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異世界を救った女子高生勇者のあたし、魔王の娘を託される 〜人類と魔族に狙われる赤ちゃんを、世界の救世主に育てます〜  作者: まぴ56


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第一話:はじまり

 姫宮つばめ。


 それが、あたしの名前だ。


 三年前。

 まだ十五歳だったあたしは、異世界アルカディアに召喚された。


 その日も、いつもと変わらない朝だった。


 制服に袖を通し、鞄を肩にかけ、玄関で靴を履く。

 ままに「いってきます」と告げて、扉を開ける。


 そして次の瞬間、あたしは見知らぬ王城の玉座の前に立っていた。


 高い天井。

 赤い絨毯。

 壁に並ぶ重厚な旗。

 左右には鎧をまとった騎士たちが居並び、その奥には、杖を手にした神官らしき老人たちがあたしを見つめている。


 そして正面。


 玉座には、ひげを蓄えた偉そうな王様が、さも当然のように腰かけていた。


 王様は、あたしを一瞥すると、重々しく口を開いた。


『勇者よ。魔王を討て』


 意味がわからなかった。


 あたしは勇者ではない。

 ただの女子高生だ。


 剣なんて握ったこともなければ、魔法なんて使えるはずもない。

 魔王と言われても、ゲームや漫画の中に出てくる存在くらいの認識しかなかった。


 それなのに、王様はあたしに銀貨の入った小袋と、なぜか木刀を一本だけ持たせた。


 銀貨は、日本円にすればせいぜい一万円ほど。

 そして武器は木刀。


 ふざけるな、と本気で思った。


 けれど、この世界は、あたしの抗議を聞いてくれるほど優しくなかった。


 魔族は人を襲った。

 魔物は村を焼いた。

 町には泣き声が満ち、道には血が流れ、空には戦火の煙が昇っていた。


 何度も死にかけた。


 逃げ出したくなった夜も、一度や二度ではない。

 どうしてあたしが。

 どうして、こんな目に遭わなければいけないのか。


 そう思いながら、それでも歩き続けた。


 魔王軍の魔族たちを退け、いくつもの町を渡り歩き、国を越え、ダンジョンを攻略し、仲間と出会い、別れ、また進んだ。


 血を流した。

 涙を流した。

 汗を流し続けた。


 そして、三年。


 あたしの長い旅は、ようやく終わろうとしていた。


「はあ……はあ……これで、終わりよ……魔王……」


 魔王城、最奥。


 崩れた玉座の間に、あたしの荒い呼吸だけが響いていた。


 天井は半ば吹き飛び、赤黒い空がのぞいている。

 砕けた柱。

 割れた床。

 焼け焦げた壁。


 そのすべてが、この戦いの凄まじさを物語っていた。


 あたしは聖剣を握りしめたまま、どうにか両足で立っていた。


 全身が重い。

 視界は赤く滲み、まばたきをするたびに意識が遠のきそうになる。


 息を吸うだけで、胸の奥が焼けるように痛んだ。

 おそらく、肋骨が何本か折れている。

 左腕はもう上がらない。

 右足も、まともに感覚がなかった。


 それでも、倒れるわけにはいかなかった。


 あたしの周りには、ここまで共に旅をしてきた四人の仲間が倒れている。


 魔法使いのミラ。

 聖女のエリス。

 盾役のガルド。

 弓使いのレオン。


 誰もが満身創痍だった。

 息はある。

 けれど、立ち上がれる者は一人もいない。


 だから、あたしが立つしかなかった。


 あたしは勇者だ。


 けれど、正直に言えば、世界なんてどうでもよかった。


 勝手に呼び出されて、勝手に勇者にされて、勝手に魔王を倒せと言われた。

 そんな世界を、心の底から愛せるほど、あたしはできた人間じゃない。


 でも。


 彼らは違う。


 泣きながらも隣に立ってくれた。

 死にかけても、あたしの名前を呼んでくれた。

 あたしが逃げ出したい夜、何も聞かずに隣へ座り、焚き火に薪をくべてくれた。


 だから守る。


 世界のためじゃない。

 この人たちのために。


 その思いだけが、限界を超えた身体を支えていた。


 あたしは、地に伏せるもう一人――いや、もう一体の魔族へと、聖剣の切っ先を向ける。


 魔王。


 魔族を統べ、人類の敵と恐れられた存在。

 三年間、あたしが追い続けた旅の終着点。


 刃を伝った血が、ぽたり、と落ちた。

 赤い雫は魔王の頬に落ち、小さな染みを作る。


「まさか……この俺様が、人間などに地の味を味わわされるとはな」


 魔王は、倒れ伏したまま低く笑った。


 憎しみ。

 怒り。

 屈辱。


 その声には、そうした感情が確かに滲んでいた。


 けれど、不思議とそれだけではなかった。


「不服……立腹……まこと、腹立たしい。だが、貴殿のその強さ……大いに――」


 そこで、魔王の言葉が止まった。


 赤い瞳が細められる。

 まるで、あたしの奥底にある何かを見透かすように。


 背筋が冷えた。


 まだだ。


 こいつは、まだ喋れる。

 まだ思考している。

 もしかしたら、まだ立ち上がるだけの力を残しているのかもしれない。


 あたしは右手に力を込めた。


 今すぐ、この首を落とすべきだ。


 そう判断した、その瞬間。


「否。強さではないな」


 魔王は、静かに言った。


「それは、いわゆる――愛だ」


「……何を、言ってるの?」


 あまりにも場違いな言葉に、霞みかけていた意識が一気に覚醒した。


 魔王の口から、愛。


 冗談にしても笑えない。


 こいつが、どれだけの人を殺したと思っている。

 どれだけの町を焼いたと思っている。

 どれだけの涙を、この世界に流させたと思っている。


「貴殿は弱い」


 魔王は続けた。


「今も満身創痍であろう。見ればわかる。剣筋は荒れ、魔力は尽きかけ、肉体も限界をとうに超えている。純粋な力だけで言えば、貴殿より優れた者など、この世界にはいくらでもいる」


「だったら……どうして、あんたはそこに倒れてるのよ」


 あたしは聖剣を握り直した。


 魔王は、わずかに口元を歪める。


「だから、愛だと言っている」


 胸の奥が、ざわついた。


「貴殿は己のために戦っていない。世界のためですらない。倒れている仲間を守るために、限界を超えて立っている。己の命より、隣にいる者の命を重んじる。それは愚かだ。あまりにも愚かだ。だが――」


 魔王の瞳が、あたしを射抜いた。


「美しい」


「……やめてよ」


 あたしは奥歯を噛みしめる。


「何を言われたって、あんたを見逃したりしない。あんたはたくさんの人を殺した。魔王軍の頂点で、全部の元凶で、大量殺人鬼よ。どんな綺麗事を並べたって、その責任は取ってもらう」


 一瞬、魔王の言葉に心が揺れた。


 だからこそ、あたしは自分に言い聞かせた。


 間違えるな。

 同情するな。

 目の前にいるのは、倒すべき敵だ。


 魔王はしばらく黙っていた。


 やがて、深く息を吐く。


「魔族と人類の戦争を始めたのは、人間だ」


「……は?」


 初めて聞いた。


 そんな話は、聞いたことがない。


 王様は言っていた。

 神官たちも言っていた。


 魔王こそが悪であり、魔族こそが災厄であり、人類はただ一方的に虐げられているのだと。


 だから勇者が必要なのだと。


 あたしは、そう教えられてきた。


「何を……言ってるの?」


「知らぬか」


 魔王は、どこか哀れむように呟いた。


「そうか。やはり貴殿もまた、騙されていたのだな」


「騙されて……?」


 言葉の意味を問いただそうとした瞬間、魔王は口を閉ざした。


 それ以上は言うべきではない。

 そう自らに言い聞かせるように。


「いや。この話は、今はよい」


「よくないでしょ」


「本題だ」


 魔王の身体が、淡く光り始めた。


 黒い鎧の隙間から、金色の粒子がこぼれていく。

 指先が崩れ、腕が透け、存在そのものが世界からほどけていく。


 魔王が消えようとしている。


 あれほど圧倒的だった存在が、今、光になって崩れていく。


「この先の世界を導くのは、奇しくも人間だ。そして、その中心に立つのは、おそらく貴殿になる」


「勝手なこと言わないで。あたしはもう、元の世界に――」


「帰れぬぞ」


 魔王の声は、恐ろしいほど静かだった。


「貴殿は帰れぬ。勇者よ」


 心臓が、嫌な音を立てた。


「……嘘でしょ」


「俺様は魔王だ。貴殿の身に何が起きたのか、ある程度は見えている。どうせ女神か、王国か――あるいはその両方に、都合よく使われたのだろう」


「ちょっと待って。何それ。帰れないって、どういう意味? あたしは、魔王を倒せば元の世界に帰れるって――」


「時間がない」


 魔王は、あたしの言葉を遮った。


 その身体はもう、半分ほど光に変わっていた。

 崩壊は止まらない。


 それでも魔王は、最後の力であたしを見据えた。


「勇者よ。貴殿に頼みがある」


「……頼み?」


「俺様の娘を、預けたい」


 空気が止まった。


 数秒遅れて、あたしの理解が追いつく。


「……はあああああああああっ!?」


 叫ばずにはいられなかった。


 ここは魔王城の最奥。

 あたしは今、魔王を倒したばかり。

 仲間たちは全員倒れていて、あたし自身も立っているのがやっと。

 そのうえ、元の世界に帰れないかもしれないなんて、最悪の事実を突きつけられた直後だ。


 そんな状況で。


 娘を預けたい?


 意味がわからない。

 何一つとして、意味がわからない。


「待って、待って待って待って! なんであたしが魔族の子供の世話なんかしなきゃいけないのよ!? そもそも、あんたの娘って何!? どこにいるの!?」


「俺様の娘は、いずれ人類と魔族の懸け橋となる」


「会話して! ちゃんと会話して!」


「だからこそ、世界で一番の愛を持つ貴殿に預けたい」


「勝手に決めるな!」


 あたしは怒鳴った。


 けれど、魔王はもう、ほとんどあたしの声を聞いていないようだった。


 身体は光へと変わっていく。

 指先から。

 腕から。

 胸から。


 少しずつ、魔王という存在が消えていく。


「名は――」


 魔王が、最後に何かを告げようとした。


 その瞬間だった。


 空が裂けた。


「……え?」


 戦闘で吹き飛んだ天井の向こう。

 赤黒い空の一点に、まばゆい光が生まれる。


 それは、星のようだった。


 地上へと落ちる、一筋の光。


 いや、違う。


 光の中に、何かがいる。


 小さい。

 白い。

 人の形をしている。


「まさか……」


 あたしは剣先を魔王へ向けたまま、視線だけを上へ向けた。


 空から落ちてくるのは、光に包まれた赤子だった。


 淡く輝く白い髪。

 小さな手足。

 眠るように閉じられたまぶた。


 光の膜に包まれたその姿は、ひどく幻想的で――だからこそ、次の瞬間に起きたことを理解するのが遅れた。


 赤子を包んでいた光が、ふっと消えた。


 支えを失った小さな身体が、重力に引かれて落下を始める。


「うそでしょ、バカ!!」


 魔王の子供だ。

 敵の子供だ。

 この世界を苦しめた魔王の血を引く存在だ。


 そんなことは、わかっている。


 それでも、身体は勝手に動いていた。


 あたしは聖剣を投げ捨て、砕けた床を蹴った。


 足に激痛が走る。

 折れた肋骨が軋む。

 視界が大きく揺れ、膝が笑った。


 それでも走った。


 赤子は落ちてくる。


 まっすぐに。

 硬い石床へ向かって。


 間に合わない。

 どう考えても、間に合わない。


 でも。


 間に合わせるしかない。


「間に合えええええええええええッ!!」


 あたしは最後の力で地面を蹴り、宙へ飛び込んだ。


 指先が、白い布に触れる。


 次の瞬間、全身が床に叩きつけられた。


 両膝が石床を削る。

 顎を打ち、口の中に血の味が広がる。

 衝撃で肺の中の空気が押し出され、呼吸が止まった。


 あたりに砂煙が舞い上がる。


「っ……い、た……」


 痛い。


 ものすごく痛い。


 全身が悲鳴を上げていた。

 今すぐその場に転がって、二度と動きたくないくらいには痛かった。


 けれど。


 腕の中に、確かな重みがあった。


 あたしは、恐る恐る目を開ける。


 舞い上がる砂煙の向こう。

 両腕の中に、小さな命があった。


 白い髪。

 陶器のように白い肌。

 額には、まだ柔らかそうな小さな角。


 長いまつ毛が震え、赤子がゆっくりと目を開ける。


 血のように赤い瞳が、あたしを映した。


 その瞬間。


「……ぁ」


 小さな手が、あたしの指を握った。


 あたたかかった。


 敵の子供なのに。

 魔王の娘なのに。

 あたしの人生をめちゃくちゃにした、この世界の厄介ごとの塊みたいな存在なのに。


 それでも、その手はあまりにも小さくて。

 あまりにも弱くて。

 あまりにも、守らなければならないものに見えた。


「おん……なのこ?」


 あたしが呟くと、赤子はふにゃりと顔を歪めた。


 泣くのかと思った。


 けれど、違った。


 赤子は、血に濡れたあたしの胸元に頬を寄せ、小さく息を吐いた。


 まるで、ようやく安心したみたいに。


 背後で、魔王の声が聞こえた気がした。


「頼んだぞ、勇者よ」


 振り返ったときには、もう魔王の姿はなかった。


 ただ、金色の光の粒だけが、崩れた玉座の間に舞っていた。


 魔王は消えた。


 三年間追い続けた敵は、たしかにこの世界から消滅した。


 残されたのは、あたしの腕の中にいる小さな赤子だけ。


 魔王の娘。

 人類と魔族の懸け橋。

 そして、たった今、あたしに押しつけられた最悪の厄介ごと。


「……いや」


 あたしは、震える声で呟いた。


「いやいやいや。無理でしょ。あたし、まだ十八なんだけど? 子育てどころか、自分の生活だってまともにできる気がしないんだけど?」


 赤子は答えない。


 ただ、あたしの指をぎゅっと握っている。


 その小さな力に、なぜか胸の奥が痛んだ。


 世界を救った勇者のあたし。


 魔王を倒し、長い冒険を終え、ようやく自由になれるはずだったあたし。


 けれど、あたしの新しい人生は――魔王の娘を抱きしめるところから始まった。


 これが、十八歳にして始まる、あたしの子育て人生の幕開けだった。


 そして、この時のあたしはまだ知らなかった。


 この小さな女の子が、いつか世界一の勇者と呼ばれることを。


 そして。


 あたしが救ったはずの世界が、この子を殺すために動き出すことを。

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