第8話 団長、おとり捜査を行う
王都から離れた交易都市は、多種多様な人と物で溢れている。昼夜を問わず賑わう往来であるがゆえに、密輸商人や、たった二人の騎士団員など簡単に紛れ込んでしまう。ただの旅人を装った二人は、到着して早々に情報収集を行った。その結果、どうやら密売人の主な商品は人間らしいと判明したのだった。
「奴隷商人か。人権を無視した唾棄すべき行為だ」
「相変わらずそういう所は倫理観が強いな」
イグジスは、必ずや悪徳商人を捕縛せねばならないと決意した。静かに燃える隣で、いつも通りの態度のジナはどうする、と訊ねてきた。
「自警団に協力を仰ぐか?」
「いいや、下手に大きく動けば、警戒されて行方をくらませるかもしれん」
今後について話し合っている二人の前で、影が止まる。話しかけてきたのは、一人の厳格そうな壮年の男だった。
「あんたたち、奴隷商人を探しているってのは、本当か?」
こちらの動きを察した裏業界の人間、にしてはあまりに普通の身なりであった。態度や動きからは、とても戦い慣れているようには見えない。ひとまず武器には手を掛けないまま、イグジスは頷いた。その途端、男は抱きつかんばかりの勢いで肉薄してきた。
「頼む、俺にも協力させてくれ!」
「すまない。私は、男は対象外で」
「言ってる場合か」
ジナは手刀でイグジスの頭部を打ち、ついでに男を引きはがしてくれた。それで、と細剣の柄に手を当てて目つきを鋭くさせる。
「協力するかどうかは、そちらの内容次第だ」
男は冷静さを取り戻し、項垂れる。暫し逡巡して、先程まで対象外宣言をしてきた男の誠実そうな金眼を視界に入れ、ようやく重い口を開けた。
「妻が捕まったんだ。……竜人で、油断した隙に薬を盛られた」
「同胞が今現在も被害を受けているのか!?」
「ってことは、あんたもやっぱり竜人なのか」
イグジスは重々しく頷く。妻を心から案じている男に対して、最早警戒心は溶けていた。しかも、人里へ下りてきた数少ない同胞に手をかけているなど許せん、と奴隷商人への怒りを更に増やしてゆく。
「必ずや、君の奥方を救いだしてみせよう。安心してくれ、私は既婚者に求婚はしない」
「安心させるのはそこか?」
ジナは呆れて呟き、とりあえずと近くの酒場へ促した。より詳しい話を聞くには、道端から場所を移す方がいい。それに少々金を払えば、密談に適した部屋に通してもらえる。各々席に座り、男はようやく自己紹介を行った。
「俺には、協力者がいるんだ。皆、あの商人に大事な人を奪われている」
男はオットーと名乗った。妻が攫われたのは数週間前。それから協力者たちと共に、どうにか商人の本拠地を突き止めたのだという。しかしどうしても、肝心の妻の在処は掴めなかったのだ。
「街を訪れたばかりのあんた達なら、あいつにも顔が知られていない。俺達の代わりに、誘き寄せて欲しいんだ」
顔が割れた自分達では、下手に接触するのも危険だ。物資など、できる限りのサポートはするから、代わりに矢面に立って欲しい。彼の要求に、ふむとイグジスは顎に手を当てて考えた。
「本人を捕らえるだけでなく、囚われた人達の隠し場所も把握する必要があるか」
「そうだな。居場所を吐かせる前に、手下が証拠ごと連れて逃げる可能性がある」
この手の連中は、魔術品を使って念入りに隠れる場合が多い。魔術が絡めば、一般人どころか騎士でも所在を掴むのが難しくなる。誰かの大事な存在を何人も攫うなど、リスクの高そうな行動に出ているのは、それだけ見つからない自信があるのだろう。
ちなみにイグジスは魔力こそ高いが、炎を扱えるだけで、他の魔術はからきし使えないし、看破もできない。この状況では、強行突破は厳しそうだ。となれば、残る手段は。
イグジスは立ち上がり、やる気十分とばかりにこぶしを握り締めた。
「おとり捜査を行うぞ」
※※※
商人の男は、久々に機嫌を良くしていた。近頃こそこそ嗅ぎまわるコバエ共が鬱陶しく、暫く稼ぎ場所を移すべきかと考えていた所で、大口取引が舞い込んできたのだ。とある酒場の一室で食事を終えた後は、ゆったりと客を待ち構えていた。
とはいえ、油断しきってはいけない。このタイミングで、あの内容だ。新しいコバエの可能性もある。
部屋の扉が開き、商人は重たい腹を正して座り直した。皺を歪ませ、じっくりと客を見分しにかかる。
「お前が、何でも売買すると評判の男だな」
派手な化粧の女だった。身体の線に沿った紅いドレスは、太腿から切れ目が入っている。ドレスと同じ色の髪は男並みに短くはあったが、垣間見えるすらりとした足は女の色気を曝け出し、艶めかしく映る。堅苦しい箱入りの貴族様じゃなさそうだな、と商人は鼻を伸ばしつつ推測した。上質の客相手に、揉み手で頷く。
「ええ、ええ、そうでございますとも。それで、商品の方は」
「ああ、これだ」
向かい側のソファに座り、女は手に持っていた紐を引く。閉まり切っていなかった扉が揺れ、ゆっくりとそれは姿を露わにした。
やけに髪の長い男だった。女と比べて質素な服やつけられた首輪を見るに、二人の関係は一目瞭然だ。紐に引っ張られ、男は猫背を揺らして主人の前に立つ。
「男の竜人だ」
女はそう言ってから、おいと紐をまた強く引っ張る。首輪が皮膚に食い込み、奴隷の背が更によろよろと軋んだ。
「いつまで主人を見下ろしている」
男の反応は早かった。すぐさま四つん這いになり、額を勢いよく床に衝突させた。
「申し訳ありませんご主人様! 罰としてこの駄犬めを、どうか存分にお殴りください!」
「愁傷な心掛けだな。その態度に免じて、今回は褒美を与えてやろう」
「ありがとうございます!」
四つん這いになった男の背へ無造作に足首が置かれ、男は歓喜の声を上げる。新しい客は、何とも強烈な女主人とペットの組み合わせであった。
※※※
さて、足置きと化したイグジスは内心どや顔を浮かべていた。
なんという渾身の名演技。自ら奴隷のフリをすると言い出したイグジスに難色を示したジナすら一発で黙らせた、芸術点の高い四つん這いのポーズである。試しに謝罪の演技をしてみせた時など、ドン引きさせた程に真に迫っていたのである。騎士団長をクビになったら、俳優になるのもいいかもしれない。
商人はこちらに不躾な視線を向けてきた。人間と竜人は、見た目では区別がつかない。しかし、男は簡単に見分けられる手段を有していた。
「ちょっと確認させてもらいますよ」
「価値を下げるような傷はつけるなよ」
「ええ、勿論でございますとも」
男は懐から小瓶を取り出し、イグジスの腕に中の粉を振りかけた。途端、肌に妙な違和感を覚える。粉のかかった皮膚がじわりと波打ち、薄っすらと黒い鱗が滲み出てきた。効果は短いのか、数分も経たぬうちに人肌へと戻ってゆく。
「黒ですか。それに金眼は価値が高い。……噂に名高い、守護竜と揃いの色をしておりますなあ」
きた、とイグジスは内心身構える。色んな意味で有名な竜人の騎士団長について、商人が調べていてもおかしくはない。予想していた流れではあった。
探るような目つきをした商人を前にして、明るい笑い声が響き渡る。女主人──もとい、ジナであった。
「守護竜とこれを同列に扱うとは、恐れ多い冗談だな。そうだろう?」
「はい、ご主人様! 自分はただの卑しい駄犬でございます!」
主人に絶対服従の下僕を見て、商人の眼差しから疑いが消える。まさか噂の騎士団長が、清々しい笑顔で犬になっているとは夢にも思うまい。そう、意表を突くための演技であり、決してイグジスの趣味ではないのである。
気を取り直すようにして、商人は口を開き直す。
「滅多に人里へ姿を現さない竜人をここまで飼いならされるとは、いやはや素晴らしい調教の腕前ですな」
「多少頑丈だろうと、人間とそう変わらんさ。まあ、ここまで躾けるには骨を折ったがな」
「そのように手間をかけたというのに、何故売られるのですか?」
「飽きたからだよ」
床を見ていても突き刺さる、虫でも眺めるような無機質な視線。素晴らしい演技だぞジナ、とイグジスは内心で称賛の声を上げた。
今回のおとり捜査の準備で、一番手を焼いたのはジナだった。主人のフリをして足蹴にして笑うとか無茶言うな、とごねたのだ。
『そこまでする必要ないだろうが! お前絶対、自分の性癖をぶち込んでるだろ!?』
『心外な。悪徳商人を騙すにはそれ相応の悪者にならねばなるまい。君こそ、私を殴る時の溌剌とした威勢はどうした。殴打を満喫する絶好の機会だぞ』
『あ、あれは違……人を殴るのが好きみたいに言うな!』
『もっと! もっと激しくだ! 悪の女幹部も顔負けの凄味を見せてみろ!』
『やかましい!!』
イグジスの熱心な指導の下、ジナは何とか及第点の演技を身に着けた。オットーが派手な服を用意してくれたおかげもあって、こうしてあくどい女幹部風の御主人が出来上がったわけである。
「最後の情けで、処分するより再利用する事にしたのさ。新しく別の竜人を買ってみるのもいいな」
「ならうちで購入されてはいかがでしょう。丁度いいのがおりますよ。若々しい竜人の女でして……」
男はここぞとばかりに商品の売り込みを始めた。宣伝内容から、オットーの妻である可能性が高そうだ。別の所へ売り払われる前だったのは、不幸中の幸いである。
商談がつつがなく終わり、商人は懐から別の瓶と注射器を取り出した。