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無能な上司に手柄を奪われて辺境へ左遷されましたが、私がいないと国家機能が止まるって本当ですか? ――隣で微笑む辺境伯様に愛されているので、王都の滅亡はご自分たちで何とかしてください。

作者: 唯乃
掲載日:2026/02/16

「……よし、これで完成だわ」


 王都魔導省、薄暗い資料室の片隅。


 リーゼ・アストリッドは、山積みになった魔導羊皮紙を前に小さく息を吐いた。


 彼女が三年の月日を費やして開発した『汎用型・自動並列処理式』。

 これまで熟練の魔導師が十人がかりで一週間かけていた物資の流通管理や徴税計算を、たった一枚の魔導核コアで完結させる画期的な魔法体系だ。


「これがあれば、現場の皆も少しは楽になるはず……」


リーゼは微かに微笑んだ。


 彼女にとって魔法は、権威を示す道具ではなく、誰かの生活を支えるための「技術」だった。


 しかし、その静寂は乱暴に破られる。


「おい、リーゼ! 例の『自動化術式』はどこだ!」


 扉を蹴破らんばかりの勢いで入ってきたのは、上司のハンスだった。


 整えられた金髪に高価な法衣を纏っているが、その瞳には功名心への飢えが透けて見える。


「ハンス様。ちょうど今、最終調整が終わったところです。こちらが……」


「そうか、ご苦労! さあ、それをこっちへ寄こせ」


 ハンスはリーゼの手から引ったくるようにして、完成したばかりの術式原典を奪った。


「あ、あの、ハンス様? それはまだ、私が最終的な安全制御の同期を……」


「黙れ! これは今日、国王陛下も臨席される『魔導功労式典』で発表する。お前のような下級官吏がもたもたしている暇はないんだ」


 リーゼは呆然と立ち尽くした。


 式典への出席。それは開発者である彼女に与えられるはずの名誉だった。


「……それは、私の三年の成果です。せめて、共同開発者として名前を……」


「はあ? 何を言っている。お前はただの『清書係』だろう?」


 ハンスは鼻で笑い、冷酷な言葉を投げつけた。


「これは私、ハンス・フォン・グライムが心血を注いで開発した魔法だ。お前はただ、私の指示通りに文字を書いただけ。勘違いするなよ、アストリッド」


 数時間後。


 王都のメインホールでは、万雷の拍手が鳴り響いていた。


「素晴らしい! これぞ国家の至宝だ、ハンス卿!」


「恐悦至極に存じます、陛下。すべては我が国の繁栄のため……」


 壇上で、自慢げに胸を張るハンス。


 リーゼは、ホールの片隅、衛兵の影に隠れるようにしてその光景を見つめていた。


 自分の生み出した魔法が、自分の知らない「ハンスの功績」として世界に産声を上げている。


 胸の奥が、冷たく冷えていくのを感じた。


 ハンスが術式を「自分のもの」として発表してから一ヶ月。


 王都の魔導省では、リーゼの作ったシステムが本格稼働を始めていた。


「おい、アストリッド。このエラーログは何だ? 邪魔だ、消しておけ」


「ハンス様、それは過負荷を防ぐための警告表示です。無視すると数ヶ月後に整合性が……」


「黙れと言っただろう。私の完璧なシステムに、お前の臆病な注釈はいらん。これからは『自動化』の時代だ。お前のようなチマチマした手作業の魔導師は、もうこの省には居場所がないんだよ」


 ハンスは勝ち誇った顔で、リーゼが命を削って組み上げた安全装置を、いとも簡単に「無駄な処理」として削除していった。


 そして、その日の夕方。


 リーゼは人事局に呼び出された。差し出されたのは、一枚の書状。


「……辺境、ベリウス領への転属。……実質的な追放、ですね」


「察しがいいな。ハンス卿からの強い要望だ。『自分の術式が完璧すぎて、人員が余った。まずは無能な補助員から整理すべきだ』とな」


 人事官は同情のかけらもない声で告げる。


 ハンスはリーゼの功績を盗むだけでなく、彼女の存在そのものを王都から消し去り、自分の嘘が露見する芽を摘もうとしたのだ。


「……わかりました。お世話になりました」


 リーゼは、震える手で辞令を受け取った。


 自分の生み出した子供(術式)が、無知な男によって切り刻まれていく。


 それを見守ることしかできない無力感と、自分を使い捨てた組織への冷めた感情が、彼女の中で静かに、けれど決定的な拒絶へと変わった。





 王都から馬車に揺られること一週間。


 リーゼが辿り着いたのは、雪混じりの風が吹き荒れる北の最果て、ベリウス領だった。


「……ここが、私の新しい職場」


 目の前にそびえ立つ辺境伯の城は、質実剛健といえば聞こえはいいが、要塞のように無骨で冷たい。


 案内された執務室の扉を開けた瞬間、リーゼを襲ったのは、怒号のような紙のなだれだった。


「また計算が合わん! 食糧庫の在庫と、輸送隊の報告書が五%も乖離しているぞ!」


 机の向こうで、眉間に深い皺を刻んだ男が吠えていた。


 漆黒の髪に、戦場での傷跡が残る鋭い眼光。この地の主、カシアン・フォン・ベリウス辺境伯だ。


「……あの、本日付けで配属されました、リーゼ・アストリッドです」


「あ? 誰だ……ああ、王都から送られてきた『人員整理の余り物』か」


 カシアンは一瞥もくれず、手元の書類にペンを叩きつける。


「見ての通り、この地は戦時下に近い。魔物の襲撃で物流は乱れ、税の徴収も滞っている。計算のできん文官など、ここでは荷物でしかない。適当に隅で書類の整理でもしていろ」


 冷淡な歓迎。


 けれど、リーゼはカシアンの机の上に積み上がった「地獄のような帳簿」を見て、思わず絶句した。


(……これ、手計算でやってるの? 項目が多すぎて、人間の処理能力を超えてるわ)


 王都が最新の魔法で「自動化」に酔いしれている一方で、国を護る辺境は、あまりにも前時代的な事務作業に忙殺され、疲弊しきっていた。


「……失礼します」


 リーゼは指示通り、部屋の隅に置かれた「放置された未処理書類」の山に向かった。


 本来なら、絶望して泣き出すような状況だ。


 しかし、彼女の魔導師としての、そして技術者としての魂が、その「非効率」を許さなかった。


(……私の魔法は守れなかったけれど。ここなら……)


 リーゼはペンを執り、指先に小さな魔力光を灯す。


 王都に置いてきた「完成品」ではない。


 ここにある限られたリソースで、この混乱を鎮めるための、即席の最適化数式を組み始める。


 ガリガリと、静かな執務室にリーゼのペン走る音だけが響く。


 一時間、二時間。


 カシアンが「おい、まだ帰らんのか」と顔を上げたとき。


「……あの、閣下。そちらの三番の帳簿、輸送路のB地点で生じている欠損は、計算ミスではなく『二重計上』が原因です。この修正案通りにいけば、在庫は三十分以内に合致し、余剰分を東の村への支援に回せます」


 リーゼは、整理され尽くした一枚の紙をカシアンの前に置いた。


 カシアンの動きが、止まった。


「……貴様、今、何と言った?」


 カシアンは、差し出された一枚の紙をひったくるように手に取った。


 そこには、自分と三人の副官が三徹しても解けなかった「物流のねじれ」が、美しいほど簡潔な数式によって紐解かれていた。


「……信じられん。この短時間で、B地点の二重計上に気づいたというのか」


「はい。前任者の方の癖で、中継所の入庫と出庫が同じ魔法陣で記録されていました。条件式を一つ挟むだけで解決します」


 リーゼは淡々と、しかし確かな自信を持って答えた。


 カシアンの鋭い眼光が、リーゼを射抜く。


「……貴様、王都では何をしていた。これほどの精度で計算魔術を回せる者が、なぜ『人員削減の対象』などになる」


「……私は、ただの補助員でしたから。……上司のハンス様が開発した『自動化魔法』があれば、私のような者は不要だと判断されました」


 リーゼの声は、少しだけ震えていた。


 王都での仕打ちを思い出し、無意識に袖を握りしめる。


「ふん。ハンス……あの、口だけの男か」


 カシアンは鼻を鳴らし、立ち上がった。


 彼は大股でリーゼに歩み寄ると、彼女が整理していた机の上の「書き置き」を覗き込む。


 そこには、王都の魔導省でリーゼが命を削って組み上げた、あの『自動化術式』の断片が、思考の断片として記されていた。


 カシアンの表情が、驚愕に染まる。


「……待て。この術式の構成、どこかで見たことがある。今、王都が『国家の至宝』と持て囃している、あの自動管理システムの根幹に酷似しているな」


 リーゼは一瞬、息を止めた。


 認めてしまえば、また「手柄」を巡る争いに巻き込まれるかもしれない。


 けれど、カシアンの瞳には、ハンスのような濁った欲ではなく、純粋な驚きと、技術への敬意が宿っていた。


「……あれは、私が設計しました」


 沈黙が、重く執務室を支配する。


 外では猛烈な吹雪が窓を叩いているが、室内は奇妙なほど静かだった。


「……設計した、だと? ハンスではなく、お前が?」


「はい。基礎理論から安全制御まで、三年間かけて。……でも、発表の直前にすべて奪われ、私は『不要な人間』としてここに送られました」


 リーゼは視線を落とした。


「信じてもらえなくても構いません」と続けようとした、その時。


「―ならば、王都はつくづく愚かだな」


 カシアンの低い声が、リーゼの耳に届いた。


 顔を上げると、彼は呆れたように天を仰いでいた。


「これほどの財宝を、自ら手放し、あまつさえ敵地に近い辺境へ放り出すとは。……狂っているとしか思えん」


 カシアンは、リーゼの細い肩に大きな手を置いた。


 その手の温かさに、リーゼの目元が熱くなる。


「リーゼ。お前を『余り物』だと言った前言を撤回しよう。お前は、このベリウス領……いや、俺にとって、救いの女神だ」


「閣下……」


「安心しろ。ここでは誰も、お前の手柄を盗ませはしない。お前の言葉、お前の数式、そのすべてを俺が保証する。……ここで、お前の魔法を思う存分振るってみろ」


 カシアンの不器用だが真っ直ぐな言葉に、リーゼの心が、凍りついていた何かが、ゆっくりと溶け出していくのを感じた。


「……はい! 精一杯、務めさせていただきます!」


 リーゼが初めて見せた、ひだまりのような笑顔。


 それを見たカシアンが、柄にもなく耳を赤くして視線を逸らしたことに、リーゼはまだ気づいていなかった。


 リーゼが辺境へ去ってから三ヶ月。


 王都魔導省の執務室は、かつての静寂が嘘のような怒号と悲鳴に包まれていた。


「ハンス卿! また転送ミスだ! 北部の駐屯地へ送るはずの食糧が、南の避難所に届いているぞ!」


「馬鹿な! 私の組んだ完璧な自動計算式が間違えるはずがない!」


 ハンスは真っ赤な顔で、山のようなエラーログを叩きつけた。


 彼が「無駄な処理」として削除した安全制御―それは、リーゼが不測の事態に備えて組み込んだ、緻密な例外処理の数々だった。


 リーゼという「生きた調整弁」がいなくなったシステムは、わずかな入力ミスを増幅させ、今や国家の物流機能をマヒさせる巨大な怪物へと変貌していた。


「……ハンス様、大変です! 軍需物資の管理データが……消えました!」


「なんだと!?」


「無理な並列処理を繰り返したせいで、魔導核がオーバーヒートして……記録が、すべて消失しました!」


 ハンスの顔から、一気に血の気が引いた。


 軍への補給が止まれば、最前線が崩壊する。それは単なる失策では済まない。「国家反逆罪」にすら問われかねない大失態だ。


「く、組み直せ! すぐに復旧させるんだ!」


「無理です! 基礎数式が複雑すぎて、我々では構造すら理解できません!」


 部下たちの悲鳴が響く。


 ハンスが自分の手柄として発表した術式は、彼自身の手には負えない、あまりにも高度な「天才の産物」だったのだ。


 時を同じくして。


 王宮の最奥では、国王と調査官が険しい表情で対峙していた。


「……報告せよ。なぜこれほどの混乱が起きている」

「はっ。調査の結果、現在運用されている自動化魔法には致命的な欠陥があることが判明しました。いえ、正確には……『正しい運用ができる人間』が不在なのです」


 調査官は、埃を被った古い報告書を差し出した。


「この術式の真の設計者は、ハンス・フォン・グライムではありません。三ヶ月前に『無能』として辺境へ追放された、リーゼ・アストリッドという女性です」


「……何だと?」


 国王の目が険しく光る。


「ハンス卿は彼女の功績を奪い、挙句、彼女が組み込んだ安全装置を『効率化』と称して削除しました。現在の暴走は、その結果かと」


 沈黙が王宮を支配する。


 国王は、震える手でデスクを叩いた。


「……今すぐだ。今すぐ、その娘を王都へ連れ戻せ!」


「しかし陛下、彼女は現在、ベリウス辺境伯のもとに……」


「構わん! 騎士団を出してでも連れ戻せ! 彼女がいなければ、この国は冬を越せん!」


 その頃、ベリウス領。


 王都の阿鼻叫喚など露知らず、リーゼはカシアンの隣で、穏やかに微笑んでいた。


「閣下、今月の徴税計算、すべて終わりました。余剰資金で、北の村に新しい防壁を建てられそうです」


「……お前が来てから、この領地の運営速度は十倍になったな。リーゼ、お前は本当に……」


 カシアンが、愛おしそうにリーゼの髪に触れようとした、その時。


「―ベリウス辺境伯! 王命である! リーゼ・アストリッドを直ちに引き渡せ!」


 執務室の扉が乱暴に開かれ、王都からの使者が雪崩れ込んできた。


 カシアンの瞳が、一瞬で戦鬼のような鋭さを取り戻す。


「……王命だと? 俺の領民に、何の用だ」


 冷たい風が、開いた扉から吹き込んできた。


「リーゼ・アストリッド! すぐに王都へ戻るのだ。お前が作ったシステムが暴走し、軍需物資の供給が止まっている。陛下が直々にお呼びだ。今すぐ、この辺境を去る準備をしろ!」


 あまりにも傲慢な物言い。


 リーゼは一歩、後ずさった。


 あんなに尽くして、最後には「ゴミ」のように捨てられた場所。


 そこへ、自分たちの不手際を片付けさせるために戻れというのか。


「……お断りします」


 絞り出すような声だったが、リーゼの言葉ははっきりしていた。


「なんだと!? 国家の危機なのだぞ! お前のような下級官吏に拒否権など―」


「―貴様、誰の許可を得て俺の城で吠えている」


 地を這うような低音が、使者の言葉を叩き潰した。


 カシアンが、リーゼの前に立ちはだかるように一歩踏み出す。


 その体から放たれる圧倒的な威圧感に、使者の顔が引きつった。


「ベ、ベリウス辺境伯……! これは陛下の直命で……!」


「陛下だと? 冗談ではない。一国を支える術式を、無能な男に明け渡し、挙句の果てに功労者を辺境へ追放した。そのツケを、今さら彼女に払わせようというのか」


 カシアンは、腰の剣の柄に手をかけた。


 抜剣はしていない。だが、その指先の動き一つで、使者の首が飛ぶことを誰もが確信した。


「彼女は今、我が領の行政顧問だ。……王都の尻拭いをするために貸し出せるほど、暇ではない」


「狂ったか辺境伯! 反逆と取られても―」


「構わん」


 カシアンは断言した。


 そして、彼はふっと肩の力を抜き、背後のリーゼを振り返った。


 その瞳は、先程までの獰猛な獣のそれではなく、一人の女性を慈しむ男のものだった。


「リーゼ。……選ぶのは君だ」


 カシアンの声は、驚くほど穏やかだった。


「王都へ戻れば、名誉も地位も、陛下からの謝罪も手に入るだろう。例の上司も、君が望めば処刑台へ送ることもできるはずだ。……君は、どうしたい?」


 強制はしない。


 カシアンは、リーゼを自分の所有物ではなく、一人の「意思ある魔導師」として扱った。


 武骨で、不器用で、けれど誰よりも自分を正当に評価し、守ってくれた人。


 リーゼの心は、最初から決まっていた。


「……使者の方。王都へ戻って、陛下にこうお伝えください」


 リーゼはカシアンの隣に並び、使者の目を真っ直ぐに見据えた。


「『自動化魔法』の設計図は、すべて上司であるハンス様に渡してあります。それを扱えないのは、王都の魔導師たちの怠慢です。……私はもう、自分の価値を認めない場所のために、一文字も綴るつもりはありません」


「ば、馬鹿な……!」


「私は、ここで生きます。私の言葉が届き、私の技術が必要とされている、この場所で」


 リーゼの決然とした宣言に、使者は言葉を失い、逃げるように部屋を飛び出していった。



 王都からの使者が去ったあと、執務室には静寂が訪れた。


 窓の外では、あれほど荒れ狂っていた吹雪が止み、雲の切れ間から月光が差し込んで、雪原を銀色に照らしている。


「……本当によかったのか、リーゼ」


 カシアンが、絞り出すような声で言った。


 彼は窓の外を見つめたまま、リーゼの方を見ようとしない。


「王都へ戻れば、君は『奇跡の魔導師』として歴史に名を残しただろう。俺のような男の側にいても、君が得られるのは凍てつく土地と、終わりのない仕事だけだ」


 その背中が、どこか寂しげに見えて、リーゼは思わず一歩踏み出した。


「いいえ。王都にいた頃、私の仕事は誰かの手柄を立てるための『部品』でしかありませんでした。でも、ここでは違います。私の計算一つで村が救われ、私の提案一つで誰かが笑顔になる。ここでは、私の仕事は私自身のものなんです」


 リーゼはカシアンの袖をそっと引いた。


 彼がゆっくりと振り返る。その瞳に、月光を反射したリーゼの強い眼差しが映った。


「それに……私を『救いの女神』だと言ってくださったのは、カシアン様だけです。私は、私を必要としてくれる人のために、この力を使いたい」


 カシアンの喉が、くくりと動いた。


 彼はしばらく黙っていたが、やがて観念したように短く息を吐くと、リーゼの両手を大きな手で包み込んだ。


「……ならば、正式に命じさせてくれ。リーゼ・アストリッド、我がベリウス領の行政顧問になれ」


 一拍置いて、彼は彼女の手をさらに強く握りしめ、顔を近づけた。

「―いや、顧問という肩書きだけでは足りない。俺の隣で、この領地の未来を共に作ってほしい。……一生、俺の側にいてくれないか」


 それは、不器用な彼にできる精一杯の、そして熱烈な求婚だった。


 リーゼの顔が、一気に熱くなる。


 王都での冷遇も、孤独だった三年間も、すべてはこの瞬間のためにあったのだと思えるほど、彼女の胸は幸福感で満たされた。


「……はい。喜んで、閣下」


「……カシアン、と呼べと言ったはずだが?」


「あ……はい、カシアン様」


 微笑み合う二人の影が、月明かりの下で重なった。





 一方、その頃の王都。


「そんな……嘘だ! 私を誰だと思っている! 私は国家の英雄だぞ!」


 ハンス・フォン・グライムの悲鳴が、冷たい地下牢に響き渡っていた。


 リーゼからの拒絶を受けた国王は激怒。

 度重なる物流事故の責任と、他人の功績を盗用した詐欺罪、さらには国家機能を麻痺させた反逆罪により、ハンスは爵位を剥奪され、終身刑に処されることが決まった。


 彼が「無駄だ」と削除した安全装置の修復は、王都の魔導師総出でも数年はかかると言われている。

 かつての栄光は砂のように崩れ去り、ハンスに残されたのは、真っ暗な独房と、自分が捨てた「本物の天才」への後悔だけだった。





 数ヶ月後。


 春を迎えたベリウス領には、緑の芽吹きと共に、魔法で自動化された効率的な物流網が完成しつつあった。


「カシアン様、見てください! 街道の整備計画、予定より早く進みそうです!」


「ああ。だが、あまり根を詰めるなよ、リーゼ。……今日は、結婚式の打ち合わせの日だろう?」


「あ……! すっかり忘れて計算に熱中してしまいました」


 慌てるリーゼを、カシアンが愛おしげに抱き寄せる。


 かつて「不要な人間」として追放された少女は今、世界で一番自分を必要としてくれる人の腕の中で、誰よりも輝く笑顔を見せていた。



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