ティファのお店
━━ね。お友だちになろう?
塾を出ると、空はもう真っ暗だった。希喜子は白い息を吐く。地上は空に逆らうように、光を発していた。
街灯りは夜の恐怖から守ってくれるけど、やっぱりなんだか不自然。
「じゅんちゃん」
駅のほうから聞こえる騒音を耳にしながら、駐輪場へ行くと、準太が自転車を押して出てきたところだった。
希喜子は嬉しくなった。
「ね、じゅんちゃん。一緒に帰ろうよ!」
準太も希喜子と同じ進学塾に通っている。
家が近くて、昔はよく二人で遊んでいた。
「………あ? 一人で帰れよ」
そっけない響きに希喜子は一瞬泣きそうになる。
準大は変わった。小学校高学年になって。希喜子のことなんかどうでもいいみたい。
「ま、待ってよ、じゅんちゃん!」
赤いコートと黒っぽい千鳥格子のスカートをひるがえして、希喜子は自分の自転車のもとへ走った。
赤い大人用の自転車に跨って夜の道に目をやると、準太の青いダッフルコートの背は見る見る遠くなっていく。
「じゅんちゃ……」
希喜子は自転車で走った。必死に追いつこうとした。
途端、曲がってきた自動車にぶつかりそうになり、前を行く人を蹴散らしそうになり、クズ籠や自販機に何度も側面から当たりそうになり、段差につまずいて転んだ。
「いったぁ~い」
膝から少しだけど血が出た。自転車を立てながら、希喜子は眉尻を下げ、瞳を潤ませた。
そのやや先の踏み切り前では。あきれたように、自転車を止めた準太が振り返る。
「……にやってんだ、おまえ」
自転車を引きずって、俯きがちに歩いていた希喜子に、怒ったような声が降ってきた。
見上げると、フレームレスの眼鏡をかけた男の子が、自転車を止めて立っていた。
希喜子の膝を一瞥して、絆創膏を放るように渡すと、
「帰るぞ」
低く呟いて背を向けた。
彼は振り返らず、自転車を押してゆっくりと歩く。
その少し短い髪の生えた後ろ頭を見て。希喜子は自然と微笑んだ。
踏み切りは少し先のほうにあった。
自転車に乗って、二人は帰路を進んでいく。時々顔にかかる、左右を外側だけリボンで結んだ長い髪を除けながら、希喜子は手前を走る進大だけを見ていた。
裏道は寂しげな顔をしているけど、今日は気にならなかった。
「…….あれ?」
ふと視線のようなものを感じて、希喜子が横を向くと、こないだまで空き地だったところに、小さなお店ができていた。
「ね。じゅんちゃん、このお店、いつできたんだろ?」
きのうまでは、雑草しかなかったのに。
「あぁ? なにやってんだ、おまえ」
希喜子がついてこないので、準太が戻ってきた。
自転車を横手に支え、立ち止まっている希喜子。
「すてきなお店……」
ショーウィンドウには、輝きだけを集めたみたいに。ライトアップされたディスプレイに、アンティークなキャンドルとか。花を象った電気スタンドとか。ガラス細工の小物とか。綺麗な物しか、そこには存在しなかった。
「なに言ってんだよ。店なんかないだろう。空き地があるだけだ」
「……え? ━━ひどい。なんでそんなこと言うの?」
噛みついて、希喜子は彼に背を向けた。
光を呼ぶショーウィンドウを見つめる。
途惑ったような準太の顔が、しだいに怒りに染まる。
「あぁそーかよ。勝手にしろよ!」
自転車に乗って、準大は希喜子から遠ぎかっていく。
一度だけ彼が振り返ると、取り憑かれたように、希喜子はずっとそればかりを見ていた。心配そうに、準太は顔をしかめた。
「ただいま」
なんども迷った末、結局今日も、玄関ドアを開いた。
対面式カウンターの奥側。シンクの前で、お玉片手に母親が振り返った。
「お帰り。どうだった?」
クリームシチューの匂いが漂っている。冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注いで飲みながら、気のなさそうに希喜子は言った。
「別に」
「別にじゃないでしょ! あんた私立行く気あんの⁈ お金だってばかにならないんだからね! 準太くんは、とっても成績いいんですってよ!
あの子とあんた、交換したいわ」
「━━知らねーよ」
吐き捨てて、希喜子は部屋を出ていく。
「まー! この子ったら、小六にもなって、親にその口の聞き方はなに⁈」
喚き散らす声を置いて、希喜子は階段を早足に登っていく。
━━私立行くなんて誰が言ったよ⁈ あんたが手に押しつけたんじゃねーかよ!
大きな欠伸をひとつ。準太は問題集を閉じた。
机の上の棚につけたライトを消して。イスに座ったまま、両手を組んで上に伸ばす。室内灯はまだ点いている。
「じゅんちゃん、いい?」
ドアをノックして、おしゃれな金の入った栗色の髪をした母親が、部屋に入ってくる。
「かーさん」
人なつっこそうに、準太は笑んだ。勉強をしていると、母はいつでも褒めてくれる。それが嬉しい。父は物心つく前に他界していた。
再婚もせず、一人で働いて。私立中学にまで自分を入れようとしてくれている。そんな母親がなによりの誇りだった。
「おつかれさま」
いつもなら熱いお茶を手渡してくれる母が、今日は電話の子機を差し出した。
「? だれ?」
「それがね」
母は声を潜めた。
「希喜子ちゃん、まだ、帰ってないんですって……」
準太は反射的に窓を見た。塗りつぶしたように真っ黒い。置き時計の数字は20:45……
受け取った受話器から、希喜子の母親のつくろった声を聞きながら、準太は数日前の希喜子を思い出していた。
何もない空き地をうっとりと見つめていたその姿。
のちに準太が希喜子の母親から電話を受けることになるその日。その日は、日曜日だった。塾はお休みだった。
気晴らしに、外へ出かけた。青い空はさわやかで。軽やかで。希喜子はずっと眺めていた。自転車をデパートの前に留めて、陽気なムードの店内に足を運ぶ。
髪ゴムやピン留めを見て。気に入ったのを、一つ買う。かわいいステーショナリーも見て回った。大好きなマンガの続きが出ていたので、すぐレジへ。CDは高くてなかなか買えないけど、見ているだけで楽しい。少し試聴もしてみる。
映画や遊園地などのチケット売り場に、小さな子供とその両親らしき男女がいた。はしゃぐ子供に微笑む父母。希喜子は小さく息を吐いた。
自転車をゆっくりゆっくり走らせて。楽しい夢から覚めてしまった後のような悲しい顔で、希喜子は家へと向かった。
今日は父もいる。父はいつも母に頭が上がらない。家に近づくにつれ、溜め息が止まらなくなる。
あのお店が見えた。ショーウィンドウに光の妖精が踊っているみたいな、あのすてきなお店。
何度か入ろうかと思ったけど、まだ入ったことのなかったお店。
意を決して希喜子はドアを押した。ベルが鳴り響く。
希喜子にはそこがパラダイスに思えた。棚には所狭しと綺麗な物が置かれている。白とピンクのチェックのクロスのかかったテーブルにも、すてきな物が飾られている。
海外の風景の絵はがき。空の絵本。様々なレターセット。マグカップやティーセット。テディベア。うさぎのぬいぐるみ。おいしそうな瓶詰めのカラフルなドロップ。さっき買ったのよりかわいいリボンを発見して、ちょっと悔しくなる。エレガントな帽子を被ってみて、一人にやける。
真っ白なクロス以外何も載っていない丸テーブルと、その周りに置かれた木目のイスを見つけた。休憩スペースだろうか?こんなところでお茶をしたらすてき!
瞳にまで星が浮かぶくらい店内は夢で溢れていた。希喜子の好きな物しかそこにはない。
「あ」
いままで誰もいなかったカウンターの内側のイスに、いつのまにか、人が座っていた。
フランス人形のような格好をした女の人だ。縦ロールのブロンドに、大きなブルーアイズ。
肌は白くて、なめらかそう。店内のどの品よりも、希喜子は一目でその人を好きになった。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
声まですてき! 落ち着いた心地よい響き。
「い、いえ……」
「何か、お気に召した物がお有りですか?」
髪を揺らして希喜子は勢いよく頷いた。
「は、はい! 何から何までみんなすてき!」
外分出てない。
「それはよかった」
女性は優しく微笑んだ。
「お姉さんは店員さんだよね。一人なの?」
「うふふ。そうよ。お嬢さんもお一人?」
「お嬢さんじゃないよ! 希喜子だよ! もう、小六だもん」
「あら、それじゃ十一歳? 十二かしら?」
「十一」
「なんだ。それじゃティファと同じだ」
彼女の口調が親しげにくだけた。
「うそ? 私と同じ? 信じられない」
とても彼女は大人びていた。人種の違いなのだろうか? 希喜子が小柄だから余計にそう感じるのかもしれない。それにすごく綺麗。
(いいな。私がこんなに綺麗だったら、じゅんちゃんだって……)
「あなた、ティファっていうの?」
「そう。ティファはティファだよ」
「すてきな名前……」
「ね、希喜子。お友だちになろ」
「え?」
「お友だちになった記念! 一緒にティーパーティーしようよ」
ティファに手を引かれ、進むと、先程まで何も載っていなかった丸テーブルに、いつのまにかケーキとティーセットが置かれていた。
「希喜子のために、とっておきのローズティー、用意したんだ。勿論タダだよ⭐︎」
いい匂いのするお茶を、メリオールからティファが注いでくれる。
イスに座って、希喜子は片手で、ソーサーからカップを浮かした。
両手でカップを包んで、一口、飲んでみる。
「おいしい」
心までまろやかに溶かしてくれそうな味わいだ。
チョコレートのケーキは甘くて幸せ。
こんな風に誰かとパーティーするの久しぶり。
「ね。希喜子。ずっとここにいるといいよ。
なんでも希喜子の好きな物食べられるよ。お風呂だって、とってもおしゃれなんだから!」
「え?」
「ずっとここで遊んでようよ。もう、勉強なんてしなくていいんだよ」
「……うん」
あんまりティファが嬉しそうだから、希喜子は思わず頷いた。
(勉強しなくていい)
本当にそうなれたら、どんなにいいだろう。
「ごちそうさま。私そろそろ帰らなきゃ……」
もう、夕方だから。━━席を立つと、ティファは立きそうな顔をした。
「もう少し、遊んでこうよ?」
希喜子は心が痛くなって、席に座り直した。
「じゃあ、もう少しだけ……」
本当は自分ももっとここにいたかった。
嬉しそうに、希喜子と一緒にお茶を飲みながら、ティファが言う。
「ね。希喜子。希喜子は夕食、何が食べたい? なんでも出してあげるよ!」
「え? あ、うん……。あのね、空揚げと、コロッケと、トマトサラダと……牛乳」
「いいよ。じゃ、もうちょっと遊ぼ!」
希喜子たちは店内を見て回った。ティファが手に取って、宝物を一つ一つ教えてくれる。
「これはギリシャの短剣。綺麗でしょ。といっても、ただの飾りだから安心して。これは、イギリスの指輪。恋のお守りよ。これは、中国の龍のキーホルダー。龍はめでたいし印なの」
希喜子は瞳を輝かせて、そんなティファと品物を代わる代わる見ていた。
「見てるだけじゃなくて、遊べるのもあるよ。んとね、ほら。この人形は、紐を引っ張るとジャンプするの。こっちのネズミは、ゼンマイ回すと踊るの。カードゲームもあるよ。あとでやろ?
それと、立体的なスゴロクでしょ。着せ替えやぬり絵、ドールハウスもあるよ。
これは占いができるお花型のポーチ。アイス作れるおもちゃもあるの。
それとね……」
売り物のはずなのに、ティファは気にせず、箱や袋から出して希喜子に品を渡してくれた。
希喜子は時を忘れティファと二人で笑った。
「ね。希喜子。そろそろご飯にしようよ」
そういわれて、やっと現実を思い出す。帰らなきゃ。母が父が待っている。
「ごめん。きっとお母さん、ご飯作ってる」
「希喜子は帰りたいの?」
「う、ううん……」
「じゃ、いいじゃない。そんな親。一生待たせてれば。
それよりお腹空いたでしょ。希喜子の言ったとおりの物、みんな揃ってるよ!」
見ると、丸テーブルには湯気を立てている空揚げやコロッケやご飯。サラダに牛乳━━おまけにサクランボまで載せられていた。
「うわあ」
なんだかとってもおいしそうだった。希喜子は我慢できなかった。
「おいしい、おいしいよティファこれ!」
「よかった。これ食べたら、一緒にお風呂入ろ?
ほら、店の奥の扉。あの向こうに、お風呂とか寝るとことかあるんだよ。ティファのおうちなの。
今日はローズ風呂だよ!」
「でも━━お店の人とか━━ティファのおうちの人は?」
「いないよ。そんなの。ティファには希喜子がいればいいの。
ね。お揃いのパジャマもあるんだよ。今日から一緒に寝ようね」
「……でも」
「希喜子はずっと、ティファといてくれるよね?」
家に帰っても。きっと、母は勉強のことしか言わない。父は母の味方だ。
「ここに……いる」
俯いて言う。ティファは嬉しそうに笑った。
バラの花の浮かぶ浴槽の中。ティファはその頬をバラにも負けないくらい上気させる。
「嬉しい。希喜子が友だちになってくれて!」
毛先に向けて手を滑らせながら、シャンプーを髪になじませて。
希喜子は振り返った。
「……だって、ティファ。友だちいないから」
「え?」
希喜子は眉根を寄せた。
「でも、今は希喜子がいるから。ね━━。約束して。裏切らないで。ずっと、ずっと、ティファのそばにいて」
「うん」
「友だちでいて」
「……うん。ずっと、友だちだよ」
希喜子は笑った。ティファも微笑んだ。
次の日も、希喜子はティファと遊んだ。何も考えずに、ずっとそうしていたかった。
(心配すればいいんだ)
大っきらい。父も母も。
あの丸テーブルは不思議で。気づくといつも、ご飯やお茶ができている。不思議だけど、希喜子はあまり考えずにそれを食べて、飲む。きっと宅配かなんかなのだ。それをティファが並べたのだ。
学校や塾のみんなは今ごろ学校だ。希喜子は一人自由を堪能する。
三時半ごろになり、店の外から聞き慣れた声がした。
「希喜子」
準太だった。ウィンドウの向こう側に、姿が覗いている。
「希喜子。どこ、行ったんだよ?」
「じゅんちゃん、ここにいるよ」
そう言おうとしたけど。ティファが希喜子の前に飛び出して、激しく準太を睨んだ。
「目障りなヤツ……!」
変貌したティファに、希喜子は震えた。だけど、一生懸命叫んだ。
「じゅんちゃんっっ‼︎」
名残惜しそうに、準太は歩き去っていった。
(無視、した……)
希喜子は立ち竦んだ。
(私の声、聞こえたはずなのに)
空き地の前に置かれたままになっていた希喜子の赤い自転車。
それに目を落として。準太は踵を返した。ここだと、思ったのに。
「どこ行ったんだよ、希喜子……」
空き地の草が、嘲笑うように揺れた。
次の日も。何度も。準太はやってきた。
「希喜子。希喜子。どこ行ったんだよ。おまえのお父さんもお母さんも、心配してるよ」
(うそばっかり)
希喜子はウィンドウから背を向け耳を寒ぐ。
「希喜子」
(うそつき。無視したくせに)
そんな希喜子をティファは嬉しそうに見る。
「いい気味」
準太を嗤う。
希喜子は無視を続けた。
「なぁ、希喜子。帰ってこいよ! いるんだろう?」
準太が叫んだ。必死な声だった。
「じゅんちゃん⁈」
思わず、希喜子も叫び返した。
「……な、わけ、ないか……」
でも、準太は行ってしまった……。
「希喜子はポニーテールも、似合うと思うな」
希喜子の髪を飛かしながら、ティファは鈴の音色のように笑った。
「はい、できた! ほら。かわいい⭐︎」
手鏡を差し出して、ティファは言った。鏡に映る自分が、ひどく疲れたような悲しいような顔をしているのに、希喜子は気づいた。
「……ね。ティファ。このお店、やっぱり変だよ。一瞬前まではなんにもなかったのに、振り返ると料理ができてるの。
大人の人が誰もいないなんて、なんか変だよ……」
「希喜子。世界には、人間にはわからないことがたくさんあるの。
勉強なんて、なんの役にも立たない。それでいいじゃない」
「……うん」
「まさか、希喜子、帰りたいの?
ずっと一緒にいてくれるっていったじゃない!」
ティファは涙ぐんでいた。
希喜子は優しく━━でもどこかぎこちなく笑ってみせる。
「違う。ただ、外に出たいの。最近、お店の中ばかりにいたから。外で、遊びたいの」
「ここには、希喜子の欲しい物、なんでもあるよ?
ね、何が足りないの? 言ってよ!
なんでも出すよっ! だって、希喜子が望んだんじゃない⁈
だから、このお店、できたのに。来てくれて、すごく嬉しかったのに‼︎」
ティファは希喜子の肩を揺さぶった。希喜子はティファの話をあまり聞いていなかった。
理解できなかった。
「……そ━━だよね。べんきょ、なんか、なんの役にも立たない……」「そうだよ! だからティファと遊んでよ?」
受験、失敗したら━━このまま受けられなかったら、母はどうするだろう?
あんな人、もう知らない。知らないけど……けど……
お母さんは優しかった。
遊園地にも、動物園にも、連れていってくれた。
お菓子も買ってくれた。
たまには父の車でドライブに行った。あんまり覚えてない小さい頃のことでも、写真がちゃんと真実を伝えてくれるから。誕生日には父は必ずケーキを買ってきてくれた。多すぎて食べきれなくて、気持ち悪くて。それでも精一杯食べた。甘かったから。おいしかったから。二人がいたから。ばかだな、って笑ってくれたから。
今みたいに、怒ってばっかじゃない。勉強とか、私立とか、そんなこと言わない。手を繋いでくれた。転ばないように。ずっと二人で握っててくれた。すごく小さい頃のことなのに、覚えてた。夢に見た。
「なに、してるの?」
ティファがちょっと店の隅に行ったのを見計らって、希喜子は外へ続くドアへ近づいた。
「な、なんでもない」
「それよりほら、イルカの風船。好きでしょ」
希喜子はカウンターのほうヘ━━ティファのほうへ歩いた。ティファは友だちだから。
イルカを抱き締め、希喜子は、楽しそうなティファの顔を眺める。希喜子も嬉しくなる。
「希喜子。ほら、カエルのキャッチボールセット。
寝室のほうで、後でやろ。好きだよね」
「うん」
「ね、ドロップ舐める? サワー味もあるの」
「うん」
「……ずっと一緒にいてね」
テーブルの上のドロップ瓶を見つめたまま、ティファは囁いた。
少しだけ声が震えていた。
「どこにも行かないでね」
学校が終わるとすぐ、準大はあの空き地へ向かう。希喜子がもう、四日も帰ってこない。
希喜子の両親はすぐに警察に捜索願いを出して。準大が自転車が空き地の前に放置したままだと伝えたので、その当たりも調べてくれたはずなのに、希喜子は全然見つからない。
あの時。空き地の前に立ったままだった希喜子。話をちゃんと、聞いてやればよかった。
希喜子のお母さんは泣いてばっかで。見てられない。お父さんだって会社を休んで。街を探したり、いろんな人に電話をかけたり。
準太も塾を休んでいた。だけど、そんなことどうでもいい。
「希喜子」
希喜子は小さい頃からいつも、真っ直ぐな目で。自分のあとばっか追いかけてきて。冷たくしても、変わらず微笑んで。
「も、こんなん、ヤだよ━━」
━━ね。じゅんちゃん、このお店、いつできたんだろ?
「どこいんだっ、希喜子━━!」
希喜子はウィンドウのほうを気にしていた。
そろそろ、準太が来るころだった。
「ねー、希喜子。ポップコーン食べようよ」
脳天気そうにティファは笑って。希喜子が俯いたままポップコーンを食べ始めると、だけど堪えきれないように悲しい目をする。
希喜子から目を離すと、ウィンドウを振り返る。
「消す」
希喜子に聞こえないように、唇だけでいう。
「殺す」
ポップコーンを口に運ぶ。汚れた手を舐め、
「ヤツが死ねば、希喜子は、ティファのもの」
「希喜子。希喜子」
準太が来た。
「本当なんだ。心配してるんだ。みんな。学校の奴らも、塾のみんなも、先生も、父兄の人も、近所の人も、オレの母親も、希喜子のお父さんとお母さんも。
………帰ってこいよ。帰ってきてくれよ……」
希喜子は店の外の準太と、横にいるティファを交互に見ていた。
「ね~、希喜子。このムーンストーンのペンダントすてきだよね。
ティファ、月って好き」
ティファは準太を黙殺していた。
「希喜子。帰ってきてくれよ」
「じゅんちゃん……」
希喜子が呟いた。
ティファは横目で鋭く準大を睨んだ。小さく舌打ちする。唇が音も立
てずに動く。
━━コ・ロ・ス。
「帰ってこいよ! 希喜子! オレは、おまえが好きなんだよっ‼︎」
希喜子の瞳から、涙がこぼれた。
「じゅんちゃん‼︎ 希喜子、希喜子、《《ここにいる》》っ‼︎
帰る、私帰る━━っ‼︎」
走る希喜子の手を、ティファが掴む。振り返る長い黒髪。
「約束した。ティファとずっと一緒だって、希喜子は言った」
「だって‼︎ ここにはお父さんもお母さんもいないの‼︎
じゅんちゃんが、いないのっ‼︎」
「…………行かせない」
別人のような冷たい声で、ティファは言う。
「行くなら━━なら、てめーも、死ねよ」
反射的に希喜子はティファの手を振り切る。
「みんな、死ねよ」
ウインドウのガラスが、音を立てて外側に砕け散った。
「うわぁっ⁉︎」
宙から、突然光る何かが降ってきた。
準太は腕で顔を庇った。斜め横から降ってきた何かが、コートの腕を掠める。ガラスだった。なにもなかった空間から、大量のガラス片が降ってきたのだ。
幸い立っていた場所がよく大したことはなかったが、直撃を食らっていたらと思うと血の気が引く。
コートの毛羽だった表面には、小さな破片が付着しているかもしれない。ガラスの固まり落ちたアスファルトのそばに寄る。
宙に不思議な窓みたいな空間が浮いていた。周りは普通の空き地なのに、そこだけ異様だった。
今吹き飛んだガラスの元になった何かなのだろうか。縁はいびつだな割れ残りみたいだ。そのすぐあちら側に、アンティークな置物などが並び、更にその先は、何か棚の並ぶ店内みたいで━━。
見つけた。長い黒髪。
「希喜子━━‼︎」
ためらわず、準太はそこに飛び込んだ。
店内を希喜子は逃げ回っていた。
すぐに外に飛び出したかったけど、ティファに邪魔された。狭い店内。所狭しと並ぶ棚。ティファはすぐ後ろを追ってくる。
「嫌あっ⁉︎」
振り返った拍子に、希喜子は、チェックのクロスのテーブルからドロップ瓶やカラフルなスティクを倒す。
左に曲がろうとして、落ちていたテディベアにつまずく。
「死ね死ね死ね」
毒のようなセリフを吐く金髪の少女の背後・頭上には、プレート、ティーセット、手鏡などが浮いている。それが殺意を込めて、希喜子に襲い来る。
「嫌ぁ⁉︎ 助けてぇ⁉︎」
希喜子は間一髪そこから離れ、走る。
後ろでプレートやらが割れる高い音。
「あ、開かない⁈」
店内奥、プライベートルームに続くドアのノブを無我夢中で回す。
だめだ。脱出口は、反対方向のドアとウィンドウしかない!!
ティファが近づく。
「嫌ぁ⁈ 来ないでえぇっ⁉︎」
希喜子は壁づたいに逃げようとする。
その先は行き止まりだけど━━。「
「逃がさない」
指を棚に向けるティファ。
「きゃああああああっ⁉︎」
倒れてきた棚が、希喜子の右足を挟んだ。棚の中身が散らばる。希喜子は動けなくなる。
「嫌あああああっ!⁉︎」
痛みと恐怖で失神しそうになる。
ティファは静かに近寄ると、希喜子のそばにしゃがむ。
「どうして……」
彼女は泣いていた。
「どうして、誰も、ティファの友だちになってくれないの……?
希喜子は、違うと思ったのに」
「ティファ」
呻くように、希喜子は呼んだ。
ティファは金の髪を左右に振って、叫ぶ。
「死んじゃえ‼︎」
「━━やめろよっ‼︎」
近づいてくるスニーカー。ダッフルコート。手に辺りに転がっていた金属製の杖。準太だ。
「じゅんちゃん……」
安心したように、希喜子は気を失った。
「やめろよっ! 化け物っ‼︎」
「化け物……?」
ティファは悲しそうに顔を歪める。
「違う。ティファは希喜子の友だち」
「そんな友だちがあるもんかっ!」
ティファは辺りを見回した。
荒れた店内。希喜子が倒れている。足は棚の下敷きに━━。
「ち、違う、ティファのせいじゃない」
目と、杖を握る手に力を込める準太。
「ち、違う……ティファは、ただ……」
涙を流しながら、彼女は激しく頭を振った。
「ただ……」
その姿が視と共に掻きえていく。
……気づくと、準太と希喜子は、草だらけの空き地にいた。
もう、あの店も、金髪の少女も、影も形もない。
ただ、アスファルトに残るガラスだけが、輝きを残している。
準太は倒れた希喜子に駆け寄った。
松葉杖をついた希喜子が、準太に付き添われて、空き地にやってくる。
「お店、失くなってる……」
呆然と、希喜子は呟いた。
準太は希喜子を気遣うような目で見ている。
「私たち、友だちだよねっ⁈」
草がただ、風に鳴っていた。
そこにあったはずのものに━━ティファに、希喜子は叫ぶ。
「また、遊べるよねぇっ⁈」
━━答えは、返ってこなかった。




