のほほん令嬢と不器用令息は今日もお喋りを楽しむ
クレアは王都に商会を構えるハーモニー伯爵家の娘だ。家族は皆、薄茶色に緑色の垂れ目をした優し気な顔をしていて「リスみたい」とよく言われる。仲の良い両親は婚約者は15歳で入学する学園でゆっくり探せばいいと言ってくれているためクレアはのほほんと過ごしていた。
そして、いざ入学した時。人気者で最優良物件と名高いサイラス・ウィン子爵令息に一目で恋をしてしまった。
サイラスは金髪碧眼の王子様めいた青年だ。性格も穏やかで女子生徒たちにも優しいことからクラスメイトだけでなく上級生もとりこにしている。
クレアもまた勇気を振り絞ってサイラスに声をかけようとするも緊張してしまい、結局いつも彼の周りを取り囲んでいるファンたちの輪の外から顔を見るのが精いっぱいで。
そんなある日、失敗続きに落ちこんだクレアは人気のない裏庭に行った。
裏庭には勤勉な庭師たちが手入れをしている花々が咲き誇り青空が広がっている。のどかで美しい景色を見ているとだんだんと普通に声もかけられない自分が嫌になってくる。
「はあ~、何で私ってこんなにダメなんだろう……」
「ダメとか言っているからだろ」
一瞬花が返事をしたのかと思ってクレアがぎょっとするとベンチで寝そべっていた男子生徒がむくりと起き上がった。絹のような銀色の髪にぴょこりと寝癖をつけた少年はその美しい顔をしかめてクレアをにらみつけた。
「のこのこやって来たかと思えばうるさい奴だな。何のためにもならない反省会なら他でやれ」
少年の「何のためにもならない」という言葉が胸にぐさりと刺さって。クレアの目の奥がじんと熱くなる。
「う、うう……。何のためにもならないって。わ、私なんて、ダメなんだーーっ!!」
「なっ。す、すまん。言いすぎたっ! お、落ちつけご令嬢!」
「ご令嬢じゃないです! クレア・ハーモニーですっ!! いくら地味で気づいてもらえないからって、私だってちゃんと名前があるんですよっ、わああんっ!!」
その後、意外にも少年は今までの鬱憤が溢れだしたクレアの長い泣き言をただただ聞いてくれた。そしてようやくクレアが落ちつくとベンチに置いてあったバスケットからレモネードを出して渡してくれた。
長時間日向に置いてあるにも関わらずレモネードは冷えていて乾いた喉が潤っていく。不思議に思うと少年はぶっきらぼうに答えた。
「魔道具だよ。魔石が入っていて温度を調整しているんだ」
「魔道具? こんなに小さい物があるんですか?」
「ああ。魔道具作りのアーキス家にしてはおもちゃみたいな物だけれどな」
自嘲するように肩をすくめた少年にクレアは目を丸くした。
隣国は魔獣からとれる魔石を使った魔道具技術が発展している。中でもアーキス伯爵家の技術はずば抜けていて。去年、若き天才クロード・アーキス伯爵令息が設計した隣国とこの国を結ぶ鉄道は絶賛され、クレアの両親を含めて大勢の人が見に行ったぐらいだ。
まさかの希少な魔道具に出会えたことに興奮したクレアはバスケットを様々な角度から見回した。
「こんなに小さい箱に魔石と回路を組み込んで、長い時間一定の効果が持続するようにしているなんて。さすがはアーキス伯爵家の魔道具ですね! はあ、デザインも凝っている。すごいなあ」
「……魔道具が好きなのか?」
「好きと言えるほど詳しくないですが、見るのは好きです。家が商会を営んでいるので、時々お目にかかれる機会があるんです」
少年はふぅんと呟いてサファイアのように鮮やかな青い瞳でクレアを物珍しそうに見つめた。そして、良いことを思いついたようににやりと笑った。
「よし、気に入った。クレア・ハーモニーといったな。僕はレオネル・アーキスだ。ここで会ったのも何かの縁だ。暇つぶしにその、サイラス・ウィンに話しかけたい? お悩み解決に付き合ってやるよ」
「へ? アーキス伯爵家のレオネル様? えええええっ!?」
「ふっ、安心しろ。この僕が関わるからには最後まで付き合ってやってやるさ」
見た目だけは天使のように愛らしく笑うレオネルに今さらながらクレアはとんでもない人に捕まってしまったと後悔した。
―――
レオネルはアーキス伯爵家の次男で見聞を広めるために留学してきているらしい。そういえば、かなり前に同学年に有名人がいると噂になっていなあとクレアが現実逃避していると、後ろからレオネルの叱責が飛んでくる。
「ペースが落ちているぞ! もっと早く!」
「ひいぃぃ、もう無理っ!」
「喋れるなら大丈夫だ!」
クレアは半べそをかきながら走った。そんなクレアを楽しそうにレオネルが追い立てる。
あの後、改めてクレアの悩みの「サイラスが気になる。でも声をかけられなくて落ち込んでいる」を聞いたレオネルはうさんくさい笑みを浮かべた。
「安心しろ。クレアに足りないのは自信と筋肉だ。それぐらいならすぐに身につけられるさ」
「自身はともかく、筋肉?」
「そうだ、筋肉だ。その人壁をかいくぐって近づく瞬発力、大勢の雑音を跳ね返す声量。そして、何よりも伝えたい言葉を伝えるだけの肺活量。全てにおいて筋肉がものを言う。というわけで、僕ができるまで一緒に付き合ってやる」
分厚い猫の皮を被ったレオネルはその良く回る舌でクレアの両親の信頼を勝ち取った。そして、放課後にレオネルが滞在しているアーキス家の別荘でクレアの筋力トレーニングを行うことになった。
完璧主義者のレオネルはマナー教師よりも厳しく。終わる頃にはいつもバテバテだ。今日もぐったりと椅子に寄りかかっていると、うっすら汗をかいただけで涼しい顔をしたレオネルが魔道具”ボックス”から削った氷が入ったグラスを渡してくれる。
「よし。何だかんだで順調にメニューをこなしているじゃないか。その調子でがんばれ」
「ありがとう……あ、これ凍った桃だっ。おいしいっ、生き返る~」
「そうだろう。これはスムージーという凍った氷を細かく削った飲み物だ。僕の好物だ」
レオネルは厳しいが頑張った分だけ褒めてくれる。それにこうしてご褒美をくれるのでクレアは少しだけこの時間が楽しくなってきた。得意げなレオネルに礼を言いつつ大事に飲む。
「冷たくておいしい~っ。このボックスは本当に良くできているね。レオネル君が作ったの?」
「ああ、兄上に手伝ってもらいながらな。……いつもたくさんの使用人たちがいる貴族たちには必要ないだろうが。僕みたいに1人であちこち出かける奴にはかかせない、大事な相棒だ」
刺々しい言葉とは裏腹にレオネルはボックスを優しく撫でる。クレアは羨ましくなった。
「いいなあ。ボックスがあればいつでもきれいなお水が飲めるし、気分転換にジュースや紅茶も持っていけるし。ボックスみたいな魔道具があれば長旅も快適に過ごせるのに。ね、ボックスって温かい物も入れられるの?」
「やってみたことはないけれど。魔石を変えて中のコーティングをいじればできると思う」
「わあ、すごい。魔石のメンテナンスはどうやっているの? 1回でどれぐらい持つの?」
「それは僕が取り外して交換している。1回はそうだな……」
長期休暇には商用で両親に連れまわされるクレアにとってはボックスはまさに快適な環境を提供してくれる夢のような魔道具だ。クレアが熱心に尋ねるとレオネルは戸惑ったような顔をしつつも丁寧に答える。と、それを見ていた執事がすっと口を挟んできた。
「さすがはクレア様は大変お目が高いですな。実は坊ちゃんはこのような素晴らしい魔道具を作ってはいるのですが。あいにくと作り終えたとたんにすべて奥深くにしまいこんでしまいまして。大変もったいないことです」
「えええ!? もったいないっ。レオネル君が作った魔道具ならお父様が喜んで見に来るよ!」
「それはうれしいお言葉ですな。どうでしょう。クレア様は魔道具に興味がお有りのようですし。本日のトレーニングの報酬として坊ちゃんの作品をご覧になっていかれてはいかがでしょう?」
「セルヴィ! 余計な事言うな!」
魔道具が好きなクレアの父はボックスの話を聞いてからずっとレオネルとその魔道具を気にしている。他にもあると聞いたらすっ飛んでくるだろう。
にこやかな笑みを浮かべる執事と期待をこめて見つめるクレアにレオネルは顔を真っ赤にして口を引き結んでいたが。やがて2人の圧に負けてがっくりとうなだれた。
「……わかったよ。でも、本当に趣味で作った物だし大した物じゃないからな」
「そんなことないよ。レオネル君は細かいところまで考えて自分が納得がいくまで作りこむもの。レオネル君にとっては当たり前でも、私やお父様から見たらすごい物ばかりだよ」
浮かれたクレアが軽口を叩くといつも自信満々なレオネルは面食らったような顔をした。その珍しい表情にクレアがきょとんとすると執事が「坊ちゃんは良いご友人に恵まれましたな」と笑った。
レオネルが作った魔道具はボックスのような日常生活に役立つ小型魔道具から魔石の動力で動く小さな人形のようなユニークなものまで様々な種類があった。
クレアにとってはそのどれもが新鮮で面白くて。家に行くたびに魔道具を見せてもらった。レオネルは最初は渋っていたがクレアの熱意を知ると魔道具作りを教えてくれるようになり。2人であんな魔道具があったらいいなと語り合って、時々レオネルが試しに作ってくれるようになった。
レオネルと一緒にとりとめもなくお喋りをするのは楽しく。気がつくとサイラスに話しかけるためのトレーニングよりも2人での魔道具作りに夢中になっていった。
そんなある日。クレアがレオネルに作ってもらった自動でインクが出てくるペンのなめらかな書き心地を楽しんでいると声をかけられた。
「珍しいペンを使っているんだね。ハーモニー商会の新作?」
「あ、いえ。これは友人にもらった物です」
顔を上げるとサイラスが甘く微笑んでいた。まさか彼が話したこともない自分を知っているとは思わなかった。
「そうなんだ。それ、とても良い物だね」
「は、はいっ。ありがとうございます」
慌てるクレアにサイラスはふわりと笑って離れていった。その甘さにしばらく胸がどきどきしっぱなしだった。
昼休みに裏庭にいたレオネルに話すと満足げにうなずいた。
「良かったじゃないか。あっちがクレアの顔を知っているのは助かる」
「うん、ありがとう。でも、何を話せばいいかな……」
「無理に話しかけなくても徐々に周りに混ざっていけばいい。クレアはそういうの苦手だし」
「うっ、わかりました……」
確かに憧れのサイラスを前にしたら喜びのあまりしどろもどろになりそうだ。素直にうなずくとレオネルは呆れたような顔をしつつも励ますように言った。
「そんなに意気込まなくても、いつも通りで大丈夫だ。それにこうして僕と話せるんだから、サイラス・ウィンだって似たようなものだ。大丈夫だ、やれる」
「そうだね。レオネル君はいつも理性的に話しているけれど、夢中になっている時は思考があちこちに飛んでいて、でもきちんと通じるもんね。やっぱりレオネル君はいろんな視点を持っていてすごいよ」
「それはケンカを売っていると解釈していいんだな?」
褒めたつもりなのに目が笑っていない笑みを浮かべたレオネルに締め上げられて。クレアは浮かれてつい口を滑らせないように気をつけようと決めた。
それからはサイラスの方から話しかけてくるようになり、クレアは徐々にサイラスとその友人たちに囲まれるようになった。流行に詳しい彼らはアーキス伯爵家の魔道具のことも知っていて、話題に上がった。
「そういえばアーキス家の弟が留学してきているんだよな。あいつ、すっごい変わり者でさ。クロード・アーキスのことは一切答えようとしないらしいぜ」
「ああ。あのいつも変な箱を持ち歩いている奴だろ? あんなおもちゃみたいなの何に使うんだろうな」
レオネルとボックスを変呼ばわりされてクレアはむっとした。しかし、どう反論していいかわからずにもやもやしているとサイラスが笑って口を挟んだ。
「そんなことないさ。彼はアーキス家の代表としてこの国に来ているんだ。クレア嬢もそのつもりで彼と会っているんだろう?」
「え?」
「あはは、そんな隠さなくても大丈夫だよ。君もハーモニー商会のためにアーキス家と繋がりを持ちたいんだろう? 最近いろんな魔道具を持ち歩いているし」
「そうなんだ。ハーモニー商会は魔道具を取り扱っているものね」
すっかりレオネルが作った魔道具のファンになったクレアは彼に頼んで魔道具を貸してもらっている。一部は学校で使っているが、まさかサイラスがそれに気づいていたとは思わなかった。
サイラスを含めた皆に好奇と期待のまなざしを向けられてクレアは居心地が悪くなった。
「いえ、そんなことはありません。私はただレ……アーキス伯爵令息様と友人として交流しているだけで……」
「へええ、あの気難しいレオネル・アーキスに気に入られるなんてすごいな。今度紹介してくれない?」
「私もあの大天才クロード・アーキスが作った鉄道の話を聞いてみたいわ」
「僕もあのアーキス家の魔道具を見ることができたらうれしいな」
クレアの失言に目を爛々と輝かせたサイラスたちに「レオネルを紹介してほしい」と詰め寄られて。その場は何とかごまかして逃げたがすっかり疲れてしまった。
「レオネル君に知らせないと……」
おそらくサイラスたちはレオネルとアーキス伯爵家との繋がりが欲しくてクレアに話しかけてきたのだろう。そんなことにも気づかずにただ憧れの人に話しかけられて浮かれていた自分が嫌になる。
とにかくレオネルに迷惑をかけたことを謝って事情を伝えなければいけない。
昼休みになると、クレアは何か言いたげにこちらを見つめるサイラスたちを置いて裏庭に急いだ。先に来ていたレオネルは息が上がったクレアを見て目を丸くする。
「どうしたんだ? ほら、とりあえずそこに座って、これ飲んで」
「あ、ありがとう……」
すっかりバテたクレアにレオネルはボックスからアイスティーを出してくれた。アールグレイの爽やかな香りが喉と熱を冷ましていく。
一息ついたクレアが「サイラスたちがレオネルと会いたがっている」と伝えると、意外にもレオネルはあっさりうなずいた。
「アーキス家に興味を持ってもらえて何よりだな。わかった、後で話をしておく」
レオネルは慣れた様子だが。クレアはアーキス家や天才といわれる兄クロードと繋がりを持つためにレオネルが利用されることに嫌な感じがした。
「待って。その、やっぱりレオネル君が会うことはないよ。私がうまく言っておく」
「気にしないでくれ。うまく家の魔道具を売り込めれば良い小遣い稼ぎになるからな。むしろ、紹介してくれて助かったよ。ありがとう」
ふてぶてしく笑うレオネルにクレアはもやもやした。
レオネルの作る魔道具はどれもクレアのお気に入りだ。でも、噂好きなサイラスたちが求めているのは誰もが素晴らしいと賞賛するアーキス家の天才が作った魔道具で。もしレオネルが真剣に作った魔道具がアーキス家の天才が作った魔道具と比べられて軽く見られたらと考えただけで猛烈に嫌な気分になる。
そんなクレアに気づいたようにレオネルは優しく笑った。
「そんなに心配するなって。僕は生まれながらのアーキス一族だぞ? アーキス家に求められている物はわかっている。……それに僕が作った魔道具をアピールするチャンスだからな。頑張ってくるよ」
アピールするチャンス、と。思いがけない言葉にクレアが目を丸くするとレオネルはもごもごと言った。
「あ~、あれだ。セルヴィスに言われたんだ。魔道具は人が使うことで真価を発揮するんだって。それに、僕もただ手元に置いておくよりも、クレアやハーモニー伯爵みたいに気に入った人が使ってくれる方がうれしいし、勉強になる。だから、自分でもそういう人を探してみようかと思っていたんだ」
1つ1つ大事に作っているレオネルらしい愛情と研究熱心な言葉にクレアは自分の思い違いを恥じた。
レオネルが作る魔道具はどれもクレアにとってはとても便利で素晴らしい物だ。でも、人によって見方はいろいろだ。製作者のレオネルにとっては様々な意見を聞くこともまた成長の糧になるのだろう。
「そうだね。レオネル君が作った魔道具がたくさんの人たちに見てもらえるように、私もサイラス様たちに宣伝しておくね」
「ああ、助かるよ。よろしく頼む」
レオネルは素直にうなずいた。クレアはレオネルのために頑張ろうと張り切って教室に戻った。
その後、サイラスたちはレオネルと会って話をした。残念ながら彼らはレオネルには興味がないようだが。代わりにそれを見た生徒たちがレオネルに話しかけるようになった。
それまではほぼ1人で過ごしていたというレオネルは「僕の憩いの時間がなくなった」とぼやいていたが。それでも友人たちと過ごし、時にはクレアと一緒に家に招いて魔道具作りを教えてくれた。
レオネルは帰国する日まで忙しそうに過ごしていて。クレアはなぜか執事のセルヴィスに礼を言われて戸惑った。
ホームに入るともう列車が停まっていた。人混みの中でレオネルを探しているとひょっこりと現れ彼が乗る客室に一番近い階段に案内される。
「思っていたよりもすごい人だね」
「何百人を乗せて一気に運ぶものだからな。僕も最初に見た時は度肝を抜かれた」
喋っている最中に列車が返事をするように笛を鳴らしその大きな音に思わず2人で肩をすくめて笑い合う。そしてレオネルは抱えていたボックスをクレアに差し出した。
「クレア、世話になったな。お礼といっては何だけど、改良型ボックスだ。良かったら使ってくれ」
「改良型ボックス?」
「ああ。魔石の取り換えを楽にしておいた。これなら温冷どっちも使えるし、何かあったらアーキス家に連絡してくれれば対処してくれる」
その言葉にレオネルが本当に帰ってしまうのだと実感して胸がつきりと痛む。レオネルはにやりと笑った。
「そんな顔するな。この国ではいろんなことを学ばせてもらったし、良い知り合いもできたからな。今度は仕事で来てついでに魔道具をどっさり持って来るよ。だから、今度会うまで修行をしておくんだぞ」
「うん、ちゃんとレオネル君の言いつけを守るよ。……だから、時々手紙を送ってもいい?」
毎日会っていたレオネルと会えなくなるのは寂しくて。クレアが落ち込んでいると見かねたのか執事がこっそりとアーキス伯爵家の住所を教えて手紙を出すように言い「私が必ず坊ちゃんに渡します」と力強く請け負ってくれた。
クレアの言葉にレオネルはなぜか顔を赤らめて執事が乗っている客室の窓をちらりとにらみつけた。そして、クレアに小さくうなずいた。
「ああ、もちろんだ。ただ、その。僕は文章を書くのが苦手なんだ。だからあまり面白いものはないと思うが。それでも良ければ書くよ」
「うん、ありがとう!! 私も手紙は苦手だけれど、1週間に1度は書いて送るね」
「いや、多いだろ。せめて2週間に1度とかにしてくれ……」
レオネルが嫌そうな顔をするとちょうど発車のベルが鳴った。執事に呼ばれてレオネルも列車に乗り窓から顔を出した。
列車が走りだすとレオネルのやわらかい銀の髪がふわりと広がる。クレアがボックスをメイドに預けて小走りで追いかけるとレオネルがふっと悪戯っぽく笑った。
「最初の手紙は僕が書いてボックスに入れたっ。良い返事を待っているからな!」
「ええっ!? ちょっと待って何を書いたの!?」
クレアの驚く顔を見たレオネルは楽しそうに笑った。列車はスピードを上げて彼の笑い声を乗せて走り去っていった。
「レオネル君の意地悪!! すぐに読んで手紙を送るからねっ!」
残されたクレアは線路の彼方に去って行ってしまったレオネルに手を振ると彼の手紙を読みに戻った。
―――
「坊ちゃん。せっかく会いに来てくれたのですから、一言言えば良かったじゃないですか。こういうのは不器用であっても直接言われた方がうれしいものですよ」
「嫌だ」
赤ん坊の時から面倒を見てくれている執事のセルヴィスは呆れたような顔をしたが、レオネルは窓の外を見つめて顔の熱を冷ました。
正直、手紙の返事が来るのも怖いが。あんなに大勢の人の前で恩人のクレアにうまく礼を言う自信がなかった。
レオネルはアーキス伯爵家の次男だ。5歳齢上の兄クロードはレオネルが物心つく頃には魔道具作りの大天才と呼ばれていて、レオネルも兄たちに教わってアーキス家の一員として恥じない魔道具製作の腕を磨いてきた。
しかし、齢を重ねることに兄が脚光を浴びるようになると自分も比較されるようになっていった。
兄のことは尊敬しているし職人たちと一緒になって魔道具を作るのが好きだが。周りからいつも兄と比べられて”劣る”と言われるのには傷ついた。そして、気に入って作ったボックスをおもちゃ呼ばわりされたショックで何もかもが嫌になって魔道具作りをやめた。
見かねた両親と兄に薦められてセルヴィスとボックスをお供にして隣国に留学するも、周りは人が変わっただけで家と兄の名声はどこまでも付きまとってきた。
どこに行っても同じなのだと裏庭でふて寝をしているとふいに少女が「自分はダメなのだ」と嘆く声が聞こえてきた。それがただすねて逃げている自分を責めているように感じて、ついかっとなって怒ると少女――クレアはショックのあまり大泣きした。
やつあたりした謝罪にボックスからレモネードを出すとクレアは目をキラキラと輝かせてボックスを見つめた。その熱意と罪悪感に押されて彼女の恋のお悩み(?)に付き合うことにした。
クレアは一見ぼんやりしているが見る目が面白い。レオネルが作る魔道具を気に入ったと喜びつつも鋭い質問を投げかけて来る。中には自分では思いつかない点もあって大いに参考になった。
それを見て何を思ったのか。セルヴィスはクレアに気まぐれで作った魔道具を見せて、いくつか気に入った物をクレアと父親のハーモニー伯爵に貸して感想を聞いた。
好奇心旺盛なクレアと過ごすのは楽しくて。彼女と魔道具を作るうちにまた魔道具作りへの熱意が戻ってきた。
クレアが学校で魔道具を使うとそれを見た生徒たちから声をかけられることが増えた。以前はアーキス家か兄目当てだろうとうっとおしく思ってつっぱねていたが。よくよく話をしてみるとクレアのように魔道具について学びたい熱心な人たちもいて。アドバイスをすると大いに感謝された。それを見てレオネルは家と兄の名声にこだわっていた自分の傲慢さを大いに反省した。
それからはなるべく丁寧に接するようにしていると友人たちができた。セルヴィスはレオネルが魔道具製作への熱意を取り戻したことを喜び、クレアを含めた友人たちができたことに感激の涙を流した。
報告がいったのか。やたらと心配性の兄からは「レオネルが信頼する良い友人ができて良かった」といった意味の辞書並に分厚い手紙が届いてドン引きした。
レオネルが熱意を取り戻せたのはクレアのおかげだ。
自分が作った魔道具を見るたびに目を輝かせる彼女が好きで。クレアのために夢中で魔道具を作るようになっているうちに、彼女が気に入ってくれれば偉大な兄やアーキス家と比べられるのなんかどうでもいいと思えるようになった。
元々、レオネルはこだわりが強いのである程度自由に作れる方が性に合っていたのだろう。気がつくとクレアを含めて仲間のような友人のような人たちが増えていて。帰国の日まで充実した日々を過ごした。
世話になったクレアには彼女がずっと欲しがっているボックスを作ってプレゼントすることにした。
改良して温冷どちらの魔石にも対応した物にしておいたし、職人たちにメンテナンスをお願いしておいたので自分がいなくても大丈夫だ。
そして、完成したボックスを持ってクレアに「自分はクレアのおかげで立ち直れた。これからも友人として付き合ってほしい」とお礼を言いに行こうとするも。練習でも自分が納得するような良い言葉が出て来ず。
セルヴィスにアドバイスを求めるも「こういうものは自分の言葉で伝えるものです」と生温かい目で見られ。悶々と悩んでいるうちに帰国の3日前になってしまった。
呆れかえったセルヴィスに「とりあえず手紙を書いたらどうでしょう」と薦められ。手紙を書き始めて完成したのは当日の朝で。慌ててボックスの底にベーコン並に分厚くなった手紙をしまった。
結局、クレアに会っても上手い言葉を言えず。逃げるように押しつけてしまった。
「……読んでくれたかな」
「さあて。坊ちゃんの想いの丈をつづった手紙ですからなあ。理解するのに相当時間がかかるかと。クロード様も坊ちゃんも手紙を書くと長いですからなあ」
「しょ、しょうがないだろ! なぜかまとまらないんだっ!」
「そうですなあ。坊ちゃんはいつもたくさんの考えを抱えていて、魔道具製作には余すところなく使っておられますが。言葉にできるのはそのほんの一部ですからなあ。今度クレア様に会う時までに練習しておきましょうな」
どこかで言ったようなことを言い返されてレオネルは黙った。窓から吹き込んできた風が頬を撫でていく。
今度会う時には。クレアに魔道具と一緒にたくさんの感謝を伝えられるようになろうとレオネルは誓った。
後日、クレアから兄並みに分厚い手紙が届いてレオネルはドン引きしつつもすぐに目を通して返信した。
2人の手紙のやりとりは頻度を増していき。長期休暇に顔を会わせたレオネルとクレアがお互いの顔を見るなり「あんまり久しぶりって感じがしないね(な)」と言い放って両家の家族を呆れさせたのは笑い話になった。