31話(食い違う心)
殿下に銀製のトレーに敷く滑り止め用のゴムシートを頼まれたので、こちらの国での現在のアラビアゴム以外のゴムについて色々と調べてみた。思わず『あー、スマホがあればすぐに分かるのに』と思いながら、手には専門書を開いている。
しかし、まだこの時代ではゴムは高価なもので、ましてや薄く伸ばすのには技術も必要だった。もっとも王宮で使うだけなら高価でも問題はないが、わたくしはできることなら、一般の人々が利用する飲食店でも使えたらと思っていたので、もう少し安価にならないかと頭を巡らせた。
そして、前の世界にいた際、植物に興味があり調べていた時に、先日のアラビアゴム同様、彼の国の湿地帯を有する土地で生息していたゴムの木のことも調べていた。
確かこの時代は、世界の天然ゴムのほとんどは彼の国の湿地帯から供給されていたはずだ。しかし、彼の国の政府は国外への苗木の持ち出しを厳しく制限していたため、供給量が限られていた。にもかかわらず需要が急増したため、天然ゴムの価格は高騰し、(白い黄金)と呼ばれるほどの貴重な資源となっていた。それが安価になるのは今から十年ほど先の話だ。
確か高騰した状況を打開するため、外国人が彼の国からゴムの木の種子を持ち出し、自国の植民地である別の国で大規模なプランテーション栽培を開始した。そして1910年代に入ると、そのプランテーションが成熟し始め、天然ゴムの供給量が飛躍的に増加し、その結果、ゴムの価格は急落し、一般の製品にも広く利用されるようになった。要するに、今はまだ王宮や貴族向けにしか販売はできないということだ。
「仕方ない、今回は殿下のためだけの商品としよう」
そう思い、カンパニーの人に相談してゴムシートを手に入れてもらった。
手に入ったゴムシートはかなり良質な物だったが、値段もかなり張る。だからどの程度必要か、具体的な数を殿下に確かめなければならないので、わたくしは王宮へと先触れを出した。
そしてそれからすぐに、王宮へ来るようにと書かれた手紙が殿下から届いた。わたくしはすぐに侯爵邸の馬車で王宮へと向かい、殿下に謁見した。
わたくしは薄く伸ばしたゴムシートを貼り付けた銀製のトレーを持参して殿下にお見せした。すると殿下は
「これはすごい。弾力性があり、載せた物が滑り難い」
と仰った。わたくしは
「そうなのです。以前のアラビアゴムとは違い、こちらのゴムには弾力性があるのです」
と申し上げた。それから
「言い難いのですが」
と金額の提示をすると、意外とあっさり
「では多めに頼む」
と言われ、思っていた以上の数を注文された。思わずわたくしは
「さすがは王宮」
と呟いていた。
殿下が言うには、高級な食器を誤って割ってしまうことを考えたら安いぐらいだと仰った。
なるほど、確かにその通りだと思った。
それからわたくしは、これだけまとまった数を注文してくださるなら、それなりの利益にもなると思い、これからのことを考えていた。すると殿下は急に話を変えられて
「今日はこれから食事でも一緒にどうだ?」
と仰った。もちろん断るという選択肢はなさそうなので
「ありがとうございます」
と言ってお受けした。
しばらくすると侍従の方が呼びに来て、わたくしたちは食事の用意がされた部屋へと赴いた。
殿下は
「遠慮などせずどんどん食べるといい」
と言いながら、わたくしの過去を色々と聞いてくるが、未来の世界から来たわたくしに、ステーシアの過去など知る由もない。せいぜいステーシアの幼い頃から侍女をしていたアンからの情報くらいしか知らない。しかし、わたくしにはいざという時のための奥の手がある。それは、継母の虐待に遭い、記憶を無くしてしまったということだ。だからわたくしは殿下に
「生憎、何も思い出せませんの」
と言ってみる。すると殿下は
「あの家族、王宮の出入りを禁止にしただけでは許せんな!」
と怒り心頭だった。
思わずわたくしは心の中で『やはりいざとなったらこれよね』と安堵した。
さすがに殿下もそれ以上聞いても無駄だと理解したのか、その後はわたくしの過去の話は聞いてこなかった。
そこでわたくしは話を元のゴムシートの話に戻して
「殿下、次回の舞踏会までに間に合わせますので、是非その際に給仕の方々に使ってもらえませんか」
とお願いをした。すると殿下は
「もちろん、入り次第すぐに使わせてもらうつもりだが」
と言っていただいた。そして
「君は仕事の話しか興味はないようだな」
と言われたので
「そういうわけではありませんが、本日は仕事の話で参りましたので」
と返した。すると何故か呆れたように
「確かに君の言う通りだが、食事の時くらい他に話はないのか?」
と仰ったので
「例えば、どんなお話でしょうか?」
と尋ねると
「例えばだな、そのー……何でもない」
と何故か怒っていらっしゃる。わたくしは『どうして怒っていらっしゃるのかしら?』と不思議に思っていた。そして、ちょうど食事も終わったところなので
「では、わたくしはそろそろお暇いたします」
と言って席を立つと
「何? もう帰るのか?」
と言うので
「はい、お食事も終わりましたので」
と答えると何故か呆れたように
「では、馬車のところまで送って行こう」
と言われ、ついてこられた。そしていつものように
「ではまた会おう」
と仰った。わたくしは
「本日はご馳走様でした」
と言って王宮を後にした。
『何故かしら、少し怒っていらっしゃる?』と感じたが今更なのでそのまま帰路に着いた。
彼女が去ってから『私は何にこんな腹を立てているのだ?』と考えていた。
それは彼女が私に全く興味を示さないからだと悟った。そうだ、彼女の方から私のことを聞かれたことなど一度もなかった。これではこの先も何の進展も見込めそうもない。これを打開するにはどうしたら良いものか? これほど女性のことで頭を悩ませたことなどなかったなと、今更ながら過去の自分を悔いていた。
以前の私は、いつも適当に女性をあしらってきた。なのに今は適当にあしらわれているみたいだな。
今まであしらわれた女性は、やはりこんな気持ちだったのかと溜息が出た。こんなにも手強い女性をどうすれば振り向かせることができるのか、考えても全く思いつかない。とりあえず、少しでも会う機会を持つことしか今は思いつかなかった。




