第5話 団長、捕獲される
イグジスの元々の予定は、ドミノの師匠がいる隠居地を目指して適当に進み、途中で街にぶち当たったら休憩、という雑なルートだった。それがジナの指摘や訂正により、がらりと様変わりした計画的なものとなった。お陰で定期的に休息もできて順風満帆、の筈だったのだが。
「うーむ、どうしてこうなったのか……」
イグジスは牢屋の中で一人呟いた。
※※※
話は少々遡る。補給がてら一泊する為、道中の村に寄ったのが発端だった。村に着く直前で野獣に襲われていた女性を助け、イグジスが求婚しようとしたのを物理的に止められるまでは、おおむねいつも通りであった。
「少しは自重しろ団長!」
「いやしかし、彼女が私の運命の伴侶となる可能性が」
「会う女全員に運命を感じていたら、求婚で時間を費やして、目的地到着前に休暇が終わるだろうが!」
「いやあお二方、ありがとうございます!」
途中で明るく話しかけてきたのは、村の住人である中年の男であった。助けた女性と二人の間に割り込むように立ち、ぺこぺこと頭を下げる。
「妻を助けてくれて感謝してもしきれねえ。是非恩返しさせてくださいよ!」
「なんと、君の奥方だったか。既婚者を誘惑するなど非倫理的な行い、大変失礼した」
「いやいや、それよりもお礼に食事でも御馳走したいから、うちの宿屋へ来てくれ、さあ!」
男は何度もお礼をしたいと言い張った。男は村唯一の宿屋兼酒場を経営しているらしく、それならばと二人は厚意に甘える事にした。最近村の畑を荒らすなど悪さを働いていた野獣を旅人二人が倒した話は村中にすぐ広まり、酒場は大繁盛となった。
「さあどうぞ、好きなだけ食べてくれよ!」
「あなた達は村の恩人だ、英雄だ! ささっもう一杯!」
「旅人さん、これをお飲みくださいな。村の名産品ですのよ」
「はははこれはどうもありがとう、ところでこの酒は何という銘柄だ?」
「『竜殺し』と申します。恐ろしい化け物でも虜になってしまうほどに美味でして」
「いやあははは確かに美味しい、では折角なのでもう一杯」
※※※
竜殺しの名は伊達ではなかった。イグジスはどうやら宴会の途中で酔っ払って寝落ちしたらしい。そして目覚めてみれば、背中側で両手を、ついでに両足首も縛られて牢に転がされていた、というわけだ。当然ながら、荷物や愛用の槍は没収されている。
「ううむ、迂闊だった。皆に知られたら話のネタにされてしまうな……」
頭痛と眩暈で、顔を顰める。酔っぱらって取っ捕まるなど、騎士団長として問題になりかねない。団員達の話のネタどころか、王たちが額に青筋を立てて怒り狂うだろう。
イグジスが目覚めたのに気付き、男が振り向く。あの宿屋の男であった。
「よう、悪いな旅の方。恩を仇で返しちまって」
「構わんさ。こちらもついつい飲み過ぎた。君の料理の腕もさることながら、酒の方も想像以上に美味だった」
「ど、どうも……なんか、全然動じてねえな……」
「そう言われてもだな……はっ、まさか奥方を誘惑した男に復讐をする気か!? すまない、既婚者に求婚はしない主義だったのだが」
「違えよ!? くそっやりづれえなこの人……」
男がうわあと胡乱な目つきになっている隙に、イグジスは辺りを見渡す。夜目が効く竜人からすれば、多少薄暗くとも現状把握には問題ない。ここは牢屋にしては、地下に木製の格子をはめ込んだ簡素なものだった。元々は物置として使っていたのだろう、見張りの男が持っている蝋燭立てだけが、微かな光源であった。一般人であれば、不安と暗闇への恐怖でもっと混乱していたかもしれない。
仮にも百年以上騎士団長を務めた身だ、この位のハプニングは可愛いものである。
「私の連れはどうした? 女性用の牢に入れられているのだろうか。成程、男性と一緒に収容すべきではないという配慮をされたのだな」
「え、そこまで深い意味は……というか、俺が言うのもなんだが、自分の心配をした方がいいんじゃねえか?」
イグジスは軽く肩を竦める。勿論、心配はしている。
村人たちの心配を、こっそりと。
※※※
ジナが目を開けると、見慣れぬ土の床が眼前にあった。土埃や籠った空気から、どうやら普段使われていない小屋らしい。扉の横に釣られたランタンが、こちらの覚醒に気付いた男達の姿を照らしていた。
「おいおい、一晩は眠りこけてるんじゃなかったのかよ」
「ああ。お陰様で快適な目覚めだ。薬を盛ったな?」
「へへっ、隠し味は気に入ったみたいだな」
露骨な歓迎を怪しみ、念のためと食事に解毒剤を混ぜていたのだが、想像以上に仕込まれていたせいか、束の間寝入っていたらしい。失態に軽く舌打ちをして、身じろぎをする。両手と両足が縛られていて、起き上がるのすら困難だった。男達は無防備な獲物を前にして、にやにやと見下ろす。イグジスが呑気に想像している以上に、ジナは厄介な状況に晒されていた。
よせよ、と小さな声で止めたのは、小柄な青年だった。
「なあ、やっぱりやめよう。こういうのよくないって」
「今更何言ってんだ、ラウロ。王都に通報でもされたら厄介だろうが」
「だ、だけど、黒竜騎士団って……特に団長と副団長は滅茶苦茶強いって話じゃないか。反撃されたらひとたまりもないよ」
「警戒しすぎだって。大体、こんな縛られた女に何ができるってんだ?」
ラウロと呼ばれた青年の警句も虚しく、武器を持った男が、上機嫌に口笛を吹いてしゃがみ込む。握り締められた見覚えのある細剣に、ジナの目つきが鋭くなった。その反応に気をよくした男が、奪ったそれでからかうように頬を叩いた。
「くくっ、どうしてやろうかね?」
「……るな」
「ああ?」
低い声で、彼女は呟く。薄暗い小屋の中で、赤い瞳が剣呑な光を帯びた。
「汚い手でそれに触るな」
油断しきっていた顔面に頭突きをかます。動揺から我に返って取り押さえようとした男の眼球目掛けて、団長相手とは威力がけた違いの拳をお見舞いしてやった。悶絶する仲間をよそに、男達はいきり立つ。
「てめえっ、いつの間に!?」
「生憎、お綺麗な育ち方はしてないんだよ。勝つためなら何でもしてやるさ」
袖口に縫っておいた小さな刃物で切断された縄は、あっけなく役目を放棄していた。奪い返した細剣でさっさと足首の自由も取り戻し、手近な男の腹へ飛び膝蹴りを喰らわす。使い慣れた細剣を構え直し、数だけは優勢な連中を見分する。楽勝そうだな、と油断はせぬままに推測した。
持ち主の手に戻った細剣は、意気揚々と不届き者達を蹴散らした。数分と経たぬ内に、小屋の中で立っているのは彼女だけとなっていた。
「か、かっこいい……」
息一つ乱さずに剣を振るい終え、涼し気な表情を浮かべている女を前に、ラウロは感嘆の声を上げる。それを皮切りに、他の男達も呻き交じりに呟きだす。
「畜生、入団初日に団長をぶっ倒したクソ強い女ってのはマジだったのかよ……」
「だから言ったろ、盗賊のアジトに一人で乗り込んで壊滅させたって!」
「ひいいっ、悪党百人切りを果たして血の海を作った女なんかに敵う訳がねえ!」
噂に尾ひれがついている状況に、ジナは訂正しそうになるのを堪えた。侮られているよりも、こちらの方が話を進めやすい。
「時間があればお前ら全員の性根を一から叩き直してやるところだが、生憎今は急いでるんでな」
わざと殺気の籠めた目で周囲を見渡し、威圧する。一番近くにいた男の眼前に剣先を突きだし、低い声で問いかけた。
「答えろ。うちの団長をどこにやった」