第十六話「イビルブレイク」
塔に近づいていくにつれ、魔物の種類が増え始めた。
ゴブリンやオークだけではなく、全身を針で覆った大きな蜥蜴――針トカゲや、単眼で獰猛な牛――アイビーフに、全身が岩でできた大きな猿――岩ゴリラまで出てきた。
「針トカゲは俺がやる! 残りは任せるぞ!」
言うなり王子が突っ込んだ。
長く伸びる舌を伸ばして殴打してきた一撃を、彼はラウンドシールドで防御。返す刀で舌を切り飛ばし、怯んだところへ魔法を放つ。
そこへ、アイビーフが単独で突っ込んでくるのでロングソードさんがカバーに入った。
真横から、ミスリルソードを突き出して強襲。
王子にたどり着く前にかき消す。
「ちっ、邪魔だなこいつは」
拳を握りしめ、殴りかかってきたのは岩ゴリラだ。
槍で倒すには相性が悪い。俺はイシュタロッテを左手に抜き、拳ごと無理やりに叩き割る。飛び散る破片と共に、慄いた岩ゴリラが下がった。
そこへ、槍を捨てて両手で剣をしっかりと握り締めた俺は跳躍。力ずくで切りつけ、頭部ごと体を砕く。
どういう生態なのかまったくの意味不明だが、砕かれた敵はそれで動かなくなって消えた。こいつ相手には普通の剣では相性が悪そうだ。
ハンマーが欲しいが、後ろの奴らに見せてやることもない。
硬い奴は俺、王子のカバーにロングソードさん、そして小物は王子と自然にできた役割分担で上がっていく。だが、さすがに山登りと戦闘のせいで王子の息が荒い。
「そろそろ休憩するか」
「じょ、冗談だろ。こんな魔物の巣窟で休むのかよ」
呼吸を落ち着かせながら、少年が悪態をつく。
レイモンドさんの修練の成果か、戦いに危なげは無い。
出来ないことはするなと口すっぱく訓練されたのではないかと思えるほどに、堅実な戦いを王子はする。
積極性には欠けるかもしれない。
けれど、今はそれがありがたかった。
体力的にきついという自覚はあったのだろう。
足を止めて休憩に入ってくれた。
「モロヘイヤ、ようやくライコルフ将軍も重い腰を上げたようだぜ」
「ようやくか」
初期から打って変わって、兵士たちの進軍速度が上がっている。
一行に音を上げない俺たちが突出したせいで、魔物たちの攻撃目標に変化が出たからだろう。
本能的に勝てないと思った悟った魔物は、俺たちではなく下の本隊を狙い始めたのだ。
俺たちが切り開いた穴が塞がれる前に、楽をするためにも速度を上げたようだった。
なるほど、確かに勝負勘はあるらしい。
「傭兵たちは慣れたもんだな。連中、徐々に本隊の後ろに回り始めた。休憩する気だぜ」
「本隊を盾に、か」
「ついでに何かあれば戦いぶりを間近で印象付けて売り込むつもりらしいぜ。それで名を売って、貴族に取り入る奴らも多いって話だ」
ちゃっかりしているというか、命の使い方が分かっているというか。
俺は感心しながら、攻め手が衰えた空白地帯で連中へと視線を向けた。
「じゃあ、あいつらは王子への売り込みだな」
傭兵たちの中に、逆に上がってくる者たちが少数だが居たのだ。
「どうだろうな。狙撃が防がれたから、乱戦での暗殺狙いで送られてきたのかもしれん」
外面の笑顔を纏う王子は、そのまま彼らと合流する。
「加勢しやすぜ王子様」
代表らしき男が、手持ちの大剣を掲げてニッカリと笑う。
その男臭い笑いには、しかしどういうわけか敬意があった。
付き従う十人ほどの部下も、感心したような顔をしている。
「どなたですか」
「俺たちは傭兵団イビルブレイク、ヴェネッティー方面担当の分隊長ワルサーだ」
「なんと、では貴方たちがあの魔物退治専門の傭兵集団かっ!?」
「へへっ、まぁそういうことでさぁ。俺らは魔物さえ駆逐できれば政争なんざどうでもいいんでね。おい、野郎共全周防御だ。率先して戦って下さった勇敢なる王子殿下を守れ」
命令されるなり、男たちが周囲に散らばる。
識別していた俺は、彼らのレベルがそこらの傭兵を当たり前のように越えていることに気づいた。
味方なら頼もしい限りだが信用できるのだろうか?
視線でアデル王子に問うと、王子は頷いた。
「大丈夫だモロヘイヤ。イビルブレイクの目的は魔物の駆除だ。こいつらはただそれだけのためだけに活動することで有名な、大陸屈指の大傭兵団さ」
「つか、どうせぶち殺すなら魔物で十分だろ。金を貰えて感謝され、おまけに世の中がちょっぴり平和になる。どうせならモンスター・ラグーンに繋がるゲートタワーを全部ぶっ壊したいんだが――」
「それは困るぜワルサー。レベルが上げられない国は自国さえ守れない」
「――ってなもんさ。お偉いさんは大変だぁねぇ。外面と言い政争と言い」
外面を捨てたアデル王子は、皮肉めいた言葉に心底同意するように頷くと、忠告する。
「ワルサー、側室派と貴族派が俺を殺したがっている。巻き添えだけは食わないように気をつけろよ。特に、側室派がねじ込んだハーフエルフの女たちだ。奴らはかなりの距離から弓で狙ってきやがるぜ」
「なるほど、途中で不自然に落ちてた矢はそいつらのかい。オーケー。魔物との戦いを邪魔する奴は俺らの敵だ。そのつもりで構えとくよ。で、そいつらはやっぱりアヴァロニアなのかい?」
「らしいぜ。宮中でも着実に勢力を伸ばしてやがるよ」
「笑えねぇなぁ、おい――」
盛大に舌打ちし、ワルサーが一瞬顔から笑みを消した。
「奴ら、本当に調子くれてやがるな」
「……やはり、噂は本当なのか?」
小声で尋ねた王子の言葉に、ワルサーは頷いた。
どういう噂なのかは知らなかったので尋ねてみると、彼は眉を顰めながらも答えてくれた。
「俺らの関心は魔物だ。それは分かるか? モロヘイヤさんよぉ」
「それがアヴァロニアとどういう関係があるんだ」
「奴らはな、侵略する前には大抵ゲートタワーの防壁をぶち壊すんだよ」
「な、に?」
「確かに侵略国を弱体化させるには魔物に襲わせるのは効率的な手段だろうぜ? だがよ、そいつはいけねぇ。いけねぇよ。これは人間の……いや、存在する人類種全てに喧嘩を売るような禁じ手だ」
「……」
「モロヘイヤ、お前の頭が飾りじゃなけりゃ、一体防壁の建造でどれだけの被害が出るか想像ができるだろう。金や物資だけじゃない。それに関わった者たちが、文字通り命がけで建造したそれを破壊するなんてことは、絶対にしちゃいけないことなんだよ」
ワルサーは続ける。
「ここ数年ヴェネッティーの簡易防壁が壊れるのがやけに早い。気づいてるだろ王子様」
「やはり、奴らなのか?」
「そうだぜ。おかげで、山下の小さな村々の被害が年々増えてるだろ」
「おのれぇぇ……」
歯軋りする王子は、当たり前のようにこみ上げてきたらしい怒りで肩を震わせる。
いつの間にか、部外者であるはずの俺にさえ、妙に腹立たしく聞こえた。
「魔物が増えてるぜ。特にこの国は海につき出た土地柄のせいで平地が少ない。おかげでティラルドラゴンが山奥に巣を作り始めてる。結果、はした金で討伐依頼を頼んでくる奴が増えるせいで、こっちは割りに合わない仕事ばっかりだ。どうにかできねぇかい」
「……側室を含め、懐柔された馬鹿共を排除しない限りは無理だな」
「ほんと、困ったもんだなアヴァロニアは」
俯く王子に肩を竦め、男が俺に向き直る。
「おい、ここで王子に死なれたら困る。護衛ならしっかり頼むぜ噂のエルフさんよぉ」
政治に関心は無くても、彼らは彼らなりの信念の元で手を貸してくれるつもりらしい。
丸太のように太い腕の先にくっついている手が、俺の肩を叩く。
「んじゃ、面倒だが王子には強くなってもらおうかねぇ」
出来うる限り止めを王子に刺させることを指示すると、ワルサーは王子の背中を叩いた。
「しょぼくれんなよ王子様。そら、今は魔物ぶっ殺して強くなれ。あんたは、この国のためにも絶対に弱いままでいちゃいけないんだからよ――」
さすが、というべきか。
ワルサーたちは魔物相手に危なげなく戦っていた。
それぞれ違う武器を持った彼らは、仲間のレベル上げにも慣れているのだろう。
魔物によって戦う人員をこまめに変え、生かさず殺さずの状態で王子に止めを刺させた。
この討伐にも何度も参加しているらしく、その手際の良さも有って休憩後の王子はひたすらに魔物を殺していった。
もう、俺たちは塔の防壁近くまでたどり着いていた。
ゲートタワー周辺は魔物の数が段違いに多い。
他の山道から分かれて進軍していた別部隊もいくつか合流し、ひたすらに魔物の掃討に没頭する。
ここまで来るとハーフエルフたちも手を出せないのか、何食わぬ顔でライコルフ将軍の率いる修繕物資持ちの最後尾に現れた。
その手に弓はなく、剣やナイフで武装している。
だが、乱戦の中で王子に攻撃を仕掛けることなどできるはずもない。
ましてや、イビルブレイクのワルサーたちがしっかりと王子の周囲を固めていた。
明らかに周囲の傭兵たちや兵の錬度を越える彼らの存在が、凶行を押し止めるストッパーとして機能しているのは明白だろう。
貴族の中には、知り合いも居るのかワルサーに声を掛ける者もいた。
勧誘と、その活動の意図を探るためだろうか。
その度に彼は「魔物退治は最前線に限りますぜ!」などと言って豪快に笑って誤魔化していた。
空気を読めという視線も何も意に返さず、彼らはただ魔物を屠る。
その腕前と傭兵団の名声で黙らせるその姿は、何も知らない兵士や傭兵たちからすれば頼もしく見えるようで、負けるなとばかりに奮戦する兵が出始めた。
また、最前線から一度も下がらずにワルサーたちと共に戦う王子の姿は、彼らにとっても無視できるものでなかったようである。
偉そうに命令するでなく、安全地帯で高みの見物をしてさえもいない。
常に第一線に居るハーフエルフの少年の姿は、彼がお荷物であるという認識を覆して余りあったのだ。
「さぁ、王子のために道を開けよ!」
「我らが勇猛なるアデル王子に、ゲート・タワー一番乗りの栄誉を奉げるのだ!」
「軟弱な魔物など恐れるに足らず!」
むせ返るような血臭と怒号。
熱気が山を包み込み、魔物に次々と断末魔の悲鳴を上げさせる。
流れはもう、完全にこちらにあった。
破竹の勢いとは正にこのことだ。
そうして、ついに王子が防壁の向こうへとたどり着いた。
アーティファクトの魔法を叩き込み、あらん限りの声で彼が叫ぶ。
「我がヴェネッティーの精兵たち、そして勇敢なる傭兵たちよ! 後一押しだ! 我に続けぇぇぇ!!」
怒号の中に響く、確かな声がある。
俺とロングソードさんはすぐにその後を追い、一番乗りを果たした王子に追走。
一歩遅れた傭兵団と共に王子の周囲を掃討していく。
疲れなど、もはや吹き飛んでいた。
王子が体力を振り絞り、ゴブリンに切り込む。
頭の良い魔物は、塔の中に逃げ込んでいくが本能で動くタイプはそのまま交戦。
それを、ヴェネッティーの討伐軍が蹂躙していく。
ライコルフ将軍たちは、簡易門の修復に入ったようだ。
用意していた道具を組み立て、打ち倒された古い門と交換し始めたと伝令が声を張り上げている。
「ワルサー殿!」
外面で、王子が傭兵を呼ぶ。
塔内への一番乗りを果たす気は、王子にはない。先に塔の外の周りを掃討するように魔物を追い立てていた王子へと彼はすぐに近づいてくる。
「なんですかい、我らが勇猛なる王子様」
周囲では、自然と安全確保のためにイビルブレイクの傭兵たちが囲む。
その中で、休憩のポーズをとりながら、王子は彼に話し始めた。
「塔の向こうに俺たちはきっと向かわされるが、お前たちは来ないでくれ。その代わり、俺が戻らなかったらすぐに下山し、母を連れ出して安全な場所へと匿って欲しい」
「……そりゃ、無茶ってもんですぜ王子殿下」
「城にレイモンドという老騎士が居る。あいつに一応用意はさせているから、手助けをしてくれるだけで良い。レベルがある程度以上あるレベルホルダーでなければ、側室に魅了魔法をかけられて骨抜きにされちまう。だが、腕の良いお前たちなら大丈夫なはずだ」
「……死ぬ気ですかい?」
「まさか。最悪、モンスター・ラグーンのゲートが壊されてもなんとかして生き残るさ。モロヘイヤは一度ラグーンから飛び降りたらしいから、まぁ、なんとかなるだろ」
「本当かよ」
「俺以外なら普通は無理だよ。まぁ、俺のツレと一人ぐらいならなんとかなる。ただ、戻ってくるには時間がかかるだろうがな」
「最悪はクーデターだな。アヴァロニアの工作員も鬱陶しい貴族共も、この際まとめて粉砕してやるぜ」
生きて帰ってこられるならその必要はない。
というか、あくまでも最悪の場合だ。
レベルを上げたせいか、それとも戦場を経験したせいか。
一皮剥けた王子が綺麗な笑顔で、とんでもない事を口走る。
「ハハ、こりゃまた……随分とお怒りのようで」
「イビルブレイクの活動理念とは違うとは思うが、頼めるか?」
「……報酬はどうしやす。俺たちを曲げさせ、リスクを負わせるだけの対価が用意できますかい?」
「出世払――」
「これでどうだ」
マントから取り出す振りをして、長剣型のアーティファクトを取り出す。
これでイシュタロッテを除けば鬼の金棒と槍、そして長剣だけになるが構うまい。
ここは間違いなく勝負どころだ。
「おい、こいつは――」
彼が握った瞬間、長剣は大剣になった。
間違いなくアーティファクト特性だ。
アデル王子が一瞬ゲッという顔をしたが、俺は彼の目を見ながら続けた。
「信条を曲げさせるんだ。これぐらいは必要だろう。本隊にも、あんたたちにもな」
「……くく、どうやら引き受けないわけにもいかないみてぇだな」
それを受け取ったワルサーは、「負けたぜ」と呟くと俺の名を尋ねてきた。
「お前さんの名は? まさか、あの噂のモロヘイヤが本名じゃないんだろ」
「アッシュだ。今は面倒くさいからクォーターエルフのアラハッシュ・モロヘイヤで通しているが、アラハバキッシュ・ヒサモトと名乗ったこともある。次の名前はまだ未定だ」
「未定か。はーっはー。その気風の良さが気に入った。その気があるならいつでも団に来な。贔屓にしてやるぜ」
「隊長」
副隊長らしき人物が肩を竦める。
「貰いすぎだと思いやすがね」
「その分アフターサービスを充実させりゃいい。簡単なことだ」
「ごもっとも。団の本隊はなんとか言い包めちまいましょう。何、魔物をぶち殺すための新しい玩具が増えたって言えば、連中も掌を返しやすぜ。ついでに援軍も頼みやしょうや」
隊長が隊長なら、部下も部下だ。
悪巧みをしたような顔でニヤリと笑い、契約は成立した。
これがどういう事態を招くかは、未来を知らない俺には分かるわけもない。
予定にはない突発的なこの出会い。
せめて良いほうに転がってくれればいいのだが。
俺たちは怪しまれないようにと、塔内にまで攻め込んだイビルブレイクの面々と分かれ、完全に休息に入っていた。
適当な石に腰を下ろし、流れを伺う。
状況を知らせる伝令からは、まだ新しい命令などは届かない。
が、口々に聞こえてくるざわめきからでも簡単な状況はうかがえた。
「モロヘイヤ、その、さっきはすまん」
「気にするな。どうせ、アヴァロニアの奴からパクった奴だ」
「……上手くいったら、代わりといっちゃあなんだがお前には絶対にあの女狐のアーティファクトをやるよ。ただ、これは忠告だぜ。ホイホイと誰にでもやるな。それの数は限られていて、売れば普通の人間なら一生は遊んで暮らせる額が手に入るんだ」
神妙な顔をして王子は言うと、アーティファクトで小さな氷柱を一本作り出して口に放り込んだ。どうやら水分補給のつもりのようだ。
俺もこの間にポーションの空き瓶に汲んでおいた水を飲む。
本当なら必要ないが、ロングソードさんにも回して休憩らしき風情を彩る。
「ぷはぁ……生き返りますねぇ」
しみじみ言うロングソードさんは、ミスリルヘルムを脱いで頭を振るった。
それにより、零れるほどに豊かな鋼色の髪が衆目の目に晒される。
塔周囲での戦闘がほとんど決着が着いたせいもあり、近場で休憩していた男共の視線が自然と集まってくる。
そんな中、至近距離に居た王子が呆れ顔で彼女を見た。
「すげぇな。こんな場所で兜脱ぐなんて……」
何時襲われるか分からずにピリピリしている王子だ。
正直、羨ましいのだろう。
俺も真似したいところだが、外すのも面倒だ。
熱くて蒸れるが、我慢して突っ立っていると遂に動きがあった。
どうやら、ゲートのある最上階までの道のりをイビルブレイクの傭兵たちが切り開いたようだった。塔から出てきた彼らの周囲で歓声が沸いていた。彼らは俺たちに軽く会釈して通り過ぎると、各々休憩に入る。
「さて、そろそろだな」
ゆっくりと王子が立ち上がる。
ロングソードさんはそれに合わせてミスリルヘルムを被る。俺もまた瓶を仕舞って立ち上がった。
「お疲れ様ですなアデル王子」
ハーフエルフの女性三人と兵を引き連れ、尊大な口調でその男はやってきた。
熊のように大きなその体躯は、戦士としての彼の完成度を物語る。
だが、ワルサーたちと話した後ではその見た目の強壮さも色褪せて見える。
「ライコルフ将軍、門の修復作業は?」
「勿論、急がせておりますとも」
話す二人の間で、視線の火花が散っている。
その後ろでは、忌々しそうな表情は隠さず俺を睨みつけるハーフエルフたちの顔があった。
仲間をやられた恨みか、任務の妨害へのただの苛立ちか。
鬱陶しいその視線を前にして、俺は不思議な感覚に包まれた。
端的に言えば、不思議なほどの凪。
極限までに彼女たちへの興味が俺の中で薄れ、街で通り過ぎ去っていく誰かのようなほどに存在が希薄化していた。
あの村の子供たち、ダークエルフの戦士、近衛剣士やマーク。
そして今護衛しているアデル王子とは違う線が心の中に引かれ、彼女たちの立ち居地は完全に違う場所へと追いやられた。この無関心の先にあるものは、きっと凍える程に冷たい論理に違いない。
「ところでアデル王子、最後の仕事が残っておりますぞ」
「そうだね。休憩も出来たことであるし、そろそろモンスター・ラグーンとやらを拝みにいこうか。とてもいい経験になりそうだ。――そうだ、将軍もよければどうだい」
「いえ、私は部隊の指揮がありますので。その代わり、この者たちが共回りをしたいそうですよ」
「危ないと思うけど、いいのかい」
無言で傅く三人に笑顔を振りまきながら、王子が尋ねる。
「お任せ下さい」
「そう、じゃあ僕は疲れてるから前をお願いしようかな。護衛はモロヘイヤたちで間に合ってるしね」
背中を取らせないようにという配慮か。
スルリとそんな言葉を出した王子は、彼女たちに先導させた。
ライコルフ将軍は、それには何も言わない。
どのような結果が待っていたとしても、側室派と王子にダメージが行けば良いとでも思っているのだろう。
いや、それとも別の企みでもあるのか。
今は窺えないそれを俺が看破できるわけがなかったが、最後に投げかけられた白々しい言葉が嫌に耳に残った。
「どうかご無事で、我らが親愛なる王子殿下――」
警備用に配置された兵士たちの敬礼を受けながら、王子が威風堂々といった面持ちで階段を上がっていく。
無言で先を先導するハーフエルフたちは、不気味なまでに静寂を守った。
そして、遂に俺たちは最上階のゲートにたどり着いた。
「おお、これがゲートか……」
沈黙を破る王子の感嘆の声の先には、床の上で寡黙に輝く魔法陣がある。
見覚えるのあるそれを、アデル王子がしげしげと眺めた。
「乗ったらすぐに向こう側へ送られるからご注意を。アデル王子、剣は抜いておいた方がよろしいかと。向こうですぐに魔物に襲われることも考えられますので」
「む、そうか」
一応忠告し、ロングソードさんにも気をつけてくれとばかりに目配せしておく。
彼女も王子と一緒に剣を抜き、俺は左手でイシュタロッテを抜いた。
「では、向かいましょうか」
三人が消えていく。
それに間髪容れずに俺たち三人が続いた。
――一瞬の浮遊感。
数秒にも満たない刹那の間に、俺たちの体が遥か遠い場所へと誘われる。
気がつけば、魔法陣の向こうにハーフエルフたちの背中が見えた。
先にゲート付近に居た魔物を見つけたのだろう。
彼女たちは手馴れた動きでハイオークを三匹を血の海に沈めていた。
彼我の戦力差を感知したのか、彼らが逃げる。
それを追いたてるように追撃し、彼女たちは更に二匹を狩った。
見た目の美しさを裏切るような怜悧な動きは、どこか研ぎ澄まされた刃に似ている。
単一機能に特化したようなそれは、何も知らなければ見事という言葉しか出ないだろう。
「……強いな」
しみじみと呟いた王子の額に冷や汗が流れるのを、俺は見た。
無理もないと思った。
レベル差は歴然で、更に見事な技量まで見せ付けられたのだ。
発展途上な王子からすれば、それは恐怖以外の何者でもないはずだ。
俺だってそうだった。
あの、姿を消すアーティファクトを持っていたハーフエルフの女。
アレと対峙したときの俺は、酷く焦らされたもんだ。
「王子様、これを」
ハーフエルフの一人が胸元から書状を取り出す。
「これは?」
「王からの指令です」
「……見よう」
果たして、内容などどうでもいいので俺は彼女たち三人の動きを牽制する。
動きは、ない。
そこに在るのは冷笑だけであり、明確な殺意だけ。
「モロヘイヤ、俺たちだけで外に出てこのラグーンの出鱈目さを知れ――とのことだ」
「……従うのか」
「レベルアップのチャンスという奴さ。しっかり守ってくれ」
「――了解した」
階下への道をあけるハーフエルフたち三人の脇を通り過ぎ、階段を降りる。
そうして、次のフロアでの戦闘に入った次の瞬間、何か硬質なモノが割れる音がした。
「モロヘイヤ、今のは――」
「ああ、予測通りって奴だなっ!」
オークの槍が届く前に、右手の槍を投げつける。
胸板に突き刺さる槍が、俺の全力を受けてオークを凄まじい勢いで後方へと押しやった次の瞬間、手加減などせずに残りをイシュタロッテで切り刻む。
「ちょ、お前ら――」
十秒も満たない間に、フロアの魔物が全滅。
一匹仕留めた姿の王子が、「うげっ」などと口走って俺を見た。
「てめぇ今までずっと手を抜いてやがったな!?」
「ああ」
「手の内を見せてあげる必要はないですもんねぇ」
ロングソードさんも全開だ。
邪魔な兜を俺に返しすぐにいつものロングポニーテール姿に直す。
やっぱり、その方が彼女らしい。
「一応は確認しとくか」
一番上の階に戻ると、案の定バッテリーコアが割られていた。
ハーフエルフたちの姿はそこにはなく、魔法陣は輝きを失ってゲートとしての機能を失っている。
「投げると同時に離脱したわけか。やっぱり、熟知しているってことだな」
コアの破片に紛れて、投げつけられただろう長剣が床に落ちているのを見つけた。
コア自体はそれほど強度が強くないのは、一度砕いたことがある俺には良く分かる。レベルホルダーの膂力で投げつければ、砕くぐらいは容易いはずだ。
「とりあえず、こいつは貰っておくかな」
鍛冶系スキルでインゴットに戻し、何かの材料にするのも有りである。インベントリに仕舞うと、何やら考え事をしている王子が居た。
「どうした?」
「……普通なら絶体絶命の所だぞ。なのにお前たちと来たら、予定調和とばかりに落ち着いていやがるじゃないか。だからこの状況を利用するのも悪くないように思えてきてな」
手に持つレイピアの刀身を撫でながら、少年は一度頷いた。
「よし、せっかくだアッシュ。降りる前に俺にレベル上げをさせてくれ」
「……正気か?」
「せめてあの連中を一対一で相手にできるぐらいでなきゃ、下に降りても辛いだろ。帰るにしても、レベルホルダーの体力があれば移動の遅れを取り戻せるはずだ」
「それ、当分の間ここに住むってことだぞ」
魔物が延々と出てくるラグーンで、王子のお守りをしながらレベル上げってなんだそれは。俺はもうモンスター・ラグーンに閉じ込められるのはうんざりなのだが。
「お前はマークを連れて旅ができたのだろう。戦える俺がいるなら余裕だろ」
レイモンドさん、あんたは王子にサバイバル技能とか教えてくれているのか?
思いつきで言っているような王子殿は、この後に待ち受ける地獄のようなサバイバル生活の苦しさなど知らずに覇気に満ち溢れていた。
正直困っていた俺は、ふと手に持っていたイシュタロッテを見た。
王子のレベル上げのチャンスでもあるが、これはイシュタロッテを覚醒させるためのチャンスではないかと思ったのだ。
カルナーン地方がアヴァロニアにあるのであれば、当然のように俺は近づきたくなどない。であれば、今の俺にできることは魔物を倒して覚醒させることだけ。
そのために最も効率が良い場所は決まっている。
そう、無尽蔵に魔物を召喚し続けるこのモンスター・ラグーンだ。
「……しょうがないな。だが、やると決めたら徹底的にやるぞ。レイモンドさんがどれだけ厳しかったかは知らないが、覚悟しておけよ」
「おう!」
俺の忠告に、王子は余裕の笑みを浮かべて頷いた。