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――最近キミの夢ばかり見るんだ
ウソだけど――
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最初の一週間は荒れに荒れた。
誰とも会わず、アパートに引き篭もって大学には行かなかった。
もちろんバイトにも行かなかった。
貯金も全部下ろして、別に欲しくも無い物をアマゾンで買いまくった。
そうすれば恐怖は和らぐと思った。
飲めもしないクセに酒も飲んだ。
そうすれば苛立ちは紛れると思った。
だけど違った。
怖いモノは恐ろしい。
恐ろしいモノは怖い。
それでも限られた生命の時間を無駄に消費する無意味な行為は止められなかった。
畜生畜生畜生!
死にたくないよ。
誰でもいい。
誰かボクを助けてくれ。
楽になりたいよ。
誰でもいい。
誰かボクを殺してくれ。
次の一週間は殆ど何もせず過ごした。
掃除もせず、意味なく買ったガラクタだらけですっかり散らかってしまった部屋の隅にうずくまって、小さな窓から見える大きな空を眺めていた。
ボクの瞳は流れる雲を追いかける。
ボクの瞳は沈む夕日を映す。
その時になってやっと素直に泣く事が出来るようになった。
思い出すのは、長いようで短かったボクの人生。楽しかった日々の欠片。
やっぱり泣いてばかりいたと思う。
もう何日経ったのだろう。
あと何日生きられるのだろう。
今日は何曜日だろう。
電気もつけず、カーテンを閉めた薄暗い部屋でボクは目覚めた。
しこたま飲んだアルコールは数時間前に体が受け付けずに戻してしまったせいだろうか。二日酔いはしていない。
締め切られた空間で過ごしていたせいか、時間の感覚がひどくあやふやで、昨日と今日の境目が分からない。
そのくせ哀しい感情で溢れていた心は今はもう空っぽで、暗く静かに澄んでいた。
時刻を知ろうと携帯を探したら当然みたいな感じでバッテリーが切れて液晶は真っ黒だった。
電気もつけずに充電器を捜索して三十分。何故か冷蔵庫の下から発掘された充電器に携帯を繋ぎ、しばらく待つ。
電源を入れると、デジタル時計の表示はまだ昼過ぎ。カーテンを開ける気にはならなかった。
窓から見上げる空は良かった思い出ばかり思い起こさせるから。
思い出すと涙が出る事ばかりだから。
そう思ったから、カーテンを閉めた。
もう随分と前にした事だ。
その時、充電器と合体していた携帯がにぎやかな音をたてて鳴った。
液晶に表示された電話の主は母親だ。
思えば大分顔を見せていない気がする。
無視しようとも思ったが、鳴り続ける着メロに根負けしたボクは、充電器を付けたまま携帯を取った。
久々に聞く母の声。
他愛もない挨拶から始まり、何となく近況を聞きたくなったからと、電話の理由を話す母の声は明るかった。
ボクがまだ実家にいた頃と変わらず。
ボクがまだガキの頃と変わらない調子で。
「……あのさ、母さん」
咄嗟に出た言葉。
しまった、と思った。
だがその時にはもう遅い。
言葉にする気なんて無かったのに。
誰かに泣き言を話して最後の最後まで同情を欲しがる自分が惨めだから、誰にも話さず、このまま弱音ごとあの世に持って行こうと思ったのに。
だから誰とも会わずにアパートに引き篭もっていたのに。
もうダメだ。
決壊した。
ボクは正直に全てを話した。
腰が痛かったので医者に行ったら三ヶ月の命だと言われた事。
助かる可能性に賭けて親から貰った体にメスを入れた事。
手術が失敗してただでさえ少ない寿命がさらに減った事。
もう長く生きられないから来学期の学費は振り込まなくていい事。
とにかく親不孝ばかり繰り返してすまないと言う事。
母は最初こそ驚いていたようだが、いつもはチャランポランな息子が見せる真面目な声音に、何とか信じてくれたようだ。
ボクが言いたい事を大体言うと、今度は母親が言いたいことを言う番になった。
電話をかけてきた頃は明るかった母の声はだんだんと湿っぽくなっていく。時折、鼻をすする音さえ聞こえる。
――今、体はなんともないのか?
何とか大丈夫。
――食べたいものはあるか?
特に無いけど敢えて言うならカレー。
――実家の方には帰るのか?
多分帰らない。来月の頭くらいにはもう死んでるだろうから、事後処理に来てよ。
最後までわがままを通そうとするバカ息子を想って母が泣いているのが受話器越しに分かった。
頼むよ母さん。泣かないでくれよ。
そうは思っても変に気恥ずかしくて口には出せなかった。
ボクは最後まで親不孝なのか。先週泣きまくったせいだろうか。一緒になって泣く事すらできやしない。
せめて賽の河原で両親がやってくるまで石塔を作り続けようと思った。
じゃあオヤジとバアちゃんによろしく言っといて。それじゃあ。
そう言って一方的に電話を切った。
電話を床に置くと、そのまま冷蔵庫を開けてビールを一本取り出す。
たくさん買い込んだと思っていたのだが、もう最後の一本だ。
プルタブ上げて喉を鳴らして一気飲み。
苦い。不味い。
周りの連中は実に美味そうにビールを飲む。改めてよくこんなもんが飲めるなと思う。
ビールを美味いと感じなかったボクは結局ガキのままだったのかもしれない。
飲める所まで無理やり胃に流し込むと、ボクは床に転がり寝直す事にした。
お父さんお母さん。
今まで育ててくれてありがとう。
本気でそう思って眠りについた。