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第八十四話「エンカウント」


 真空の宇宙に出た瞬間、辛うじて生き残っていた魔物たちの悉くが絶命した。

 それに結界はもはやない。

 ゴーレム系に分類される魔法生物などの居ないそのモンスター・ラグーンは、もはや魔物たちの楽園としては落第だった。


 一分が砕けて惑星の重力に捕まって、ただただ星に向かって落ちている。

 とはいえ、すぐに落着するような高度でもない。

 もともと安全に落とすのが人工衛星――衛星とは比べ物にならないほど大きい――のお約束。落下軌道は当然のように年単位で調節されていた。言ってしまえばただ単にそれが早まるだけのことである。


 だが、そうとは知らないその男は敢えてそれを放置する。

 対処方が彼には有る。

 それよりもやることがあるだけで、結局は優先順位の問題でしかなかった。


『――それでは、行きましょうか皆さん』


 生物にとっては最悪の環境の中、その男は存在意義を上書きした天使に念じた。

 肉声ではなく、ツクモライズのエネルギーラインを通しての呼びかけ。それに従って一斉に天使の少女たちが宇宙空間へと飛び立っていく。


 その数は三桁に届くだろうか。

 だが、想念の量によって増えていくその特殊な念神に個の名など無い。


 唯一神の従僕である『天使』は、すべての物質の数よりも多いという。

 だがそれさえも様々な説があり、曖昧にぼかされている。そのせいで星の数より多いとも言われたことさえある。その弊害か、天使にも悪魔にも明確な固有名詞の無い存在が多く生まれた。


 特徴的な逸話を持つ天使なら固有の名を持つ。だが、それを与えられなかった者たちはただの階級や総体の名で呼ばれ、それに引きずられて群体として顕現してしまった。


 それらは土くれから生まれたヒトとは違って火から生まれ、背中に白い羽を持つ美しくも神々しい存在だ。もっともポピュラーなイメージを持つ神の従僕――すなわちそれは『天使』という言葉の広義的なイメージを背負って顕現した神の軍勢である。


 個であるはずの通常の念神とは性質がまったく違うそれは、とにかく数が多い。そしてその武装も多種多様だった。


 剣、槍、斧、弓、そして銃。

 ヒトの進化に合わせて武装さえも進化するという天使学者の理論を取り込んだそれは、一斉に廃棄予定の衛星に向かって翼を繰った。


 彼女たちに植え付けられた新しいルールが、教皇グレイスへの従属であるが故。

 もはや信仰は歪んでいた。

 元より神は死んで歪みに歪んではいるけれど、その歪みは人の生み出したエゴに塗れてより悪化していた。


『さて、軽くお礼を言ってから行きましょうか』





「――まずい」


 結界の外を、天使の軍勢が移動しているのが彼らにも見えていた。

 そんな中、アスタムは大きくため息を吐き出すしかなかった。

 ラグーンを守るため、無駄に消耗した力は少なくない。暫くすれば回復するとはいえ、予想以上の消費だ。その上で、天使たちが出張ってきたとなれば余裕などもはやない。


「参りました。転移用の想念が防御のせいで足りなくなりました」


 衛星をクロナグラに転移させてから、後で調べるというのが作戦のキモだった。

 これなら宇宙空間に出る必要がないからだが、そのための力が足りない。

 時間が有れば可能ではあるが、その時間がもはやない。


「な、なぁフランベさん。これ落ちてるよなぁ?」


「ああ。間違いないよティレル君」


「ど、どうするんや!?」


「天使ちゃんたちと違って私たちだと外は危ないだろうし……」 


 このままではただ見ていることしかできない。歯軋りする妖精神の言葉は、皆の気持ちを代弁していた。なんとか見つけたというのに、横から掻っ攫われるだけなど目も当てられない。だが、すぐさまどうこうする方法が彼らにはない。


 押し黙った一同の前、止めとばかりに天使を数名引き連れ教皇が転移してくる。

 一同は息を呑んだ。


「ご苦労様でした」


「くそったれがっ!」 


 教皇からのねぎらいの言葉に毒づいたソルデスが、咄嗟にギター鞘から大鎌を抜く。

 けれど、魂を刈り取る恐怖の代名詞であるそれさえも、目の前の存在からすれば霞んで見える。


――それは否定信仰の極北だった。


 『終焉』という概念の持つ、認知拒否不可能な想念の集束点を持つ超兵器。


 それに守られた男は、燃え盛る炎の中でくつくつと笑っている。

 聖人君子の真似事でもするかのように、ただただ彼らに感謝の念を奉げ、ついには拍手まで付け加える程に彼は喜びを露にしていた。

 その賛辞の音は空しいほどに乾いていて、彼らの耳朶に絶望だけを刷り込んでくる。


「ありがとうございました。ようやく、ようやく足がかりになりそうなものを見つけることができた。これらは一重に皆様のおかげですとも」 


 グレイスは苦い顔をする一同を見回し、フランベで視線をとめる。


「さすが探求の神を持つ者。貴方には特に礼をせねばなりますまい。そうですね、この私が空白たる神の座に至る瞬間などどうでしょうか」


「神の座に至る、だって?」


 一同には分からない。

 彼の望みも、その言葉の意味も。


「クロナグラの神……所謂『賢人』ですよ。長らく空位ではあったのです。何せ彼女は力だけ残して死んでいましたからね。残滓も消えて一年と少し。ようやくという所です」


「だが君は今それを手に入れているじゃないか。それだけでは足りないのかい」


「手に入れたのは生憎と力だけだったのですよ。これではダメなのです。意味がない。不完全なのですよ」


 足りない。

 ようやく手に入れた支配剣でさえ届かないからこそ、こうして求めた。

 幼き日に刻まれた呪いと祝福の果て、夢に描いたその場所を手に入れるそのために。


「賢人の力、レーヴァテインだけでは完全ではないのです。知識と、あの知識の大海へ接続するためのアカウントが必要なのだ」


 この世界の支配などにはグレイスは興味はない。

 ただ、神という立場が最低限必要な通過点であるからこそ求めたに過ぎなかった。

 しかしそんな事情などフランべたちには分からない。


「知識の大海……アカウント? いったい何の話を」


「ふむ。軽く教授する程度の時間はまだありますかね?」


 視線の先、廃棄衛星から行く筋もの流星が飛び立つのをグレイスは見た。


――防衛兵器『死体を飲みこむ者<フレースヴェルグ>』だ。


 モチーフは北欧神話にて世界樹の最も高い枝にとまる怪鳥であり、レーヴァテインでのみ倒すことができる巨人とも呼ばれた化け物だ。その呼称を与えられたとおり、ユグドラシルの防衛兵器として傍に居ても不思議ではない自立機動兵器である。


 それは宇宙を羽ばたく鳥形の戦闘兵器。

 人の五倍はありそうな体躯と、メタリックな銀の装甲で身を鎧うそれは、音速の十数倍の速度で飛翔する。

 スラスターの光が線を刻む。

 獰猛な猛禽の群れは嘴を広げ、縦横無尽に天使たちに殺到した。

 その目的は当然敵の排除。それらは搭載している火器を容赦なく天使たちにぶっぱなす。


 次の瞬間、結界の外で光が咲いた。

 四門の高出力レーザー砲、反物質を爆薬代わりに搭載した羽型ミサイルに、磨きぬかれた鋭い翼ですれ違い様に天使を切り裂いて抜ける。


「鳥形のゴーレム……なのか?」


 魔力反応などないただの兵器の戦闘力に、フランベたちはただただ息を呑む。

 だが天使たちも黙っては居ない。

 隊列を組み、魔法の弾幕を張って数を頼みに応戦。質に大して量での戦いを敢行する。


「貴方たちは運が良い。知らずに乗り込もうとしていたら、アレにラグーンごと蹂躙されていましたよ?」


「遺産の番人というわけですか」


「そんなところですダークエルフの王よ」


 だからこそ、グレイスは供の人間など連れずに単独でここに来た。


「賢人レイエン・テイハはクロナグラの神でした。この星を改良し、生命を振りまいた本物の造物主たちの集団、その最後の後継者でしたからね。故に彼女のアカウントを手に入れるということは、クロナグラの生殺与奪権を握るということと同義なのです。手に入れることさえできれば、暴走した遺産も止められる」


「俄かには信じがたいですが、なるほど。嘘というわけでもなさそうですね」


 アスタムとしては、商神をつれて来ていないことを悔やむしかない。それが真実なのかさえ判断することができないのだから。


「宗教家たちには到底信じられないことでしょう。ですが、造物の末裔である私や貴方たちにとっては、文字通り君臨しない神だったのですよ。それは念神たちも例外ではない。伝承は変質し、改竄されてきましたが彼らが植えつけたものは消されずに残っているのですから。例えばそれはリストル教であり、エルフの不老性や森の特殊効果もそうですね」


 結局それが事実で、箱庭の真実だった。

 ただそれを知る機会など、本来であればサンプルの誰もいなかったはずだった。


「何故、君はそれを知っている?」


 当然の疑問ではあっただろう。

 居並ぶ一同は、言葉で切り込むフランベの問いに耳を澄ませる。


「なるほど、当然の疑問だ。教える義理はないですが、その問いをもって発見していただいた礼とさせて頂きましょう。単純です。私がレイエン・テイハの転生体だからですよ」


「馬鹿な! 有りえねぇぞテメェ!!」


 死神が真っ先に吼えた。


「有り得るからこそ記憶がありますが?」


「……仮にそうだったとして、つまり貴方は回帰したいわけですね?」


 憤るソルデスを遮ってアスタムが切り込む。


「神の座を取り戻すわけですから、まぁそういう表現でもいいかもしれませんね」


「ではその後はどうするつもりです」


「さて。実はまだ決まった目標というのはありません」


 そもそも、至ることが現在の目標だ。

 届きさえすれば何もかもが可能になるのだから、その後のことはそれからでよかった。


「生まれながらの境遇に対しての復讐心だった気もしますし、世界の真実の滑稽さと、信じるモノが虚構の産物へと零落したことへの反発であったような気もしますが……」


 いつの間にか、目的が曖昧になっていた自覚は彼にもあった。特にこの焦がれた一年はそれが顕著である。彼自身もてあましていたと言ってもいい。

 ランナーズハイに近い。

 ゴール間近の走者のように、息苦しさが一週回って快楽へと変換されでもしたような心地なのだ。積み上げてきた苦痛の日々など、笑って忘れてしまうような終息感。呆気なさ過ぎて自分でも実感がないというのが本音なのかもしれなかった。


「――とはいえ、全ては手に入れてからの話です」 


 実験場の管理者という立場を明確にしさえすれば、後のことはどうとでもなる。

 神とは、まさしくそういう立場だからである。

 自らがモルモットだと知り、そのままに唯々諾々と生きるには彼の記憶が邪魔をした。


――故に、無知とは幸せだと彼は常々思っていた。


 目の前にある世界の真実を知ってしまったが故に、知らなかった頃の自分が羨ましくもあった。覚醒した記憶はグレイスを蝕んだ。価値観を揺るがし、信仰を揺るがし、人生を揺るがした。それを思えば無知なままで居たいとさえ切実に思ったものである。


「神とはそういうものでしょう? 必要ないからという理由で、世界を大洪水で沈めても許される。意に沿わぬ全てを悪と断じることも、優良種と劣等種の線を引くことも、何もかにもが許される超越的な存在だ。誰もがそういう立場だからと納得するしかないのですから当然ですね。幻想の中でもその頂点に君臨する存在にシフトする。そんなチャンスが私の前には転がっていましたからまぁ、こうして手を伸ばしているわけです」


 忌まわしいほどに、呪わしいほどに、レイエン・テイハの記憶は彼を変えた。

 だからもう、彼は戻れない。

 禁断の果実の味を知ってしまったが故に、求めることを止められない。


「さて、これぐらいでいいでしょうか?」


「そうですね。アカウントとやらが一体何なのかという疑問は残りますが、それ以外の有る程度の疑問はこれで晴れました。ではここからは一国の王として問わせて頂きたい」


「ええ。私は今とても気分が良い。アヴァロニアの王よ。一つ二つならば答えましょう」


 天使たちは善戦している。

 そもそも数で圧倒し、天使は無尽蔵な想念の供給で増殖し続けている。

 ゲームで言うところの、チート行為での残機無限という奴だ。


 無尽蔵の戦力での圧殺。

 それをしてみせる意味は、決してただの余裕の表れだけではない。


 彼は刻み込んでいた。

 この場に居る全ての反抗勢力予備軍に、神に反抗することの愚かさを。


――だが、こうして対峙し揺さぶるだけでは足りないだろうとも悟っていた。


 この程度で諦めるようなら、誰もこんな薄ら寒い場所までは来ないからだ。


「ずばり、貴方はこの星をどうするつもりですか?」 


「とりあえずは所有しますね。手に入れられるのですからまぁ、所有はするでしょう」


「なるほどなるほど。単純な回答ですね」


 大言壮語ではない。

 グレイスは本当にそのつもりだ。


「貴方と同じですよアヴァロニア王」


 もとより、アリマーンもそうしようとしていた。

 その理由が世界平和などという悪道にあるまじき結果を求めてではあるが、一重にそれは黄金のような楽土の創造のため。

 だからこそ、アスタムは目の前の男と自分たちが求めたモノとの差異を垣間見た。


「あー、残念ながら同じではないようですね」


「ふむ?」


「どうやら貴方はそれが過程ではなく、オマケ程度にしか思っていないようですし」


 負け続ける運命を背負わされた悪の総大将が居た。

 負け続けの人生の中で、敗北するに値する理由を敵に求め続けた。でなければ、敗北につき合わさる部下や子らの戦いに意味がなくなる。

 であれば、否定される甲斐が無い。


――それが決して意味が無いことだなどとは、魂にかけて認められなかった。


 悪を犠牲にしてこそ、初めて善が光り輝く。

 だから引き立て役という役割があり、それに付き合わせ続ける道を裏返そうと彼は決意した。世界征服という覇道さえも、結局は世界平和への過程だった。


「でも貴方のそれは意味が付与されていない」


 自ら希求したのはきっと嘘ではない。

 けれど、ただの本命についてくるオマケであって、その果てに望むものが何も無い。

 クロナグラの支配者という立場は、結局はただの通過点でしかないのだ。

 グレイスの無軌道なそれは支配者としては落第もので、アスタムとしてもアリマーンとしても認められるものではないのだ。


「賢人のテイハさんにも思いましたけれど、貴方も同じように恐ろしいと思いますよ」


 支配者が支配する物に無関心であるのは悲劇だ。

 善のために善を成す神になったアフラーはどうなったか?

 役割を踏襲するための装置と化し、生ら恐ろしい程に視野を狭窄させて悪徳を受け入れてしまっている。頑なに否定しなければいけないはずの存在であるにも関わらず、だ。


「善悪がそもそもない。やりたいからそうやる。分かりやすくシンプルですが、神が神たる所以が欠如している。貴方もまた、誰にとっても危険な存在ですね」


 神を生んだのはヒトだった。

 救われたいと願う人の弱さが生み出した究極の幻想・概念であるのなら、当然のように人を救ってほしいと、良き方に導いて欲しいと少年はただ純朴に願っていた。

 それこそが神の意義。

 人造にして世紀の発明たる神の、完全虚構存在であるが故に逃れられない役割なのだ。


「神を踏襲するつもりなら忘れないで下さい。作りたもうた世界の価値と、人々の希求する普遍の願いを。それが理解できないのであれば、貴方は精々神の如き者止まりです」


「ハハ!!」


 グレイスは笑った。


「ハハハハ、ハハ、すいません。ですが貴方のそれは王の言葉ではない。救世主としてのそれだ。さすがは超人。さすがは聖人。もはや人の言葉ではない!」


 だから、ただの人であるグレイスには届かない。


「人の皮を被った超越者の言葉が、逸脱者の言葉がこんなにも気持ちが悪いとは知らなかった! なるほど磔刑に処され、火あぶりにされるのも是非は無い!」


「――貴様、我が友を愚弄するか」


「人を超越したその少年は、希望を押し付けられたその少年はもはや人の精神性をしていないよ。聖人が最後には裏切られて殺されるという理由が分かるというものだ。もうそれは化け物だよ悪神。人はもっと俗で、我侭で、どうしようもないほどに愚かだ。それの視界はもはや完全にズレている。そんな、ヒトでなくなった者がヒトの未来を語るのは滑稽だよ」


 炎の勢いが増す。

 話はここまでだと、まるで物語るようだった。

 立ち上る紅は、触れれば最後の念神殺しには違いない。

 会話の間に各々がアーティファクトを構えていたが、彼我の戦力差は明らかだ。誰しもが緊張感と危機感で冷や汗を掻いていた。だが、引けないからこそ踏みとどまってそこに居る。


「そろそろ馬鹿騒ぎもお仕舞いにしましょう。天使たちよ、全員始末して下さい。その間に私は神へと至る足が掛かりを手に入れる」


 教皇が跳躍し、そのまま弾丸の如き速度で結界へと衝突。苦もなく突き抜けて宇宙へと進軍した。まるで相手にする価値もないと言うかのようだった。


「空気が……抜ける!?」


 大気が吸われ、外側へと抜けていく。


「アリマーンさん!」


「分かっている!」


 アクレイの叫びに反応し、悪神が奇跡の力を解放。左拳を突き上げて光を放つ。白い閃光が空を上り、結界に衝突。小さな穴を塞ぎにかかる。そこへ残った天使四名が殺到した。


「させるかよっ!」


 真っ先に反応したのはソルデスだった。

 ギター鞘を背中に背負ったまま柄だけを引っ張り出して、構えた大鎌を切り込んできた天使たちに向かって一閃する。


「喰らえよ三下共っ! その腐った魂、狩りとってやらぁ!!」


 瞬間、刃から放たれる神気の刃が、地面と平行に天使へと飛んだ。

 天使たちが飛翔する。避けられた刃をしかし、気にする余裕は彼らにはない。


「正面は私がっ!」


 真っ先に突っ込んでくる槍持ちに、ラストカが跳躍した。その背には蝙蝠の如き翼が生え出していて、両手には異常な程に伸びた爪がある。

 接近戦を挑もうというのか、目にも留まらぬ速さで彼女は距離を詰めた。


「ちょ、あの人突っ込んでったけどええんかっ!?」


「あいつはそう簡単には死なねぇ! 王女は探究神と妖精神が護衛していつでも手撤退できるように準備してろ! 俺様とダークエルフとラストカで一体ずつなんとか受け持つ。残りは悪神、全部テメェだ!」


 言い捨て、両手で握った鎌を手にソルデスも虚空へと飛び去った。

 ラストカの援護のためか、彼女を右側から剣と盾を持って飛来する天使を目指す。


「やれやれ。さすがにこのまま手ぶらで帰るわけも行きませんしねぇ」


 アクレイが神気を纏い、剣神を片手に最後尾で弓を構える天使の後方に跳ぶ。


――縮地。


 距離を縮める魔法で、無防備を晒している天使の首に刃を振るう。

 その刹那の一撃をしかし、おじぎをするように身を負った天使が避ける。


 奇襲を避けられたアクレイは、しかし気にせずに切り返しの一撃を振るう。

 だが天使の手に持つ武器が弓から長剣へと変化。追撃を縦の斬撃で切り払う。

 衝突の余波に逆らわずにアクレイは後退。念神の一撃を技量で捌き、臆せずに更に切り込んだ。


「ぎゃー! 何か凄い魔法準備してるのがいるぅぅ!! 悪神ちゃん超ヘルプッ!」


 左側。虚空で足を止め、杖を掲げる天使を見てドテイが叫ぶ。


「まったく、妖精は本当に調子が良い」


 結界の修復を確認した悪神が気だるげに前に出る。

 その足取りは重く、しかし覇気に衰えはない。


「六魔将よ。アスタムの力を少しばかり温存する。その分気張れよ――」


 杖持ちの天使の眼前、掲げられた杖の上に光の玉が生まれた。

 天使らしい光景だと、リストル教徒なら感涙にむせび泣くだろう。


「――破邪の光よ、ここにあれ!!」


 杖を下ろし、添えた左手を添えて天使が標的に光を放つ。

 白い光の奔流。

 溢れ出る矢のような光に飲まれるように、目の前が白く染まる。


 されど、それを見上げるは悪徳の極限。

 リストル教の成立の過程において、善悪の闘争の概念を刻み付けた古き神にして善の敵は、アーティファクト状態でもなお尊大に応えた。


「――よかろう走狗め。ならば精々、神の怨敵をこなしてやる」


 六つの悪魔の力を束ね、自らのそれも重ねて七柱の力として昇華する。

 手にしたのは己の体たる黒の大剣。何時ものそれよりも長く無骨なそれを掲げて悪神は無造作に振り下ろす。


「喰らえダハーカ」  


 剣閃から悪徳の三つ首竜が飛ぶ。

 顎は開いている。

 それは善の光さえも食らい尽くさんと飛翔し、そのまま光の奔流ごと天使を飲み込んで消えた。


 それが狼煙となった。

 外の天使たちの一部がラグーンへと転移。穴埋めをするべく空を舞う。


「だろうな。だがまぁ、こちらで受け止めることに意味はあろう」


 外の怪鳥を援護するにしては弱いが、しかし受け持てば敵に負担を強いれるのは間違いない。故に悪神はただ告げる。


「総員そのまま限界まで耐えよ。アスタムが回復すれば遺産ごと奴を太陽に転移させる」


「ちょっ、悪神ちゃん!?」


「手に入らないなら処分するしかあるまい」


 ついでに敵を始末できればなお良い。

 遺産がアレだけかは分からないが、ラグーンズ・ウォーが止まらなければまた来れば良いだけのことでしかないからだ。


「探究神、貴公は再起のために必要だ。適当なところで切り上げよ。なんなら、今すぐ消えてくれてもいいぞ」


「馬鹿をいうな! 取れるだけ敵のデータは取る!」


 神気にオーラを乗せて、靡く宿主の紫の髪を撫で付ける。

 憤然としたその表情は、神としての矜持の発露か。


「ならば下がるタイミングだけは間違えるなよ」


 強気な彼女に言い捨て、アリマーンもまた空へと上がった。





 衛星と高速で飛翔するフレースヴェルグ。

 彼らは善戦したと言っても良いだろう。


 一時は天使たちと拮抗していたその趨勢も、グレイスが参戦してすぐに天秤が傾いた。数十機程軽く落としたグレイスは、発進口から内部へと突入して消えた。

 直接相対するような展開は回避されたが、これで時間を掛けることができなくなった。その事実に悪神は内心で舌打ちし、残りの天使たちを屠り続けてただただ機を待つ。

 ソルデスとアクレイは必死に逃げ回りながら乱戦の中でかく乱し、ラストカは傷つきながらも天使を喰らう。


「アハ、アハハハハハハハ!!」


 撃墜数二位は間違いなくラストカだ。

 天使の攻撃を何度となく四肢を貫かれるも、そのまま怪力を用いて天使に取り付いて血と一緒に想念を啜り、その身を復元させていく。


「美味しい! 美味しいよソルデスゥゥ! これ、これ全部私が食い尽くしちゃってもいいんだよねぇぇ!!!!」


 固有名詞を持つ上級の天使ならそうは行かなかっただろうが、下の下程度の天使の魔法障壁ごとその爪牙は敵を貫いた。もはや神宿り程度の戦力と考えていいのかが謎な程だ。


「うわぁ。もう完全にバーサーカーやないかアレ」


「血に酔っているな。しかし、そうかっ。ラストカの奴、アーティファクトが見当たらないかと思えば血がそうだったのか!」


――血液型アーティファクト『ラストカ』。


 宿主は吸血神の眷属にして、血を吸われて化け物の仲間入りを果たした元人間。端的に言えば吸血鬼。ただし後天的に弱点が付与されたそれとは違う旧き神の眷属だった。アンデットとしての地位を確立する前に生まれた吸血存在であるため、弱点がない超希少種だ。


「はぁ!? 血がってそんなでたらめが有り得るんか!?」


「有り得るから言っている。寧ろワタシはアレを見て納得した」


 吸血神のアーティファクトとしては、これ以上無い程に理想的な形態だ。


「もーう。無駄話もいいけどそっちにいくよティレルちゃん!」


「ばっちこいやっ!」


 フルスイング。

 ドテイが足元から生やした草の蔓に引き摺り下ろされた天使の頭部に、全力でハンマーを落とすティレル。ぐしゃりとつぶれた頭部から、脳漿が飛び散り消えていく。

 オーラのおかげで腕力だけなら神宿り級の彼女は、血の付いたハンマーを無視して後退。

 背中合わせでアナと合流する。


「うぅー。倒しても倒しても減らないよぉっ!」


 二人の頭上では、周囲の草木を操るドテイが居た。

 木々は盾に、草と枝は鞭に仕立てあげ、妖精族特有の幻惑能力で周囲を欺く。その要になっているのはエルフに披見する膨大な魔力を持つ妖精王女の魔力だ。


 彼女が居るからこそ、ティレルとフランベは戦えた。

 その代わり、自分たちから打って出る余裕はない。

 他の面子は彼女たちを守るようにして善戦し、ただただ時を稼いでいた。


「全員同じような顔ばっかりだしぃぃ、気持ち悪いったらありゃしないよぉ」


 金髪碧眼の少女たちが、同じ顔で清潔なる白布と武具を纏って襲ってくる。

 一種のホラーのような光景は、さしもの悪戯好きも辟易した。


「連中は天使という型にはまった、所謂モブだ。本体がどこかに居るとは思うが……」


「普通、そんなの戦場につれてくるの?」


「仮に居たとしても結界の外だろうな」


「うわーん! その癖想念は賢人ちゃんのアレ経由でしょ? もうやんなっちゃう!」


 魔力をすり減らすドテイが、心のそこから泣き叫ぶ。


「あー美味しい最っ高っ! 想念が食べ放題なんて久しぶりー!」


「食いだめしとけよベイビ!」


「やれやれ。皆さん少し意地汚いですよっと」


 だが、そう言うアクレイもまたちゃっかりと剣神のアーティファクトライズを解いて刈り取っている。対悪神用の切り札だった剣神は、本体の力は上級にも相当する。


 第一次ラグーンズ・ウォーより前にアーティファクト化していたこともあって、溜め込んだ想念がある。下級天使なら一撃で刈り取れるほどの威力があり、消耗分は天使を喰らって補うという運用で食いだめ中である。


 斬って斬って斬りまくるアクレイとソルデス。

 そんな彼らの上で積極的になぎ払うのが、重厚なる鎧兜に守られたアリマーンだった。

 大剣を背に仕舞い、両手に二本の長剣を抜いて縦横無尽に切り込んでいる。


「そこらの神宿りよりは喰い応えがあるか。ならば精々我等の餌になれ――」


 遠距離の魔法を、左手に持つ『無秩序』のサルーワでかき消し、右手の虚偽のジドゥルを使って天使に化け、転移魔法で軍勢の内側に飛び込み内部から食い破る。

 その際、腰に控えている『熱』のウィタルと『渇き』のザリーチェの力もまた併用して切り込む彼の近くでは、天使といえども時間と共に衰弱する。その悪辣なほどの食いっぷりは、天使たちが混乱するほどに凄惨である。


――だが、敵の数は尽きない。


 数の暴力は絶え間なく押し寄せた。

 善戦であるというだけで、それ以上にはもっていけない。


 アリマーンとラストカはまだいい。

 宿主が人間の範疇を超えている。しかしそれ以外の面子はそうではない。周囲を見渡す余裕があった悪神はその事実にただ唇を静かにが歪めた。


(立て続けに力を使ったせいかアスタムの回復が遅い。ジリ貧だな)


 人類の持ちえる時間が磨り減っていた。

 それは希望が遠のくほどに、無意識の絶望が想念の濃度を下げている証明だ。

 魔力の希薄化と人口の減少もそれにかかっていたのは間違いない。


 それを歯噛みしても意味は無い。

 もとより、今がピークだとアスタム自身が感じていた。

 それを過ぎれば機会は失われ、永劫に星の内側で人類は滅びを待つしか道が無くなる。 


 何故ならば、奇跡には燃料が必要だ。

 人の願いと想いが内気と外気を通じて想念で繋がって、無意識の集団魔法を形作る。

 それは念神という形であったり、聖人という形で顕現する。

 故に束ねた想いとは、願いとは無力ではないのだ。

 けれど今、明日をも知れぬ混迷の中でそれは希薄化していた。


――だからこそ余計に不味い。


 遺産をグレイスが掌握し、彼が希望へと成り果てるなら人々は彼を希求するだろう。

 遺産を渡せばそれを後押しする切っ掛けになる。

 どちらにせよ、そこで詰む。

 故にここで踏ん張らなければならないのだが、彼らには手が足りない。


(忌々しいものだ)


 地上の防備を捨て全て攻撃に振り分けるならば、まだ少しマシにはなるがそれをしたらお仕舞いだ。余計に人心は離れ、パワーダウンは避けられないジレンマに陥る。

 一手足りないこの状況。

 直接戦闘以外に希望を見出した今、悪神と言えど精神が磨り減っていくのを感じ取る。負け続け、負け慣れたが故に敗北の気配には敏感だ。

 ここで無理を通さなければ、間違いなく勝敗が決する確信が有る。故にただ、その場に残り奮起することしかできなかった。


「アスタム……急げ。紙一重で物量に飲み込まれるぞ」 


『なに、いざとなれば僕の命を掛ければいい』


「なに?」


『奇跡の対価に命を使う。ほら。そういうのは聖人たちの十八番だろう?』


「――ハッ。そんな覚悟などいらんよ。前から思っていたがなアスタム。貴公はもっと欲張るべきだ。胸を晴れ我が友よ。それは悪徳ではなく生物の持つ原始的な願いだ」


 剣を振り上げる。

 斬って、斬って切り捨てる。

 足りなければ手足を使い、魔術を使って活路を開く。


(嗚呼、それにしても――) 


 宛がわれた否定の念の中、その悪徳にも意味が有って欲しいと願っていた。

 忌み嫌われる役割の中にも意味があるなら、価値はあったと誇れるだろう。そうやって死に場所さえも探していたが、そんな己が今では背負った国と、出会った宿敵<友>の望みを背負ってそこに居た。


「全ての悪徳を善行へ摩り替える……か。本当に余も丸くなったものだ」


 だが、まったく嫌な気はしない。

 何も特別なことではないのだ。

 念神としての宿命も、偽りの神話も、語り部たるヒトの都合に左右されるものであったのだとしても。それでも、悪神アリマーンが悪神という殻の中で求めるべき物が生まれただけだ。人生に勝手に意味を付与した、傲慢なる生みの親たる人間のように。


「――ここが分水嶺か。六魔将よ、我等が悪徳にて埒を明けるぞ。偶には希望の一翼を担うのも悪くはあるまい?」







「もう無理、維持限界っ!」


 妖精神の宿主の体が地面に落ちる。

 ぜはーぜはーと、肩で息をする彼女の体を左手で拾い上げてアナが魔術を紡ぐ。

 その間にも、作り上げた異常発達した草木の結界が動きを止めていく。

 鞭のようにしなる蔓や枝は草臥れ堕ちて、重力のままに落下する。


「王女、先に送るぞ」


「了解やっ!」


 足手纏いにはなりたくない。

 聞き分けたティレルはすぐさま合流。ドテイを受け取って為すがままに転移を受け入れる。消えた王女をそのままに、アナは大木と化した木の幹を駆け上がった。

 視線は自然と遺産へと向かい、彼女なりに抵抗できる一手をギリギリまで模索する。


(せめて内部構造が分かれば直接転移で乗り込めそうだが……)


 内部へと突入できればと様子は伺っていたが、それも無駄足だ。

 賢人だとて人間だ。

 だったら、空気のある場所があるはずだとまでは考えた。結局、その確信と手ごろな転移場所を見つけられなかったことが彼女をこうまで悔やませる。


「王女とドテイは撤退した! 各自、臨機応変に撤退したまえ!」


「オーライ! 探究神、お前は先に引けっ!」


「その代わり一発お見舞いしてからいく!」


 天使の首を刈っていたソルデスに言い捨て、右拳にオーラを収束しつつ空中を踏みしめて虚空に向かって拳を撃ち込む。


――内気魔法『バーストショット改』。


 増幅したオーラの塊を拳から打ち放ち、命中と同時に爆破する技法だ。

 アナの神気を混ぜ合わせ、フランベの限界ギリギリの生命力がつぎ込まれたそれは光弾となって飛翔する。それはソルデスの周囲を囲もうと旋回していた天使群に命中。大量に混ぜ込んだ神気と一緒に破裂する。


 一瞬焼ける白の閃光。

 盛大に上がる爆音の向こう、あらん限りの声量でアナは激励の声を張り上げる。


「後は任せる! テメェら死ぬなよっ!」


「おうよっ!」


 爆破で崩された包囲網の一角に飛び込むソルデスの背を見て、アナもまた離脱した。





――残存戦力四名。


「クソが! マジ無尽蔵だぜこいつらはよぉ!!」


 少しでも負担を減らすためにソルデスはラストカと合流を図る。もはやどこもかしこもラグーンの空は敵だらけだ。

 宿主たる人間の体力限界も近い。

 ただただ走るだけなら数時間程度はこなせるが、飛びながら四方八方から魔法と武器で攻撃される現状では集中力がいくらあっても足りやしない。

 血流のビートが心臓を攻め立て、魔力も底を付き始める度に元の体を恋しく思う。


(ちくしょうめ。ラブもピースもここにはねぇ。ここが地獄に一番近い場所だぜい)


 リュートとギター。

 二人でかき鳴らした思い出がその体への拘りを捨てさせない。

 ましてや彼は、賢人と悪魔とエルフで一緒に野外ライブまでやった仲である。


 たった数曲。

 されど、沸きたつ未知の楽曲に魂が震えた。

 もう一度それを全身で味わうためにも、ここで死ぬわけにはいかない。


「あーくそっ、演奏してぇぇぇぞ糞がぁぁぁ!」


「私は踊りたーい!」


 口元から滴る血と、爪牙から滴る血風の中で血まみれのダンサーが亀裂のような笑みを浮かべて戦場を舞う。この場で誰よりも傷を負いながら、狂ったように暴れていく。まるで吹き荒ぶ嵐のように、彼女は戦場を血で染めた。その五体によって引き裂かれる天使の体は、捕まれば一瞬で挽肉と化し、大口を開けた化け物への供物となる。


 だが、それでもなお天使は引かない。

 固有名を与えられなかった軍勢は、神意を盾にただ盲目に聖戦に望むのみ。


「おい悪神! いつか世界が平和になったらよぉぉ! この面子で絶対に一曲やろうぜ!   


 お前はアレだ、ドラムとかいう太鼓叩け!」


「こんなときに貴公は一体何を言っている!?」


「ハッピーな未来への約束さ。いーだろ別に。戦争とかくだらないだろっ!」


「なら、私は笛でも吹きましょうかね」


 スルリと会話に混ざるアクレイは、汗にまみれた顔で剣を振るう。

 左肩から袈裟に斬られた天使を蹴り飛ばし、反動で突っ込んできた天使を回避。

 身をよじって縮地を発動。ソルデスと合流する。


「馬鹿だ馬鹿だと思って居たが、貴公は本当に馬鹿だな死神っ」


「真面目馬鹿二号に言われたくはねーっての。お前もなんだかんだでアフラーに似てきたぞちくしょう! ちったぁ楽しそうな顔してみせろってんだ!」


「そうだそうだー! 歌って踊れる悪神になれー! 真面目馬鹿2号!!」


「覚えていろ貴様ら。終ったら特別に、劇場一つ貸しきって見世物にしてくれるわっ!」


「っしゃー! 会場ゲットだぜい!」


「では後で楽団の名をつけましょうか」


「メインボーカルはクールビューティーでよろ!」


「ダンサーに可愛い妖精さんたちも集めよっ!」


 くだらない話だった。

 そんなことをする前に手を動かせばいいと皆が分かっている。

 だが、その馬鹿話をずっと続けたいと彼らは思った。

 現実逃避のためではなく、心のそこから。


――けれど一人、また一人と声が消えていく。


 ソルデスが負傷し、それを助けようと無理をしたラストカもダメージオーバーで離脱した。


「――結局、貴公が最後まで残ったか」


「生憎と生き汚さにだけは自信がありますから、ね」


 致命傷だけは避けた傷だらけの体を回復させ、最後のポーションの空瓶を捨てたダークエルフが凄絶に笑う。背中合わせに滞空するアリマーンは、殺しても死にそうにないその喰えない男が、いつもの笑みを浮かべている様を幻視した。


「そういえば昔、同じようなことがなかったか?」


「おや、貴方も思い出しましたか。アレは……そう。貴方の国を荒らしていた盗賊団を叩いたときでしたか」


「あの時も最後は二人だけだったな。余の命を狙っていた革命側の兵士と盗賊がグルで、貴公と余以外が全て死んだ。危うく貴公を斬り捨てるところだったぞ」


「酷い話ですよ。雇われの私が、どうして四方八方から切りかからなければならないんですか。というか、確かあの時怪しいとばかりに貴方は私も斬ろうとしてましたよね?」


「その分給金を弾んだろう。しかも図々しくもそれを蹴って余をスポンサーにしおって」


「いいじゃないですか。上の者が金を回さないと経済が活性化しませんよ」


「貨幣概念が希薄だった種族の男がよく言う!」


「おかげで人間の商業とやらについても学べましたよ。あと、多種族を混ぜ込んだ傭兵団を作ったらどうなるかもね。そちらにも良いテストケースになったでしょう?」


「嗚呼。違いない――」


 竜も人も、エルフ族もドワーフも、妖精も巨人も獣人もホビットも。

 それこそ闇鍋の如く混ぜ込んで作った傭兵団イビルブレイク。

 問題だらけのそれは、しかしいつの間にか膨れ上がって名を上げた。

 一種族だけで統一したその他大勢の古株を押しのけて、だ。


 人間至上主義の方針の限界はそのときに見据えられ、アヴァロニアの方針に実力主義が取り込まれたのはそのせいだ。

 先の先。

 未来の果てに世界征服を完遂させれば、何れは多種族も上手く混ぜ合わせなければならない。でなければ、格差と差別で何れは自分たちの首を絞める。


 なんということはない。

 ただ理解すれば良い。


――あいつと俺たちは違う。でも、別に争う理由はないのだと。大して自分たちと変わらないのだと。


 寿命や身体能力は違うが、剣で刺せば死ぬし、飯を食わねば死ぬ。

 だったら、それは同じ命を持つ生命なのだ。

 たったそれだけのことが、何故こうも難しいのか。


 国境のせいか、種族のせいか、文化か、価値観か。

 そもそも何が敵なのか?


 考えに考えたとき、無知だと彼にひらめかせた。

 その切っ掛けをその男は作った。そういう意味では、アクシュルベルンという男はアヴァロニアに貢献した一人でもある。

 そして同時に、アリマーンが屈服せしめられなかった稀有な存在でもある。


「なぁ、アクシュルベルン」


「なんです? さすがに私もこの状況では起死回生の策なんて浮かびませんよ」


「これが終ったらもう一度余の国に来い」


「……私にエルフ族を捨てろと?」


「捨てろなどとはもう言わぬよ。ただ――少し思い出したことがあるだけだ」


 荒くれ者共の頂点に居たその男は、思えば傭兵団を上手く御していた。

 部下にただの一度も反乱されず、人心を掌握し、彼らと当然のように上手い酒を飲んでいた。手痛い教訓があったからだとは言っていたが、その理由は未だに聞いてはいなかったことを思い出す。


「余は力を誇示してきた覇王だ。だが、何れそれ以外も模索しなければならん時が来るだろう。力の限界を見た。故にだ、貴公が別の道を教授しろ。馬鹿共との馬鹿騒ぎが終った後の打ち上げでな」


「これは――はは、驚きました。貴方がそんなことを言うだなんて」


「余も酒を飲みたいときぐらいはある」


「ふふふ。今の貴方となら、きっと良い酒が飲めそうですね」


「ふん。ここまで積み上げてきた屍と、余に忠を尽くしてきた者たちが変えたのだろうよ。後は、どこかの腹黒と、よく分からんあのハイエルフもどきも入れておけ」


 死を積み上げた分だけ前へ。

 停滞はその罪故に許されない。

 悪道の先にあるそれを目指すと決めた以上は、それら全てに踏みにじる価値があったと証明しなければならない。でなければ倒される者が無価値になる。


 それだけは、そんな悪辣外道だけは今も昔も到底認められない。

 倒されるべき悪の総帥としてそれだけは。


「ふふふ。そういうことにしておきましょうか――」


 囲まれている。

 一端動きを止めて包囲するだけに止めているのは、アリマーンに余計な動きをさせないためか。


 空の上。

 いつの間にか、背中合わせの二人の周囲で埋め尽くすかのように天使が舞っていた。

 圧倒的なる多勢に無勢。

 百を超える天使の群れは、更にその数を増している。


「警戒しているのでしょうか?」


「ああ。我が友の力を恐れているのだろう。こいつのそれは本物だからな」


 聖人逸話の中に、一つ天使たちが畏れるべきものがある。


――天使殺しをしてなお、唯一神に寵愛された聖人の話だ。


 その男は、天界に迎えるべく神によって遣わされた天使を殴り殺しても許され、最後には天使の中でも高位に位置する神が大天使まで伴って連れに来たという。その後、その男は死後に天使へと生まれ変わった。


「まさか天使殺しの預言者伝説……ですか?」


「同一視して警戒しても不思議ではあるまい。こいつらは基本、唯一神の下僕だ」


 想念の呪縛か、ただの時間稼ぎかはもはや二人にはどうでもよかった。

 問題は、結界外の天使が次々と転移してくるこの状況。


「外の鳥もどきも全滅したか。いよいよ戦場に二人だけだな」


「……凌げますか?」


「せっかく溜めたアスタムの力を使いきれば或いはな」


「やれやれですよ。やはりそれを誘っての包囲ですかね?」


 切り札はアスタム。

 しかしその力を無為に消耗すれば詰む。だが、それをしなければこの場には残れない状況に追い込まれた。それが現実だった。


「こういうときはアレです。もう一か八かの大博打しかないですね」


「ハッ、貴公らしくもないな。英雄願望でも芽生えたか?」


「いえまったく。ただ思うのですがね」


 世に生れ落ちる英雄は、なりたくてなっているのか?

 アクレイは違うと思う。

 功績を立てたからこそ英雄と呼ばれるのであって、事を納め、偉業を達成するまでの間はただただ結果を求めて足掻いているだけのヒトに過ぎないだろうと。


 そう、彼も。

 あの廃エルフもそうではなかったか?


(嗚呼、そうか。アッシュ、貴方はただ……)


 足掻いていたのだろう。

 目の前にある現実を前にして。


 頼めばなんとかしてくれた。

 持ちえる能力を使えば、彼には一人でそれができた。

 だが、そういえば。

 廃エルフのアッシュはただの一度もそれを誰かに誇ったりはしなかった。


 謙虚だったのではない。

 あれは、本当にただ足掻いた結果だったからなのではなかったか?


 だから誇らないし自慢もしない。

 足掻くという行為に付随する泥臭さ。

 自らの物だと実感できない振って沸いた力への戸惑い。

 不相応な力を振り回して得たそれは、ただただ行為の後に積み重なって残っただけのただの結果だ。


「英雄は成りたくてなるものではなく、結果として成ってしまうものではないか、とね」


「願望は英雄ではなく結果に対してだと? なるほど、その方がヒトらしいか」


「だってそちらの方がまともではないですか」


「違いな――ぬぅ!?」


――ゾワリ。


 それを感知した瞬間、ラグーンに居る全ての生き物が天を仰いだ。

 念神であるアリマーンや天使はおろか、アクレイや召喚されて地表で怯えていた蚊帳の外の魔物も例外ではない。


「教皇……ですか?」


「違う。似ているが真逆だ。だが知っている。余はこの力を識っているぞ!」


 黒い兜越しにアリマーンが目を凝らす。

 その先にあるのは月。

 白い円にも見えるその衛星の中心に、紅点のような輝きが照っている。

 そしてそれは、徐々に徐々に近づいてくる。


 ありえないほどのスピードで。

 前人未踏の超速で。


「……あの男、やはり生きていたのか――」


「あの男?」


 想念で繋がった、この場に存在する全てが一切合財注目せざるを得ない存在。

 そんな人物にアクレイはとんと覚えがない。けれど悪神には心当たりが有り過ぎた。


「そら来るぞ、貴公の方がよく知っているはずのあの、不可解極まる念神が――」


 衝突。

 それは一瞬の出来事だった。


 気がついた頃にはもう、ラグーンに激震が走っていた。

 揺れる浮島で振動を堪えながら見上げるアクレイは、結界の上に着地した人影を仰ぎ見る。距離が遠すぎて顔は見えない。

 だが、その瞬間確かに全ての天使たちがそれに怯えるかのように浮き足立った。

 それは、彼らの視線の先から突如として消失する。


――転移魔法だと気づいた頃には、それは彼らの眼前に現れていた。


「――人……間? ジーパング人?」


 黒髪に黒瞳。

 身長は年相応だろうか。けれどその出で立ちは、彼が知るような彼の国の物とは程遠い。 男は白いシャツの上に黒いジャケットを羽織り、紺色のズボンを履いてる。

 それらは防具というには貧弱で、一見すればただの奇抜な一般人のそれにしか見えない。


 けれど、彼の持つその燃える魔剣は違う。

 仕立ての良い服を着ただけの一般人であるという、そんな場違いな印象を完全に拭い去って余りある程の凶悪な存在感に満ちていた。


 どこかで見た気がする。

 そんな既視感の中、声を失っていた彼に男は言った。


「――ようアクレイ。相変わらず胡散臭そうな顔をしてるな」


 十代後半程度のジーパング人にも見えるその青年は、だらりと下げた右手の剣をそのままに気軽にも声を掛けてくる。

 そうして軽く周囲を一瞥し、すぐに腑に落ちないような顔で彼に問うた。


「ところでお前、こんなところで何をやってるんだ?」


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