第二十二話「中立の街」
エルフの森への道を引き返し、途中で南西へと降りる道を進んで数日が過ぎた。
ドワーフの国ペルネグーレルの南西、ヴェネッティーの西には広大な国土を持つ『バラスカイエン』という国がある。
獣人たちが住むという南の大陸と大昔から海路で繋がっているらしく、移民してきた獣人はかなりの数に登るとディリッドには聞いていた。
なんでも、ユグレンジ大陸東部においては治安が良くないことで有名らしい。
元々居た多数の部族、そして南の大陸から移民してきた獣人、更には隣国から落ち延びた貴族などがそれぞれに勢力を作り出し、複雑な情勢を作り出したようだ。
様々な文化や風習が混在し、価値観も違う。そのせいで他国からすればバラスカイエンという国は内乱状態として認識されているのだとか。
他国が攻め込むチャンスではあるのだが、その国土を山が囲い、手を出しても別の勢力が奪いに来るような争いの坩堝。
一度侵略するならば、泥沼の戦いへと巻き込まれてしまうせいで、今はもうこの国に態々干渉しようという国はないそうだ。
そうして、その間に別の小国同士で戦いが続き緩やかに大陸の勢力図は今の形へと収まってきたという。
正直、聞くだけで平和とは無縁と分かる国なので長居はしたくない。
しかし大陸を西に向かうならこの国を避けることはできない。
一旦ヴェネッティーから海路で移動することも考えたが、回り道になるのでいっその事真っ直ぐ西に突っ切ろうと考えた。
最悪の場合は北のエルフの森に逃げ込み、森の中を西に進べばいい。
そう安易にそう考えたのがいけなかったのだろうか。
国境を越え、眼下に広がる平原へと繋がる斜面を下っていた真昼のことだ。
その先で荷馬車が三台、十人以上の騎兵に襲われているのを俺たちは発見した。
「アッシュ様」
隣を歩いていた黒髪長身の美人――タケミカヅチさんが、腰に佩いているミスリルソードに手を掛けながら視線を向けてきた。
下から聞こえてくるのは金属を叩き付け合う音と激しい怒声。
襲われている方は商人か、それともこの地を支配する勢力の輸送隊か。
どちらかはわからなかったが、雇っていると思わしき護衛が次々と倒されている。
戦の一環なら下手に介入するわけにはいかないが、アレが盗賊なら話は別だ。
だがどちらかが俺には分からない。
だから、とりあえず近づくことにした。
「距離を詰めよう。盗賊なら介入する」
「御意」
一応イシュタロッテをインベントリに仕舞い、ミスリルソードを取り出して斜面を走る。
その間にも、騎兵によって護衛が次々と倒されていく。
慣れているというのもあるのだろうが、馬の機動力を生かし短弓で攻撃。
まるで翻弄するように四方八方から打ち込んで攻撃している。
更にそれに混じって槍で武装している騎兵が蹂躙する。
一方的に過ぎるほどの手際の良さだ。
しっかりとした訓練を積んでいるようなその動きには、まるで無駄が感じられない。
斜面を下る俺たちがたどり着く前には、荷馬車を二台ほど奪い遁走を開始している。
最後の馬車にも外套を深く被った奴らが襲い掛かっていたが、ふとその中の一人がこちらを見て声を張り上げた。
「引け、引けぇぇ!」
高く澄んだその声は、戦場に居るには似つかわしくないほど周囲に響いた。
明らかに女の声だ。
仲間が困惑するように顔を見合わせていたが、命令に従って去っていく。
それはしっかりと部下を制御できている証明でもある。
最後の荷馬車にたどり着いた俺は、そこで頭を低くして縮こまっている中年男を発見した。
「大丈夫か」
「に、荷物なら差し上げますから命ばかりはお助けを!」
「良く見ろ。奴ら逃げていったぞ」
「逃げ? ほ、本当ですか? 貴方たちは彼らの仲間じゃないのか」
「仲間なら既に斬っているでしょう」
「そ、それもそうですな……」
タケミカヅチさんの声に、恐る恐る周囲を確認するその男。
やがて納得したのか、安堵のため息をつく。
けれど、その男はすぐに全滅した護衛と御者を見て青ざめた。
「あいつらはなんだ? 盗賊か」
「分かりません。盗賊かもしれませんし、どこかの勢力がドワーフの武具欲しさに襲ったのかもしれない。ここらはどの勢力も支配できない中立地帯なんです」
よりにもよって支配できないと来たか。
そこから、各勢力がお互いに牽制しあっているという構図が簡単に読み取れる。
まさか、暴力が支配する世紀末風の国なのか?
などと一瞬思った俺は、男の下に包まれている武具を見た。
「槍に剣。そして矢束か。あんた、武器商人なのか?」
聞けば、近くの街とペルネグーレルを往復している商人だと男は言った。
いつもは雇った傭兵の護衛だけでなんとかなっていたそうだ。
「大口の注文が入ったから、いつもよりも規模を大きくしたらこの様さ」
欲をかくもんじゃない、と男は悲観した。
思わず、命があるだけマシだろうと励ましかけたがなんとかそれをやめた。
仮に路頭に迷う程の損害だったとしたら、そんな言葉はきっと気休めにさえなりはしない。だから代わりに言えたのは、当たり障りの無い言葉だけだった。
「街までの護衛は必要か? 乗せていってくれるならタダで護衛してもいいが」
「ほ、本当ですか!?」
藁にも縋るような勢いで商人が泣きついてくるので、俺はただ頷いた。
夕方、俺たちは街に到着した。
「ここが一番近い街、中立都市ペグートです」
中年の武器商人ダットは、無事に辿り着けたことで安堵した。
やはり護衛が二人だけというのは心細かったのだろう。
「ここは防壁がないんだな」
「ええ、何度か作ろうという動きはありましたが周辺勢力の睨みもありまして中々……」
「自警団らしき者の姿もないが……揉めたり犯罪が出たときはどうしてるんだ」
「その、あれです。大抵は金か腕力で決着が着きます」
要するに無法地帯なのだろう。
聞けば聞くほどこれは酷いと呟きたくなる。
「それと、これは忠告ですができる限り商会などと繋がりがある商人とは揉めない方がよろしいでしょう。街の中央を流れるあの大河は、海まで繋がっているのです。当然、そこを利用した輸送ルートを商人たちは確立しているわけでして、そこと手を取り合っている勢力は当然その商人を守ります。……主に武力で」
「……向こうから突っかかってきた場合はどうすればいい」
「がんばって逃げてください」
いっそ清々しいまでに言い切られてしまっては是非も無い。
早くもこの国に来たことを後悔しそうになった俺は、軽い眩暈に襲われた。
けれど、そんなのはよそ者の感想に過ぎないようだ。
住めば都とでもいうかのように街は賑やかだ。
ドワーフ製の武具の流通拠点としての立地に恵まれる土地であるせいか、良くも悪くも経済活動が活発なせいだろう。
だが、同時に浮浪者も多いように見えた。
貧富の差に純粋な力の強弱が、当たり前のようにこの光景を作り出しているのだろう。
いつもどこかで、地球でさえ消えなかったただの事実が目の前にある。
それらをどこか冷めた目で見ながら、俺は荷馬車に揺られた。
ダットさんの店は、それなりの大きさであった。
決して大きいとはいえないが、小さくも無いという。
帰還した彼を従業員らしき者たちが迎える。
彼は店の裏手にある倉庫へと向かうと、荷降ろしを任せた。
途中、従業員と思わしき緑の髪の女性がやってきた。
「おかえりなさいませ。そちらの方々は……」
「旅のお方だイレーヌ。護衛をやられたとき近くを通りがかってね。ここまで護衛してくれたんだ」
「クォーターエルフのアナバッシュ・モヘンジョだ」
「フツ……いえ、タケミカヅチです」
「これは失礼しました。父を助けていただき、本当にありがとうございます」
妙に勢いよくイレーヌさんが頭を下げた。
俺たちを不審そうに見た目は、一転して人の良さそうな笑顔に早変わりしていた。
二十代前後だろうか。
その美しい顔立ちは、どこか厳ついダットとは似ても似つかない。
一言で表すとしたら、クールビューティーか。
可愛いというよりは美しいというのがしっくりくる。
けれど残念なことに、その笑顔は長くは続かなかった。
「旦那様、この様子では……」
「ああ。数が少し足りないだろうな」
他の従業員も不安そうな顔でやり取りを見ている。
「仕事の話か」
「とにかく、数が必要な大口の仕事が入っていてね」
荷馬車二台分の損失が大きいということか。
外からは倉庫にかなりの量の武器が用意されているように見えたが、それでも足りないのだろうか。
「……ドワーフ製じゃないといけないのか? この街にも鍛冶屋ぐらいはあると思うが」
「時間的に無理なのです。先方も、だからこそ質よりも量ということでかき集めていらっしゃるので」
だから注文して作らせるよりも、買い付けてきた方が早かったということか。
なのに数を揃え、なんとか戻ってきた途中で賊に遭遇とは不運なことだ。
「イレーヌ、辛気臭い話はそこまでにして寝床の用意を頼む。アナバッシュ殿、今日は泊まっていってくれないか。今から宿を探すのも億劫だろう。それぐらいはさせてくれ」
「……いいのか」
「ああ」
「じゃあ甘えさせてもらおうかな」
「ではこちらへ」
イレーヌさんに案内され、俺たちは客間へと案内された。
客間は二階にあった。
一階は店であり、二人は二階で生活していたようだ。
「お二人はどこに向かって旅を?」
「とりあえずは西の国だな。山向こうの中央四国を見てみたいと思ってる」
西のアヴァロニアを抑えるユグレンジ大陸中央勢力。
今は同盟を組み、なんとか東進を防いでいるらしい。
だから健在のうちに見て周り、別の大陸へ行くかどうかを決めたいと思っていた。
ユグレンジ大陸以外にも勿論大陸はある。
ここバラスカイエンの南、獣人たちが渡ってきたという大陸『ビストルギグズ』。
そしてアヴァロニアの南にあるという巨人の住む大陸『ティタラスカル』。
そして大陸ではないものの、その間にあるという竜と妖精の島国『ジーパング』。
できれば、中央四国の後に俺はこの竜と妖精の島国とやらを見てみたいと考えている。そのためには、まず一番近い中央四国に足を伸ばさなければならないわけで、この国を西に横断しなければならないというわけである。
「大変ですね」
窓を開け、空気を入れ替える。
と、そこで路地へと視線を延ばした彼女はそれまで浮かべていた笑顔を消すと、硬い顔で振り返った。
「申し訳有りません。仕事の関係で少し外させてもらいます。この部屋は自由に使ってください」
「分かった」
小走りに去っていく彼女に頷き、俺は一つしかないベッドに目をやった。
「タケミカヅチさん、俺たちは世間的にはどういう目で見られているんだろうな」
「主と武器……いえ、この場合は部下でしょうか」
ムムっと、秀麗な眉を寄せる彼女から出た答えはこれである。
その色気も何も無い回答にはもう苦笑するしかない。
「タケミカヅチさんらしいな」
この問題について悩むのは夜にしよう。
どういう結論が出るかは楽しみであり恐ろしくもあるが、うん。
「――めてやがるのか、ああ!!」
この、鬱陶しいぐらいに下から聞こえる喧騒をどうにかしよう。
「アッシュ様」
「ああ、降りようか」
きっと、視線を向けてきた彼女が見た俺はうんざりした顔を浮かべているに違いない。
一階に下りると、何やら武装した男たちがやってきていた。
そこでは、ダットさんとイレーヌさんが平謝りしている姿が見受けられる。
「ダットさんよぉ、足りなきゃ足りないでかき集めてくるのがテメェの仕事だろうが」
「それは……申し訳ありません。賊に襲われ……」
「知ったことかよ」
ガシャンッと、けたたましい音が響く。
定員の数人がその音にビクリとする視線の先では、近くに立てかけてあった武器が蹴り倒されていた。
ならず者としか形容できないその男。
その奥には、他にも数人ほど武装した集団が見受けられた。
「一体なんなんだ騒々しい」
「ああん?」
リーダー格らしい犬耳の獣人男が俺を見て、次にタケミカヅチさんを見た。
視線が俺たちが下げている剣に向かう。
「なんだ、そいつらは用心棒のつもりか」
「ち、違います。お二人は買い付けから帰ってくるまでにお世話になった旅の方です」
「煩くて眠れないんだ。商談ならもう少し静かにやってくれないか」
「おうおう、そいつは悪かったな兄ちゃん」
肩を竦めるその男は、しかし悪びれることはなかった。
「だが悪いのはこの店だ。何せ、注文期日に間に合わないってんだからな」
「店長殿、後は何がどれだけ足りないんだ」
「や、槍三十本と剣が二十本です」
「期日は?」
「後三日だよ兄ちゃん」
「そうか。なら、明日来い。足りない分は今日のうちに俺がかき集めておいてやる」
「……ああん?」
俺の言葉が理解できなかったのか、男が聞き返してくる。
「聞こえなかったのか。用意してやると言っているんだ。それなら期日以内で済むから文句はないだろう」
「モ、モヘンジョさん、そんな無茶だ」
「いいから、俺はこう見えて顔が利くんだ。乗りかかった船だし、それぐらいならなんとかしてやるよ」
「できなかったらどうするんだ兄ちゃん」
「その時は契約どおりの結果になるだけだろ。安心して取り立てればいい」
「……まぁいい。明日を楽しみにしてるぜ」
男は入り口に唾を吐き出すと、そのまま去っていった。
遠巻きに見ていた野次馬が、それを見て道を明けるように動き出す。
ふと、その奥で妙な視線を感じた。
すぐに消えたが、明らかに俺を見ていたように見える。
「……気のせいか?」
またぞろ、面倒なことになりそうな予感がするな。
「助かりました。しかし、本当に大丈夫なんですか」
不安そうな顔でダット店長が言う。
他の従業員も同じで、しきりに俺の顔色を窺っていた。
無理も無い。俺は所詮ポッ出の怪しい旅人だ。
「なんとかするさ。だが、その前に契約書を見せてくれ」
「は、はい」
大口の注文とやらである。
しっかりと記載されたそれはかなりの量に登る。
数はこの際問題ではない。
問題なのは契約不履行時の項目だ。
けれど、見たところ妙なところはない。
例えば、店を担保にされているわけでもなければ、法外な額になっているわけでもない。
「……なぁ、なんであいつらあんなにピリピリしてたんだ?」
「その、どうやら彼らの勢力が落ち目らしいんです」
「死活問題だったってことか」
「そういうことですね」
イレーヌさんが迷惑そうな顔で頷く。
「まぁ、契約が妥当ならこっちはいいか」
これならちゃんと数を納めれば向こうも引くだろう。
そうでないなら、この国の暗黙の了解とやらで挑むしかない。
金は無いから腕力だ。
けれど、野蛮に過ぎるな。
分かりやすい形だが、妙にしっくりと来ない解決方法だよまったく。
「もう店を閉めたらどうだ? この上で別の妙な客に来られたら致命的になるだろ」
「……しょうがありませんか」
不安そうな従業員は居たが、店仕舞いにして今日は帰ってもらった。
それを見届けた俺は、ダット店長とイレーヌさんを連れて倉庫へと向かうと保管されている武器を鑑定する。
「槍と剣ね」
ドワーフ製のものと、恐らくはこの街で作られたそれらを確認する。質の差はあれど、連中が欲しがっている武器の種類が分かれば後はスキルで量産するだけだ。
「それで、どうやって集めるんですか」
「種は教えないが、用意はするさ。二人とも、しばらく後ろを見ないでくれ。どんな物音がしても絶対に、絶対にだぞ」
「え?」
「何故です」
「説明する理由はない。問題は、二人が用意して欲しいか欲しくないかだ」
二人は顔を見合わせる。
けれどよく分からないという顔をしながらも後ろを向いた。
「タケミカヅチさん、振り返らないように見張っていてくれ」
「御意」
俺は倉庫のドアを片方だけ閉めると、その奥に隠れるようにして鍛冶スキルを行使した。
「武具作成・槍」
呟くと、インベントリから選択した鉄が一個消費されて槍として、俺の手に収まる。
これはゲームのドワーフ時代に取得した鍛冶スキルであり、俺にとっては大したことの無い作業に過ぎない。
だが、普通に考えればこの世界においては異常な程に作成時間を短縮できる反則技である。これにより、『武器が無いなら作ってしまえばいいじゃない!』作戦が始動した。
倉庫の地面に布を敷き、その上に出来立てほやほやの武器を置いていく。
正直、矢以外は一気に作れないのが面倒くさいが、それがゲーム時代の仕様。
適当にこれを三十回繰り返し、その後は剣を二十本作る。
そのせいで三十分もしない間に武器が準備できた。
「よし、もういいぞ」
外から見られないように半分占めていたドアを開け、困惑する二人を迎える。
「こ、これは!?」
「そんな一体どうやって……」
「一応数を確認してくれ」
「は、はい!」
二人が手分けして数を数える。
「……ある、槍はちゃんと三十本あるぞ!?」
「こちらも二十本あります!」
はしゃぐ二人は、抱き合って喜びを分かち合っていた。
「一応、連中に配る分があるか確認しておいた方がいいんじゃないか? 数があってなかったら文句言われるだろう」
「そ、そうですね。この際全部確認しておきます」
「旦那様、私も手伝います」
「ああ、頼む」
注文の数は頭に入っているのだろう。
夕暮れの中、二人はしっかりと確認していく。
「さすがですね。アッシュ様」
「昔とったなんとやらさ」
タケミカヅチさんの賞賛が妙にこそばゆい。
やはり、褒められると嬉しいものだ。
「さて、こうなると後の問題はアレだな」
「なるほど、アレですか」
皆まで言わずとも分かってくれたようだ。
「連中の夜襲への警戒ですね? 分かっていますとも」
お任せくださいとばかりに、胸を叩くタケミカヅチさん。
豊かな胸元が衝撃で揺れるが、それを拝む余裕はあまり俺には無かった。
「そ、そうだ……な」
……夜のベッド問題じゃ、なかったのか。
俺は当たり前のように自分を恥じた。
深夜である。
ダット店長とイレーヌさんの護衛をタケミカヅチさんとショートソードさんに任せた俺は、倉庫の外でレヴァンテインさんとエクスカリバーさんの三人で警備をしていた。
何故だか知らないが、この世界に来てから問題がある日に限って俺は野宿する羽目になることが多い。
嫌なジンクスだなまったく。
耳を澄ませば、焚き火の薪がパチパチと音をさせるのが聞こえる。
一応早めに仮眠を取らせていたもらっていた俺は、椅子の上で目を開けた。
「起きましたか」
エクスカリバーさんがグングニルさんを胸に抱いた格好で尋ねてくる。
大きく欠伸をしてマップを意識するが、特に怪しい反応はなかった。
「やっぱり、思い過ごしかな」
「どうでしょうか。狙うならもう少し先だと思いますが」
明け方は疲れがピークに達するように普通の人間の身体はできている。
どうやっても集中力は落ち、隙ができてしまう。
それはエルフでも同じだ。
ただ、俺にそれが当てはまるかは正直分からないが、気をつけるに越したことは無いだろう。
眠気覚ましに水を取り出して飲んでいると、ジッとレヴァンテインさんがこちらをみているのに気づいた。
「飲むか」
「ん」
ついでにエクスカリバーさんにも瓶を差し出し、周囲を見渡す。
仮に賊がいたとしても、さすがに態々こうやって番をしているところに踏み込みはすまい。
定期的にマップの索敵も行うが、近づいてくる反応はない。
実に静かなものだ。
「そういえば、前の時は結局俺の取り越し苦労で終ったよな」
「マーク少年の時ですね」
「そうそう。親父さんが出てきて迎えに来た奴な」
「ふふ」
なんだか今回もそんなオチで終りそうだ。
そんな気配を彼女も薄々と感じてはいたのだろうが、フォローしてくれた。
「主のお節介で誰かが救われるなら、それはきっと悪いことではないはずですよ」
「だといいがな」
何も悪いことをしているのではないのだ。
俺の価値観からすれば、別に忌避する行動じゃあない。
ただ、日本だとこんなことはしないだろう。
する必要が無い、というべきか。
所詮は他人事なのだ。
きっと今は、妙な力を手に入れたせいで少し調子に乗っているのだろう。
何でもできるなんて思っちゃいない。でも、偶々余裕があって、だからこそできることがあったからやっているだけなんだ。
「悪いことじゃないなら抵抗を感じる必要もないな」
なんとは無しにコートの背に手を回し、アルテミスの弓を取り出す。
そうして、ただの矢を番えゆっくりと構える。
「敵ですか?」
「どうかな」
裏の搬入口へと続く道の向こう、野犬が一匹通り過ぎていく。
一度だけ彼は俺たちを見たが、すぐに興味を失って去って行った。
マップの反応は、どうやら彼だったようだ。
「見てくれ、強敵が俺の姿を見ただけで逃げていったぞ」
「……強敵?」
「ふふっ」
弓を下げ、腹からこみ上げてくる笑いに顔を綻ばせる。
やっぱり、今日も平和だった。
「やるなぁエルフの兄ちゃん!」
翌日、連中が来るまで倉庫を護衛し続けた俺のところへ、荷馬車と共に受け取りに来たならず者。
リーダー格らしき彼は、しきりに「たいしたもんだ!」と笑い、俺の背中を何度も叩いた。
不思議と邪気のような物は無く、嫌な感じはしなかった。
「親分、ちゃんと注文どおりありますぜ!」
「よし、金を払って積み込め。急げ、時間は待っちゃくれねぇぜ!」
「「へい!」」
子分たちがせっせと荷を積み込む。
「あの、代金が少し多いですが」
恐縮しながら言う店長の言葉に俺は驚くが、彼はニッカリと笑って――、
「そいつは迷惑料と、期日より早く用意してもらった礼だ。昨日は悪かったな。気が立ってたにしても、堅気に迷惑かけるような情けない所を見せちまった」
――と、犬耳つきの頭を下げた。
その潔い態度には、俺たちも従業員さえも唖然とした。
「い、いえ……こちらこそ危うく用意できないところでした」
「いいってことよ。物が準備できさえすりゃあ文句なんざねぇ」
ダットさんの肩を叩くと、彼は「何かあったら俺のところに来い。面倒を見てやる」と告げ、子分たちのところへと向かっていく。
どういう意図での発言であったのかは俺には分からないが、ダットさんが恐縮したように頭を下げるのが印象的であった。
「親分、準備できやしたぜ!」
「ずらかるぜ野郎共!」
その後、彼らは文字通り風のように去っていった。
「なんだありゃ。あの連中、昨日の今日でギャップが有りすぎるだろう」
「一部の獣人に、終った後で細かいことは気にするなと考える者がいるそうですよ」
「結局、何事も無かったんだからいいか。……さて皆、俺たちも行くか」
四人の武器娘さんたちを連れて、俺も出発することにする。
「あ、モヘンジョさん待ってください! 武器のお代がまだ――」
代金を払おうと律儀に追いかけてくる店長。
けれど、俺は止まらず肩越しに振り返って言ったのだ。
「――細けぇことは気にするな!」