれど、それ以外の理由を失ったから、結局は惰性に過ぎないとナターシャは自嘲する。
連絡も何も無く、それどころか足取りさえ掴めない。
だから、残った最後の思い出が粉々に砕けるまではと、ここへとアーティファクトを持ち込みに来るのだと彼女は語った。
記憶の中だけのその見たこともない誰かが、俺は今少しだけ恨めしい。
正直に言えば、男からすれば気にかけた子供に必要そうなヒントを与えた程度だったのかもしれない。けれどそれが、意図せずとも未来を拘束し続ける結果になるのだとしたら、果たしてそれは善意の一言で済むのだろうか?
悪意無き善意が生んだ罪、とでも言えばいいのか。
なんだか無性に、悔しさを感じてしまう。
他に残すべき物があったのではないか、と。
「ダルメシアを助けたのも実はなんてことはないのさ。アタシが、周りに頼れる誰かが居ない寂しさを知っていたからだよ。一人で生きるのは、思ってる以上に辛いのさ。まぁ、あの娘たちが居るあんたには分からないかもしれないけどね」
そうでもない、と言うべきだったのかは分からない。
地球日本のコミュニティから切り離され、よく分からない内に神様扱いされ、こうしてはぐれている俺だ。
真実一人であるという辛さが分からないわけではないと思うのだ。
だが、やはりきっぱりと俺も仲間だとは言えなかった。
レヴァンテイン、タケミカヅチ、ショートソード、ロングソード、グングニル、エクスカリバー、ミョルニル、草薙……etc。
確かに擬人化すれば俺は一人ではなくなる。
日本人としての俺は独りだ。
でも、廃エルフのアッシュは一人ではない。
だから、贅沢な環境に居る俺は口が裂けても一人者だとは言ってはならないのだ。
それでももし、俺が無責任にも言えることがあるとするならばそれはきっと、気休めにしかなならないことだけだ。
ただそれでも、言わないよりは良いと思うからこそ俺は口を開く。
彼女のためではなく、自分のために。
俺自身が後悔しないために、偉そうにも言ってやるのだ。
「――一人なら、一人じゃ無くなればいいんじゃないのか?」
「い、いきなり何を言い出すんだい!」
「ダルメシアはナターシャのおかげで一人じゃなくなったぞ。今頃はきっと、大事にしてもらっているはずだ。あんたが昔の思い出を大事にしたい気持ちは分かった。でも、だったら選べよ」
驚いたことに、このソードブレイカーには一つだけ空きスロットがある。
だから俺なら不壊スキルの付与ができるだろう。
「選択肢は二つだ。俺はこれをアーティファクト並に頑丈にできる。だが、そうしてしまえばこれは二度と壊せなくなるだろう。そうなればナターシャはずっと一人を繰り返す羽目になるが、これが原因では死ねなくなる。だが壊してしまえば自由にどこにだって行けるようになるはずだ。なんだったら、俺がしばらく一緒に居てやってもいい。言っておくが、俺は多分お前が想像するよりもかなり強いからお買い得だぞ」
「……あんた、無茶苦茶言ってる自覚はあるかい?」
「昼間にこんな糞恥ずかしいこと言えるか。俺は今きっと寝起きで頭ボケてるんだ。だから、あんたは恥ずかしがらずに黙って選べばいいんだよ。ほら、一人が嫌なら壊させろ。この先もずっと一人で良いなら強化させろ。実に簡単な選択肢だ。何せ、あんたの人生だからな。簡単に選べるだろ」
好きに生きて好きなように死ねば良い。
所詮俺には他人事で、望めるのはその身の安全だけなのだから俺は好きなように行動するまで。
俺の妥協点は提示した。
後は、彼女が選ぶだけ。
「それとも俺が勝手に選んでやろうか? 勿論俺の選択肢は一つだけだから、こんなのよりももっと頑丈でピカピカしたのをくれてやるよ」
ああくそ、こんなの柄じゃないんだよ。
さっさと選べよナターシャ。
恥ずかしさで俺を殺す気か趣味が悪いぞお前は!
「ははっ――」
スープをかき混ぜる手を止め、女が笑う。
笑うだけで済ませる辺り、取っ組み合いを望むわけではないようだ。
そう、安堵した瞬間には眼前にお玉が飛んできた。
勿論、喰らってやる理由はこれっぽっちもないからソードブレイカーで叩き落すが、スープの汁だけは防げずに顔に跳ねてきた。
「甘いな。今の俺は火傷なんて負わないぜ」
レヴァンテインさんの対火能力を舐めるなというのだ。
「スープ滴らせながら何格好つけてるんだい」
「そんなのはどうでもいいんだよ。いい加減選べっての」
「好きにしなよこの馬鹿!」
「こ、この後に及んで開き直りやがったか!?」
鍋を放置し、こちらへとつかつかとやってくると彼女が右腕を振り上げる。
その手は硬く握られ、拳となっている。
ああ、これは殴られるなと理解した俺は、そのまま甘んじて受けようとした。
――けれど、衝撃は来なかった。
その代わりにスープの散った頬を、彼女の細い指先が撫で抜ける。
「まったく、こんなにズカズカ人の中に入ってくる奴は初めてだよアタシは」
「もったいないねぇ」などと呟いて、滴るスープに触れた指を舐める。
その顔には、いつもの蓮っ葉な感じが無くなっていた。
どこか擦れたような雰囲気はなりを潜め、酷く優しい笑顔がある。
その表情が、俺の知っている気丈な顔とはあまりにも違いすぎていて、その時はまるで別人のように見えてしまった。
もしかしたら、それは彼女の本来の笑顔だったのだろうか。
トレジャーハンターとしてではなく、傭兵たちに鍛えられる前の彼女の。
「――アッシュ、それを返しな。あんたには壊させない」
「それがお前の望みか?」
「ああ、だからついでにその剣を構えなよ」
その言葉で、意図が理解できないほど俺は鈍くはなかった。
両手でしっかりとソードブレイカーを握り締めたナターシャを前に、俺はレヴァンテインを構える。
と、彼女が剣を振りかぶろうとしたその瞬間、勢いよくドアを開けてグングニルさんが戻ってきた。
「お取り込み中すいませんマスター」
「……取り込み中といえば取り込み中だが、なんだそれは」
「生ゴミです」
「……生ゴミってあんた、それこの村の男じゃないのさ」
両手に、顔面が妙にアザだらけの男を二人引きずってきた彼女に、俺とナターシャは思わず顔を見合わせた。
「マスター、どうやらナターシャさんは謀られているようですよ」
「なに?」
「どういうことだい」
床に投げ出された男二人が、苦しそうに呻きつつ顔を引き攣らせる。
明らかに何かを恐れているような雰囲気だが、理由が良く分からない。
「この村はもうレジスタンスの村ではありません。厳密に言うと、レジスタンスにスパイとして紛れ込んだ者たちが完全に掌握した村です」
「なんだって?」
「ヴェネッティーの側室が使っていたというアーティファクトをナターシャに使わせてください。それで全てが分かるでしょう」
何の考えも確証もなく、グングニルさんがここまでするとは思えない。
インベントリから鉄扇を取り出すと、ナターシャに渡す。
渡されたそれは手に、困った顔をする彼女だったがグングニルさんの眼差しに負けた。
「……なんだか分からないけど、そこまで言うなら試してあげるよ」
無言で頷き、ナターシャが魅了の魔法を掛ける。
抵抗できて居る様子はない。
識別で確認すれば、レベルが二十も無いからだと分かる。
その後に彼女が問えば、まるで恋人に自慢するような夢うつつの表情で連中はいとも簡単に自供した。
その結果は、酷く胸糞が悪いものだった。
「はは、なんだいそりゃ――」
鉄扇を取りこぼし、彼女は真っ青な顔で二・三歩後退。床に打ちひしがれたような顔でしゃがみこむ。
「おい、しっかりしろ!」
「あんまりじゃないかい? ねぇ、アッシュ。だったらアタシは、アタシは――」
両手で自分の肩をかき抱き、震えを抑えるようにして表情を失わせるナターシャ。
その眼前で、アザだらけの男が続ける。
まるで壊れたテープレコーダーだ。
止められるナターシャが耳を塞ごうとも、初めに求められた隠し事を列挙する。
要約すれば、ナターシャは最初から騙されていたの一言に尽きた。
彼女の父親は、どうやら本物のレジスタンスを支援していたらしい。
そのレジスタンスのレベルホルダーを育てる表向きの顔が傭兵団で、だからこそ匿えるはずだったその場所に、政敵がそれを知って息子を送り込んでいた。
それが、ソードブレイカーの男。
男は彼女に自分たちの邪魔者を暗殺させて行方を晦ませたのだという。
その後、その時の伝を利用してパトロンを失ったレジスタンスを裏で操り、政敵の妨害工作に使っていたようだ。ナターシャを生かしたのは、復讐心と淡い恋心を利用して暗殺やアーティファクトを集めさせるためだろう。
どちらだったかは、男たちは知らない。
ただ、時折アーティファクトを回収に来るというその男が楽しそうに当時のことを言うので連絡員である彼らは知っていたというだけのこと。
そうして、井戸端で哀れむようにヒソヒソと話していたところを、グングニルさんが小耳に挟んで物理的に聞き出したようだ。
「伯爵様の政敵は、レジスタンスのテロで減りました。後は皇族を始末し、政治ができないレジスタンスの代わりに牛耳るだけで国が手に入るところまで来た。全ては、ナターシャ様のアーティファクトと、レジスタンスのおかげだというのに、奴はまるで自分の手柄のように毎度偉そうにしやがるんです。酷い連中ですぜ!」
「……黙れ。もうお前は黙ってろ!!」
「は、はい黙ります」
そして、遂にナターシャの感情が理性を振り切った。
「あっ、おい!」
寝室へと取って返すと、無表情で旅支度を整え始める。
行き先は既に男たちによって暴露されたせいで決まっている。
ならば、後は行動だけだろう。
まぁ、だからといって俺がこのまますぐに行かせるわけもないが。
「どきなアッシュ。聞いてた通り私には野暮用が出来ちまったんだよ」
「野暮用は結構さ。でもこのまま直ぐには絶対に行くな」
「――きな」
引き結んだ唇から零れた苦悶染みた呟き。
その後には、葛藤もせずに抜かれた刃があった。
次の瞬間、俺たちの間で金属音が鳴り響き掠れた刃が火花を散らした。
お互いが手に持つアーティファクトのショートソードと、俺のレヴァンテインが衝突したのだ。
「どきなアッシュ!」
「まだどけない」
「どけぇぇ!」
二撃目は、怒声交じりの突きだった。
頭は沸騰しても、本能で腕力の差を理解したのだろう。
けれど、モーションが大きすぎた。
俺は何もせず、ショートカットにより一瞬で纏った全身鎧で受け止める。
きっと、並みの鎧なら貫く一撃だった。
本当に殺す勢いで放たれただろうそれを、ただ胸の装甲で受け止める。
脳裏に浮かぶHPゲージを削れたが、頓着するには値しない。
「そんな、馬鹿な……」
ほとんど微動だにしない俺を、ナターシャが不気味そうな顔で見た。
それが、どうしてこんなにもやるせない気分にさせるのだろう。
自分の異常性を、はっきりと再認識させられたから?
彼女が俺を見る目が化け物を見るような眼だったから?
それとも、見ていられないぐらいに同情してしまっていたからか。
「今のお前じゃあ俺はどうにもできないぞ」
「――ッ!?」
驕りのような言葉を受けて、怯えたように一歩後退する彼女は退路を探した。
けれど寝室の外に出るドアは俺に塞がれている。
彼女の視線の先には家の壁しかない。
その先は、出会いを思い出せば簡単に分かるから、だから俺は壁を壊して離脱しようとする前に腕を掴んで止めた。
「――は、放しな!」
「だから冷静になれって。復讐をするなって言ってるんじゃあないだろ」
俺には止める理由が無い。
きっとここが日本なら止めるべきなのだろうが、生憎とここは『クロナグラ』だ。
この世界にはこの世界のルールがあり、かつて得ていた社会の恩恵など鼻で笑え飛ばせるようなことが罷り通る場所なのだ。
向こうの良識も何もかもを、ここで掲げても意味はない。
いや、それ以前の話だ。
全て自己責任で良いと覚悟して行動に移すのであれば、あの世界でだって人は殺せた。
連日のニュースがそれを証明し、命の尊さを一時の感情や理由で台無しにしてしまうことが簡単に成せることを白日の下に晒してしまっている。
それが決して良いことではないと知っていても、罪であってもそれを選択する自由だけは、法や常識では奪えない。誰も取り上げることができない。
その不文律は、この世界でも変わらないのだ。
「今から乗り込んで何人ものレベルホルダーを相手にするのか? それとも闇夜に紛れて忍び込んで暗殺? どっちでもいいが、せめて勝率を上げる努力をしてからにしろって」
「努力って……何さ……」
「幸か不幸かは知らないが、目の前にお節介を焼きたくて構えてる馬鹿が居るだろ。だったら、お前はそいつを使えば良いんだよ」
そいつは阿呆だ。
だから、きっとその場の勢いで手伝うに違いない。
どうせここは安住の地にするには生臭すぎる。
通りすがりの、理想が妙に高いはぐれの廃エルフさんは住み着かない。
なら、その馬鹿に悪評の一つや二つぐらい生まれても問題ないのさ。
「ていうか、この村をどうするんだっての」
無理やり引きずって、鉄扇を拾ったグングニルさんの居る場所まで戻る。
「まずはお前が持ち込んだアーティファクトの回収だ。次に、情報集めて本物のレジスタンスと渡りを付ける。んで、邪魔する奴を蹴散らして仇をぶちのめしてとんずら。ほら、俺はアーティファクト魔法が使えないんだから、これはお前の仕事だぞ」
そっと、グングニルさんが差し出す鉄扇。
それを見つめる瞳には、最後の逡巡がある。
「……あんた、意味が分かっているのかいアッシュ」
「さぁてな。まだ寝ぼけてたら分かってないかもしれないが――」
そんな細かいことはどうでもいい。
今のだってタダの思い付きで、それで簡単にどうにかなるなんて信じちゃいない。
だから、すっ呆けたような顔で俺は言ってやるのだ。
「――お前の気が済むまで付き合えば、その内正気に戻るんじゃないか?」
その村を制圧するのは簡単だった。
武器娘さんと俺が居たから、ではない。
単純に連絡員の男たちしかいなかったからだ。
また、起きた時間も幸いしていた。
朝早くだったせいで、グングニルさんが連れてきた二人以外にはだれもまだ活動していなかったのだ。そうして、俺たちは月に一度自ら足を運ぶという、ソードブレイカーの男を待った。
数日後、その男は何も知らずにやってきた。
家の中から窓越しにこっそり見た奴の姿は、端的に言えば白馬に乗った優男だった。
荒くれ者のような粗野さはなく、どこか品のある男だ。
だが、見た目どおりのそれはすぐになくなった。
連絡員から報告を聞き、食事を用意させて酒を飲みながら持ち込まれたアーティファクトをまるで自分の手柄のような顔で誇ってみせる。
寝室からこっそりと様子を窺っていた俺たちは、奴が酒に仕込まれた睡眠薬で昏倒するまでその下らない話を聞かされる羽目になった。
これで、勘違いでもなんでもないことが証明されてしまった。
もはや奴は言い逃れなどできない。
「ッ――」
震える手でソートブレイカーを握り締め、今にも飛び出しそうなナターシャを俺はヒヤヒヤしながら見守った。
そうして、魅了された連絡員が完全に拘束したという合図を送ってきたのでようやくの対面となる。
声を覚えていたナターシャはともかく、俺にとっては正真正銘の赤の他人だ。
その面を見ても、怒り以外の感情が浮かばない。
「ナターシャ」
「念を押さなくても分かってるさね」
試しに魅了魔法を掛けるも、効いた様子はない。
レベルホルダーとしての抵抗力だろう。
ならば、正攻法で行くだけだ。
椅子の背に座らせ、厳重に縄で縛り付けて目隠しをしたまま放置。
目覚めるのを待つ。
「――」
その間、暗い瞳でその男を見下ろす彼女は、辛抱強く待ちながらポツポツとまた話す。
どれもこれもがその男との思い出話だった。
まるで、そうすれば記憶の中から余さずまとめて消し去れるのではないか、なんて妄想に逃避したような行動。
俺は一々相槌をうち、生まれて初めて女に胸を貸すなんて大それたことをしてしまった。
それぐらい、痛ましかったのだ。
外野から見ている俺でこれなのだから、本人の胸中など察することさえできない。
やがて、起きたその男が喚く中で尋問が始まった。
この時のことは、あえて語る必要はあるまい。
ただ、結果として一人の男が死んだだけのことだ。
利用した女が後生大事に持っていた、壊れる寸前のソードブレイカーで。
彼女の一つの復讐は成ったが、その大元の貴族とやらはまだ生きている。
全てが終ったわけではないのだから、俺は最後まで完遂するのだろうと思っていた。
けれど、彼女は首を横に振るった。
「――いや、今のアタシにはどうすることもできないさね」
統合した情報を元に、彼女はその結論を出した。
「奴の言ったことが本当なら、レジスタンスの活動もかなり大詰めだ。なら、今すぐに排除するってのは無理だね」
本物のレジスタンスの革命の意思は本物で、日増しにその勢力は拡大しているという。今それを支援している最大のパトロンを排除するのは、すぐそこまで迫っている革命の気配にケチをつけてしまう。
その流れをたった一人の意思で捻じ曲げることだけはできないと、彼女は言うのだ。
「だって、アレはあの頑固親父が作ったってんだからねぇ――」
形はどうあれ、その意思で生まれたモノであるのであれば壊せない。
だから、今すぐ直接どうこうはできないと蓮っ葉に笑う。
その頃にはもう、いつもの気丈なトレジャーハンターに戻っていた。
「でもねアッシュ。奴らの狙いだけはレジスタンスに伝えて置こうと思うのさ。そうなったら、終った後で奴らは絶対にこの国を好きになんてできないだろうからね」
レジスタンスの望みと、その貴族の望みは同じではない。
腐敗の破壊と国の浄化がレジスタンスの望みであるならば、個人の野望から始まったそれらは、最後にはきっと水と油のように混ざり合えず弾きあうだろう。
それが、彼女が選んだもう一つの復讐の形だというのなら、俺はただ従うまでだ。
「そうだな。レジスタンスだって馬鹿じゃないだろうしな。すぐにどうこうできるんじゃないなら、その間に政治ができるような人材を抑えておけばいい。単純な理屈だな」
「そしてその頃には、レジスタンスの勢力は奴らにだって無視できない規模だろうさ。何せ、この国を革命しようってんだからね」
本当にそう上手く行くかは未知数だが、それで良いと言うのならそれで良い。
この国がどうなろうと俺は知ったことではない。
そういうのはこの国の連中が決めれば良い事だ。
「でもそれだけじゃあ癪だから、アタシが集めたアーティファクトと同じ数だけは最低限取り返したいんだけど……その、アッシュ。手伝ってくれないかい?」
初めて、自分の口から頼みごとをしてきた彼女は、どこかしおらしい顔をしていた。
どうせみっともない姿を見せたとか、頼る恥ずかしさか何かを感じているのだろう。
今更のような気もするが、俺は当然のように頷いた。
「いいぜ。それじゃ、早速そのために新しい偽名でも考えないとな」
「あんた、また随分と余裕だねぇ」
「最悪は真正面から突っ込んで、全員ぶん殴ってやればいいと思ってるからな」
今の俺は正義のクォーターエルフでもなければ、英雄たるジャイアントスレイヤーでもない。
ただの胡散臭い廃エルフのアッシュだ。
そんな俺にできることは、ナターシャの味方をする程度に過ぎない。
でも、それができるこの身体を持っていたことを素直に喜んでもいいだろう。
俺は今、彼女に必要とされているのだ。
ならこうやって頼られるのも偶には悪くない。
「そうだ。もう一つ頼みがあるんだけどいいかい?」
「おう。もうなんでも言えよ。この際まとめて全部どうにかしてやる」
「頼もしいねぇ。じゃあさ、終らせてからでいいんだ。アタシをエルフ・ラグーンに連れて行ってくれないかい? なんだか、無性にあの子の顔が見たくなっちまったよ」
「それぐらいならお安い御用だ」
安請け合いかもしれないが、こうなったらとことんまで付き合ってやろうじゃないか。
どうせ、俺の旅は急ぎではないのだ。
あるかも分からない安住の地を探すついでに、またちょっと寄り道するぐらい構わない。
森への不法侵入だろうがなんだろうがドンと来いだ。
――一月後。
「……まだかい。倒した兵が、巡回に気づかれちまったよ」
鎖帷子の上に、夜闇に溶け込む黒装束と、黒頭巾を被った忍者ルックの俺に、同じ装備を着たナターシャが小さな声で呼びかけてくる。
この服は防音効果があり、更に壁際でだけ発動する隠蔽系スキル『隠れ身の術』が使用できる一品だ。これにより、ナターシャの家を嵌めた某貴族の城に潜入した俺たちは今、武器庫の中の物をパクっていた。
魅了魔法によってアーティファクトの保管場所を突き止めていたおかげで、彼女経由で回収されたそれ以上の数のアーティファクトの奪取にも成功している。
もっとも、その程度では俺の腹の虫が収まらないので、今はそこらの武器をありったけ全部インベントリへと詰め込んでいたのだが。
「……よし、これで終わりだ」
小声で合図し、その手を握って壁際へ。
そうして、隠れ身の術を使って消えスニーキングミッションへと移行する。
外からは盛大に半鐘の音と兵士たちの声が聞こえている。
おかげで城の中を慌しく兵士たちが駆け回り始めていた。
俺は、事前に打ち合わせしたようにマップを確認しながら、外ではなく最上階を目指す。
「これは何事だ!」
途中、ガウンを纏った恰幅の良いおっさんが、護衛らしき者を通路一杯に引き連れてくるのが見えて動きを止められてしまった。
動かず、壁際で彼らが去るのをジッと待つ。
最悪は殴り倒していくことも考えたが、そこへ伝令の兵士が走ってきた。
「伯爵様、どうやら侵入者のようです!」
「暗殺者か? ちっ、今更どこの家の者だ。ええい、忌々しい――」
舌打ちし、伯爵とやらが護衛に守られながら移動していく。
その間、嫌に強く左手が握り返されていた。
今なら容易く斬れるだろうに、ナターシャはそんな安易な感情に振り回されはせず、頑なに動かなかった。
しばらくして誰も居なくなった廊下で、「行こう」とだけ声をかけ上を目指す。
伯爵の城は、城壁に囲まれておりそれが対レベルホルダーも考えているのかかなり高い。
ちょっと飛び越えるにはハードルが高いような気がしたので、残る手段は二つだけだ。
最上階の廊下を忍び足でやり過ごし、更に高い見張り用らしき塔を登る。
そうして、俺たちは見張りの兵士をぶん殴って気絶させ下を覗いた。
「城門を確実に閉じ、出入り口を封鎖して侵入者の脱出を阻むか」
「普通はそうするさね」
その後は袋の鼠を探す作業に入る。
理に適ってはいるのだろう。
だが、ならばこちらはその上を行かせて貰おう。
「練習した通りでいく。ちょっと待っててくれ」
忍者服の上に、王子養殖時にちまちま作っていたハンターモモンガの皮膜で作ったウィングと、暗視のメガネを身につける。
一応、二人乗りも実験してあるので問題はない。
「じゃ、これを残しとくよ」
悪趣味にも『来月にまた会おうロリコン伯爵! by怪盗モモンガ』などと、疑惑を呼ぶようなメッセージを書き連ねた俺特製の羊皮紙。それをナターシャが倒した兵士の腹に残して俺の背におぶさる。
「行くぞ」
「うん」
了解の声を聞き、窓枠を全力で蹴って両手を広げる。
バッと広がった皮膜が大気を掴み、星光を遮りながら俺たちの身体を滑空させる。
その下では、気づいた兵士の一部が「こんなところにハンターモモンガか!?」などと驚愕して見上げていた。
それでも、城壁の上を見張っていた兵士は、驚いた顔でこちらを見ながらも近づけば人だと看破した。
しかし遅い。
気づかれたところで城門は閉じられている。
すぐには開けないだろうから、逃げ切る時間は十分にあるだろう。
「あんた、これなら義賊にでもなれるんじゃないかい?」
「面倒だからやらないさ」
両腕を首に回し、ギュッと掴まっているナターシャに言い返すと、俺はふと問うた。
「しっかし、さっきはよく我慢したな」
「あんたにこれ以上迷惑を掛ける訳にもいかないからねぇ」
ありがたいお言葉に頷いて前を見ると、すぐに着地の瞬間がやってきた。
減速がちょっと足りないような気がしたが、強引にも身体能力で誤魔化すように着地する。幸い、深夜のメインストリートには人気はない。
人二人分の重量を支えきった俺の両足は、数歩で勢いを減速させてくれた。
そのまま急いで夜の裏路地に移動。
ナターシャを下ろしてからウィングを外す。
「急いで離れよう。グングニルさんがきっと合流地点で心配してる」
「アッシュ」
すぐに走り出そうとする俺は、呼ばれてから当たり前のように振り返った。
すると、何故か間近にはナターシャの顔が広がっていた。
気づいたときには遅かった。
「むぐ――」
首に回された腕がある。
いきなりのことで驚いた体は、しかし彼女の重みさえも完全に支えきる。
そうして、刹那の一瞬のその後に、俺の唇に触れるその感触。意識するまでもなく生々しいその感触が、俺の脳髄を一瞬で混乱に陥れてしまう。
おかげで状態異常無効の効果が機能していないんじゃないかと思うぐらいに、今にも前後不覚になってしまいそうだった。
――それが、一般にはキスと呼ばれる行為であることを俺は知っているというのに。
「ふふっ。あの娘たちが居たら、焼き餅を焼かれちまいそうだったからね」
「いやいや待て、そういう問題じゃないだろ!」
照れるとか、嬉しいとか、そういう感情よりも先に来る呆れがそんな益体もない言葉を紡がせる。だってのに、離れたナターシャは悪戯が成功したような顔で笑いやがるのだ。
嗚呼、ちくしょう。なんだ。
なんでこんなに顔が熱いんだよ。
「そういう問題だろアッシュ。あの子達はあんたの嫁なんだって聞いてるからねぇ」
「おい、それ誰に聞いた!」
「本人たちからさ。フレンドとやらにも毎回そう紹介してるんだろ」
間違っちゃいない。
ああ間違っちゃいないがな、それは絶対にゲーム時代の話だぞ。
嫁自慢なんて、そりゃあ二次元嫁を自慢するようなノリでやりまくったさ。
でも、お前のはそうじゃないだろう!
ああもう、こんなのどうやって説明しろってんだ。
相手はネットもゲームも存在しない世界の住人だぞ。
どうすりゃいいんだよ。
「お前、絶対に勘違いしているって」
辛うじて搾り出した答えだが、ナターシャは鼻で笑いやがる。
「勘違い? あんたは「全員俺の嫁!」なんて紹介するような好色漢なんだろ。さすがはハイエロフ様だよ。武器が嫁なんて神様はやることが違う」
「――よし分かった。じゃあもうその認識でいいから、どういうつもりだったかを話せ。そっちの方が重要だ」
「そうだね。じゃあ、今度また二人っきりにでもなったときにでも教えたげるよ――」
言って、ナターシャがもう一度キスをした。
またも不意打ち。
だが、それには一瞬を焼き尽くすだけの熱量があったような気がして、俺の思考が寸断される。
「さて、これ以上は無粋な奴らに邪魔されそうだしさっさと逃げようかね」
首に回した手を離し、彼女は俺が何かを言う前に闇夜へと背を向けて走り出す。
「探せ探せ、まだ遠くにはいっていないはずだ!!」
誤魔化されたと思うべきか、それとも仕事熱心な兵士を呪うべきか。
「ああもうっ――」
どうしてこうなったのかを、考えることに意味はないのだろう。
一つだけ確かなことがあるとすれば、すぐに先行する彼女を追わなければならないということだけ。だから、この有り余る力で地面を蹴った俺が居た。
「ほらほら、遅いよアッシュ。さっさとついてきなよっ」
「お前が突っ走りすぎなんだっての」
俺は、意識を周回後れにした挙句、ぶっちぎりやがった女に悪態を吐きながら追う。
夜に眠る街で行われた突然の逃避行。
いつまで続くのかは知らないが、まぁ、その、なんだ。
沈んだ顔を見せられるよりは、吹っ切れた顔を拝める今の方が良いと思って納得しておくとしようか。