表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/106

第十二話「ブラックヒストリーヒサモト(下)」

 マークを連れての旅はそれほど長くなりそうにはなかった。

 途中の漁村で位置を確かめた俺たちは、海岸沿いの道を西へと移動していく。

 だが、後半日もあれば目的の街までたどり着けるという場所で魔物に襲われた。


「本当に、子供を背負って走るのは流行しているのかもしれないな」 


 ポツリと呟く俺の左肩に担がれているのは、クォーターエルフの少年マークである。

 その後ろ、海岸線沿いの街道を爆走して逃げる俺たちを追走する影がある。

 赤い体毛を持ち、二本の足で疾走する恐竜めいた魔物――ティラルドラゴンの群れだ。


「奴らは平原を好むんじゃなかったのかよ――」


 ここにはいない誰かさんに毒づきながら、ひたすらに走る。

 俺の直ぐ後ろをエクスカリバーさんとショートソードさんが追走。

 手渡されているロングソード――カンスト武器ではない――を剣帯に吊るしたまま後を追ってくる。


 敵の数は二十は軽く越えている。

 俺たちだけなら別に問題はないが、マークが居た。

 どこか安全な場所が無いかと探しながら逃げていく。


「アッシュくーん、どこまで逃げるの?」


 ショートソードさんが走るのに飽きたような顔で声を掛けてくる。

 エクスカリバーさんも、なんで逃げる必要があるのだ? という顔だ。


「命令さえ頂ければ片付けますが」


「そうしたいがな、山の方からも何か来てるぞ――」


 街道の直ぐ隣に急斜面の山がある。

 脳裏のマップによればそこからも敵の反応があった。


 ティラルドラゴンではないようだが、移動速度はかなりある。

 こちらも数は十は居た。

 視線を向ければ、木々の間を何かが高速で飛んで居るのが見えた。


「多分、ハンターモモンガです」


「知っているのかマーク?」


「木々の間を凄い速さで飛んで、獲物に襲い掛かるって聞いたことがあります。だから、護衛を雇えない場合は皆船を使うそうです。ですが――」


「なんだ」


「ティラルドラゴンが出るなんて、あまり僕は聞いたことがありません」


「それだけリアルラックがないってことだろ」


 でなきゃ廃エルフになんてなってないだろうし、マークだって船が難破したりはしなかっただろう。


 これは、不味い。

 二人揃って運無しじゃあ、もっと酷いことが起こってもしょうがないんじゃないか?


「いかん、フラグにスイッチが入った」


 虫の知らせではないが、思ったらその通りになる不可思議な法則の話は都市伝説並に有名だ。


「KiKilil――」


 ティラルドラゴンの咆哮に混じって、山側から高く響く声がある。

 噂のハンターモモンガだろうか。

 声は少しずつ大きく聞こえ始め、近づいてくるのが分かった。


「アッシュ君、前から馬車が走って来てるよー!」


「な、にぃぃ!?」


 視線を前に戻せば、百メートル以上先のカーブの先からそれっぽいのが見えた。

 こちらに向かってきていたようで、慌てて反対方向へと方向転換に入っている。


「ちっ――このままやるしかないか」


 このままではモンスタートレインだ。

 腹を括って全滅させるしかない。


「ええい、二人ともここで交戦するぞ。マーク!」


「は、はい!」


「ちょっと暴れるが、舌を噛まないように気をつけてくれ」


 俺たちはそれぞれ武器を抜き放ち、道一杯に広がりながら追ってくるティラルドラゴンの群れへと振り返る。


「各自、飛び越えてから応戦だ。ただ、山の連中には気をつけろよ」


「うん!」


「了解しました!」


 迫る恐竜の群れを前に、俺はいの一番に駆け出し跳躍。

 大口を空けた一頭の上を飛び越える。

 獲物を見失った一頭が前のめりになりながら歯を閉じる。

 その後ろを、獲物へと迫ろうとした後続がぶつかって将棋倒しになった。


 群れを飛び越した俺たちは、すぐさま反転し切り込んだ。

 奴らの全長は大よそ三メートル。

 近づくとかなりでかい。

 近づいた一匹が、大口を開けた。

 やはり肉食獣は歯が命か。歯並びの良い巨大な顎が迫る。


「ッ――」


 怖がっても敵は減らない。

 惰弱な精神を襲う恐怖を意思の力で押し殺し、右手一本でイシュタロッテをなぎ払う。

 迫り来る頭部への、地面を踏みしめながら繰り出した横殴りの斬撃。

 それは大口を空けた奴の口を裂き、その向こうの頭蓋を叩き割って抜けた。

 飛び散る血飛沫の向こう、ティラルドラゴンが絶命して消える。

 そこへ、次の敵が左右から迫ってきた。

 膝を曲げ、そのまま垂直に跳躍。


 下から歯と歯が噛み合う音が二つ鳴った。

 そこへ、真上から右手の剣を右側の一匹に向かって振り下ろす。

 脳天ごと叩き割る純白の刀身。

 敵が掻き消えるよりも先に、俺は頭を蹴って刃を抜き後退。

 そこへ、一メートルちょっとはあろうかというハンターモモンガとやらが飛来した。


「か、可愛くない――」


 俺が知っているそれを遥かに上回る程でかい上に、獰猛そうな顔つきをしている。

 奴は俺が倒したティラルドラゴンへと噛み付こうとしていた。 

 生憎と死んだことにより、消えたせいでその口が空を切る。


 肉を食えずに終わったそいつへ、左側に居たティラルドラゴンが新たな獲物とばかりに喰らい付く。

 凶悪な顎が、ハンターモモンガの首筋の肉を噛み千切り血を滴らせる。

 食物連鎖の無情が、俺の眼前で弱肉強食の真理を垣間見せた。

 迷わず、ハンターモモンガへと喰らいついたその一匹の首を斬りつける。

 食事中などお構いなしの一撃は、当たり前のように首を狩って絶命させた。


「あ、あの、アレ消えてますけど!」


「俺のアーティファクトは凄いだろ」


「ええ!?」


 全てはアーティファクトのせいで、俺のせいではないのだと誤魔化しながら戦闘を続ける。

 エクスカリバーさんやショートソードさんを乱戦の中で探すが、どちらも余裕で捌いていた。やはり、マークを気にしないで良い分動きが良い。


――いや、違うのか。


 二人とも、俺が狙われ難くなるように派手に戦ってくれているのだ。

 エクスカリバーさんは、俺よりも山側に立ち盾で飛来してくるモモンガを殴り飛ばして地面に叩き落しながら剣で斬り付け、ショートソードさんは主にティラルドラゴン相手に飛び跳ねながら暴れている。


「お、お二人もとてもお強いですね」


「頼もしい仲間さ」


 好意を無駄にしないよう、俺は山側から少しでも離れつつ応戦。先に街道を塞ぐティラルドラゴンへと切りかかった。




「初めからこうしていればよかったかもな」


 マークを地面に下ろし、血だけを残して消えた魔物たちの痕跡を見下ろす。

 血糊を振り払って鞘に収めると、マークが腰を抜かして座り込んだ。


「大丈夫か?」


「は、はい……」


 顔が少し青いが、肉体に外傷はないのだ。しばらくすると治るだろうと思っていると、二人がやってきた。


「アッシュ君、これ……」


 ショートソードさんが申し訳無さそうに使っていた剣を見せてくる。

 エクスカリバーさんもそうだったが、見事に刃こぼれしていた。


「やはりティラルドラゴンか」


「あいつら硬いよ。ごめんね」


「しょうがないさ。武器のグレードを落とし過ぎた俺のミスだ」


 二人とも、無理やり腕力で押し切ったのだろう。

 しかし、これは酷い。

 鞘に戻したそれらを受け取り、インベントリへと収納。

 代わりの武器を模索する。


「これぐらいならどうだ」


 ミスリルソードを二本作り出して渡しておく。

 さっきのよりはマシだろう。

 最悪はメイスなどの鈍器にでもすることまで考えていると、少年が立ち上がっていた。


「もう大丈夫です」


「なら行くか」


 ゆっくりと歩く少年の歩幅に合わせ、俺たちは進んだ。




 昼過ぎにはなんとか辿り着いた街は、立派な港を持つ大きな港街であった。

 多くの船が停泊しているのが街道から遠目に見えていたが、それに相応しい賑わいを見せる街だ。

 船はどうやら帆船が主流なようであり、大きなマストに帆を張った船が見受けられるが何やら船から沢山の木箱などが下ろされたり、積み込まれたりしていた。


 航路上の中継地としての機能があるのだろう。

 木箱を積んだ荷馬車も行き交い、露天からは威勢の良い声が聞こえてくる。

 行き交う人々の種類も多い。


 耳や尻尾が生えた獣人と思わしき種族や、樽に手足と髭がもっさりした頭をつけたようなドワーフを連想させる種族、子供程度の大きさしかないのに何やら老練な気配を見せる尖った耳を持つ種族――ホビットというらしい、などまで居た。

 勿論、最も多いのは人間だったが、稀に俺のようなエルフ族まで居た。

 予想より目立っている風ではないのはありがたい。


「この道を真っ直ぐのはずです」


 マークの案内で街を練り歩いていく。

 この街『バニスタ』は、ここら一帯を治める貴族、マクシミリアン侯爵のお膝元らしい。

 おのぼりさんよろしく色々と眺めながら、説明してくれるマークの言葉に頷きつつ歩いていく。

 疲れているはずだが、あと少しで家にたどり着けるということもあってか足取りはしっかりとしていた。やがて、俺たちは大きな屋敷へと連れて来られた。


「ここですよ」


「……でかいな」


「マーク坊ちゃん!?」


 その前に立っていた門番が驚きの声を上げて駆け寄ってきた。


「遅いお帰りではないですか。それに、その者たちは……」


「実は、帰りの船が嵐に巻き込まれ……この方たちに助けていただきました」


「そいつは大変だ。すぐ、マクシミリアン様に知らせます!」


 門番の一人が、急ぎ足で屋敷に向かう。

 俺たちは、マークと門番の一人に案内されながら屋敷に向かった。


 屋敷は、貴族の家ということもあってか世話になったエルフたちのそれとは大きく違っていた。

 生活スタイルの違いもあるのだろうが、俺が想像する洋館などに近いように見える。入って直ぐの吹き抜けにはシャンデリアらしきものが釣り下がり、奥にある階段の踊り場には先祖か何かだろう肖像画が飾られていた。と、俄かに屋敷の中が騒がしくなったかと思えば、使用人と共に若いエルフらしき女性が降りてきた。


「マーク!」


「母上!」


 マークが手を広げて駆け寄った。

 確かに、どこか顔つきが少年に似ているような気もする。

 しかし、商人あたりの子かとも思っていたが、よりにもよって貴族様とは恐れ入る。

 その片鱗はあったが、そうでないことを俺は祈っていたのだ。


 なにせ、面倒くさそうだ。

 儀礼どころかこの世界の常識さえままならない俺だ。

 いきなりそんなところに放り込まれて、何か粗相などしてしまえばと思うと気が気でない。

 その、麗しい親子の抱擁を前にして、俺の中で祝福する気持ちと退散したい気持ちという小市民的な感性が競い合う。


 マークは、涙ながらに父のことを話している。

 後は、この家の問題だ。

 重苦しい空気の中、そう考えた俺が踵を返そうとしたそのとき、上階から杖を突きながら険しい顔で一人の男が降りてきた。


 踊り場に掲げられた肖像画に良く似ている。

 ここの当主だろうか?

 彼は、使用人や野卑な表情を浮かべている青年を伴って降りてきた。


「ミルドはどうした」


 低い声で、しかし鋭い眼光のままその杖の男が尋ねた。

 途端に、吹き抜けが静寂の中に沈み込む。

 真っ直ぐに見つめるマクシミリアン伯爵らしき人物は、見たところ老齢ながらも動きは力強さに満ちている人間だった。


「……帰りの船が座礁し、現在行方不明です」


 報告するマークの声が嫌に硬い。


「……」


「お義父様、直ぐにあの人のために捜索隊を――」


「黙れテルザ! やはり、やはりお前は疫病神だ!」


 怒声が飛び、マークの母が詰られた。

 俺には分からない。何も知らないからこそ、落ち度が理解できない。


「血を穢すだけでは飽き足らず、優秀なミルドを亡き者にするなど言語道断! そもそもマーク、何故貴様だけ生き残った? ミルドが死ぬような事態なら、レベルホルダーでもない貴様風情が助かるはずがない!」


「孤島に流れ着き、死に掛けていたところを私が助けました」


 見かねて、俺が名乗り出る。


「……誰だ貴様は」


「クォーターエルフのアラハバキッシュ・ヒサモトです。後ろの二人は私の部下です」


 振り返り、二人に目線で合図する。

 意図を汲んでくれた二人は、俺を真似て一礼した。


「流れの傭兵ですが、会えて光栄ですマクシミリアン侯爵閣下殿」


 堂々と偽名を名乗っての一礼に、侯爵は眉を軽く動かす。

 きっと、俺たちの動きが優雅さなど欠片もなかったからだろう。

 けれど、今は映画などで見たそれをただ真似、刺激しないように丁寧さを押し出すしかなかった。

 マークが驚いた顔をしているが、胡散臭い笑みを浮かべて続ける。


「私も船が嵐に巻き込まれて似たような事情で同じ孤島に流れ着いていましたが、酷いものでしたよ。こうして生きているのが不思議なほどです」


「傭兵風情かよ。はっ、恩に着せ、小金でもせびるつもりか」


 侯爵の後ろに居た男が、途端に吐き捨てるような目をして俺を睨む。


「黙れブレッサ」


「しかし父上……」


「黙れと言ったぞ。傭兵だろうとなんだろうと、当家の者を連れてきたのだ。タダで返すわけにもいかん」


 ブレッサとやらは、俺を睨みつけるようにして舌打ちする。

 俺が内心で呆れていると、侯爵は執事だろう者に金を用意しろとだけ言った。

 執事は頷き、屋敷の奥へと消えていく。

 俺への沙汰はそれで終わりということだろう。


 侯爵は、つかつかと階段を降りるとマークとテルザと呼ばれた女性へと近づいていく。

 そうして、持っていた杖が振るわれた。

 テルザの動きは早かった。

 咄嗟にマークに抱きつき、その背で杖を受け止めたのだ。

 乾いた音が鳴り、悲痛の声が上がる。


「ミルドの代わりに貴様が死ねばよかったのだマーク!」


 苛烈なまでの言葉と共に、杖が唸った。

 老人の力はそれほどでもなかったようだが、しかし、必死に子を庇う母を無視して責め苦が飛ぶ。


「ち、父上、さすがにそこまでにしましょうよ。そいつには、次の当主候補になる俺の子を生んでもらわないといけないだろ」


「馬鹿を言うな! この女も、この死に損ないも売り飛ばすわっ!」


「エルフの血を家に入れるんじゃないのか!?」


「ああ、入れるとも。だが、入れるのは生粋のエルフの血だ。どこの馬の骨とも分からん血を引いた半端な女の、その子に侯爵家を継がせなどするものか!」


「い、いや、でもよぉ……純エルフはた、高いだろ」


 食い下がるブレッサ。そこへ、執事が子袋を掲げて持ってきた。


「旦那様、報酬をここに」


「ああ、そこの傭兵……アラハバッシュとか言ったな」


「アラハバキッシュ・ヒサモツです侯爵閣下」


「うむ、アラハバキッシュ・ヒサモツとやら。これはささやかな礼だ受け取れ」


 一文字変わったことにさえ気づかず、投げ放った子袋が俺の前に着地した。

 見下ろせば、金貨と思わしき硬貨が見えていた。

 衝撃のせいで、一部が袋から漏れだして床を転がっていく。


 拾って去れ、ということだろう。

 だが、俺は敢えて視線を上げ唇を吊り上げた。


「――閣下、報酬の変更は可能でしょうか」


「変更? それ以上は出さんぞ」


「値上げ交渉ではありませんよ。先ほど侯爵閣下はその二人を売ると仰られた。その言葉に嘘偽りがないのであれば、私が持つアーティファクトとその二人を交換して頂きたい」


「……なに?」


 コートの後ろ、背中にさも隠してあったとでも言うかのようにアーティファクトを一本取り出す。

 ハーフエルフ共が持っていた一本であり、長剣タイプの奴である。

 これは掛け値なしの本物だ。

 抜き身のままなのは申し訳ないが、俺はそれをさも大事そうに刀身を撫でながら、呆気に取られている連中を前に言ってやる。


「本当は、これは世話になった傭兵団の男へ恩返しのつもりで持っていたのですが、よくよく考えれば団には既にアーティファクトがある。だから、私はもっと良い土産が無いかと探していたのです」


「ほう……」


 侯爵閣下が面白そうに顎髭を撫でる。


「どうでしょう。どうせ売るのであれば、このアーティファクトとその二人の女を交換して頂くというのは」


「面白い話だなアラハバキッシュ。それで、二人の女とは?」


「恍けるのですか? そこのマークとやら、私に貴族だとは話さず、本名も話さなかった。そして、そこに居るご子息のブレッサ殿が俺の子を生んでもらうなどと言っておりました。いやはや、男装させていたからとはいえ、私は全然気づきませんでしたよ。やはり、見目麗しいエルフの血のせいですか?」


「……はぁ? おま、何を言って――」


「黙れブレッサ。私が交渉を受けているのだ」


「ま、まさか親父、乗るつもりかよっ!?」


「それは奴との交渉次第だ」


 ニヤリと、まるで俺を馬鹿にしたような目で当主が言う。


 ああ、俺も馬鹿なことを言っていると思うよ。

 その点については同意する。

 そもそも何故、俺はこんな当たり前のように助けようとしているのだろう?

 自分ではまったく理解できないのに、また、あの泣き顔と声がちらつくのだからしょうがないじゃないか。


「本物か」


「勿論でございます。そこの執事殿、どうか確認していただきたい」


「……旦那様」


「確認しろ」


 執事が頷き、俺の方へと近寄ってくる。

 俺は剣を逆手に握ると、彼に差し出す。

 どの道、俺にはこれが本物だとしても使えないので証明できない。

 なら、当たり前のように彼の身内に検分させる方がいい。


「むっ、これは……本物で御座いますね」


 ヨアヒムは握っただけで理解した。

 そしてそれは、この執事も同じらしい。

 驚きながらも、執事は俺に剣を返してくる。

 交渉は継続中だ。

 これの価値を考えれば、自らの行動で台無しにすることを彼はしなかった。


「どうです、執事殿によって本物だと証明されましたが」


「ああ、だがそれで交換できるのは一人ではないかな」


「その奥方は純潔にして生粋なエルフではないのでしょう? マークはクォーターだと私に名乗った。二人合わせてもエルフの血は四分の三。エルフは希少ですから、それを考えればむしろこれはそちらにとってお買い得ではないかと」


「ふむ。アーティファクト一本がエルフ一人と同じ価値だと貴様は考えているわけだ」


「私ではありません。私にエルフの嫁が欲しいと言っていた傭兵の男がです。それだけの価値はあると彼が言っておりましたのでね。ならその通りにして箔をつけたいのですよ」


「ふむ……」


 もったいぶりながら、侯爵は二人を見る。

 その凍えるような冷たい視線に、マークの母テルザが、痛みを堪えながら懇願した。


「ど、どうかこの子だけは! 慈悲を、慈悲を下さいませお義父様!」


「こう言っているが、どうだ」


「さすがにこれ以上はお安くできません。二人セットで一本。四分の一程まけた上でこのレートです。これ以上値下げされたら、さすがに私も侯爵閣下の器量を疑わなければならない。どうか、そんな不敬なことをこの愚かな私めにさせないで頂きたい」


「くくく、モノは言いようだな。しかしまだ一つ分からん。何故、この二人だ」


「付加価値です」


「ほう?」


「その二人は、侯爵閣下の元でそれ相応の教育を受けられたはず。これは、きっと彼が望んでもそう易々とは得られない、高貴なるものを穢す野卑な欲望を擬似的に満たす要素になりましょう」


 不思議なほどに口が回る。

 偶々、リアルでは面接の訓練をしていたせいだろうか? 耳障りの良い言葉を並べ、まるで本心のようにして演じてみせる技量は現代では必須だ。

 これは言わば、試験官との騙しあいと酷似している。


 他人の心根は誰にも分からない。

 話しても分からないのだ。

 そう、本当に相手を理解しようとすれば長時間接するしかない。

 心理学者やメンタリストでも呼んで来れば別かもしれないが、多くの人間様はその時の感情や境遇でそれを判断し、自分が信じたいように信じる。


 勿論、侯爵閣下殿は俺を信用などしないだろう。

 胡散臭すぎるし、何よりも馬鹿な平民の話を聞いてやっているという程度の感覚でしかあるまい。


――だが、それはまったく問題ない。


 向こうが大事なのはアーティファクトが本物で、それがいらない人材を切り捨てただけで本当に手に入るかどうかだ。

 欲を出すなら、より安く、より確実に俺をその気にさせたいといったところだろうか。

 俺の大前提は、アーティファクトが喉から手が出る程に欲しいものだという事実のみ。


 何せ本来の価値がどれだけかは分からない。

 だから、マークを女だと誤解してアホなことを言い、向こうの『俺を騙せたまま交渉を終らせたい』という気持ちを利用するのだ。


 ぶっちゃけ、俺は損をしている。

 数が限られた代物と、人格はともかく代替が存在する何か。

 俺が正気なら、間違いなくこんな取引には乗らずにもっと吹っかける。

 それでも乗る振りをするのは、今はこれしか手が無いからだ。


 当然、下手に二本目を出すような素振りをしてはならない。

 相手は値を吊り上げるだろうし、交渉後に響く。

 てか、なんだそこ階段の男。

 分かりやすいぐらいに歯軋りするなよ。

 嘲笑いたくなるだろうが、この下種め。


「――ですから、私は二人が純粋なエルフではなくても彼が満足してくれるのではないかと思ったのです。無論、侯爵閣下が乗られないのであればしょうがありませんので、交渉権を礼として受け取り、このままここを去りましょう」


 欲しいのは金ではない。

 ここで欲を取れば揚げ足を取られかねない。

 失敗した場合はそこまでだ。

 俺はどこかに売られ行く親子が泣き叫ぶ様をこれからの人生で想像し、げんなりしながら生きていかなくてはならなくなるのだろう。


 地味に嫌だね。

 なんだ、その精神的に胸糞の悪い未来は。


「一晩、考えさせてもらえないか」


「いえ、それは無理です」


「何故だ? 急ぎの用事がないならここに部屋を用意するが」


「そこのご子息様が、何やら私をとても怖い顔で睨んでおいでですから。ふむ……まさか私を泊めて……いえ、失礼。私は侯爵閣下の器量を信じます。ですから、ここで即決していただきたい」


「――」


 当主が忌々しそうに振り返る。

 ブレッサとやらは、俺を睨んで真っ赤にさせていた顔を慌てて取り繕うとする。だが、どうみても隠せないでいた。


 ありがたい。

 屋敷内で亡き者にされるとか毒を盛られるとかそんなシナリオはこれで回避だ。

 身内に足を引っ張られたおかげで俺が出て行きやすい空気が出来た。


 さぁ、カードは出ているぞ。

 後はあんたが乗るか反るかだ糞爺!


 当主は悩んでいる。

 悩んでいる振りをしている。

 だが、俺としても譲歩はできない。

 だから、ちらりとブレッサに視線を向けて不快そうな顔をし、肩を竦める。


「やはり無理ですか。良い土産になると思ったのですが……そうですか。嫌われているようですし、ここらでお暇させていただきます。交渉の機会を与えてくださり、ありがとうございました」


 振り返りかけたその瞬間、


「待て」


 侯爵閣下が俺を止めた。


「まだ何か?」


「交渉を受けよう」


「しかし、良いのですか? ブレッサ殿はお怒りのご様子ですが……さすがに、私も貴族様に睨まれるような生き方は心苦しいのですが」


「構わん。この家の当主は私だ」


「おお、それでは――」


「うむ。アーティファクトと引き換えにそこの二人を連れて行け」


 無理やりにも二人を立たせると、侯爵は俺に二人を押し出した。


「慈悲を! お慈悲を下さいませ!」


「さっさと出て行け!」


 執事殿にアーティファクトを渡した俺は、二人の腕を引っつかむと無理やりに引きずっていく。母親殿が当主にマークだけでもと叫んでいるが、やはり無視だ


「行くぞ」


「嗚呼、嗚呼ぁぁ――」


 そうして、真昼に美しき未亡人エルフの泣き声を無視して扉が硬く閉ざされた。

 泣かせた犯人は俺だ。

 これはこれでげんなりするような出来事だ。

 エクスカリバーさんとショートソードさんを見れば、二人して肩を竦めていた。


「とりあえず、できるだけ早く街を出るぞ」


「それが賢明かと思われます」


「マーク、睨みつけてないで母親を泣き止ませろ。ただ、嫌そうな顔はそのままでいい。このまま逃げ切るぞ」


 長く居たところで嫌な予感しかしないので、二人に小声で言ってやる。

 そうして、驚く親子を無視して俺は玄関先でわざとらしくのたまうのであった。


「さっさと付いて来いこのグズども! 奴に渡す前に二人して味見をしてやる!」


 大声で言っててアレだが、マジ最低だなこの台詞。

 男としての品格が疑われる台詞ベストテンに間違いなく入るに違いない。

 嗚呼、エクスカリバーさんのその度し難いモノをみたような目が悲しい。

 これはただの演技だ。




 とにかくしなければいけないことは、一刻も早く行方を晦ますことだった。

 屋敷に向かう前に、マーク観光大使の説明によって目星をつけていた俺は、まず当座の金を手に入れるために武器屋を探した。


 そうして、一度人気の無い裏通りに入りマーク少年と母テルザに説明しつつ、インベントリ内の刃こぼれしていたロングソード二本を修理。

 更に八本ほど増やして、武器屋に売り現金を作った。


 まずは現金だ。

 これが無くては始まらない。

 その後はすぐに服屋へと向かい、旅に出られるような服と顔を隠せるような外套や下着類の予備を買わせる。それが終れば靴だ。


 貴族が見栄えのために履くような婦人用の踵が無駄に高い靴などいらない。

 実用一点張りのブーツを買わせる。


 食料はある。

 少なくとも魔物の肉だけは腐るほどにあった。

 これは次の街までとは言わず数年分はあるだろう。同じく水もどうとでもできる。

 問題は細々とした雑貨だが、地図やリュックなどの直ぐに見つかったモノだけにする。


「後は……」


 強いて言えば馬車と馬が欲しい。

 欲しいが、そこまでの金はない。

 稼ぐことは不可能ではないと思うが、時間が掛かりそうだし掛ければ掛けるほどに補足されやすくなる。適当にどこかで一泊することも考えたが、街ぐるみがもっとも怖いので却下。


 予想以上に時間が掛かり過ぎている。

 マップで警戒してはいるが人が多すぎてほとんど機能しない。

 索敵圏内に人が多すぎるのだ。

 見ていても疲れるだけなので気休めとし、前を行く俺とショートソードさんと後ろを守るエクスカリバーさんで二人を挟んで人ごみを書き分けて街の西へと移動していく。


 最悪のシナリオがあるとすれば、それは一つ。

 あの野卑な男が勝手に動く程度なら問題にさえならない。

 奴なら仕掛けられたら全力で潰せば良いだけだからだ。なにせ、俺は死体を消せるのだ。

 誰も居ないなら行方不明にして終らせられる。

 だが問題はあの当主の腹の内だ。


 何も無ければいいが、最悪の場合危険なのはマークだ。

 きっとあのマクシミリアン侯爵は、テルザも始末したいが最悪は彼を優先するだろう。

 何せ少年は侯爵家の血を引いている。勘当しようとその事実は消えない。

 妙に深読みされて、もし追手を差し向けられたとしたらやはり碌でもないことになるに違いない。


 何せこれは好機だ。

 もし、ミルドとかいう奴が生きていたらテルザさんとマークを始末することで合法的に新しい嫁を迎えさせることができる。

 ならばその時、悲願である生粋のエルフを嫁にと考えるだろう。

 子供でも分かる策略だ。


「マーク、お前の父親に側室は居たか?」


「居ませんでした」


「愛人は?」


「あの人はそんな人じゃありません!」


 テルザさんが目を吊り上げながら言う。

 真実かどうかなど知らないが、居ないという言葉を信じよう。

 最悪を仮定して動けばいいだけのことだ。


「じゃあ、旦那さんはレベルホルダーか?」


「それは、はい……貴族の嗜みのようなものらしいですから」


「ちっ――」


 レベルホルダーは、生命力が低いとは思えない。

 レベルにもよるが、サバイバル技能さえあればなんとか帰ってこれると踏むことはできる。

 つまり、生きて返って来ると考えれば俺たちを攻撃する確率がより高くなるわけだ。


 なら相手の手を考えよう。

 俺ならまず人を出すとしたら東西の門を塞ぐ。

 というか、探す前にそうする。

 閉じ込めた後は虱潰しだ。


 チラリとフードを被ったテルザさんを見る。

 彼女は次の領主の妻だ。

 結婚式でお披露目されていてもおかしくはない。

 この街の人間、特に兵士たちなら見ればすぐに分かる可能性はある。

 そこでアクションがあるかどうかで図れるが……さて、ここまで考えて何だが俺は一体何と戦っているのだろうか? 想像力は豊かな方かもしれないが、ふと疑念が過ぎった。


「どうせならあの場で始末……いや?」


 俺の力量は未知数だ。

 そしてあの場には人は居ても強そうな奴は居なかった。

 というか、アーティファクト持ちらしき奴が居なかったような気がするのだが。


「マーク、領主はアーティファクトを持っているか」


「いえ、父が持ち出していましたから……」


「なるほど俺の提案は渡りに船だったわけだ」


 さて、当主の泣き所に俺のアーティファクトはヒットしたわけだ。

 ではそれを踏まえて俺に器量を見せて当主が本当に何もしないと信じるのか?

 まさか、彼はクォーターエルフであると名乗った俺をどう思っただろう?


 一応揺さぶるように家名のようなものを出した。ヒサモトだかヒサモツだか忘れたが、でっち上げたそれを素直に信じはすまい。何せ、俺の動きはきっと貴族たちのそれと違って洗練されてはいない。だから当然のように胡散臭く見えたはずだ。


 それが迷いに、最後の渋りに出たと見るべきだろう。

 結論としては何も無ければそれで良し。

 何か在ったときのための備えが今の行動。

 無論、何も無かったら黒歴史として葬ってやるだけだ。

 そもそもアラハバキッシュってなんだよ。


 門が見えてきた。

 入ったときの東門は、袖の下で繰り出した金のインゴットによりやり過ごしたが、さすがに二度と同じ手は通じまい。

 そう、思っていたのだがどうやらそうでもないらしい。

 前に居た商人が袖の下を出してすぐに検問を突破したのだ。


「待て!」


「これを」


 スッと流れるような動作で差し出す。

 一瞬驚いた門番は、コクリと頷き仲間を誰もチェックせずに通してくれた。


「……検問の意味がないな」


 後ろで見ていたマークとテルザ夫人が呆れていたが、とにかく俺たちは何も無く突破してしまった。


「これは、当主が動かない可能性が高いか?」


 街道を北西へ。

 昼飯を食べていないことさえ忘れて進んでいると、背後から猛スピードで馬に乗った集団が駆け寄ってきているのに気づいた。

 先頭には、髭と髪を伸ばした屈強そうなタフガイが、部下らしき人物を引き連れてやってくる。その男は、一本の抜き身の長剣を掲げていた。


「我が主!」


「アッシュ君!」


「ああ――」


 こんな魔物も居ない街道で、抜き身の剣を持つなど怪しすぎる。ブレッサの手のものか、それとも当主の手のものか。

 緊張しながら、俺はイシュタロッテに手をやり抜こうとした。


「マーク! テルザ! 私だ、ミルドだ!」


「この声、父さん!?」


「あなた!?」


 ……なん、だと?

 一瞬、俺とエクスカリバーさん、そしてショートソードさんは背後に庇った二人に視線を向けた。


「本物か?」


「は、はい」


「ええ、あの声は間違いないわ」


 俺の質問に、二人はコクリと頷いた。


「待たれよアラハバッシュ・ヒサモトゥ殿! 貴方のアーティファクトを返還する。だから私から妻と子を奪わないでくれ!」


 剣を振りながら近づいてきた男は、悲痛な声で叫んでいた。

 彼は、こちらが警戒していることを理解し、背後にいた兵士と思わしき一団を止めると引き連れたまま単身馬から降りたった。


 息を切らせたまま、男が駆け寄ってくる。

 着の身着のままという有様だった。

 髭は伸び放題で、貴族というよりは傭兵のようにワイルドになっている。

 きっと難破した船から家族への思いだけを武器に帰還したのだろう。


「頼む、妻と子を、返してくれ……この通りだ!」


 俺の目の前に跪き、男は代価として渡したアーティファクトを恭しく掲げてきた。


「――マーク、奥方殿。どうやら、俺の助けはいらないらしいな」


 二人の背を押し、進ませてやる。

 すると二人は、自然と夕日の光を浴びながら駆けていった。

 男は、アーティファクトを地面に置くと、二人を抱きしめ涙を浮かべながら顔にキスの雨を降らしていた。


「エクスカリバー、ショートソード……行くぞ――」


「了解です」


「はーい」


 バサリと、わざとらしくミスリルコートを翻した俺は、仲睦まじい親子に背を向けて夕日に向かって歩き出す。


「ま、待たれよ! アラハバッシュ殿! このアーティファクトは――」


「マークの父よ、ブレッサとやらがお前の妻を狙っている。そして、お前の父親は二人を排除しようとしている。それを使って二人を守ってやれ。でないと今度こそその二人、このアラハバッシュ・ヒサモトゥが二度とお前の手の届かぬ国へ攫ってしまうぞ――」


 一度だけ振り返り、俺は偉そうに言いたい事だけ言うと、コートのフードを被って再び歩き出した。


「アラハバッシュ殿……」


「アラハバッシュさん……」


「アッシュさん、ありがとうございました! 僕、貴方のこと一生忘れませんよ!」


「マーク、俺のことは忘れて強く生きろ。誇り高きエルフの血を大事にして……な」


 右手を挙げ、仲睦まじい家族に背を向けて歩いていく。

 しばらく無言で歩いていると、ショートソードさんが言ったのだ。


「結局、アッシュ君の余計なお節介で終っちゃったね。全力で空回りだよー」


「しかもアーティファクトを無償で差し出し、あまつさえ買い物の代金さえ請求しないとは。その度量、感服しました我が主。一時は腐れ外道にまで落ちたのかと勘繰ってしまった浅慮な我をお許し下さい」


「――ふっ。勘違いするのもしょうがないさ。今の俺はお前たちのよく知るアッシュではない。通りすがりのクォーターエルフ、アラハバキッシュ・ヒサモトだからな」


 こうして、今日という日の茶番は終った。

 俺はフード越しに夕日に照らされながら思う。

 二度とあの街には足を踏み入れられないぞ、と。


 これじゃまるで、教室にテロリストが攻め込んできたらどうするかを考えて備える想像力旺盛な知的遊戯愛好者じゃないか。


 本当、マジで誰か教えてくれよ。

 俺は今日、一体何と全力で戦い、抗おうとしていたんだ?

 結局、マークたちが無事に済んだことだけが今日の俺の報酬だ。

 それはそれで面倒ごとが終ったので別に良いことなのだが、困ったことが一つだけあった。


「――畜生、今日も野宿だ」


 これで何日目かなんてのはもう、俺はすっかり覚えていない。

 何故か、無性にエルフ・ラグーンに作った風呂が恋しかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ