第十八話「王子帰還」
王都ヴェネルクへ、ミルドさんの率いる侯爵軍が防壁修復隊の増援を瞑目に兵を動かした。その数は五百にも満たないが、当主であるミルドさんが居るということもあって十分なやる気が伺える。
マークと奥方は家で待機だ。
前当主は既に引退しており屋敷には居らず、ブレッサとかいう弟の方は防壁修復隊に投入されたそうだ。
結果を出さなければ家から勘当するらしい。
それはともかく、この動きは貴族派としては歓迎できる動きだったらしく、邪魔をされることなく俺たちは王都へと潜り込むことが出来た。
そして、王都で兵を二・三日休ませるという瞑目で兵力を温存。
その間にレイモンド老の居る隠れ家へと案内された。
そこは、街の水路の中に文字通り隠されていた。
入り組んで見え難い橋の下、橋の奥の水路へと向かうための穴が掘られているのだが、その中にはいくつも船頭たちの家があるらしい。
中には貴族が道楽で作った愛人との密会所なんてのもあるのだとか。
その数はかなりに登るため、今では誰も全部把握しているものは居ないそうだ。
「こちらです」
小船を降り、ミルドさんがノックで合図をする。
決められたパターンがあるのか、一回・三回・二回と間をおいて叩いていた。
「入れ」
見張りらしい老齢な男がドアを開けた。
しゃがれた声の主は、堅気とは思えないほどに鋭い眼光で俺たちを迎えた。
「ほう、マクシミリアン卿か」
「ご無沙汰しております。レイモンド老は居られますか」
「勿論だ。今日辺り、あんたが挨拶に来ると思うて皆が集まっておったわい。それで、後ろの連中は?」
「我らの待ち人です」
「ほぉ……ではいよいよ?」
「後は、同志たちとの話し合い次第です」
「あい分かった。先に進まれよ」
面白そうに笑うと、老人は置くへの扉を開けた。
四人でその向こうに進むと、奥には更に道があり、その向こうにいくつかの部屋があった。
「こちらです」
迷わずにミルドさんが一番奥の部屋のドアを開ける。
その向こう、蝋燭が灯された部屋に大きな卓を囲むようにして彼らは居た。
「おお、本当に戻ってくるとは大したもんですぜ王子様」
イビルブレイクのワルサーだった。
隣には黒いローブを纏ったエルフの女性がおり、俺を見て何故か驚きながらも会釈した。
「どうやら依頼は達成してくれたようだな。感謝するぜワルサー」
「おうよ。後はアフターサービスに期待しといてくれ」
他にも諸侯らしき者たちが居たが、挨拶をそこそこに王子は場を整えていただろう彼の元へと向かった。
「レイモンド爺、苦労をかけたな」
「滅相もございません。この程度、苦境でさえありませんでしたぞ」
慇懃に礼をし、彼は空いていた上座へと王子を迎える。
それをさも当然のように受け入れた王子は、どっかりと座る。
瞬間、王子の雰囲気が明らかに変わった。
それはいつもの外面ではない。言うなれば自然体だろうか。ただそこに居るだけで、空気を変質させるような圧がある。
まさか、これがカリスマとかいう奴なのだろうか?
「母上は?」
「信頼できる者たちが守ってくれております」
「よし、ならば一刻も早く城に戻ってもらえるよう心配の種を取り除くとしよう」
座る場所がないので、壁にもたれるようにして俺たちは会議を見守る。
数人程チラチラと視線を向けてきたがそれを王子が制した。
「状況はマクシミリアン卿にある程度聞いているが、その前に紹介させてくれ。そいつはクォーターエルフの――」
「――アラハバキッシュ・ヒサモトとその仲間だ」
「……モロヘイヤじゃなくてもいいのか」
「おっと、今はアラハッシュ・モロヘイヤと名乗っている。短い付き合いになると思うが、以後よろしく」
重い空気に負けて軽く挨拶しておくが、胡散臭そうな目な視線は消えない。
数秒の沈黙の後、アデル王子がフォローしてくれた。
「妙な奴だが、俺をずっと護衛してくれた。そのおかげで今の俺がいる。こいつには俺の護衛をしばらく続けてもらう。勿論、作戦にも参加してもらうから了承してくれ」
反対の意見はない。
王子の陥った状況は既に周知されていたということだろう。
「レイモンド、連中をたたき出したいが準備にどれだけかかる?」
「皆様方もそのつもりでしたので、明日は無理としても明後日の朝には」
「分かった、そのつもりで準備を頼むぞ」
「かしこまりました」
「誰か、反対するものはいるか」
「おりませんでしょうなぁ。いい加減、こちらも痺れを切らしてましたのでな」
ワルサーが豪快に笑い飛ばして周りを見る。
皆当然のように覚悟は決まっている、という顔だった。
「では細かく詰めよう。それから――」
王子はモンスター・ラグーン側のゲートが修復されたことを説明しつつ、最終確認を行った。城内の兵数や警備の状況、決行時刻などだ。かなり綿密に調べ上げられているようで、聞いているだけの俺としては驚くばかりだった。やがて、話は王子の父、ヴェネッティー王に変わる。
「敵は排除するが、操られているだけの兵士はとにかくぶん殴れば正気に戻るだろう。問題があるとすればあのエロ親父だな」
「陛下もレベルホルダーのはずですが、あそこまで抵抗できないのは問題ですな」
「女で身持ちを崩すのはどこの国でもよく聞く話だ。が、さすがに身内がやると笑えないぜ。――それで、親父は母上を探しているのか?」
「はい。ただ、表向きには王子を失ったことで病死したことにされてしまいました。なので側室殿が正室に繰り上がっております。勿論、裏で捜索はされているようですが……妙に手緩いですな」
「油断しているのか、それともレイモンド爺たちを誘っているのか……まぁいい。親父に関しては俺がなんとかする。モロヘイヤ、後でアレの用意を頼む」
「分かった。ただ、絶対に効くかどうかの保証はしないぞ」
「そのときは俺がけじめをつけるだけだ」
皆がギョッとし、卓がざわめきに包まれる。
そんな中、レイモンドさんだけが苦言を呈した。
「お覚悟は立派でありますが、それは最後の手段であると理解した上での発言ですな」
「当然だ。モロヘイヤの薬で治るかもしれないし、アーティファクトをメリッサの奴から奪えば解けるかもしれない。それまでは気絶させるなり、縛って転がせておけばいい。だが、この国に害をなし続けるのであれば――それはもうどうしようもあるまい」
「……王子、お強くなられましたな」
「ずっと魔物の相手をさせられてみろ。弱いままでなどいられるものかよ」
少しだけげんなりとした顔で、しかし彼は力強く言い切った。
「では、そろそろ解散にしよう。皆、抜かるなよ」
王子が締め、場は解散となった。
「では、私はこれで失礼します」
マクシミリアン卿は一足先に帰ることになった。
王子を含む俺たちはこのままここに潜伏なので、彼は律儀に一礼して去っていく。
他の貴族やその使いと思わしき者たちもいなくなった頃、イビルブレイクの分隊長ワルサーがエルフの女性と共にやってくる。
「よう」
まず気さくに声を掛けてきたのはワルサーだ。
「ぶっちゃけ、俺はあんたらが帰ってこないと思ってた。まさか、本当に飛び降りたんですかい?」
「頼れる仲間と元気な王子。それにとても美味い食事で乗り切ったのさ。まるで天国に居るような気分を味わえたよ」
「……相変わらず、物は言い様だなモロヘイヤ」
王子もようやく肩の力を抜き会話に参加してくる。
「にしても、お前たちはねぐらに帰らないのか」
「レイモンドのおやっさんがかなり扱き使ってくれるんで、帰るに帰れねぇんでさぁ」
「他の傭兵たちとは錬度が一味も二味も違っておられますので、無茶も軽くこなしてくれます。この幸運を神に感謝したいほどでございますよ」
はたして、一体どんな無茶をやらせたのだろうか?
「身辺警護に伝令、偵察等、なんでもこなしてくれました。その上で、今回の作戦にも全力で手を貸して下さる。さすが、弱き民の味方イビルブレイクですな」
ワルサーが肩を竦めているが、その目はもう勘弁してくれと訴えてきていた。
「ねぇねぇ、そろそろ私のことも紹介して下さいよー」
「あー、こいつは本隊の古株でディリッドだ。怒らすなよ。城ごと吹き飛ばされるぜ」
「それはちょっと勘弁してくれ。修理費用が馬鹿にならん」
「敵次第とだけ言っておきまーす。よろしくねーアデル王子殿下ー」
にぱーっと笑みを浮かべると、そのエルフは次に俺を見た。
ウェーブの金髪が揺れて邪魔なのか、軽くかきあげる。
その下から零れだした顔は、エルフ族特有の美しさを誇っていた。
好奇心旺盛といった具合で、青の瞳が向けられている。
素直に美しいと思うエルフの美少女だ。少し身長が低く、モデル体形というよりは可愛らしい部類に入るだろうか。
「クォーターエルフのアラハッシュ・モロヘイヤだ」
「クォーター? んー、んんー? なんでそうナチュラルに嘘を吐きますかねぇ」
瞬間、彼女が全身を光らせた。
「ッ――」
その光に見覚えがあった俺は、咄嗟に後ろに跳躍しイシュタロッテに手を掛けた。そこへ、エクスカリバーさんが割って入る。
「私のアーティファクト、魔術神ロウリーは貴方を同じ神だと認識しています。言い逃れはできませんよー、我らが始祖神――ハイエルフ様」
「はぁ? アッシュが神だって? 何言ってんだそいつ」
「ほぉ、これはこれは面白い展開ですな」
「ついにボケやがったかディリッドのババア」
投げ放たれた言葉に、外野が驚いているが俺は無視した。
だが、彼女はワルサーの暴言が気に食わないらしく、光り輝いたままでポカポカと杖を叩きつけている。
無防備にも背を向けることから敵意は無いらしいが……彼女は一体どういうつもりなんだ?
俺は構えを崩さず、彼女たちを識別した。
ディリッドはレベル95のエルフ。
そして、手に持つそれがロウリーというアーティファクトだということも看破することができた。きっと会話ができるということは覚醒済みなのだろう。
それにしてもこのレベル、ラルク級だ。
それだけでも警戒してしまうというのに、状態異常で『神宿り』の表記がある。
こいつはまたぞろ面倒臭い匂いがプンプンする女だ。
というか、もしかしてこいつは空気が読めないタイプじゃないか? 普通はこっそり聞くだろうに。
「――で、俺がそのハイエルフだとしたらあんたは俺の命を狙うのか?」
「えー、なんでそうなるんですか」
「何故って、神は神と殺しあうんだろう。想念とか言う奴のためか何かで」
「んー、ああ。そういう場合もありますねー。でも、ロウリーはそんな気は無いみたいですよ。このままでも十分に力を蓄えられるから博打はしないって」
「一度神宿りに襲われたことがあるから、襲い掛かってきたら全力で排除するぞ。だから絶対に取り込まれないようにしてくれ。その時はキッチリ止めを刺す方向で動くからな」
「了解です。私、はぐれエルフだけどエルフ族だから始祖様を害させられるのはちょっと困っちゃうんですよー」
「それと、俺はクォーターエルフで通しているから外ではハイエルフなんて呼ばないでくれ」
「では始祖様とー」
「それじゃ何も変わって無いだろ。今はアラハッシュ・モロヘイヤだ」
「分かりましたモロヘイヤ様」
本当に分かっているのか激しく疑問だが、光輝くのをやめたので俺も構えを解いた。
しかし、彼女はもしかしてアーティファクトが覚醒し会話できることを示すためだけに神宿り状態になったのだろうか?
読めない。
行動がさっぱり読めない。
「で、こっちの……神様モドキさんはなんですか。ロウリーが興味津々ですよ」
「答える義務はないな」
「では、自分で調べちゃいます」
グングニルさんを下ろしたエクスカリバーさんに無防備にも近づき、彼女はまずグルッと一周。三百六十度方向から確認し、それが終るといきなり両手を広げて抱きついた。
困る彼女が抵抗しないことをいいことに、頬っぺたを掴んで引っ張っている。
「おお、この感触に暖かさ。正に人そのもの! おまけに妙にいい匂い!」
「……」
無言でエクスカリバーさんが俺を見る。
珍しく対処に困っているような顔だ。
「好きに対処してくれ」
「……はい」
力ずくで引き剥がし、近くの椅子に座らせる。
一連のどうでもいい流れの中で、俺に対してアデル王子たちが何ともいえない顔を向けてくるが、俺は素知らぬ顔で言った。
「どうやら、ディリッドは誰かと勘違いしているらしいな。皆は気にしないでくれよ」
「アッシュ、お前はこの期に及んでそんな誤魔化し方で通すつもりなのか」
「それが本名ですか。じゃ、アシュー君と呼びましょうか」
様はどこに行ったんだよ。
いきなりフレンドリーなまでに砕けたぞ。
「分隊長殿、どうにかしてくれないか」
「俺にそれは無理ですぜ。うちの団長も頭が上がらないほどの古株でね。自己申告だとラグーンズ・ウォーを知ってるって話でさぁ」
頭に出来たたんこぶを押さえながら、諦めろという視線が飛んでくる。
そんな俺の前では、再びエクスカリバーさんを狙うディリッドが居た。
どうやら彼女はかなりマイペースでもあるらしい。
作戦の決行は、日の出前ということになっていた。
俺たちは水路を使い、小船で王族や一部の者だけが知るという脱出路へと向かった。
それは有事の際、街の構造を利用して逃げるべく用意されているものだそうで、目立たないように他の水路の中に混じっていた。
当然間違って入られないように、通路の奥は鉄格子の扉が設けられている。
一先ずそこで俺たちは夜が明けるのを待った。
集まった傭兵や中立貴族が派遣したレベルホルダーたちは、持参した外套に身を包み、初春の寒さに耐えている。
これらは総勢三十名にも満たない決死隊だ。
その半数以上はイビルブレイクの傭兵であり、妙に場慣れしたようにくつろいでいる。
「もうそろそろかな」
カンテラが薄暗く照らす中、仮眠を終えた俺は夜食として用意されていたパンを齧りながら、城内の見取り図を必死に頭に叩き込んでいた。
今回はハーフエルフたちとの戦闘や、城内での戦闘ということを考慮し、エクスカリバーさんとロングソードさんとショートソードさんにした。後は必要に応じて切り替えればいい。
「皆さん、準備はよろしいですかな?」
こんなこともあろうかと用意してあったという合鍵を取り出したレイモンドさんが、周囲を見渡す。薄暗くとも、皆の士気が高いことは分かっていたのだろう。
満足そうに頷いた彼は、城へと続く鉄格子の鍵を開けた。重苦しい音を立て、鉄錆びた扉が開かれる。
「――行くぞ。総員、抜剣しろ」
王子が低く、しかししっかりと聞こえる程度の声で言う。
もはや外面は必要ないといわんばかりにマントを翻した彼に従って、俺たちは進んだ。
両脇には俺たちとレイモンドさんが付き、その次に中立貴族からの派遣組み、傭兵団が後へと続く。例外はディリットだ。木の杖にまたがり水路の上をふよふよと飛んでいる。
「一人、マイペースが極まってやがるな」
「きっと気にしたら負けだ」
呟いた王子に同意しつつ十分ほど進むと、上に上がるための螺旋階段が見つかった。
狭く、人が二人並べばギリギリな横幅だ。
「この階段の先は王の寝室に繋がっております。昔はよく陛下とここから抜け出したものです」
カンテラを片手に戦闘を行くレイモンドさんが懐かしむように呟く。
「陛下はその時に偶々王子の母上殿を見つけましてな。とてつもない衝撃を受けられたのです」
「衝撃?」
「巷で噂されるように、生きた宝石のように美しいエルフの女性が、窮屈な檻の中で鎖につながれ泣いていたのです。それを見た陛下は、居ても立っても居られずに後を追われました。いやはや、一目惚れという奴ですな。おかげで私は途中で体力が尽きた陛下を担がされましたよ」
「母上から聞いたことがある。何やら必死に追いかけてくる男が居て自分を買ったとな」
「初めは相当に嫌われておりましたよ。人間に良い感情など持っていないことは一目瞭然でした。しかし、陛下は諦めることはなかった」
「『自由になりたければ、働いて金を返せ』だな」
「ええ、そうして自分の身の回りの世話をさせるという方便で、四六時中口説いておりました。いやはや、向こうは解放されたい一心なのに陛下と来たら国内の視察にかけつけて連れまわし、デートを満喫。そうして拝み倒していたら――向こうが折れました」
「……山場を端折りやがったよこいつは。色々妨害があったんだろうが」
「確かにございましたが、私が伝えたいことはそこではございませんからな」
では、伝えたいこととは何なのか。
「陛下は、どうやら側室があの頃の奥方様のように見えているようですな。魅了の魔法はあの方の心を踏みにじり、ある種の心地よい夢を見せた。そうして、あの方が必死に積み上げてきたはずの信頼を台無しにしてしまわれた。私は、それが悔しくてなりませぬ」
まだ、一つの誓いを覚えているとレイモンドさんは言う。
「『もう、二度と泣かせない』と、そんな陳腐な、しかし男にとっては一生に一度あるかないかの言葉が、彼奴らのせいで嘘にされてしまった。歯痒い限りですな」
「レイモンド爺……」
「陛下は剣しか能がない、ただの船頭の息子を重用し取り立てて下さった。おまけに自分の一人息子の指南役までお任せになったのです。私はその恩を返したく思います。ですから王子、陛下のためにも無茶だけはしないで下され」
「約束はできん。だが、お前こそ歳なんだから無茶はするなよ。でないと、俺の子の面倒が見れんぞ」
「……ははっ、その頃には私は引退しておりますよ」
「その時は無理やり引き連れて馬車馬の如く働かせてやるぜ。日頃の拳骨の恨みだ」
「それはそれは中々愉快な復讐ですな」
階段が遂に最後の一段となり、それさえも俺たちは踏みしめる。
「では、参りましょうか」
懐かしさに揺れる老人の顔が、騎士としての顔に早代わりする。
その、当たり前のような変貌を前にして、俺たちは寝室に飛び込んだ。
大きな天蓋付きのベッドの向こう、燭台の蝋燭が淡い光を発していた。
先頭を歩くレイモンドさんの掲げるカンテラが、それと合わさって室内を照らす。
嫌に静かだ。
ベッドを覆う豪華なカーテン。
それに映る黒いシルエットは、まるで誰かが起きているかのような像を浮かばせている。
影は一つ。
俺たちはベッドを囲むように進み、そうして一斉に剥ぎ取った。
「――!?」
果たして、それを見た瞬間の俺たちは一瞬言葉を失ってしまった。
ベッドの上には、丁度半身を起こしたような形の人型の板があった。その後ろにある壁には燭台。これではまるで、誘い込まれたかのようだ。
だが、何故だ?
俺はこのとき、自分の仕出かしたミスを呪った。
マップを確認するという基本的なことさえ怠っていたのだ。
緊張のせいだとか、普通の人間と同じような感覚で居たとかは言い訳にならない。
――そのツケは、当たり前のように来た。
動揺する俺の耳が、頭上から何かが擦れるような音を聞いた。
見上げれば、剥ぎ取ったカーテンの上に何か細い糸のようなものが繋がっていた。
「ちっ、外れか」
「待っ――」
悪態をついた男が、カーテンを投げ捨てた瞬間、天蓋の上で何かが倒れる音がした。
それは転がり、床に落ちるや否やけたたましい音と共に割れてしまった。
「馬鹿野郎っ」
誰かが男を詰るが後の祭りだ。
音を察知した警備の騎士たちが走る音と共に、周知するための声が上がり始めた。
「落ち着け、作戦に変更はなしだ! 城中を探すぞ!」
王子が言い、動揺していた誰よりも先に動いた。
こうなったらもうやるしかない。
索敵と呟いた俺は、今さらのようにマップを確認しながら王子の前に出た。
「モロヘイヤ?」
「これを」
いつかの兜を差し出し、狙撃に備えさえる。王子は頷き、それを被る。
「エクスカリバーさん、俺たちで切り開くぞ。他二人は王子を頼む」
言い捨て、返事も聞かずに俺はドアを蹴り破る。
その向こう、丁度確認に来た騎士がドアに巻き込まれて後退。
奥の壁まで吹き飛んだ。
次の瞬間、俺はいきなりドアに吹き飛ばされた同僚を目で追った騎士へと突っ込み、左手のミスリルシールドで殴り飛ばす。
横転したその騎士は、呻きながらも起き上がり、事態が把握できないような顔で俺たちを見上げた。そこへ、王子が顔を出す。
「おい貴様、俺の名を言ってみろ」
「あ、アデル王子……ですか?」
「そうだ。側室の寄越したハーフエルフ共にモンスター・ラグーンに閉じ込められた間抜けな王子だ」
「な、なんですと?」
魅了の魔法が解けたのか、騎士はふらふらしながらも驚愕の顔をする。
「いいか、お前はすぐにこのことを触れ回るんだ。側室に嵌められた王子が帰ってきたとな。そしたら、そのまま兵を庭に集めろ。止める奴が居たらそいつは王家の敵だ、殴って正気に変えさせろ」
「は、はぁ……」
訳が分からないといった顔で、しかし王子の命令に従った彼は離脱する。
「ふん、どうせ魅了されるだろうが……それよりも早く殴り飛ばすか」
「適当だな」
「臨機応変だ。そしたら奴も姿を現すはずだぜ」
嵌められた借りを返えそうとでもいうのだろう。
安全よりも王子は、自分の身を危険に晒してでも決着をつける気概で臨んでいた。
「悪いが、皆に負担をかける。だが、俺はできると信じているぞ。さぁ、派手な凱旋にしてやろうぜ!」
「「「おう!!」」
俺たちの数は少ない。
だが、一人一人のレベルは通常の騎士や兵士を圧倒している。
魅了に抗えない程度の連中ではそう簡単には止められない。
「居たぞ!」
「こっちだ!」
「側室一派にモンスター・ラグーンに閉じ込められた王子が、クォーターエルフ殿に守られて帰ってきたぞ! 者共道を開けろ!」
声を張り上げ、目立つように俺たちが一体何者なのかを喧伝しながら城内で暴れた。
騎士や兵士が上がってくる中、王子を擁する俺たちは力ずくで突破する。
「レイモンドさん、王はどこに居ると思う?」
「さすがに見当も付きませぬ!」
切りかかってきた兵士の剣を掻い潜り、剣の柄を鳩尾<みぞおち>に叩き込んだ老騎士。
彼はそのまま肩口からぶちかました。
吹き飛んだ騎士は、後列を巻き込んで目を回す。
そこへ、横手から迫る新手に左手にミスリルの盾だけを構えた俺が、剣を抜かずに殴りかかった。
スペック頼りの膂力で殴り、蹴り、全身鎧と盾で攻撃を遮断しながら突破口を開く。
「張り切りすぎだぞモロヘイヤ!」
「殴りエルフなんて、私は初めて見ましたよー」
呆れ声の王子と、ディリッド。
「杖で殴ってるディリッドが言うのか?」
木の杖にしか見えないアーティファクトで、華奢な彼女が兵士を殴打したり杖で突く。その度に、兵士たちが苦悶の表情を浮かべて吹き飛んでいった。
ある意味、俺よりも酷い光景だ。
後ろに続く味方も、俺よりむしろ彼女の方に驚いている。
例外は傭兵団だ。
彼らは殿を受け持ちながら、付かず離れず俺たちの後を追ってきていた。
「この展開を想定してやしたが、きりが無いですなぁ」
振り返れば、泣き言を余裕そうな顔で言うワルサーが居た。
指揮は副官に任せ、何やらこちらへと近づいてくる。
「魅了されてる間の記憶はどうやらほとんど飛ぶらしいですがね、断片的に覚えてることはあるみたいですぜ王子殿下」
「なら、そちらは頼む」
「了解でさぁ」
打ち倒した連中を引きずり込み、尋問。
まるで夜盗か何かのようだが、大男に睨まれた連中が恐怖しながらも喋る。
それらを拾い集める作業は任せ、俺たちは中庭に通じる回廊へと出た。
見下ろせば、篝火が炊かれたその中に兵士たちが弓を構えている姿が見える。
「王子を守れ!」
瞬間、下からアーティファクトの魔法らしき火炎弾と矢の雨が飛んでくる。
咄嗟に盾を構えた俺の前、小さな影が躍り出た。
「シールド!」
ディリッドだ。
彼女が杖を掲げ、淡い光の膜を発生させてそれらを防ぐ。
いや、それだけではない。
「ロウリー、マジックアロー装填――」
光の膜の外側に、次々と光の塊が現れる。
その数は五十を越えていただろうか。
「手加減したまま一斉射撃!」
ディリッドが、杖を掲げ振り下ろす。
次の瞬間、光が流星のように中庭へと落ちていく。
最優先はアーティファクト持ちなのだろう。
矢というよりは、丸い玉のようなそれが乱舞し、スーパーボールのように庭を跳ね回って兵を蹂躙。次々とノックアウトしていく。
「そろそろですね――爆発!」
大気が悲鳴を上げた。
跳ね回った矢は兵士たちの頭上に次々と浮き上がると、連続で炸裂。
庭園の空気をかき乱し、整えられている花壇の草花を激しく揺らす。
見ているだけで衝撃がここまで伝わってきそうなほどであり、爆発するたびに兵士が泡を食って地面に伏せる。
「む、無茶苦茶な……」
さすが、魔術神のアーティファクトとでも言うべきか。
あんなアーティファクト魔法は初めてなので、俺は思わず目を疑ってしまった。
「出番ですよアデル殿下」
光の膜が解除され、静けさを増した庭への道を魔女が譲る。
王子は頷き、衝撃を受けて何がなんだか分かっていない兵士たちに告げる。
「俺は国王陛下が長子アデルだ! 側室メリッサの姦計によりモンスター・ラグーンに閉じ込められていたが、とあるクォーターエルフに守られたおかげでこうして帰ってきた! 今こそ、我が父を側室メリッサの魅了の魔法から解放する好機に他ならない!」
力強い王子の声が庭を席巻する。
そのなかで、ざわめきが中庭を支配し呆けた顔の兵や騎士が彼を見上げた。
「王家に忠誠を誓う者は城を出て出口を固めろ! 猫の子一匹逃さないように包囲するんだ! さすれば、我が王家の守り神たるアーティファクト、氷神シウスの刃でこの俺が逆賊を打ち払って見せよう! さぁ、行け! 王家への忠誠を示すのだ!」
単純明快な指示が、混乱した彼らの脳髄に染み込んで行く。
もしかしたら、訳も分からずただ王子の名に秘められた権力にひれ伏しただけの者も居たかもしれない。
けれど、一人、また一人と離脱する者が現れると彼らは言葉を反芻しながら顔を見合わせ、走り出した。その中には、俺にこの国の剣術を享受してくれたあのシモン隊長の姿もあった。彼は、こちらに敬礼しながら部下を引き連れ大声を張り上げる。
「アデル王子が帰還なされた!! いくぞ、王家への忠誠を示せ!」
「祖国に仇なす賊を逃がすなっ!」
勿論、全員が魅了されていたわけでもないのだろう。
末端の兵士まで一人残らず魅了したわけではないようだ。
彼らは王子を覚えていた。
中には、魔物の討伐に参加した兵士もいたらしい。
その当時の姿そのものである王子を見れば、彼らは一斉に唱和した。
「勇猛なる我らが王子殿下が帰ってこられたぞ!」
「王子万歳!」
煩いぐらいに、王子の名が朝闇の中に響き渡る。
「アデル王子、人気だな」
「当然で御座いましょう。死んだはずの者が生きて帰ってきたのですからな」
レイモンドさんが満足げに言う。
「ささ、今の内に参りましょう」
今頃、外ではマクシミリアン侯爵や仲間の貴族が王子の凱旋を場外で喧伝しているだろう。これでよく分からずに居る兵にも状況が伝わる。
また、城から出てきた兵の言葉を聴けば真実味が増す。
皆が封鎖してくれるだろう。
「どこだ、どこに居る親父、女狐!」
まだ魅了に掛かっている者たちも居たが、そう数は多くない。
城中を上から駆け回り、いくつかのグループに分かれて捜索。だが、一行に敵の姿が見つけられない。
どういうことだ?
城内の何処にもいないのだ。
俺もマップでこまめに隠れている奴がいないか索敵はしたがそれでも見つからない。
「ワルサー、居たか」
「いえ、どこにも居ませんぜ王子」
一階の入り口で落ち合った俺たちは、困惑を隠せずに中庭に出た。
「おかしいですな。城から出たという情報は無かったはずなのですが……」
と、そこでマップにいきなり反応が出た。
それも複数だ。
向こうは俺たちに気づき、それぞれの武器を構えた。
現れたのはハーフエルフが約十人。
側室のメリッサとかいう奴の取り巻きだろう。
「……おいおい。何もないところからいきなり現れやがったぞ? ディリッド、ありゃどういう大道芸なんだ」
「空間転移ですね。んー、気をつけてください。追加できっと大物が来ます。ほら――」
新たに現れた人影は三人。
一人は王冠を被った壮年の男。如何にもな赤いマントを羽織、夢に取り込まれたような顔でこちらを見ている。きっと彼はヴェネッティー王なのだろう。
その男の腕を抱くのは、ダークエルフ。
識別すると、ハーフであることが分かった。
レベルは61。
その手には鉄扇らしきアーティファクトを持っている。
「親父、メリッサ。ようやく現れや……なっ!?」
王子の驚愕の声が、皆の言葉を代弁した。
皆の視線は、先の二人ではなく最後の現れた三人目へと向けられた。
でかい。
下手をすると、あの地獄の戦鬼よりも少しばかり大きいかもしれない。
四メートルはありそうな身長と、それに見合った巨大な体躯。
それだけでも圧倒的名パワーを連想させるというのに、その上で自己主張する筋肉はなんだ。
右手に持つ柄の短い片刃の斧は、大木を一撃で割れそうなほどに大きく、しかも短い柄からは長い鎖が伸びている。その先についているのは、やはりそれ相応に大きな鉄球だ。
飲まれそうになる圧倒的な存在感を押し殺し、俺は識別を試みる。
「レベル99……種族は巨人……神宿り、だと!?」
全身が光る現象は見られない。
だが、識別情報を信じるならばそうなっている。
なんだ、光は関係ないのか。
いや、まだ全力を出していないから光ってないということなのか?
その巨人――識別名グレッグは、左手に掴んでいた肉塊を前に放り投げた。
皆の視線がまた逸れ、それを認識した誰かが呟いた。
「将軍――」
それは、まるで信じられないものを見たかのような形相で事切れている、あのライコルフ将軍だった。




