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ティファのお店

掲載日:2026/05/01


 ━━ね。お友だちになろう?


 塾を出ると、空はもう真っ暗だった。希喜子きよこは白い息を吐く。地上は空に逆らうように、光を発していた。

 街灯りは夜の恐怖から守ってくれるけど、やっぱりなんだか不自然。

「じゅんちゃん」

 駅のほうから聞こえる騒音を耳にしながら、駐輪場へ行くと、準太じゅんたが自転車を押して出てきたところだった。

 希喜子は嬉しくなった。

「ね、じゅんちゃん。一緒に帰ろうよ!」

 準太も希喜子と同じ進学塾に通っている。

 家が近くて、昔はよく二人で遊んでいた。

「………あ? 一人で帰れよ」

 そっけない響きに希喜子は一瞬泣きそうになる。

 準大は変わった。小学校高学年になって。希喜子のことなんかどうでもいいみたい。

「ま、待ってよ、じゅんちゃん!」

 赤いコートと黒っぽい千鳥格子のスカートをひるがえして、希喜子は自分の自転車のもとへ走った。

 赤い大人用の自転車に跨って夜の道に目をやると、準太の青いダッフルコートの背は見る見る遠くなっていく。

「じゅんちゃ……」

 希喜子は自転車で走った。必死に追いつこうとした。

 途端、曲がってきた自動車にぶつかりそうになり、前を行く人を蹴散らしそうになり、クズ籠や自販機に何度も側面から当たりそうになり、段差につまずいて転んだ。

「いったぁ~い」

 膝から少しだけど血が出た。自転車を立てながら、希喜子は眉尻を下げ、瞳を潤ませた。

 そのやや先の踏み切り前では。あきれたように、自転車を止めた準太が振り返る。

「……にやってんだ、おまえ」

 自転車を引きずって、俯きがちに歩いていた希喜子に、怒ったような声が降ってきた。

 見上げると、フレームレスの眼鏡をかけた男の子が、自転車を止めて立っていた。

 希喜子の膝を一瞥して、絆創膏を放るように渡すと、

 「帰るぞ」

 低く呟いて背を向けた。

 彼は振り返らず、自転車を押してゆっくりと歩く。

 その少し短い髪の生えた後ろ頭を見て。希喜子は自然と微笑んだ。

 踏み切りは少し先のほうにあった。

 自転車に乗って、二人は帰路を進んでいく。時々顔にかかる、左右を外側だけリボンで結んだ長い髪を除けながら、希喜子は手前を走る進大だけを見ていた。

 裏道は寂しげな顔をしているけど、今日は気にならなかった。

「…….あれ?」

 ふと視線のようなものを感じて、希喜子が横を向くと、こないだまで空き地だったところに、小さなお店ができていた。

「ね。じゅんちゃん、このお店、いつできたんだろ?」

 きのうまでは、雑草しかなかったのに。

「あぁ? なにやってんだ、おまえ」

 希喜子がついてこないので、準太が戻ってきた。

 自転車を横手に支え、立ち止まっている希喜子。

「すてきなお店……」

 ショーウィンドウには、輝きだけを集めたみたいに。ライトアップされたディスプレイに、アンティークなキャンドルとか。花を象った電気スタンドとか。ガラス細工の小物とか。綺麗な物しか、そこには存在しなかった。

「なに言ってんだよ。店なんかないだろう。空き地があるだけだ」

「……え? ━━ひどい。なんでそんなこと言うの?」

 噛みついて、希喜子は彼に背を向けた。

 光を呼ぶショーウィンドウを見つめる。

 途惑ったような準太の顔が、しだいに怒りに染まる。

「あぁそーかよ。勝手にしろよ!」

 自転車に乗って、準大は希喜子から遠ぎかっていく。

 一度だけ彼が振り返ると、取り憑かれたように、希喜子はずっとそればかりを見ていた。心配そうに、準太は顔をしかめた。


「ただいま」

 なんども迷った末、結局今日も、玄関ドアを開いた。

 対面式カウンターの奥側。シンクの前で、お玉片手に母親が振り返った。

「お帰り。どうだった?」

 クリームシチューの匂いが漂っている。冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注いで飲みながら、気のなさそうに希喜子は言った。

「別に」

「別にじゃないでしょ! あんた私立行く気あんの⁈ お金だってばかにならないんだからね! 準太くんは、とっても成績いいんですってよ!

 あの子とあんた、交換したいわ」

「━━知らねーよ」

 吐き捨てて、希喜子は部屋を出ていく。

「まー! この子ったら、小六にもなって、親にその口の聞き方はなに⁈」

 喚き散らす声を置いて、希喜子は階段を早足に登っていく。

 ━━私立行くなんて誰が言ったよ⁈ あんたが手に押しつけたんじゃねーかよ!

 

 大きな欠伸をひとつ。準太は問題集を閉じた。

 机の上の棚につけたライトを消して。イスに座ったまま、両手を組んで上に伸ばす。室内灯はまだ点いている。

「じゅんちゃん、いい?」

 ドアをノックして、おしゃれな金の入った栗色の髪をした母親が、部屋に入ってくる。

「かーさん」

 人なつっこそうに、準太は笑んだ。勉強をしていると、母はいつでも褒めてくれる。それが嬉しい。父は物心つく前に他界していた。

 再婚もせず、一人で働いて。私立中学にまで自分を入れようとしてくれている。そんな母親がなによりの誇りだった。

「おつかれさま」

 いつもなら熱いお茶を手渡してくれる母が、今日は電話の子機を差し出した。

「? だれ?」

「それがね」

 母は声を潜めた。

「希喜子ちゃん、まだ、帰ってないんですって……」

 準太は反射的に窓を見た。塗りつぶしたように真っ黒い。置き時計の数字は20:45……

 受け取った受話器から、希喜子の母親のつくろった声を聞きながら、準太は数日前の希喜子を思い出していた。

 何もない空き地をうっとりと見つめていたその姿。


 のちに準太が希喜子の母親から電話を受けることになるその日。その日は、日曜日だった。塾はお休みだった。

 気晴らしに、外へ出かけた。青い空はさわやかで。軽やかで。希喜子はずっと眺めていた。自転車をデパートの前に留めて、陽気なムードの店内に足を運ぶ。

 髪ゴムやピン留めを見て。気に入ったのを、一つ買う。かわいいステーショナリーも見て回った。大好きなマンガの続きが出ていたので、すぐレジへ。CDは高くてなかなか買えないけど、見ているだけで楽しい。少し試聴もしてみる。

 映画や遊園地などのチケット売り場に、小さな子供とその両親らしき男女がいた。はしゃぐ子供に微笑む父母。希喜子は小さく息を吐いた。

 自転車をゆっくりゆっくり走らせて。楽しい夢から覚めてしまった後のような悲しい顔で、希喜子は家へと向かった。

 今日は父もいる。父はいつも母に頭が上がらない。家に近づくにつれ、溜め息が止まらなくなる。

 あのお店が見えた。ショーウィンドウに光の妖精が踊っているみたいな、あのすてきなお店。

 何度か入ろうかと思ったけど、まだ入ったことのなかったお店。

 意を決して希喜子はドアを押した。ベルが鳴り響く。

 希喜子にはそこがパラダイスに思えた。棚には所狭しと綺麗な物が置かれている。白とピンクのチェックのクロスのかかったテーブルにも、すてきな物が飾られている。

 海外の風景の絵はがき。空の絵本。様々なレターセット。マグカップやティーセット。テディベア。うさぎのぬいぐるみ。おいしそうな瓶詰めのカラフルなドロップ。さっき買ったのよりかわいいリボンを発見して、ちょっと悔しくなる。エレガントな帽子を被ってみて、一人にやける。

 真っ白なクロス以外何も載っていない丸テーブルと、その周りに置かれた木目のイスを見つけた。休憩スペースだろうか?こんなところでお茶をしたらすてき!

 瞳にまで星が浮かぶくらい店内は夢で溢れていた。希喜子の好きな物しかそこにはない。

「あ」

 いままで誰もいなかったカウンターの内側のイスに、いつのまにか、人が座っていた。

 フランス人形のような格好をした女の人だ。縦ロールのブロンドに、大きなブルーアイズ。

 肌は白くて、なめらかそう。店内のどの品よりも、希喜子は一目でその人を好きになった。

「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」 

 声まですてき! 落ち着いた心地よい響き。

「い、いえ……」

「何か、お気に召した物がお有りですか?」

 髪を揺らして希喜子は勢いよく頷いた。

「は、はい! 何から何までみんなすてき!」

外分出てない。

「それはよかった」

 女性は優しく微笑んだ。

「お姉さんは店員さんだよね。一人なの?」

「うふふ。そうよ。お嬢さんもお一人?」

「お嬢さんじゃないよ! 希喜子だよ! もう、小六だもん」

「あら、それじゃ十一歳? 十二かしら?」

「十一」

「なんだ。それじゃティファと同じだ」

 彼女の口調が親しげにくだけた。

「うそ? 私と同じ? 信じられない」

 とても彼女は大人びていた。人種の違いなのだろうか? 希喜子が小柄だから余計にそう感じるのかもしれない。それにすごく綺麗。

(いいな。私がこんなに綺麗だったら、じゅんちゃんだって……)

「あなた、ティファっていうの?」

「そう。ティファはティファだよ」

「すてきな名前……」

「ね、希喜子。お友だちになろ」

「え?」

「お友だちになった記念! 一緒にティーパーティーしようよ」

 ティファに手を引かれ、進むと、先程まで何も載っていなかった丸テーブルに、いつのまにかケーキとティーセットが置かれていた。

「希喜子のために、とっておきのローズティー、用意したんだ。勿論タダだよ⭐︎」

 いい匂いのするお茶を、メリオールからティファが注いでくれる。

 イスに座って、希喜子は片手で、ソーサーからカップを浮かした。

 両手でカップを包んで、一口、飲んでみる。

「おいしい」

 心までまろやかに溶かしてくれそうな味わいだ。

 チョコレートのケーキは甘くて幸せ。

 こんな風に誰かとパーティーするの久しぶり。

「ね。希喜子。ずっとここにいるといいよ。

 なんでも希喜子の好きな物食べられるよ。お風呂だって、とってもおしゃれなんだから!」

「え?」

「ずっとここで遊んでようよ。もう、勉強なんてしなくていいんだよ」

「……うん」

 あんまりティファが嬉しそうだから、希喜子は思わず頷いた。

(勉強しなくていい)

 本当にそうなれたら、どんなにいいだろう。

「ごちそうさま。私そろそろ帰らなきゃ……」

 もう、夕方だから。━━席を立つと、ティファは立きそうな顔をした。

「もう少し、遊んでこうよ?」

 希喜子は心が痛くなって、席に座り直した。

「じゃあ、もう少しだけ……」

 本当は自分ももっとここにいたかった。

 嬉しそうに、希喜子と一緒にお茶を飲みながら、ティファが言う。

「ね。希喜子。希喜子は夕食、何が食べたい? なんでも出してあげるよ!」

「え? あ、うん……。あのね、空揚げと、コロッケと、トマトサラダと……牛乳」

「いいよ。じゃ、もうちょっと遊ぼ!」

 希喜子たちは店内を見て回った。ティファが手に取って、宝物を一つ一つ教えてくれる。

「これはギリシャの短剣。綺麗でしょ。といっても、ただの飾りだから安心して。これは、イギリスの指輪。恋のお守りよ。これは、中国の龍のキーホルダー。龍はめでたいししるしなの」

 希喜子は瞳を輝かせて、そんなティファと品物を代わる代わる見ていた。

「見てるだけじゃなくて、遊べるのもあるよ。んとね、ほら。この人形は、紐を引っ張るとジャンプするの。こっちのネズミは、ゼンマイ回すと踊るの。カードゲームもあるよ。あとでやろ?

 それと、立体的なスゴロクでしょ。着せ替えやぬり絵、ドールハウスもあるよ。

 これは占いができるお花型のポーチ。アイス作れるおもちゃもあるの。 

 それとね……」

 売り物のはずなのに、ティファは気にせず、箱や袋から出して希喜子に品を渡してくれた。

 希喜子は時を忘れティファと二人で笑った。

「ね。希喜子。そろそろご飯にしようよ」

 そういわれて、やっと現実を思い出す。帰らなきゃ。母が父が待っている。

「ごめん。きっとお母さん、ご飯作ってる」

「希喜子は帰りたいの?」

「う、ううん……」

「じゃ、いいじゃない。そんな親。一生待たせてれば。

 それよりお腹空いたでしょ。希喜子の言ったとおりの物、みんな揃ってるよ!」

 見ると、丸テーブルには湯気を立てている空揚げやコロッケやご飯。サラダに牛乳━━おまけにサクランボまで載せられていた。

「うわあ」

 なんだかとってもおいしそうだった。希喜子は我慢できなかった。

「おいしい、おいしいよティファこれ!」

「よかった。これ食べたら、一緒にお風呂入ろ? 

 ほら、店の奥の扉。あの向こうに、お風呂とか寝るとことかあるんだよ。ティファのおうちなの。

 今日はローズ風呂バスだよ!」

「でも━━お店の人とか━━ティファのおうちの人は?」

「いないよ。そんなの。ティファには希喜子がいればいいの。

 ね。お揃いのパジャマもあるんだよ。今日から一緒に寝ようね」

「……でも」

「希喜子はずっと、ティファといてくれるよね?」

 家に帰っても。きっと、母は勉強のことしか言わない。父は母の味方だ。

「ここに……いる」

 俯いて言う。ティファは嬉しそうに笑った。


 バラの花の浮かぶ浴槽の中。ティファはその頬をバラにも負けないくらい上気させる。

「嬉しい。希喜子が友だちになってくれて!」

 毛先に向けて手を滑らせながら、シャンプーを髪になじませて。

 希喜子は振り返った。

「……だって、ティファ。友だちいないから」

「え?」

 希喜子は眉根を寄せた。

「でも、今は希喜子がいるから。ね━━。約束して。裏切らないで。ずっと、ずっと、ティファのそばにいて」

「うん」

「友だちでいて」

「……うん。ずっと、友だちだよ」

 希喜子は笑った。ティファも微笑んだ。


 次の日も、希喜子はティファと遊んだ。何も考えずに、ずっとそうしていたかった。

(心配すればいいんだ)

大っきらい。父も母も。

あの丸テーブルは不思議で。気づくといつも、ご飯やお茶ができている。不思議だけど、希喜子はあまり考えずにそれを食べて、飲む。きっと宅配かなんかなのだ。それをティファが並べたのだ。

 学校や塾のみんなは今ごろ学校だ。希喜子は一人自由を堪能する。

 三時半ごろになり、店の外から聞き慣れた声がした。

「希喜子」

 準太だった。ウィンドウの向こう側に、姿が覗いている。

「希喜子。どこ、行ったんだよ?」

「じゅんちゃん、ここにいるよ」

 そう言おうとしたけど。ティファが希喜子の前に飛び出して、激しく準太を睨んだ。

「目障りなヤツ……!」

 変貌したティファに、希喜子は震えた。だけど、一生懸命叫んだ。

「じゅんちゃんっっ‼︎」

 名残惜しそうに、準太は歩き去っていった。

(無視、した……)

 希喜子は立ち竦んだ。

(私の声、聞こえたはずなのに)


 空き地の前に置かれたままになっていた希喜子の赤い自転車。

 それに目を落として。準太は踵を返した。ここだと、思ったのに。

「どこ行ったんだよ、希喜子……」

 空き地の草が、嘲笑うように揺れた。


 次の日も。何度も。準太はやってきた。

「希喜子。希喜子。どこ行ったんだよ。おまえのお父さんもお母さんも、心配してるよ」

(うそばっかり)

 希喜子はウィンドウから背を向け耳を寒ぐ。

「希喜子」

(うそつき。無視したくせに)


そんな希喜子をティファは嬉しそうに見る。

「いい気味」

 準太を嗤う。

 希喜子は無視を続けた。

「なぁ、希喜子。帰ってこいよ! いるんだろう?」

 準太が叫んだ。必死な声だった。

「じゅんちゃん⁈」

 思わず、希喜子も叫び返した。

「……な、わけ、ないか……」

 でも、準太は行ってしまった……。


「希喜子はポニーテールも、似合うと思うな」

 希喜子の髪を飛かしながら、ティファは鈴の音色のように笑った。

「はい、できた! ほら。かわいい⭐︎」 

 手鏡を差し出して、ティファは言った。鏡に映る自分が、ひどく疲れたような悲しいような顔をしているのに、希喜子は気づいた。

「……ね。ティファ。このお店、やっぱり変だよ。一瞬前まではなんにもなかったのに、振り返ると料理ができてるの。

 大人の人が誰もいないなんて、なんか変だよ……」

「希喜子。世界には、人間にはわからないことがたくさんあるの。

 勉強なんて、なんの役にも立たない。それでいいじゃない」

「……うん」

「まさか、希喜子、帰りたいの? 

 ずっと一緒にいてくれるっていったじゃない!」

 ティファは涙ぐんでいた。

 希喜子は優しく━━でもどこかぎこちなく笑ってみせる。

「違う。ただ、外に出たいの。最近、お店の中ばかりにいたから。外で、遊びたいの」

「ここには、希喜子の欲しい物、なんでもあるよ?

 ね、何が足りないの? 言ってよ!

 なんでも出すよっ! だって、希喜子が望んだんじゃない⁈

 だから、このお店、できたのに。来てくれて、すごく嬉しかったのに‼︎」

 ティファは希喜子の肩を揺さぶった。希喜子はティファの話をあまり聞いていなかった。

 理解できなかった。

「……そ━━だよね。べんきょ、なんか、なんの役にも立たない……」「そうだよ! だからティファと遊んでよ?」

 受験、失敗したら━━このまま受けられなかったら、母はどうするだろう?

 あんな人、もう知らない。知らないけど……けど……


 お母さんは優しかった。

 遊園地にも、動物園にも、連れていってくれた。

 お菓子も買ってくれた。

 たまには父の車でドライブに行った。あんまり覚えてない小さい頃のことでも、写真がちゃんと真実を伝えてくれるから。誕生日には父は必ずケーキを買ってきてくれた。多すぎて食べきれなくて、気持ち悪くて。それでも精一杯食べた。甘かったから。おいしかったから。二人がいたから。ばかだな、って笑ってくれたから。

 今みたいに、怒ってばっかじゃない。勉強とか、私立とか、そんなこと言わない。手を繋いでくれた。転ばないように。ずっと二人で握っててくれた。すごく小さい頃のことなのに、覚えてた。夢に見た。


「なに、してるの?」

 ティファがちょっと店の隅に行ったのを見計らって、希喜子は外へ続くドアへ近づいた。

「な、なんでもない」

「それよりほら、イルカの風船。好きでしょ」

 希喜子はカウンターのほうヘ━━ティファのほうへ歩いた。ティファは友だちだから。

 イルカを抱き締め、希喜子は、楽しそうなティファの顔を眺める。希喜子も嬉しくなる。

「希喜子。ほら、カエルのキャッチボールセット。

 寝室のほうで、後でやろ。好きだよね」

「うん」

「ね、ドロップ舐める? サワー味もあるの」

「うん」

「……ずっと一緒にいてね」

 テーブルの上のドロップ瓶を見つめたまま、ティファは囁いた。

 少しだけ声が震えていた。

「どこにも行かないでね」


 学校が終わるとすぐ、準大はあの空き地へ向かう。希喜子がもう、四日も帰ってこない。

 希喜子の両親はすぐに警察に捜索願いを出して。準大が自転車が空き地の前に放置したままだと伝えたので、その当たりも調べてくれたはずなのに、希喜子は全然見つからない。

 あの時。空き地の前に立ったままだった希喜子。話をちゃんと、聞いてやればよかった。

 希喜子のお母さんは泣いてばっかで。見てられない。お父さんだって会社を休んで。街を探したり、いろんな人に電話をかけたり。

 準太も塾を休んでいた。だけど、そんなことどうでもいい。

「希喜子」

 希喜子は小さい頃からいつも、真っ直ぐな目で。自分のあとばっか追いかけてきて。冷たくしても、変わらず微笑んで。

「も、こんなん、ヤだよ━━」

 ━━ね。じゅんちゃん、このお店、いつできたんだろ?

「どこいんだっ、希喜子━━!」

 

 希喜子はウィンドウのほうを気にしていた。

 そろそろ、準太が来るころだった。

「ねー、希喜子。ポップコーン食べようよ」

 脳天気そうにティファは笑って。希喜子が俯いたままポップコーンを食べ始めると、だけど堪えきれないように悲しい目をする。

 希喜子から目を離すと、ウィンドウを振り返る。

「消す」

希喜子に聞こえないように、唇だけでいう。

「殺す」

 ポップコーンを口に運ぶ。汚れた手を舐め、

「ヤツが死ねば、希喜子は、ティファのもの」


「希喜子。希喜子」

 準太が来た。

「本当なんだ。心配してるんだ。みんな。学校の奴らも、塾のみんなも、先生も、父兄の人も、近所の人も、オレの母親も、希喜子のお父さんとお母さんも。

 ………帰ってこいよ。帰ってきてくれよ……」

 希喜子は店の外の準太と、横にいるティファを交互に見ていた。

「ね~、希喜子。このムーンストーンのペンダントすてきだよね。

 ティファ、月って好き」

 ティファは準太を黙殺していた。

「希喜子。帰ってきてくれよ」

「じゅんちゃん……」

 希喜子が呟いた。

 ティファは横目で鋭く準大を睨んだ。小さく舌打ちする。唇が音も立

てずに動く。

 ━━コ・ロ・ス。

「帰ってこいよ! 希喜子! オレは、おまえが好きなんだよっ‼︎」

 希喜子の瞳から、涙がこぼれた。

「じゅんちゃん‼︎  希喜子、希喜子、《《ここにいる》》っ‼︎ 

 帰る、私帰る━━っ‼︎」

 走る希喜子の手を、ティファが掴む。振り返る長い黒髪。

「約束した。ティファとずっと一緒だって、希喜子は言った」

「だって‼︎ ここにはお父さんもお母さんもいないの‼︎

 じゅんちゃんが、いないのっ‼︎」

「…………行かせない」

 別人のような冷たい声で、ティファは言う。

「行くなら━━なら、てめーも、死ねよ」 

 反射的に希喜子はティファの手を振り切る。

「みんな、死ねよ」

 ウインドウのガラスが、音を立てて外側に砕け散った。


「うわぁっ⁉︎」

 宙から、突然光る何かが降ってきた。

 準太は腕で顔を庇った。斜め横から降ってきた何かが、コートの腕を掠める。ガラスだった。なにもなかった空間から、大量のガラス片が降ってきたのだ。

 幸い立っていた場所がよく大したことはなかったが、直撃を食らっていたらと思うと血の気が引く。

 コートの毛羽だった表面には、小さな破片が付着しているかもしれない。ガラスの固まり落ちたアスファルトのそばに寄る。

 宙に不思議な窓みたいな空間が浮いていた。周りは普通の空き地なのに、そこだけ異様だった。

 今吹き飛んだガラスの元になった何かなのだろうか。縁はいびつだな割れ残りみたいだ。そのすぐあちら側に、アンティークな置物などが並び、更にその先は、何か棚の並ぶ店内みたいで━━。

 見つけた。長い黒髪。

「希喜子━━‼︎」

 ためらわず、準太はそこに飛び込んだ。


 店内を希喜子は逃げ回っていた。

 すぐに外に飛び出したかったけど、ティファに邪魔された。狭い店内。所狭しと並ぶ棚。ティファはすぐ後ろを追ってくる。

「嫌あっ⁉︎」

 振り返った拍子に、希喜子は、チェックのクロスのテーブルからドロップ瓶やカラフルなスティクを倒す。

 左に曲がろうとして、落ちていたテディベアにつまずく。

「死ね死ね死ね」

 毒のようなセリフを吐く金髪の少女の背後・頭上には、プレート、ティーセット、手鏡などが浮いている。それが殺意を込めて、希喜子に襲い来る。

「嫌ぁ⁉︎  助けてぇ⁉︎」

 希喜子は間一髪そこから離れ、走る。

 後ろでプレートやらが割れる高い音。

「あ、開かない⁈」

 店内奥、プライベートルームに続くドアのノブを無我夢中で回す。

 だめだ。脱出口は、反対方向のドアとウィンドウしかない!!

 ティファが近づく。

「嫌ぁ⁈ 来ないでえぇっ⁉︎」

 希喜子は壁づたいに逃げようとする。

 その先は行き止まりだけど━━。「

「逃がさない」

 指を棚に向けるティファ。

「きゃああああああっ⁉︎」

 倒れてきた棚が、希喜子の右足を挟んだ。棚の中身が散らばる。希喜子は動けなくなる。

「嫌あああああっ!⁉︎」

 痛みと恐怖で失神しそうになる。

 ティファは静かに近寄ると、希喜子のそばにしゃがむ。

「どうして……」

 彼女は泣いていた。

「どうして、誰も、ティファの友だちになってくれないの……?

 希喜子は、違うと思ったのに」

「ティファ」

 呻くように、希喜子は呼んだ。

 ティファは金の髪を左右に振って、叫ぶ。

「死んじゃえ‼︎」

「━━やめろよっ‼︎」

 近づいてくるスニーカー。ダッフルコート。手に辺りに転がっていた金属製の杖。準太だ。

「じゅんちゃん……」

 安心したように、希喜子は気を失った。

「やめろよっ! 化け物っ‼︎」

「化け物……?」

 ティファは悲しそうに顔を歪める。

「違う。ティファは希喜子の友だち」

「そんな友だちがあるもんかっ!」

 ティファは辺りを見回した。

 荒れた店内。希喜子が倒れている。足は棚の下敷きに━━。

「ち、違う、ティファのせいじゃない」

 目と、杖を握る手に力を込める準太。

「ち、違う……ティファは、ただ……」

 涙を流しながら、彼女は激しくかぶりを振った。

「ただ……」

 その姿が視と共に掻きえていく。

 ……気づくと、準太と希喜子は、草だらけの空き地にいた。

 もう、あの店も、金髪の少女も、影も形もない。

 ただ、アスファルトに残るガラスだけが、輝きを残している。

 準太は倒れた希喜子に駆け寄った。


 松葉杖をついた希喜子が、準太に付き添われて、空き地にやってくる。

「お店、失くなってる……」

 呆然と、希喜子は呟いた。

 準太は希喜子を気遣うような目で見ている。

「私たち、友だちだよねっ⁈」

 草がただ、風に鳴っていた。

 そこにあったはずのものに━━ティファに、希喜子は叫ぶ。

「また、遊べるよねぇっ⁈」

 ━━答えは、返ってこなかった。

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