第四章[二足歩行のネコとネズミ]
カテゴリ:グロ描写
注意してください。
圧倒的と。あるいはそう呼べる存在を襟人は初めて見たのかもしれない。鋭利ながらも頑強な爪。大空を我が物として行く翼。鋼よりも固くなめらかなウロコ。全長何十メートルもある大きなトカゲの背中に蝙蝠の翼をはやしたかのようなその威容。
「ドラゴン……」
氾濫する河川。突然発生する竜巻。噴火する火山。空から落ちてくる落雷。あの巨大生物はおよそ人間の恐れた全てに当てはめられ形容されたモノ。地球上あらゆる神話において最も殺すことが困難な幻想生物の一つであり、戦った、その事実だけで英雄とたたえられる災禍の具現。
その神話上の生き物が箒に乗って空を飛んだ魔法使いたちを薙ぎ払った。特別なことは何一つしていない。ドラゴンの基本的代表的かつ最強の攻撃手段である毒や火の吐息を吐きだすといったこともしていなければ、魔法を使って嵐を呼び寄せたわけでもない。
飛ぶ。羽ばたく。巨体が近くの空気を擦過するたびに魔法使いが為す術なく錐もみしながら墜落していく。人智を超越した生物は、行動の規模からしてあまりにも違っていた。
大気が裂ける。突風が唸る。火の玉や空気の投げ槍といった魔法使いたちのささやかな抵抗など意にも介さない。それはただ自分のテリトリーである空に踏み入った無礼者を穏便に追い返しているだけだ。
なのに巨体が通過するときに押しのけられた大気の塊が地上で荒れ狂い、地上にいた人間までもが宙を舞う。木々が豪風でススキのようにしなり、砂塵が巻き上げられる。それら砂塵の中に雷すら確認した。
一人の魔法使いがビームや溶岩の塊を振り回して対抗しようとしているのが見えるけれど相手にもなっていない。溶岩の塊は突風に吹き散らされ、石の槍は羽ばたきひとつで撃ち落とされ、オレンジ色をした閃光はウロコに傷もつけられない。
風切り音。
ぼご、と吹き飛んできた球体状の何かが音を立てて襟人のいる高台でバウンドした。
見るな。
べちゃりびしゃりとその球体は何かと一体だったのがもげてしまったのか、その断面から液体をこぼして土を染めている。
見るんじゃない。
目が、合った。
だから、見るなと言ったのに。
「――――ひっ!?」
それは女子生徒と思しき人間の首から上だった。ごろごろと転がった生首はカッと見開いた目で襟人を見つめている。かつて最強の刃物とうたわれた日本刀の切れ味もかくや、まだ中等部か初等部といった年齢の少女の首は何か鋭利なもので切り裂かれていた。
「そんな……」
ぐしゃりと墜落した人間の頭蓋が割れる。
――それを熟しすぎて腐った果実のようだと思った。
可動式人形のように宙を舞う人間の体が風圧で折り曲げられる。
――それを子供が飽きて投げ捨てた玩具の末路のようだと思った。
吹き散らされた魔法が地上にいる人間のはらわたを刺し貫いていく。
――それをピン刺しになった昆虫の標本のようだと思った。
力の差がありすぎる。いくら人間が必死だったとしてもあんなものは戦いではない。ドラゴンがなぜ最強の生き物と呼ばれるのか、それを垣間見せるだけの悪趣味なデモンストレーション。ドラゴンの圧倒的な巨体は一キロ以上も先の光景を間近の危機として襟人に見せていた。
ドラゴンの側にその意図すらもなく。
こんなに離れていても吹き荒れる烈風で巻き上げられそうになる。なんて脅威。あの航空艦にも匹敵する大きさの生き物は攻撃の意思があろうがなかろうが周囲に甚大な被害を与え続ける災害だ。
逃げなければ。いったい何キロ離れたらもう安心だといえるのかなんてわからないし頭にもない。ただひたすらあの怪獣から離れるために足を滑らせながら学園に背を向けて山の中へ走り始めた。
背後で毬玉のように投げ出されている魔法使いたちはあったかもしれない襟人の姿だ。
もしもランニングではなくここに箒で来ていたならさっきの大地震の時か、でなくともその直後には文字通り飛んで帰ろうとしたはずだ。
そうなれば、かろうじて飛べる程度の飛行技術しか持たない襟人など枯れ葉のように吹き飛ばされていた。
どこをどう逃げたらいいのかもわからないまま山道も関係なくやみくもに走って逃げる。
旋回しているドラゴンのスピードは遅く見積もっても時速二百キロはあった。よしんばこっちが半日かけて山の向こうまで逃げ延びても十分と掛からず追いつかれるという事実に恐怖のあまりのど奥から酸性の液体が逆流する。
そこで、さらなる不運が襟人を襲う。
「冗談じゃねえぞ……!」
人の足で踏まれていない山の中がいつの間にか原生林もさながらの風景になって頭の隅で警鐘を鳴らし始めた時のことだ。
まさに飛び込もうとした茂みの向こうから出てきた子供とばったり遭遇してしまう。
いや、それはただ似ているだけだ。現れた子供はひどく醜悪な面構えをしていて『最低水準』や『人口生態区』がある現代ではありえないほどにやせ細っていた。
なぜかマッパだし、それに肌が人間と違って緑色と黄色が濃淡を分け合ったみたいになっているし、耳が横長に伸びてとがっている。しかもハゲだ。いや、これは関係ないか?
そいつは幻想生物の講義で教本に紹介されたゴブリンという悪意の妖精に酷似していた。
「ギギギャアアアァッ!!」
片手に持っている質の低いナイフのような、それにしては少し長いまっすぐな刃物を振りかざしてゴブリンが威嚇する。
「う、うわ……」
思わず後ろに下がってしまったのが間違いだった。どうやらゴブリンは襟人を弱いと見抜いたらしく、今度はその大ぶりなナイフを振りかぶって斬りつけてきた。危ないところで後ろに下がったけれどその時に足が木の根っこに引っかかって転んでしまう。
うわ最悪!と背中を打ち付け、がさがさと葉っぱや土を散らしながら転がるように立ち上がる。そこにゴブリンのナイフが突き刺さった。ついさっきまで自分の体が合った場所に刃物が付きこまれた光景に背筋が凍る思いをする。
ニタリ、とゴブリンが顔をゆがめた。一方的に殺す側が獲物を目の前にした時の優越感に満ちた凶相。
「や、ば」
初めて他人に、というか他の生き物に殺意を向けられて襟人は喉をひきつらせて悲鳴を上げ、一も二もなく今まで来た山を逆走する。ぞわり、と『死』が体を包む怖気の走る感覚。恐怖のあまり悲しくもないのに涙がにじんだ。
アドレナリンも全開でまだ大して運動してもいないのに息が上がる。バクバクと心臓が血流をポンプしてもまだ足りないとばかりに足を動かす。
だが、
追いつかれる!?
走っているうちに気付いた。このままだと逃げきれない。山道のせいか襟人よりゴブリンのほうが足が速いのだ。今でこそ最初のスタートダッシュの差で距離を開けられているが木の根は足に引っかかるし太い幹はいちいちステップや方向転換の微修正を強制してくる。その先でまた木の根が足をかけようとしている。
さらに焦っていることで注意力が散漫になっているのがあだになっていた。わかっていてもそう簡単には平常心には戻れない。高台のあるこの山の道なら毎日走破しているというのに地形そのものがまるで違っていて頭の中で混乱した考えが重く熱を持つ。
対してゴブリンは歩幅こそ襟人より小さいが、かわりに上手に走ってくる。あきらかに、異変が起きる前はこうじゃなかったはずのこのよくわからない原生林を知っている動き方。
捕まったら殺される。このまま走っていたらあの大ぶりなナイフに似た刃物で刺し殺される。その後がどうだとかは考えられない。絶対に言えることは死んだ時点でもう愉快な結末は待っていないということくらいだ。
「くそったれ! なんで僕がこんな目に!」
現実と神様に罵声を挙げ、用意するのは強化の魔法術式。それを行く手にあった生木に叩き付ける。
立ち止まった襟人を見て観念したと思ったのか、ゴブリンが真っ黄色の乱杭歯を口からのぞかせて笑う。舌なめずりをするのが見えた。襟人担当の死神が鎌を振りかぶっている。
ガチン、と頭の中でスイッチが切り替わる。逃げようとする恐怖に縛られた考えから追い詰められたネズミがとる決死の思考に。
「――“劣化”しろ!」
叫ぶ。
幾度となく失敗してきた強化の魔法。完成品の完成度をさらに高めるようなこの魔法は地味なクセに雷や火を起こすより難しくて、日本刀の鍛造工程で余計な温度変化が起きてしまった時のように失敗するとかえって質が落ちてしまうのだ。特に苦手だった物体強度補強の術式は失敗するたびに逆に壊れやすくなってしまった。
だけど今回はそれでいい。
触れた場所から一メートル弱、向こう側までギリギリ届かない程度の範囲に魔力を通してわざと間違えたやり方で強化魔法をかけると、木は根元から腐ったように強度を失い、支えを失った太い幹が自重で潰れて倒れ込む。
その下に醜悪な小人、ゴブリンを抱えて!
「腐り落ちた居眠り朽ち木!」
ドズン、と重低音が枝の折れる音とセッションしてゴブリンを下敷きにした。
ゴブリンの手から離れた大ぶりのナイフを手に取る。思った通り質の低い錆びた刃物だ。仮に斬りつけられても骨までは切れなかっただろう。あるいは破傷風にはなったのかもしれないけれど。
「――錬金終了」
錆びたナイフの金属を還元しながら分解し、圧縮した土から作り出した重たいハンマーの打撃部分にコーティングをかけ、
「殺そうとしたんだ。両手両足くらいは覚悟しとけよ」
低く告げた襟人の言葉にそのつぶらな瞳を見開いたゴブリンに、
バゴドカグシャメキャボゴグシャッ!!と原始的な暴力が襲い掛かる。