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EX END「はぐれエルフ そして彼は引き金となる」

 エルフの森のほぼ中央に、ハイエルフ様の住まう城がある。

 城、というよりは屋敷が正しいか。

 丸太を突き刺して並べた防壁に、木造の屋敷。

 森に住むエルフ族らしいが、人間の城やドワーフの堅牢な石造りの砦なんかを見た今となっては少しだけ脆弱に見える。別の場所に、人間たちのそれを参考にしたそれを作り始めているとは聞くが、何時になったらできるのかはわからない。


「なんだろうな。外と比べると、本当に時間が止まってるというかなんというか」


『しょぼいな』


 身も蓋も無いことを、腰元のイシュタロッテが言う。

 文明というよりは文化的な限界か。


 これは今の環境に適応した上でのものだ。

 周囲に腐るほどに木々があるのだから、そりゃあ木材を使う。

 ただ、それが内側だけで完結した結果だったのが問題なのかもな。

 豊かな森の存在が、エルフ族にとっては外界からの守りになっているのと同時に足枷になっていたのかもしれない――なんて思うのは、俺がはぐれエルフをやっているからだろうかね。

 

 というか、これまで発展しようという気配が希薄に過ぎた。

 長命種だからか?

 人間は直ぐに死ぬらしいから、どうにも発展サイクルまで早いのかもしれない。


「ロロマのあの街なんて、随分と変わってたのに」


 森の変わらない光景にホッとするのと同時に、妙な残念さを感じてしまうぜ。

 まぁ、テイハの家と比べたらの人間の家も大したことはないんだがな。

 あいつの家、居心地が良すぎるから降りてきたときの落差が激しすぎる。

 

『さっさと終らせて来い。でないとテイハ嬢ちゃんが拗ねるぞ』


 そんな可愛げがあいつにあっただろうか?

 嫌いなものはとことん嫌うか放置だぞ。

 そう言うと、


『かーっ、お主は女心が分かっとらんのう』


 などと呆れられてしまう。


「気に入らないことがあれば口にして言うだろ」


『お主だからこそ言えんこともあるものよ』


 あいつ、そういうのとは無縁な奴だと思うが。

 まぁいいや。

 とっとと報告を終わらせてテイハと合流しよう。





「――以上です」


「うむ」


 今日も息災であらせられるのは、我等が始祖神ハイエルフ様である。

 その両隣には、むっつり顔のシュレイク陛下と透明な笑みを浮かべるアクシュルベルン陛下が佇んでいる。

 両脇を固めるって奴かな。

 王族とか超越していらっしゃるのは当然としても、今日はなんだか雰囲気が重いような気がするぜ。


「アッシュよ。このゲート・タワーとかいう塔だがな。これはなんだ。こちらでも調査しているが設置された意図がまるで分からん」


「各種族の勢力圏にひっそりと建てられた建造物だという噂です。意図はさすがに……」


「ならば建てたのは?」


「賢人とか、ドリームメイカーとか言われている人間らしいです」


 さすがに、ここで俺が諜報してる奴ですとは言えない。

 だが、それ以外に関しては別である。

 調べた世界の様子は隠す必要なんてないからな。


「なんでも、塔の最上階にある光る文様に乗ると、天を浮遊する大地にたどり着けるとかなんとか」


「それも分かっている。何のために建てられたかが知りたいのだ」


「あー、その、分かりません」


 瞬間、リスベルク様が苦々しい表情を浮かべたように見えた。

 なんだ、いきなり機嫌が悪くなられたぞ。


「貴様」


「は、はい?」


「忌憚の無い意見を述べろ」


「よ、良く分かりませんが、高い方が眺めがいいからではないでしょうか。そうじゃなかったら……そうですね。何か在ったとき、逃げ込むためじゃないですかね」


「ほう、何かあったときか」 


 何故かジッと睨まれる。

 なんだ、今日に限って一体俺に何を求めていらっしゃるんだ?

 両隣の陛下も、いつもと違うリスベルク様の様子に怪訝な顔をしているぜ。


「――ふんっ。分かったもういい。アクレイ」


「はっ」


「今日も全力で揉んでやれ」


「かしこまりました」


 そうして、今日の謁見はスマイル無しで終ってしまった。

 地味に楽しみにしていたのだが、残念だぜ。





「実はですね、貴方が言っていたゲート・タワーとか言う塔。アレが森に建てられたという日から、リスベルク様の機嫌が悪いのですよ」


「大変っすねぇ」


 そりゃ、テリトリーで勝手されたら機嫌も悪くなるよな。

 軽く木剣の素振りをし、アクシュルベルン陛下に胸を借りるために体を温める。

 さて、そろそろ一回ぐらいは勝ちたいぜ。

 ていうか、おかしいんだよな陛下。


 俺は、イシュタロッテのおかげでレベルとかいう奴が上がっているのだ。

 良く分からないが、高くなれば高くなるほどに強くなれるそうなのである。

 膂力、反応速度、魔力量、頑丈さなど色々と強化されるらしい。

 確かに、最近ちょっと力がついてきたかなと思う。

 野犬の群れが怖くないからな。


 というか、もう熊に剣で勝てるし。

 一対一で、この俺が真正面からだ。

 我が事ながらちょっと意味が分からない。


 本当、真っ黒透明様々だ。

 しかし、そんな俺を一方的に打ちのめすのがこのダークエルフ王である。

 俺が弱すぎるのか、相手が強すぎるのかもうサッパリ分からない。


「そろそろどうです」


「では、今日もよろしくお願いします」


「ふふふ。最近調子が良いようですからね。私も貴方の成長が楽しみです」


 木剣を構える前に、腰元に吊るしたままのイシュタロッテの柄を撫でる。


『ぬふふ。こういう悪戯は好きじゃぞ』


 そうして、俺はズルをした。前までは神宿りにならないと無理だったが目だけを使えるようにパワーアップしたのだ。


「む?」


 一瞬、違和感を感じたらしい陛下だが、俺が構えると気を取り直した。

 合図は無い。

 初めの頃はそれをする者が居たが、いつの間にか面倒になったので稽古には誰も呼ばなくなった。陛下と俺は、屋敷の庭の一角でやる。


――お得意の踏み込み斬りが来る。


 まるで、いきなり現れるかのような独特の歩方『縮地』だ。

 とにかく気づいたら目の前に来るそれを、今日という今日は迎撃する。


「ほうっ!」


 その挨拶代わりの一撃を、剣で迎撃。

 考える余裕は与えず、すぐさま打ち込む。

 必要以上の力はいらない。

 適度に肩の力を抜いて、最速の一撃をただ望む。


――陛下が辛うじて攻撃を防ぎ、突いてくる。


 数秒先の未来。

 脳裏を過ぎったその映像を信じ、剣筋だけを合わせ、彼我の技量差を無視する。

 眼前では、左手を引いて打ち込みを防いだ陛下が居た。

 その両手は、既に攻撃へと転じている。


「ッ――」


 迫るその突きはしかし、半身になった俺のすぐ側を抜けた。

 そこへ、やはり力まずに左手一本で木剣を振るう。

 はたして、俺達はその体制で動きを止めた。


「……参りました」


「よっし!」


 相手の右脇腹で寸止めした剣を引き、素直に喜ぶ。


 それにしても危ねぇ。

 なんとか気づかれる前に終らせることができたが、二撃で終らせられるかと思ったのに三撃必要とかどうなってるんだ。


「――今、気持ちいい程に読まれてしまいましたね」


「秘密の技を投入しましたので」


 イシュタロッテは、リストル教の奴らに『過去と未来を見通す悪魔』だと定義されてしまっている。だから加護を受けた俺は、その力を借りられるのである。

 普通にアーティファクト魔法とか言うのを使うと、魔力を擬似物質化した武器が飛ばしたり出来るんだが、さすがにそれは訓練では殺傷力があり過ぎるから使えない。けど、眼だけでも近接戦闘では破格の武器になるのである。


「おかげで良い実験ができました」


 陛下で通じるなら、他の達人にも通じるだろう。

 まぁ、結局はズルをしただけどな。

 世の中、勝ちたいときに勝てれば良かろうなのだ。


「ふふふ。では、次はその種を見破ってみせましょう」


「いえいえ、ここぞという時にしか使えないのです」


 というか、慣れられたら意味がないぜ。

 対策が取れるかは知らないけれど、そんなチャンスは与えない。

 勝てなくなるからな!


「というわけで、次からはいつものようにお願いします」


「……それでいいのですか」


「はい」


 純粋な力も確認したいしな。


 それから、いつものように滅多打ちにされた。

 なんというか、体がついてこないんだよな。

 もっとレベルが必要だということか。


「そろそろ使ってはどうです」


 陛下が使わせようと挑発してくるが、乗ってはあげない。


「まったく、強情ですね」


「大事な一勝は取っておきたいんで」


 そのまま喰らい付くも負けに負けた俺は、習練後に持ってきていた長剣を差し出す。


「それは?」


「日頃の鍛錬のお礼です。どうぞお納め下さい」


「これは……ふむ。相当に良さそうな剣ですが良いのですか?」


「一本、ここにも特別なのがあるので」


 イシュタロッテの柄を叩いて見せると、陛下は頷いた。


「そうですか。では、喜んで頂きましょう」


 そうして、受け取った長剣の柄を握るや否や、その長剣のリーチが変化した。

 アーティファクトが使い手に合わせたのだ。


「ふむ?」


 眼に見えて光ったのに、首を傾げるだけとかその淡白な反応はどうなんだ。

 今頃はアーティファクトが喋ってるだろうに。


「これは……ふふふ。中々面白そうですね」


「知り合いが言うには、『真の縮地』とかいうのが使えるらしいのです」


 転移とはまた違うが、俺からすれば似たようなものだ。

 元々は竜と妖精の島国『ジーパング』に伝わる妖刀だ。陛下ならきっと、十二分に使いこなすに違いない。


「ちなみにそれ、とある念神の成れの果てらしいのです」


「益々面白いですね。どれ、その縮地とやらを試してみましょうか」


 言うなり、俺の眼前で陛下が消えた。

 すると、数十秒後には超絶美人なダークエルフの淑女を抱いて現れなさった。

 ……誰だよ。


「素晴らしい! これがあれば何処にでも行き放題ではないですか!」


 喜ぶのはそこですか。

 神を手にした驚きなど、一切この男には無いってのか。

 本当に動じないお方だぜ。


「ふふふ。これでようやく、貴方の報告の矛盾に合点が行きましたよ」


「矛盾?」


「貴方の移動範囲、他のはぐれたちと違って桁違いに広いではないですか。時間的に走破不可能ではないかと思うぐらいには広大ですし」


「あ、あー……」


 一瞬、意図的に伝えてないことでがバレたかと思って焦りそうになったぜ。

 そういえば、そうかもな。

 イシュタロッテやテイハに合わせてるから、行動範囲はクロナグラ全域だ。当然報告内容もそうなる。

 こりゃ、随分と怪しまれていたのかもしれないな。


「しかし、これを私に下さるということはそれも?」


「似たようなことはできますので」


「分かりました。それではありがたく受け取らせてもらいますよ」


 なんだ、驚く顔は見れなかったが喜ぶ顔が見れたのでよしとしよう。

 だがしかし。

 聞かなければならないことはあるんだぜ。


「ところで、そのダークエルフの女性は?」


「おっと紹介が遅れましたね。私の自慢の妻です」


「どうかよしなに」


 たおやかに微笑むその女性は、そうしてすぐにアクシュルベルン陛下と縮地で消えた。陛下は急いで休暇を申請するそうだ。何のためかは聞くだけ野暮なのだろう。が、しかしである。


「王族って、色々と卑怯だよな」


『何を言うか。世界でただ一人テイハ嬢ちゃんの寵愛を受けられる男が』


 いや、でも破壊神と超絶美人だぜ。

 そんなの比べたら、比べてしまったら。


「――確かにそうだな。俺の方が卑怯かもしれない」


 美人さでは負けるが、可愛さでは勝っている。

 怒らせたら洒落にならんところもきっと勝っているし、破壊力も勝っている。


「ふっ。嫁を自慢して俺を悔しがらせようという作戦だったんだろうが、勝ったな」


 そんな小さいことを企んでいたかは知らないが。

 今日の勝ちは揺るがない。

 初勝利って奴だな。


『本当にお主は清々しいほど適当な男よ』


「違うな、間違っているぞイシュタロッテ」


 俺はただ、自分に正直なだけなんだぜ。





 テイハとの合流地点は、今日に限って言えばロロマ帝国である。

 なんだかこの国、相当にでかくなってるらしい。

 リストル教とかいう、イシュタロッテの大敵が生まれた地であることも影響しているのだろう。


「よし、到着だ」


 前にテイハと出あった街の裏路地に転移。

 そのまま、去年と同じで待たせている宿へと向かおうとする。

 が、途中で俺はふと足を止めた。今日は特別な日なのだった。


「らっしゃい」


 行商人らしきその男は、気さくにも声をかけてくる。


「どうだいエルフの旦那。彼女さんに土産でも一つ」


「宝石細工か」


「ペルネグーレルのドワーフが加工した一品だよ」 


 とても胡散臭い笑みで商品を進められる。が、それなら別にペルネグーレルで買えばいいしなぁ。あそこも前に行ったし。


「……安いな」

 

「あたぼうよ。こちとら庶民の味方だぜ」


 どうやら、この地方では結婚式とかいう儀式で、男が女に光物をプレゼントする風習があるらしい。しかし、高すぎると手が出せないので安いのを求める男が多いのだとか。

 なるほどな。

 だから、財布を片手に悩んでいる男たちが多いわけだ。


『どうやら、欠片にして安くしておるようだのう』


 安いといっても、向こうのそれと比べての話しだがな。

 ペルネグーレルのでかいカットのモノとは違う。

 少し悩んでいると、男が言った。


「安いとか小さいとかよりも、一番大事なものがある。必要になったらまた来いや」


 大事なもの。

 やはり気持ちか。

 この辺りのリストル教とやらは、愛を賛美している。

 とにかく愛で押し切る文化だ。

 隣人を愛せよらしいからな。

 その癖、別の信仰には苛烈であるとも聞くが、いい言葉もあるもんだね。


「気持ちは商品よりでかいのがあるつもりだぜ」


「お、てことは?」


「一つ買うぜ。んー、このペンダントでいいや」


「まいどっ」


 金を払い、商品を受け取る。

 ペンダントの中心には、黒い小粒な宝石が埋め込まれている。

 黒はアイツの色だ。

 気に入ってくれたらいいが、さて。

 懐に仕舞い、移動を急ぐ。


「喜んでくれるといいんだが」


『ぬふふ。泣いて喜んで、明日が雨かと疑うであろうよ』


「酷い言いようだぜ相棒」


 日頃世話になってるんだし、俺だって何かしたいって思うんだぜ。

 考えてみれば、随分と色んな経験をさせてもらったし強くなれた。

 剣術ではなくレベルで強くなる、なんて方法まで手に入れられた。


 なんだろう。

 貰ってばっかりだな。

 うむ。

 ここらで少しずつ返していこう。

 そうして、いつかあいつを支えられるような男になろう。


『む? 嬢ちゃんもどうやら街に出ているようだぞ』


「そうなのか。ならそっちで合流するか」


 どうにも、アイツの使っているレーヴァテインとかいう武器は特徴的な気配を持っているらしい。普通の念神だと力の上限さえ読めない程にあやふやで希薄な力なんだとか。

 良く分からんが、普通は感知し難い癖に、一度気づいてしまえばすげぇ力に感じる何かだそうだ。ただ、そこに流れ込む想念が嫌に澄んでいて、イシュタロッテは昔それに引き寄せられたそうな。


 想念を想念で上書きする。


 悪魔として無理矢理に上書きされた姿を嫌った我が愛剣は、力づくで上書きしなおすためにテイハを狙ったのである。


 まぁ、今じゃどれだけ無謀かって理解したっぽいけどな。

 懐かしい話だ。なんだかんだで色々あった。

 悪魔に出会い、ストーカー神に出会い、巨神や獣神や空間獣、竜や妖精や死神にも出会った。


 あの路地裏での出会いから、俺の運命はきっと大きく変わった。

 全ては、レイエン・テイハという少女に出会ったからだというのは当然のこと。

 あいつは、念神である限り絶対に越えられない人間で、この星の神。そして俺の女だ。


 まぁ、そんな彼女でも警戒するヤバイ奴は居るらしい。

 世界は広いぜ。

 大体、天に浮かぶ星の中にも世界があるとか言われてもな。

 いまいちピンと来ない。


 だが、俺はあいつの出鱈目さを知っている。

 だから信じるのだ。

 異世界とか言うのもそう。

 あいつがクロナグラの所有者であるっていう与太話もそうだ。

 信じないわけには行かない。


――そして、あいつがこの世界を一度ぶっ壊しかねない破壊神であるということも。


「そういえば、もう安全地帯の数は最低限揃ったんだよな」


『そう言っていたのう』


「お前はどう思う」


『どうもこうもない。妾にはどうしようもないからのう』


 言葉での説得は不可能。

 腕力での説得も不可能。

 つまり、彼女にも俺にも方法は残っていないのだ。


 だからこその悲劇。

 一番良く知っている俺達を含めて、誰もあいつの間違いを正してやれないんだから。おかげで俺にできることなんて、側に居ることぐらいだ。

 たったそれだけが、俺にできる唯一のこと。

 だがもう、それを悲しんでもどうにもならない。

 

 時が迫っている。

 彼女が大罪を一身に受ける時が。

 だから俺は、せめて半分でもそれを持っていこうと思う。


「――ん?」


 ふと、地面が揺れた。

 少し遅れて遠くで何かとてつもない音がしたかと思えば、イシュタロッテが切羽詰った声を上げた。


『不味いぞ!! 念神共がおっぱじめよったっっ!』


 この地で戦うってことは、間違いなくリストル教関連だろう。

 しかし、ここは街中だぞ。

 すぐに別の場所へ移動するんじゃないのかよ。


『早く嬢ちゃんと合流せい。相手が悪魔なら、住人を人質にさえする。いいや、計画次第ではもっとえげつないことも平気でやるぞっ!』


「……マジかよ」


 そういえば、俺も一回こいつにテイハの人質にされかけたっけ。

 これは急いで合流するしかないな。


 イシュタロッテに導かれながら路地を駆け抜ける。

 街中は既に混乱状態だ。

 人々が我先にと逃げ出し始める。


 どこへ逃げれば安全なのかなんて、当然だが誰も知らない。

 無作為にただ逃げ、巻き添えを食わないように離れることだけを考える。

 

『くっ、この血がざわめく感覚。間違いない。奴だ、リストルぞ!』


「噂の唯一神かよっ」


 二つの淡い光が空をデタラメに横切った。

 対峙するのは、蝙蝠の翼を持つイシュタロッテとは違い、背に白い翼を何枚も持つ堕天使と、白く光る人型の何か。

 後者を表現する言葉はない。

 人型だと思うのに、形容できない容姿をしていた。

 一番近いのは光の塊か。


「男か女かも分からないぜ。なんなんだあいつは」


『教義で偶像崇拝が禁止されておる。故にリストルの姿は光輝く何かなのだ』


 信仰上の理由って奴か。

 明確な容姿を示すものがないから、光そのものになったと。

 その癖、自分の影に似せて人を作ったとかいう伝承のせいで人型の光なのか。

 しかしありがたみが有るとか無いとか以前に、アレはちょっと不気味過ぎるぜ。


「アレを拝むぐらいなら、俺は絶対にお前を拝むぜ」

 

『おほう。これは嬉しいことを言うてくれるのう』


「まぁ、その前に始祖神様と精霊様を拝むけどな」


 とにかく急ごう。

 止まった歩みを再開し、ストリートへ。


「つか、なんだ。リストルって奴の方が街なんて関係なく壊してるぞ」


 一本の剣を持って堕天使へと斬りかかる唯一神。

 攻撃に見境が無い。

 まったく下の住民が見えていないかのようだ。


 剣戟の余波が大気を揺らし、魔法の光が乱舞する。

 酷い有様だ。

 一方的にやられる堕天使のせいでもあるが、流れ弾が次々と家屋を吹き飛ばしていく。アレだけ先進的だった街並みが、一瞬で廃墟と化していく様は見るのは背筋が凍るぜ。


「お前、アレに勝てるか?」


『無茶を言うな。一度殺されて信仰に取り込まれた時点で想念が上書きされておる。嬢ちゃんの上書きは姿形だけだったから力関係は変わっておらん。極めつけは奴のあの剣よ。卑怯極まりないのだぞ』


「……凄いのか?」


『アレは悪魔や堕天使では絶対に抗えぬと定義された魔法剣だ。奴の信仰に取り込まれた妾では、あの一撃だけはどうしようない。できて逸らす程度が関の山ぞ』


「勘弁してくれよ」


 巻き添えを喰らったら致命的じゃないか。

 悪態を付きながら、とにかく走る。


「ど、どきなっ」


「きゃっ」


「お姉ちゃん!?」


 人ごみ中、人間の女の子が一人、逃げ惑う中年の女に突き飛ばされた。

 妹らしき少女が立ち止まり、姉の下に走る。

 目に入ったそれの向こう、一瞬光が照るのが見えてしまう。


「ッ――イシュタロッテ!!」

 

『ば、馬鹿者っっ!!』


 長剣を抜き、咄嗟に落ちてきた魔法の光弾へと叩きつける。

 凄まじい衝撃。

 間一髪だ。

 イシュタロッテの加護の光を纏ってなきゃ、逸らすことなんてできなかっただろう。


「ぷはぁ。なんとか間に合ったぜ」


『無茶をするでない! 大体、妾の力を使えば奴に気づかれるぞ!』


「子供は村の宝だろ。人間だろうと無視できるかよっ!」


 両腕の痺れが取れない。

 ビリビリと振るえる指先は、今まで生きてきた中で体験したどの一撃よりも遙かに重かったことを証明していた。

 二度も三度もやりたくないぜ。


「よし、もう大丈夫だぞ。ほら、さっさと逃げ――」


『アッシュ!!』


 正直、視損ねていたから反応できたのは運だった。

 振り返り様、飛んできた光弾に長剣の刃を叩きつける。


「ぐぅっ、くぉぉぉ。なんだこれ……」


 さっきのより更に重い。

 それでも、歯を食いしばって刃を振りぬいて軌道を変える。

 振りぬいた刃の向こう、誰の家かも知らない家に光弾が着弾。

 家屋を一撃で吹き飛ばす。


 正直、死ぬかと思った。

 だが、それで終ってはくれなかった。


『もう良かろう。早く逃げよ!!』


「冗談っ――」


 斜め上から飛来してくる三発目が視えている。

 後ろの子供たちは、腰を抜かしたのか動けそうにない。

 もう、俺が弾くしかない。 


『ええい、この馬鹿者がぁぁぁ!』


 剣を取り落としそうになるほどに痺れた両手のままに光弾を睨む。

 その度に、脳裏を過ぎる数秒後の光景。


 失敗。

 失敗。

 失敗。


 視る度に、後ろの子供たち諸共自らの死を確信する。

 ダメだ。


――俺が生き残れる未来が無い。


 太刀筋の問題ではない。

 単純に人と神の力の差だ。

 イシュタロッテの力を借りてもこの角度だと絶対的に防げない。

 防ぎすぎた。

 完全に殺す気の一撃だ。

 完全にもう、詰んでいる。


「悪りぃな、二人とも――」


 これが、世界を裏切る者の末路か。

 諦めたわけではないけれど、それでも分かった。

 唯一取れる未来は、もう俺には一つしか残されていない。

 ただ、それでも。


 右斜め下から、両腕で掬い上げるように剣を振るう。

 光を纏ったイシュタロッテと魔法が衝突。

 それを、強引に斜め上に逸らすべく渾身で挑む。


「――かったぜ」


 瞬間、上に弾いた光弾で頭が吹き飛ばされる前に神宿りを解く。


 視界が真っ白に染まる。

 意識が消える。

 その寸前、確かに走馬灯のようなものを見た気がしたが、俺はそんなことはどうでも良かった。


 それよりも心残りが二つあった。

 一つは、一瞬垣間見た未来の向こうで、相棒を泣かしてしまうこと。

 そしてもう一つは。

 これでまた、あいつが一人ぼっちになってしまうことだった。







「ッ――」


 その光が横切った時点で、呆気ないほど簡単に彼女の世界が軋みを上げた。

 いつの間にか音という音が消え、あれだけ煩かった人々の声さえよく聞えない。

 すべてが雑音<ノイズ>に代わり、目の前の全てが色褪せる。


「――うしてなのさ」


 今にも飛翔しそうな両足よりも先に、伸ばした右手の中には何も無い。

 彼の重みもぬくもりも掴めず、未練がましく彷徨いかける。

 だが、それを少女は溢れ出る感情で押さえ込んだ。

 まるで、いきなり天国から地獄へと落とされた今を噛み締めるながら、彼女はその場に立ち尽くす。


 今日は大事な日だった。

 彼女が彼と出会った日だ。

 だから去年と同じようにそこを選んだ。

 だと、いうのに。

 

「ナニ、やってるのさ。ねぇ、アッシュ。それはさ、冗談にさえならないよ……」


 手遅れだった。

 その光学映像を捉えた彼女の脳は、当たり前の判断を下している。

 当たり前だった。

 彼の首から上が無いのだから。


「逃げれば良かったんだっ――」


 何処の誰かが、彼の背中の下でもがいている。

 小さい、人間の女の子たちだった。

 友達と遊んでいたのか、それとも姉妹か。

 テイハには分からない。

 ただ、どこの誰だって構わないけれど、その二人が悲鳴を上げるのが煩わしかった。


 周りにあるのは死体と瓦礫。

 老若男女と器物を問わず、損壊した塊が躯を晒している。

 神――などと大仰に仰ぎ奉られる、自らが生み出した都合の良い幻想たちの手によって。


「命は、命は一つしかないんだよ……」


 我に返った子供たちは、ガチガチと歯を鳴らしながら死体の下から抜け出した。

 そうして、泣き顔で彼の死体からさえも逃げていく。

 何度も転がりそうになりながら、二人で懸命に廃墟と化していく街並みを走り去る。


「――確かに、今の君にお礼を言うなんて無理だろうけどさ」


 このいつ死ぬかも分からない状況で、首の無い男にお礼を言ってから去るなんてできる幼女が居たら凄い。

 冷静にそう受け止める自分とは裏腹に、凍てつく心はより一層彼女の感情に指向性をもたらせた。


 怒りが飽和する。

 そうして、助かったはずの少女たちが向かった方向が、次の瞬間には一瞬で吹き飛んだことで、尚更彼女の感情が振り切った。


「無駄死にじゃないか……」


 元よりその二人を助ける気など女には無かった。

 けれど、それが確かに止めになった。

 飽和した感情が決壊し、抑えきれない洪水となって彼女を突き動かす。

 指先が硬く握り締められ、ポッカリと空いた胸の空洞を埋めるために思考を染める。


「止めるなら今のうちだよアッシュ。ほら、なんとか言ったらどうなんだい。いつもみたいにさ、冷や汗をかきながらボクに文句を言ってみなよ……」


 俯いたままの問いかけに死体は何も答えない。

 元より、答える口さえもない。

 適当なことを言うこともできず、怒鳴りもせず、困った顔で何かを言ってきたりもしなかった。


「ねぇったら、ねぇ。お願いだからボクを止めてよっっ!」


 結局、彼女は偽物の神様で、破壊することはできても人を蘇らせることはできない。

 それを誰よりも理解しているが故に、八つ当たりしか出来ない。


――さぁ、いい加減ここでの結末を認めろ零炎 帝破<レイエン テイハ>。


 やるべきことがある。

 幸いなことに、それだけの力は彼女にはあったから。

 だから、生まれて初めて心の底から涙で滲む空を見上げた。

 


 晴天の下、清廉潔白を装う光が乱舞して同じモノと幾度も衝突している。

 馬鹿みたいな音を立てる剣戟。

 魔法のような奇跡の力で、周囲を滅茶苦茶に破壊しながら荒ぶっている。

 真下で誰がいようとお構いなしだ。


 彼らが刻み込まれた行動理念は、大多数の願いのためにある。

 だから、少数派<マイノリティ>など歯牙にもかけない。

 容易くその犠牲を許容し、大数の安寧のために望む通りに伝承をなぞる。

 正に悲劇喜劇の舞台装置を兼ねた圧倒的強者。

 それが、念神という偽りの神の真実。


 空で。

 大地で。

 街中で。


 誰も彼らを止められない。

 止めることが出来ない。

 数の暴力<マジョリティ>の願いの具現だからこそ、連中は際限なく調子に乗り続ける。

 乗り続けることが許される。

 本来は人々の希望を担うはずのものであり、ヒトの生み出した最強の幻想の劣化品<そっくりさん>。

 それでいて、人類種より当たり前のように強い念神様とはそんな存在であった。


――だが、ここにその特権を犯せるタダ一人のマイノリティが居た。


「――二度と復活できると思うなリストル」


 昏く重い呟き。

 だがその瞬間、確かに道理が裏返る。

 予定調和は崩壊し、虚構の神話が砕け散る。


「バグったオマエはもう、イラナイ。その後のサンプルにさえしてやらない」

 

――だから、精々最後の時を謳歌しろと、一人ぼっちに戻ったこの星の神様は決意した。


「燃やすぞ支配剣<レーヴァテイン>――」


 視界が燃える。

 炎が顕現する。

 途端に邪魔臭い涙が沸騰し、テイハの視界を明瞭に変えていく。

 滲んだ映像は鮮明になり、敵の姿をよりクリアに捉える装置<センサー>に戻る。


(燃やせ、燃やせ、燃やせ燃やせ燃やせ燃やせ燃やし尽くせぇぇぇ!!)


 それは、リアルを犯すべく造られた人造の夢の一欠けら。

 かつて別の実験世界で生み出された『悪意』があった。

 彼女が手にするものは、それに連なるモノだと、あのネットワークに繋がる諸兄になら分かるだろう。


「――喜びなよ終焉の魔神<レーヴァテイン>。今日はね、何時もと違って手加減の必要がないんだ」


 何せその理由が無い。

 だから。

 もう一度サンプル共に思い知らせて、夕焼けのような綺麗な茜色に染めてやろうと彼女は思った。


――でも、その前に。


「イシュタロッテ」


『嬢ちゃん……』


 黒の少女は、燃え尽きたアッシュの側で煤けた悪魔の剣を拾った。

 何か溶け出した金属片があったけれど、振るって散らし彼女に問う。


「君に聞くことは一つだけだ。何故、君はアッシュを無理矢理にでも逃がさなかった」


 彼女にはそれができた。

 神宿りシステムは既に実装させていたのだから、体を乗っ取れば助けられた。


『アッシュが、後ろの子らを守ろうとして引かなんだのだ……』


「――つまり君は、アッシュと見知らぬ子供二人を天秤にかけてあの二人を取ったんだね」


『違う嬢ちゃん! 妾はあ奴の意思をっ――』


 悪魔の弁解を、回線を遮断することで遠ざける。

 もう、これもイラナイと彼女は結論付けながら、触りたくないという意思を飲み込む。

 最後にたった一つだけ使い道が残っている。否、できてしまった。

 だから、このサンプルはほんの僅かな間だけ捨てないでやるのだ。


「嗚呼、そういえばこの実験はまだしたことがなかったな」


 はたして念神とは、いったい何回殺せば完璧に抹殺できるのか?

 無限リトライはない。

 そこまで人類は盲目的に神を信じられない。

 使えない神は捨て、自分に都合が良いそれを迎えるのが人類。

 ならば、必然的に有限になるはずである。

 何十、何百、何千、何万でもいい。

 行動の指針が決まったなら、あとは行動するのみ。


「神を名乗ることを恥じろ。オマエは今日、人間以下だと証明されるぞリストルッ!」


 右手に炎を纏うイシュタロッテを構え、彼女に気づいて愚かにも動きを止めた馬鹿二人を見上げる。

 その目に色は無い。

 すべてを飲み込む黒瞳は、感情を超越した透明な笑みを鮮烈なる意思で彩っている。


 もはやこの世界にストッパーは存在しない。

 外付けの良心回路は破壊され、神の法でもって純粋に活動するだけの暴君が生まれた。

 故に破壊神はただ、己の権利を正統に行使するだけ。


――さぁ、実験を始めよう。


 初めはいつだって小さい一歩から。

 なのに、その一歩で街が発火した。

 石造りの家さえも溶け出し、大気が灼熱の息吹と化して地表を嘗め尽くす。


「ハハッ――」


 地面を蹴り砕いて跳躍。

 ただ真っ直ぐに、清純なる光を目指す。

 それを構成するのは桁違いの数の暴力。

 しかし、それ以上の数を手中に収めている彼女には関係がなかった。


 一閃。

 ただの一振りで、悪魔殺しの魔法剣ごと砕いてその先の神を断つ。

 次の瞬間、剣より燃え移った炎が光の塊を悉く焼き尽くした。


「まず一回だ」


 炎の向こう、リストルの存在がただそれだけで構成魔力ごと消滅する。

 骨子となった想念諸共、伝承が焼き尽くされる。

 合わせて、さっきまで戦っていたはた迷惑な堕天使も彼女は邪魔とばかりに叩き切った。


「ハハ……想像以上だ。神……殺し……」


「どいてな。ボクは今忙しいんだ」


 燃え尽きる堕天使に言い放ち、少女は虚空に端末を立ち上げる。

 支配剣からクロナグラを監視している全ての監視衛星へと瞬時にアクセス。

 リストルの反応を検索し、復活位置を割り出す。

 同時に、伝承から逆算した他の復活ポイントへ文明初期化用にと用意されている対地レーザー砲の砲身を向けさせる。


(エネルギー充填次第順次発射。後は、終るまで斬るだけだ――)


 エンターキーを叩く。

 それにやや遅れてリストルの居る位置へと転移。

 その間に、光の柱が次々とユグレンジ大陸に降り立つ。

 町だろうが村だろうが関係ない。

 時間節約のためだけに、ピンポイントで聖地とその周辺を破壊する。


「なんだ、貴様は一体何なんだ!?」


「クロナグラ限定の神様さ。ひれ伏せよ、ボク以下の偽物風情がっっ!!」

 

 顔さえ分からない光の塊へと剣を叩きつける。

 神域の領域さえも凌駕する斬撃は、またしても相手の防御ごと打ち砕く。

 有り余る出力での戯れの一撃。

 ただ剣で斬っただけというその陳腐な一撃は、念神が防げるレベルを遥かに超えていた。


「二回」


 神の癖に、炎に焼かれて断末魔の悲鳴を上げる。

 堪え性は無いらしく、すぐに消えた。

 そうして、想念の力ですぐさま聖地上空に復活する。

 彼女はすぐさま眼前へと飛来。


「何故だ、何故先回りができる!?」


「他の聖地は全部焼いたからだぜ」


「馬鹿な……どれだけ聖地があると思っているのだ!?」  


「数は関係ないね。必要ならこの星ごと燃やしてあげるだけだ」


 彼女が努めて優しくレクチャーしてやると、何故か相手は身を震わせた。

 だからつい、彼女は怖気が奔る程に無関心な笑顔で教えてやった。


「そういえば君は創造神だったよね。ならさ、復活するために『創造』すればいいんじゃないかい?」


 創造神は全知全能。

 行動の結果は全て正しい。

 そういう信仰の元に生まれたリストルならば、この先の結末も視えているのだろうか?

 その問いもまた、彼女にとっては実に興味深く、暴き甲斐のあるサンプルだった。

 それは代償にさえならないが、少しでも埋めるためには何かが必要だった。

 彼の死を無意味で終らせないための何かが。


「――ッ!! 来い天使たちよっ」


 光が豚のような悲鳴を上げて仲間を呼ぶ。

 その背に、少女は悪魔の剣を突き立て燃やす。


「三回。しかしこれは無能の証明じゃないか? ええ、他称創造神君」


 手も足も出ないから、仲間を呼んで自分は逃げる。

 チンピラでもできる程度のことしかできないのだから。

 元より分かりきっていたことである。

 所詮は紛い物だと。


 念神に天地創造などできない。

 人の命を蘇らせることも出来ない。

 どいつもこいつも、ただの神様のそっくりさんだというだけなのだから。


「我等が主を守れ!」


「終末のラッパが鳴った!」


「ああもう、ごちゃごちゃ煩いぞサンプル供っ」


 構わずに斬る。

 空を埋め尽くさんと集った数が、その度に余剰火力だけで空ごと燃える。

 もはや天使も神も関係なかった。

 一切合財を焼き尽くす。


「何故だ、その剣は悪魔だろう!? 何故、魔法剣が通じない!!」


「それはオマエたちが弱すぎるからだよ」


 事ここに到っては、悪魔殺しの魔法剣なんて関係さえない。

 何せ、もうリストルは悪魔<イシュタロッテ>で殺されている。

 だから。

 唯一神の無能が証明され、伝承が綻んでいた。

 神話が歪む。

 聖書の一説は乱雑にも書き換えられ、人の信仰さえもが連鎖的に改竄される。その度に唯一神の神聖は失われ、想念で繋がっている信者の脳髄に、悪魔以下の神という式が刻まれていく。もはや信頼は地に落ちた。


 その果てにあるのは消滅。

 ただその当然の結果のみ。


「早くボクを倒さないとここに地獄の蓋が開くぞ。お前とお前の信徒があんな姿にした連中が、恨みを晴らしにやってくるんだ。この、ボクのようになっ――」


 斬る。

 何度でも。

 終るまで永遠に。


 ふと彼女が気づけば、悪魔の大群が天使を押さえ込み始めていた。

 皆が「最終戦争<アルマゲドン>」とか訳の分からないことを叫びながら、彼女を利用して戦っている。

 余波で焼かれても変わらない。

 それが彼らに与えられている神の敵としての役割だったから。

 どこかで復活し、転移魔法で現れては天使と争う。


 なんて醜い争いだったのか。

 たった一人、神様より強い何かが現れた程度で虚構の神話が脆くも崩れ去り、神の地位は貶められた。

 そんな脆いもので何故信用されたのか?

 他人が分からない彼女には、なおさらにそれが分からない。

 昔はそれが弱さだと言ったこともあったが、それだけではないのではないかと夢想した。

 ただ、それは余分な思考ではあったからすぐにそれも脳裏から消えた。


「こんな程度の連中が神を気取ることが許されるのかい? 自称するボクも含めてさぁ、どいつもこいつも恥ずかしいったらありゃしないぜっ!!」


 首を撥ねる。

 上下に分ける。

 左右に分ける。

 四つに分割する。

 十七つに分割する。

 百八に切り刻む。


「――101回。さぁ、教えてくれリストル。君は後何回生き返る? 君は後何回無様を晒す? 嗚呼、嗚呼、嗚呼嗚呼! でも安心するといい。信徒を狙って楽に一撃で終らせる気は毛頭無いんだ。一番、ありえない方法でお前を消す。二度と復活できないように、特に念入りに、この薄情な悪魔でなぁぁっっっ!!」


「や、やめろぉぉぉぉ!!」


 結局、彼女にとってそれはただの作業だった。

 復讐は何も生まないと言うが、正にその通りである。

 何せ、これはただの後始末なのだ。

 そこに一欠けら程の生産性も在りはしなかった。


 こうして、レイエン・テイハは彼の愛剣『イシュタロッテ』を手に神を抹殺。

 用済みになった彼女の想念を稼働域以下にして捨て、そして。


――世界を黄昏<ラグーンズ・ウォー>へと追い込んだ。


 結末はきっと陳腐で、呆気ない幕切れでしかない。

 それは彼女自身がよく知っていて、だからこそ余計に唐突過ぎた。

 だからその日に彼女はより近づいたのだろう。

 本物のドリームメイカーに。

 不可能なはずの夢を現実に持ち込もうとする彼らの仲間に。


 やがて彼女は手を伸ばした。

 誰もが一笑に付すだろう夢に。

 あの、『転生』という名の幻想に。









――数年後、地球日本某所。


「もしもし?」


『パンパカパーン! おめでとうございます!!』


「……は?」


 専門学校生、灰原はいばら 修二しゅうじは驚いた。

 登録していない番号からの電話、いきなりの祝辞、そしてどこかで聞いたことのある声に彼の頭は一瞬でパンクした。


 知っているような気がするが名前が出てこない。

 友人の悪戯かとも思ったが、皆目相手の女性名が思い出せなかった。


 だが、それは在り得ない。

 知っている相手なら名前か顔ぐらいは脳裏に浮かぶ。

 健忘症になるには十九という年齢はまだ若く、女性が相手ならなおのこと知り合いは限定される。

 何事かと思ってとりあえず黙って相手の言い分を聞いてみて、また更に彼は驚いた。


「ド、ドリームメイカー社の無限転生オンライン……ええっ? 貴女がレヴァンテインの声優さん!?」


 修二は対応に一杯一杯だった。

 携帯通信機越しに無駄にペコペコと頭を下げ、声を荒げた。


 当然だった。

 レヴァンテインの声優は公表されておらず、PVとゲームの中でしか声は聞けない。ネットの掲示板で声優オタたちが誰だ誰だと推論してはいるが、一考にそれらしい情報がないのだ。自称声優が名乗りを上げるも、単純に釣りだったりと芳しくない。


 そんな謎の声優が、ユーザーに直接アンケートをする企画にまさか自分が当選するとは。ゲーム内でレヴァンテインを手に入れた時と同等の興奮で、彼は思わず寮の自室を転げ回った。


 勿論詐欺の可能性はあった。

 けれど何故か、修二はそれが不思議と嘘だとは思わなかった。

 レヴァンテインのツクモライズなど日常茶飯事だったから、あのNPCの声は彼にとっては聞き慣れたそれだったからである。


 だから、かもしれなかった。

 恐ろしいほど馬鹿丁寧に、しかし本気でそのアンケート調査に修二は望んだ。

 特に難しい質問はない。

 ゲームの好きな所、嫌いなところ、改善するべきだと思うところ。

 不自然などまったくない質問に答えていった。

 如何に自分がそのゲームに嵌っていたかなどを話しては、自身で引かれないかと後悔したほどに。


 とにかく、一分一秒でも長く耳を澄ませた。

 相手の性格はまるで違う。

 当然だ。ゲームで作られたキャラクターと、声優本人が同じなわけが無い。それでも、まるで生きたゲームのキャラと話しているように錯覚した。


 それは、途中で相手がサービス精神を発揮してよりレヴァンテインらしい声色を使った辺りから加速した。

 彼にとっては、その時間は正しく宝クジを当てたような瞬間である。

 けれど、一つでも多くの設問を欲しても終わりの時間はやってくる。


『――さて、最後にちょっとだけ個人的な質問をいいかな?』


 レヴァンテインの声色が声優のそれに戻る。

 けれど、それで彼の熱は冷めない。


「ええ。何でも聞いてくださいよ」


 これが全部詐欺だとネタ晴らしをされても、今ならなんでも許せそうだった。

 そんな彼に、彼女は不思議な問いをした。


『もし、もしもの話しだけどね。修二君が異世界に生まれて、冒険者だったりなんかしてね。それでゲームみたいにツクモライズが使えて、更にあの娘を、レヴァンテインを持っていたらどうするかな?』


「どうするって言われても……えと、多分一緒に旅とかするんじゃないでしょうか」


『それだけかい?』


「そ、それだけって言われても……その……」


『お嫁さんにしたりはしないのかい? 鍛冶職じゃあ流行しているんでしょう?』


「ええっ!?」


 確かに、一部のユーザーたちの間では嫁扱いが流行っていた。

 ゲームというコンテンツを楽しむ一環として、そういう冗談みたいなノリは存在する。それに仲間内で興じたりもしてきたが、さすがにそんな想像をしたことはなかった。


『アハハ、ゴメンゴメン。他のプレイヤーと比べてね、君のレヴァンテインのツクモライズ率が一番だったからボクが声を掛けられたところもあってね。それぐらい愛されているのかどうかが知りたかったんだ。どうだい、そこら辺を赤裸々にお姉さんに教えてくれないかな? サービスしちゃうぜ』


「さ、サービス!?」 


『テレフォンアンケートにお答えしてくれた君には、もれなく記念品が贈呈されるんだ。壁紙とかシステム音声とか、後はキャラ個人からのお楽しみボイスメッセージが……え、これ秘密だったの? ちょ、ごめん。今のオフレコでお願い。ネットで呟くのも禁止ってことで!』


「は、はぁ……」


 うっかり可愛い、などと思うよりも先に、修二はその声優の進退を心配した。

 当然、スレに書き込むなんてこともするつもりもなく。


『で、どうだい。リクエストがあるなら今のうちだよ』


「じゃ、じゃあその……せっかくなんで『格好良い感じの奴で』」


『……ん。アッシュのために吹き込んでおく』


「ちょっ、いきなり声色!?」


『アハハ。声はボクのだからこれぐらいはねぇ』

 楽しい時間の終わりが待っている。

 だからこそその前に、修二は疑問だったそれを尋ねた。


「と、ところで、その、声優さんの名前ってなんなんですか? ネットで探しても見つからなくて……」


『あー、それは秘密なんだよね。元々私は外部の助っ人だから』


「そう、なんですか。勿体無いなぁ。多分、俺はレヴァンテインのあの声が一番気に入ってたんで。その……残念です」


『そっか。ありがとうね。んー、これはまたもしの話しだけどね。もし、君が転生して側にレヴァンテインがいたらよろしくね』


「はい! って、好きなんですね転生ネタ」


『ネタとしてはB級だけど、立場上否定できないんだよねぇ。だから、かな?』


「はぁ、よく分からないですけど……いいですよ。転生してレヴァンテインが側に居たら声優さんの言う通りアタックしてみますよ。実はその、キモチワルイと思われるかもしれないですけど、あの娘は俺の、初めての二次元嫁なんで」


『おおっ、そうなのかい!? それは嬉しいカミングアウトだよ!』


「や、まぁ……ネットではスキルのせいで畏れられまくってますけど、なんだか貴女と話しているとやっぱり良い娘みたいに聞えるし。あと、あの透明な感じの澄んだ声が凄い好きだし。もし転生してその時が来たら、是非よろしくってことで」


 下らない世間話だ。

 灰原 修二にとっては若き日の過ちで終るような会話である。どうして自分がそこまで踏み込んで言えたのかは、思い返しても彼には分からない。


 ただただこの時間が無性に楽しかった。

 だから、だったのか。どうしてかそう言わないといけないとさえ、その瞬間には感じていた。もしかしたら、二度と話せないと分かっていたからかもしれないが、彼に後悔はなかった。


『ん、その日が来るのを楽しみしているよ。にしても君は優しい子だね。こんな馬鹿話に付き合ってくれるなんて』


「や、その、その分お楽しみメッセージを楽しみにしているっていう打算があったり」


『はっはっはー。正直者は得をするよ。ボクはそういう子は結構好きだしね。――さて、それでは名残惜しいですが、ドリームメイカー社のフルダイブ型ネットワークゲーム。無限転生オンラインに対するアンケート調査はこれでお仕舞いです』


「あ、はい」


『どうも最後までお答え頂きありがとうございました。一月以内に登録されている住所に記念品を郵送させていただきますので、これからもご愛顧のほどをよろしくお願いします。では、最後にもう一つだけ』


「え? まだ何かあるんですか?」


『――可能性をありがとう修二君。ボクは君とのこの出会いを嬉しく思うよ。――ん。転生先で待ってる。バイバイ、好きだったよアッシュ』


 ツーツー。

 通話は途切れ、端末の向こうから熱は消えた。

 右手に持った端末を見下ろして、名残惜しげに彼は電源を切る。

 ゆっくりと先ほどの会話を振り返りながら。


「はは。なんだかサービス精神旺盛な人だったなぁ」


 時間を取らされたことに、まったく不満を覚えないほどに楽しかった。

 それどころか、端末の向こう側に居た見も知らぬ誰かに、これほど強烈な未練を抱いたのはこれが初めてだった。


 透明な声。

 不思議な程にしっくりと来るその声色に、安堵さえ抱いた自分が妙に彼には不思議だった。


「うっし。やるか!」


 落ちないテンションのままに灰原 修二は布団に寝転んで、ログインするためにバーチャルダイバーを頭に被る。

 どうしてか、無性にあの無表情なNPCの声が聞きたかった。


(それにしても転生かぁ。二十一世紀に逸ってたジャンルみたいだけど……二十五世紀まで残ってるぐらいだしなぁ。別に嫌いじゃないし、本当にそれであの娘が側に居たらその時は間違いなく特別扱いするかも……なんてなっ! あっ、そうだ。ショートとロングがカンストしたら、そろそろ俺もキャラを転生させるかなぁ。種族に悩むんだけど……精霊さん狙いでエルフあたりにしてみるかなぁ)


 そうして、彼は意識を手放す。

 無限転生オンラインで、『アッシュ』という名のプレイヤーとなるために。






――更に千年後。


「さすがに、仕事の片手間とはいえ長かったぜ」


 円筒状のカプセルを見上げながら、黒髪の少女が呟いた。

 ここは、彼女の保有する実験室<ラボ>の一つだった。

 その星に存在しないはずの機材と知識を持つ彼女は、自他共に認めるほどに特異な存在である。


「――いや、案外短かったのかもしれないね。千年か。テイハの夢の片棒を担ぐってのは思った以上に大変だったけれど、やってやれないことはなかったなぁ……」


 彼女はクリエイターであった。

 三千世界のどこかに居るはずの同志<ドリーマー>の依頼をこなし、欲しがるものを研究し、そのデータや研究成果をネットワークに繋がる者たちに還元するのが先代から続くお仕事である。


 梃子摺ることもあれば、案外楽に終る仕事もある。

 だが、この仕事だけは失敗するつもりはなかった。


「後、五パーセント」


 少女の更に前。

 カプセルの表面に両手で触れたまま、無表情な紅い髪の少女が食い入るような目で中で眠る金髪の男を観察している。


 彼女と同じだった。

 彼の生誕の瞬間を、今か今かと待ちわびているのだ。


「待ち遠しいかいレヴァンテイン」


「ん」


 振り返り、素直にこっくりと頷く紅の少女。

 黒の少女はそれを見て、気分良さげに部屋を出た。

 が、彼女が数歩もしない内にレッドアラートが鳴り響く。


「――ッッ!?」


 振り返り、今にも閉じようとした自動ドアの向こうへと滑り込む。

 そうして、ただただ愕然とした。

 今の今までそこに居たはずの人物がその場から消えていたから。


「……妹よ。いったい今、何があったんだい?」


「アッシュ、目を覚まして消えた」

 

 端的な返答は、明快すぎてどうにも要領を得ない。

 ただ、言った紅の少女も理由が良く分かっていないようだった。


「ふむん。そんな馬鹿なことがありえるのかな?」


 少女は中空に立体映像<ホログラム>を投影し、その瞬間の監視映像を凝視する。

 すると、確かに妹の言うとおりだった。


「残り四パーセントになった瞬間か……」


 訝しみ、それの現在の状況を確認しようとしたところで、先に紅の少女が彼女の眼前に別の立体映像を投影する。


「ありがと。んん? これ、途中で念神に変質してないかい?」


「しかも未完成のままで稼働してる」


「おおう、なんという想定外だ。何をどうしたらこんなことになるのさ」


 それは、既に活動していた。

 ありえないと、否定するのは容易い。

 だが、現に動いているのだからしょうがない。


「位置は……エルフ・ラグーンだね。んー、となれば……」


「盗まれた?」


「みたいだね。アハハ、お礼に燃やすぞ実験体<サンプル>共め」


 笑顔で報復を計画しつつ、黒の少女は連中の犯行方法を推理する。


「物理的に、じゃないね。直接ここに来れるわけもない。仮に召喚魔法ならレヴァンテインもボクも気づくはず。なら偶然にも等しい? んー、状況から考えるとだ。混線して真ッ更なのが染められてあんなのになったんなら説明はつく……のかな?」


 一応は問題なく稼働していることだけは確認できている。

 未完成故に機能不全な箇所はあるが、稼働による異常はほとんど無い。

 しばしの黙考。

 黙って結論を待つ少女がそわそわしているのを横目に、レーヴァテインは決定した。


「このまま性能実験もしようか。妹よ、アレはどうも前世を思い出してないようだ。その間はゲーム気分で楽しんで来るといい」


「……お姉ちゃんは?」


「適当に観測と通常業務をこなすよ。だから、アッシュが思い出すまではさ、ルールの範囲内で好きに遊んできな。で、思い出したら演出でもして驚かせてやろうよ。いきなりは彼も困るだろうから、これをチュートリアルにするんだよ。この際、プレイヤー気分を味あわせてあげちゃおう。男の子って、ああいうのが好きだと思うしね」


「いいの? ずっと思い出さないかもしれない」


「それはないね」


 それは期待のような願望であったかもしれない。


 ただ、それでも。


 当たり前にその瞬間が来ると、彼女は愚かにも信じきっていた。

 だからいつもの透明な笑顔で、大事な妹に彼女は笑いながら言うのだ。

 

「だってさ、アッシュは世界<クロナグラ>よりテイハを選んだ男なんだぜ?」


 彼女が追っていた夢が動き出す。

 最後の実験の結実の日は近い。

 そのために実験場の破壊さえ可能性にいれた彼女の代替は、あの幻想へと手を伸ばした。


――レイエン・テイハが夢見た、あの転生という名の幻想へ。


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