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旅立ちの序曲

"大いなる大陸"。


人々は自らが生きる大地をそう呼ぶ。

その名の通り広大な大陸は、永く悠久の時を経ながら、その身に人の歴史を刻み続けていた。


"大いなる大陸"の西の果て、"閉ざされし大海"が大陸西部を南北に分け隔てている。

その北岸に、その国は在る。


"ローアン"とよばれるその王国は、"閉ざされし大海"の北岸、東端より、長くつきだした半島をその版図としており、"閉ざされし大海"沿岸の肥沃な土地・温暖な気候の恩恵を受け、永き に渡り豊かな実りを甘受していた。



"クロトン"の街。


ローアン王国最南端の街にして、王室3分家の一つ、リンク家が治める街である。

王都ローアンからもっとも離れた街でもあるため、どちらかと言えば、片田舎、といった趣がある。

が、"閉ざされし大海"対岸の大国、"カスタルゴ"に対する守りの要であることもまた事実であ り、街の外周部には、ブロック状に切り出された石材を規則正しく積み上げて高い城壁が築かれ、一定間隔で見張り塔が配されている。


それはさておき。


夜の闇に紛れ、城門の陰からあたりを伺う人影が一つ。

周りに他に人影がないことを見て取ると、その影は低い姿勢で城門の外に躍り出ると、直ぐ近くの草むらへと滑り込んだ。

頭から外套を被っているため、顔はわからない。

ただ、そのシルエットから、男性であることだけは見て取れる。

彼は草むらから頭だけ出すと、再び辺りを伺った。

他に人影はない。

それを確認すると、彼は城門の陰へと手を振った。

それを合図に、もう一人、城門より躍り出た。

同じく頭から外套を被っており、やはり顔はわからない。

だが、今度は女性の様である。

彼女は彼の元へと滑り込むと、息を殺して彼の指示を待った。

彼は暫く周囲を伺った後、彼女を振り返ると頷いた。

2人はそのまま、街道沿いにクロトンの街を離れていく。

むろん、その様子は城壁の各見張り台からは丸見えだった。

しかし、番兵が騒ぐ様子もない。


"ああ、また駆け落ちか。"


それが彼らの認識だった。

実際、様々な理由で街を抜け出す男女は、さほど珍しい存在でもなかった。


  ☆  ☆  ☆  


ある程度、街から離れたところで、件の2人は立ち止まった。

外套から頭を出すと、2人はお互いの顔を見合わせた。

男性の方は、金色の髪を無造作に伸ばし、後ろ方向へ流しただけの髪型で、額にある細かな装飾の施されたサークレットが印象的だ。

整った顔立ちをしており、まあ、二枚目イケメンの範疇にいれて良いだろう。


「大丈夫、ルナ?」


彼は女性を気遣った。

ルナと呼ばれた女性――少女、といった方が良さそうな外見ではある――は、乱れた金色の髪を撫でつけながら、頷いた。

彼女の長い髪は背中まで達しており、良く手入れされていると見え、月明かりに輝いて見える。

やや幼さを感じさせる顔つきではあるが、そのエメラルドグリーンの瞳が印象的で、美しい、という印象を与える。


「わたしは大丈夫です、ケイン。」


ケインと呼ばれた青年は、頷くと、前方の小屋を指した。

ローアン王国では、街道がよく整備されている。

各都市間を街道で結び、街道に一定間隔で休憩用の小屋を設けてあるのだ。


「あそこに馬が用意してあります。

 もう一息です。」


ケインの言葉に、ルナは笑顔で応えた。

どことなく、育ちの良さが感じられる物腰である。

ケインは、腰に帯びた破砕剣を確認すると、ルナに声をかけた。


「行きましょう。」

「ええ。」


ここまでくれば、2人の旅路はほぼ軌道にのったと言えるだろう。

2人は寄り添う様に、小屋へと向かって歩き始めた。


  ☆  ☆  ☆  


ところで、話は、この日の早朝までさかのぼる。


クロトンの街の中心部に位置する領主の館――一般に、クロトンの城と呼ばれる――その広間では、重臣達が一同に会し、重苦しい雰囲気のなか、皆一様に難しい表情を浮かべていた。


それもそのはず。


つい先日、王都ローアンより、ある知らせが届いていた。

それは実にやっかいな情報であり、やむなく"緊急対策会議"なるものを、一昼夜に渡り開催せざるを得ないものであったのだ。

既に意見は出尽くし、答えはどこにも無いかに思われていた。


「・・・何か、奴の摂政就任を、阻止する手だてはないものか。」


初老の男――年齢の割にがっしりとした体格の持ち主で、カリフラワーのような赤毛、顔半分を埋める勢いの赤髭――が、何度目なのか既にわからなくなった台詞を口にした。

男が口にした命題について、ありとあらゆる可能性を検討してきた。

だが、どこにもその可能性を見出せないでいた。

そして何より、問題解決できない決定的な要因が存在した。


「気持ちは分かるがな、ゲーゼよ・・」


先程の赤毛赤髭の男とは円卓を挟んだ向かい側に座した男が、口を挟む。

ゲーゼと呼ばれた男は、疲れ切った表情を浮かべ、男を見返す。


「残念ながら、我らは決定事項として、その知らせを受けたのだ。

・・何より、亡き王の最後の御言葉なれば・・、やはり我らはそれを尊重せなばなるまい?」


ゲーゼは、会議中の面々の内では、もっとも若い――といっても、比較的、という意味だが――その男を見据え、その黒い総髪の頭を殴りつけてやりたい衝動に駆られるのを、ぐっとこらえた。

問題解決できない決定的な要因――それは、その問題が先王の遺言だということ。


「だがな、カイラよ。」


カイラと呼ばれた男は、表情にこそ疲労の色を隠せずにいたが、眼にはまだ、はっきりとした意志を感じてとれるだけの輝きを残していた。

ゲーゼは、そのカイラの様子を半ば頼もしく感じていた。

この男となら、まだ議論可能と思われた。

実際、部屋に集まっている他の重臣達は、既に肉体的限界に達していると見え、とても思考可能な状態とは思えなかった。


「儂には、我らが姫様を、あのような輩にくれてやる気など毛頭ない。」


ゲーゼの言葉に、他の年老いた重臣達は、わずかに頷いて見せただけである。


「・・・例え、それが無き王の御指示であったとしても。」


ゲーゼの言葉に、カイラは広い顎に短くそろえられた髭を撫でる。

ゲーゼは言葉を続ける。


「・・それでなくとも、姫様はご両親を亡くされてまだ日が浅いのだ。

 気丈に振る舞われておられるが、心の傷は癒えておるまい。」


ゲーゼの瞳は微かに潤んでいる。


「まだ、成人したばかりの16歳なのだぞ?

 その上で、あのか細い肩で、このクロトンを背負われたのだ。」


カイラは、ゲーゼの言葉を黙って聞いていた。


「今また、今度は姫様にこの国を背負えという。しかも、あの男の操り人形になれと!?

・・冗談ではない。これ以上、姫様のお心を傷つけてなるものか!」


ゲーゼの想いは、ある意味この部屋に集まった者達の総意であった。

カイラとて、それは同じである。

だが、彼は敢えて異論を唱えた。


「元老院の決定を―、"王の遺言"を拒否したとあらば、姫様は民の信頼を失うだろう。」


ぐっ、と言葉につまるゲーゼ。

カイラは円卓に両の肘をつき、両手を口の前で組み合わせたまま続けた。


「あの男が、いかに危険な男かは、私とて承知している。

 だが―、我らが姫様を次期国王に。その摂政として、あの男を。

 ・・それが亡きトォク王最後の御言葉なれば、・・やはり、我らは、それに従うしかなかろう。

 姫様の御為にも。」


言葉そのものは冷静であったが、さすがにその表情には苦悩の色がうかがえた。

ゲーゼは、その言葉に頭を振りながら、言葉を紡ぐ。


「だが・・・必ずや、奴は姫様を食い物にするぞ?」


カイラの表情には、さらなる苦悩の色が広がっていく。


「・・だろうな。」


  ☆  ☆  ☆  


この時代、一般的に王の権限は絶対である。

ローアン王国においてもそれは同じであった。

ただし、ローアン王国には元老院と呼ばれる王直属の機関がおかれている。

王によって選ばれた、各分野の専門家達15名前後で構成される元老院は、一種の議会であり、王の示す指針に従い、内政を司る。

元老院の王に対する忠誠は絶対である。

彼らは皆、王を敬っていたし、王に抱く感情は肉親に対する情に近い。

王に選ばれたという自尊心もあるかもしれない。

また、元老院に対する王の信頼も厚い。

事実、戦時には全てを元老院に任せ、戦地に赴く王も多い。

先のカスタルゴとの大戦時、時の王メームラスもまた、全権を元老院に預け戦地へと赴いている。

いずれにせよ、王国の内政は、実質的には元老院によって行われていると言えるだろう。


  ☆  ☆  ☆  


カイラは、"王都からの知らせ"である羊皮紙製の巻物を手に取ると、円卓の上に広げた。


「元老院の決定通知か。そんな物を今更どうするつもりだ?」


ゲーゼはカイラの行動の意図が読み取れず、少しばかり苛ついた。


「うむ。」


カイラはゲーゼを振り返ると、卓上の書簡を示した。


「当初、我らはあまりにも感情的にこの知らせを受けとめている。

 だから今一度、冷静な目でこれを見返してみよう。

 ・・何か抜け道が見つかるかもしれん。」


ゲーゼには、カイラの提案があまり実のあるものとは思えなかったが、何もしないよりはましだと思い直し、その言葉に頷いて見せた。


「・・ではまず、元老院の決定書だ。」


ゲーゼの反応にカイラも頷き、件の書簡を音読し始めた。


「・・故、トォク・ラルカス・マドウ陛下の最後の御言葉に従い、以下の事項を協議の上決定するものであります。

 一つ、現クロトン領主にしてリンク家当主、マルガレーテ・ルナ・リンク殿下を、我らが王として奉るものであります。

 一つ、現元老院議長クリサリス・ガルダを、殿下の摂政として、生涯殿下の右腕として献上致すものであります。

 一つ、元老院は現行メンバーにて、殿下のご意向を賜るものと致します。

 以上。

 ローアン王国 元老院議長 クリサリス・ガルダ。」


カイラが読み終えるのとほぼ同時に、ゲーゼは悪態をついた。


「ふん!奴め、よくもぬけぬけと、"自分を姫様の摂政に"、などとほざきおって・・!」

「気持ちは分かるが、興奮するな。」


カイラは落ち着いた声でゲーゼを諭す。


「感情的になっては、大切なことを見落としてしまうものだ。」


言われ、ゲーゼは大きく深呼吸をした。


「・・うむ。」


ゲーゼが落ち着くのを待って、カイラはもう一つの書簡を取り上げる。

トォク王の遺言書である。


「続けるぞ。」


カイラはそういうと、遺言書を音読する。


「・・・病に蝕まれ、我が"力"も尽きんとしておる故、これを記す。

 我は王国3王家の一翼、マドウ家当主にしてローアン国王、トォク・ラルカス・マドウなり。

 先代メームラス王崩御の後、その子息グレイラス公がこの世を去ってより早15年。

 本来なれば王国を継がねばならぬ、本流たるラース家の血統を絶やさぬことを、第一に考えられんことを切に願う。

 今の世にて、本流たるラース家の血をひくものは4人。

 一人は我が弟。一人は現リンク家当主。

 一人はリンク家当主の妹君。

 そして今一人は故グレイラス公の子息。

 このうち、我が弟は成人前であり、また既に亡き父によって離縁されておる身故、マドウ家よりの王はなし。

 3王家のもう一翼である、リンク家当主の妹君は、同じく成人前である故これもなし。

 血統の正当性を考えれば、故グレイラス公の子息であるが、行方がわからぬ限り論じてもせんなきこと。

 故に、リンク家当主の国王就任を、我は願うものとする。

 また、成人後間もない未熟な王なれば、最も賢き者を摂政とし、これを助けるがよかろう。

 今一度、いう。

 ローアン王家の本流たる、ラース家の血統を絶やしてはならぬ。

 ・・・上記事項が果たされんことを切に願って。

 トォク・ラルカス・マドウ。」


読み終えると、カイラは遺言書を丁寧に元の場所に戻した。


  ☆  ☆  ☆  


ローアン王家の人間には、特殊な"力"が備わっている。

その"力"がどんなものなのか、あまり民は知らない。

だが、その"力"によって国が守られているのだと、一般には信じられていた。

王国を建国した初代国王ローアンが、その"力"を使って北の"神々の尾根"と呼ばれる山脈を削り取り、その土を利用して国土を作ったのだ、という伝説があるためだ。

故に民は、ローアン王の末裔である証となる"力"をもつ者を王に望む。

"力"の現れ方は個人差があり、千差万別である。

ある者は傷を癒し、ある者は他者の考えを見て取る。

ある者は千里先までを見通し、ある者は千里の距離をも一瞬で跳躍する。

ある者は雷を呼び、ある者は紅蓮の炎を呼び寄せる。

その力のためなのか定かではないが、王家の人間には短命な者が多い。

50年生きればよし、と言われているこの時代、先の王、トォク・ラルカス・マドウもまた、33歳という若さでこの世を去った。

クロトン領主、マルガレーテ・ルナ・リンクにしても、先月成人したばかりの16歳という若さで、リンク家当主となっているのは、彼女の両親が若くしてこの世を去った為である。

先々代国王、メームラス・バルス・ラースは47歳と比較的長命であったが、その長子グレイラスは26歳で即位する直前、この世を去っている。


  ☆  ☆  ☆  


「"最も賢き者"、か。」


ゲーゼは吐き捨てるように呟いた。


「・・確かに、普通に考えれば元老院議長のことだが・・。」


王国の慣習として、元老院のメンバーを"賢き者達"と呼ぶことがある。

そして、"最も賢き者"とは即ち、その議長を指す言葉なのだ。


「亡きグレイラス様のご子息がいらっしゃれば、一番問題ないのだよな。」


頭をかきながら、ゲーゼがぼやく。

不意にその手を止め、カイラを見据えた。


「・・お主、本当に何も知らんのか?」


ゲーゼの問いは、先々代国王メームラスの王子、グレイラスの死についてである。

15年前、メームラス王崩御の際、その息子グレイラスが次の王として即位することになった。

住まいにしていた離宮より、妻や3歳になる息子、供の者を引き連れて、王城へと向かったその途上、グレイラスが急死している。

そればかりか、同行していた者達まで命を落としている。

当時カイラはグレイラスに仕えており、彼らが消息を絶つ直前まで同行していたのだ。


「残念ながら、グレイラス様の命で離宮へ戻っておった間の出来事故・・何もわからん。」


そう言って、カイラは苦し気に目を伏せた。


  ☆  ☆  ☆  


王都ローアンに居を構えるラース家、南のクロトン領主リンク家、そして北のマドウ家。

この三家を総称してローアン三王家(ないし、分家)と呼ぶ。

このうち、ラース家がいわゆる"本家"にあたり、基本的に代々の王はラース家の当主がつとめる。

王の"力"も、ラース家のものが最も強いといわれている。

しかし、先々代国王メームラス崩御後、それが不可能となってしまった。

後を次ぎ即位するはずであった王子グレイラスが、急死してしまったのだ。


そう、"急死"である。

離宮より、王城へ向かう途上でのことであった。

病死とも、暗殺とも言われているが、真偽のほどは未だわかっていない。

その死に顔は、実に穏やかであったと伝えられている。

反面、供の者達は、折り重なるように息絶えており、その顔には苦悶の表情を浮かべていたという。

また、グレイラスの妻や息子の行方がわからなくなっている事実から、陰謀ではなかろうかと考えられている。

だが、不思議なことに、当時の護衛隊唯一の生き残りであるカイラ・ルーサーが、その責任を問われ左遷されただけで、詳しい調査もそこそこに、マドウ家当主トォクが次期国王として即位している。


当時、カスタルゴとの戦が終わったばかりであり、国王不在の状態が続くのは、対外的にもまずいということで、国王即位が急がれたことは否めない。

もう一つ解せないのは、当時、閑職に追いやられていたクリサリス・ガルダが、トォク王即位の直後、元老院議長に抜擢されたことである。

そもそも、このクリサリス・ガルダによって、グレイラス一家の捜索打ち切りが決定されたとも言われているのだ。


この時点で、ラース家の世継ぎがいなくなったと思われたが、グレイラスの妹達が既にリンク家、マドウ家に嫁いでおり、いずれは、いずれかの子をラース家の養子に迎えることで、その血を絶やさぬこととなった。

或いは生死不明のグレイラスの息子の発見により、ラース家の存続はなされるであろう。


さて、このような状況で、唯一成人している王族が、リンク家当主マルガレーテであった。

彼女には歳の離れた妹がいるが、未だ3歳という若さで、次期国王としては論外である。

また、マドウ家にも一人、男子がいたが、これは少々やっかいな存在で、既に離縁されている身でもあるため国王としては相応しくない、とされた。

マルガレーテの母は、亡きグレイラスの妹アルテミスであり、ラース本家の血を引く彼女は、次期国王として申し分のない存在である。

問題は、彼女が成人後間もない状態であり、クロトンの統治も実質的には重臣達によって行われているということであった。

それ故の摂政であろうが、それがクリサリス・ガルダだということが、ゲーゼ達には納得できないことであった。

仮にグレイラスの息子が生きてさえいれば、当年18歳。

ラース家の直系であり、最も強い"力"の持ち主であり、最良の選択肢なのであるが、いかんせん、当の本人は未だ行方しれず、である。

元老院によって捜索打ち切りが決定されたものの、地方では、未だに細々とではあるが、グレイラスの息子の捜索が続けられているという。


クリサリス・ガルダという男だが、かつてメームラス王の時代に、軍功により重く用いられるようになったという。

だが、いつの頃からかメームラスやその息子グレイラスとの間に確執を生じ、ついには左遷されるに至ったのだ。

だが、次の王、トォクの治世となり、彼は再び檜舞台にあがることとなる。

その裏にどんな物語があったのか、世の知るところではない。

ただ一ついえるのは、"王家"に大怨を抱くと思われる男が、実質的な国の中枢機関である元老院の議長をつとめ、いままた摂政――王の代弁者となることで、何を目論むのか。

――答えは自ずと限られてくるだろう。


  ☆  ☆  ☆  


「・・やはり、奴が姫様の摂政になることは・・避けられんのか・・。」


ゲーゼは腕組みをしたまま、呻くように呟いた。


「いかにして奴から姫様をお守りするのか、それを考えた方が良さそうだな・・。」


ゲーゼの言葉を受け、カイラが口を開いた。


「・・だが、一体どうやって・・?」


自問自答するカイラの表情からは苦悩の色が消えそうもなかった。


  ☆  ☆  ☆  


クロトン城の一階中心部に位置する謁見の間。

鏡の間とも呼ばれるこの部屋は、一面大理石で覆われており、クロトン城のなかでも最も優雅な作りとなっている。

この部屋の下座へと通された青年は、その場に片膝をついて頭を下げ、主の入室を待った。

一見、痩せ形に見えるが、貫頭衣に似た衣装から覗く両の腕には、引き締まった筋肉が見て取れる。

長めの金髪に隠れてはいるが、彼の額には細かな装飾が施されたサークレットが光っている。

帯刀こそしていないが、腰のベルトに付いた鞘用の金具から、彼が騎士であることがわかる。


やがて――、上座右手奥の扉より、主が現れた。


背中まで伸びた金色の髪を揺らせながら、玉座へと歩く。

クロトン領主、マルガレーテ・ルナ・リンクである。

彼女は玉座に腰掛けると、真っ直ぐに青年を見据えた。


「待たせたようですね、ケイン・ルーサー。」


凛とした声が、室内に響いた。

ケインと呼ばれた青年は、膝をついた姿勢のまま応える。


「はっ。お休みのところを、申し訳ありません。」


実のところ、まだ朝早い時間帯であり、謁見を申し込むにはやや早すぎたといえる。

ケインはまず、そのことを詫びたのだ。


「よい。

 ・・よい知らせなのでしょう?

 聴きましょう。」


マルガレーテの言葉に、ケインは顔をあげ、彼女を見上げた。

本来、このような場であれば、マルガレーテの左右には主だった重臣達が座すのだが、今は空席であった。

今現在、彼らは別室にて協議中なのだ。

それ故、マルガレーテの側には侍女が一人控えるだけである。


「はっ。

 先日来、巷を騒がせておりました賊を、無事捕らえることができましたので、ご報告にあがりました。」


ケインの瞳に映るマルガレーテの顔に表情はない。

彼女のエメラルドグリーンの瞳からも、何の感情も読み取れない。


「賊は総勢23名。

 頭と目される男を只今取り調べております故、直に詳細が判明するものと思われます。」


ケインには表には出さないものの、マルガレーテの無表情さが淋しかった。

マルガレーテが成人する先月までは、2人は比較的自由に会うことを許されていた。

だが彼女が成人し、時を同じくしてクロトン領主となってからは、このような形でしか会うことはできなくなった。

今更、甘い言葉を交わせるとは思っていないが、せめて笑顔を見せて欲しい。

――それが、ケインの本音だった。


「ごくろうでした。」


感情のこもっていない声で、マルガレーテがこたえる。


「貴公の活躍、色々と耳に聞こえています。

 期待していますよ?」


そう言って、マルガレーテは微笑んだ――ように、ケインには感じられた――。


「はっ。

 ありがたきお言葉。

 恐縮であります。」


つられて、ケインの顔にも微笑が浮かんだ。


「――では。」


そう言って、マルガレーテは立ち上がった。

これで謁見は終わりである。

彼女は立ち去りかけて、ふと、何かを思い出したように足を止めた。


「・・早朝からたたき起こしてくれたのです。

 少しくらい埋め合わせをしてもらっても、構いませんね?」


意味ありげにそう言うと、彼女は――今度ははっきりとわかるような――笑みを浮かべ、ケインを見た。

それは、ケインのよく知る幼なじみの少女の表情であった。


  ☆  ☆  ☆  


マルガレーテは、毎朝城の中庭を散歩することを日課としていた。

このときばかりは侍女も連れず、一人気ままに歩を運び、風にあたる。

季節は春であるが、朝早い風は微かに肌寒さを感じさせる。

羽織るものをもって歩くか否か、迷う季節である。

結果、ケインは体の良い荷物持ち――彼女の外套持ち――として、マルガレーテの日課につきあわされることとなった。

だが、それが彼女の計らいであることは、ケインにはよくわかった。

2人になれる時間を作ってくれたのだ。


クロトン城の中庭は、噴水を中心に「水」をテーマに造形された庭園である。

マルガレーテについて歩きながら、ケインは風にながれる彼女の金髪を眺めていた。

美しい、と思う。


「――こんなふうに、2人で会えるのも・・随分と久しぶりですね。」


不意に、マルガレーテが振り返りもせずに話しかける。

先程までと違い、その声はケインの良く知る、幼なじみの少女のものであった。

彼の胸に、懐かしい想いがこみ上げてくる。

自然、彼は呼びなれた名を口にしていた。


「・・ルナ・・。」


その呼びかけに、少女はクスクスと笑い、ケインを振り返った。


「やはり、その名前の方がしっくりきますね。

 "マルガレーテ"という名は、まだ馴染めなくて。」


ローアン王家では、16歳で成人する際に新たな名を授かることになる。

そして、幼名はそのままミドルネームとして残る。

彼女は先月成人する折り、時の王トォクよりマルガレーテという名を授かった。

ルナとは、彼女の幼名なのだ。


少女の長い金色の髪を、ケインは美しいと思う。

彼女のエメラルドグリーンの瞳に、自分の姿が映ることが嬉しかった。

しかし、少女の微笑みはすぐに消えた。


「・・・やはり、王都ローアンに行かなければならないみたいです。」


先日来、リンク家に仕える主だった重臣達が何やら協議していることは、ケインとて知っていた。

そしてそれが、トォク王の崩御と次期国王の問題であることも。


「恐らく、もう、こうして会えるのは・・これが最後になるでしょう。」


淋しげに、少女が呟く。


「そう・・ですか。」


ケインは、何故少女が、このような機会をつくってくれたのか理解した。

彼女は"ルナ"として、自分にきちんとお別れをしておきたかったのだ、と。

ならば、彼女を困らせるような真似だけはすまい、と思う。


「――お別れ、なのですね。」


極力、悲しみを表に出さないよう努めて、ケインは口を開いた。

だが、それが無駄な努力であることに、すぐに彼は気づく。

相手の感情が見える――そう、"読める"のではなく"見える"のだ――、それが彼女の王族としての"力"だった。


ちょうど、噴水の裏側へ至ったところで、彼女は足を止め、ケインを振り返った。

唯一、他から死角になる場所なのだが、そのことはケインにはわからなかった。

ケインの言葉に少女は微笑むと、真っ直ぐに彼を見据え、言葉をつないだ。


「・・幼いわたしの気持ちを、まっすぐに受け止めてくれてありがとう。

 あなたと過ごした幼き日々を、あなたがくれたお気持ちを、・・・忘れません。」


少女の瞳は、微かに揺れている。

それを見せまいとしてか、彼女はケインに背を向けた。

一つ、息をはいたのがわかった。

唐突に、強く風が吹き抜けた。

少女が震えた様だった。

ケインは彼女の前にまわると、手にした彼女の外套を肩に掛けてやる。


「・・・ありがとう・・。」


少女はケインを見上げ、消え入りそうな声で囁く。

彼女の瞳には、涙のあとが残っていた。

自然、2人の顔が近づく。


――そして、唇が触れそうになった刹那、思い留まった様に、どちらからともなく身を退いた。


少女の瞳が、激しく揺れる。

彼女は再びケインに背を向けた。

風に乱れた髪を直すように、彼女は頻りに瞳のあたりを拭う。

上を向いて、大きく息をすった。

そして、再び歩き始める。

ケインもその後に続く。


「・・長々とつきあわせ、すみませんでした。

 そろそろ切り上げましょう。」


凛とした声で、少女が言った。

その声は、もう"ルナ"のものではなく、領主"マルガレーテ"としての言葉であった。


  ☆  ☆  ☆  


"緊急対策会議"は、続いていた。


「――しっかりした側近を一人おつけして、クリサリスと姫様の間におく、というのはどうだ?」


ゲーゼの言葉に、カイラは眉をよせた。


「側近?」


ゲーゼは頷くと、得意気に続けた。


「いわば、防波堤だよ。

 そうすれば、奴も迂闊なことはできんのではないか?」


マルガレーテにいわゆる秘書を付け、クリサリスと彼女のやり取りを全てこの秘書を通させよう、というのだ。


「姫様に側近をつけてはならん、とは、御遺言にもなかったし、な?」


ゲーゼは愉快そうに付け加えた。


「・・それは、そうだが・・・。」


カイラは慎重にゲーゼの考えを受け止めようと努めた。

果たして、そのような屁理屈が通用するだろうか?

カイラの疑問に応えるように、ゲーゼが続ける。


「クロトン領主となられて間もない姫様のこと、御側に身近な者を置いてしかるべきと言えば、元老院にも言い訳は立つだろう?」


そう言って、ゲーゼは悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「――他に、手はない・・か?」


苦笑いを浮かべて呟くカイラ。


「・・じゃが、誰をおつけする?」


今の今まで押し黙っていた老人達のひとりが、おもむろに口を開いた。


「それが、問題じゃな。

 なまじ重鎮をつけた日には、元老院とて黙ってはいまい。」


別の老人が、続ける。

皆、ようやく会話に参加できる程度に回復したとみえ、口々に意見を述べはじめた。


「・・では、誰を姫様におつけするか、皆々のご意見を頂戴しようぞ?」


満足げに、ゲーゼが皆を見渡して言った。

"緊急対策会議"の終了も、近いと思われた。


  ☆  ☆  ☆  


夕暮れの風が、ケインの肌を撫でていく。

クロトンの城の側にある、ルーサー家の屋敷。

その中庭で、彼は上半身裸の姿で、木剣を手に、木柱に打ちかかっていた。


「フッ!」


気合いの声と共に、鈍い音が木柱から起こる。

続いて2撃、3撃と打ちつけていく。


  


ケインの心のなかで、幼い少女が泣いていた。

その少女をなだめようと、幼い自分が困っている。


"・・あれは・・、俺が7,8歳の頃だったか?"


場所はどこだったか、もう覚えてはいない。

他人の感情が見える。

それは、幼い少女には辛いことだったのだろう。

そのことで、よく泣いていたように思う。


"みんな、わたしに嘘をいうの。"


ある時、少女は彼に言ったものだ。


"それをいうと、みんな、わたしを遠ざけるの。

 相手してくれなくなるの。"


言いながら、少女はぽろぽろと玉のような涙をこぼした。


"わたしなんか、誰も相手にしてくれないって、みんな思ってるの!"


そういって、さらに少女は声をあげてわんわんと泣いた。


"そんなことない!"


幼い彼が叫ぶ。


"ルナには俺がいる!

 ・・俺が、いるじゃないか!"


顔を真っ赤にしながら、叫んだものだ。

一瞬、きょとんと彼を見返すと、少女は満面の笑みを浮かべた。

少女には、彼が言外に秘めた言葉が"みえた"のだ。


"うん。"


少女の言葉が、ケインの心に反響する。


"ずぅっと、ずぅーっと、ルナのこと守ってね。"


  


額のサークレットに溜まった汗が、ケインの鼻筋へと流れおちた。

彼は上段に構えた木剣をおろすと、一つ、深呼吸をした。


「ガキだったよなぁ・・。」


彼女はいずれラース家を継がねばならない身。

自分とは住む世界が違うのだということがわかるまで、大して時間はかからなかった。


"相手は、お姫様だものな。"


実際、王家の娘が臣下の者を婿に迎えた例が、無いわけではない。

だがそれは、他に世継ぎがいる場合の話で、当主となる王女が、臣下の男と夫婦になった例は一切ない。

特にマルガレーテの場合、ラース本家の血統を絶やさない為にいずれは養女に出なければならないのだ。

普通は、王族、ないし血のつながりのある者が伴侶に選ばれる。

"高値の花"――いや、それ以前の問題だろう。


あきらめられそうもない

――そう思う。

だが、気持ちの整理はつけなければならない。

雑念を振り払うかのように、ケインは再び木剣を構える。


「――せぃ!」


その一撃は、木柱を砕いた。

木剣を振り切った姿勢のまま、ケインは木柱の破片が地に落ちるのを見届ける。


"ふぅ。"


木剣をおろし姿勢を戻すと、ゆっくりと息をはいた。

一息つこう、そう考えて戸口を振り返った彼の眼に、母の姿が映った。


「・・母さん。」


そこに、ケインの母親であるマリルがたっていた。

風に乱れる黒髪を気にする様に、彼女は髪を手櫛でなおしながら、ケインを呼んだ。


「・・先程、お城から知らせがありましたよ。」

「城から?」


母の元に歩み寄ったケインは、彼女から受け取った手ぬぐいで汗を拭いながら聞き返した。


「直ぐに登城するように、とのことでしたよ。」


今日の勤めは終わったというのに、一体何事だろう?

ケインは首をひねりながらも、とにかく行かねばなるまい、と考えていた。


「わかりました。

 ・・ありがとう、母さん。」


言うや、彼は駆け出していた。


  ☆  ☆  ☆  


クロトン城・鏡の間へと通されたケインは、いささか戸惑っていた。

今朝方、ここでマルガレーテに謁見したばかりであるが、今回は随分と雰囲気が違った。

まず、上座中央、玉座に座したマルガレーテが、何とも言えない複雑な表情を浮かべていること。

その両脇に並ぶ重臣達は、一様に期待の眼差しで自分を注視していること。


"・・なんだ?"


ケインは、違和感を払拭できないまま、重臣達のなかでも最もマルガレーテよりに位置している父――カイラを見つめた。

だが、カイラの表情からは、何も読み取れない。


「ケイン・ルーサーよ。」


カイラとはマルガレーテをはさんで反対側に位置したゲーゼが、重々しく口を開いた。


「はっ。」


戸惑いを隠せないまま、ケインはゲーゼに向き直る。


「本日現在をもって、街境警備隊・白鷹隊隊長の任を解き、姫様付を命ず。」

「は?」


思わず、声が漏れてしまった。

ゲーゼの言葉はケインにとって、あまりにも唐突で、あまりにも意外なものであったのだ。

黙って聞け、というように、ゲーゼが彼を睨んだ。

ケインは慌てて姿勢を正す。


「・・本日夕刻、姫様は次期国王として即位するため、王都へ向け出発なさる。」


気を取り直して、ゲーゼが言葉を続ける。


「貴殿はこれに同道し、姫様の影となり、王都到着の後も引き続き、姫様をお守りせよ。」

"・・・!"


つまり、マルガレーテに影の様に常に側に仕え、ボディガードよろしく彼女をありとあらゆる障害から守り抜け、と言われたのだ。

そしてそれは、王都ローアンへの旅路の上だけでなく、彼女が即位後も継続するのだと。

つい今朝方、マルガレーテとの"別れ"を済ませたばかりのケインにとって、この話は"寝耳に水"であり、戸惑い以外の何ものでもな

かった。

再び、ケインはゲーゼに睨まれることになった。

返事はどうした?

――ゲーゼの瞳はそう言っていた。

慌てて、応えるケイン。


「・・はっ!身に余る光栄です。」

「うむ。」


ケインの返事に、ゲーゼは満足げに頷いた。


「・・・姫様の摂政になる男、クリサリス・ガルダは・・油断ならん男だ。」


ゲーゼは一度、周囲を見渡すと、声を落として続けた。


「・・15年前のグレイラス様の件にしても、奴の関与があったのではないかと囁かれておるくらいなのだ。」

「・・つまり、姫様が狙われる可能性があると?」


ケインは思わず聞き返していた。

ゲーゼはそれには答えずに、咳払いを一つした。

――黙って聞け、という意味だろう。


「カスタルゴの間者共に、国王不在を宣言する訳にもいかん。

 それ故、折角の姫様の上洛ではあるが、盛大に行列を組んで王都へ向かうわけにもいかぬ。

 そこで、王都へは三隊に分かれて向かうこととなった。

 貴殿には、姫様と共に第三隊として出発してもらう。」


つまり、外国に対してローアン王国の国王不在状態を悟られない様にする為と、疑わしきクリサリス・ガルダの陰謀から逃れる為に、2重の囮を使うというのだ。

まず、隊商を装った隊が出発する。

それを囮として、別の隊が巡礼者の一団を装って出発する。

さらにそれを囮として、ケイン達が出発するのだ。

いずれの隊も、対外的なカモフラージュのため少人数による編成となる。


「・・貴殿は姫様とともに、闇夜に紛れてクロトンを抜け出してもらう。」

「は?」


これもまた、思わずケインの口をついて出てしまった。

再び、ゲーゼに睨まれる。


「・・昨今、夜な夜な街を抜け出す若い男女が多い故、最も怪しまれにくいのだ。」


ゲーゼはそこでマルガレーテを振り返り、申し訳なさそうに言葉を続けた。


「姫様には、ご苦労をおかけしてしまいますが、何卒、ご理解下さい。

 姫様の御身をお守り致す為でございます。」


これはしかし、予めマルガレーテとは了承済のことである。

彼女は台本通りに応えてみせる。


「・・よい。

 そなたらの思慮深さに、感謝します。」


他の重臣達も、黙って頷いている。

ただ一人、ケインの父であるカイラだけが、苦笑いを浮かべていた。


"・・しゃれになっていない・・"


実のところ、マルガレーテに誰をつけるか議論された席でケインの名があげられた際に、最後まで反対したのはカイラである。

さすがに父親だけあって、彼はケインのマルガレーテに対する想いを知っていた。

そしてマルガレーテもまた、ケインを憎からず想っている、ということを。

カモフラージュのために、2人だけで王都へ向かわせることは予め決まっていたため、カイラとしては賛成できなかったのだ。


"・・間違いが起きなければよいが・・"


それがカイラの本音だった。

結局、他に適任者がおらず、また他の重臣たちはケインとマルガレーテの微妙な関係を知らなかったし、信じようとしなかったため

、ケインに決まってしまったのだ。


「・・よろしく頼みますよ、ケイン・ルーサー。」


マルガレーテは苦笑を浮かべながら、ケインに語りかけた。

その表情は、"ルナ"の顔であった。


  ☆  ☆  ☆  


闇夜を抜け、街道沿いに設置された小屋の一つに辿り着いたケインとマルガレーテの2人は、カイラの出迎えを受けていた。


「――お前に、渡す物があってな。」


不思議がるケインに、カイラはそう答えた。

小屋の内部は、簡単な造りながらよく整備されていた。

3~4人程度の人間がくつろげる広さがあり、簡素ながらも椅子と寝台(但し、雑魚寝用)も用意されている。

マルガレーテは父子の会話を妨げないように、一人椅子に腰掛けていた。


「渡す物?」


ケインは父に聞き返していた。

カイラは頷くと、手にした棒状の包みを差し出した。

剣、のようである。

ケインは包みを受け取ると、解いてみた。

出てきたのは、一振りの破砕剣だった。

但し、ケインが普段愛用しているものとは違い、細部に細かな装飾が施されている。

重量も、ケインのものよりもやや重いと感じた。


「何です、これは?」


ケインの問いに、カイラは頷いてから言葉をつないだ。


「"附力化武具"を知っているな?

 ・・お前のその、サークレットもそうだが。」


カイラの言葉に、ケインは自分の額のサークレットに手をやる。

"附力化武具(道具)"。

いわゆるマジックアイテムのことで、王の"力"に似た力が封じられた武具(道具)をそう呼ぶ。

初代国王ローアンが造ったとも、古代の先史文明の産物だとも言われており、旧い遺跡などでまれに発見されることがある。

だが、封じられた"力"を自在に操れる者は少なく、それ故、どんな"力"が秘められているのかわからない場合が殆どである。

ただ、それを手にした際に、何らかの"力"が感じられるだけである。

"王族"ならば、どのような"力"が封じられているのか鑑定可能だと一般には信じられているが、実際には、必ずわかる訳ではなく、わからないことの方が多い。

ケインの額に光るサークレットもまた、この附力化道具であるらしい。

ケイン自身覚えていないのだが、幼い頃にどこかでこのサークレットを発見し、身につけたらしい。

それ以来、外れなくなってしまったのだ。

今は亡きマルガレーテの両親に見てもらったこともあるが、結局サークレットに秘められた"力"がどんなものかはわからなかった。

ただ、その"力"故に、外れなくなったということがわかっただけだ。


「ご多聞にもれず、この破砕剣にどんな力が秘められているのかはわからん。」


苦笑しながら、カイラが言った。


「まぁ、お守り代わりだと思ってくれ。」


カイラによれば、この剣は家宝として代々受け継がれてきたものらしい。

"聖剣"。

それがこの破砕剣の名前らしかった。

"附力化武具"ときいて、流石にマルガレーテが興味を示したらしく、ケインの手にした聖剣を見つめている。

ケインはその視線に応えるように、剣を鞘からゆっくりと抜いた。

黒光りする刀身が露わになる。

刀身の中心線に沿うように、やはり装飾が施され、その周りには古代文字が刻まれている。


"・・・え?"


抜刀した瞬間、ケインは軽い目眩を覚えた。

"何か"が、頭の中に流れ込もうとしている様な、妙な感覚。

違和感、といってもいい。

だがその感覚は不確かで、微弱だった。

そして、直ぐにその違和感はなくなった。


「・・どうした?」


ケインの様子に気づいたカイラが、彼の顔をのぞき込む。


「・・いえ・・。何でもありません。」


聖剣を鞘に納めると、ケインは笑顔で応えた。

マルガレーテもまた、心配そうに自分を見ていることに気づき、ケインは彼女に頷いてみせる。


「ご覧になりますか?」


先程までの興味深げな視線を思い出したケインは、マルガレーテに聖剣を渡した。

彼女は重そうにそれを受け取ると、眼を閉じる。


「・・・確かに、何か"力"を感じます。

 ですが、それがどんなものなのかまでは・・わかりません。」


聖剣に秘められた"力"を感じ取ろうと懸命に意識を集中していたが、"力"の正体はわからない様だった。

マルガレーテは諦めたように首を振り、ケインに聖剣を返した。

2人の様子を見つめていたカイラは、やがてクロトンに戻ると2人に告げた。

出入り口まで父を送るケイン。

カイラは扉をくぐる直前、息子に耳打ちをした。


「・・・姫様に、手ェ出すなよ?」

「・・なっ・・」


予想だにしなかった父の言葉に、ケインは絶句し、直後、耳まで赤くなった。

ケインの反応に、カイラは――内心ほっとして――笑いながら小屋を後にした。


"この様子なら、間違いも起こるまい。"


そもそも、ケインがこの役に選ばれたのも、腕が立ち、信頼できる若者だということもあるが、超"奥手"との噂が広く流布されていたことが、なにより決定的な理由らしい。

カモフラージュの為とは言え、"王女"と2人きりになるのだ。

道中、間違いでも起きれば国家の一大事である。

実は自分の余計な一言が、逆にケインにマルガレーテを"女性"として意識させる結果になったとは思いもせずに、カイラはクロトンへと引き上げていった。


「どうしました?」


真っ赤になって戻ってきたケインを見て、マルガレーテは不思議そうに尋ねた。

彼女の顔を見返したケインは、父の言葉の為か、彼女に"女"を感じてしまう自分に戸惑った。

その気分は、恐らく彼女に"見られて"しまうだろう。

そう思うと、ケインはまともに彼女を見ることができなくなった。


「・・何でもありません。」


誤魔化すようなケインの言葉は、マルガレーテには不満だったが、彼女は別のことを口にした。


「ケイン。

 わたしたちは身分を明かさぬよう行動しなければならないのですから、敬語は使わないで。」


彼女はケインの前まで移動すると、彼を見上げて続ける。


「今からわたしは"マルガレーテ"ではなく、・・あなたの連れ合い、"ルナ"ですよ?」


いいながら、彼女は苦笑いを浮かべた。


「・・今朝方、お別れを告げたところなのに・・

 今はまるで反対のことを言ってる。

 可笑しいですね。」


その点については、ケインも同じ想いだった。


「そうです・・だね。」


今、言われたばかりだというのに、敬語が口をついて出そうになり、ケインは慌てて言い換えた。

確かに、誰に会話を聞かれるかわからないのだ。

些細なことで、2人の素性を知られる危険を冒さない為にも、"身分"を感じさせる言動は控えた方がいいだろう。

何より、"極秘裏に"マルガレーテを王都へ送り届けねばならないのだから。

しかし、マルガレーテにしてみれば、それは建前だった。

残された時間をケインと2人、なんのわだかまりもなく過ごしたい。

それが彼女の本音だろう。

それに気付かないあたり、ケインらしいといえばらしいのだが。

マルガレーテは、ケインの反応が可笑しいのか、クスクスと笑った。

やがてその笑みが消え、彼女の瞳が微かに潤む。


「・・・また、一緒にいられるのね・・・。」


それ以上は言葉にならなかった。

彼女はそのまま下を向いてしまう。

ケインは、そのか細い肩を両手で支えてやると、囁いた。


「・・たった、2週間の旅だけど・・・その間だけは、"ルナ"と呼ばせてもらうよ?」


ケインの言葉に、マルガレーテは小さく頷いた。

彼女は俯いたまま瞳の辺りを拭うと、笑顔でケインを見上げる。


「・・よろしくね、ケイン。」


その言葉は、完全に"ルナ"の口調だった。

ケインにとっては、彼女と一緒に過ごした幼き日々を思い起こさせる、懐かしい口調。

懐かしさとともに、ケインは彼女を抱きしめたい衝動に駆られた。

それを振り払うように、彼は別の方向へと思考を振り向ける。


「・・今夜はもう遅いし、明日のためにも、もう休もう。」


ケインの言葉に、マルガレーテは素直に頷いた。

彼女に寝台を譲ると、ケインは唯一の入り口である扉に閂をかけ、内側からロックした。

そして、部屋の明かりを消すと、自分は3人掛けの椅子に横になった。


「・・・お休みなさい。」


マルガレーテが呟いた様だった。

疲れていたのだろう、直ぐに彼女は寝息をたてていた。

規則正しい呼吸音を耳にしながら、ケインは虚空を見つめていた。

これから、どんな困難が待ち受けているのか、今の彼には予想すらできない。

だが、自分しか"ルナ"を守るものはいないのだ。


"・・・守ってみせるとも。

 例え、何が起ころうとも・・!"


王国の未来のため、などと大それたことは考えていない。

愛しい者を守りたい。

ただ、それだけ。


夜風が草木を揺らす音が、壁の向こうで騒いでいた。

暗闇のなかで聞くその音は、あまり気持ちのよいものではない。

果たしてそれが、これからの旅路を暗示しているのか、ケインにはわからなかった。

どちらでも構わない。

そう思う。


"旅"はまだ、始まったばかりなのだから。

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