第25話 団長、火が付く
迫る即位式を前にして、黒竜騎士団は忙しかった。主な警護を担当するだけでなく、旅の間に溜まっていた書類を片付けなければならない。よってイグジスは今日も今日とて、苦手な書類仕事に全力で取り掛かっていた。ただし、魂でも抜け出ていそうな死んだ目で。
「確認を頼む」
「は、はい、了解っす……」
タントンに渡し、次の書類へ取り掛かる。黙々と羽ペンを動かす様子を見守りつつ、団員達はひそひそと小声で話し合った。
「団長、戻ってからずっとあの調子だな」
「仕事はちゃんとしてくれるのに、心ここに在らずって感じですし、誤字脱字が多すぎるっすよお……」
「あー、あのひとって肉体的にも精神的にも強いから、普段滅多にへこまないじゃん。油断しきってた所を掻っ攫われるなんて慣れてないだろうし、こりゃ珍しくでかいダメージを喰らったんだろうなー」
団長本人は、あれからジナについて特に言及しなかった。他の誰かが言ったとしても、大丈夫だきっと殿下と幸せになるのだろう間違いない、私も婚活を頑張らねばと虚ろな目で返すばかりだ。周囲からすれば、正直気味が悪かった。
それに、解呪についてドミノに報告しに行った時に、なんと誰にもナンパをしなかった、と付き添いのタントンが証言し、団員達は騒然となった。黙っていれば美形の男が憂いの表情を浮かべているのを、むしろ女性の方から心配して声をかけてくれるようになったのだが、本人は適当に挨拶をしてふらふらと通り過ぎるのみだ。
大多数に求婚していたのが一点に絞られると、ああまで引き摺るのか。イグジスの感情の重さに、皆驚くばかりであった。
一応仕事の上ではタントンが大変な位で、支障はそこまでないため、団員達では見守りつつ軽く励ます位が精一杯だ。いい加減、兵舎内に重たい空気が充満しきっていた頃、威勢よく扉が開いて来訪者を知らせた。
露出の多い服に、健康的な褐色の肌。金の瞳をキラリと輝かせ、男を三人携えた美しい女性の姿に、団員達はぽかんと口を開けて見惚れる。ヤッホー、と陰鬱な空気を吹き飛ばす明るさで、ファルファラは挨拶した。
「ジナちゃんとの結婚、おめでとーう!」
あっヤバい、と団員達が一様に顔を引きつらせる。イグジスはどよどよとしたまなこを旧知の女性へ向け、がっくんがっくんと首を縦に振ってそうだなと言った。
「王子殿下との婚姻だ。君とは知らない仲ではないのだから、一応報告すべきと判断した」
「……そう言えば、手紙には相手が誰とは書いてなかったな」
オットーが便箋を取り出して確認する。ようやく事態を把握したファルファラは、あちゃーと軽く肩を竦めた。
「あんなに仲良くしてたのに他の男に取られちゃったの? かっこわるーい」
「だ、団長──!」
容赦のない感想に、イグジスはとうとう執務机に突っ伏した。いつもなら便乗して求婚失敗を軽く流す団員達は、今回ばかりは心配する側に立ってくれたらしい。
「君には、近況報告を手紙で伝えただけだ。用がないなら、うちの団員に手を出す前に帰ってくれ」
突っ伏したまま視線だけを向け、歯に衣着せぬ来訪者へぼそぼそと呟く。あんまりな態度に、ファルファラは夫達と顔を見合わせた。
「こーんな誤字脱字にぷるぷる震えた筆跡で近況報告しておいて、何でもないつもりなの?」
「ふうん、これは自覚がないままに、芽吹きの歌を待っていると言った所かな」
「それってつまり、ふぁーちゃんに元気づけて欲しいってことですか?」
「確かに、マイハニーは火付け役としては適任だろう」
「えー、そんな風にダーリン達から言われたら、一肌脱いじゃおうかしら!」
三人ともダーリンとは、と団員達がざわついた所で、彼女は更なる火種をまいた。机にへばりついている男の前に立ち、ファルファラは両頬へ優しく指をあてる。そして、皆の前でちゅっと唇に口づけたのだ。夫達が温かな眼差しで、団員達が唖然として見物している中、ファルファラは眼前でウインクする。
「元気出た?」
「最悪の気分だ。うがいと口の消毒をさせてくれ」
心底嫌そうな感想に、美女にキスされておきながらなんてひどい反応だと、一部の面食いな団員は憤慨した。言われた本人も、失礼ねえと明るく笑い飛ばす。
「反応薄いわね。アタシがジナちゃんとデートする時は、あんなに大声で抵抗していたのに」
この美女、ダーリンが複数いるだけでなく、副団長とデートも済ませているらしい。堅物の団長にこれ程の奔放な知り合いがいた事実に、団員達はこの件が終わったら根掘り葉掘り訊ねてみようと決意した。
「昔の重ーい情熱がどこへ行ったのかと思っていたけど、ちゃんとここにあるじゃない」
胸元を爪先でつつき、女はにやりと笑う。奥にある燻った火種を、焚きつけるように。
「アンタは誰とキスしたいの? 誰とだけ結婚したいの?」
「……それは」
「たった一人の特別なひとと、幸せになりたい。それがアンタの愛し方でしょう」
そんな馬鹿な、とイグジスは口元を拭って反論した。だってそんな感情は、自分が長年思い描いた幸せな結婚生活には、存在しなかった。さじ加減一つで酷く乱れてしまう、こんなにも衝動的で危うい激情が、結婚の誓いとして尊ばれる感情と同じであるなどと、認めるべきではない。
「こんな醜い独占欲や執着心が、愛だと?」
戸惑いながら否定しようとすると、部下たちが割り込んできた。そんなものだ、と明かされたばかりのかたちを口々に肯定する。
「気にすることないっすよ団長、人それぞれっす!」
「そうそう、団長が惚れてると思ったらそれでいいだろ! っていうか、いい加減自覚してくれ!」
「ダーリンが三人いるのに比べたら可愛いもんだって!」
最後に大変説得力のある比較をされ、イグジスは口を閉じた。胸に手を当て、自分の奥に宿る熱をようやく直視する。かつて、衝動のままに集落を出た。今、あの時と似た、けれどそれ以上の熱が、自分の奥から燃え盛ろうとしている。
「それで、アンタはどうしたいの?」
お前自身はどうしたいんだ、と。
かつて自分のすぐ隣で問いかけてきた声が、反響する。
手を伸ばしたい、と思った。
今度こそ、自分から離れないように。
胸元から手を離し、大きく息を吐く。強く目を閉じてから開き直した時、先程までの虚ろな表情は完全に姿を消していた。
「君に間抜けな姿を晒した挙句励まされるなど、一生の不覚だ」
「あら、知らなかったの? 恋をすると馬鹿になるのよ」
「君に言われると、説得力が増すな」
薄く笑い、イグジスは周囲を見渡す。意志の燃え盛る金の瞳を前にして、団員達は嬉しそうに騎士団長の宣告を待っていた。
「私は今度こそ、ジナを嫁にしてみせる!」
「よっしゃー! ようやくかよ!」
「えっ、前とそんなに変わらないような」
「団長がんばれー!」
温かい励ましの言葉を受け、イグジスはぐっと力強く握りこぶしを作る。既婚者は守備範囲外という以前の主張は、この際かなぐり捨てる。そもそもまだ結婚前だからセーフだ、と強引に自分を納得させた。
「皆、見ていてくれ。私は王族を全員打倒してでもジナを取り戻すぞ!」
「国家転覆はやめろ!」
アクセル全開で踏み出そうとするのを、早速部下達が全力で宥めた。




