第五章[運命を決定する変数旗]
結局ゴブリンの正体はわからなかった。幻想生物専門の講師や研究者なら呻いているゴブリンから何かつかめたのかもしれないが襟人にわかったのはひどく知能が悪いらしいことと、耳がとがっていたり肌が緑っぽかったりと人間とは思えないくらい変な体をしているというくらいのことだ。
「学園を覆ったあの魔法陣が怪獣招致だったっていうなら呼び出された生物災害の一つなんだろうけど」
それにしてはこの原生林の説明がつかない。異変が起きる前はごく普通の植林された、人の手が入っている山だったはずなのにてんで地形が違う。
おまけに狂ったみたいに幻想生物がうろついているのだ。さっきのゴブリンみたいにばったり遭遇して襲われたわけではなく、遠目に木々の隙間から確認したり、茂みの中に隠れたりして覗き見たのだが、明らかに人間より大きい豚面のデブ、尻尾が二つあるオオカミじみた野犬、粘性のプルプルした流動的に動くスライムと実にバリエーションが豊かだ。
反対に鳥が少ないのはどうせドラゴンに追い出されるからなのかどうなのか。怪獣招致の術者が呼び出したのはそんな怪物たちだった。
まるで生態系が違う場所ごと召喚したみたいだ。というのが素直な感想。たとえばそう、ファンタジーなゲームの中に迷い込んでしまったみたいな。
そうやって現状を確認するだけした襟人は学園に戻ることを決めた。冷静に考えてみれば登山経験もなく、訓練もしておらず、登山するための用意もないまま、こんなファンタジーの生き物が跳梁跋扈している山を踏破などできるわけがないのだ。
学園にはドラゴンがいるので正直戻るほうが致命的な気がしないでもないのだが、そもそも今のままではドラゴンもゴブリンも遭遇した時点で死を覚悟しなければならないという点で大して変わらない。
だったら何かしらエモノを手に入れてから離れたほうがいい。魔法使いの工芸品でも科学技術でできた兵器転用可能な何かでもなんでもいい。
ついでに言うなら食料が絶対に必要だ。いざとなれば人間雑草でも食べられるというけれど、人工生態区で作られたものばかり食べてきた超現代っ子の襟人が旧時代の人間と同じ基準で物を食べていると知らない間におなかを壊してしまう。
「うん、食い物はいるな。絶対」
木の根もとで生えているキノコを見ながら実感する。繊維が縦に割ることができるキノコは食べられると聞いたこともあるけれど、実際には縦に割れるキノコでも毒があることがある。
初等部三年の時、縦に割れるから大丈夫だと言われていじめっ子に無理やり食べさせられたキノコがそうだったのを思い出した。まして――
「ギシャアアアア!!」
食べられるキノコがあったとしてもこんな風に襲い掛かってくる化け物キノコが擬態しているようでは安心して採取もできない。
手に持っていた木の枝で化けキノコが飛び掛かってきたのを受け止めるとビシィ、と致命的な音がした。強化を施してはいても元がそこらの木の枝ではたかが知れているということらしい。
これでさえ、姫菜だったら鋼鉄のようにしてみせるのだろうが。
「――飛べえっ!」
そのまま振り回して砲丸を投げるように枝ごと遠くに放り捨てる。しばらくすると木々の向こうから爆弾が爆発したみたいな低い重音と化けキノコのものと思しき断末魔が聞こえてきた。すぐに風に流されてしまったが、向こうのほうに化けキノコを瞬殺できる危険な生き物がいるということ。
一度肺の中の空気を入れ替えて呼吸を整えてからまた歩き始める。今も轟轟と学園の方から風が吹き付けるのはドラゴンが飛んでいるからか。
「あれはマズい」
襟人が即席ハンマーでボッコボコにしたゴブリン氏は人間でも倒せるみたいだけれど、あのドラゴンは規格外だ。逃げなければ、と思った時には強風に吹き散らされたかのように背を向けて駆けだしていた。
勝てない。
というか。勝つとか負けるとかそういう次元にあの生き物は棲んでいない。
あれと戦うということはすなわち移動するだけであらゆる全てを空に吹き上げる竜巻に生身で挑みかかるようなものなのだ。
「……ホントに竜巻程度だったら魔法使いはなんとかできるのにな」
魔法使いといっても無論襟人のような出来損ないのことではなく。
たとえば逢坂恋愛は力技で竜巻を消し去ってしまえるだろうし、襟人の兄は意味不明な魔法を理解もしていないままブチ込んで竜巻を「倒して」しまう。
姫菜だったら十分も時間があれば竜巻を無風状態にまで沈静化できるはずだ。
「……やめよう。ドラゴンキラーにもなりそうな連中の話は比較するだけ損だ」
風車をドラゴンだと言って挑みかかった挙句、吹き飛ばされて骨を折ったドンキホーテじゃないのだから、まっとうな魔法使いである自分はまかり間違ってもあんなものに挑みかかってはいけない。
森を抜ける。なんとか高台に戻ってこれたらしい。
立ち上がる黒煙を見た時からすでに嫌な予感はしていた。けれどこれは予想以上だ。
無事な建物が全くない。見渡す限り戦場と化していて、第七校舎は五分の二くらいを残して倒壊、隣接している特殊講義棟はきれいに崩壊して瓦礫の山になっていた。遠くに見えるはずの時計塔は半ばからへし折れている。
再び高いところから見た学園はずいぶんとその姿を変えていた。
もうもうと空を焦がす煙。見える限りに無事な場所など一つもなく。建物を斜めから串刺しにしている折れた槍は武装蜂起した巨人が暴れたとでもいうのか。巨大な柱は何かの冗談だと思いたい。
あちこちに生徒や大人たちの、遺体とは呼ばない程度に壊れた死体が散乱している。
ドラゴンによって引きちぎられた首なし死体も、足元から少ししたところにまでボールのように吹き飛ばされてきた生首も。
まて。箒、といえば――
「――そうだ、姫菜!」
どうしてそれまで忘れていたのか。あのタイミングで飛んで行った姫菜は無事だろうか。ドラゴン出現の前に大地震のような何かが起きていただけに手近に箒があった魔法使いはほとんどが飛んで難を逃れようとしたはずだ。
先ほどは竜を殺すモノなんて呼んだけれど、実際にはおそらく戦いにもならないはずだ。
巨体ということはそれだけでイコール耐久力があるということ。それが格闘ゲームのようにのろのろと動くならばまだ対処法はあっただろうが、ドラゴンは魔法使いの箒の速度すら追い越して、その風圧だけで蹴散らしていた。
憎まれっ子世にはばかるというし、あの姫菜に限ってもう死んでいる、なんてことはないものと襟人は思うが、それでも余裕があったら探しておきたいという思いが頭を支配した。
こんな考えは余分なことだ。
これが魔法使いじゃない者同士の話なら女の子を心配するのは当然とかそんなフェニミストのようなことを言えるのだろうけど、そもそも姫菜と襟人では持っている火力が違いすぎる。両者の差は竹槍とステルス爆撃機くらいに離れているのだ。
言うまでもないが。襟人が竹槍のほうである。
「さしあたっては得物が要るな……」
筋肉量や出せる速度では他の動物にはるかに劣る人間が地上で最も栄えた霊長類であるその理由は知恵を使った道具の存在であろう。
人間は自分より強い動物がいても自分より近づく前に射殺してしまえばいいと弓を作り、より早く威力のある道具として銃を作った。
背中のバックパックを開いて純度百パーセント近くに錬成した鉱石の数を確認する。
その中で鉄のインゴットをすべて取り出した。
炭素を混ぜて圧縮すればちょっとした名剣並みに切れ味と耐久性のある短剣を作れるくらいの量があるそれらを錬成するために胡坐をかき、結跏趺坐を取る。
余計な設計図は忘却する。作るのは剣ではない。
まずは土を圧縮して平坦な床に変える。続いて手持ちの鉄を全て空気中の酸素と結合させて赤茶けた錆鉄に変えてナノレベル基準で粉のように分解した。ドラゴンの起こす強風で持って行かれないように素早く床にした圧縮地面を変形させて錆鉄の粉を包み、それを横にのけてもう一度地面を固める。
次にアルミニウムの塊を同じように分解する。単体純物質だけあってこの粉はかなり反応性が高いので素早く。
マグネシウムに余らせたアルミニウムを混ぜ込んで空き缶を形成し、外側の表面を土を圧縮して固めたら最後に分解した粉を混ぜて詰め込んで出来上がりだ。
もうわかった人もいるだろうが、襟人が作ったのはテルミット反応を利用した本格的な焼夷弾の一つ。
名前をエレクトロン焼夷弾と言って、狭い範囲に集中する三千度ほどの高熱を発生させ、同時に目を焼かんばかりの光を放つ爆撃用マーカーのような軍用兵器である。
もちろん大きさは第二次大戦期の爆撃機に積み込まれたそれらに遠く及ばないが、しかし三千度の高温に触れて無事に済む生き物などいない。ゴブリンだって殴れば気絶したのだから、人間と同じように物理的な手段で倒せるはずだ。
いざとなったらこれを投げつけて高熱で脅かそう、というのである。見た目からすでに危険性バリバリなので毒虫の警戒色のように見た目で危険とわからせられる。
一発だけで全部使っていたらやっていられないので四つに分けたが、それでも当たれば一撃必殺の危険物の完成だ。
ちなみに。土を圧縮してナイフを分解コーティングして作った即席ハンマーはそれでボコり倒したゴブリン君にプレゼントしておいた。
当人?……ゴブリンは木の下敷きになって気絶しているのでよもや使われる事なんてないだろうけれど。
要はポイ捨てしてきたわけだ。
せっかくの武器だけれどああも重いとさすがに捨てるしかない。中世ヨーロッパの重装備歩兵じゃあるまいし持ち歩くのに疲れるようなハンマーはただのウエイトでしかない。
箒はないので足でそのまま山を下りていく。ドラゴンの影響か、あるいはほかの幻想生物の仕業か、所々で山道が崩落しているが、この程度の崩れ方なら飛び越えたりバランスをとったりで踏破可能だ。
作り上げたエレクトロン焼夷弾は四つ。鉱石はほかにもあるけれどあとは使い物にならない。これを使い切るまでの間に永続的に使える強力な武器を用意しなければならない。
できれば投射型か射撃型の魔法使いの工芸品がほしいところだがこの際贅沢は言うまい。
「いや、待てよ……」
たしか逢坂恋愛の研究室にはその手のものも置いてあったな、と襟人は思い出した。
時代の転換期の大戦で戦っていたころに使っていた骨董品だそうだが、丹念に手入れをされているのを知っている。
この有事なら勝手に持ち出しても怒るやつはいないはずだ。
焦点を合わせた座標をピンポイントで爆発させるものや刃に写しこんだ相手をそのまま鏡のように写した世界の中へ閉じ込めるもの、直線的に魔力を束ねて海底に傷跡を残したブレードステッキなどの得体のしれないゲテモノ兵器が手に入ればドラゴンは無理でもゴブリンになら負けないはず。
よし、見てやがれ腐れモンスターどもめー今に返り討ちにしてやるからなーフゥハハハハハハーー!と笑っていた襟人の後ろで茂みが揺れた。
「……」
ギギギ、と錆びついたブリキのロボット人形のような動きで振り向くと、そこに太った人間の胴体に豚のような頭をつけた二足歩行の緑色の生き物がいた。
すわっ、ゴブリンか、と思ったが何やら様子が違う。ひとつ、ゴブリンは不細工だったがもう少し人間らしい顔をしていたこと、二つ目にあんなに大きくはなかったこと。
名前を付けるらビックゴブリンだ。いや、
「ピッグゴブリンか。はははうまいこと言ってやったぜどうだコノヤロウおそれいったか!」
「ガァァアアアアアア!!」
「ぎゃああああああ! すんませんっしたぁああああああ!」
背中を見せて全力疾走。まさに吠え合いで負けた犬のように情けない姿である。
なんか調子に乗るといつもこうだよなあ!と不幸フラグ的なものに思いをはせながら不安定な山道を走り抜けようとして、このままなら逃げ切れそうなことに気が付いた。
「ガァァアアアアアアアアアアアア!!」
「やーいのろまめ! 追いつけるもんならこの逃げ足王エリヒト様に追いついてみろー! はっはっはっはっはっはあ!」
悔しそうに咆哮する豚面巨人に襟人は高笑いを残し、
「はーっはっはっは――あ……」
その先の足場が崩れてなくなっていることにも気づかずに崖を落ちていった。
「うわぁぁああああああああ!? こんなんで死ぬとかあってたまるかちくしょおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
重力の引く力は強く、二秒も落ち続けない。ドガッ!と背中を打ち付けてゴロゴロと崖面を転がって跳ね、あちこち打ち付け、落下地点が見えてきて、
「――――――さ、最悪ーーーーーーー!!」
真下に二人分の人影が見えた直後、その片方の上にバランスを崩した襟人が落下する。
鈍い衝撃を受け、同時にゴキリと嫌な感触が伝った。
同時に襟人が直撃した部分がそのままへし折れて襟人の体がずり落ちる。
体の芯まで通った衝撃に痛む体をゆっくりと起こすと、襟人はさっきの豚面巨人と同じ生き物を下敷きにしていた。
見れば首がへし折れている。どうやら落下した時の衝撃がいい角度で入ってそのままねじり折れてしまったらしい。
人間じゃなくてよかった、と一安心だが、しかしこの豚面巨人が死んでしまったことも事実なので簡単にではあるが冥福を祈っておく。さらば豚人間よ、来世ではこんなところに召喚されないようにするんだぞ?
「……あ、……」
責任転嫁も完了したところで聞こえた、鈴を鳴らすような声につられてそちらを見る。
そこにはしりもちをついて肉感的な白いフトモモをこちらに投げ出してへたり込んだ、長い金の髪を互いに絡めて金細工のようにした女子がいた。
年は中等部生くらいだろうか、彼女は星のように光を反射する深い紫の瞳を恐怖と混乱に揺らしながらかすれるような声を出した。
「あ、あなたは……いったい……」
「通りすがりの落ちこぼれですがなにか?」
「……はぁ」
「……」
「……」
テンパった挙句にいらない冗談を言った結果、空気が凍ってしまった。
「ええときみは……」
「っ……!」
気を取り直して、とりあえずいつまでも豚面巨人の上にいるわけにもいかないし、さっさと退こうと腰を上げたら、身体をかばうように両手でかばって後じさるという対暴漢反応付きで警戒するような目で見られた。
「…………」
「…………」
隊長!
状況は、空気が重たい、です!
とっさにジョークを言ってみたものの、まるで夜道で全裸の上にトレンチコートだけ来た露出狂にあってしまったかのような反応をされ、滑ったギャグの代償は地味に心に来た。
あとがき
ほんとに気まぐれで更新してます。
変数旗、要するにフラグが立ちましたとさ。
今回の用語解説
・幻想生物
ドラゴンやグリフォンなど、かつて架空の生き物だと否定された生き物。基本的に魔法の世界の生き物で、かつては地球上にもいたものの、姿を消していった。西暦3440年現在では比較的大人しい種族が家畜用途、または共生関係として利用されていた。
中でもペガサスは人気があり、競馬の一種として娯楽になっていたり、世界的に優れた馬を決定するコンテストなどが開催されていた。
・生物災害
人類にとって有害な生き物による危険性のこと。
基本的には細菌やウィルス、またはその変異を促す遺伝子などが主に該当するのは人間によって殺害できないほど強い大型生物は存在しないためである。
・ドラゴンスレイヤー
幻想生物の中でも最強種であるドラゴン、つまり竜を殺すことができる存在。竜さえ殺せるのであればそれが人間であれ非生物であれ関係なくここにカテゴライズされる。ただし、同族であるドラゴンは除外される。
・竹槍
旧時代から日本古来の最終兵器として有名なバンブージャベリン。
そこらにある竹を適度な長さで切断して突き刺す穂先となる先端を斜めに切り、尖らせた後に火で炙ったりするだけでできるので超お手軽。物資の少なかった第二次大戦期にはこれを使って民間での訓練を行っていた。
時代の転換期、日本の代表魔法使いがこれを用いてテロリストの音速爆撃機を撃墜したなど、貧弱なくせに第二次大戦後も曰くの絶えない最終武装である。
・マジックガトリングガン
命中箇所で魔法を発動する魔法をかけられた弾丸を連続発射するガトリングガン。弾丸を一括生産して給弾ベルトに装てんする際に異なる魔法のかけられた弾丸をシャッフルしたりなどして対処の難易度を上げることができる。
・エレクトロン焼夷弾
テルミット反応を利用して作られる焼夷弾の一種で、エレクトロン合金の筒の中にテルミットを充填してある爆弾。水や消火剤では消えない、金属さえ溶解する摂氏二千度超の炎を発生させる。
非常にまばゆい光を放つので焼夷弾としてだけでなく、照明弾としても使用可能。
・逃げ足王エリヒト様
魔法使いなら身体強化の魔法でどうとでもできてしまうため、まったく自慢にならないのだが、それでも百メートル9秒の俊足。
・中等部生
ヒロイン。金髪を互いに絡めて黄金細工のようにセットしている。物理的な意味で目をキラキラ輝かせている。スタイル抜群。