第26話 即位式当日
天からの温かな光が、祝福の如く惜しげもなく降り注ぐ日。ルドルフの即位式は、爽やかな青空が広がる快晴であった。各地域から主要な貴族が招かれ、大聖堂を騎士団員達が警護する中、新たな王が宣告される。厳粛な空気が式と共に終われば、表面上は和やかに、招かれた者達で意見を交わし合う。話題は主に、この後開かれる夜会についてだ。
「噂では、妃候補を夜会で見繕うとか」
「侯爵のご令嬢は、確か年頃でしたな。夜会にも招待されているのでしょう」
「いやいや、子爵の方こそ……」
騒々しい会話が、ふと途切れる。雲一つない筈の空から、影が差したからだ。庭に出ていた貴族達が、あれは何だと口々に驚きの声を上げる。騒ぎを聞きつけ、ルドルフと前代となった王も空を見上げた。
「あれは……竜か!?」
影が差したと思ったのは、鳥よりも速く大きなそれが黒い鱗に覆われていたからだ。日光防止にゴーグルをつけた竜が、頑丈な翼をはためかせ、大聖堂の上を旋回している。太陽を覆うシルエットは、矮小な目撃者達を怯えさせるには十分だった。
「奴め、とうとう本性を現しおったか!? 兵よ、ただちに弓を」
「いけません、父上」
怒りで顔を赤らめた前王を、ルドルフが抑える。目立たない王子だと侮られていた新王は毅然と立ち、よく通る大声を上げた。
「王の名にて命ずる。ラスヴァーンで竜人を傷つける行為は、一切禁じる!」
危険を顧みず前に出て、若き王が宣言する。その声が届いたのか、竜はゆっくりと速度を落としながら地上へと降り立った。強靭な後ろ足が地面に着地し、強風で情けなく悲鳴を上げる貴族もいる中、ルドルフは更に数歩近付き、片膝をついた。
「この国が新しい歴史を刻む日に、良き隣人である竜人の方にも参列して頂き感謝します」
否定するように竜が唸り声を上げる。ルドルフは頭を下げたまま、目の前の竜にだけ聞こえる小声を出した。
「君、イグジスじゃないだろう」
「……どうして分かったの?」
少しばかりくぐもった声や口調は、女性らしいものだった。手品の種を明かしてみせたという風に、ルドルフはにこりと笑う。
「実直な彼なら、きっとここではなく、本当の目的へ一直線に向かおうとするだろうから。君はおとり役かな」
穏やかな表情の裏で、探るような眼差しが乱入者を観察する。竜は天空へと大きな口を向けると、ごうと沈黙を破った。
「アリ!」
「えっ?」
「無害そうでいて、影では積極的に手を打つタイプと見たわ! アタシ、ギャップに弱いのよー!」
威厳に満ちた竜が突然くねくねと身を揺らすのを、ルドルフも含めてその場の全員が呆気にとられて眺めた。ひとしきりきゃあきゃあ騒ぐのを終えると、竜は先程までの愉快な行動をやめて、厳めしそうなポーズを取り直し王へ首をゆるりと動かした。とはいえ、今更真面目な態度を装っても遅いのだが。
「ねえ、新しい王様。私とお話をしましょう」
「光栄だな。どんな話をしてくれるんだい?」
その問いかけに、竜がぱちんとウインクをするのが、ゴーグル越しにも見えた。この場にいる者達の視線を釘付けにしたまま、ファルファラは口から軽く炎を出して笑ってみせた。
「貴方の興味を引きそうな、取引の話よ。少しでも心を奪われてくれるなら、どうかその間は私だけを瞳に映してくださいな」
言外の意味まで察し、ルドルフは頷いた。語られる内容が彼女の言う通り交渉価値がありそうなら、王宮の方で少し位騒がしくなっても目を瞑るとしよう、と。
※※※
夜会用のドレスに身を包み、ジナは疲れを滲ませて息をつく。着替えを手伝ってくれたメイド達は、鏡を構えて口々に褒めてくれた。
「ジナ様、とても綺麗でございます」
「似合っておりますわ!」
ありがとうと礼を言い、鏡の中の自分を改めて観察する。映っているのは、行儀の良さそうな令嬢の姿だ。貴族の女性は大抵髪が長いものだから、あとはこの短い髪を伸ばしてしまえば完璧だろう。暫くはウイッグで誤魔化すのがよさそうだ。これなら、ルドルフの顔に泥を塗らずに済みそうだと、安堵する。貴族間の常識だの夜会のマナーだの、様々な教育を叩き込まれた甲斐があった。
今は性に合わないとばかり思うけれど、いずれ慣れるだろう。慣れなくとも、近衛騎士としての職務に専念すればいい。逃げ道を用意してくれているルドルフには、感謝しかない。
ぼんやりとした思考が、ふっと切り替わる。部屋の外から聞こえる音と迫る気配。騎士団時代の条件反射で、ジナは傍に置いていた細剣を手に取った。驚いたメイド達を安心させるよう、声をかけてから部屋を出る。廊下の先の踊り場に立つ影に、視線が吸い寄せられた。
「見つけたぞ、ジナ」
槍を携えた侵入者は、嬉しそうに笑った。
※※※
イグジスは久々に再会して、すっかり貴族のように造り替えられた元副団長を見つめた。一目見ただけで高級と分かる、刺繍が施された長いドレス。端々は繊細なレースで飾られていて、全体的に露出は少ないものの、背中だけは大胆にあいている。ネックレスとイヤリングは、小さな宝石をシンプルに加工しただけのもので、むしろそれが主役の本人を引き立たせている。香水をつけているのだろう、甘い香りまで身体から漂わせていた。
正直な感想を述べるなら、かなり似合っている。それなのに、何となく複雑な気持ちも抱いてしまう自分に、イグジスは内心驚いた。この狭量な感想も愛のせいなら、碌なものではない。そんな感情は一刻も早く捨て去るべきだ。頭では理解していても、自覚してしまった今、もう理性に大人しく従うだけではいられなかった。
唯一以前と変わらない愛用の細剣を携え、ジナはそっけない目つきで言った。
「黒竜騎士団長様の本日の警護場所は、ここではありませんよ」
「他人行儀な言い方はよしてくれ。担当場所を変更してもらい、君に会いに来ただけだ」
「……騎士団員達に協力を仰いだのですね」
丁寧な口調のまま、ジナは額に軽く指を当ててため息をついた。この近辺は、黒竜騎士団員達が警護する段取りにしている。その上、今頃は警護の大半が大聖堂と、ファルファラが登場している庭に集中している筈だ。多少騒いだ所で、暫く邪魔は入らないだろう。細剣から手を離さず、ジナはぶっきらぼうな態度で問い質してきた。
「今更何の用ですか。別れの挨拶でも言いに来たのですか?」
「君のそのドレスを脱がしに来た」
「はあ!?」
ジナはぎょっとして身体をのけぞらせた。細剣を手にしたまま、自身を庇うように両腕を抱える。
「お、おま、いや貴方、出会い頭にそんな、セクハラ発言をするなんて」
「待て違う誤解だ。不埒な意味ではない」
遠巻きにこちらの様子を窺っているメイド達が、頬に手を当ててきゃーっと騒ぐ。このままではセクハラの罪に問われてしまう。そうなる前にと、どうにか軌道修正を試みた。
「ジナ、君は黒竜騎士団に居た頃の方が、より自由で楽しそうに見える」
「分かったような口を利かないでください」
「そうだな。私はまだ君の全てを理解していない。だとしても、君の精神衛生上戻ってくるべき……、いや、私の一番傍にいて欲しいと、私自身が願っている」
だから、と愛用の槍を構える。切っ先をドレスの胸元へ向け、高々に宣言した。
「君に決闘を申し込む。私が勝てば、一生私の副団長兼妻になってもらうぞ!」
ひくっと、ジナの片頬がひきつった。それを隠すように、片手で顔を押さえる。隠し切れず真っ赤に染まった耳を見て、イグジスは早くも勝利を確信した。
「……こんな真似をしておいて、騎士団を首になったらどうするおつもりですか」
顔を隠したまま指摘され、そういえばそうだった、とイグジスは今更気付いた。勢いで王宮に乗り込み、側室予定の女性を掻っ攫うなど、牢獄にぶち込まれてもおかしくない。逃亡計画も練るべきだったと大真面目にじっくり後悔しているうちに、ジナは赤みの引いた顔から手を離す。こちらを睨みつける眼差しは、よく見慣れたものだった。敵対者を前にした時の、それだった。
念入りに手入れされた爪先が、ドレスの裾に触れる。ジナは豪快にドレスを破り、装飾品の数々を投げ捨てた。宝石が廊下の隅に転がっていくのを興味がなさそうに無視し、これで動きやすくなった、とあっけらかんと笑う。淑女らしい大人しさをかなぐり捨て、代わりに好戦的な態度が露となる。かつての頼もしい副団長らしく、ジナは強気な笑みを浮かべてみせた。
「いいだろう、受けて立ってやる。その代わり私が勝てば、二度と私の前に姿を現すな」
「了解した。竜人は約束を守る種族だ。……守るよう努力はする」
イグジスにしては珍しく曖昧な言い方に、ジナは訝しむような眼差しを向けた。当の本人としては、会うのを禁止されても今更我慢できる自信がなかった。あの手この手で約束の隅をつついて、別の手段を取ろうとする予感がする。とはいえ、勝つつもりしかないのだから、杞憂なのだが。
細剣を構え、ジナは挑発じみた声を投げかける。
「竜には化けないのか。流石に王宮へ放火するのは気が咎めるか?」
「それでは一瞬で勝負がついてしまう。不公平だろう」
同じ人として、決着をつける。イグジスの挑発返しに、ジナの目つきが増々鋭いものとなった。寸分の隙を見せず構える姿からは、殺気すら漂い始めていた。
「人真似だけは随分得意になったらしいな。その面だけはよくできた化けの皮、今から全部剥がしてやる」
「やってみるといい。ああ、先に剥がれたのは君の擬態の方だったな」
「ぬかせ!」
どちらからともなく一歩踏み出し、触れ合った刃が決闘の始まりを告げた。




