第二十話「GS・モロヘイヤ」
王城の庭は、今や乱戦の極みにあった。
そこかしこから打ち鳴らされる金属の衝突音。
そして、溢れる殺意と悪意の中で時折混ざる、巨人と自称クォーターエルフたちの生み出す戦震。
押しているのか引いているのかさえ分からない乱戦の中、その只中にあってもアデルは妙に落ち着いていた。
「ッ――」
鋭い切っ先が飛来する。
鎧ごと抜こうというその一撃を、左手のラウンドシールドで捌き、アデルが返す刃で突きかかる。
カッカッと刃同士が触れ合い擦れ、王と二人で剣を打ち合う。
手解きを受けたことは、過去にあった。
今よりも幼き日のことであり、側室が来る前のこと。
あの日は、アデルは一本も取ることができなかった。
けれど今はどうだ?
目まぐるしく飛来する刃を近づくで弾き、逸らし、立ち回れる。
技量の差を、若さとレベル差で押し切りモンスター・ラグーンでの闘争の日々を糧にして追い縋り、確固たる自信を持って切り開く。
(弱くなったな、親父――)
少年の脳裏をちらつくのは、やるせなさとかつての記憶。
そして、母の嘆く顔だった。
「はは、ふんぞり返るだけだったせいでそろそろ体力が限界かよっ!」
王子と王の攻防は、初めは互角であるかのように見えていた。
「――」
夢にうなされたような恍惚とした笑みの持ち主は答えず、ただレイピアを振るう。
返礼のような無言の強襲、切っ先が鎧を掠めるも王子はそれを潜り抜けて前へとぶちかます。
まるで、老騎士の教えを忠実に守るかのようなその堅実な動きは、そのレベル差も相俟って王の身体を無理やりに後退させる。
胸元から響いた衝撃で呻いた王へ、すかさず左手を腰に回したアデル王子は万能薬を投げつけた。
王が咄嗟に反応。レイピアの刃で打ち払うも割れた瓶の中身は頭から王を襲った。
「くっ、あ……あぁぁぁぁ!?」
アーティファクトを取り落とし、頭を掻き毟りながら王が苦しむ。
「ええい、どれだけ心地良い夢が見たいんだよ糞親父!」
アデルはすかさず駆け寄り、そのまま殴る。
頬を殴られ、王が後退。
それでも苦しむものだから、少年はさらに殴り倒す。
「母上をこれからも泣かせるつもりかよ! さっさと正気に戻りやがれ!」
一発、二発、馬乗りになって殴りつける。
と、次の瞬間、王が反撃に出た。
「親を殴るとは何事か!?」
顎下からの一撃に、仰け反った王子の兜が後ろへと飛ぶ。
だが、王子はすぐに笑った。
「へへ、ようやく目が覚めたか馬鹿親父」
「……アデル? これは……一体何事だ?」
「親父はアーティファクトの魅了魔法を喰らって、今までずっと夢を見ていたのさ」
「魅了だと……」
「ちぃぃ、どうやって!? ええい、ならもう一度――」
幻影の中、歯軋りするメリッサの声。
そこに幻影の向こう、手に持った扇が輝く。
それを見たアデルは、首に下げていた自分のそれを目を白黒させている父親に付けさせ、庇うように前に出た。
「させませぬぞ!」
レイモンドが幻影を手当たり次第に切りつけ、かき消していく。
だがどれが本物かなど分からない。
だから我武者羅に、老騎士はただ剣を振るう。
減っていく幻影にも構わず、メリッサは魅了の魔法を放つ。
「喰らいな、傾国の芳香――」
風に乗り、妙に甘ったる香りが庭園中に広がっていく。
「むぅ? なんだこれは。いや、あれは……誰だ?」
「なっ、私の魅了魔法が防がれたってのかい!?」
「ははは、そんな臭ぇぇ匂い、二度と親父には効かねぇよ。観念しろアヴァロニアの女狐! レイモンド爺、親父を頼むぞ!」
「ははっ。御武運を――」
幻影を切り捨て、入れ替わる。
「陛下、長らく時間をかけて申し訳有りませぬ」
「レイモンド……何がどうなっておる。いや、そうだ。妻は無事なのか!?」
「勿論で御座います。さぁ、成長された王子の姿をご覧下され」
取り落としていたアーティファクトの剣を護身用にと持たせ、レイモンドは王を戦場から遠ざける。
ハーフエルフたちは、アッシュが派遣したショートソードとロングソードの加勢を受けて盛り返され傭兵と貴族の兵たちに徐々に切り捨てられている。
流れはこちらに来ていると、アデルはそれを見て確信した。
「我が剣は王国の守り神。氷神にして雪解けの春へと誘う者。貴様に凍らされた国の時間、返してもらうぞメリッサ!」
レイピアが光ると同時に、その刃を中心にして粉雪が舞った。
――アーティファクト魔法『アイストルネード』。
突き出した切っ先から、螺旋を描く氷柱交じりの吹雪が吹き付ける。
それらは幻影たちを飲み込み、ことごとく消失させる。
例外は、ただ一人アーティファクトの鉄扇で防いだダークエルフだけだった。
だが、完全にとは行かず、左肩に氷柱が一本刺さっていた。
「おのれぇぇぇ!!」
「それはこっちの台詞だってんだ糞ババァ!」
王子が駆け出す。
メリッサは、それを見て再び鉄扇を振るう。
次々と幻影が生み出されていくがアデルは構わない。
そのまま幻影の群れの中へと突貫し、術者へとレイピアを突き出す。
それを阻むのは鉄扇。
切っ先をいなすように受け流し、ドレスの裾からスラリと伸びる脚を振り上げる。
アデルは咄嗟に左手の盾で受け止める。
盾から生じる鈍重な響き。
ヒールの爪先に仕込まれていただろう鉄が、左手を無理やりにも跳ね上げる。
そこから導きだされる結論は、腐ってもレベルホルダーだという事実のみ。
相手も死線を越えてきた傑物には違いない。
だが、それはレベルの低い相手を苦もなく魅了できていたことからも窺えていた。
だから、それは奇襲にはなり得なかった。
「なっ――」
突き出し、弾かれたはずの右腕が引き戻されている。
それが、メリッサが見た最後の光景だった。
「くたばれぇぇぇ!!」
裂ぱくの気合と共に、レイモンド老直伝の二段突きが炸裂する。
それは、彼女の豊満な胸を突き破り心臓ごと貫いた。
灼熱の如き痛みに襲われながら、メリッサは悔しげに血と後悔を吐き出す。
「ちくしょう、だよ。こんな……ことなら……あんたも食っとけばよか……」
周囲の幻影が消え、女が崩れ落ちる。
王子は倒れ伏した女から鉄扇を拾い上げると、勝ちどきを上げようとして振り返り、ギョッと目を見開いた。
「なっ――」
そこには、光り輝く巨人と切り結ぶクォーターエルフの姿があった。
「ぶるぁぁaaa!!!!」
咆哮と共に信じられないほどの剛撃が次々と飛来する。
両手に握る刃と己の力をただ信じ、俺はひたすらに襲い掛かってくる死に抗った。
他の何もかにもがもう目に入らない。
そんな余裕はないほどの戦闘を強いられた。
振り下ろされてくる右の斧を、両手で握り締めた直刀で受け止める。
「ぐ、くぅぅ――」
踏みしめた両足が、地面にめり込む。
このまま杭のように地面に打ち込まれるのではないかと思うような妄想を振りきり、全身の膂力で斧を押し上げる。
それが終れば、左手の鎖が振り下ろされ赤い光を纏った鉄球が右斜め上から振ってくる。
瞬時に膝を曲げ、後退して回避。
瞬間、叩きつけられた地面が爆砕した。
それが巨人グレッグの持つアーティファクト『マグニル』とやらの魔法。
赤光を展開した部位に触れれば、着弾と同時に爆裂し粉々に吹き飛ばす恐ろしい効果があるらしく、一度刃で防いだときには爆風でそのままHPの二割が削られ吹き飛ばされた。
油断はできない。
だが、分かったことはある。
地獄の戦鬼の持っていた金棒型のアーティファクトは回復に特化していた。
だが、こいつはどうやら違うらしい。
グレッグは、神宿りの恩恵を受けて回復力を上昇させてこそいるが、元から再生能力を持っている巨人なだけだ。
「貫けグングニル!」
一瞬に生じた間。
その瞬間、エクスカリバーさんの投擲が入った。
幾度も投射する場所を変え、スキルを行使。
少しでも俺の負担を減らそうと立ち回ってくれている。
「ええい、鬱陶しい!」
出鼻を挫くようなタイミング。
それに一瞬対応したその次の瞬間に俺が攻める。
跳躍せずに懐に潜り込み、右足へと切りつける。
一文字に切り抜け、足元を抜けて背後へ。
そのまま旋回しながら左足のふくらはぎを切り裂きすぐに離脱。
そこへ、遅れて振り返った奴の斧がなぎ払われた次の瞬間にはスキルを行使し、無防備になった腹を切って抜ける。
MPは僅かずつ回復するとはいえ、無駄遣いできない。だが、敵の回復を許さないようにするには攻め続けるしかない。
移動の慣性を地面を削る勢いで両足で殺し、すぐに振り返る。
そうして、俺はこのままではだめだといい加減理解した。
「――足りない。もっと、もっと攻撃的じゃなきゃ足りない」
ただ切りつけるだけではすぐに再生される。
なら、別のアプローチを模索するしかない。
タケミカヅチさんを収納。
すぐにレヴァンテインさんを取り出し、炎を纏う。
「最大火力……行くぜぇぇぇ」
朝闇を照らす業火に包まれながら、果敢に飛び出す。
リーチが短くなったが構うまい。
ただの再生であり、出鱈目なファンタジー魔法ではないのなら傷口ごと炎で焼いてやる。
疾駆し、ひたすらに斬りつける。
避けられ、弾かれ、それでも喰らい付いて我武者羅に敵の死を模索する。
「面妖な! 貴様のその武器は純粋なアーティファクトではあるまい。なのに何故だ、何故壊れぬ!?」
理解できないとばかりにグレッグが疑問を呈する。
「我が共生せし武神の一撃は、防壁さえうち砕くのだぞ!!」
「逆に聞きたいね。何故、アーティファクトなら壊れないんだっ」
「笑止。神々とその奇妙な武器が同じであるものかっ!」
「じゃあ、これも神のような胡散臭い代物だってことだろっ――」
――付喪神。
あらゆる物に神やら魂が宿るという信仰のある国で生み出された、今は誰も迷信程度にしか信じないだろう旧い思想。
妖怪の一種とも定義されるが、その中に組み込まれた神の一文字はきっとあの国が消えて無くなるその日まで改定されることなく受け継がれ続けることだろう。
一神教では発生さえできず、多神教でさえ物を大切にしようという文化が根付かなければ生まれ得ない。それは長い年月を経た器物が魂を得た果てに生まれたというそれをモチーフにした、この世界には存在するはずのない神の字を持つ異界の怪異。
ディリッドが神様モドキと言ったのも頷ける。
最初からこいつらにはない思想と文化で支えられているのだ。
理解できるはずがない。
「では貴様は神を振るう神だというのか? ありえん、ありえんぞぉぉぉ!」
言葉から告げられた事実に、爆斧を振るう巨人が初めて慄く。
「どんな信仰だ、一体貴様はどのような信仰でその存在を支えられているのだ!?」
傷口ごと焼かれながら、炎に包まれた俺にただ奴は答えを切望する。
だが、俺は俺自身がどうしてこうなっているかさえ知らない。
だから、ただただ言ってやるのだ。
「知るかよ馬鹿。自分で考えろ」
「なぁにぃ!?」
振り下ろされた斧を迎撃し、返す刃で切りつける。
ゾブリと、肉を切り裂く感触と共に敵の臓腑を抉り焼き焦がす。
血が沸騰するように蒸発し、大気に溶ける中で俺は叫ぶ。
「大体、神様とかなんだとかごちゃごちゃ煩いんだよ。こっちは気づいたらこうだっただけのはぐれ者だ! 想念だか念神だか、本当にどうでもいいからさっさとくたばれぇぇぇっ!」
斬る。
斬って斬る。
この理解不能な現実ごと切り裂くべく、修羅の如き勢いで切りつける。
武器が一本だけなのがもどかしい。
そう思った瞬間、俺はいつの間にか左手でイシュタロッテを抜いていた。
「ぐ、く、再生が追いつかぬ――」
地獄の戦鬼と戦ってから、俺は渾身の力で戦ったことは無かった。
だからこんなにも戦えるだなんて知らなかった。
剣を振るう度、地面を蹴る度に適応していく感覚。
まだ限界が上にあるのだと、不思議な全能感さえ湧いてくる。
力は更に増し、速度が増す。
「はっ――俺の知ってる神宿りはこの程度じゃ音を上げなかったぞ木偶の坊!」
何度その身に世界を焼く炎を受けても襲い掛かってきた彼とは違う。
こいつは、明らかにあいつよりも格下だ。
「エクスカリバー、心臓目掛けて投げつけろ!」
「は、はい!!」
飛来するは大神の槍グングニル。
スキル発動のエフェクトを纏った槍が、朝闇ごと切り裂いて命を狩るべく飛翔する。
「させ――」
「――るかよ!」
身の危険を感じたグレッグが斧で弾こうとするも、その腕をレヴァンテインを突き刺して止める。
そこへ、遂に必貫の槍が巨人の胸板を突き破った。
「ぐはっ」
レヴァンテインさんから手を離し、右手を背後へ。
そのまま槍に向かって跳躍し、インベントリからその柄の短いハンマーを取り出す。
掲げるは、悪神の悪戯によって持ち手が極端に短くなった雷神の槌『ミョルニル』。
その、雷光交じりの鉄槌が胸板に突き刺さった槍の柄を叩く。
瞬間、更に奥へと押し込まれた槍が敵の胸板に深々と埋没する。
「がふっ。まだ……だ。まだ――」
明らかに致命傷だと思えるその一撃に、仰け反るように後退する巨人。
血を吐く彼は、驚くべきことにそれでも左手で俺の身体を殴り飛ばした。
そのままグレッグは死から抗おうと、全身をさらに輝かせながら再生を試みる。
「主!?」
「問題……無い!」
一瞬意識を失いそうになった俺を、聖剣少女の澄んだ声が繋ぎとめてくれた。
地面を転がるだらしない体に鞭を打ち、右腕をたたき付けるようにして起き上がる。
そのまま武器を取りこぼした右腕を引く。
一瞬でミョルニルが手元に戻った感触を手で感じながら、身を捻ってスキルを行使。
「雷神の鉄槌ぃぃぃ!」
狙うのは、今にも引き抜かれようとするグングニルの柄。
奴は、それに気づいていない。
虚空を飛ぶ槌は、よくやく抜けそうな槍に命中。
雷鳴と共にノックバックさせ彼の努力を無為にする。
衝撃は再び彼の身体を蹂躙し、余りの威力に後退させた。
「もう、いい加減終わりにしようぜ――」
雷鳴が庭に木霊する。
ショートカットで取り出された直刀が、俺の叫びと共にスキルエフェクトを発動させた。
瞬間、移動の軌跡が紫電となり、一瞬で吹き飛ばされた距離を埋める。
振り拭いた刃が、倒れる途中だった奴の左脇腹を切り抜けた。
背後で、奴が尻餅を着く音がする。
地面を削る勢いで振り返った俺は、フツノミタマノツルギから手を離し、両手で握り締めたイシュタロッテを握り渾身の力でもって振りぬいた。
「――」
断末魔の悲鳴はない。
それさえも許さず、首を刈られた巨人は完全に俺の目の前で掻き消えた。
その後には、連続してレベルアップ音が何度も脳裏に鳴り響くだけ。
「はぁ……はぁ……ふぅぅぅ――」
こみ上げてくるのは、充足感ではなくただの安堵。
そして精神的な重圧からの解放。
「お疲れ様でした。これで、この戦いの勝敗は決したでしょう」
まだ抵抗していたハーフエルフたちはおろか、中庭の誰もが俺を見ている。
駆け寄ってくるエクスカリバーさんに頷き、俺は声を張り上げた。
「生き残りたければ投降しろアヴァロニアの走狗共! さもなければ、俺がまとめて存在ごとこの世から消してやるっ!」
はたして、武器を構えた俺に彼女たちは抵抗しても無意味だと悟り投降した。
武器をインベントリに回収した俺は、縛に付くハーフエルフたちが恐怖に引き攣るのを視界に納めたまま王子たちと合流した。
「受け取れモロヘイヤ」
「ん?」
軽く放り投げられたのは鉄扇だった。
側室が持っていた魅了の魔法が使えるアーティファクトだ。
俺は頷き、すっかり癖になってしまった背中収納スタイルでインベントリに突っ込む。そして代わりに、アヴァロニアが作ったと思われるイミテーションコアを一つ差し出した。
「約束の品だ」
「おお、そういえば忘れるところだったぜ」
両手でそれを受け取った王子は、すぐにそれを国王にも報告しようとする。
だが、王はそれを手で制し、先に俺に向かって頭を下げた。
「迷惑を掛けましたな。ジャイアントスレイヤー……アラハッシュ・モロヘイヤ殿」
何やら、何時の間にか妙な称号が与えられてしまったようだ。
どう対応するべきか悩んだ俺は、元日本人らしく謙遜スキルで対応を試みる。
「その、まぁ、偶然ですよヴェネッティー王」
「はっはっは。救国の英雄殿は意外にシャイでありますな」
にこやかに笑った王は、俺に向かって手を出した。
「俺は通りすがりに過ぎないんで。それに、この国には立派な英雄がそこに居るではないですか」
握手を交わし、こちらもにこやかな顔で王子に功績を擦り付ける。
「全ては、最後まで抵抗したアデル王子の偉業ということで。その方が後の王子の治世にも役立つはず」
「しかし……」
「それに、急がれた方がいい」
「急ぐ……とは?」
「なんだ、これで終わりだぞモロヘイヤ」
不思議そうな顔をする王と王子。
王はともかく、王子よ。
そのうっかり発言はヤバイと思うんだが。
「さっきの巨人が北西のゲートタワーの防壁ぶっ壊した犯人だと思うが、修復に向かった貴族派たちや兵もどうにかした可能性がある。急いで状況を確認しないと大変なことになるぞ」
「うげっ。くそったれ、そいつを忘れてたぜ……」
「念のため、ワルサーさんたちにも声かけた方がいいんじゃないか?」
「そうだな。あの女狐、本当に最後まで碌なことをしやがらねぇ!」
王子は抱えていたコアをレイモンドさんに預けると、王と共に外に追い出しておいた兵を迎えに向かう。
「ふーむ。もう一つ何か忘れているような気がするんだが……」
連行されていくハーフエルフたち、ではない。
何か重大なことを忘れているはずだが、それが何なのか思い出せず少しだけ明るくなった空を見上げる。
すると、何やら二人ほど空から降りてくるのが見えた。
「あー、あいつか。皆、戦闘態勢を取れ」
背中からアルテミスの弓を取り出し、矢を構える。
周囲では、武器娘さんが言われた通りに警戒。
万全の布陣で迎え撃つ準備を整える。
何やらディリッドと二人して談笑しながら降りてくるが、知ったことじゃあない。
「ちょっとちょっとディリッド。あの彼、凄い怖い顔で私を狙ってるんだけど何とかして頂戴よぉ」
「しょうがないと思いますけどねー」
気づいたイビルブレイクの面々も、一応は周囲に集まってきて武器に手を掛ける。
誰も油断などしない。
例外はディリッドだけだろう。
のほほんとした笑顔を浮かべながらワルサーの前に着地する。
「放って置いてもいいですよ。もうダロスティンさんのお仕事はお仕舞いのはずですから」
「ふぅん。まぁ、あんたがそういうんなら俺たちは引くが……」
傭兵団は構えを解く。
だが、俺は構えを解く訳には行かなかった。
「……モロヘイヤさん?」
彼らと俺では立場が違う。
だから、これもまた当然の選択だ。
「おい、理由に心当たりはあるか?」
「いえ全然」
問われたダロスティンが首を傾げる。
「じゃあ、エルフの森でモンスター・ラグーンを警護していたエルフの戦士たちを妙な手口で攫った奴らとお前は無関係なんだな? 空間転移の使い手――」
ダロスティンの顔から表情が消える。
「……もし、関係があると言ったらどうするのかしら」
「全力で報復を考えさせてもらう。そのせいで余計な手間をかけさせられたからな」
「あらヤダ。そんな熱心な目で見つめられると私とっても困っちゃうわ」
「そうか、否定しないんだな」
空に向けて矢を構え、ただ一言呟く。
「嘆きの必中矢」
「ちょっと、貴方一体どこに向かって射――」
ダロステインが最後まで言えずに後方に跳躍。
同時に、空に向かって飛んだはずの矢が光を纏い、勢いを失わずに彼を目指した。
矢は地面に刺さることなく出鱈目な軌道を描いて強襲する。
「ちょ、ちょっと何よこれ!?」
ダロスティンが虚空で右手を振るい、空間を切り裂く。
だが、矢はその裂け目らしきものを物理法則を無視するような動きで回避し、迂回して彼を目指した。
その間に俺は次の毒矢を弓に番える。
ただし、今度は数本纏めてだ。
空間転移の魔法が使えるアーティファクトかと思ったが、空間自体にも干渉できるとは恐れ入る。
こいつは、その有り方も今は不明だが絶対に危険だ。
アヴァロニアと組ませたままにしてはおけない。
「あややー、空間の裂け目を自分で避ける矢ですか?」
「しゃらくさいわねぇもう!」
左手の鉤爪で矢が弾かれる。
「嘆きの必中矢、投げろエクスカリバー!」
二本目は、数本纏めて空へと放った。
一瞬送れてグングニルが飛翔する。
俺は、撃ち放った右手を背中へと回し更にミョルニルをサイドスロー気味に投擲。
はたして、時間差で放った必中スキルの数々を、ダロスティンはその場から掻き消えることで対処した。
「覚えてなさいよモロヘイヤ! あんたの匂いはキッチリ覚えたんだからね!」
とても嫌な捨て台詞だけを残して居なくなるダロスティン。
矢や投擲物が獲物を失い明後日の方角へと飛翔するが、転移先に追撃に入るらしく皆一様に西の空へと飛んでいった。
「エクスカリバーさん、槍を回収してくれ」
「はっ」
自身でもミョルニルを手元に帰還させ、空を見上げる。
「……西か。アヴァロニアに報告に行ったのか? それとも……」
神魔再生会とやらの本拠地が西にあるということか。
どんな組織なのかは後でディリッドに聞けばいいとして、とても気になることがある。
――あの毒矢、一体どこまで追尾したんだろう?
王城での戦いから一月。
海運国ヴェネッティーは、一先ずの安堵を得ていた。
死んだことにされていた王妃の帰還、そして正気に返った王の復帰。
更には貴族派たちの戦死などが次々と明るみに出て、一時的に不安にもなりかけたそうだが、やはりそれらを払拭する話題があったからだろう。
それは勿論、死んだはずだったアデルの帰還である。
そこにジャイアントスレイヤーたる謎のクォーターエルフの話と、帰還してすぐに自らを嵌めた側室メリッサの討伐劇が加わって、王子は時の人になっていた。
しかも彼は破られたゲート・タワーの防壁に休むことなく向かい、兵と傭兵団を率いて魔物の侵攻を食い止めてそろそろ帰還するというのだ。王都ヴェネルクには、噂の勇敢なる王子を一目見ようと民衆が集まってきていた。
「モロヘイヤ、もっと愛想よくしろよ。こういうパフォーマンスは民の心を安心させる上でも大事なことなんだぞ」
「だからって、なんで俺まで手を振らないといけないんだ」
コートのフードを目深に被る胡散臭い存在――つまり俺が、王子の隣でぎこちなく手を振るっている。
嗚呼、王城までの道のりがやけに遠い。
口々に「王子万歳!」やら「モロヘイヤ様万歳」なんて声まで聞こえてくる。
特に王子は黄色い悲鳴が多い。
レベルアップによって手に入れた力から来る自信と、笑顔の外面がエルフの血に由来する端整さと合わさって凄い人気だ。
「まぁまぁ、そう言わずにーえいやっ!」
後部座席に居たディリッドにより、俺のフードが掴み取られる。
途端に、晒された素顔を見てわぁぁっと歓声が上がった。
「よし、そこですかさず笑顔だぜ」
フードを戻そうとした俺は、笑顔を振りまくアデル王子の人気取りに利用され手を振らされ続けるという苦行を味合わされた。
くそっ、魔物退治なんて手伝うんじゃなかった!
もはや後の祭りでしかないので、やけくそになって手を振るう。
俺はモンスター・ラグーンまで押し切った後、兵と傭兵で修復の目処が立つまでは入り口付近を抑える手伝いをした。
その際の物資や食事は国が負担してくれたので助かったが、この仕打ちはないだろう。
「つか、なんでディリッドがここに居るんだよ」
「モロヘイヤさんと一緒に里帰りしようかと思いましてー」
あとはワルサーと兵たちでなんとかなるから問題はないらしいが、付いてくるのかよ。
「はぁ、なら道案内して貰うぞ」
「いいですよー」
俺は道など知らない。
その点については楽ができるかもしれないが、困った。
これじゃあ、後日の買出しが面倒だ。
こうなったら色々と王子に手配してもらうか。
やられっぱなしもアレなので、吹っかけてやろうと考えながら民心掌握のために微力を貸すことにする。声援が心地良いという感慨こそ抱けなかったが、なんだか無性に背中がむずむずしてくる。
だからだろうか。
それから逃避するように俺は考えていた。
――次の偽名は、アナバッシュ・モヘンジョなんてどうだろうか、と。