第7話 副団長の好み
あの宿屋で再び夕食にありつきつつ、二人は日中で得た情報をすり合わせた。それによると、発端は商人が耳よりの情報として村長に竜人の事を吹き込んだのだという。簡単そうな儲け話に目が眩んだ彼は大金を払って薬を買い、宿屋の亭主や若い男達など一部の村人に声をかけて、標的が村に運よくやってくるのを待っていたのだという。
裕福な村というわけではないが、危険な犯罪行為に手を出さねば飢え死にする程貧窮もしていない。今回は魔が差しただけということで、二度とこんな犯罪行為に手を染めない代わりに、未遂として目をつぶる。それがイグジスの決めた対応だった。
「美味い酒と食事の礼だ。こうして詫びにまた豪勢な食事にありつけたのだからな。休暇期間はまだまだ残っているのだから、こういう羽の伸ばし方もいいだろう」
「相変わらず甘いな、団長は。まあ連中も痛い目を見たから、二度と竜人に手を出そうとはしないか」
宿屋の男が、猛スピードでお辞儀をしながら追加の料理をテーブルの上に乗せた。男の妻も同じく腰が低いままに、蔵から持ってきた酒を振舞う。やはり『竜殺し』と書いてあった。名産品なのは事実らしい。
「ただし、密売人は別だ。……居場所は掴めたか?」
薬の入っていない『竜殺し』を飲みつつ、イグジスは横目で部下に報告を促す。呑気に食事を楽しんでいた様子から一瞬で切り替えた上司に、ジナはああと頷いた。
「竜人を昏倒させる程の強力な薬も、ソイツ経由らしい」
聞いたところによると、村の連中は高価な薬の投与量をケチったらしい。ジナが解毒剤を料理に混ぜてくれていたのも含め、お陰で想定より早く目覚められ、こうして比較的穏便に事が終わったのである。
「主な活動場所の情報も吐かせた。この村へ次に来る日を待つより、こちらから出向く方が早そうだ。少々遠回りになるから、目的地に着くのは予定より遅くなるが……行くだろう?」
「無論だ。村人達を唆し、非合法な取引で儲けるなど、到底見過ごせん。同胞に危害が加えられているかもしれんしな」
「相手は竜人の扱いに長けているかもしれないぞ。増援を呼ぶか」
「いや、少人数で早急に確保する。それに、何かあっても君がいるからな」
「…………」
返答がなく、おやとイグジスが運ばれてきたばかりの料理から視線を離す。彼女は無言で酒を飲んでいた。視線は皿の方へ注がれている。急に食事へ心を奪われた風な彼女に少々違和感を覚えるも、それが言葉として出る事はなかった。
「あ、あのっ、ジナさん!」
小柄な男が、どうにかして勇気を振り絞ったという風に声をかけてくる。確かラウロという名だった、とイグジスは思い出した。
「お、おれ、あなたに話したい事があって」
緊張した声と共に、ラウロはちらちらとこちらに視線を寄こしてくる。全く意図が掴めず、イグジスはゆったりと酒を味わいながら事態を静観していた。
隣の男が席を外す気がないのを察して、ラウロは何度も大きく息を吸って吐く。そうしてようやく、震えながらも大声を出した。
「ジナさん、ここでおれと、おれたちと暮らしませんか。みんなジナさんにもっと付きっきりで鍛えて貰いたがってますし、おれも、い、一緒に、いられたらって……」
これはまごうことなき求婚ではなかろうか。イグジスはようやく事態を把握した。そしてラウロに憐れみの視線を送った。何しろイグジスは今まで何度も求婚してきたのに、拳と蹴りしか返答を貰っていないのである。
ジナの物理的拒否は、あれで手加減してくれているのか殆ど痛くない。いくら普通のか弱そうな村人とはいえ、まさか殴られた拍子に宙を三回転半で飛んで行ったりはしないだろうが、せめて骨は拾ってやろう。イグジスが慰めの言葉を考えていると、ジナは静かにジョッキを置いた。そして柔らかく青年の肩に触れ、ふっと微笑む。
「悪いな。お前の気持ちには応えられない。でも、気持ちは嬉しいよ。ありがとう」
「ジナさん……」
「待て異議ありだ!」
イグジスはつい立ち上がって、大声で突っ込みを入れた。だって、自分はいつも毎回雑に、物理的制裁込みで断られていたのに、何故ラウロには慈悲深い眼差しで優しく断っているのか。幾らなんでもあんまりな差ではなかろうか。
「やかましいぞ、団長。ラウロ、この煩い男は壁だと思って放っておけ」
隣の男へジト目を向けてから、ジナはラウロを酒場の入り口まで送ってゆく。壁扱いされたイグジスは、ぽかんと口を開けたまま、彼女が慰めるように青年の肩を何度か叩き、笑って何かを伝えているのをただ眺めていた。彼女が席に戻ってきて、更に穏やかな眼差しで酒場の入り口の方へ視線を送ったのを見て、ようやく固まっていた口が動いた。
「ジナ」
「ん、急にどうした団長」
食事を再開しようとしたジナは、突然名前で呼ばれていぶかしげな表情を浮かべる。イグジスはすぐに返答しようとして、しかし束の間上手く言葉が出なかった。ちなみに二人の会話を反芻し、村での男連中とジナが仲良く鍛錬をしていた思い出にうっかり浸りかけてから意識が戻ってくるまで、ものの数秒である。
「最低限の警戒として、旅の間は役職で呼ぶのを避けるべきだと今判断した」
「ああ、今回の身バレも私が団長と呼んでいたからか。悪かったな、暫く気を付ける」
「そうしてくれ」
そして互いに無言になった。いや、ジナは食事に戻っただけだ。だけなのだが、先程までと違い、どうも落ち着かない。
多分自分はまだ彼女に何かを伝えたいのだ。ただ、その中身が分からない。疑問の答えを探りたい気持ちとは別に、気にしなくてもいいではないか、と冷静に切り替えようとする思考もあって、妙に座りが悪かった。
真顔で扉を凝視したまま考え続ける男へ不審を抱き、しびれを切らしたのはジナだった。
「言いたい事があるならとっとと吐いたらどうだ」
「あ、ああ、うむ……ラウロと君の新婚用の新築物件を探すなら、王都お勧めの不動産を紹介せねばと」
「勝手に妄想を飛躍させるな。目の前で断っただろうが。私は弱い男はタイプじゃないんだ」
「……ならば私はストライクゾーンに入っているのでは?」
料理から上がる湯気がぐにゃりと揺れて姿を消す程に、大きなため息で相槌を打たれた。ジナはテーブルに行儀悪く肘をつき、女心の分かっていないナンパ男を見上げる。
「じゃあ、追加で教えてやるさ」
料理の皿を避けてテーブルに手をつくと、ジナはぐっとこちらに身体を寄せてきた。急にどうしたのだろうかと、きょとんとしながらもただ続きを待っている男の瞳を、睨みつけるように覗き込む。
「私の事ばかりどうしようもなく考えて、私を振り向かせようとがむしゃらに足掻いて、狼狽えてみっともない姿を私の前に曝け出す、そんな男が好みなんだ」
「それは特殊性癖では?」
男の趣味が悪いという感想をぐっと堪えてイグジスがやんわり突っ込むと、笑う気配が伝わってきた。ふっと息が鼻先を掠め、彼女は身体を離すと肘をつき直した。
「まあそういうわけだ」
「ふむ、それなら確かに私は好みではなかろう。大体、他者へ執着しすぎるのはただの堕落ではないか」
「ほらな、そういう所が駄目なんだ」
肩を竦めて、ジナは今度こそまた食事に手を付けだした。先程よりも平常に戻ったイグジスもそれに倣う。
それにしても、彼女の好みが強者のストーカーとは。部下の意外な好みを知ってしまい、上司として若干戸惑うイグジスであった。