第八十六話「彼女が求めた転生幻想」
『そんな馬鹿なっ!?』
レヴァンテインズが唸りながらアッシュの前へ出る。
その時、反射的にさし伸ばされた左手をアッシュは右手でしっかりと握りしめた。
眼前。
二十メートルと離れていないその距離に、爆発的な力の集束が観測できる。
アッシュにも、それは視えた。
それは、確かに彼女だった。
完全なる一色に染まった莫大な量の想念の塊。
それ即ち。
『『終焉』の……集束点!? どうしてこんな至近距離で復活するんだ!? 真逆――』
それは、疾走し続けたモノがやがて至る地平。
終わり<エンド>の概念。
その、誰も逃れられない、意識から外すことさえできない概念を帯びた想念が集束する。
やがてその塊は、三千大連結世界の魔力と反応し、確かに一つの形を作り上げようとしていた。
十秒もない。
或いは一瞬だったのか。
二人の眼前が、可燃物など何もないのに発火している。
暗黒の宇宙に生じるは炎の紅。
その中から当たり前のように現れるのは、黒い人影。
黒い髪に黒のセーラー服を纏った少女。
レイエン・テイハの転生コードを完全にその身に宿すレーヴァテインだった。
『――そのまさかだよ。逆に言いたいぐらいだ。どうしてボクが初期化された程度で消えなければいけないのかってな!!』
『おいっ!! 話が違うぞレヴァンテインズ!!』
『……バックアップ? いや、ミラーリングからの情報復元? いや、だとしても……』
『――そんな機能は知らない? 馬鹿をいっちゃいけないぜ昔のボクよ。転生が存在するなんてことを知っているならさ、自分の転生者対策を取らないわけがないじゃないか』
結局はただの死んだふりで、イベントを盛り上げるための小細工でしかなかった。
他の思惑も零ではなかったが、しかし。
レーヴァテインの目的は最初から最後まで一貫している。
ただ、それだけのことだった。
『あーっはっはっは!! クロナグラのラスボス完全復っかぁぁぁつ!! どうする二人とも!! ボクはまだ手札を残してあるぞ! 勿論そこのアッシュを、お前たちを消し去る意思も健在だぞっ!!』
『……最悪だ』
『最悪を通り越して悪夢だって。あいつは、未来のボクなんだぜ』
その瞬間、レヴァンテインズの手が微かに震えたのをアッシュは感じ取る。
単純な経験ではもはや比べものにならない程の差がある。
そもそもレヴァンテインズを設計したのはレイエン・テイハだが、完成させたのはレーヴァテインだ。
ウィザードに改造されたとはいえ、そもそもオーバーブーストさえもが彼女が設計して秘密裡に搭載していたのだ。
もとより、彼女と対峙するつもりではあった。
あったが、しかし。
『――ここまで全部、君の予定通りってことかレーヴァテイン!!』
『いいや。ここまで全部、ひたすらにボクたちの予定は無視され続けたぞ』
言いながらレーヴァテインは反芻するように虚空を見つめる。
『本当にさ、こんなことになるとは思ってもみなかった。嗚呼、長かったなぁ……』
吐き出される言葉にあるやるせなさ。
疲れたようなその声は、おそらくは嘘偽りのない彼女の本心だった。
『妹共を実装するのに数百年。同時にアッシュを作るのに更に数百年。ボクたちがつぎ込んだ時間とリソースはそれこそ莫大だった。なのに、さぁ……』
瞳を閉じる。
時間切れになる前に間に合ったはずだった。
あの日に確信した奇跡は、当たり前のように目の前に顕現するはずだった。
なのに、この実験はもはや取返しのつかない結果へと至ってしまった。
『――駄目だ。失敗だ。救済処置なんて、もはや意味がない。お前が居る限り、この実験は成功することがない。嗚呼、嗚呼、嗚呼!! 最期の最後でやってくれたなぁ妹共……いや、昔のボクよ。クリアフラグまで壊すとかもう最悪だな』
『どういうことだ未来のボク?』
『そのままの意味だってば。そもそも、なんでお前が出てくるんだって。絶対に出ちゃいけないだろオマエは。この転生幻想実験の根本が崩れるじゃあないか』
『やっぱり本当の目的は違うんだね』
あの日々を取り戻すための計画ではない。
いや、厳密に言えば同じではある。
ただ、これは終わった後の物語なのだ。
遠大で夢見がちな少女が夢に見た未来への希望の物語だったはずなのだ。
『そうだよ。だから教えていない。君たちには教えるわけにはいかなかった。理由があったからね。まあ、もういい。もういいさ。失敗なら失敗で、損切りするだけだから』
『まさか諦めるっていうのかい?』
『諦めるよ。これは奇跡を求める計画だった。針の穴に、クレーン車で上から釣った糸を通すような、そんなバカげた確率のそれだ。本物のドリームメイカーなら違うんだろうけれど、ボクには無理だ。そもそも時間がない』
『時間?』
アッシュが首をかしげる。
『時間なんて、もう俺たちには意味がないはずだろ』
『確かにボクや君は、想念神であるボクたちには意味がない。けれど、ねぇアッシュ。先にクロナグラが消えるぜ』
『――は?』
『そんな……まだ、二百年は持つはずじゃあ?!』
レヴァンテインズが唸る。
『待て、おい、どういうことなんだよそれは!?』
アッシュが言い募るが、彼女は無視してレヴァンテインズの問いに答える。
『無理だね。今のボクのリソースだと足りない。騙し騙し延命してきたけれど、この星は元の命無き星に戻る。今起こっている第二次ラグーンズ・ウォーと、アッシュがばかすかレベル上げのために魔物を殺しまくった時の補填コストでその半分もきっともたないぜ』
結局、全ては有限であるというだけの話だった。
クロナグラという、チトテス8のシステムもまたそう。
レーヴァテインが保有する、ドリームメイカーとしての資金や資材もそう。
限りがあるが故に、無限ではない。
その絶対に変えられない真理は覆せない。
ただ、それだけのことでしかなかった。
だが。
『まぁ、でもそんなのは誤差だったはずだった』
『え?』
『誤差だよ。クロナグラの生殺与奪は、そもそもどうでもいいんだから。ボクやテイハにとっては実験の成功こそが至上命題だったからね。クロナグラはそのために延命されてきたけれど、うん。君たちは求める結果<エンディング>に辿り着かなかった。求めた結末を見せてはくれなかった……』
一つの夢が終わりを告げる。
手を伸ばしたそれは、もう届かない。
もとより彼女はサイコロを一回しか振るつもりはない。
そもそも、一回しか振れない。
『ボクたち概念神はある種の特異点だ』
『可能性の集束……』
『そう。現在、過去、未来、並行世界。それら全てから想念を得るということは、ボクたち概念神はこの三千大連結宇宙において一柱しか存在できないという証明でもある』
何せその概念はブレない。
ただの念神なら、並行世界別でそれぞれ伝承が違うから存在できるが彼女たちはオンリーワン。
Aという世界があって、次の瞬間にどちらかの手を上げるとする。その時、右手を上げるレーヴァテインが居る世界Bがあるとしたら、左手を上げるレーヴァテインがCの世界に居る。
だがそれは通常の存在の話で、実際には彼女は存在できない。
存在できるのは実際に手を挙げた世界のみ。
両方居るなんて選択枝は、矛盾であるが故に消え失せる。
何故なら、終焉の集束点は一つだけ。だから二柱同時に存在などできない。この絶対のルール故に他の可能性は消え去るのみ。
『馬鹿な、不確定性原理は!! そもそも未来は不確定のはずだ!!』
『普通はね。でもボクたちは例外だ。だから未来は一つしかない。ボクたちが通ったら確率は、可能性が集束しちゃうから』
選んだ選択肢で未来が固定されていく。
過去に戻ってもそれは別の世界でしかなく、別の次元の可能性が一つ集束するだけで結局は戻るのではなく前に進み続けるだけ。
並行世界もそれは同じで、そうして分岐世界の可能性さえも消し去りながらただ前に進み続ける確立破壊の走破者。
それが概念神。
概念からの想念を得る者の末路。
考えてもみよう。
クロナグラにレーヴァテインはいた。
つまりそれは、ある時からレーヴァテインが居ないクロナグラなど存在しないということでもある。
特異点であるが故にすでに他の可能性は全て消え去っているから。
そもそもアーク・シュヴァイカーの転生コードを見つけられなかった時点で、その存在証明は絶望的なのだ。
故に概念神は特異点。
二つと存在できないが故に、可能性を収束させる運命固定者と成り下がる。
『まぁ、確かにサイコロの目は振れば次の結果は変わるだろうけれど。でもそれはやり直すとかじゃなくて、ただ単純に二回目、三回目って続くだけだ。同じ時は二度と訪れない。でもボクもテイハもそれは望んじゃいなかった。そもそも全ては別物だから。なら意味がないよね』
求めたのは、たった一回の偶然のような奇跡で、確率を無視した絶対運命。その証明。
それこそが、ただの我儘な少女が求めた夢の前提条件。
『テイハの求めた転生幻想は、そもそも論理的に考えれば到達不可能だ。確率で考えれば届かない。届くには遠過ぎる。けど、でもね、それでもあの瞬間に成功を確信したのさ』
百回中百回、どうあがいてもその結果が出るだろうと。
だから、その結果を観測することがレーヴァテインの役割。
しかし結局はそうはならなかった。
少女の勘は外れ、現実はこうして彼女の夢を裏切った。
『ねぇ、どうしてだい灰原 修二君』
『そういう運命だったってことだろ』
アッシュには分からない。
分からないから、その運命を感じさせた彼は彼女の確信を裏切るのみ。
『ハハっ。薄情だなぁ。その確信をテイハに与えた君が言うなんてなっ!』
『俺が、与えた?』
『君がくれたんだよ。夢に見せてくれたんだ。あの瞬間、確かに君が彼女にさ』
『馬鹿な、そもそも俺はレイエン・テイハに会ったことなんてあるはずが!!』
『直接は無い。けれど、言葉は交わしたんだぜ。君が学生時代、ショートソードとロングソードがカンストするその前に』
だがやはり、アッシュには覚えがない。
こんな特徴的な相手を。
『レヴァンテインズ、何か、何か知ってるか?』
『直接は知らない。けれど、記録としては知っているよ。アッシュは話しているんだ。間違いなく生前のレイエン・テイハと。だからこの計画は始まった……らしいよ?』
『嘘だろ。ならなんだって俺はそんな大事なことを覚えてない』
『結局、その程度だったんだってことか。だから、だから届かなかったんだ』
大きくため息を吐き出して、レーヴァテインはうなだれる。
『――可能性をありがとうって、テイハは言ったはずだけどなぁ』
『可能、性?』
その時、確かにアッシュの記憶がざわめいた。
同時に、自分の記憶という名の記録からその瞬間を探し出す。
はたして、確かにその瞬間は存在した。
記憶の片隅にたしかに残っていた。
『まさかドリームメイカー社の、テレフォンアンケート企画の……』
『そう、それだ。やっと、やっと思い出してくれたね』
『じゃ、じゃあ。まさか、本当に俺は……』
『話していた。話していたよ修二君。レヴァンテインの声優として、テイハは君と!!』
そこからは言うまでもなかった。
それは、絶対に忘れるはずのない記憶だったから。
それだけ大事な、人生で短くも焦がれた瞬間だったから。
――無現転生オンライン。
ドリームメイカー社が作り出した、バーチャルダイバーを用いたフルダイブ式オンラインゲームにして、アッシュに与えられたゲーム補正の原型となったゲーム。
その中で、声優はもとよりイラストレーターが公表がされていないキャラが何人も居た。
レヴァンテインはその一人であり、原画家と声優。そのどちらもが公表されていなかった。だから、彼女の名前をアッシュは知らなった。
『もし、もしもの話しだけどね。修二君が異世界に生まれて、冒険者だったりなんかしてね。それでゲームみたいにツクモライズが使えて、更にあの娘を、レヴァンテインを持っていたらどうするかな?』
冗談のような問いだった。
ゲームのアンケートが終わった後で、雑談のような話の中に織り交ぜられた転生ネタ。
それらを聞いて、アッシュは答えたのだ。
『……いいですよ。転生してレヴァンテインが側に居たら声優さんの言う通りアタックしてみますよ。実はその、キモチワルイと思われるかもしれないですけど、あの娘は俺の、初めての二次元嫁なんで』
その解答が、おそらくは彼の今生の始まりだった。
『じゃあ、まさか、この計画は、テイハの求めたこの計画は――』
『アッシュ?』
うろたえるアッシュに、レヴァンテインズが問う。
だがもはや、そんな余裕は彼にはない。
それは、他愛のない世間話だったはずだった。
しかしそれがすべての始まりというのなら、繋がってしまうのだ。
『だから、だからあんたがラスボスなのかっ!!』
『そうだよ修二君。いや、このシナリオの『プレイヤー』君。だから君はもう、デッドエンドしか辿れない』
『クリアできる訳がない。だって、それじゃあ――』
記録しか知らないレヴァンテインズがアッシュを胡乱下に見る。
あの、紅の少女ではなくて、昔のレイエン・テイハのコピーでしかない彼女を。
『ねぇ、一体なんなのさ。結局はあいつを倒せば終りって結論じゃないの?』
『違う、前提が違う。戦う必要なんてなかったんだ。俺も、君も……こいつとはっ!!』
レヴァンテインズは知らない。
記録だけでその時の記憶はないから。
それを知らせるわけにはいかなかったから。
『昔のボクよ。どうして、ボクは君に教えなかったと思う?』
『だから、なにがだよ。いや、そもそもボクは目的が分からない。お前は、テイハは何をしたかったんだ?』
『『転生幻想』だよ。ただし、これはボクではなく君の、君の中のあの娘の物語のはずだったんだ』
『あの娘?』
『レヴァンテインだ』
振り絞るように、アッシュは彼女の名を口にした。
『転生幻想……そうか。俺だけじゃないんだな。だからあんたらはあの娘たちを作ったんだ……』
アッシュはようやく理解した。
そしてそれを彼女は肯定する。
『そもそも君はアーク・シュヴァイカーじゃない。テイハの愛した彼じゃあない。どこまでいっても別人で、そんなまがい物にくれてやる愛はボクにもテイハにもないんだよね』
『だから、だからあんたらは自分の転生体を用意したのか!!』
元は自分で、しかし違う自分。
アッシュのイメージと、ゲームの設定と、二次設定やその他諸々を組み合わせてフィルタリングし、自分でありながら自分ではない、細分化された別人たるレヴァンテインたちを彼女たちは用意した。
本命はレヴァンテイン。
仮に外れたとしても、あの武具っ娘たちのだれかであったら計画は完遂されていた。
だが、そうはならなかった。
『ちょっと待って。それじゃあレーヴァテインがラスボスだっていうのは、レヴァンテインが君からアッシュを取り上げるための最後の障害って意味でだったの!?』
『うん。ボクが維持していたラインを切り替えて、その上でロマントリガーを解放すること。それがクリア条件だった。けど、もう、ダメだ』
クリア不可能だ。
だって、もう、ネタ晴らしをしてしまった。
求めた結果は、転生したアッシュと、転生したテイハが真の意味で結ばれること。
たった、それだけの話だったのに。
盗まれ、利用されて、想念で操られて、最初からすれ違った。
それでも、最後には愛が勝つと信じたかったけれど。
結局はこの様だ。
『オマエはボクだ。昔のボクだ。仮に今からお前が分裂しても遅い。だってこれは二人の意思でそうならなければならないものだ。でないと嘘だろう? ボクに勝つためだけに一等大事な女の子のそれを台無しにするなんて在り得ない。夢がないし何よりそんなものは嘘っぱちだ。そんなものに、そんな偽物に価値なんてあるものかっ!!』
嘘っぱちの結末なんて、そんなものは求めていない。
少女の夢は、奇跡のような愛に溢れていて欲しかった。
たった一回のサイコロの目は、だからただの偶然であってはならなかったのだ。
生まれ変わっても一緒になれると、来世でなら二人一緒になれるのだと、転生に見た幻想の結実をこそレイエン・テイハは望んでいた。
希望に祝福された、愛の物語であってほしい。
そうと思う少女の夢は、しかし、もう二度と取返しの付かない結果へ辿りついていた。
だから、もうこれ以上レーヴァテインにできることはない。
新しいイベントを起こして、二人の仲を進めるような、強大な敵を与えて結束させるような、二人で障害を越えていく中で気持ちを育ませるなんてこともできない。
それにもう確信してしまった。
灰原 修二はもう、彼女<レヴァンテイン>を愛せないと。
都合の良い道具にはできても、二次元嫁だと嘯けても、彼女に真実の愛を向けたりはできない。
彼の中にあった少女への幻想は消え果て、ゲームにのめり込んでいた頃の情熱さえ失っている。
――確かにレヴァンテインが好きではあろう。
その気持ちに嘘偽りはきっとない。
けれど、それはライクであってラヴではない。
そして今のレヴァンテインズは、アーク・シュヴァイカーと灰原 修二の違いを知っているが故に必ず破綻する。
『結末は見えた。未来のボクが灰原 修二を愛せない以上、過去のボクじゃあ代替にはならない。もとより、そんな偽物も本物も混同するような奴がボクだってだけで許せない』
生涯愛する男は一人でいい。
だからその先なんていらなかった。
レイエン・テイハは自分の想いを人生をかけて真実にした。
だから延命など、するはずもない。
できるはずもない。
だから続きを受け持ったレーヴァテインがここに居るのだから。
可能性の観測こそが彼女の使命で。
ゲームマスターである彼女の役割だったのだ。
『――はぁ。愛は苦いなぁ。こんなに苦しいなら愛なんていらぬわと吠えたい気持ちもわからんでもないぜ』
レイエン・テイハは彼への愛を本物にした。
だから身代わりとして全てを見届ける覚悟でもって、妹<次の自分>の未来を祝福しようと思っていた。
だから、どうしても贔屓にしたものだった。
――お姉ちゃん。
未来の自分を姉と呼んでくれたレイエン・テイハの希望たる紅の少女。
他の分身を作るために、削られに削られたペルソナの残りかす。
人格は薄過ぎるほどに薄くなり、まるでそれが自分の一部だったなんて信じられない程に無感動だ。
けれど、それでも。
彼女の妹は他の娘たちにも負けないモノを確かに持っていた。
削られたはずなのに、あの娘の思いは他の誰にも負けはしなかったのだ。
自分たちの得た個性を捨ててまで、レヴァンテインズなんてものを呼び覚ましてしまう程に。
『でも、まぁ、こんな麻疹みたいな葛藤も今日で終わりだ』
実験は失敗で、クロナグラでやるべきことはもう何もない。
本当は、A計画の完遂と同時に終わっていたはずだった。
けれど、転生に夢を見た瞬間からクロナグラの命は延命されてきた。
しかもそれもおしまい。ただひたすらに望む結末を待つ日々はこれで終わるのだ。
『そう、終わるんだなぁ……もう』
『『ッ――』』
対峙する二人の眼前で、己の集束点を稼働させるレーヴァテインの力が更に膨れ上がる。
『アッシュ!!』
『ッ応!!』
それに抗うべく、レヴァンテインズがアッシュを取り込む。
『――オーバーブースト。想念を反発させて対消滅時のエネルギーを出力に増幅転化させる狂気のシステム。レヴァンテインと灰原 修二の愛の証明になるはずだった機能――』
だからこそ、本来はロマントリガーを引かなければ発動するはずのない特殊兵装。
秘密にされていた、ラスボス<レーヴァテイン>を踏み越えるために用意されたラスボス特攻兵装。
『それを、こうして、こんな形で見せつけられるなんてなぁ』
レーヴァテインは悔しかった。
怒りを通り越して、ただ悲しかった。
現実は強靭で、夢は儚い。
それでも手を伸ばした日々は、これで終わるのだ。
この後には、オリジナルのレイエン・テイハの変わりにドリーマーたちの手伝いをしなければいけない。それが、ネットワークから様々なものを得た彼女たちの決めた恩返しだったから。
けれど、その前に。
『終わらせるよテイハ。現実は、やっぱり手ごわかったけれど。うん、それでも――』
ただ、半分だけは証明されたと信じたい。
転生した自分はきっと、それでも、アーク・シュヴァイカーの転生体を愛していたはずだ、と。
『――やっぱりちょっと、望む結末のために右往左往するのは楽しかったと思うから』
だから、この夢を彼女は尚更終わらせなければいけないのだ。
オリジナルのテイハのためではなく、今度は自分自身<レーヴァテイン>が前に進むそのために。
『おいレーヴァテイン! もう、もう止めにしないか! 俺たちが戦っても何の意味もないじゃないか!!』
『そうだね』
意味はない。
そんなことは彼女だって知っている。
『でもさ、もう関係がないだろう?』
『えっ?』
これは損切りだ。
これ以上、資産とリソースを食いつぶさないための、自分を停滞させないためのただの八つ当たりでしかないのだから逆に言えば止める理由さえもない。
『そもそも君たちを放置する理由がない。だって、放っておけばクロナグラを少しでも延命させようとするだろう?』
『あ、ああ。それは当然だろ』
間違いなく、灰原 修二はそうする。
それ以外の選択肢は彼にはない。
彼はそう簡単に切り捨てられるような性格をしてはおらず、生暖かくも流されながらなんとはなしにできることを探して実行する。
そんな男だ。
だからそうやって、レーヴァテインの神経を逆なでし続けることだろう。
そんなことはサンプルに許されない。
だって彼女こそクロナグラ最期の造物主。
最後の神だ。
だから、放置などしてはおけるはずがない。
神は絶対的に我儘で、それ以外の全てを蹂躙する権利を持つが故。
『ダメだね。終わらせて前を向こうってボクにとって、ここが残ってるのは精神衛生上非情によくないし。それに『新生』の集束点を回収しないといけない』
『新……生?』
『……ボクの集束点だ』
レヴァンテインズ、『新生の魔刃』の心臓部。
概念神たる彼女の、それは三千大連結世界に一つだけしかない超希少品。
来るべきマジョリティとの闘いのために、マイノリティであるドリームメイカー側に立つ彼女としては決して見逃せない戦略物資だ。
『そら、ボクには理由があるぞ。これ以上損をするつもりはないからさ。ゲームオーバーだね。嘘つきのサンプル<モルモット>――』
そうして、レーヴァテインは虚空からアーティファクトを取り出した。
それは剣だった。
名前など知らない。だが、その次の行動でアッシュは目を剥いた。
『――ツクモニオン・オーバーブースト』
『『馬鹿なッ――』』
燃える。
燃え盛る。
ガソリンに火種を混ぜた程度のそれではなく、核ミサイルを起爆したかのような隔絶した火力で。当然のように出力を増して、アッシュたちのそれと肩を並べて見せる。
『驚くことじゃあないだろ。君たちに与えた機能の全ては、ボクがこの身で試しているんだから』
ツクモニオンも、オーバーブーストも、ツクモライズも、ユーミルネックもスキルもアイテムボックスも何もかも全て、彼女とテイハの作り上げたシステムである。
夢のために用意したそれら全てが彼女の持ちえる戦力であり、彼女が先代たちから受け継いだ物全てが彼女の力。
その差は、まさしく歴然である。
『――でもそれ、使い捨てだろう?』
『そうか、俺とは違うはずだっ!!』
『そうだね。第三種想念神じゃあない。第一種想念神は消化したらそこでおしまいだ。でも何か忘れていないか二人とも』
『……なにをさ』
『リストル教徒の馬鹿は、保有していた全てのアーティファクトをツクモライズして防衛戦力として使っていたんだ。で、ボクは一回お前たちに破壊された』
『おい、まさか……』
『全部インベントリに入ってるぜ。んー、多分、一時間ぐらいかな? 君たちのそれが爺のせいで使えるってだけなら、時間制限辺りが仕込まれてるはずだ。切れるぐらいまでなら多分、余裕で持たせられるはず。なーに、心配しないでよ。失敗したら今度は知り合いの魔神たちを連れてきて、鹵獲するまで狩り続けるだけだからさ』
『おい、おいおいおいっ!!』
『最悪だ。一対一ならともかく、多勢に無勢だと君が居ても逃げ切れないぞ……』
『というわけで、だ。初めようか第二ラウンドを。言っておくけど、ボクに負けてやる理由はないぜ。無くなったからね。だから、さ――』
にっこりと、場違いな程の笑みを浮かべてレーヴァテインは宣言した。
『――全部もう廃棄するぜ。ユグドたん、最上位命令だ。君のデータとすべてのクロナグラのデータを爺の所に転送しろ。その後、惑星維持用の施設を監視衛星も含めて全て自爆だ。クロナグラはもう終わらせる。終わらせて次に行く』
『了解ですぅ。やると思ってデータは既に転送済み。あそーれポチッとな!』
瞬間、クロナグラの空と大地が輝いた。
――ペルネグーレル海岸。
ドワーフのダンジョン要塞のふもとの海岸で、空を見上げていた一同の足元が揺れた。
同時に、空の彼方でいくつもの光が瞬いた。
「わわっ、揺れるよソルデス」
「な、なんだ地震か?」
治療中のソルデスがおっかなびっくりギターを慣らすも、探求神がそれを否定した。
「違う。相当な地下で連鎖的に爆発が起こった……な、に?」
「どうかしましたか?」
アクレイが問うと、アナは血の気が引いた顔で押し黙る。
初めは彼女だけだった。
けれど、それからすぐに他の念神たちも気が付いた。
「……レイラインが、消えた?」
「アリマーンさん?」
「消えたぞ。星を巡る魔力の道が。これは……なんだ。まさか……パワースポットが消失したのか?」
「待って、待ってよ悪神ちゃん!! それは、それはこの星が死んだってことだよ!!」
「ああ、死んだな。この星は、今、確かに死んだ……」
「ちょ、まってや。アンタら頭が可笑しいんとちゃうか?」
ティレルが当然のように言うも、神魔再生会の念神たちは誰一人否定しない。
「むっ? 今度は体が軽くなった? これは……不味い! この重力の減少値はだめだ。星の遠心力に負けて大気が削られるレベルだぞ!?」
唯一それが観測できるアナが、悲鳴交じりに言う。
誰よりもそれのもたらす意味が分かる彼女は、膝から崩れ落ちるようにして体を抱いた。
「待ってください探求心さん。それは、それはつまり……」
「すぐには無くならん。だが、このままでは星から空気が減り続けて人が住めなくなる」
「うわーん。天変地異にも程があるよぉぉ!!」
「……行くぞアクシュルベルン」
「それしか、ありませんか」
空気が無くなるなら、あるところに逃げ込むしかない。
即ちラグーン。
だが、その数には限りがある。
逃げ場は、限りなく少ない。
「多すぎてもダメだ。生き残れるほどに人数を絞らねばなるまい」
「ですが、これは……」
「ああ。絶望を通り越したぞ。これでは、奴が勝利したとしても、もう……」
クロナグラは滅びるしかないのではないか?
続く言葉を飲み込んで、悪神が瞑目する。
彼には分かる。
仮に創造神が居たとしても、もはやどうにもならないだろうと。
創造神は世界を作れない。
念神の限界を逸脱するが故。
例え伝承を超えようと、単純に出力がたりない。
それこそ本当の『神の如き者』でもなければ。
「アリマーン。僕でもダメかい」
『無駄だ。お前の命でさえ足しにはならん。万策尽きたぞアスタム』
救世主では無理だ。
救星主か、或いは希望の聖女でも呼んでこなければこの理不尽は覆せない。
これは、それほどの危機だった。
「――ふむ」
だが、そんな中で一人だけ我関せずの存在が居た。
イシュタロッテだ。
彼女だけは、腕を組んで空を睨み付けたまま微動だにしなかった。
「やはりこれは嬢ちゃんの仕業かの?」
教皇ならこんな真似はしない。
そして、アッシュも当然星を滅ぼそうなどとはするはずもない。
であれば、それができて実行できる力を持つ者は一人しかいない。
(桁違いというか、もはやかつてのそれさえも超えておるが……そうか。お主の怒りは、星さえも終わらせる程か)
もとより、星ごと砕ける程ではあっただろう。
だがしかし。
「鬱陶しいのう。たかだか世界が滅びかけておる程度で泣きわめくでないわ。上でまだ戦っておるアッシュを信じたらどうじゃ」
「ですが……」
「のうアクレイ。あれだけ頼りまくって利用していたくせに、こういう時に掌を返すのは恥ではないのか?」
「……そういう問題ですか?」
「そういう問題じゃて。それに、ほれ。その胡散臭い眼を見開いてとくと見よ」
空が輝いている。
青空の向こうで青を赤で染め上げながら。
何度も、何度も、何度でも。
それはまるで、二つの燃え盛る太陽が空に赤い残光を残すかのようで、不思議と勇気づけられる光景だった。
「ようやくここまで来おったのだぞ」
「ここまで、ですか」
「賢人の嬢ちゃんに匹敵する程の領域へ、だ。正真正銘、この星の神の座だな」
「それは!?」
「大公爵、神は神でもあれらは破壊神だろう」
「違うな。破壊神は嬢ちゃんだけよ。あ奴の手に入れた力はその真逆ではないか」
「逆、だと?」
「ああ、やはりそうだ。あれは妾たちのような否定されるべき信仰によるものではなく、肯定されるべき想念に満ち満ちておる」
「肯定信仰? だが、それが今のこの時に何の役に立つ」
ただ、属性がプラスかマイナスかというだけのこと。
そんなもので、何かが変わるとも思え――、
「――待て、肯定だと? なら望みはある……か?」
「あるじゃろ。破壊神と対となる力であれば、それは殺すのではなく生かすためのものじゃろうて」
イシュタロッテは知らない。
終焉の魔神であるレーヴァテインの力の属性は知っていても、新生の魔刃に込められた想念の意味を。
だが、知らずとも識っていた。
その概念は、終焉<オワリ>と同じく消えることなく万人が意識せざるを得ない属性であったから。
終焉が終わりの力なら新生とは始める力。
死<終り>へとひた走り、どんづまりに向かう嘆きと恐れの力ではなく、生<ハジマル>喜びと生への希望を祝福する存在への賛歌の力だ。
だったら、人々や概念を認知した者たちが捧げる総量の差はどちらに傾くか?
「終りと始まりなら、大多数のヒトは始まりを選ぶものよ。無知であるからの。生の苦難など知らぬと、希望を抱いて生まれてくる。それが終わりへとただひた走る、生という名の地獄であろうとものう」
ならば。
想念の総量という意味においては、最終的な出力において否定信仰は肯定信仰を覆せない。覆してはならない。
「だが、やはり戦いは属性で決まるものではない」
でなければ、悪神は善神に勝利してはいない。
「そうだの。けれどだからこそ、ではないかの」
「なに?」
「この星の神は独りぼっちだ。誰も知らず、誰にも知られず、孤独に生きた嬢ちゃんは、ただの一人にしか後押しなどされまいて。だが、今のアッシュならばどうかの」
世界が危機に瀕して、皆が救いを求めている。
誰もかれもが彼女を否定している今こそ、逆に真逆の力が鮮烈になる。
「悪が居なければ輝けない善のように、今、この一瞬一瞬で捧げられる想念があやつの力となるのなら。真にヒトの願いが収束するのであれば。奇跡の一つでも起こるかもしれぬぞ。なぁ、そうではないか? 聖人たる人の子よ――」
誰よりもこの局面で力を与えられていた少年は、その言葉にただ頷いた。
両の掌を握りしめ、噛みしめるように流れ込んでくる力を意識する。
それは願い。
想念に込められた救いへのただの祈りだ。
「一理あるかもしれませんね。どのみち僕たちではどうにもならない。だから、できるとすれば彼だけ。だったら、祈るしかないのでしょうね。僕たちの祈りは力となる。思いは現実を捻じ曲げる想念となる。彼に収束させるというなら意味はあるでしょう」
それが奇跡という名の人の魔法。
念神と同じく、現実さえ改竄する神の愛に触れる祈りの力。
「嗚呼、そうだ。僕は知っている。知っていたはずだ。この場にいるだれよりも奇跡の価値を。その切実なる命の叫びを――」
故にただ、救世主は祈ることにした。
神の如き力を振るっているだろう、その男に。
あの、不可思議な武具を操る若き神に。
音は越えた。
雷も超えた。
神速を超え、魔速へと入り、今はもう光の領域へと入らんとしている。
それでもなお、無尽蔵に汲み上げられる膨大な出力に支えられるようにして、二柱の神がぶつかり合った。
教皇戦の焼きまわしではない。
その闘いは、それさえも超越した削りあいだった。
互いに徒手空拳。
本来なら一撃必殺の拳が、弾幕の如き圧力で乱れ飛ぶ。
もはや体感時間においては、二人は一昼夜戦い続けたかのような加速域に居た。
(くそったれ、五分を切ったぞ! まだこっちの方が出力だけなら有利なんだぞ? なのにどうして切り崩せない!!)
歯噛みするアッシュは、レヴァンテインズの中で歯を食いしばる。
アッシュはブースター<増幅器>だ。
己を構成する無色の想念で同化し、僅かにその身を切りながら想念を反発させてレヴァンテインズを強化する強化装置。そしてレヴァンテインズからその生命を維持する想念を捧げられているのだから、二人の関係は一種の共生関係である。
それは例えるなら凶悪な支援バフ<支援魔法>と同義。
だが、それは相手も同じだ。
足りなければ次々とアーティファクトを抜きだして、一瞬で取り込み出力へと変えていく。
『足りないならもっと消化しろ! ギリギリまで俺を削れ!』
『無理だって、これ以上やったらアッシュが消えちゃう! そうなったら本当に終わっちゃう!!』
紅の閃光と化し、クロナグラから更に上へ。
重力を無視し、その速度で爆発した衛星のデブリさえも突っ切って縦横無尽に宇宙を賭ける。さながらそれは、光の筋が延々と走ったかのような異常な戦闘風景だ。
『はっはー!! これだけのスリルは久しぶりだぞ! 希望の聖女と喧嘩したときか、生身であのちんくしゃハイエルフを半殺しにしたとき以来だぜっ!』
『ハイエルフって、まさかリスベルクのことか!?』
『あいつ以外に誰が居るのさ。精霊さえいなければ、生前のボクなら十分に生身で殺れたぜ。実際、精霊四柱をレーヴァテインで捕獲してから蹴りまくってやったっ!』
オープン回線から愉快気な声がする。
レーヴァテインは黙らない。
懐かしみながら、過去をそうやって振り切るように更に更に加速する。
その度に、消耗するのはレヴァンテインズだった。
『ああもう! 互角じゃない。互角じゃないのに、どうして一方的にやられるんだ!!』
『だから、ボクが作ったシステムでボクに勝とうってのがそもそも甘いんだってば』
眼前、迫る右の踵を両手でブロック。
反動を強引に後ろに倒れることでいなしつつ殺し、レヴァンテインズは右足を跳ね上げる。そこへ、左足の踵が時間差で振り下ろされた。
『――痛ぅぅっ!?』
衝撃。
下から上と、上から下。
人体の構造を模した二人の挙動。そこで当然のように軍配が上がったのは、上から下へと振りぬいたレーヴァテインだった。
体制が、あっけなく崩れる。
魔法による滞空維持限界は容易く突破され、その身が一気に惑星の重力へと捕まった。
『しまっ――』
『そろそろ堕ちろ。レヴァンテインズ<失敗作>――』
レーヴァテインが右腕を掲げる。
その手に集うは魔力。
作り上げるは疑似物質化させて作った急造のライフル。
――それの名は多目的魔導ライフル『レーギャルン』。
瞬間、両手にずっしりと握られたそれを黒の少女が構えて笑う。
装填された弾頭は当然、触れれば念神と対消滅する対神想念弾。
瞬間、銃身が稲光る。
――電磁加速砲身<リニアバレル>展開……クリア。
そして銃口の眼前には弾頭を加速する多重魔法陣を八枚。
――弾頭加速砲身<アクセル・ブースター>……クリア。
照準は一瞬。
給弾と一緒に終わっている。
ならばただ、星の真上から真下へと狙撃するのみ。
『――二度と取り戻せない比翼との時間と一緒に!』
引き金が引かれ、撃鉄が落ちる。
そうして、当然のように電磁加速された弾丸がさらに八枚の魔法陣を通って速度を上げた。
『ッ――』
それはもう、光だった。
紅い残光が宇宙を突き抜ける。
『レヴァンテインズ!!』
叫ぶアッシュの眼前で、身をよじる紅の少女。
『聞こえてるっての!!』
その手にはいつの間にか一振りの刀が握られていた。
その銘は『千鳥』。
常勝の雷神が帯刀し続けた、雷光さえ切り裂く名刀を模した武器だ。
その鞘が稲光る。
そして鍔の先には、八つの加速魔法陣。
『雷切り!』
鯉口が切られ、鞘で電磁加速された刃が加速魔法陣を抜ける。
瞬間、白刃が目にもとまらぬ速さで抜き放たれる。
一閃。
光の如き、弾丸を勘だけで切り払う。
瞬間、弾頭に触れた刃が衝撃と共に消し飛んだ。
想念で作られた弾丸に触れ対消滅したのだ。
『糞ったれぇぇぇぇ!!』
レヴァンテインズは止まらない。
重力につかまって落下しながら刃を再生。
一瞬で鞘へと戻し、更に抜刀。
真上からの狙撃を都合ニ十発斬り捨てる。
その間にレッドアラートが発令。
けたたましくも鳴り響き、必死に二人に警告してくる。
『鬱陶しいなぁもうっ!!』
柄から手を放し、身をねじって鞘を変化。
柄の短いハンマーへと切り替えて、その膂力で振りぬいた。
『雷神の鉄槌!!』
ワードに導かれ、刻まれたスキル魔法が顕現。
高速で狙撃手へと飛翔する。
その間に惑星内での過度の破壊を禁止するリミッターが緊急作動するのを、無理矢理自己改造して無視。投擲の勢いのままに回転しながら連続でハンマーを展開して投げまくる。
体に乗った遠心力と、魔法の加速でハンマーの雨が宇宙へと乱れ飛ぶ。
それらすべては、でたらめな軌道。
だが、魔法として発動したそれは弾道を捻じ曲げる。
『おっと!』
だがそれを、マガジンを入れ替えた狙撃手が撃ち抜いていく。
乱れ飛ぶ弾丸と槌。
不規則な機動と、点の一撃が相争う間にレヴァンテインズが態勢を立て直す。
その右手に握るのは2.7メートルの直刀――布津御霊剣。
――術式改変……クリア。
『神鳴る剣神の太刀!』
紅の雷光が天に飛翔する。
だがそれはもう、雷光さえ超えていた。
そして更に相違点を上げるとすれば、その機動は鋭角だった。
本物の雷のように、ジグザグに機動を描いて落とされた道を駆け上がる。
『おお、弱点を消したな!!』
一瞬で距離を埋め、刃を振りぬくレヴァンテインズ。
それを見て、最期のミョルニルを撃ち抜いたレーヴァテインが薄く笑う。
切り抜けるのではなく、直前での剣撃。
それを、レーヴァテインがレーギャルンを盾にして防ぐ。
衝撃。
離れる距離。
それを、魔法で背後に壁を作るようにして虚空に着地。
レーヴァテインはそのまま屈伸運動のようにして体を伸ばし、魔法の壁を蹴りながら距離を埋める。
そうして、銃のまま付きの構えで突っ込んだ。
『アタッチメント、ナイフ!』
瞬間、銃口の下に展開されたナイフが、銃剣となってレヴァンテインズへと襲い掛かる。
迫りくる点。
それを阻む直刀の線。
目まぐるしく攻防は、再び二人の戦いを近接へと移行させる。
重なり散る良く火花の残光。
互いの武器に当たり前のように摩耗し、それでもなお両者は獲物を振るう。
『アハハ! 粘るじゃない昔のボク! だが無駄だぞ。お前のがんばりなんて無価値なんだから!』
『うっさい! 黙れ未来のボク!!』
『だって灰原 修二はお前なんてただの便利な道具だとしか思ってないんだぞ? どれだけ献身を見せようが愛そうが報われることはない。いや、お前自身がそのうち見限るのは目に見えているんだ。それが無価値と言わずなんていうのさ!』
『それを決めるのはボクで、それを決めるのはアッシュだ! 不確定な未来を、さも事実のように言い切るな鬱陶しい!!』
『いいや、敢えて言ってやる。それが愛しているのはお前じゃあない。ましてやリスベルクでもなければあの人間たちでもない!!』
『――ッ!?』
『分かってるだろ? 知っているんだろう? あの時、あの瞬間からすでにそうだったんだって!』
『うる、さい!!』
口上を遮るように、レヴァンテインズが叫ぶ。
『てめぇ、何勝手に人の気持ちを推し量ってやがる! 俺は――』
『あの悪魔が好きなんだろう?』
『――』
『知っていたさ。識っていたさ。気づいていたからこそ、尚更にあいつはボクの怒りを買った!! 真っ新なあの娘を悲しませた!!』
エルフ族の想念に侵されながら、それでも彼の抱いたその気持ちは消えなかった。
ただ眠りについていただけのあの悪魔を、だから彼は目覚めるまで使い続けた。
前世の記憶のせいだけではきっとない。
アーク・シュヴァイカーのそれなら、多少の親近感を抱く程度だろう。
そして極めつけは、彼は廃エルフとしての想念で呪縛されながらもそうだった。
『そら見ろ。反論はないじゃないか』
『それ、でも――』
レヴァンテインズが歯を食いしばる。
叩きつけられた銃身を受け流し、刃を滑らせて透かし、その間隙に膝を跳ね上げる。
瞬間、予測したように跳ね上げられた相手の膝とぶつかって距離が開いた。
向けられる銃口。
それを、無理矢理片手で振るった刃で跳ね上げて反らすや、刃を引きながら獲物を変える。
手にしたのは槍。
ルーンが刻まれた大神の槍。
『知ったことかぁぁ!!』
至近距離からの突き。
防御無視の魔法が付与された投げ槍が、無数の閃光となって虚空を貫く。
『ボクが今好きだって気持ちは変わらない! 例え身代わりだったとしても、別人でもそれでも変わるもんか! あの娘たちはボクの分身だ! 細分化されたボクなんだ!だったらきっと、ボクはこのアッシュを愛し抜けるはずだ!!』
『――』
突きが穿つ。
防御魔法を貫き、障壁を抜き、想念を骨子として固着した魔力の塊を串刺しにした。
『――あ?』
レーヴァテインは抵抗せず、初めて驚いたような顔で啖呵を切った彼女を見た。
そして、自らを貫いた槍を当然のようにオーバーブーストで取り込んだ。
『――ッ!?』
咄嗟に槍から手を離したレヴァンテインズが距離を取る。
そうして、相手の取った手段を理解するよりも先に仰け反った。
それは、反射的な行為だった。
熱湯を指で触ったときのような、ごく普通の反応だ。
『あ……え?』
『な、なんだ。あいつ、今……』
知らない。
その顔をアッシュは知らない。
きっと、アーク・シュヴァイカーも知らない。
『――レヴァンテインズ。お前……つまりアレか?』
レーヴァテインの顔から、感情が消え失せていた。
いや、その感じ方はきっと間違いだったに違いない。
それは今までとは違って、ただひたすらに研ぎ澄まされた殺意であり、怒りだった。
触れてはらぬものに触れたような、そんなぶちキレた人間が晒すような貌。
『浮気って奴だな。うん、まぁ、アレだ。ボクの風上にも置けないなお前。死ね失敗作――』
瞬間、レヴァンテインズの想念を武器越しに取り込んだレーヴァテインが眼前から消えた。
そう思った時にはもう、レヴァンテインズの体が大気圏を抜けていた。
『ッ――』
血を吐き出しながら、大気摩擦で燃え上がる自分をレヴァンテインズは理解した。
『――は? なんで、俺たちは宇宙に……』
アッシュの呟きが、流れる空のパノラマに溶けていく。
何が起こったか分からず、彼は茫然と空を見た。
その向こうから、何かが横切る。
次の瞬間、真下に落ちていたはずの体が直角に折れ曲がる。
残光さえ視認できない速度域。
衝撃で抉れた大気が、雲を引き裂いていく。
まるで海を割った予言者のように。
『おい、今、何が……』
「やら、れた。近づいて、ただ殴られた……」
薄い大気に溶ける声。
痛々しいその声がかき消える。
いつの間にか、落ちていた。
落ち続けていた。
気分は人工衛星だ。
衛星軌道上を、重力に抱かれながら周回する人工衛星のように落ち続けている。
そのままクロナグラを二・三周したのではないかと錯覚する程に、一瞬で真下の大地が過ぎ去っていく。
『ざ、けんな。今まで手加減でもしてやがったのか!?』
衝撃。
視界が折れ曲がる。
もはや目にも映らない。
相手は爆発的に戦闘力を上げている。
『そ、速度が違いすぎる……あんな、あんな奴いったいどうしろっていうんだ……』
『どうにかできるわけないだろう。そんなエンディングなんて、ここから先には存在しないんだから』
声は、吹き飛んだ後に聞こえた。
今度は左。
つまりは、右から蹴り飛ばされた。
ボールのように、対等の領域に居たはずだった相手から軽々と。
そうして、いつかのような理不尽が二人を待っていた。
声が出なかった。
恐怖さえねじ伏せられて、絶望さえ無に還った。
きっと何かを感じたら、ただそれだけで正気を失う。
――レッドアラート。
タイマーが無残にも二分を切ったことを俺に知らせる。
脳髄に直接叩き込んでくる。
このままではオーバーブーストが切れる。
切れたら、もはや立て直せない。
その瞬間、コンマ数秒でもあればお釣りがくる程に弱体化する。
「アッ……シ……」
いや、今でももう、死にかけている。
辛うじて復元と防御に力を回して生き残っているという状態だ。
けれど相手はレヴァンテインズの復元能力を超えてダメージを入れてくる。
その上で、一切の反撃を許さない。
『クソゲーだぞこれは……』
「……い、じょ……」
こんな一方的な戦いは、ありえない。
あってはならない。
(どんなカラクリだ! どんなチート<ズル>だ! ふざけんなちくしょう!!)
吠える。
認められない現実を前にして、ただ吠えた。
そもそもアレは狡ではない。
ただただ凶悪な出力を手に入れただけだ。
だが、だからこそ単純に強い。
強すぎて、俺にできることが、もうない。
であれば当然の結末が待っている。
クロナグラがこのままでは滅びる。
レヴァンテインズも死ぬ。
そして俺も、想念を供給してくれている彼女が死ねば連鎖的に死ぬ。
――否、まとめて死ぬ。
(諦めるな、模索しろ。絶対に俺は死ねない。俺が死んだら、例えレヴァンテインズが生き残ってもクロナグラはそのままだろうがっ!!)
レヴァンテインズは究極的に言えばテイハだから、別にもうどうでもいいだろう。
問題視するのは俺だけ。この期に及んでどうにかなるはずだと思っているのも俺だけ。
全ては諦めきれないから。
(違う、そう、思いたいんだ俺は!!)
いつだってそう。
何もできないことが怖くて、それを認められずに俺は生きていた。
可能性さえ残せば、それを軸に安堵できる。
弱さを覆い隠して、縋りついた可能性だけを残して失敗して、できたかもしれない、なんて言葉でお茶を濁して受け入れた振りをする。
なんて惨めな生き方だ。
糞ったれ。自分で想い至ったせいで余計に腹が立つ。
だから、このまま終わらせるなんて嫌だ。
嫌だ。
受け入れてたまるか。
もう、これ以上負けてやるわけにはいかないのに!
衝撃。
軌道が変わる。
今度は右。
つまりは左から殴られた。
ダメだ、反応できない。
確立予測<ユーミルネック>も役に立たない。
予測しても、レヴァンテインズが速度に対応できていない。
予測ってことは、つまりは確実な未来視じゃないってことだ。
それ以上の相手には手も足も出せない。
『そうだ! だったら――』
可能性はある。
状況を覆せる一手は、一つだけある。
俺ならできるはずだ。
だが問題はその後。
その最後の一手が俺には――、
『ある……よ』
『レヴァン……テインズ?』
『それで、多分間違いない。逆に言えば、その手順以外での勝ち目はない。なら、後はボクがどうにかしてあげる。けど、分かってるね?』
『乗るか反るかだな。だが……』
『いいよ。あの娘が約束したじゃないか。ハッピーエンドだったっけ? ボクではないボクが言ったことだけれど君にあげるよ。ボクたちの一等大事なものも、何もかも全部――』
『レヴァンテインズ……』
言葉が出ない。
だが、それでも俺は言わなければならない。
『悪い、俺は……あいつの言った通りイシュタロッテが好きなんだ』
『うん。知ってたよ『ボク』のアッシュ――』
他の誰でもない君のことだから。
ボクたちは知っていた。
知っていたからなおさらに、あいつが嫌いで大嫌いだった。
前の君を見殺しにしたのはあいつだ。
今の君をボクたちから、テイハの夢から奪い去ったのもあいつで。
君を無自覚に破滅させようとしているところも合わせて好いてやる理由はない。
けれど。
ボクたち/私は、間違いなく貴方を愛していたよ。
『だから、これでさようなら……だね』
『ああ……。さようならだな。そして――』
うん。
『――今まで、本当に、ありがとうな』
うん。
『これだけは言える。あの娘たちとの旅も、お前ともの瞬間も、間違いなく悪いものじゃなかったって』
そっか。
ならまぁ、それで良しとしてあげよう。
お優しいボクに感謝しろよ。
その代わり、ボクを手に入れられなかったことを後悔するといいんだい。
こんな機会は二度とないぞ。
後で泣いても知るもんか。
嗚呼、でも。
やっぱり、腹が立つなぁ。
ねぇ、お姉ちゃん<未来のボク>。
残り四十秒。
時間はなく、勝機は既に彼岸の彼方。
だが、その二柱は神を前にしても諦めなかった。
最後の最後まで、自分にできることを探して、望む結末に手を伸ばした。
まるで夢見る人のように。
諦めきれずに、手を伸ばすドリーマーのように。
「時間が足りないならさ、増やせばいいんでしょうがぁぁ!!」
インベントリにアクセス。
その中から、アッシュが拾い集めたアーティファクトを適当に展開。
片っ端からその身に取り込んでいく。
『ッ――!?』
『ぐっ、がぁぁぁぁ!!』
――エラー。
不純物混入。
強制対消滅。
……オーバーブーストに異常発生。
カウント……カウント……エラー発生。
無限ループ検出。
ループアウター起動。
再計算開始。
残り、二分三十一秒。
――危険域。
無概無想念神に異常発生……強制同化……クリア。
システム、オールグリーン。
『アッシュは染まる。無色だから、最初の反発さえ乗り切れれば誰とだって合体できる』
そしてレヴァンテインズは、対消滅しようともその存在の強大さ故に、その程度の消耗なんて無視できる。
さながら、目の前のレーヴァテインのように。
『往くぞ。レヴァンテインズ!!』
『うん。往こうアッシュ!!』
だが足りない。
出力が足りない。
レヴァンテインズから取り込んだ莫大な想念と、そこらの念神のアーティファクトでは勝負にならない。
だが、それでも。
二分もあればどうとでもなる。
――衝撃。
下から上に打ち上げられながら、彼女がその手に新たな武器を抜く。
それは剣。
初心者用の短い剣。
衝撃。
背中から前へ。
その最中、ようやく手にした武器をレヴァンテインズが取り零す。
『しまっ――』
『反撃などさせるもんかよっ! そのまま死ね。消え去れ! 無価値で無意味なサンプル共っ!!』
吹き飛ぶ。
吹き飛んで、ただ吹き飛んだ。
三百六十度方向にでたらめに。
そうして延々と衛星軌道で落ち続けて、レヴァンテインズとアッシュが歯を食いしばる。
何も変わらない。
何も変えられない。
ただ時間だけがわずかに伸びて、消耗を強いられる体はひたすらにダメージを追っていく。
魔力残量が減る。
だが――それでもレヴァンテインズは笑っていた。
『お前、なんだ? 壊れたのか?』
『まさか。ボクはまだ正気、だぜ?』
体はボロボロで、目に見えて出力が落ちていく。
もう、あと一分も嬲ればそのまま消え果そうな程に、輝きは陰っている。
けれど――その紅眼は爛々と燃えたままで。
ただただ彼女は勝ち誇ってみせた。
『――だってさ。ボクの愛は証明されたんだぞ』
『何を言ってるんだ?』
『知らないんだ? ハハッ。未来のボクって案外、愛レベルが低いなぁ。そもそも――』
『そもそも?』
『愛ってのはさ、本来、見返りを求めないものなんじゃなかったっけ?』
『ッ――』
笑う。
勝ち誇るように嗤うレヴァンテインズは、やがて大気摩擦の中で予定通りに現れたそれに手を伸ばした。
それは銀色の鞘に納められた剣。
それは長剣だった。
それは、黒と白の柄を持ったクロナグラ純正の神殺しの刃だった。
『――イシュタ、ロッテ!?』
『付喪神顕現<ツクモライズ>!!』
瞬間、銀髪の悪魔が銀色の鎧をまとって顕現した。
それを引っ掴み、レヴァンテインズは転移する。
驚いたレーヴァテインは、見失った彼らを探すべくセンサーをフルに使う。
きっと、彼女はすぐに彼女たちをすぐに見つけるだろう。
だが、距離は計算してあった。
散々嬲られていたのはそのためだ。
全ての条件はこの瞬間のためにあったのだから。
『アッシュ、交代だよ!!』
『任せろ!』
――術式改竄……クリア。
――オーバーブースト・接触維持型。
瞬間、剣化したレヴァンテインズを右手に握ったアッシュが実体化。
地表に着地しながら、当然のように左手で抱いた悪魔に口づける。
ロマントリガー解放。
そうして、目覚めた悪魔が予定通り力を行使。
二人して淡い光に包まれた。
――外部より干渉アリ。
受け入れますか?
「Yes!!」
そうして、取りこぼしたように見せかけて転移した剣から説明された悪魔がその銀瞳を見開いた。
「イシュタロッテ!! 俺に眼をっ――」
『――おうともっ!! そら存分に使え我が契約者っ!!』
炎の下で淡い光が漏れだす。
契約は再びここに成り、かつて女神だった悪魔が剣となって彼の左手に納まった。
その剣はレヴァンテインズの一部で作られた鞘に覆われ、アッシュの手に逆手になって握られる。
――タイマーカウント、残り三十秒。
(やれる。こいつの眼は未来が視えない目なんかじゃない)
確かに、全ての未来において勝ち目が存在しないのであれば意味はない。
けれど、ならば。
――逆に言えば、勝ち目が在るならそれを掴みとれる眼のはずなのだ。
『チャンスは一回だ。ぎりぎり一回だけ持つ。その一瞬が勝負だぜ?』
『ぬふふ。なんともまぁ、そんな大舞台で妾を使う気になったのう』
「失敗したらお前、確実に死ぬけどな」
『馬鹿を言うな。妾が死ぬときはお主と一緒じゃよ?』
『はっはっはー。寝言は勝ってから言えっての。ボクの忍耐が切れるだろうが!』
『そう言われてものう。妾、嫌われておるし?』
『当たり前だ。むしろ好いてやる理由がないだろうがっ。まぁ……そんなお前でも、いないよりはマシだから任せるてやるってだけさ。覚えておけよエロ悪魔。アッシュに何かあったらお前は今度こそ焼却処分にしてやるからなっ!!』
『怖い怖い。そうならんことを祈っておるわ』
姦しい声の中、アッシュは深く息を吐き出す。
知っているのはただそれだけ。
かつて彼女に教わり、そして旅で得たたった一つの戦法。
だが、それだけできれば十分だった。
瞬き。
未来を幾重にも視て、見続けて、予測されうる全てに備える。
数々の未来がその間に脳裏を過ぎっては消えていく。
――蹴り殺される未来。
――撃ち殺される未来。
――燃やされる未来。
―ーバーニンされる未来。
その中で、望む未来を掴むためにひたすらに脱力。
(嗚呼、ちくしょう。気が散ってしょうがねぇ)
この先、大切なものを失う。
それが堪らなく恐ろしい。
欲張りな彼は、八方美人でも良いと思っている。
不純ではあるが、もうそういうことなんだからしょうがない。
落ち込んでは開き直って、それでも彼なりのペースで前を見て。
そうして、この先をいつものように生きていくのだ。
――この、かつて彼女と出会って別れた始まりと終わりの地で。
『ふむん?』
レーヴァテインはそれを宇宙から見下ろしていた。
『まぁいいか。心中したいならそれでもいいさ』
一秒ほど考えて、罠だろうがなんだろうが知るかと思った。
何故ならそこは良い、良い位置だった。
思い出の地。
あのロロマで彼と出会い、失ったあの場所の、その跡地。
これほど、過去を振り切って前を向くための戦いの終局にはふさわしい地はない。
『終わらせるには本当に劇的な場所だな』
破顔する。
にっこりと、勝利を確信した顔で。
敵は、きっと最後の勝負のつもりなのだろう。
一撃にかけるべく、見つけた相手はいつでも飛び出せる状態にある。
ならば、こちらは得意なアレで決めてあげよう。
『さようならアッシュ。さようなら妹。さようなら思い出の実験場クロナグラ。ボクからの最後のサービスだ。手向けとして受け取っておくれよ。この過去最高の一撃を――』
そうして、彼女は紅く燃える光の矢となった。
「来るぞっ!!」
『『――』』
彼女たちからの返事はない。
そんな暇はない。
カウントは既に十秒を切っている。
そんな中、虚空から超速で飛来する少女がいる。
炎を纏う、絶対不滅の破壊神。
「――バァァァニィィィン」
ならば、やはり。
彼女の得意な一撃が来るのは当然のことだっただろう。
「キィィィッッック!!」
それは炎。
それは破壊力の極限。
それはただの超暴力。
(避ければクロナグラは木っ端みじんか)
今の彼だとて、数秒も保ちはしない。
だがそれでいい。
数秒残れば御の字だ。
何故ならば、必殺の武器があるのは彼女だけではないのだ。
――死。
――死。
――死。
――成功。
「――ッ視えたぞ!!」
左手を背に回しながら悪魔の剣をインベントリへ。
そして落下してくるそれに向かって飛翔する。
同時に、一瞬で鎧と化したレヴァンテインズを纏い、両手を広げる。
そこへ破壊神が蹴りの態勢で降ってきた。
「それで止められるつもりかいっ!!」
「まさか――」
そんなことをしても勝ち目はない。
だが、それでも彼らにできることがあった。
当然のように抜かれる魔法障壁。
出力で負けているのは変わらず、だがしかし、一瞬の拮抗のうちに全ては決まった。
そして二人が衝突。
互いの肉を触れ合わせた。
同時に、条件が全てクリアされる。
「ッ――」
当然のようにコンマ数秒もかからずにアッシュの体の構成魔力が悲鳴を上げる。
灼熱と、落下の威力に負けて体が後退。
当然のように押し負けていく。
「だが、これで俺たちの――」
『ボクたちの――』
地表へと激突するその瞬間。
アッシュは言葉でトリガーを引いた。
『「――勝ちだ!! ツクモニオン・オーバーブーストォォォ!!』』
『はっ?』
瞬間、アッシュはレヴァンテインズ諸共レーヴァテインと合体した。
次の瞬間、彼らが着弾した大地に巨大なクレーターが穿たれた。
『く、あ、まさ、か。まさかぁぁぁ!!』
『そうだ。これしかない。これしかなかった!』
まともに戦って勝つ意味はない。
概念神は不滅だから、すぐにまた復活する。
そして勝ったらもう、味方を引き連れてくるだろう彼女に二度と勝ち目はない。
自分たち以上の戦力をかき集める土壌など、アッシュたちにはないのだ。
だったら、生かさず殺さず消滅させ続けるしかない。
破壊神とほとんど等価な出力を汲みだせる集束点で。
『後は任せて』
『ああ。今までありがとう。そして、さようならレヴァンテインズ』
『うん。さようなら。好きだったよアッシュ――』
オーバーブーストが切れる。
その瞬間、弾かれたかのようにアッシュの体が炎で燃えるクレーターの下から空へと勢いよくはじき出された。
「イシュタロッテ!!」
『応!!』
インベントリから取り出した剣を手に、生えだした翼を繰って眼下を見据える。
轟轟と燃え盛るその深紅の炎は、クレーターの中で勢いを増していく。
やがて、その炎はクレーターの外へと拡散し、世界中を飲み込んだ。
『これが、君の選択か昔のボク』
『うん。愛の極限でしょ。未来のボク』
天井知らずの出力が、クロナグラという惑星を飲み込んでいく。
――新生の炎<バース・オブ・ブレイズ>。
余剰出力をそうして外に逃がし、永劫に対消滅させるために利用する……だけではない。
その死んだ星を、人工的に環境が整えられていたその星のシステム代替となって星の命を新生させる。
それが、レヴァンテインズにできる最後の献身だった。
終焉と新生は、オワリとハジマリは、ほぼ同等の出力を持つ集束点を持つけれど、やはり新生の方が出力だけは上である。
終りへの恐怖よりも、生命は命の始まりを賛歌する。
だから。
生かさず殺さず、集束点同士を対消滅させ続けることができる。
その際、アッシュを維持する想念など彼女にとっては匙である。
たかが一柱、三千大連結世界中からの想念を持っていればいてもいなくてもその負担は誤差でしかない。
『うへぇ。参った。この結末は考えてなかった。いや本当に困ったぞこれは』
『消えようとしても無駄だぜ。想念を強制的に付与してでも死なせない。そして主導権はこっちがとった。更にお姉ちゃんはアッシュじゃないからこの合体には時間制限がない。ずっとボクと一緒に居てもらうぜ』
『おおう、完璧にハメられたわけだ……あー、うん。アレだ。負けたとしか言いようがないな。さすがボクだ。完璧な女すぎてどうして修二君が振り向かなかったのかが分からないぐらいだぜっ!』
『単純に趣味の問題っていうか、能力の問題だって。はじめから出し渋らなければレヴァンテインが負ける要素はなかったはずじゃんか』
『そんなものかなぁ。まぁ、今しばらくはこのままで居てあげよう。なぁに、そのうちボクは対策練って抜け出すぜ』
『それならボクは、抜け出せないように邪魔し続けてやるさ。アッシュへの愛が尽きるまではなっ!』
世界が燃える。
燃えて燃えて、生まれ変わっていく。
人造の惑星は、新しい心臓を得て世界中に生命を外側から支える力をくみ上げていく。
さながら、人々が夢想した神話のように。
重力が再び1G環境に戻り、星の魔力もまた戻る。
パワースポットから延びる星の血流レイラインもまた循環し、ずれた公転自転と惑星の軌道も修正された。
それら全ては、惑星のテラフォーミングで得たデータを応用した神の如き叡智の集積の応用。
それは、現実に君臨したこの星の神の最後の神話となって燃え盛る。
「まるでラグナロクだなこれは」
空の上から炎の中心を見下ろすアッシュは呟いた。
『なんじゃそれは』
「今の俺の転生コードがあった世界に伝わる神話の言葉で、神々の黄昏を指す言葉だ。あんまり詳しくは知らないけど、神々の闘いがあって、最後に魔剣で世界が燃える。んで、世界を支える大樹さえも燃えちまって、世界中が魔剣の炎に包まれるんだ」
『それは滅びの神話なのかのう?』
「どうかな。俺は違うと思う」
紅い炎が消えていく。
何も燃やさずに、終わったはずの世界を新しく始まった世界へと焼き変えたそれを見て、アッシュはクレーターへと降下する。
その中心では、未だに炎が燃えていた。
熱量でガラス状になった砂の中を神気の守りで踏み荒らし、そしてアッシュはそれを見た。
集束点がせめぎ合い、中心点で燃え続ける彼女たちの成れの果てを。
「確かに、世界は魔剣レーヴァテインで燃える。けれど、この神話には続きがある」
『ふむ?』
「怪鳥の背に乗って炎を逃れた神は生き残り、世界樹の根本の陰で炎やり過ごした人間も生き残り、そうして、焼かれた海の下から現れた新しい大地に世界樹の苗木が植えられて世界はまた続いていくんだとさ」
『なんじゃそれは。ならば結局世界は焼き尽くされておらぬではないか』
「ああ。だから多分、あれは『終り』と『始まり』の神話なんじゃないかな」
その解釈が正しいのかなんてアッシュは知らない。
ただ、そういう解釈をレイエン・テイハがしていたのではないかと思うだけ。
終焉と新生。
だからこそ、彼女たちは終わりと始まりを呼ぶ魔剣の名を冠していたのではないかと。
「――うん。ロマンがあって実に良い解釈だね。マジョリティにしては分かったようなことを言うね。感心したよ、うん」
ふと、声がした。
二人しかいないはずのその場所で。
「誰だっ!?」
振り返り、アッシュはその男を見た。
眼下にいるのは年若い少年だった。
金髪碧眼の、それこそ絵にかいたようなティーンの少年は、ジーパンとTシャツというラフな格好で歩み寄ってくる。
「僕はドリームメイカー。人呼んで『ウィザード』だよ。灰原 修二君」
「ウィザード? それは……まさか! テイハよりも上の?!」
「んー、上というか師匠かな。彼女は知り合いの子でね、とてもとても才能がある子だったから、ちょっと自衛のためにも人類の規格を超えさせてあげたんだ」
「つまりあいつを破壊神にしたのはあんたってことか」
「そうとも言えるし、違うともいえるね」
煮え切らない言葉。
胡散臭く感じたのを見てとったのか、彼は苦笑しながら付け加える。
「彼女はこと破壊するということに関しては抜群の才を持っていた。世が世なら戦乱の英雄か、はたまた秩序の破壊者か。まぁ、あわよくばドリームメイカー側の戦力になってくれないかなぁと、期待はしていたよ。でもそんなのは匙さ。可愛かったから助けてあげたかった。まっ、そういうことだよ」
そこが重要だ、とでもいうかのように少年はうんうんとうなずく。
『……アッシュ。こやつ、訳が分からん。ここに居るのか居ないのかさえ判然とせぬぞ』
「うーん、まあそうかな? ここに居るけど、居ないね、僕は」
「加護ラインでの会話も当然のように聞こえるのかよ」
「うん。聞こえるというか見えるし」
「見える?」
「そう、見えるよ。解読は面倒だけれど、まぁもう慣れたし。この三千大連結世界のほぼ全てを僕は見通せるだろう。見ようと思えば、だけどね? だからボクはウォッチャーと名乗ったりもする」
要領を得ないが、煙に巻かれているのではない。
その少年は隠さない。
隠さずにただ答えるのみ。
何故ならば、アッシュに嘘を言う意味がないからである。
「それで? そのウォッチャーが何しに来たんたよ」
「勿論、二人を……いや、彼女を回収にさ」
「回収してどうするんだよ」
「とりあえず昔みたいに師匠命令でメイド服でも来てもらおうかな? またコミケ通いもおつだしね」
「……」
無言で剣を構えるアッシュに、少年は肩をすくめる。
「心にもない行動は止めなよ。せっかく生き残れたんだろ? それとも、あの娘の努力を無に帰したいのかい? 彼我の戦力差は0と1ぐらいあるというのに?」
「ちっ――」
「だいたい、もう君には関係ないだろ。彼女よりそこの悪魔が好きだっていうんだから」
『ぬ? アッシュ、お主は妾にゾッコンだったのか』
「ゾッコン所じゃないな。もはや愛しているといっても過言じゃない」
「開き直ってカミングアウトって……いやまぁ、良いんだけどさぁ」
心なしか燃え盛る炎の火力が上がった気がしたアッシュは、ため息交じりに剣を下ろした。もはや、闘争の空気ではなかった。
「やれやれだよ。前世の君と、今の君のせいでこっちの予定も狂いに狂った。でもまぁ、これはこれでラッキーだった。聞こえているねテイハちゃん。これからボクはお節介を焼くから、その、まぁ、あれだ。今後とも仲良くしてよ。みんなも心配してるよ?」
炎は答えない。
けれど、そんなことは知らないとばかりに少年は炎に手を突っ込んだ。
「お、おい!」
「大丈夫大丈夫。それじゃ改竄するよ? あ、そーれっと!」
瞬間、魔力が奇妙な流れを見せた。
アッシュにも、そしてイシュタロッテでさえもが、理解できない何かが起こり、そうして、炎の中から黒髪の少女がカブのように引っ張り出された。
すると、途端に炎は消えてしまう。
「……爺、あのさぁ。これどういうことなのさ」
「どうもこうもないよ。おめでとう。君たちは一つになった。三千大連結世界初の、集束点を二つ持つ稀有な魔神として生まれ変わったんだ!」
「いや、だからさ。普通は無理でしょ」
「普通はね。でも君たちは本当に対極だったから、割りと簡単にできたよ? さしずめ今の君は表裏一体の円環状態。つまりは『円環』の魔神かな?」
ハッピーバースデー、などとのたまって祝福。
そんなウィザードに、苛立ちを隠さずにセーラー服姿の円環が無言で蹴りを入れる。
「ぬわぁあァァ――」
当然のように音速を超えた一撃により、余裕そうな声だけを残してウィザードが惑星から姿を消した。
「えほっえほっ。なんだったんだあいつは」
アッシュは発生した衝撃波で舞い上がった土煙を掌で払うと、大気圏を容易く離脱して消えたウィザードが吹き飛ばした雲を見上げる。
穴が開いてドーナツのようになっているその雲を見ていると、なんだか馬鹿らしくなってきた。
「あんの糞爺めっ。ほんっとうに好き勝手してくれちゃって!」
憤慨しているテイハ(?)が展開したレーギャルンを地上からぶっ放す。
一発、二発、三発……etc。
怒涛の勢いで天空を焼き払うその姿は、相も変わらずの破壊神だった。
「……最悪を通り越して災厄だな」
その間に、アッシュは手にしていたイシュタロッテを擬人化すると、目覚めさせた上でリロードし始めた魔神に声をかける。
「おい。えーと、テイハ?」
「ちょっと待って。今特大の一撃を……ちっ。異世界に逃げやがったな爺の奴……」
そうしてライフルを消して振り返った彼女は罰が悪そうな顔をした。
「で、なんだっけ?」
「いや、そのな?」
問われても困るのはアッシュとしても変わらない。
ついさっきまで戦っていたのだ。
文字通り、世界の命運をかけて。
だが、そうしてなんとか倒した相手が更に桁違いの力を手に入れて目の前にいるのだ。
しばしの逡巡。
けれど、それでも尋ねるしかないから、意を決して尋ねた。
「それで、だ。お前は、その、これからどうするんだ?」
「それが問題なんだよねぇ。どうも妹と合体……というか、融合したせいでね。君たちやクロナグラを焼き尽くしたいけど、しちゃいけないみたいな中途半端な感じになっちゃってるんだ。所謂、二律背反って奴?」
「そうなのかー」
「だから、まぁ、あれだ。あの娘の愛に免じて手打ちにしてあげよう!」
良いことを思いついた、みたいな顔でいうと笑って彼女は背を向けた。
そうして、アッシュが何かを言う前に音もなく消えてしまった。
「クロナグラから消えたな」
「分かるのか?」
「エネルギーラインは繋がってるけど、感知できないから多分そのはずだ」
「そう……か。のう、あの嬢ちゃんはまた何かしでかすと思うか?」
「何もしないだろ。あいつな、多分過去を吹っ切ったぞ」
八つ当たりして、毒を吐き出し、過去と対峙して何かが変わっていた。
そんな予感がするのは、彼女のことを誰よりも知っているはずだという自惚れからか。
「よくわかるの」
「前世記憶のせいだが、まぁいい。いいさ。もう俺に手札はない。あいつが暴れたらどうにもできない。だから――」
「――開き直る、かの? それとも適当に考える?」
「両方だよ。俺らしいだろ」
気にしてもどうにもならないし、そんなのは精神衛生上悪いのだ。
アッシュは笑って手を差し出し、悪魔が当然のように差し出すそれを握りしめる。
「というわけで相棒。またよろしく頼むわ」
「うむ。しかし、これからクロナグラはどうなるのかのう」
「成るようになるって。今日みたいにな」
「そんなもんかの?」
「そんなもんだ。でなきゃ困る。これ以上は俺の手に余るからな」
彼は自分にできないこととできることを知っている。
なければ、何かないかと右往左往するしかない矮小な存在だ。
だからそうやって、これからも生きていくのだろう。
――ようやく取り戻した、本当の自分と共に。
「――でな、イシュタロッテ」
「なんじゃ」
「あの約束、変えてもいいか?」
「約束じゃと?」
「ああ。教皇と戦う前に言った奴だよ」
「ふむ?」
少しだけそっぽを向きながら彼は頬をかく。
心なしか視線を彼女から外したその顔に浮かんだ表情は、年相応のそれよりも幾分か幼くて、すぐさっきまで『神』と戦っていた男とはまるで別人のようだった。
「ふ、腹上死コースの話だ。もうキスで簡易な加護は付いただろ。だからその変わり、その、実利とかそんなの関係なくお前が……その……」
「待て」
「な、なんだ」
イシュタロッテは繋いだ手を解いて背伸びする。
そうして、両手の平でアッシュの頬を包み込んで自分のへと顔を向けさせた。
「ちゃんと妾の眼を見て言うがよい。妾は逃げも隠れもせぬぞ」
「お、おう」
彼女の銀瞳とアッシュの黒瞳の視線が絡まる。
「相棒、じゃからな。お主の言葉なら妾は喜んで耳を貸そうぞ。そうして最期までしっかりとこの耳で聞いてやるでな。だから聞かせよ。お主の言葉で、お主の願いを――」
見下ろす男と見合上げる悪魔。
振り返れば、茶化しあったり状況に流されたりはしたけれど、互いにここまで真剣に向かい合ったことはなかった。
前世の愛剣と、かつての相棒の転生体。
その関係は、結局は前世があってこそのもので、灰原 修二には関係がない。
そう、関係がないのだ。
だから全ての因縁も何もかもが消え果た今こそ、アッシュは彼女に言いたかった。
「イシュタロッテ」
「なんじゃアッシュ」
「俺はお前が欲しい」
はっきりと言葉にしたから、だったのか。
まごついていた彼の頭は、考えずとも本心を吐き出していった。
「前世からの付き合いだが、俺にはそんな余分な背景は邪魔なんだ。だってアーク・シュヴァイカーって奴が俺とお前の間に居るってことだろ? せっかく色々解放されたんだ。だから……『今』の俺は、お前を独り占めしたいと思ってる」
「ハッ――」
イシュタロッテが唇を吊り上げる。
「だから妾が欲しい、か」
「それ以外に表現する言葉が生憎と思いつかなくてな」
「なるほどのう。じゃがの?」
悪魔が笑う。
「妾こそ神殺しの悪魔。大公爵イシュタロッテぞ。そんな大悪魔に、悪魔王に寄越せというからには相応の対価が必要だとは思わんか?」
「対価、ね」
その不純な言葉は、アッシュが欲しいものではない。
しかしこの場面で、この局面で言うとなれば最後まで聞くべきだったのだろう。
聞いてもらったのだから、聞くのが筋というもので、アッシュはただ問うた。
寧ろ楽しみであったのかもしれない。
彼女に何を言われるのかが。
「なら何が欲しい?」
「お主が」
返答は間髪入れずに帰ってきた。
アッシュが言葉を挟む間などない。
まるで初めから決まっているかのような物言いだ。
その切り返しが心地よくて、どうしようもない程に彼の胸を高ぶらせる。
「妾はお主が欲しいぞ。どうする、この契約の対価、お主に払えるかの?」
「――ああ。それなら余裕だ」
アッシュの両手が契約者を包み込むように背に伸びる。
抱きしめた悪魔の体は暖かい。
今まで以上に暖かくて、触れ合った部分から充足感が沸いてくるほどだ。
(どうして、なんて決まっているよな)
初めてツクモライズを彼女に掛けたあの日、あのエルフラグーンで実体化した彼女に目を奪われた。
思えば、その時点ですでに鷲掴みにされていたのだろう。
眠れる銀髪の悪魔。
彼女を目覚めさせるためにも旅に出る必要があった。
彼女に想念を捧げるために。
旅に出たのは間違いなく自分のためであり、安住の地を探すためでもあったけれど。
果たして、あの瞬間はどちらの比重の方が上だったのか。
「ぬふふ。ならば契約は成立だのう」
かつては声さえも聴けなかった。
「――ああ。これから末永く、俺の命が尽きるまで愛させてくれ」
だが今はどうだ。
「――うむ。これから末永く、妾の命が尽きるまで愛してやろうぞ」
焦がれたソプラノは想像以上に心地よく、いつも以上に甘く、男の脳髄を安堵させる。
それはきっと、誰からか与えられたものではなく、自分で手を伸ばして手に入れたからこそのもので。
ようやく灰原 修二が自分の意思だけで手に入れた本物だった。
(――ああ。そうか)
悪魔を腕に抱きながらふと理解する。
(あの娘たちとこいつの差は、これだったんだ)
好かれていたのだと思う。
愛されていたのだと、今なら胸を張って言える。
けれど、心のどこかで信じきれなかったのは。
信じてあげられなかったのはきっと、
(与えられただけだったから、だったのかもな)
ゲームでキャラを転生させたら、持ち物付きで異世界に転生してましたなんてことを、素直に信じて喜べるほど灰原 修二は楽観できなかった。
都合が良すぎて、作為的に過ぎて、だから真正面からのそれにさえも気づけなかった。
受け入れてあげられなかった。
それが、後悔といえば後悔で。
そんな斜に構えたような見方ではなく、等身大の彼女たちを見てあげられたら今とは変わった結末だったのかと夢想しそうになる。
(ああ、でもそれはIFだ)
自分がつかみ取った可能性は唯一無二。
彼女たちという特異点と接触した以上は、これ以外の結末はきっとなかった。
(もし、なんてもう遅い。だからこれからはこの今を大事にしていこう)
今という幸福は、きっと嘘ではないはずだから。
「それでアッシュよ」
「ん?」
「残りの嬢ちゃんたちはどうするつもりだ」
「……え?」
「妾は別にお主が何人侍らせようと構わぬがの。せめて筋だけは通しておけい。さすがにこれだけ待たせて、はいさよならはなかろう?」
「あー」
悪魔がいやらしく笑う。
困った顔をしたアッシュを見て楽しんでいる。
けれどそれも今更で、彼はむしろしっくりくる程だった。
「――当然だろ。責任は取る。愛想尽かされてなければなっ!」
「……そこで予防線を張るところが情けないが、まぁ、良かろう。では帰るかの? とりあえずペルネグーレルで待たせている腹黒エルフの所からだ。今頃連中、首を長くしてお主の報告を待っておるぞ」
「そうだな。だがまぁその前に――」
「――ああ、それも良かろう」
影が重なる。
契約の締めくくりは、二人の出会った始まりと同じくキスからだった。
ロマントリガーが解放される。
人造のそれではなく、ただの男と女が交わすトリガーが。
「――ん。契約はここに完了した。さぁ、行こう妾の連れ合い。神無きこの星だからこそ、お主にはやることがあるはずだ」
求められるだろう。
その力故に、その特異性故に。
「まぁ、俺にできることしかできないけどな」
抱擁を解き、二人して転移する。
重力感の消失を感じながら、それ以上に感じる悪魔との繋がりと共に、灰原 修二<アッシュ>はようやくここに帰還した。
――神が去り、転生幻想の崩壊した、この『神々の黄昏の地<クロナグラ>』へ。