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第八十五話「支配剣を持つ者たち」


「全方位には天使の群れで、仲間はエルフ族っぽくない鎧のニューフェイス。オマケにラグーンが宇宙にあって要塞っぽいのもくっついてるときた。なんだこれ? 俺の理解を超えて余りあるぞこの状況」


 左手で頭をかくその青年は、敵意もなく自然とアクレイに背を向ける。

 全身に纏う炎も、心なしか困惑により出力が落ちたようだった。しばらくしげしげと周囲を一瞥した青年は、当たり前のように更に問う。


「ファンタジーの次は宇宙かよ。俺がいない間にクロナグラに何が起きたんだ?」 


「……失礼。どこかで聞いたような声なので知り合いだと思いますが……貴方はぶっちゃけ誰ですか?」


「はあ? 誰ってお前……」


「フッ。すっかり忘れられているらしいな廃エルフ」


「うげっ!? その声、まさかお前アリマーンかっ!?」


「いかにも余だが?」 


 理解できないとばかりに青年――アッシュが眉間を押さえる。

 だが困惑しているのはアクレイも同じだった。


「アッシュ? にしてはその……姿どころか種族まで違いませんか?」


「たいしたことじゃない。俺は俺だぜ。それより今は共闘中ってところか? うへぇ。何がどうすればそうなるんだよ」


 アッシュはもう、考えたくもなかった。

 間違いなく厄介ごとだろうと聞かずとも分かるからだ。


「これはアレか? 強力な敵が新しく現れたから、昨日の敵は今日から味方みたいな奴」


「概ねその通りだ。鈍い貴公にしては理解が早いな。見直したぞ」


「まぁ、アッシュですしね。もう考えるだけ無駄なのでしょうね」


「そういう納得の仕方は傷つくからやめれ。――で、手伝いは必要なのか?」


 敵が天使であればリストル教とクルスが連想される。そこから導き出される答えはそう多くはない。


「そうしていただけると助かりますね」


「用事があるから俺はすぐに行くが、相手が天使ならあいつの敵じゃないだろ――」


 アッシュは左手を伸ばし、虚空から純白の刀身を持つ悪魔の長剣を取り出して掲げる。


「――付喪神顕現<ツクモライズ>!」


 瞬間、彼らの眼前で長剣が光に包まれ形状変化。

 アーティファクト状態から擬人化され、銀髪ツインテールの少女として顕現する。彼女は自然とアッシュの左腕に抱かれると、おもむろに唇を奪われる。


――ロマントリガー。


 最初のアーティファクトにのみ仕込まれたバグの名残り。

 キスによるフラグ解放によって、スリーピング・デビルが目覚め、アッシュに問うた。 


「……妾、状況がまったく分からんのじゃが?」


「安心しろ。俺にも回りの天使が全部敵だってことぐらいしか分かんねぇよ」


「ふむ? まぁ天使なら皆殺しにしてもなんの問題もないがの」


「想念は全盛期分程度でいいな?」


「十分過ぎてお釣りが来るのう。して、お主はどうする?」


「そりゃ大物を狙うのさ」


 天使など目じゃない反応が要塞の中から放射されている。

 彼のデータベースにも、当然のようにそれの反応は登録されていた。


――終焉の魔神<レーヴァテイン>。


 賢人レイエン・テイハの遺産にしてこの星の支配剣。

 それを黙らせなければ月から帰ってきた意味がない。失敗作と断じられた身の上であるため、その要因となった全てが焼き払われていてもおかしくはなかった。

 けれどアクレイが生きていることで、まだクロナグラは滅ぼされていないことは確定した。宇宙から見た惑星の緑も見た。確信は希望へと変化して、邪魔の入らない孤独な空の上での決着を彼は希求する。


「アクレイを頼む。危なかったら無理やり森にでも転移して待っててくれ」


「……良かろう。雑事は早めにこなすのじゃぞ? 終ったら紅いのに切られた加護の付け直しだ」


「あいよ。なら今度は腹上死コースで頼むぜ」


 抱いたイシュタロッテを解放し、アッシュは遺産へと視線を向ける。


「廃エルフ」


「んあ?」


「アレが掌握される前に跡形もなく消し飛ばせ」


「……まぁ、クロナグラに隕石落とすわけにもいかないしな。お前らも用が済んだら帰れよ。この辺、下手すりゃ諸共消し飛ばすぞ」


 言うなり、背中越しに手を振ってアッシュは結界の外へと消えた。

 紅い炎が遺産へ向かって残光を刻む。

 その光景を見たアクレイは、心の底から生じた安堵に苦笑した。


「――だそうですが、どうしますアリマーンさん」


「冗談ではないな。奴が失敗した場合に備える必要がある」


「ですね。イシュタロッテさん、すいませんがギリギリまで彼を守って下さい」


「ほ? お主ではないのかえ」


 空の上、悪魔の少女は気負うことなく神気を解放する。

 同時に蝙蝠のような翼がその背に顕現し、纏う魔力障壁の出力が特上の念神レベルへとシフトする。それだけで周辺の大気が確かに震えた。

 生じる魔力風に、白黒の継ぎ接ぎしたようなドレスと銀髪が靡く。

 否定されるべき悪魔の想念が、天使たちのそれを蝕む威容となって精神にのしかかる。けれど、それを前にしてもアクレイとアリマーンは感嘆するのみ。


「いやはや、これは頼もしい」


「さすがは神殺しの大公爵といったところか。当然のように特上クラス……真なる意味で伝承を超えるとはそういうことか」


 絶対に抗えないはずの理は千年も前に覆り、その信仰は大昔に裏返った。

 千年の時を経てもそれは変わらず、神の死を苗床にその位階は繰り上がり、格付けされた悪魔の力が慄然と現代に蘇える。

 そんなでたらめな奇跡が、そこにはあった。


「ぬふふ。唯一神の上じゃからのう。想念さえ確保できればこの程度はの」


 かつて世界最大の宗教が生み出した念神の、その最上級レベル。木っ端な信仰のそれとは比べ物にならないほどの余力がそれにはある。しかも星に魔力が豊富に溢れていた時代の全盛期であるから、今のこの場では頼もしいことこの上ない。


「そして当然だがの、妾の特質は今もまだ消えておらんぞ。この意味が分かるかえ?」


 右手には鉈のような剣を、左手には刃が鎖で連結された蛇のような剣を手に取って、イシュタロッテが魔力を励起する。想念の量はすでに満タンどころか、過剰供給気味で力が溢れかえっている程だった。もはやかつてのツクモライズの恩恵を圧倒的に超越している。

 故にただ、悪魔王の一角として彼女は敵に告げるのみ。


「――消え果てよ下級天使供。神殺しの悪魔たる妾の贄にされたくなければのうっ!」


 次の瞬間、有り余った力で顕現した魔炎がラグーンの空を暗く染め上げた。







 その手に握る剣がある。


 紅く燃えるその剣の真の名は魔刃『レヴァンテインズ』。

 クロナグラに二柱しか存在しない第二種想念神――通称『概念神』の、その片割れだ。

 それを手に、アッシュは遺産の真下へと回り込む。

 既にその身はゲーム補正から解き放たれ、プレイヤーとして想定されていた機能の全てを完全に有していた。欠陥であった魔力と想念の感知能力は当然として、魔法及び魔術を行使する能力も解放された。

 一部のゲーム機能は戦闘を円滑に行うために限定的に起動はしているが、足りない部分は全てレヴァンテインズに丸投げされている。


――とはいえ、彼にはそもそも魔術の知識も魔法の知識もありはしない。


 マニュアルはヘルプとして彼の内蔵するデータベース存在はするが、そのための時間がなかった。なので、そこらはおいおい埋めればいいとして完全に開き直っていた。

 そもそも生半可な攻撃はレーヴァテインには通じない。

 それをするなら、殴りつけると同時に破壊エネルギーを直接叩き込んだ方がよほど効果があるとは、レヴァンテインズの大本人格の言である。


『で、あれはなんなんだ』


『強いて言えば昔の宇宙ステーションかなぁ。元は資源衛星だったんだけどね。くり抜いて昔の先代たちが使ってた。多分、もういらない奴だと思うから壊しても問題ないよ』


 脳裏に響く『テイハ』の声に、アッシュは頷いて魔剣を両手で握り締める。


『あいつ、隕石でも落とすつもりだったのか?』


『そんなことをする意味なんてないけどなぁ』


 直接焼き払ったほうが早いのは明白だ。

 それなのに無駄な手間をかける意味がない。


『多分さ、破壊しやすい位置まで落としてたんじゃないかな。ボクってほら、偶に衝動的に行動する時があるじゃない。たかが石ころ一つ押し返してやるってノリだったのかも』


『そんなはた迷惑な衝動は捨ててしまえ』


 そもそも同意を求められてもアッシュは困る。

 アーク・シュヴァイカーとしての記憶はあっても、その実感は酷く希薄だ。知っては居てもそれだけ。まるで他人事のような気しかしないのは、彼が灰原 修二<アッシュ>としての自我を確立しているからに他ならない。

 完成してもそれは変わらず、気にしても意味がないために適当に流していた。


 もはやレーヴァテインの望むアーク・シュヴァイカーにアッシュは成れない。いつかの昔にイシュタロッテに身代わりには成れないと言ったとおり、彼の自我は固まっている。成長して変化することはあっても根本的に別人で、転生したところで主観が灰原 修二であるため似てはいても完全に一致などするはずもない。


『にしてもこの体、違和感が凄いぞ』


 宇宙服もなしに真空の宇宙で活動できるなんて、アッシュは考えたこともなかった。その体はもう、人を模しただけのただの擬似物質化した魔力の塊。熱いとか寒いとかも人の感覚をただ再現しただけで無視してしまえる。

 そもそも酸素を用いた肺呼吸さえしていない。食事もできるし呼吸もするが、全身を流れる血流さえも全てが完全に作り物。


 生存に必要なのは概念も伝承も含まない純粋な想念のみ。

 それを供給できるレーヴァテインかレヴァンテインズとのラインが存在する限り、その存在は維持できる。

 もはや彼は完全にそういう存在へとシフトしていた。

 いや、完成する直前に戻ったというべきか。


『何でテイハはこんな体にしたんだろうな』


『勝手に死なれないようにするためだよ』


『そんなもんかね』


『ボクは以外と我侭な女だぜ? だから君の全部が欲しかったんだと思う』


『重いっての。愛があればなんでも許されるわけじゃないだろうに』


 愛は免罪符としては一級品でも、独善としすぎていて振り回される方はたまらない。

 アーク・シュヴァイカーはそれでも受け入れたが、やはり今のアッシュには無理だった。


『だからこうやってリベンジに来る羽目になる。神様の我侭に振り回される身になってもらいたいもんだよ。前世の因縁なんて今時三流ネタ過ぎて流行らないぜ』


 愛の切れ目が縁の切れ目。

 先に突きつけてきたのが相手であり、創造主だとしても関係はない。最悪失敗作なのはもうどうでもいいとさえ彼は思う。


 ただ、その星で生まれて、何も知らぬままに世界を巡った。

 その中で得た数々の体験と出会いが、クロナグラへの愛着となって彼を縛る。


 別に贅沢なことを言っているわけではない。

 望むのはただの平穏だ。心身ともに楽になれる平穏だ。

 ただそれだけのために、彼は月の底からこの星に帰ってきた。


 そのためにはレーヴァテインが邪魔なのだ。


『――クロナグラを奪い取るぞ。あいつの分身を神様の座から引き摺り下ろして、まったりのんびり適当に生きてやるのさ。それが今の俺のハッピーエンドだ。だから頼むぞレヴァンテインズ』


『あいあい。でも覚えておきなよ。やばくなったらすぐにボクが出る』


『それでいい。初手で俺が出張るのは多分我侭だけどさ。――それでも、俺にできることはやらないと、な――』


 力が収束する。

 惑星の外に出たことで、レヴァンテインズの出力制限はまたひとつ解放されている。

 今なら惑星間戦争だろうとやってのけるほどの出力がある。


(やっぱり桁違いだ。あいつが誰も彼もを無視して傲慢に振舞えるだけのことはある。ほとんど無尽蔵じゃないか反則兵器め。そもそも本人たちでさえ限界性能を知らないってなんだこのふざけた兵器は)


 暗黒の宙の中。

 星の青を背に相対速度を合わせながらアッシュは魔剣を上段に構える。

 狙いは重力に引かれながら緩やかに落ちている衛星の、その中心にある超高エネルギー反応。何をしているのかはアッシュには分からない。だが、隕石ごと吹き飛ばして開戦の狼煙にするのも悪くはなかった。


(分類したらこれは痴話喧嘩になるのかな?)


 それは呆れるほどに独善的で、ただただ救いがなかった。

 クロナグラ史上において、ここまで身勝手な理由を押し通す者はきっと自分たちしかいないだろう。

 そうと分かっていながら、それでも頭上を見据えてアッシュは未来を希求する。


――魔剣が変形。


 物質然としていた形状を破棄し、炎で作られた剣へと移行する。

 熱量などもはや、測定するだけ意味がないだろう。

 そもそもその炎は、酸素を燃焼して作るようなそれではなくて、魔導科学的に作用して猛威を振るう魔導の力の顕現である。


『――出力は安定している。そっちとの同期も完璧だ。レーヴァテインの真似ができるように爺に調整させた甲斐があったぜ』


 真紅の炎が更に発光。

 太陽の如き輝きを放って解放の時を待つ。


『セーフティー解除。いいよ、そのまま振り下ろして!』


『おっしゃぁぁぁ!! くたばれ破壊神!!』


 ただただ渾身。

 神の座の簒奪のため、集めた力を解放するべく魔剣を振るう。

 次の瞬間、極大の紅が閃光となって遺産へと放たれた。





「――ここもかっ! まさか端末が死んでいるとは!」


 途中の端末は、全て内部AIが回線を落としていた。

 侵入と同時に隔壁が降り、内部の防衛兵器もまた気休めに駆動する。

 レッドアラームはやかましいほどに鳴り響き、獅子身中の虫への警戒を促し続ける。


 誰もいなくなった衛星でも、AIは内部を保全し続けていた。

 その長年の努力が、しかし今日で終わりだということを彼らは知らない。


 もとより、それにレーヴァテインの情報はない。

 支配剣の支配の外側に落ちた以上は、フリーパスなど夢のまた夢。

 管理AIであるユグドラシルか、当時のドリームメイカーなら反応はしただろう。

 当然未登録のグレイスが歓迎されることはなく、その目的が中枢へのアクセスだと看破されれば機密保持のためにAIは手を打っていく。


 おそらくは職員の個室だったその部屋を出て、グレイスは内部隔壁を拳で打ち壊す。

 苦も無くひしゃげた隔壁を紙のように引きちぎり、教皇は散策に没頭する。

 見取り図のひとつでも見つければ良かったが、生憎とそれらしいものは見当たらない。電光掲示板の類は電源が落ち、施設の電力も先んじて落とされていて強化ガラスと非常灯の微かな光だけがあたりを照らしているだけ。


 魔法で浮かべた照明用の明りがあるので問題はないが、広すぎる内部で彼は完全に足止めを喰らっていた。

 レイエン・テイハの記憶があるといってもそれも歯抜けで完璧ではない。


 その上、テイハはこの施設の概要は知っていても内部構造までは熟知していない。そもそも必要なら引継ぎデータをユグドラシルのデータベースにアクセスすれば事足りた。

 それでも彼は苛立ちはしても焦ってはいなかった。

 むしろ逸る心を押さえつけるのに必死だったのだ。

 単純な理由が二つある。


――一つ、アリマーンたちは賢人の文字を知らず装置の使い方も知らない。


 電気や機械装置さえ満足に知らない者たちに、パソコンなどをすぐに理解しろという方がありえない。


――二つ、ユグドラシルが攻撃を仕掛けてくるならそれで新しい施設を発見できる。


 行動そのものが露見へと繋がる。

 一度ここまで上がってきたなら、逆算する程度の知恵は彼にだってある。

 

 だから油断していたというならしていたのだろう。

 悔やんだのは、それが接近してきてからのことだ。探知用のプログラムの調整もしてはいたが、一から作り直したせいで信頼性には乏しい。それでも今できる最低限のことはした。おかげでアスタムたちの作戦を感知できたのだから無駄ではなかった。


 けれどここは宇宙空間。

 今なお広がり続けるその広大な領域を往くモノからすれば、余りにも性能はお粗末だ。

 故に、識別さえできない超級のエネルギー反応が突如として付近に接近してきた頃には遅かった。


「――まさか、新しいドリームメイカーかっ!?」


 ありえないとは言い切れない。

 だが、まだ接触することはできない。

 レーヴァテインの知り合いであった場合、言い訳ができないからだ。


「くっ!」


 彼にできたのは、一刻も早くユグドラシルへと続く端末を探すことのみ。

 中枢部といえば、要塞のもっとも安全な内部付近だろうと適当に辺りを付けて突き進む。


「間に合うか? ええい、本当にままならない!」


 それが無理ならば、新たなドリームメイカーから奪い取るしかない。

 できるかという問題は放置して、それしか現状では手段が無い。


 逃げることは考えた。

 反応を隠しさえすればしばらくは持つ。

 だがそれもユグドラシルと相手が接触した場合のことを考えれば下策。


 結局、彼は己の運に掛けた。

 隔壁をぶち抜き、加速した知覚の中で走り続け、そうしてようやく管制室らしき部屋を見つけた。

 スクリーンには自爆装置らしきカウントが三分を切っていたが、一顧だにせずに端末の椅子へと滑り込み、辛うじて記憶していたパスワードを撃ちこんでいく。


 果たして、その願いは通じた。

 管理が面倒だからという理由でそのままだったのかは彼は知らない。

 ただ、そこで一生分の運を使ったのかもしれない。


「よし、これで後は――」


 次の瞬間、グレイスの体が紅の閃光に飲み込まれた。






「なんともすさまじい光景ですね」


「引くぞ」


 紅い奔流が真下から遺産を飲み込む光景がある。

 飲み込まれたら跡形も残らない、まさに灼熱の如き一撃は暗黒の空にその色を刻み込む。


 恐怖以外の感情など、それの前にはありえない。

 念神であっても驚きを禁じえないその破壊力は、歯向かうという感情さえも焼き尽くす。


「……ここでの勝敗は決した。全ては奴が戻ってきてからだ」


「いやはや、長生きはするものですね」


 怪魚バハムートの時のそれさえも、もはや圧倒的に凌駕していた。

 それが現実の光景だと受け止めることさえできるのならば、当然のように彼も判断せざるを得ない。


「私たちは引きます。ひとまずはペルネグーレルへ!」


「先に行けい。森で会おうぞ!」


 魔炎交じりの蛇腹剣を振り回し、雨のように魔法の武器を射出していたイシュタロッテが動きの止まった天使たちへの攻撃を再開する。


「これで教皇への勝ち目が出たな」


「それどころかラグーンズ・ウォーもなんとかなるでしょう」


 歯噛みするよりも先に、その楽観論への納得がアリマーンの胸中を埋め尽くす。

 刻まれた敗北の味の苦さはある。

 しかし教皇に遺産を渡さないという目的は最低限達成され、賢人と縁がある男の再臨で新たな希望が見えた。


「――本当に、良くも悪くも驚かせてくれる男だ」


 一度だけ、目も覚めるような紅光を振り返った悪神は戦場から離脱する。

 後に残されたイシュタロッテも、最後にもう一度だけ魔炎を放って転移魔術を行使する。

 これ以上は彼女の領域ではないのだ。

 その先を拝めるのは、この星の神の座へと到達できる資格を持つ者だけ。


(無事に降りて来るのじゃぞ。ハイエルフの嬢ちゃんも人間の嬢ちゃんたちも、お主を知る者が帰りを待っておる。当然妾も……な――)





――衛星軌道。


 跡形も無く消し飛んだそれを見届けて、アッシュはラグーンへと飛翔する。


 油断はしない。

 レヴァンテインズ経由で飛行魔法を応用し、結界の上に静かに佇む。

 その目は彼方に消えたレーヴァテインの反応を追い、油断なく目を凝らしていた。


『気をつけて。ここだと向こうも制限がほとんど無い』


『アレはどこまでできる』


『その気になれば超光速戦闘も行けるかな? でもボクが知る限りにおいては、レーヴァテインにもレヴァンテインにもそこまでの戦闘システムが詰まれる予定はなかった。必要が無かったからさ、できて亜光速戦闘ぐらいが精々だと思う。見たところこの体には詰まれてないから、多分そこまではいかないはずだよ』


 星の上ではそこまでの力は要らない。その相手も居ない。だから、必要以上は求道してはいない。出力もそう。本当の限界など、共に知らない。


『正直、インフレしすぎだと思うんだが』


『サンプルにやる慈悲は無い。それがボクたちの常識だ。過剰戦力を用意するのは身の安全を守るためのお約束なのさ。猛獣の檻に備えもなく入る奴なんていないでしょ?』


 納得はしないが、価値観の差だとは理解できた。

 だから、アッシュは励起した魔剣を構えたまま再開の時を待つ。


『ッ――来るよ!』


 初めはただの煌きだった。

 星の光と錯覚するような小さな輝きはしかし、ヒト型の流星となって飛来する。


 アッシュの知覚が加速する。

 引き伸ばされる体感時間。

 その合間にもたらされる予測演算結果が脳裏で幾多の軌跡を描く。イシュタロッテの眼に近いそれにあわせ、いつものように全身から力を抜く。

 余分の思考は排除し、迎え撃つように足元の結界を蹴る。

 小さな流星と化したアッシュは、因縁を断ち切るべく魔剣を叩き付けた。


――衝撃が宇宙を音も無く駆け抜ける。


 これまで経験したどのそれをも上回る破壊力。

 その力の相克故に、対消滅を起こす刃の反動によって互いの速度が急激に相殺される。

 衝突の余波で炸裂した膨大な魔力の光の中で、もはや会話など不要と覚悟していた二人は、鍔迫り合いながらも叫んだ。


『――誰だお前はっ!?』


『――灰原 修二だとっ!?』


 互いに予想外と言った顔で呻く。

 アッシュは純粋に驚き――グレイスは消えたはずの男の帰還に驚愕していた。


 教皇には帰ってくる意味が見出せなかった。

 支配剣の片割れを持つ以上は、クロナグラに拘る必要も無い。

 レヴァンテインズの持つアカウントを使えば、どこでだって生きていける。

 なのに、散々敵対した相手の支配地に単独で戻ってくるなど正気の沙汰ではない。


 だから問うた。


『レーヴァテインから逃げ出したはずの紛い物が、何故今更私の邪魔をするっ!?』


『お前こそ何故それを持ってやがる! それはあいつの物だろうがっ!』


 接触したことで強制的に開いた通信回線は、予期せぬ声を互いの耳に交換する。その間も、両者はまったく戦う手を止めなかった。


 分かっていた。

 互いに相手が敵でしかないと。


 だから推力を増し、押し弾いてすぐさま加速して接近。問い詰めるように燃える炎の剣を互いへと繰り出した。

 真一文字になぎ払うような剣戟に、アッシュは当然のように応戦。握り締めた柄を真正面へと振り下ろし、力ずくで抑えにかかる。


 纏う炎の出力が更に上がる。

 出力の向上は推力と威力へと当たり前のように分配され、遂に剣閃は目にも留まらぬ魔速へと加速した。


 虚空に乱れ咲く紅の残光。

 それらは秒間数発、数十発……と、延々と回数を引き伸ばしていく。


――共に所持するは『第二種想念神』。


 魔刃と魔神。

 その存在するはずのない超兵器たちは、ほとんど同等の性能を持つが故にその極限もまた近しい。有る程度の拮抗はしょうがない。しかし、互いに支配剣を持つ者としてその程度で納得などしなかった。


『これはもう私のものだ! レイエン・テイハの転生体たるこの私のっ――』


『はぁ!? 冗談も休み休み言え!』


 剣戟の衝突を軸に後退する教皇。

 無重力故に面白いほど呆気なく距離を開けたグレイスへと、アッシュは詰める。

 惑星の重力を振り切った二人を無重力が歓迎し、相殺しきれない威力がピンボールのように互いの体を弾き飛ばす。


『鬱陶しい! 彼女から逃げ出したような男が、今更私の前に立ちはだかるな!』


 掲げた刃に力の集束させてグレイスが剣を振り下ろす。



『――ッ!』


 放たれる灼熱の剣閃を前に、アッシュもすぐさま返礼。その場で剣を振るって破壊エネルギーを放出した。

 紅と紅が至近距離からぶつかって消滅。その残光が消える間もなく衝突点を走破した二人がぶつかった。


『引っ込んでいろ! もはや貴様の出る幕などクロナグラには存在しない! 世界を裏切った男の転生体など、今更誰が受け入れる!』


『前世のことなんざ知るかっ。今更時効だちくしょう! だいたい、俺はもういい加減に振り回され続けて頭に来てるんだよ! 死んだんだからそこでもう諦めろよ! お前があいつの転生体を名乗るならなぁ、こっちはお前にのし紙つけて倍返しだっ!』






(ふざけてやがる。だいたい有り得るのか? こんな事が――)


 信じられるはずも無かった。

 アッシュにとってはそれだけレーヴァテインは絶対だった。

 レイエン・テイハの転生コードを持つ写し身は、狂人であるが故に揺るがない。

 そう、今更オリジナルの転生体が出てきたところで易々と所有を認めるなんてことを信じられるはずもなかった。


『どうなってやがる。あんなのが居るなんて聞いてないぞ!』


『ボクだって知るもんか! でも、確かにこいつが使っているのはレーヴァテインだ。それだけは間違いない!』


 混乱を凌駕する怒りにアッシュの心が煮えたぎる。

 それがどれだけありえないことかを理解しながら、アッシュは不可解な相手と切り結ぶ。

 相手は決して弱くは無い。

 レーヴァテインで己を強化しているとしても素体は人間。

 だというのに、第三種とはいえ想念神に区分される彼と彼女の戦闘力に追いすがってくる程度には強い。


『内気<オーラ>と外気<魔力>による二重強化、それにレーヴァテインによる三位一体……こいつどういう出自だ? 生身があったころのボクの戦い方にそっくりじゃないか』


『本当に転生体だってのか!?』


『分からない。データがないんだ。ユグドラシルにアクセスさえすれば分かるだろうけど……ああもう、逆ハックしてくるぐらいのトラップが仕掛けられてても不思議はないからやりたくなかったのに! 電子戦に入るから、しばらく一人でお願い。普通は権限切られてるだろうから長引くか……も?』


 頭を抱えるようなレヴァンテインズの声。

 脳裏に響くそれが、最後には嘆きではなく驚きになるのをアッシュは感じ取る。


『どうした!』


『――アレ? 権限そのままでつながっちゃったぞ? ちょ、本当にどういう状況だこれ……え? レーヴァテインのやつ、初期化されちゃってる?』


『はぁぁぁ!?』


 もはやアッシュの混乱は限界に達していた。

 ユグドラシルとの回線が復帰したことで、レヴァンテインズ経由でアッシュにも提携サービスが復帰する。

 レヴァンテインズはこれまでの経過を管理者AIに要求。

 レポートと一緒に嫌味を頂戴することに成功した。


『困ったときだけ頼ってくるなですぅぅ! この雑魚二号っ!』


『さっすがユグドたんだぜ! でも自爆装置は停止だ。惑星が死の星に変わるからな!』


『つまりどうすればいいんだ? シンプルに答えてくれっ!』


『目の前のやつ、教皇グレイスとか言うのを潰せばいい。中身を倒せばレーヴァテインは動けなくなる。ベーシック状態ならアレは自己防衛以外じゃ動かない!』


『とにかくぶっ飛ばせばいいんだな!?』


『イエス! 『ボク』の相手より格段に難易度は下がった。なら後は気合だ! 普通に考えてこっちが有利なんだからそのまま押し切っちゃえ!』






 斬って斬る。

 ヒトの反応速度の限界を優に超えた今、小細工を弄する余裕そのものが存在しない。


 無駄な一手が致命傷に等しい隙を生む。

 求めるは最速にして最善の手。

 宇宙空間で、互いに何度も離れては接触を繰り返す高速戦闘下で、もっとも手堅いダメージソースである一撃とは互いの持つ概念神武装よる直接攻撃に他ならない。


 広範囲に薙ぎ払えば分散するエネルギーによってダメージはむしろ減り、遠距離攻撃はそもそも避けられれば出力の無駄。

 そんな中で仮に極大の一撃を決めるならば、それ相応の場面を整えなければならない。


 それまではただひたすらに、地味に削りあうのがベターな選択と言えた。

 だが――。


(――やはり不利かっ!)


 それが、グレイスの前に横たわる暗鬱とした現実だった。

 刃を交えるからこそよく分かるのだ。

 相手の動きが、少しずつ時を追う事に良くなっていくのが。


(攻撃予測の精度が上がっている。それでなくても身体能力で圧倒的に不利だというのに相手はハードだけではなくソフト面でも至れり尽くせりかっ!)


 初期化したレーヴァテインにはそれはない。

 有るのは自前の戦闘理論と、ただの人として積み上げてきた戦闘経験のみ。

 支配剣として見かけ上はほぼ同等の破壊力を持つ超兵器を持とうとも、完全にユーザー用にと調整されている相手とはソフトの面で不利は免れない。


――だが、やはり致命的なのが使い手の差だった。


(体力的に消耗しない敵など悪夢だ。まったく、あの女の過保護さにはほとほと呆れる)  


 レイエン・テイハがリストルを殺し切った時とは訳が違う。

 圧倒的格下ならば自動迎撃モードでも問題はないが、この相手にそれは無理だ。

 唯一圧倒している戦闘スキルも、それを補う敵のシステムのせいで喰らいつかれている。


――確率予測システム『予言者の首<ユーミルネック>』。


 レヴァンテインズはイシュタロッテの使い勝手を参考に、彼/凡人用に調整された攻防一体のごり押し兵器。

 圧倒的な性能と予測力で他を圧倒するシンプルな兵器だ。

 少なくとも最初期の設計思想はそうだったことを、ようやく今になってグレイスは思い出していた。それの機能の全ては、一人の男のためだけに生み出された過去を持つ。


――故に魔刃とは、唯一神に比肩することが許された男へ送られた支配者からの寵愛武装。


 武器であり防具である彼女の分身は、徹底して目の前の男のために献身を持って応えるだろう。

 言うなれば現状は二対一。

 たった一人の男とはすでに数で負けていた。 


(しかし、かといって撤退はもう不可能。勝つしかないのだ!)


 一端逃げるにしても逃げたところで追ってくる。

 クロナグラの外に逃げ場所がない以上は、この場で勝負を決めなければ挽回の目はない。レヴァンテインズがスペアキーとしての権能を発揮したなら、グレイスはユグドラシルへと、ネットワークへと届かなくなる。


 引けぬ今、己の命をチップに自らの運命を切り開くしかないのだ。

 だと、いうのに。


――あはははは、なんだアレは!!


『ええい、鬱陶しい! 黙れレイエン・テイハ!』


 怒り交じりの剣戟とともに、彼は妄言のような幻聴にはき捨てた。


『私を蝕むな! 貴様の記憶などこれ以上はいらん!』


 目の前の男のせいか、思い出したくもない狂人の記憶が蘇ってくる苦痛が邪魔をする。

 そのことの、なんという不快さか。


 前世とはいってもそれはあくまで他人の記憶だ。

 ましてやグレイスは男だった。

 女としての記憶など、吐き気がするほどに不快でしかない。


 愛に狂い、愛されて、自らも愛を与えた。

 そして極めつけは彼の信じていた神を殺した女の記憶。


――汝の隣人を愛せよ。


 信仰していた頃に好きだったその言葉も、もはやただの毒でしかない。

 ましてや狂人に殺されるような神の言葉に、いったいどんな価値があったのか?


 呪いは蝕む。

 一世一代の戦いの最中にも容赦なく。


 その女の思考は、おぞましいほどに普通とは乖離していた。

 サンプルはモルモットで、大よそ対等な生き物とさえ思っていない。

 ヒトの形をしたものさえ、当然のようにそう思える超然とした思想。いや、普通の人間でさえ気を抜けば同じようにその女は容易に切り捨てられるだろう。


 人の皮を被った化け物。

 そんな劇薬のような女の記憶は、彼のなけなしの正気さえ悉く蝕んで、彼の世界<価値観>を破壊する。


 世界が色褪せる。

 彼を構成するものが崩壊していく。


 いっそ気の遠くなるような狂人の記憶の中で、ふとグレイスは原因はなんだと思考した。

 何故、何故、何故、何故、何故――何故だ?

 私/ボクを、壊したのはだれだ?

 



『――貴様かっ。アーク・シュヴァイカァァァァァ!』


 記憶に呪われし聖職者が叫ぶ。

 自らの正気を守るため、それを排除することでの安寧を望んで。

 それは、レイエン・テイハの深層に刻まれた愛憎の発露でもあったのか?


 彼女は彼を愛していたが、結局は置いて逝かれた。世界と自分を天秤にかけて彼女を取ったはずの男は、名前も知らない通りがかりの子供を助けて死んだ。

 その時点で彼女が信じていた不等式は狂い、確かに一度崩壊した。

 序列一位のはずの彼女は、名も知らないサンプルの子どもたちによってその地位を貶められたのだ。


 狂人の歯車はそこで一度完全に壊れている。

 正確に言えば、丹念にアークが持った毒が、歯車をさび付かせて一瞬だけ彼女を正常に戻したというだけのことだが、彼女にとってそれは破壊だった。まるで普通の少女が怒り狂ったような無様を晒した。


――彼女には本来、サンプルのために熱くなるような機微など存在しないはずだったのに。


『私を壊したのはお前かぁぁぁぁぁ!!』


『な、なんだ? いきなり情緒不安定になりやがったぞ!?』


 剣戟が荒れる。

 確かな経験に裏打ちされた武が失われ、男は狂騒を纏う修羅となる。

 打ち込まれる剣の重みが増す代わりに、戦闘論理が破綻した。


『前世記憶の覚醒による精神汚染かな?』


『なに?!』


『極まれに馴染まずに人格がぶっ壊れることがあるらしいとは聞いたことがあるけど……これのことかな』


『BAーニNN……』


『げぇっ!?』


 炎の向こう、丹精な顔が憎悪と恐怖に歪んでいる。


『――ッ!?』


 上段からの剣を受け止めたアッシュの眼前で、ふと教皇がすぐに手元から魔剣を消した。

 代わりにその分のエネルギーを手足に集中させ、剣の間合いの更に内側へと飛び込んでくる。


 ソードレンジからクロスレンジへ。

 攻撃の回転速度が跳ね上がる。

 いきなりの拳の弾幕を前にして、アッシュは剣で受け止めながらも後退を選ぶ。

 そこへ、当然のように背中から自らを撃ち出した教皇が、見覚えのある蹴りの構えを取って光となった。


『GU……ガァAAAァァァ――』


 そして顕現するは紅の矢。

 慣性を無視して迫り来るそれをアッシュが避けるも、抜けた先で再加速。

 そのまま慣性を力ずくで捻じ曲げて弧を描き、蹴りの姿勢のまま突っ込んでくる。


 一撃必殺。

 対等な位階に立てぬ物を蹴り砕く、シンプルにして無慈悲な一撃。

 蹴り足に収束したエネルギーは、もはや惑星さえ砕きかねないほどに膨れ上がっている。

 それはまさに、破壊神の一撃に相違なかった。


『ちぃっ!!』


 だが、同等のエネルギーを確保しているのはアッシュも同じ。

 魔剣を繰り、真正面から破壊の力を収束して弾き飛ばす。


 前、下、右、左。

 全周囲から繰り出されるヒット&アウェイを凌ぎきる。

 宇宙の暗黒に刻まれる紅の残光。

 残影は立体的に黒を蝕み、それでも更に加速する。


 より重く、より速く。

 際限なく膨れ上がるその暴威は、永遠に続くかに思われた。


 しかし。

 二十撃目の時点で、男の右足が先に壊れた。

 極大の衝突の過負荷で折れ曲がり、一瞬だけ勢いを失っていた。


『――哀れだな』


『アッシュ?』


『事情はよく分からないけどよ、ああなったらもう終わりだろ』


 レーヴァテインの力か、復元する右足を無視して教皇は再度炎の魔剣を両手に掲げた。それは限界など知らぬとばかりに力を集束。太陽のように燦々と燃え上がる。


『だめだ。あいつはもう、人間として終りやがったよ』


 振り仰いだアッシュの背後には星がある。

 青い青いその星を背に、アッシュは心底目の前の男を哀れんだ。


『平気であんなのをこの角度でぶっ放せるような精神になっちまったらもう、きっとお仕舞いだ。もう、自分が何をしてるかさえ分からなくなっちまったんだろうよ』


 敵を倒しても、確実にその先にある帰るべき星を消し飛ばす。

 それでは、いったい何のために戦っているのかさえ分からない。

 全てを一切合切無に返して、それでいったい何を得るというのだろう。


『あんな狂人には負けられない。頼む、レヴァンテインズ――』


『――了解。モード『レーヴァテイン』解除!』


 魔剣がいつもの形状を取り戻し、アッシュの体から炎が消える。次いで魔剣は瞬時に彼の前で人方を形成。

 ロングの紅髪を持つ少女へと変じた。

 見た目はちみっこく、一見すると紺色のブレザーを着た高校生だ。

 問題があるとすれば、それはレイエン・テイハと同じ容姿をしてそこに居ることだろう。


――彼女の名は魔刃『レヴァンテインズ』。


 人格を千切ってフィルタリングしていたレヴァンテインたちの大本人格であり、若かりし日のレイエン・テイハの転生コードにより駆動する概念神にして超兵器。

 本来なら彼女は、レヴァンテインの奥底で永遠にまどろんでいるべきだった。

 そもそもが目覚める予定がない女なのだ。けれど、レヴァンテインたちはレーヴァテインに対抗するためにウィザードの改造を受けて今、この瞬間へと備えた。


『――終らせるぜ。付喪合体・OB<ツクモニオン・オーバーブースト>だっ!!』






『――』


 ナンダアレは?

 虫食いの記憶に、それはない。

 一体いつからそうなったのか、知りえる最初期の記憶からはもう答えはでない。

 ただ思うことがあるとすれば、彼に残った最後の感情だけだ。


『――』


 視界の先で、分割され細分化されたはずの女が転生した男をその身に取り込んでいた。

 一つとなったその女は、やがて彼と同じく燃える盛る炎の剣を掲げた。

 瞬間、観測される出力が目に見えて跳ね上がる。


 それは、なんと不条理な現実だっただろうか。

 男は、最後に残った正気で思い知った。


(嗚呼、なんということだ……)


 虫食いの記憶が埋まっていく。

 断片的な記憶がリンクされ、狂人の脳裏に次々とフラッシュバック。


『アハハハハ!』


 そして知った。

 今更のように、己はとんでもない勘違いをしていたのだと。


『はーっはっは! そっかそっか。それをその姿で使えるってことは爺に会ってきたな妹共め!』


 脳裏に、快活に嗤う少女の声があった。

 彼女は笑っていた。

 怒りを堪えてただただ笑っていた。


 何時からそこに居たのかを問うことに意味はあるまい。

 それは、厳密に言えば前世記憶の覚醒ではなかったのだ。

 彼の記憶は今も不完全なまま、ただ外部から足りない部分が混ぜこまれ埋め合わされているだけだったのだ。

 けれど、だからといって消えたはずの女の声がこうしてはっきりと聞える訳はない。


(なんということだ。私は、私さえも結局は掌の上だったということか!?)


 ただ悔いるしかなかった。

 自らの浅慮と、自らの慢心を。


『なんて無駄な遠回りだ。救済措置も無視とか、どこまで失敗作に堕ちるんだオマエら』


 女の独白は続く。

 もはや彼など気にも留めていない。

 もとより、気にするだけの興味も関心も持ってはいない。

 サンプルでしかない彼を、ただの偶然のもたらしたイレギュラーなど、ゲームマスターである彼女には舞台を彩る書割程度の存在価値しかないのだから。


『く、嗚呼、DAまREぇぇぇぇ!!』


 声を拒絶し、ただ吠える。

 けれど、主導権は既に彼にはない。

 すでに、もはや彼はただレーヴァテインの中にいるというだけの物体に過ぎないのだから。


 そうして、予定調和のように彼の運命は決まった。


『実験の終わりを始めよう。嗚呼、嗚呼、嗚呼! 悲しいけど結果は出た。出てしまった。ボクの忍耐も尽きたぜ。だったら、これから先は後始末だな妹共。そして嘘つきの灰原 修二――』


 勝手に動く両腕。

 掲げた炎は、ただひたすらに破壊力を内包している。

 やがて、彼女は魔剣を当然のように振り下ろさせた。


 放たれる炎の激流。

 惑星の核すら余裕で打ち抜けるだろうそれを前に、眼前からより強力な極炎が放たれた。

 この戦いの勝敗はもはや明らかだった。

 だが例え敵わぬとしても、道化のままでは終われない。

 せめてもの抵抗とばかりに男は正気と狂気の中で手段を模索する。


 しかし。


『おっと、念話も通信も遮断させてもらうぜ? もう飛び入りの役者である君の出番は終わりだ。いっそのことあの二人が居ない間に森やら世界やらを焼いてくれれば良かったのにな。本当、どいつもこいつもサンプルは使えないぜ。モルモット以上の価値がない』


『おのれぇぇぇぇ!!』


 視界が紅く染まる。


 相手がただ座するわけもなく、終りの魔剣を遥かに凌駕した剣を振り下ろす。


 そして衝突。

 炎と炎がぶつかった。

 全てを灰燼と化すはずの炎の紅は、当然のように威力負けした彼らに容赦なく襲い掛かる。


(結局、あの降霊儀式に参加させられたことがそもそもの間違――)


 薄れ行く意識の中、グレイスはふと思い出した。

 結局は、触れてはならぬものに触れようとした己が一族と、それをしてでも再起を図ろうとした、俗なる者どもの不純な信仰が原因だったのだ、と。


 燃える。

 射線上の全てがその極限大の出力で野望ごと焼滅する。

 一つの概念の極限を、更に増幅した出力は単体の魔神のそれで抗えるものではなかった。






『――終ったか?』


 誰も居なくなった宇宙の中で、彼女の中からアッシュがごちた。


『だね。結局もろとも消し飛ばしちゃったけど……まぁ、いっか。これで終わりだ』


 ユグドラシル経由でも探してみるが、クロナグラの内部にも、周辺宙域にもレーヴァテインの反応はない。


『多分、どこか終焉の概念が集束しやすい場所に復活するとは思うよ。でも初期化されているんならまぁ、ただの力の塊だから何もできないでしょ。ウィザードの爺にでもメール出して回収してもらうから放って置けばいいよ』


『そっか。ならもう安心と思っていいか』


『一応はね。にしてもおっかしいなぁ。どうにもこの合体は不安定過ぎる。実験は終わってて完璧に仕上げられたはずなのに、十分ぐらいしか使えないなんて……』


 視界の隅に表示されているタイマー・カウントが磨り減り続けている。

 無理をすればアッシュ<ブースター>の存在を消化してしまうため、時間が来れば強制解除になるようにされているのだ。


『なんか体に悪そうだよな、これ』


『そりゃね。第三種の君じゃないと普通はすぐに消し飛んでる代物だもん』


 オーバーブーストを解除し、二人して虚空に浮かぶ。

 二人で守った惑星は、彼らの奮闘も知らずに緩やかに回っている。

 レヴァンテインに打ち上げられた頃と何も変わっていないように見えるその輝き。

 その雄大な姿に今一度安堵を覚えながら、アッシュはレヴァンテインズに左手を差し出した。


『そろそろ帰るか。あの星、クロナグラへ――』


『うん――』


『――いいや、それはちょっと早いんじゃないかな?』


 ふと、後ろから声がした。

 空の青さえも霞むその声色は透明で、しかして確かな鬼気を纏っている声が。


 忘れるはずもない。

 忘れられるはずがない。

 灰原 修二<アッシュ>も、レヴァンテインズも。


 だから、弾かれたように振り返りながら虚空に収束するそれを見た。

 そこに、確かに彼女が居た。


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