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――コレはもう窓から飛ぶしか。

       全てがもう手遅れだけど



――じゃあ今度は屋上から飛ぶか

       もう元には戻らないけれど



     5



「…………あー」


 何の事はない。

 翌朝普通に眼が覚めた。

 もしもボクが普通の学生だったのなら、朝食を取って学校に行っていただろう。

 だけどなあ。

 長いこと曜日の感覚の無い生活していたせいですっかり忘れていたけど、今日は祝日で学校休みみたいなんだよなあ。

 いや、テレビつけたらアナウンサーが言ってて気付いたんだけど。

 とにかく布団から起きようとして―


「――!!!!」


 腰が文字にしにくい鈍い音をたてた。

 一瞬脳裏をよぎるは、『インデペンデンスデイ』のホワイトハウス爆散シーン。もしくは『デイアフタートゥモロー』のNY壊滅。

 もの凄く痛い。

 もう声も出やしない。

 どうせ死ぬなら手術なんてうけなければ良かったと、本当に今更ながらの後悔をする。

 もっと大切にすれば良かった。

 もっと大事にすれば良かった。

 結局は『終わる』のが早いか遅いかの違いしかないのだけれど、そうしていれば何か違う有り方があったのかもしれない。

 畜生。痛え。

 後悔って後に悔やむから後悔って言うんだよなあ。

 長い時間をかけて何とか姿勢を四つん這いまで持っていく。


「……腐ってやがる。早すぎたんだ」


 今にも崩れそうな自分の姿勢をネタに一人でボケを言う。こうなればもう大丈夫だ。

 すぐにでも立ち――

 いや待て自分。

 ここはもう少し慎重になってもいいんじゃないのか?

 今度は文字に出来る音が腰部を震源に発生。

 コキっていう音だ。

 悲鳴を上げた。



 二足歩行という動物界に存在しない歩行法を獲得したが故に人間は腰痛を覚えたと言う。だが腰が立たなければ脳は発達しなかった。

 二者択一の末、人間は腰が痛んでもいいから頭が良くなりたいと言う道を選んだ。

 こんな良し悪し言うまでも無い問題、どちらが良かったかとかは多分腰痛を抱える人間にしか考えないことだろう。

 自然は容赦がない。

 自然は妥協がない。

 だから腰が痛むのも、腹が減るのも人間には容赦も妥協もない自然で当然な事なのだ。たとえ改造人間でも『人間』である以上。

 ……ああ腹減ったな。

 昨日ジャムパン食ったきりなんだよな。

 何か美味いもん喰いたいなあ。

 そう考え思い浮かんだのは、いつか友人達みんなで行った焼肉屋で出た鴨肉だった。

 あれは絶品だった。

 よっしゃ鴨食べに行こう。

 そう決め、僕は腰に負担をかけないよう、ゆっくりと立ち上がった。

 


 みんなで行った焼肉屋は潰れていた。



 アレだけ賑やかだった筈の焼肉屋はもう見る影も無い。

 人気の無い店(元)の前でボクは途方に暮れていた。

 一体どうすればいいんだ。

 人生最後の食事を鴨にしようと心に決めたというのに。

 スーパーに行けば売っているのだろうか?

 いや、スーパーに売っているものでは、ボクはきっと満足できないだろう。

 新鮮な鴨はどこだ。

 山か。山に行けばいいのか?

 思い描き、理想を望む。

 ボクが望んでいるのは、みんなと行ったあの焼肉屋の新鮮な鴨だ。

 そうだ。大切な事を思い出した。

 一人で食ってどうする。

 味気ないじゃないか。

 どうせ食べるなら皆と卓を囲んで食べたい。

 あのイエスさんだって最後の晩餐は皆と食べたんだ。あれほど立派な人が皆と一緒だったのだから、ボクが皆と最後の食事を取ってもバチは当たるまい。

 という訳で仲間を募る事にした。



 二時間後、ボクのアパートの前に勇者が集った。

 たった二名だけだけど。

 二人ともボクの幼馴染だ。


「よおダイちゃん。元気してた?」


 一人は、ボクの一つ上の陸上自衛隊員。今日は非番らしい。名前は山崎大。通称ダイちゃん。


「チャックも来てくれたのか。遠くからよく来てくれたね。会えて嬉しいよ」


 もう一人はボクの二つ下のチャック・ファスナー。もちろん日本人でこれはあだ名。チャック・ファスナーというあだ名は、コイツが小学生の時何故かいつも社会の窓が全開だったという事に由来している。さすがに今はちゃんと締めているようだ。一丁前に髪を茶色に染めていた。

 チャックが揃えた網を持ち、ダイちゃんが乗ってきた迷彩柄のジープに颯爽と乗り込む。

 さあ山に出発だ。

 


 当然といえば当然だが、鴨狩りは難航した。

 山に入る前にチャックが言った、


「つーかさ、山に鴨はいないだろ」


 のセリフにもっと注意を払えば良かった。

 僕達が探し追い求めているのはなんだ。

 山にいない鴨を山で探すのか。

 それとも山にいるかもしれない野生の鴨か。

 探索開始三十分でダイちゃんが帰ろうと言い出した。 

 そういやダイちゃんは昔からこうだった。

 陸上自衛隊みたいな根性がいる場所に入隊しても、この気弱な性格だけは直らなかったようだ。まあ、それがダイちゃんのいい所でもあるのだけれど。

 それに比べてチャックは凄い。

 チャック・ファスナーと言う不名誉なあだ名を付けられても平然としていた胆力は今も健在。現にジャングルみたいな背の高い草が生い茂った道なき道を、一人でどんどん切り込んで――


「…………? あ、あれ?」


 先行していた筈のチャックの背中が文字通り消えていた。

 バカな。人間が消える筈がない。

 自分でもそう思うのだけれども、ボクはずっとチャックの背中を目印に歩いてきたのだ。

 それが突然消えた。

 もしかしたら、茂みに隠れた深い穴があるのかもしれない。

 ボクは後続のダイちゃんに気を付けるよう言おうとして――


「だ、ダイちゃん……」


 ダイちゃんまで消えていた。

 深い緑の中にボクが一人。

 先ほどまであまり気にかけていなかった山の音が、濃密なまでに辺りを支配する。

 怖くなった。

 ウソだと思いたかった。


「ダイちゃん! チャック! ふざけてるんだろ! タチが悪いぜ!」


 返事は無い。

 二人の名を呼ぶ。いや、それはもうすでに叫びに近かった。

 分かっていた。

 何となく。

 二人の名を呼ぶ事が真に無意味であるという事を。

 二人が本当に『消えた』という事を。

 この数ヶ月間、ボクの周りで有り得ない事が起きすぎた。

 馬鹿げてる。

 手術だって?

 あんなのナンセンスだ。

 何故、ガードレールを突き破って崖から落ちても傷一つ負わずにすんだ。

 柔らかい土がクッションになった?

 そんなバカな。

 万に一つも有り得ない。

 特に最後は致命的だった。

 ダイちゃんはまだ分かる。

 だけどチャックは。

 チャックは小学生の時に二度と会えない場所に行ってしまった。

 いる筈が無い人間がこの場所にいた。

 これがどう言う事か、いくらバカなボクでもさすがに分かる。

 ヒントを出しすぎだ。



「やっと気がついたか。このバカが」



 声が聞こえた。

 ボクの声だ。

 深い緑が生い茂っていた山道は、いつの間にか拓けていた。

 ボクの足元に道が出来ている。

 その道の先に光があった。

 声はそこから聞こえた。



 走った。

 光に向かって。

 何重にも折り重なった深い緑を抜けると、視界が一気に広がった。

 丘だ。

 春の若い草がさざ波のように揺らぐ、小高い丘がそこにあった。

 丘の上には一本の大木が、涼しげな葉擦れの音をたてている。

 限りなく静に近い丘に比べ、空はまさしく動。

 光を浴びて極彩色を帯びた雲が、ビデオの早回しのようにゴウンゴウンと音をたてながら尋常な速度で流れていく。

 その間にも空は黎明から紺碧へ、紺碧から燃える夕暮れへと姿を忙しく変える。

 時間が止まった丘。

 常に移ろい行く空。

 対極に位置するモノ同士、天と地の矛盾が奏でる『静』と『動』のコントラスト。

 正直に言おう。

 この風景は有り得ない、と。

 異様だ。

 尋常じゃない。

 だけど、それでいて――

 否。

 だからこそなのか――

 ――美しい。


「――これがお前のいる世界の真実だ」


 現実離れした風景を呆然と眺めていたボクは、突然かけられた声に理性を取り戻す。

 先ほどの声と同じ、ボクの声だ。

 最初見た時は気が付かなかったが、丘の上、大木の傍にペンギンがいた。

 ペンギンと言っても、大人のペンギンではない。

 毛も生え変わっていない鈍い青のモコモコした毛皮を被った子供のペンギンだ。

 ペンギンはボクを見ずに、流れる空を見つめていた。


「どうした? 早く来いよ。僕はお前が来るのをずっと待っていたんだ」


 自分自身の声にせかされ、ペンギンの近くまで移動する。

 ペンギンはボクの膝くらいまでしか背がなかった。彼はボクが傍に来たのに気付くと、視線をボクに移した。

 目が合った。


「随分と時間がかかったじゃないか。待ちくたびれたよ」


 彼は笑いを含んだ声でそう言うと、小さな肩をゆすった。

 ボクは言う。


「――お前なんだろ? ボクをここに呼んだのは。今までの事は全部茶番で、突然鴨を食べたくなったのも、チャックが道案内するみたいにボクの前を歩いていたのも、全部お前が仕組んだ事なのか?」


「ハハ。お前。お前、ね」


 ペンギンは可笑しそうに声を上げて笑った。

 自分だけど自分じゃない笑い声が耳に障る。


「真面目に答えろよ」


「ククク――いや、スマン。気を悪くするなよ。少々面白かったんでな。いや、まさかお前にお前呼ばわりされるとは思わなんだ」


 そう言って子ペンギンはまた少しの間、「お前、お前」と反芻していた。


「そんなに面白かったか?」


「ああ面白い。実に面白い。怒るなよ。顔が怖いぜ。ちゃんとお前の問いにも答えてやるさ。それが僕の責任なんだからな」


 彼はコホンと一つ咳をする。


「お前は何か勘違いをしているようだが、お前をここに呼んだのは僕じゃない。お前をこの場所に導いたのは『この世界』だ」


 そう言ってペンギンは短い羽で天と地を交互に指した。


「これが、お前を内包する心象風景。『世界』の姿だ。見ての通り一定していない。それに矛盾だらけだ。一つの宇宙に二つの世界。陰と陽。静と動。好きと嫌い。決して交わらない筈のもの同士が交わらぬままの姿で存在している。そして空を飛べず、羽すら揃わぬ仮初の僕の姿。どうだ? 言いえて妙だと思わないか?」


「……何が言いたい?」


「分からないなら分からないままでもいいさ。この『世界』はそういう曖昧なものにも寛容だ。だけど本当は薄々感づいてるのだろう?」


 ボクは答えなかった。

 それが卑怯な行為だと知ってはいても。

 ペンギンもそれは分かっていたようだ。

 意味深な視線をボクに向けると、言葉を繋げる。


「端的に言おうか。この『世界』はもうお前を必要としていない。だから死ね」


 『死ね』

 そう言われた。


「お前の行動を見てきたが、お前は悪あがきをし過ぎだ。見苦しいくらいまでの『生』への執着は滑稽に思えるほどだ。

 頼むからこれ以上世界に迷惑をかけるな。死ね。

 頼むからこれ以上生きてくれるな。去ね。

 それでもお前は死にたくないと言う。だから僕がお前を殺す」


 静かに、でも力を込めてペンギンはそう言った。


「出来るのか? そんな事が。ボクを殺すなんて」


「出来るさ。そのために僕がいる。いい加減分かれよ。お前が生きていると誰かに迷惑をかけるんだ。これ以上愛しい世界を苦しめるな。それがお前が出来る最後の優しさだ」


 右足に激痛が走った。

 痛みは衝撃を引き連れ、視界が一気に低くなった。

 目前に草と土とペンギンの足。

 自分が倒れたのだと気付くのに、それほどの時間が必要だった。


「無様だな」


 ボクの有様をペンギンは一言で形容した。


「嫌だ。死にたくない! 死にたくない!」


 叫んだ。

 恥も外聞も体面もなく。

 涙を流して涎垂らして、鼻水流して。

 それでも力の限り、痛みに心を割られないよう有らん限りの力を声量に変えて叫んだ。

 ボクを見下ろすペンギンの目は冷ややかだった。

 冷たい視線に拍車をかけられ、ボクの混乱はますます深まった。

 ペンギンが困った風にボクに語りかける。

 優しく。でも厳しく冷たく。


「死を覚悟していたつもりだったんだろ? どうしようもない終わりを受け入れて、心安らかになったつもりだったんだろ? それなのに何故今になって恐れるんだ。土壇場に来て見苦しいぜ。

 なあ頼むよ。黙って死んでくれ。

 お前が施した優しさは決して心は無駄にはしないだろう。

 お前が過ごした幸福な時間は決して茶番ではないだろう。

 お前の残した傷を世界は決して許しはしないだろう。

 お前の愛した者は決してお前の事を忘れはしないだろう――



――だから大人しく死ね」

 

 ……ああ。

 やっと分かった。

 これが『死ぬ』と言うことか。

 血を失い、冷えていく体を自覚する。


「…………終わったんだな」


「ああ。お前を形作るモノは終焉を迎えた」


 これが失われると言う事か。

 何もかも。

 ずっとずっと生きていけると思ったのに。

 幸せの形が見えたと思ったのに。

 ボクはもう何もない。


「確かに今は空っぽだ。だけど全てを無くしてしまった訳ではないさ。ちゃんと気付いたんだろ? 無くそうと思っても、その両手に残るモノを。目には見えないけれど、確かにそこにあって、捨てようにも捨てれないものを」


 ああ、だからこそボクは死にたくないのか。

 なあ。

 僕。

 答えてくれよ。

 ボクは生まれ変わる事ができるだろうか?


「そんな事は僕にも分からないな。もしかしたら明日生まれ変わるかもしれない。もしかしたら永遠に生まれ変わる事はないのかもしれない。

 短い間だったけど、お前は幸せだったのだろう? ならば今はそれでいいじゃないか」

 

 そうだね。

 ボクは幸せだった。

 

 そうしてペンギンがとどめの一撃をボクに見舞った。


『サヨナラだ。僕はボクに死を与える。だけど寂しくはないさ。僕はボクと一緒にいた時間を忘れはしないから』




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