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第二十五話「ソードブレイカー・上」


 俺にとっての安住の地というのは、一体どこにあるんだろう。

 いつものような思いを胸に、黒狼組の拠点から西に向かった俺は遂に国境を越えていた。

 少なくとも、その間には当たり前のように存在してはいなかったことから、安住の地という奴はかなりの恥ずかしがり屋さんであるとの推測が立つ。


 是非擬人化してみたいものだが、生憎と見つけられない奴にかけられるスキルなどない。

 その残念さに無駄に打ち震えつつ、俺は今日も今日とて旅をする。

 そういえば、旅は自分を一回りも二回りも大きくするというが、本当に俺は成長したのだろうか?

 ふと、もう気にもしていなかったステータスを開いて確認した。

 瞬間、その数値を見た俺は自らの認識を疑った。


「はあっ!?」


「マスター? どうかなさいましたか」


 ミスリルソードを持たせた眼帯の美女、グングニルさんが尋ねてきた。


「その……な、しばらく見ていない間に俺のレベルが二百を超えてることに気づいた」


「それは素晴らしい。さすがは私たちのマスターです。限界をそこまで超越なさるとは」

 

 喜ばしいことだと頷き、それの何が悪いのかと問うてくる。


「悪いっていうか、これ以上ステータスを見たくなくなった」


 地獄の戦鬼、ヴェネッティーでの王子育成期間やあの神宿りの巨人、そして連日の旅の道中で遭遇する魔物や野生動物などが理由ではあるのだろう。

 だがそれにしたってこの上昇率が異常だ。

 アヴォル相手に恐怖を感じなかったのもそのせいだろうか。


 この恩恵がどれほどのものかなんて考えたくも無いが、もう十分にこの世界に身体だけは適応しているんじゃないだろうか? 後は思考と価値観か。

 その変化が完全になれば、俺は本当に廃エルフのアッシュになってしまうのだろう。


「皆の限界は変わっていないのに、何故俺だけ……」


 これじゃあまるでチート野郎だ。

 いやまぁ、強くて困ることはないので別に問題ではないのだが、自分で自分が怖くなるぞこれは。

 きっと、今なら相撲レスラーに張り手を食らわせただけで土俵から落とせるに違いない。

 とはいえ、技術は無いので力押ししかできないわけで、俺は俺より強い奴には当たり前のように勝てないだろう。


 それ以前にマワシを装着したエルフなんて一体誰得なんだろうか?

 分からん。

 ついでにふっくらした自分も考えたくはない。

 そうだ。

 こみ上げてくる謎を探求するよりも、今は安住の地の模索だろう。


――と、益体も無い思考を切り替えようとしたときだった。


 森の奥から、俺に向かって飛来する何かがあった。

 なんとなく掴み取ってみる。


「……なんだ、矢か」


「お気をつけ下さいマスター」


 ボロ布のマントの下から、剣を抜いたグングニルさんが払ってくれていた。

 俺は会話のせいでついつい意識を逸らしていたことを反省しつつ、マップを確認。


――数は八。


 この木々が生い茂る山の斜面のその下で、何かを追うようにして動いていた。

 もしかしたら、ただの流れ矢とかいうオチだろうか?


 状況は不明だが、その一団がこちらへとこちらへと近づいてくる。

 先頭を行くのは外套を纏った茶髪の女だ。

 その後ろには、何やらブレストプレートを纏ったいかにも兵士です、といった連中が追っていた。


 係わり合いになりたくないなぁ、などとぼんやり思っていると、女がこちらに向かって走ってくる。

 中々の速度だ。

 途中の木々を蹴り、まるで軽業師のような身のこなしで斜面を越えてくる。


 間違いなくレベルホルダーだろう。

 後続はその見事な動きに対応し切れている風ではない。

 怒声を上げながら、隊長らしき人物が弓を撃たせるが、ここは森だ。

 跳ね回る相手に対して、木々が邪魔をして当てられない。


「識別――お?」


 女の正体を知った瞬間、俺は脱力しかけた。

 向こうは俺に気づいていたのだろう。

 進攻方向を変えてこっちへと上がってきた。

 最後の大ジャンプ。

 木々をへし折る勢いで跳躍してきた彼女は、俺の前に軽やかに着地して笑った。


「――久しぶりだねぇアッシュ。それにグングニル……だったけね」


 外套のフードの下にあるのは、気丈そうな女の笑みだった。

 そいつは、ダークエルフの少女を背負い、魔物の群れを突破するような深い情愛を持つ女、ナターシャだ。


「お久しぶりです」


「長々と話をしたいところだが、あの下の奴らはなんなんだ」


「何って、この先にある遺跡の警備兵さね」


「……逃げるぞ」


 ミスリルコートのフードを目深に被り、グングニルさんを促して俺は山道を駆け出す。

 その横をナターシャが追走。

 何故か知らないが追ってくる。


「ついて来るなっての!」


「いいじゃないかい。ほら、近くの村に案内してやるよ。そっちは遺跡だよ」


「ぐぬっ――」


 土地勘が無い俺にニヤリと笑い、ナターシャが俺たちの前に出た。

 そのまま俺を手招きし、分かれ道を北へと抜けていく。

 急勾配の坂道を登ったかと思えば、今度はそこから道を逸れて森に突入。

 その下の荒野へと抜ける。


「それで、近くの村ってのはどれぐらいかかるんだよ」


「そうだね。安全そうなのは二日かね」


「おい!?」


 確かに、付近の村に居たらさっきの連中が押しかけてくるかもしれないが、それにしたってそれはどうなんだよ。

 だが、そう思う内心とは裏腹に、俺の腹はまだナターシャとの別れは望んではいなかったようだ。


「――こうなったら、絶対に飯を作らせてやるぜ」


 先導するように前に出た女の背に怒鳴ると、俺はそのまま後に続いた。




「はいよっ」 


 夜、かなりの距離を稼いだ俺はナターシャにお詫びも兼ねた飯を作らせた。

 材料と道具は俺持ちだが、出来上がったスープがなんとも食欲をそそる匂いを放っている。


「くそ、この一杯で許してしまう安上がりな自分が憎い」


 やはり、自分で作るよりも断然美味い。

 一緒に食べるグングニルさんからも好評だ。


「いや本当、あんたは安上がりな奴だよ」


 どこか呆れた風に言われたが、今は飯だ。

 具材たっぷりのそれをかき込み、パンを齧る。

 ついでに干し肉も齧る。

 腹に入れば皆同じでも、それでも誰かの手料理はいいものだ。

 ここしばらくの暗闘の日々を思えば、なんて贅沢なことだろう。


「――で、アレからどうしてたんだいあんたは」


「モンスター・ラグーンから飛び降りて旅をな」


「……ああ、まさかとは思ってたけど本当にやったんだね。よく生きてたねぇ」


「それ相応の道具さえあれば不可能じゃない。ただ、普通は無理だから真似するなよ」


 自慢げに唇を吊り上げて忠告してやると、彼女はすまし顔で肩を竦めた。


「アタシにはそんな予定は無いさね」


 もっともな話だ。

 それからは自然とお互いの近況を話し始めた。

 あれから一年だ。

 久しぶりの知り合いとの再会に浮かれてか、俺の口は大層軽くなっていた。

 

 それはどうやら彼女も同じだったようだ。

 ナターシャはアクレイたちの案内で森を出たらしい。

 それからはトレジャーハンターよろしく遺跡巡りだったそうだ。

 特に面白い話はないというので、俺が武勇伝を話すと何故かナターシャは納得したように頷いていた。


「あー、あの噂のクォーターエルフはあんただったんだね」


「ここらまで届いてるのか?」


「モロダシヤだかヒサなんとかだか知らないけど、胡散臭さがあんたそのものじゃないかい。第一、外へ出たら偽名使うとかなんとか言ってただろう。目立たなくするためっていったって、逆に目立ってどうするんだい」


「いやまぁ、全部偶然なんだけどな」


「どうでもいいけど、このロロマ帝国では大人しくしときなよ」


 ロロマ帝国。

 かつては中央四国で幅を利かせていたという国だそうだ。

 現在の中央四国は丁度領土が四分割されたような立地である。

 それぞれ東西南北に国があり、その東側に位置するのがロロマ帝国だ。


「ここはダルメシアも居た国でね、人身売買なんかザラだよ」


 バラスカイエンは闘争で有名だが、この国は支配階級の貴族と腐敗が有名らしい。だからこその忠告なのだろうが、俺をマークさせかねなかった女が何を言うのだろう。

 いや、まぁ、顔を見られたわけではないはずだから問題はないと思うのだが。

 こういうのはフラグって奴じゃないのか? なんて疑ってしまう。


「特に、アヴァロニアと似てここらは人間が特権階級だから気をつけなよ」


「じゃ、ここも用はないな。こうなったら最短で北西に抜けるか」


 安住の地の気配が端ッから無いって、なんだ。

 これじゃあバラスカイエンを最速で突っ切った意味が無い。

 くそっ、情報弱者にも程があるな俺。


「あんた、その口ぶりだとアタシが説明してやったのを忘れちまったようだねぇ」


「悪い、どうも濃い人生を送ってるせいでな」


 そういえば、ラグーンでナターシャから色々とエルフの森周辺の国について聞いていたはずじゃないか。

 やばい、色々在りすぎてすっかり記憶が飛んでたぜ。


「えーと、北はアレだろ。霧の国リス……リスなんたら」


「リスバイフだよ」


「そう、それ。寒くて霧が多くて、山ばっかりだから見つかってない遺跡が多いんだろ」


「で、それはアンタの目的に叶う場所なのかい?」


「それは行ってみないと分からん」


「はぁ……そりゃここよりは治安はいいけどね、あそこは冬が地獄だよ」


「モ、モンスター・ラグーンはきっと暖かいって!」


「食い物なんて冬は碌に買えないし、人里まで降りる間に遭難しちまうよ。けど、そんな常識めいたこと以前にさ、なんでモンスター・ラグーンに住もうって考えたのさ」


「そりゃあもう、色々と考えた上での結果だとしか言えないな」


 しかしやばいな。

 そういえば俺は雪に対しての備えをまったくしてなかった。

 雪国出身ではないから、とりあえず厚着してレヴァンテインさんが居れば楽勝だと思っていたが……遭難っておい。

 考えてもいなかった二文字だぞ。


 俺の場合はマップがある限りどうとでもなるはずだが、雪崩に巻き込まれたらさすがに無理か。

 そうだよ。

 何も魔物やその地の風習だけが脅威ではない。

 迂闊にも程があるじゃないか。


「そんなのでよく旅ができたね」


「か、身体の頑丈さだけは自信があるからな」


 逆に言えば、それ以外で自信があるものはない。

 突きつけられる厳しい現実を前にして、俺は今までは力ずくで突破してきた。

 けれど、今度の敵は大自然だ。

 雪崩にでもあったら、生き延びる自信はさすがにない。


「で、でもアレだ。もうすぐ初夏だろ。夏の間に様子を見るぐらいならいいさ! 何事も自分の目で確かめてみないとな!」


「だってさ。フォローが大変だねぇグングニル」


「フフッ、だからこそ仕え甲斐があるというものですよ」


 やんちゃ坊主を見守るような慈愛のある瞳で、眼帯美女が流し見る。

 それに釣られてナターシャも見てくるが、そんな可愛げがあるのか? というような顔で疑いの目を向けてきやがった。

 二人の眼差しには確かな温度差がある。

 俺はそれから目を背け、飯の残りをかっ喰らった。




 近くの村というのは、本当に二日かかった。

 なんで山を一つ越えなければならなかったのかは謎だったが、今は問うまい。

 のどかな山村という見た目ではあったが、不思議なことに村人たちの空気が重い。

 というか、俺とグングニルさんを見る目が妙に鋭い。


「余所者を嫌う風潮の村か?」


「いや、ここは別の理由があるのさ。まぁ、アッシュには関係がないさね」


 言うなり、事情通らしい彼女は適当に村人に話しかける。

 すると、村人は気さくにも彼女と話していた。

 聞き耳を立てることなく数分待つと、帰ってきたナターシャが一軒家へと俺たちを誘った。


「話をつけてきたから、今日はここで休むよ」


 なんともありがたいことだが、ナターシャは帰ってくるまで家から出るなとだけ言って出て行った。


「なんなんだいったい?」


「余所者に自由にされると困る、ということでしょうか」


 二人して不思議に思うが、別に村を散策する理由も無い。

 木造の家を物色し、適当にくつろぐことにする。

 暖炉に炊事場に、寝室。

 必要最低限の物しかない家屋だが、雨露を凌げるし屋根があるだけでも十分に俺にはありがたい。


 旅の間は野宿ばかりだ。

 ゆっくりと横になれる環境だけでも涙が出そうだ。

 現代日本の贅沢さとは比べられないという諦めさえ装備してしまえば、質などもはや問う必要がない。

 疲れない体であろうと、魔物も何も気にせずに休める環境はただそれだけで心休まる空間に早代わりする。


 一つ残念なことがあるとすれば、風呂がないことか。

 あるところにはあるが、無いところにはまったくない。

 文化的な物や燃料などの問題もあるのだろうが実に残念なことだ。


 暇なので、しばらくはインベントリのソートをしながらグングニルさんと他愛も無い話に興じていると、両手に野菜やらパンやらを抱えたナターシャが戻ってきた。


「どうしたんだそれ」


「物々交換って奴だよ。夜は期待しときなよ」


「そいつはありがたい」


 ついでに薪も貰ってきたらしく、グッと力こぶを作るナターシャは早くも仕込みに入った。

 装備を外し、料理を作る後ろ姿は中々に女性を感じさせる。

 時折響く軽快な包丁の音を聞きながら、いつしか俺は眠りについていた。




「美味い、美味すぎる! トレジャーハンターなんてやめて食堂でも開いたらどうだ」


 もはや褒め殺すような勢いで俺はナターシャを褒め称える。

 料理ができる女性はそれだけで魅力的だ。

 それは男にも言えるらしいが、そういう観点から行けばナターシャは良いお嫁さんになれる逸材に違いない。


「あんた、一体どんな酷い食生活を送ってきたんだい」


「腹に入れば皆同じ」


「そりゃ、最悪の環境だってのがよく分かる台詞だねぇ」


 呆れながらも、褒められると悪い気はしないらしい。

 小さくはにかみながら、村人に貰ったらしいぶどう酒を飲みはじめる。


「どうだい、あんたも飲むかい?」


「遠慮しとくよ。酒よりも今は飯だ」


「本当、そこまで気に入ってもらったら悪い気はしないねぇ」


 言いながら、グングニルさんに彼女は注いだ。


「ありがとうございます」


「気にしないでおくれよ。そこに注ぎ甲斐の無い奴が居るからね」


 上機嫌で飲む二人は、そのまま俺をそっちのけにして盛り上がった。

 ガールズトークという奴だろう。

 俺には理解できない未知の世界なので、飯を食ったら速攻で逃げ出すことにする。


「ぷはぁ、食った食った」


 一足先にベッドに倒れこんだ俺はとても満足だった。

 後はこのまま気持ちよくベッドで寝られれば、きっと天国にも登れる程のささやかな幸せを味わえるに違いない。

 人間、腹いっぱいになって地獄に落ちる奴は居ないだろう。

 そうして、うつらうつらとしていると二人の足音が聞こえた。


 いかん、気持ちよすぎて寝てしまったか。

 起きるのも億劫なのでそのまま寝かせてもらおうと思っていると、とんでもない事実が耳に入った。


「そういや寝床は一つしかなかったっけねぇ。まぁ、詰めればなんとかなるかねぇ」


「私は外しましょうか」


「あんただけ外すのは可哀想だし、反対側で寝ればいいさね」


 やべぇ、起きるに起きられねぇ。

 違う意味で目が覚めた俺を無視して二人がベッドに侵入してくる。

 酒が入っていたたせいか、ナターシャはすぐに寝たが、狭いからってがっちりと左腕をホールドしてやがった。そっと腕を抜こうとするも、


「こらぁ……暖かく……ないと……めだよ……シア……」


 などと誰かと勘違いしているご様子だ。

 その呟きが、妙に寂しそうに聞こえたのは俺の気のせいだったのだろうか?

 どこか気の強い、男勝りな彼女の見せる母性的な優しさ。

 それが妙なギャップを感じさせてくる。

 その無防備な寝顔には、手錬なトレジャーハンターとしての面影はない。


「ふふっ。お困りのご様子ですねマスター」


「……気づいてたなら止めてくれよ」


 右側から、グングニルさんの悪戯めいた声が聞こえる。

 驚いて、思わず両手が動く羽目になった。

 当然、反動で何か柔らかいモノの存在を実感してしまい、更に身体が硬くなる。


「あら、レヴァンテインやロングソードは良くて私と夜を共にするのはダメなのですか」


 小さく囁くようなその声は、いとも簡単に俺の抵抗心を打ち砕く。

 おかげで俺は、彼女に一撃で粉砕されたという大剣――バルムンクのような気持ちを味あわされてしまった。


「もう好きにしてくれ」


「ええ、今日はそうさせて頂きます」


 満足そうな顔で目を閉じる彼女をそのままに、俺は黙って暖炉の明りに照らされた天井の染みを数えた。




「あれ……ああ、まぁいいさね」


 朝、寝るに寝られなかった俺の左隣から剛毅な呟きが聞こえた。

 だが、逆に言えば俺の男としての存在感はその一言で片付けられる程度だという証明でもあるのだろう。

 何故だろう。

 男の矜持がズタボロにされた気分である。


「おはようございます」


 やや遅れて、右側からグングニルが起き出す。

 寝るという概念が武器娘である彼女には無いのだ。言うなれば寝た振りのまま夜を明かした彼女は、すぐにベッドの上で半身を起こす。

 失われた暖かさが、朝の山村であるせいで肌寒さを感じさせるのも束の間、俺の両側で会話が生まれる。


「ふわぁぁ、おはようさん。それにしても、アッシュの奴は起きなかったのかねぇ」


「いえ、ちゃんと今も起きておられますよ」


「――何故そこでバラすのかが分からない」


 裏切り者は意味深に笑ってベッドから去る。

 外に出る音が聞こえたので、井戸に水汲みにでも向かうのだろう。

 平和裏に解決したい俺は、妙に焦って隣に居るナターシャを見た。

 すると、彼女はそのまま豪快に大あくびをしていた。


 やはり俺という存在を気にしているような気配がまったく無い。

 異世界の女性は細かいことはどうでもいいのだろうか?

 分からん、俺にはサッパリ分からん。

 何も無かったとはいえ、こう、激しく何かが違うような気がしてならない。


 別に彼女に純情さを求めたわけではないが妙に釈然としない。

 だが、そんな俺の様子を不審そうに見ていたナターシャは、ふと何かに気づいたかのような顔をした。


「朝っぱらから元気な奴だねぇアッシュは」


「どこ見て言ってやがる!」


 何故かえもいわれぬ悔しさのようなものがこみ上げてくる。


「あははは。そうかいそうかい。あんたどうもアレだと思ったらそういうことかい」


「待て、おい。お前今何を想像して納得した!? ちょ、なんだその妙に優しい笑顔は!? おい、待てって――」


 笑いながら朝食を作りに向かうとのたまうトレジャーハンター殿は、俺の質問には答えずに炊事場へと消えていく。

 一人残された俺は、頭を掻き毟りながら唸った。

 だが、気にし続けてもそれはそれで負けだろう。


 軽く着替えて、いつものコートに手を伸ばす。

 と、そこでナターシャの武器を見た。

 ショートソード型のアーティファクトとソードブレイカー。アーティファクトは別に気にする必要もないが、ソードブレイカーは随分と年季が入っているような気がする。

 なんとなく鑑定してみると、案の定かなり耐久性が落ちていた。


「おいナターシャ、これ大事な奴なのか?」


 炊事場に向かい、尋ねてみる。


「ん? ああ、それなりにね」


「このままだと壊れるぞ。修理しようか?」


「……いや、そのままにしといておくれ。壊れたら新しいのを買うさね」


「危ないだろ」


 攻撃を受け、片側にある溝に刃を引っ掛けて折ったりもする武器だ。

 それがいきなり壊れたら、攻撃時ならともかく防御時は目も当てられない惨事を招く。

 それは使い手である彼女でさえ分かっているはずだ。

 せめて修理するべきなのだが、彼女はそれを断った。


「良いんだよ。寧ろ、壊れた方がアタシのためさ」


「理由、聞いてもいいか」


「――あんたにそこまで言う理由がないって、そうは思わないかいアッシュ」


 俺もそう思うが、これが原因で死なれたら寝覚めが悪いのだ。


「なら知り合いのよしみで俺が今すぐ壊してやるよ。壊れた方が良いんだろう?」


 虚空からレヴァンテインさんを取り出し、ソードブレイカーを振り上げる。

 今の俺の腕力とこの魔剣なら容易く壊せるだろう。

 不思議と確信できる未来がそこにある。

 だからだろうか、ナターシャは困った顔で言う。


「はぁ。なんだって他人の武器に拘るかねあんたは」


「何勘違いしているんだ? 俺が拘ってるのはこんなナマクラじゃあない。偶々一夜を共にした女の命だ」


 男の純情を弄ばれた腹いせも込め、愚にも付かない理由で反論を試みる。

 それがツボに入ったのか、一瞬目を瞬かせたナターシャはいきなりお腹を抱えて笑い出した。


「――ぷっ。あはは。全然似合わないよ、ヘタレなあんたにそんな殺し文句はね」


「だ・ま・れ!」


 この後に及んで笑いに持っていきやがるのか。

 俺はため息交じりに再度ソードブレイカーを振り上げる。


「待ちなよアッシュ」


 ギリギリ、レヴァンテインに触れる手前で止められた。

 かなりギリギリだった。もう少しで刃が触れていたに違いない。


「それをやると、あんただけ朝飯がなくなっちまうよ」


「だからなんだ? 大体、朝食とお前の命とじゃあ、俺じゃなくても釣り合わないぞ。それにだ。もし何かあったらどうする。ダルメシアを泣かせる気か」


「なんでそこであの子が出てくるかねぇ……」


「大きくなったとき、もう一度あんたに会いたいと言って森を飛び出すかもしれないだろ。だから、お前は長生きしとけ」


「あのねぇ、会えるか分からない人間一人を探しに出るかい普通」


「だが在るか分からない安住の地を探すエルフならここに居るぞ。それに、あの子に頼まれたら俺はきっと護衛ぐらいはする」


 そんな未来が、これから来るかどうかなんて関係ない。

 これはそのIFの可能性を摘み取らないためだけの行動で、ささやかな未来のためのただの先行投資に他ならないのだ。


 卑怯にもここに居ない少女を利用した駆け引き。

 それに怒りを覚えたのか、ナターシャの眼が一瞬冷たさを纏う。

 俺も負けじと見返し、その視線を迎撃してやる。


 視線で火花が散るなんてことはないが、それでも眼を逸らせば言葉を嘘にしてしまうような気がして、ただジッと待つ。

 はたして、先に引いたのはナターシャだった。


「まったく、困った男だねぇあんたは」


 そういって、ポツポツと彼女は話し始めた。


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